セイクリッド・カース

気高虚郎

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第80話:残ったもの

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「へ?」

便利屋から間抜けな声が漏れた。
何故こんな事が起こる。
地面からトゲが伸びて、聖霊を貫くなんて。

「あれは…!」

トゲの正体を知っているものだった。
 “栄光の海”の住民ではない。
命令を聞くだけの下等な使い魔でもない。

「“最高傑作”…!」

首の無い大蛇。
バルベリスが蟲毒の儀式で生み出した幸福を運ぶ魔物。
命令せずとも望みを叶えてくれる最高の使い魔。
聖霊の胸部を貫いたのは“最高傑作”が伸ばした蛇の尾。首を切り落としても活動可能だったとは。
“最高傑作”はそのまま尾を振るい、聖霊の霊体を完全に引き裂いた。

「そんな…。」

引き裂かれた聖霊は砂のように崩れ、霧消した。
残るは聖霊を形成していた輝く粒が漂うのみだ。
こうして聖陽の使用者はいなくなった。

「柱が消える…。」

術者を失った光の柱は徐々に消滅し、彼が現れた。
ダメージで“魔人”の姿を維持できなくなったのだろう、人間たるティモシー・アリアンナの姿に戻っていた。
体中から鎮火したばかりの焼け跡のように、激しい煙をあげながら跪いていた。

「かっ、かっ、かっ…。」

死んでいてくれれば、と願った。
だが焼けた喉から声が出るということは生きている。

「このぉ!」

トランは持っていた聖水の瓶を“最高傑作”に投げつけた。
首が無くても怒りは感じるようだ。“最高傑作”は聖水による痛みで身をよじらせると、犯人である騎士へ向かった。

「こっち来い!」

トランは逃げ、“最高傑作”を追いかける。
これで、この場から大蛇を引き離す事は出来る。

「おおおおおおおお!」

便利屋は最後の武器である銀の針を持って、魔王へと走る。
今の衰弱した魔王なら、この針で命を絶てるかもしれないという希望を抱いて。

「ぐう!?」

駆ける体が地面に抑えつけられる。
体が重くなったかのように、地に伏せたまま動けない。

「重力か!?」

跪く事すらやっとで、今にも倒れそうな魔王が震える腕を便利屋へかざしている。
便利屋のいる地点の重力を上げて、動きを抑えているのだ。
あの状態でも、ここまで出来るとは。

「立て…!」

自分に言い聞かせ、便利屋は重力に逆らった。



※※ ※ グロリエッテ ※ ※ ※


「月が戻っちまった!」

ブレゴが叫ぶ。
光の柱が消えた事、3重の虹の輪が月を囲ってない事、魔法陣の光が消えた事。
ロレインの儀式が終了した事を。

「魔王は…。」

「死んでねえ!立ってる!」

ブレゴの報告を聞いたロレインは憔悴した体に鞭を打って立ち上がり、自ら庭園を眺めた。
彼の冗談ならどれだけよかっただろうか。魔王は生きている。

「封印…!」

ロレインは杖代わりのヴィトスを掲げ、魔王に施した封印の発動を試みた。
しかし剣からはまるで手応えが無い。もう影の海は無いというのに。

「もう魔力が…。」

彼女は聖陽で力を使い果たしていたのだ。
もう神経を乱す事も、刺さった聖遺物を動かす事も今の彼女には出来ない。

「あれは…!」

彼女はある物を見つけてしまった。
力をくれる物が、とんでもない場所にあるのだ。

「お嬢様!行ってはなりません!」

フィリップの制止も聞かず、彼女はグロリエッテが建つ丘を駆け下りた。
真一文字にとても危険な、魔王がいる場所へと走っている。

「爺さんはここで!俺が追う!」

「これを!この水をかけた刃なら、痛手を与えられます!」

これ以上犠牲を増やしたくない。だがロレインを放っておくわけにはいかない。
2つの想いに迷いながらもフィリップは、ブレゴに聖水の入った小瓶を差しだした。

「来たら駄目だ!いいな!」

フィリップから小瓶を受けたブレゴは剣を持ち、丘を駆け下りていった。

「私は何をしている…?」

主である少女を止められず、友人に戦う手段を与えて危険な場所に送り、自分はグロリエッテで情けなく眺めているのだ。
忠誠を誓っておきながら、自分は何もできない。
この老体では丘を降りる頃には全てが終わっている。

「神よ…!」

無力感がフィリップを苛む。
こんな場合だというのに、この丘に込められた想い出が蘇る。
まだ幼いフィリップやロレインと遊んだ想い出が。

「坂…。」

だが蘇る想い出は彼にヒントをくれた。
想い出に浸りながら、フィリップはグロリエッテの中に入っていった。




ブレゴは丘を駆け下りた。

「お嬢様!待ってくれ!」

フィリップの友達として、ボスの部下として、ロレインを守るという使命を負っているのだ。
たとえ走りすぎて、心臓が張り裂けようとも追いつかなければ。

「待って…!」

あまりの全力疾走のせいで足がもつれた。
ブレゴはそのまま豪快に丘を降りていった。
転がりながら。

「ぐっ、がっ!」

よく転ぶからと、ボスから受け身を教わってよかった。
ブレゴは重大な損傷を受けることなく、丘を転がり降りるのであった。

「痛え...!」

ようやく転倒は終わり、丘を下り切った。
代償は痛みだ。

「うわあああああ!」

痛みに耐えるブレゴに、男の悲鳴が聞こえる。

「誰だ!?どうしたんだ!?」

やたらとうるさい悲鳴の方へ行くと、大蛇に巻き付かれた男がいる。
このままでは締め上げられて、全身の骨が砕かれてしまう。

「この蛇は魔王のペットか!」

戦い方ならフィリップに教えてもらった。
ブレゴは剣に聖水をかけて巻き付く蛇へと振り下ろした。

「おら、おら、おら!」

剣を振り下ろす。
聖水で濡れた剣は効果あり。蛇の巻き付きが緩んだ。

「そこの親切な誰か!足を引っ張ってくれ!」

「分かった!」

ブレゴが彼の足を引っ張ると、その体はとぐろを巻く蛇からすっぽりと抜けるのであった。

「蛇から離れろ!」

これから蛇に起こること、それは爆発である。
大蛇の体は爆発し、2人の男は爆風に吹き飛ばされるのであった。
蛇はバラバラになり、その肉片も消滅した。

「はあ、はあ。ありがとう。」

「どういたしまして。」

魔王の“最高傑作”を道連れに爆死するなら本望と覚悟したが、まさか助かるとは。
親切な通りすがりにトランは謝意を述べて固く握手するのであった。

「あんた確か酒場で大泣きしてた人じゃないか!アマンダに捨てられたって泣いてただろ!」

「酒場で愚痴聞いてくれた騎士か!あんときは酒代奢ってくれてありがとよ!恩返し出来て良かったぜ!」

親切な通りすがりとは過去に会っていた。なんという偶然。
善意の思わぬ巡り合いだ。

「あれから散々でよ。アマンダに捨てられたなんてちっぽけに思えてくるぜ。」

「俺の方も大変でな。団長にドヤされてる方がよっぽどマシだ。お互い苦労してるな。」

「「ははははははは!」」

思わぬ場所での、思わぬ再開で2人は長年の旧友に思える程に打ち解けていた。

「こんなことしてる場合じゃない!」

「そうだった!」

トランとブレゴはほぼ同じタイミングで立ち上がり、同じ方向に走っていった。


※※ ※ 庭園 ※ ※ ※


「おおおおおお…!」

増した重力が便利屋を大地に押し付ける。
だが分かる。ダメージの蓄積によって、魔術に精細を欠いている。
聖なる光の柱が与えたダメージから、まだ復帰出来てはいない。

「かっ、かっ、かっ…!」

その目はまだ焦点が合っておらず、ろくに声も出せていない。
近づけるはず。なにか少しでも助けがあれば。

「封印!」

「がああああ!」

助けが来た。
少女の声が響くと、便利屋を戒める重力が消えた。
わざわざここに駆け付けてくれたロレインだ。

「行って!便利屋!」

「ああ!」

これはロレインがくれた最大のチャンス。
便利屋は針を抓んで、魔王の体のある一点を狙った。
マデリーンが教えてくれた、ティモシー・アリアンナの経絡。
喉の下、鎖骨の間にある窪みに全身の動きを止められる経絡がある。
再度、硬直の状態に追い込めば戦いは終わる。
便利屋は全神経を集中させ、針のように小さな経絡を狙った。
意識を取り戻せておらず、動きも鈍い今の魔王なら出来る。

「ぐっ!?」

あと僅かだった。
ほんの少し便利屋が腕を前に出せていれば、経絡を突けたかもしれない。
だが針が経絡に届く直前、便利屋の首は魔王に掴まれた。
魔王は彼の首を締め上げ、輝く眼で睨みつけた。
聖霊の下半身を消し飛ばした熱線が、放たれようとしている。

「お願い!もっとあなたの力を貸して!」

ロレインは手を伸ばし、宙に漂う光の粒を掌に吸い込んだ。
霧散した聖霊の残滓だ。このために彼女は丘を降りて、ここまで来た。

「んんん…!」

聖霊の烈々たる魔力がロレインの体を駆け巡る。
魂を操る術を磨いたロレインなら、その残滓に残る魔力を取り込める。
ロレインは体が破裂しそうなほどの魔力を、持っているヴィトスに注ぎ込んで掲げた。

「封印!」

「ぐばああああああ!」

ヴィトスが輝き、魔王の背中の紋様が光る。先ほどより遥かに激しく。
神経が乱れ、聖遺物が暴れ、便利屋の喉を絞める手が僅かに緩む。

「よし!」

喉を絞める手が緩み、便利屋は息を吸いこんだ。
呼吸を整え、熱線を放とうと輝く魔王の眼に狙いを定めた。

「ぐあああ!」

魔王の左眼に針が刺さり、瞼が閉じられた。
残った右目から熱線が放たれるも便利屋は身をよじって回避。
左側方に凄まじい熱を感じつつ、魔王に追撃した。

「が、が、が!」

動きを取り戻されてはもう経絡は狙えない。
ならば喉や胸に、何度も、何度も、銀の針を刺す。

「ううう!」

ロレインは掌の傷から、膨大な邪気を垂れ流しながらも封印を維持した。
今を逃せば世界は地獄に堕ちる、と己に言い聞かせて。

「倒れろ!」

便利屋は喉を掴まれたまま、針で刺し続けた。
次の一刺しで絶命するかもしれない、という可能性を信じて。

「ぐあああ!」

しかし少年と少女の抵抗は電気によって終わった。
便利屋の全細胞に一斉に焼け付くような激痛が走る。
魔王はその身から電気を発し、彼を感電させたのだ。
電撃を受けて硬直した便利屋は、魔王に投げ飛ばされて倒れた。

「封印!」

ロレインは諦めることなく、封印に力を込めた。
便利屋が立ち上がり、反撃する時間を稼ぐために。
激痛で喘ぎ続けると思われた直後、魔王は背中に手をやって皮を抓んだ。

「ぬあああああああああああ!」

「!?」

壮絶なる姿にロレインは絶句して地面に崩れた。
魔王は封印の紋様が描かれた、背中の皮膚をむしり取ったのだ。これではもうロレインに出来る事は無くなった。
魔王は毟った皮を捨てると立ち上がり、ロレインを睨みつけた。

「ロレイン…!あれだけ母を愛していたというのに何故、邪魔をする!?私は彼女を取り戻そうとしただけだ!私の妻を、お前の母を、民が愛した伯爵夫人を!」

聞き間違いではない。
今、確かに魔王はロレインと呼んだ。娘ではなく。

「私だって…、私だってお母さまが生き返るならなんだってするわ!でも神様は救い主様すら地上には戻されなかった…。それが運命なのよ…。」

「そうだ!冷酷なる神は無慈悲な運命を紡ぎ、3度も裏切ったのだ!あれだけ祈った私から母上も父上も、そしてアビーすらも奪った!だから私は外法に頼った!教会が憎む魔術に!天使と戦った、偉大なる悪魔に!悠久の経験と無限の知恵を持つあの者ならそれが可能だった、お前が阻みさえしなければな!」

人は残酷なる運命を、神の決められた事だと納得する。最初はティモシーもそうだった。
母親に去られた時、戻ってくれるよう神に祈った。
父親の命が尽きようとした時、死ぬ前に和解できるよう神に祈った。
そしてアビーと共に生死を彷徨った時、彼女を助けてくれるよう神に祈った。
だが祈りは全て通じなかった。
だから彼は神に背く手段に縋った。

「どうなっている…?」

便利屋は違和感を感じていた。彼の魂は喰われたはずだ。
しかし2人を見ていると魔王バルベリスではなく、ティモシー・アリアンナとしてロレインと会話しているのだ。

「お母さまが望むと思うの!?私やお父様が愛したあの優しい人が、157人もの命を殺めてまで生き返ることに!」

「罪を背負うのは私だけだ!この地上でアビーと永遠の時を過ごす!憎き神の御許に召されるものか!私から全てを奪ったあの無情な…。」

「なら教えてくれ、ティモシー・アリアンナ伯爵!」

親子喧嘩に水を差す者が1人。
ふらふらと立ち上がる美しき賊にも聞きたいことがある。
彼がティモシー・アリアンナなら。

「何だ…?」

「あんたは言ったな。神に裏切られたから、悪魔に救いを求めたと。じゃあ悪魔はあんたに何をくれたんだ!?」

その問いに伯爵の口から言葉が出てこない。
神への憎しみはスラスラ出てくるのに、悪魔からの慈悲はまるで思いつかない。

「傷ついたあんたを、悪魔は誘惑した!優しい言葉で、甘い幻で!だがその結果、どうなった!?」

ティモシーは思い返した。悪魔の誘いに乗った結果を。
人を殺めてしまった。
使用人たちに逃げられた。
家宝のヴィトスを穢してしまった。
アリアンナ家の家名に泥を塗った。
チンピラ達も自分を見捨てて逃げていった。

「あんたなら、神に裏切られても踏みとどまろうとしたはず!残るものだってあった!」

ティモシーは周囲を見回した。
破壊された庭園。
自分を糾弾する賊。
そして父の愚かしさに涙する娘。

「全てを奪ったのは神じゃない!悪魔だ!」

「黙れー!黙れ、黙れ、黙れー!」

雷鳴が響いた。
ティモシーの指から撃たれた雷が、便利屋の胸を貫いたのだ。

「がぁ…。」

怒りの雷が意識を絶つ。
便利屋は悲鳴も呻き声も上げることなく、崩れ落ちて跪いた。

「貴様だ!貴様さえこの地に来なければ全てが上手くいっていたのだ!」

ティモシーはロレインから、ヴィトスを取り上げて跪く便利屋へと近づいた。
断罪の時だ。

「アリアンナ家当主、ティモシー・アリアンナの名の下に罪状を述べる!部屋を爆破し、妻との想い出を踏みにじった!教会と騎士団を扇動し、反逆を起こした!そして、我が娘を唆した!判決は死罪!」

「お父様…、やめて…!」

剣を振り上げる父に、ロレインは手を伸ばした。
だが彼女は憔悴して、邪気に蝕まれ、立ち上がる事もままならない。

「私がこの手で執行する!」

「やめてー!」

ロレインは叫びと共に放った。
自分に残る魔力と、聖霊の魔力が込められた渾身の光を。
その光はティモシーの右目を照らした。

「ぐう!」

眩しい。
左眼は針で刺され、右目で光で眩み、何も見えない。
だが罪人は微動だにせず、目前にいるはず。
ティモシーは構うことなく、ヴィトスを振り下ろして処刑を行った。

「ん?」

おかしい。
手応えはあったが、剣が伝える感触が妙だ。
罪人は跪いているはずなのに、今しがた斬った者は立ち上がっている。
身長も便利屋より高い。ティモシーがこの身長で真っ先に思いつくのは彼しかいなかった。

「フィリップ…。」

眩みから回復したティモシーの視界に彼が映った。
決して自分を見捨てることなく、残ってくれた唯一の人が。
そしてたった今その人を、ティモシーは斬ってしまった。
こんな時でも自分に微笑んでくれる優しい執事を。
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