セイクリッド・カース

気高虚郎

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最終章:選ぶ者

第73話:開幕

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「白けたな。」

ぶち殺してやった裏切り者の灰が振る。
これほどの怒りをぶつけたのはいつぶりだろうか。あんなちっぽけな人間にだ。
すっかり頭が冷えて、スカッとした気分を通り越して虚しさすら感じる。
娘へのお仕置き、執事への罰、賭けの勝敗。色々と考えていたが頭から消し飛んだ。
次の刺激を求めるとしよう。

「どいつにしようか?」

周りを見れば処刑に唖然とする部下、むせび泣く執事、気絶する娘、そして同じく気絶する賊。盛り上げ役として相応しい者が1人いる。
魔王は柱にもたれて気絶した賊に近づき、軽く足を蹴った。

「う…。」

「起きろ。この場を盛り上げてもらうために賭けをする。決闘だ。」

便利屋は目を覚ますとロレインとフィリップの無事を確認し、次に額の痛みに耐えた。
対戦相手は魔王の襟から首を出す蛇、“最高傑作”のようだ。
蛇は襟から出て地面に降りるとマムシ程度だったその体が見る見るうちに大きくなっていく。そして鹿すら丸呑みしそうなほどの大蛇へと変わった。

「蟲毒とは元々、憎き相手を呪い殺す精霊を生むための儀式だ。こいつがお前にどんな苦痛をもたらすか楽しみだ。」

“最高傑作”は便利屋を睨みつける。
禍々しいオーラを放ちながら、首をもたげた。

「お前の武器だが、銀の針は返してるな。戦う栄誉を与える私の慈悲深さに感謝するがいい。お前が負けるに大金貨100枚を賭けるとするか。」

便利屋は唯一の武器を指に抓んだ。
大蛇相手になんと心許ない武器か。

「便利屋様、お逃げください!あなたまで死んではなりません!」

逃げる、その選択肢すら彼には存在しない。
額に強烈な一撃をもらったおかげで、まだ立てそうにない。

「始めろ。」

試合は始まった。
“最高傑作”はまだ柱にもたれたままの便利屋へ全速力で襲い掛かった。

「お望み通り、盛り上げてやる!」

便利屋は向かってくる“最高傑作”へと構えた。
そしてその太い首へと針を突き出した。

「なに!?」

誰もが驚愕した。
こんなことが起こるなど誰が予想しただろうか。

「光の、剣…!?」

突き出した便利屋の手が光、剣が現れた。その剣は輝き、光で作られていた。
光が剣のような形状を取って具現化し、“最高傑作”の首を貫いていたのだ。

「ふん!」

状況が吞み込めないが得物は小さな針から、光の剣と変わった。
便利屋は剣をそのまま振るい、“最高傑作”の首を撥ね飛ばした。

「なんてことだ。」

意外な勝負結果だ。
賊に魔術が使えるとは知らず、技量を見誤ってしまった。
“最高傑作”は2つに分けられ、頭はパクパクと口を開き、体はバタバタとのたうっている。
折角の“最高傑作”を台無しにしてくれた便利屋へ掌をかざした。

「大金貨100枚はどうした!?」

「誰との決闘かは言ってない。」

確かにその通り。
バルベリスは便利屋へと火球を撃つのだった。

「卑怯者…!」

免れぬ死を悟った便利屋は思わず目を閉じた。
しかし数秒経っても熱も感じないし、爆音も聞こえない。
あまりに速やかな死だと感じつつ、彼は死後の世界を確認するために目を開いた。

「今度は、何だ…?」

便利屋は正面を見て、自分の右肩を見た。何度も見比べた。
便利屋の右肩から、右腕がもう1本生えている。その腕は、剣と同じく輝きを放っていた。
新たなる腕が魔王の放った火球をボールのようにキャッチしているのだ。
そして火球をトマトのように握りつぶした。

「私の火を…!」

いくら片手間の軽い技とはいえ、この腕はバルベリスの技を防いだのだ。
魔王の魔術を。

「う、ぐ、うあっ!」

便利屋は凄まじい熱を感じた。身体の内側が燃え上がりそうなほど熱くなっていく。
何かが体内で暴れていた。凄まじい力を持った何かが。

「うああああ!」

熱は最高潮に達したかと思えた直後に治まり、体外へと出ていった。
ここに集う一同が注視した。便利屋から出てきた“それ”を。

「霊…?」

まるで魂の一部を切除されたかのような喪失と凄まじい疲弊を感じながら便利屋は、己の体から出てきて頭上に浮かぶ“それ”を見た。
出ていった際に体を傷つけなかったなら、“それ”は寄生虫ではなく霊体だろう。
“それ”の体は光から生まれたかの如く煌めきで満ち、実体があるかの如くくっきりと見えた。
“それ”は神聖なる光を放つ霊、光を浴びているだけで痛みが和らいでいくかのようだ。
正に“聖霊”と呼ぶべき存在だった。
間違いない。大蛇の首を刎ねた剣、火球を握りつぶした腕。どちらもこの“聖霊”の物だ。

「なんだ、お前は?」

せっかくの余興を台無しにしてくれた謎の霊を魔王は眺めた。
すると“聖霊”は一言も発することなく、魔王へと指を向けると一条の光が放たれ、彼の肩に命中した。
すると肩には卵ほどの大きさ、覗けば向こうの景色が見えるほど見事な穴が開通した。
痛覚を絶ってなければ壮絶な痛みに襲われているだろう。

「そうか、敵か。」

明確な敵意を抱いた、強力な敵が現れた。迎え撃つとしよう。
バルベリスの影がみるみるとその面積を広げていく。
直径5メートルの円となった影から飛び出すは、鳥やコウモリ。バルベリスの使い魔たち。
幾百の魔物たちを生み出し、準備万端だ。

「やれ。」

数百もの羽音と鳴き声が大気を震わせる。
魔王の指揮により魔物たちは、海中をうねる魚群のごとく一斉に襲い掛かった。
闇が生み出した鳥獣たちの巨大な奔流に向け、“聖霊”は両手をかざした。

「うおっ!」

“聖霊”の真下にいる便利屋は思わず目を抑えた。
太陽を地上に引きずり降ろしたかのような凄まじい閃光が頭上で走ったのだ。
 光明神と化した“聖霊”はそのエネルギー迸る煌めきを、襲い来る激流に一点集中させて当てた。
過剰なる光は闇と同じく視覚を奪う。余波の光だけで目が潰れそうだ。

「少しはやるな。」

幾多の断末魔がとめどなく聞こえる。仮初の命たちが消滅していく音だ。
“聖霊”が放つは浄化の光。闇の魔物たちが次々と焼き尽くされているのだ。
この狂える大群の進行を遮るとはなんという“聖霊”か。
魔王の影からは使い魔たちが無尽蔵に生み出されている。
盛大なショーはまだ始まったばかりだ。




「何が起こってるんだよ、ありゃ…?」

突如、起こった人外同士の戦い。
地獄から響くかのような悲鳴。
光と闇の激突にチンピラ達はたじろぐばかりだ。
目が焼けつきそうな閃光と、猛り狂う闇の大群が拮抗しながら押し合う光景はまるで神話の世界だ。

「うわぁっ!」

1人のチンピラの顔に何かがぶつかった。
彼はそれを確認すると戦慄した。

「ひいいいいぃ!」

頭を失った鳥だった。
頭部を欠損したカラスが眼前を飛び回っている。
“聖霊”の光によって頭を焼かれた使い魔がこっちに来たのだ。
1羽だけではない。身体の一部を失った使い魔が次々と飛んでくる。

「逃げろ、逃げろー!」

恐れていた事がついに起こった。
祭りの日の夕方にチンピラ達は魔物に囲まれ、襲われる事を恐れたが今がその時だ。
この場にいてははぐれた使い魔たちの餌食になる。チンピラ達は蜘蛛の子を散らすように逃げ出した。

「せっかくの人生計画が…、まあいいか!」

飲んだくれ野郎も逃亡を選択した。
魔王の手下として好き放題したかったが、この場にいては巻き添えを喰う。
命あっての物種だ。




「うぅ…。」

光と音により、少女の意識は徐々に浮かんできた。

「げほ、げほっ!」

目覚めた直後にロレインは肺の中を全て吐き出すほどに激しい咳をした。
口から黒い煙が出ていく。何かは分からないが良くない物だ。
咳と煙のおかげで意識が大分戻ってきた。

「あれは何…?」

黒い煙の事など宙に浮くある存在によって忘れてしまった。
神々しい霊が戦っている。放つ光を浴びてるだけで体が浄化されていくかのようだ。
だが神秘以上の何かがロレインの心を引き寄せ、まるで吸い込まれるかのようにその霊を見ていた。

「あなたは…。」

ロレインは霊に向かって手を伸ばした。
あの霊にもっと近づきたい、そう思ったロレインは立ち上がって霊へと歩を進めようとしていた。
しかし彼女は柔らかい何かを踏み付け、足元に視線を落とした。

「きゃあああ!」

触感から分かる。それが動物だと。
だが片翼を失って這いずり回る蝙蝠だとは。
あまりの衝撃に瞬く間に我に返ったロレインは、頭を抑えて混濁した記憶を整理させた。
魔王は封印しようとした直後、視界があっという間に暗転したのだ。

「お嬢様!目を覚まされたのですね!」

振り向くと座り込むフィリップがいた。
その声は枯れていた。ロレインを起こすために大声も何度も出したのだろう。

「爺や!どうしたの!?何があったの!?」

「説明する暇はありません!これを持ってここからお逃げください!」

フィリップはロレインに剣を差し出した。アリアンナ家に伝わるヴィトス。
魔王から取り返したものだ。

「爺やもでしょ!さあ、早く立って!」

「私は行けません。お嬢様だけで行くのです。」

フィリップは先ほど魔王によって心臓を止められかけた。
この老体で、それほどの負担を加えられた彼には立ち上がることすら出来ないのだ。

「そんな!一緒に逃げましょう!私が何とかするから!」

ロレインは剣を取るとフィリップに肩を貸し、立ち上がらせようとした。
だが少女に動けぬ老体はとてつもなく重い。

「んんんんー!」

ロレインがどれだけ気合を入れて叫ぼうと、フィリップを立たせることはかなわなかった。
人がこんなにも重たいとは。

「さあ、行ってください。その剣を持って逃げることはアリアンナ家の血筋たるあなたの使命、そしてあなたを逃がす事は執事たる私の使命なのです。」

このヴィトスはアリアンナ家が、あのダルザスを退治した際に国王から賜った剣。
建国の際、大地が永劫に渡って世界を支えてくれることを願って鍛えられたという。
そしてこの剣はアリアンナ家を象徴する存在になった。

「嫌よ、嫌…。」

ロレインは己の無力さに涙を流した。
魔術を使えても、莫大な財産を持っていても人一人支える事が出来ないとは。

「早く!このままでは危険です!」

気が付けば2人の周囲をはぐれた使い魔が取り囲んでいた。
頭、翼、足、上半身、下半身。様々な部位を失った地を這いずる仮初の命を与えられた鳥やコウモリ。

「大丈夫よ、これぐらいやっつけて…!あっ!」

切迫した状況ゆえにロレインは気づかなかった。
その手にバルマンの杖が無いことに。これでは戦えない。
彼女が焦っている間にも獣たちは迫っている。

「私を置いて早く!」

ロレインに取れる選択肢は2つのみ。
フィリップを置いて逃げるか、彼と一緒に死ぬか。
だがそれはここに2人しかいない場合だ。

「うおおおおおおおおお!どっか行け、獣ども!」

1人の男が雄叫びと共に魔物の群れの中に押し入った。
勇猛果敢に剣を振り回し、魔物たちをかき分けてロレインとフィリップの元へたどり着いた。

「お嬢様、これを!落としてた!」

「杖?ありがとう!」

彼が差し出すは求めていたバルマンの杖。
ロレインは杖を受け取ると即座に掲げた。

「偽りの命よ、消え去れ!」

聖なる光で魔物退散だ。
これで一安心である。

「あなたは!?」

「俺はブレゴ!爺さんの友達で、ボスの部下だ!」

ブレゴはフィリップの元へ駆け寄って肩を貸し、立ち上がらせた。
なんという力強さ。

「爺さんは俺に任せて、お嬢様は魔物たちをやっつけてくれ!剣は俺が持つ!」

「え、えっと…。」

「心配ございません!この方は信用できます!ヴィトスを彼に預けてください!」

フィリップがこの剣を預けていいということは、相当の信頼を置いてるからに他ならない。
ヴィトスを彼に預けると、力強く握りしめた。

「よし、逃げるぞ!何が起こったかは逃げながら話す!」

「わ、分かったわ。行きましょう!」

まさか伯爵令嬢たる自分がチンピラに引っ張られる日が来るとは。
あの霊から感じた何かに後ろ髪を引かれつつもロレイン達は噴水を後にした。

「ありがとうございます、ブレゴ様…。」

なんて頼もしい男だ。
フィリップは思いがけないヒーローの登場に涙を流して喜んでいた。

「心配すんな!逃がしてやるからな!」
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