セイクリッド・カース

気高虚郎

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第3章:禍ツ島

第17話:銀、聖水、光

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便利屋は大きな仕事を終えた。
一つの魂が消えゆくのを見守る、それが大きな仕事でなくてなんだというのか。

「これで理解していただけたでしょうか?この島が危険地帯と呼ばれる理由が。」

「ええ。」

心から納得した。ここが危険地帯である理由を。
どうしてこうなったのか、それを話すためにマデリーンと団長が口を開いた。

「この島には魔術師狩りの影響で祓う事が不可能なほどに魔力や霊魂が染み付いていました。ですが霊魂や魔力を無害な状態に抑えることで居住は可能でした。この島では決闘や公開処刑といった残酷な行事を断固として禁じられていました。人々の狂乱に触発され、魔力が暴走するかもしれなかったからです。ですが結局はこうなってしまいました。」

「最初はこの島の住人が体調不良を訴え、日毎に病人が増えた。ついには無力だった霊魂が強力な悪霊に変わり、住人は出ていくしかなかった。後から調べたが司祭様の言うような残酷な催しは行われていない。どうしてこうなったかは謎のままだ。」

この中州は都の中心地であった。そのために騎士団が悪霊たちから奪い返そうと戦ったが力及ばず、悪霊の領域となってしまった。

「悪霊たちによって無人になると悪霊のいない島の周辺部の家屋はギャングたちの住処になってしまった。隣人が悪霊でも連中にとっては格好の住処でな。俺らはギャングだけでも一掃しようと試みた。それがこのガサ入れなんだ。」

この危険地帯の経緯を聞き、ようやく便利屋は心から理解した。
これから自分が踏み込もうとする場所の脅威を。

「便利屋殿。どうやら、我々はここまでです。この大所帯でこの先に踏み込むことは許可できません。」

先ほどの悪霊のせいで騎士団のメンバーは大分参った事だろう。
恐れを抱く味方は足手まといでしかない。

「ここからは俺と教授だけですね。」

「悪霊たちはこちらから触れることはかなわず、彼らからはいくらでも触れることが出来る。不条理なものです。ですが対策を講じさえすれば、脆さをさらけ出します。彼らへの対策はきちんと覚えてますね。」

「はい。まずは聖水。」

聖水。特別な環境で育てられた精霊に水を清めさせたものだ。
不浄の力を清め、この世ならざる存在に干渉できる。

「次に銀で作られた武具。次に教授の…。」

戦いがひとまず終わったと誰もが思っていた、ひとつの霊を除いては。

「まだ動いているぞ、悪霊憑きが!」

悪霊憑きの体が動いてることに団員は気づいた。
彼らは勘違いをしていた。憑いていたのは一体ではなく、二体だったのだ。
団員たちの注意とともに悪霊は男の体から飛び出した。
飛び出した悪霊は団員たちにもマデリーンにも便利屋にも目をくれず、一目散に逃げ出した。

「待て!」

その場にいた全員が虚を突かれた。悪霊は団長の振り上げた銀の槍を躱し、団員たちの振り撒く聖水もかいくぐった。悪霊憑きの大暴れによって団員たちのほとんどがその場に集まってしまっていたため、もはや悪霊の前に立ちはだかる者はいない。

「安心なさい。追う必要はありません。」

マデリーンは悪霊の動きを見て安堵した。
気づいたからだ。悪霊が逃走経路を間違えたことに。ある馬車の横を通ろうとしたのだ。

「おっといかん。」

その馬車ではバルマンがくつろいでいた。悪霊が目に入るとバルマンはさっと立ち上がり、杖をかざした。背丈程の長さの、装飾が施された杖だ。

「ああぁあぁ!」

杖から光が放たれた。悪霊はその光を浴びた途端、水を浴びた泥のように瞬く間に消滅した。絶叫をあげながら。

「よっしゃ!」

バルマンは大げさに鼓舞した。自分の大活躍をお披露目できたのだ。

「どうじゃ、見たか、己ら!これがわしの魔術じゃ!」

それは光の魔術。聖なる浄化の光であまねく不浄のものを消し去るバルマンが極めた分野。
浄化、退魔、清めの力だ。

「すげぇな、じいさん!」

「うわはははは。」

団員たちは感激していた。あの恐るべき悪霊を一瞬にして消し去ってしまったのだ。

「あれが悪霊たちに効く3つ目の手段ですね。」

「ええ、退魔の光です。まさか悪霊を一瞬で消し去ってしまうとは。以前よりも技が磨かれています。」

便利屋は感嘆していた。まさかあのひょうきんな老人がこんなにも頼もしく思えるとは。

「すごいじゃろ!これが不法侵入でやった修行の成果じゃ!」

バルマンは騎士団の見張りをかいくぐり、危険地帯に侵入して悪霊の観察を行っていたのだ。そして彼らに効く魔術を何度も試行錯誤して完成させた。

「わしらの出番が来たということじゃな!では、便利屋よ!準備を整えるんじゃ!マデリーンに“あれ”をやってもらえ!」

“あれ”と聞くと便利屋は非常に嫌そうな顔をした。
するとマデリーンは一本の針を取り出した。

「よろしくお願いします…。」

嫌でもしなければならないのだ。
便利屋はマデリーンにおそるおそる背中を見せる。

「潔いですね。大抵の人は逃げ出そうとするんですが。では、衝撃に備えてください。」

マデリーンはその手の針を、便利屋の脊髄に一気に刺した。

「ぐううっ!」

刺された部位から全身を衝撃が突き抜けた。
衝撃は全神経を駆け巡り、頭からつま先へと走る。
体中の毛穴をこじ開けられ、エネルギーが噴出していく。
数メートルは吹き飛ばされそうな衝撃を受けた便利屋だったが、どうにか立ったままこらえるのであった。

「素晴らしい。まだ二度目だというのに膝をつかずに耐えるとは。」

「一体…、この技はなんなんですか…。」

体中に電流を流されるような感覚に耐えながら便利屋は質問した。
その質問はマデリーンの生涯について尋ねることに等しい。
この技に彼女は人生を捧げたのだから。

「ただのおまじない、ではありませんよ。かつて世界各地をさすらっていたバルマンが教えてくれたもの。遠い異国の隠者が築いた”経絡”を刺激する医術です。」

さすが遠い異国の医術。単語だけ聞いても理解不能だ。

「け、経絡?」

「生き物の体には水が溢れ、血が流れ、魔の力が巡っています。それらは経絡という通路を流れており、経絡は全身に張り巡らされています。経絡を指や針で刺激することで抵抗力を上げて自ら病気を治したり、流れを滞らせて体を動かなくしたりできるのです。」

神に仕える者は病や怪我で傷ついた者とも多く接する。
マデリーンは彼らを救うためにこの経絡を見極める技術を鍛えた。
先日のキャシーもこの技術で抵抗力を上げて、キャシー自らに精霊を退かせたのだ。

「研鑽を磨けば、肉体を流れる力を支配して非力な者でも大男を指だけで捻ることができます。私は修行を重ねた結果、流動する霊体の動きを見切ることが出来るようになりました。この針は先端にだけ銀を使ってます。これで霊体の魔の流れを突いたのです。おまけに経済的です。」

マデリーンはもはや極めたと言ってもいい。
彼女は人間や動物どころか、魔物さえ指だけで制圧できる。
それどころか実体のない悪霊さえ少量の銀だけで動きを封じられる。
その域に達しているのはマデリーンだけだ。

「すごい。人間はおろか霊体の魔の流れまで見切るなんて。これならどんな相手も怖くない。」

「弟子はこの技にこう名付けてくれました。身体を統べる道『統身道』と。さあ、そろそろ落ち着いたはずです。便利屋殿の霊感を強めておきました。」

さっきの衝撃は便利屋の経絡を突いて、霊感を一時的に覚醒させるものだ。
便利屋は昨日も体験していたが、その時はあまりのショックに倒れたまましばらく動けなかった。

「昨日も言ったように鋭敏になった感覚に振り回されてはいけませんよ。ゆっくりと、確実に己のものにしてください。」

「わかりました。統身道は便利ですね。これが終わったら少しばかり教えてください。」

マデリーンの統身道が便利屋に施せる力添えだ。
これ以上ない贈り物だろう。

「今のうちに感覚に慣れておくんじゃ、便利屋よ。わしは最後に杖の調整しておく。」

これから少しのミスも許されない。バルマンは自分の杖と魔力の調整を細微にまで行う必要がある。

「よし、よし、よし。」

バルマンは杖を高く掲げ、具合を確かめた。杖の光は眩く輝いたと思えば、すぐに消え入ったかのように暗くなる。それを繰り返した。彼は杖を調整しているのだ。調律師が楽器を調律するように。

「これでOKじゃ。」

光の強弱が何度も切り替わるのを2,3分繰り返しながら、調整は終わった。

「便利屋よ、準備は完了したな。」

「はい。銀のダガーも聖水もばっちりです。そして鞄も。」

ダガーは鞘に、聖水は革製の大きな水筒に入れられている。おそらく2リットルはあるだろう。
このたくさんの聖水はこれから迎える危険のためにマデリーンと騎士団が特別に用意してくれたものだ。
後は目当ての物を回収するための特注の鞄だ。便利屋はしっかりと背中に背負っている。

「バルマン、便利屋殿。気を付けてください。」

「なぁに。運が良ければ晩飯前までには戻ってくるわい。美味いのを用意しとくんじゃぞ。」

「必ず帰ります。依頼人のロレインが待ってますからね。」

ユーモアと決意を交えながら、言葉を交わす。それぞれの覚悟を胸に。

「ちょっと待ってくれ、便利屋さん!俺も、俺も連れてって欲しいんだ!」

割り込んできたのはトランだった。突拍子もない申し出にその場の全員が呆気にとられた。
随分と興奮状態で、混乱しているようだ。

「悪霊たちには王がいるんだ!滅茶苦茶、強くて、しかも、そいつは火を吐くんだ!そ、それと…!と、とにかく俺も力になりたいんだ!」

トランがしゃべり出したのは子供が考えたおとぎ話のような怪物の話だ。
彼自身の落ち着きのなさも相まって胡散臭いことこの上ない。

「おい、トラン!これから俺らは島から離脱して囚人の護送と橋の護衛をするんだぞ!妙な話をして便利屋さんと爺さんを困惑させるな。」

「待ってくれ、せめて話だけでも…!」

慌てふためくトランの様子をマデリーンとバルマンが確認した。経験豊かな2人はすぐに共通の答えを導き出した。

「おぬし、憑かれかけた影響で幻覚を見よったな。錯乱しとる。」

「違う、違う!俺が見たのは幻なんかじゃ…!」

マデリーンはトランの経絡を一突きした。疲労を溜めた者を即座に眠りに誘える点だ。
ガサ入れと悪霊憑きとの戦いで疲れ切っていたトランは立ちながら眠ってしまった。

「お騒がせしましたね。それでは2人に神のご加護があらんことを。」

水を差されたせいか別れはどこか淡泊なものとなった。しかし、それで十分だ。

「よし、行くぞ。」

「はい。」

マデリーンとトランを抱えた団長は騎士団と馬、檻に入れられた囚人たちを連れて引き返していった。そして便利屋とバルマンは危険地帯のさらなる深淵へと踏み込むのだった。





老人と少年は路地裏を歩いていた。無人の、不愉快な、薄気味悪い路地裏を。

「さっきみたいなことは2度としてはならんぞ。」

「何のことですか?」

バルマンの突然の問いに便利屋は自問した。さっきみたいなことがどのことか考えてるのだ。

「センチな情に浸って悪霊を看取ったことじゃ。ああいうのは困るんじゃよ。」

「彼らは苦しんだ人間です。最期ぐらい尊厳をもって…。」

「そんな感情に引っ張られたせいで、一体の悪霊を見逃したんじゃぞ。もし、やつを逃せば危険地帯の悪霊どもが警戒して計画はパァだった。」

いつものひょうきんなバルマンからは想像できないほどに冷酷な目をしていた。

「では聞こう。1体目の悪霊を感慨深く看取っておきながら、2体目の悪霊が消え去ったときはおぬしも騎士団の連中も喝采を揚げておったな。あの喝采のどこに尊厳があったのか教えてもらおうかの?」

「それは…。」

便利屋の言葉が詰まった。
あの爽快感に命の尊厳という言葉など見当たらない。

「とにかくじゃ。悪霊どもを駆除するときに余計な感情を挟んではならん。わずかでも迷いが生まれた時、おぬしはやつらの仲間入りとなる。」

便利屋の後頭部が痺れを感じた。統身道によって強められた便利屋の霊感が反応したのだ。奴らが近くにいることを明確に感じ取った。

「教授、悪霊が近くに…!」

バルマンは魔術の杖を持ち上げ、後ろを向いた。すると杖の先端からは光の筋が放たれた。その光は民家の壁から頭のみを出していた悪霊の額を貫いた。

「もし、再び無用な感情に引かれて危険を招けば、わしは迷わずにおぬしを見捨てて作戦を続ける。」

悪霊は一瞬にして消滅した。
杖の聖なる光に急所を貫かれ、断末魔も上げず、弔いの言葉をかける暇もなく消えていった。

「わかったな。」

便利屋は思い出した。バルマンが家族も仲間も殺され、なおも生き延びた流浪の民であることを。
聖職者となり、信仰を抱き続けたマデリーンとは人格の根幹が違う。

「はい。」

便利屋の承諾を聞いたバルマンは向かった、かつての自分の家という目的地に。便利屋は無言でその後を追うのみだった。

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