セイクリッド・カース

気高虚郎

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第5章:作戦準備

第50話:決断のとき

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※ ※ ※  アリアンナ邸近くの街道  ※ ※ ※



馬に乗って帰路につきながら、バズラは今後の事を考えていた。
本日もまた賊に関する収穫は無し。
時間と捜索費用ばかりが消えていく。
捜索費用は無尽蔵にあるし、伯爵は最近は引きこもってばかりでお咎めもない。
しかし賊の捜索以外の大問題がいっぱいだ。

「どうなるんだろうな、これから…。」

今の伯爵は神話の悪役と言っても差し支えないほどの怪物だ。
この領地、いや国すら破滅させるかもしれない。それどころか他の国々、果てには世界が…。
このまま手下でいる覚悟がまだあるのだろうか。

「誰だ?」

アリアンナ邸の門が見えてくると来客がいるようだ。
門の前で誰かが見張りと話している。

「どうしたんだ?」

「ああ、バズラか。帰ってきてくれて良かった。ボスは部屋にこもってるし、爺さんは都でな。この客人が商談に来たんだが、俺らじゃよく分かんなくてよ。」

その客人は気持ち悪い笑みを浮かべていた。
薄汚い欲望と、確実に来る喜びがその顔に刻まれている。

「あんたがこいつらのまとめ役か。話が通じそうだな。」

彼は商品を売りに来た。
影も形もないが都がひっくり返る商品を。



※※ ※ アリアンナ邸 客間 ※ ※ ※



「な…。」

バズラ、そして共に客間で話を聞いていたブレゴや他チンピラ達は凍り付いた。
彼の品は想像を遥かに超えていた。

「お嬢様や…、騎士団が賊と通じて…?」

「それだけじゃねえ。騎士団がギャング共をとっ捕まえた時に例の賊も協力してたんだが、その場にはマデリーン司祭もいたそうだ。つまり教会もグルって訳だ。危ない橋渡ってムショのギャング共から話を聞いた甲斐があったぜ。」

固まる体。
開きっぱなしの口。
衝撃の事実にどう反応すればいいのかすら分からない。

「あり得ねえ…、そんな…!」

「俺を誰だと思ってる?ネタを集めるためには汚ねえこともやるが、嘘は売らねえ。」

こいつは情報屋。
専門職である彼が、ましてや領主相手にガセネタを売るとは思えない。
それもこんなとんでもないネタを。

「よし。じゃあ俺は伯爵様とお話が出来るまで待たせてもらうぜ。」

「待て!」

部屋にいるチンピラ達の頭がぐちゃぐちゃになっている時、バズラだけは即座に次に取るべき行動を導き出した。

「自分の娘に裏切られたなんて易々と話すべきじゃない。俺がタイミングを見て話す。報奨金なら持って来る。」




「持ってけ。大金貨80枚だ。」

残った捜索費用全て。
全く情報がなかったのでかなり残っていた。

「おお…!」

情報屋は感嘆の息を漏らしながら、袋の重みを感じた。
重いはずなのに軽い。金貨いっぱいの袋が乗せられてるはずの手が、天上まで浮いていきそうだ。
刑務官の買収、ギャングの飯代に大金貨5枚を投じたが賭けに勝った。
これから薔薇色の人生が待っているのだ。

「大満足だ。これなら恋人と新しい人生が開けるぜ。ありがとうよ。」

「外で待っててくれ。都に用があるから送る。大金持って帰るのは危険だしな。」

情報屋が客間から出た後、チンピラ達にしばしの沈黙が訪れた。
まず口を開いたのはブレゴだった。

「なあ、バズラ。爺さんは…、無関係だよな…?」

「そんなわけねえだろ。お嬢様も騎士団も教会も、そして爺さん。みんなグルだったんだ。」

賊が暴れた夜、ロレインとフィリップが屋敷にいなかった。
賊の捜索を騎士団は引き受けてくれたのに、情報はまるで集まらなかった。
これら全てに納得がいく答えを先ほど得たのだ。

「どうすんだよ…。ボスに報告しなきゃいけねえだろ…!こんなこと聞いたら何をするか…!」

「ブレゴ!今すぐこの部屋に全員集めろ!急げ!」




客間に集まった伯爵の手下であるチンピラ達全員を待っていたのは大きな袋を持ったバズラだった。

「いいか、お前ら。ボスの金で買った腕輪や指輪といった金目の物、全部ここに入れろ。」

「なんでだよ!ボスが言ってたじゃねえか、俺らの物だって!」

なんと横暴な提案。
抗議の声が上がるのも当然と言えよう。

「そうだ、俺らの物だ!それを使う時が今なんだ!」

ブレゴの気迫に全員が押し黙る。
これは彼の一世一代の決断である事が伝わったようだ。

「お前らも分かってるだろ。今のボスは怪物だ。手下でいたら俺らの名は未来永劫、悪者として残る。それでも俺は救ってくれたボスについていく。あの人は恩人なんだ。」

家族を奪われ、バズラはこの世の全てを憎んでいた。
ただの英雄や貴族なら下にはつかなかった。
だがティモシー・アリアンナは壊れた人間だったからついていった。
カリスマがあって、慈悲深く、そして愛する者の死で壊れた者。
それはもう彼以外存在しないだろう。

「だが俺たちにはまだ救える人達がいるんだ!まずは俺の作戦を聞け!そして袋に入れろ!その後はボスの元に残るか逃げるか、どっちかの覚悟を決めろ!」

バズラが考えた伯爵を裏切らず、かつ大切な人を助けるための作戦。
その内容を聞いたチンピラ達は納得して袋に大切な者を入れていった。
宝石入りの腕輪、ブランド物の靴、高級革のジャケット。
自分では決して手が出せなかった宝物を。




「それじゃ手筈を整えとけよ。明日だからな。」

パンパンになった袋を引きずりながらバズラは客間から出ていった。
大きな選択を迫られたチンピラ達は呆然自失だ。

「なあ、ブレゴ。お前は覚悟して残ったのか?未来永劫、悪名を刻む覚悟を決めたのか?」

「分かんねえよ。そんなこと言われても。」

結局、一人として去る者はいなかった。
それが覚悟ゆえなのか、決め切れずの残留なのか不明だ。
バズラですら覚悟が決まっているのか分からないのだから。

「何だ?」

呆然としてるブレゴ達の耳に騒音が届いた。
最初は何の音かと思ったが、その音は次第に大きくなっていく。

「鳴き声か…?」

ブレゴ達は青ざめた。
音の正体は動物の声だ。それも雄叫び、悲鳴、断末魔。
一匹ではない。数百もの獣や鳥、その怒りや恐怖や痛みの慟哭が屋敷中に轟いている。
その声たちによってついには屋敷全体まで震え始める。




「あの部屋は…。」

耳を抑えても響く脳を抉るような声たちに耐えながらブレゴ達は音の元へとたどり着くとそこは先日、修復したばかりの想い出の部屋。
恐る恐る近づくと地獄で苦しむ亡者の声が、ドア越しに聞こえてくるかのようだ。
ブレゴは汗まみれの震える手をドアノブにかけた。

「へ?」

ドアノブに手をかけたまま固まっていると、今度は瞬く間に声が小さくなっていった。
やがて声は聴こえなくなり、今度は静けさが訪れた。

「わあ!」

ブレゴが開かずとも、ドアはひとりでに倒れた。
ついに明らかになる部屋。しかし中は暗い。
暗い部屋を覗くと、見えたのは大量の傷だ。
引っ掻いたり噛みついたような傷が、壁にも床にも天井にも隙間なく刻まれている。
この傷によってドアが壊れたのだろう。
そして二つの光が並んで闇に浮かんでいるのが見えた。

「蛇?」

目を凝らすと光の正体が確認できる。
それは蛇だ。こちらを睨みつける蛇の目が輝いていた。

「なんで蛇が…、ってボス!?」

部屋にいたのは蛇ともう1人。
ボスは満面の笑みを浮かべながら部屋から出た。

「酒を用意しろ。準備は終わった。」

前祝いといこう。
この肉体が我が物にするのは時間の問題になったのだから。
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