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最終章:選ぶ者
第93話:撤去
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※ ※ ※ 石像前 ※ ※ ※
「はあ、はあ…。」
舞台の縁に立つ伯爵は息が上がっていた。
強敵と対峙したのかと思えるほどに。
(この場から1歩も動いてもいなかったというのに何故、息を荒げている?いくら動き回っていたとはいえ、虫に狙いを定める事がそんなに大変だったのか?)
それだけではない。
急いで仕留めなければ、という危機感に駆られていた。
でなくてはチャンスを逃すという予感がしたのだ。
「聞くな。もう敵は倒したのだ。」
便利屋は舞台の外で倒れている。
激しい魔剣の攻撃で回避が間に合わず、ついに“火山の息吹”を喰らった。
彼は決闘の舞台に立つことも出来なかった。
(確実にとどめを刺せ。そして侵攻を始めろ。)
「分かっている。」
伯爵は便利屋に魔剣を突き付けた。
噴き出る地下水で飛び散る様を見るとしよう。
時間をかけて寝転ぶ便利屋にきちんと魔剣の切っ先を重ねる。
「終わりだ。」
庭園から水が噴き出る。
その威力は地面から10メートル以上の高さに昇るほどだ。
まともに喰らえば人間はバラバラだろう。
「バカな…?」
水が止み、凄惨な光景が現れるはず。
しかし出てきたのは水が出た穴と、そのすぐ横に立っている便利屋だった。
「肌と耳か。これならイケるな。」
立ち上がった彼はすっきりした顔をしていた。
光明を得たかのようだ。
「手元が狂ったようだな!死にぞこないが!」
奴を仕留めたはずの“火山の息吹”。
だがそれは伯爵の焦りによってわずかに逸れて、便利屋は直撃を免れた。
少しばかり気を失っていたが。
「ああ。運良く、最初の数分を生き残れた。だからもうその魔剣は怖くない。」
「怖くない!?」
運に恵まれただけのくせが随分と大きな発言をしてくれる。
世界を征する魔剣を攻略したかのようだ。
「クラウ・ソラスの資料なら読んでいる。火、風、水、土の4属性の力を宿すこと。バルベリスが土の力を引き出せなかったことも。3つの力を見せてもらった今、その剣の全てを知れた。」
クラウ・ソラスは神話をかじった者であれば、誰でも知っている。
ゆえに後世に資料はたくさん残された。バルベリスに関して調べていた便利屋が知らないはずがない。
(殺せ!)
「舐めるな!」
便利屋はバルベリスとクラウ・ソラスの両方を侮辱した。
伯爵は怒りを込めて剣を横に薙ぎ、“火山の息吹”を飛ばした。
「よっ。」
便利屋の動きに迷いは無かった。
“火山の息吹”をバック宙で飛び越えたのだ。
さらには余波の風によって吹き飛ばされたのに、まるで風を乗りこなすかのように美しく宙を舞って無事に着地した。
「何だと…!?」
ありえない。
避けるだけならまだしも、こんなにも鮮やかにやってのけるとは。
「資料にはこうも載っていた。“火山の息吹”の軌道や威力は剣を振る方向や速度で決まるとな。だから今のは横に伸びると分かったから飛び越えた。」
「くそ!」
伯爵は次々と“火山の息吹”を放った。縦、横、斜め。魔剣を振り続ける。
だが便利屋は剣の動きを見て、落ち着いて最適な行動を起こした。
縦振りは横に数歩、横振りは跳躍か伏せ、斜め振りは軌道に応じて。
彼の動きに無駄は無く、最小限の動きで回避している。
「とんでもなく強い司祭様に散々鍛えられたからな。その方の卓越した技に比べれば、魔剣が起こす風の流れは乱雑で捉えやすい。」
マデリーンとの修行のおかげだ。
投げられ続けた事で宙を舞う動きが体に染みつき、吹き飛んでも安全に着地出来る。
彼女の洗練された技を喰らい続けた事で、魔剣が起こす激しい力の流れを捉えられる。
「これはどうだ!?」
突き付けられる魔剣。
“戯れる命の城”だ。
「なにっ!?」
便利屋は一歩前に踏み出すだけで、噴出する地下水を紙一重で躱した。
伯爵はさらに水量を増やして次の噴出を行ったが、立ち幅跳びで避けた。
水が出る位置なら魔剣で示してくれる。水の威力や範囲を上がってくる地下水の音と、足に伝わる地面の振動で感知しているのだ。
「舞台に上がらせてもらう。剣で勝負しよう。」
最初の数分が大事だった。
便利屋は魔剣の動きを目で。風や水の威力を、耳で聞いて肌で感じて憶えた。
事前に資料を読んでいた事、伯爵が魔剣の力に溺れて遊んでいた事、自分で体験した事。
そして死を錯覚したことで冷静に立ち返った事。
それらが魔剣は恐れるものでは無いと教えてくれた。
「おのれ!」
伯爵は自問した。
何故、圧倒的な力を持っているはずの自分が追い詰められているんだと。
(なんだ、その様は?)
魔剣が語り掛ける。
この醜態を彼もまた見ているのだ。
(もう茶番は終わりだ。さっさと勝負を決めるんだ。)
「し、しかし…。」
(奴はこの剣を侮辱した。だからこの剣の力で絶望させろ。見ろ、あの像を。)
伯爵は言われるがままに舞台を見下ろす先々代の像を見上げた。
この像が伯爵に呼び起こす記憶は美しいものではない。
彼は像に憎しみを込めて睨みつけた。
(この像、目前の賊。まとめて清算を行おうではないか。)
「そうだな。」
悪魔の提案を伯爵は快諾した。
この決闘は遊びに過ぎないのだから。
「ん?」
地下水で穴だらけの庭園を進んで舞台に近づく便利屋に、伯爵は意外な行動を見せた。
彼は背中を見せて舞台から降り、像の向こう側へと移動した。
「逃げる気か!?」
あれほど尊大な言動をしていた伯爵がこんな真似をするとは。
便利屋は舞台に上がって追いかけた。
「逃げる?いや違う。」
振り返った伯爵の顔は勝ち誇っていた。
「うっ!」
便利屋の足元が揺らぐ。
舞台が、大地が揺れている。
「土の力か!?」
魔剣の力は全て見た。
火の“破滅の塔”、風の“火山の息吹”、水の“戯れる命の城”。
この3つがバルベリスが扱えるクラウ・ソラスの全てのはず。
「いいや。これは土の力ではない。」
「うわっ!?」
直後、伯爵の足元の地面に亀裂が走り、水の壁が現れた。
水の壁は高くせり上がり、どこまでも広がっていく。
※ ※ ※ 大広間 ※ ※ ※
「きゃああっ!」
祈っていたロレインが声を上げ、騎士やチンピラたちもどよめく。
「地震だ!」
突然の地震にアリアンナ邸が悲鳴を上げた。
屋敷が揺れ、そこかしこにひびが入り始めている。
「何、この地震…?」
長く、大地そのものを揺すっているかのような動き。
ロレインはこれが自然のものではないことに気づいた。
「これも魔剣の力なの!?」
※ ※ ※ 石像前 ※ ※ ※
「高い…。」
便利屋は石像の向こうに出来た水の壁を見上げた。
比べるとすでに水の壁の高さは先々代の石像をとっくに上回っている。
「父は狂った祖父に散々苦しめられた。そのせいで父は毎晩酔っぱらって、祖父への罵詈雑言を叫び、屋敷中の物を壊した。幼い私は耳を抑えてシーツにくるまったものだ。」
伯爵は“戯れる命の城”でここら一帯の地下水を集め、水の壁を作っているのだ。
地震は大量の水を集めていることで起こる揺れだ。
「当時の祖父はソワン氏に見限られていた。これは媚びを売るしか脳の無い三流芸術家が作ったデカいだけの石塊だ。無くなったところで芸術的損失にはならん。」
この像はアリアンナ家にとっては恥の象徴とも言える存在だ。
領地を魔術師狩りで苦しめ、民から接収した財産で作ったのだから。
「何故、ここを決闘場に選んだか教えてやる。この像を撤去する口実が欲しかったのさ。洪水でも起こしてな。」
「洪水!?」
便利屋は甘く見ていた。
まさか伯爵が決闘で洪水を起こすほどの暴挙に出るとは。
その馬鹿げた考えを実現出来るほどの力があるとは。
これが魔剣クラウ・ソラス。
「どうすれば…!?」
視界を埋め尽くす水の壁。
横を見ると、左右に何㎞も広がっていて逃げられはしない。
上を見ると、この水に勝る高さの物はない。何に登ろうが水に飲まれる。どの木を登ろうとも、たとえ先々代の石像を登ろうとも。
「あ…。そうだ!」
便利屋は不可解な行動を起こし始めた。
騎士からもらった爆弾を一つ取り出し、石像の足元に投げつけて爆破したのだ。
「爆弾か。先に像を破壊すれば、私が水を引くと思ったのか?見苦しい真似をするな。」
もちろん撤去の予定は変わらない。
伯爵は足元を爆破されて倒れる石像を見ながら魔剣を前に向け、水の壁に命令を下した。
ここら全ての撤去を。
「押し流せ。」
押し寄せる。
山のように高く、地平のように広く、城壁のように分厚い水の壁が。
戦場となった庭園も、丘に建つグロリエッテも、聖水が溜まっていた噴水も呑み込んでいく。
伯爵が己の罪を洗い流すかのように。
津波はアリアンナ邸から出ても止まらない。外の森も喰らっていく。
木も、建物も。進行方向にある全てを波は押し流した。
※ ※ ※ 都 川岸 ※ ※ ※
「誰かいないか!?誰か避難していない者は!?」
団長は川岸を歩きながら叫んだ。
どうやら川岸に人は残っていない。
例外はあの船頭の老人だけだ。
「団長!領地中の住民がキャンプに集まってます!避難は順調です!」
若き騎士が走ってくる。
団長に報告のようだ。
「報告ご苦労。これで魔王との戦いの準備は万端だな。」
「ええ!見せてやりましょう、俺達騎士団の底力を!」
団長は夢にも思わないだろう。
彼が鍛えた戦士たちが魔王を跪かせたことを。
「そういえばアリアンナ邸近くから来た老夫婦が、食べ物や毛布をたくさん買って人々に配ってましたね。なんであんなにお金持ってるんでしょうか?」
「ああ。そのご老人方か。便利屋さんの情報を提供した事で、報奨金を貰ったらしくて…。」
雑談で緊張をほぐそうとする団長と騎士。
2人は実に運が良い。この老人に見つけてもらえたのだから。
「おーい!騎士さん方!川が荒れておる!」
船頭の老人が2人の元へ駆け寄ってくる。
先ほどの穏やかさとは打って変わって必死な表情で。
「どうしたんだ!?そんなに慌てて!」
「まもなく川が猛り狂います!急いで高い建物に登らねば!」
川を誰よりも知り、何十年も誠実な人生を歩んだ老人は冗談を言ってはいなかった。
団長は近くに2階建ての立派な建物を見つけると走った。銀行だ。
「せーの!」
銀行の扉に部下と2人がかりの体当たりだ。
5回目のタックルで扉を破った直後、彼らは見た。
「マジか!?」
上流より押し寄せる鉄砲水を。川岸を飲み込む濁流を。
地面に立っていれば、押し流される。
「早く、早く!」
団長と騎士と老人は銀行に入り、階段を駆け上がって2階に登ると水音が響いた。
1階を見るとすでに激しい水流で満たされている。
老人の忠告が遅ければ流されていただろう。
「はあ、はあ…。避難キャンプはご無事なのですか、騎士さん方…。」
「心配するな…。以前の洪水をきっかけに、安全な場所に作ってある。」
老人は胸を撫でおろした。
あの洪水を教訓に今生きる人々が救われたことに。
それが伯爵夫人の命を奪った水害だとは何たる皮肉だ。
「なんで洪水が?雨なんて降ってなかったのに!」
疑問でいっぱいの部下だが、団長はなんとなく答えに気づいていた。
こんな事が出来る存在は1つしかない。
「これが魔王か…。」
まさか都でその力を味わうことになるとは。
「はあ、はあ…。」
舞台の縁に立つ伯爵は息が上がっていた。
強敵と対峙したのかと思えるほどに。
(この場から1歩も動いてもいなかったというのに何故、息を荒げている?いくら動き回っていたとはいえ、虫に狙いを定める事がそんなに大変だったのか?)
それだけではない。
急いで仕留めなければ、という危機感に駆られていた。
でなくてはチャンスを逃すという予感がしたのだ。
「聞くな。もう敵は倒したのだ。」
便利屋は舞台の外で倒れている。
激しい魔剣の攻撃で回避が間に合わず、ついに“火山の息吹”を喰らった。
彼は決闘の舞台に立つことも出来なかった。
(確実にとどめを刺せ。そして侵攻を始めろ。)
「分かっている。」
伯爵は便利屋に魔剣を突き付けた。
噴き出る地下水で飛び散る様を見るとしよう。
時間をかけて寝転ぶ便利屋にきちんと魔剣の切っ先を重ねる。
「終わりだ。」
庭園から水が噴き出る。
その威力は地面から10メートル以上の高さに昇るほどだ。
まともに喰らえば人間はバラバラだろう。
「バカな…?」
水が止み、凄惨な光景が現れるはず。
しかし出てきたのは水が出た穴と、そのすぐ横に立っている便利屋だった。
「肌と耳か。これならイケるな。」
立ち上がった彼はすっきりした顔をしていた。
光明を得たかのようだ。
「手元が狂ったようだな!死にぞこないが!」
奴を仕留めたはずの“火山の息吹”。
だがそれは伯爵の焦りによってわずかに逸れて、便利屋は直撃を免れた。
少しばかり気を失っていたが。
「ああ。運良く、最初の数分を生き残れた。だからもうその魔剣は怖くない。」
「怖くない!?」
運に恵まれただけのくせが随分と大きな発言をしてくれる。
世界を征する魔剣を攻略したかのようだ。
「クラウ・ソラスの資料なら読んでいる。火、風、水、土の4属性の力を宿すこと。バルベリスが土の力を引き出せなかったことも。3つの力を見せてもらった今、その剣の全てを知れた。」
クラウ・ソラスは神話をかじった者であれば、誰でも知っている。
ゆえに後世に資料はたくさん残された。バルベリスに関して調べていた便利屋が知らないはずがない。
(殺せ!)
「舐めるな!」
便利屋はバルベリスとクラウ・ソラスの両方を侮辱した。
伯爵は怒りを込めて剣を横に薙ぎ、“火山の息吹”を飛ばした。
「よっ。」
便利屋の動きに迷いは無かった。
“火山の息吹”をバック宙で飛び越えたのだ。
さらには余波の風によって吹き飛ばされたのに、まるで風を乗りこなすかのように美しく宙を舞って無事に着地した。
「何だと…!?」
ありえない。
避けるだけならまだしも、こんなにも鮮やかにやってのけるとは。
「資料にはこうも載っていた。“火山の息吹”の軌道や威力は剣を振る方向や速度で決まるとな。だから今のは横に伸びると分かったから飛び越えた。」
「くそ!」
伯爵は次々と“火山の息吹”を放った。縦、横、斜め。魔剣を振り続ける。
だが便利屋は剣の動きを見て、落ち着いて最適な行動を起こした。
縦振りは横に数歩、横振りは跳躍か伏せ、斜め振りは軌道に応じて。
彼の動きに無駄は無く、最小限の動きで回避している。
「とんでもなく強い司祭様に散々鍛えられたからな。その方の卓越した技に比べれば、魔剣が起こす風の流れは乱雑で捉えやすい。」
マデリーンとの修行のおかげだ。
投げられ続けた事で宙を舞う動きが体に染みつき、吹き飛んでも安全に着地出来る。
彼女の洗練された技を喰らい続けた事で、魔剣が起こす激しい力の流れを捉えられる。
「これはどうだ!?」
突き付けられる魔剣。
“戯れる命の城”だ。
「なにっ!?」
便利屋は一歩前に踏み出すだけで、噴出する地下水を紙一重で躱した。
伯爵はさらに水量を増やして次の噴出を行ったが、立ち幅跳びで避けた。
水が出る位置なら魔剣で示してくれる。水の威力や範囲を上がってくる地下水の音と、足に伝わる地面の振動で感知しているのだ。
「舞台に上がらせてもらう。剣で勝負しよう。」
最初の数分が大事だった。
便利屋は魔剣の動きを目で。風や水の威力を、耳で聞いて肌で感じて憶えた。
事前に資料を読んでいた事、伯爵が魔剣の力に溺れて遊んでいた事、自分で体験した事。
そして死を錯覚したことで冷静に立ち返った事。
それらが魔剣は恐れるものでは無いと教えてくれた。
「おのれ!」
伯爵は自問した。
何故、圧倒的な力を持っているはずの自分が追い詰められているんだと。
(なんだ、その様は?)
魔剣が語り掛ける。
この醜態を彼もまた見ているのだ。
(もう茶番は終わりだ。さっさと勝負を決めるんだ。)
「し、しかし…。」
(奴はこの剣を侮辱した。だからこの剣の力で絶望させろ。見ろ、あの像を。)
伯爵は言われるがままに舞台を見下ろす先々代の像を見上げた。
この像が伯爵に呼び起こす記憶は美しいものではない。
彼は像に憎しみを込めて睨みつけた。
(この像、目前の賊。まとめて清算を行おうではないか。)
「そうだな。」
悪魔の提案を伯爵は快諾した。
この決闘は遊びに過ぎないのだから。
「ん?」
地下水で穴だらけの庭園を進んで舞台に近づく便利屋に、伯爵は意外な行動を見せた。
彼は背中を見せて舞台から降り、像の向こう側へと移動した。
「逃げる気か!?」
あれほど尊大な言動をしていた伯爵がこんな真似をするとは。
便利屋は舞台に上がって追いかけた。
「逃げる?いや違う。」
振り返った伯爵の顔は勝ち誇っていた。
「うっ!」
便利屋の足元が揺らぐ。
舞台が、大地が揺れている。
「土の力か!?」
魔剣の力は全て見た。
火の“破滅の塔”、風の“火山の息吹”、水の“戯れる命の城”。
この3つがバルベリスが扱えるクラウ・ソラスの全てのはず。
「いいや。これは土の力ではない。」
「うわっ!?」
直後、伯爵の足元の地面に亀裂が走り、水の壁が現れた。
水の壁は高くせり上がり、どこまでも広がっていく。
※ ※ ※ 大広間 ※ ※ ※
「きゃああっ!」
祈っていたロレインが声を上げ、騎士やチンピラたちもどよめく。
「地震だ!」
突然の地震にアリアンナ邸が悲鳴を上げた。
屋敷が揺れ、そこかしこにひびが入り始めている。
「何、この地震…?」
長く、大地そのものを揺すっているかのような動き。
ロレインはこれが自然のものではないことに気づいた。
「これも魔剣の力なの!?」
※ ※ ※ 石像前 ※ ※ ※
「高い…。」
便利屋は石像の向こうに出来た水の壁を見上げた。
比べるとすでに水の壁の高さは先々代の石像をとっくに上回っている。
「父は狂った祖父に散々苦しめられた。そのせいで父は毎晩酔っぱらって、祖父への罵詈雑言を叫び、屋敷中の物を壊した。幼い私は耳を抑えてシーツにくるまったものだ。」
伯爵は“戯れる命の城”でここら一帯の地下水を集め、水の壁を作っているのだ。
地震は大量の水を集めていることで起こる揺れだ。
「当時の祖父はソワン氏に見限られていた。これは媚びを売るしか脳の無い三流芸術家が作ったデカいだけの石塊だ。無くなったところで芸術的損失にはならん。」
この像はアリアンナ家にとっては恥の象徴とも言える存在だ。
領地を魔術師狩りで苦しめ、民から接収した財産で作ったのだから。
「何故、ここを決闘場に選んだか教えてやる。この像を撤去する口実が欲しかったのさ。洪水でも起こしてな。」
「洪水!?」
便利屋は甘く見ていた。
まさか伯爵が決闘で洪水を起こすほどの暴挙に出るとは。
その馬鹿げた考えを実現出来るほどの力があるとは。
これが魔剣クラウ・ソラス。
「どうすれば…!?」
視界を埋め尽くす水の壁。
横を見ると、左右に何㎞も広がっていて逃げられはしない。
上を見ると、この水に勝る高さの物はない。何に登ろうが水に飲まれる。どの木を登ろうとも、たとえ先々代の石像を登ろうとも。
「あ…。そうだ!」
便利屋は不可解な行動を起こし始めた。
騎士からもらった爆弾を一つ取り出し、石像の足元に投げつけて爆破したのだ。
「爆弾か。先に像を破壊すれば、私が水を引くと思ったのか?見苦しい真似をするな。」
もちろん撤去の予定は変わらない。
伯爵は足元を爆破されて倒れる石像を見ながら魔剣を前に向け、水の壁に命令を下した。
ここら全ての撤去を。
「押し流せ。」
押し寄せる。
山のように高く、地平のように広く、城壁のように分厚い水の壁が。
戦場となった庭園も、丘に建つグロリエッテも、聖水が溜まっていた噴水も呑み込んでいく。
伯爵が己の罪を洗い流すかのように。
津波はアリアンナ邸から出ても止まらない。外の森も喰らっていく。
木も、建物も。進行方向にある全てを波は押し流した。
※ ※ ※ 都 川岸 ※ ※ ※
「誰かいないか!?誰か避難していない者は!?」
団長は川岸を歩きながら叫んだ。
どうやら川岸に人は残っていない。
例外はあの船頭の老人だけだ。
「団長!領地中の住民がキャンプに集まってます!避難は順調です!」
若き騎士が走ってくる。
団長に報告のようだ。
「報告ご苦労。これで魔王との戦いの準備は万端だな。」
「ええ!見せてやりましょう、俺達騎士団の底力を!」
団長は夢にも思わないだろう。
彼が鍛えた戦士たちが魔王を跪かせたことを。
「そういえばアリアンナ邸近くから来た老夫婦が、食べ物や毛布をたくさん買って人々に配ってましたね。なんであんなにお金持ってるんでしょうか?」
「ああ。そのご老人方か。便利屋さんの情報を提供した事で、報奨金を貰ったらしくて…。」
雑談で緊張をほぐそうとする団長と騎士。
2人は実に運が良い。この老人に見つけてもらえたのだから。
「おーい!騎士さん方!川が荒れておる!」
船頭の老人が2人の元へ駆け寄ってくる。
先ほどの穏やかさとは打って変わって必死な表情で。
「どうしたんだ!?そんなに慌てて!」
「まもなく川が猛り狂います!急いで高い建物に登らねば!」
川を誰よりも知り、何十年も誠実な人生を歩んだ老人は冗談を言ってはいなかった。
団長は近くに2階建ての立派な建物を見つけると走った。銀行だ。
「せーの!」
銀行の扉に部下と2人がかりの体当たりだ。
5回目のタックルで扉を破った直後、彼らは見た。
「マジか!?」
上流より押し寄せる鉄砲水を。川岸を飲み込む濁流を。
地面に立っていれば、押し流される。
「早く、早く!」
団長と騎士と老人は銀行に入り、階段を駆け上がって2階に登ると水音が響いた。
1階を見るとすでに激しい水流で満たされている。
老人の忠告が遅ければ流されていただろう。
「はあ、はあ…。避難キャンプはご無事なのですか、騎士さん方…。」
「心配するな…。以前の洪水をきっかけに、安全な場所に作ってある。」
老人は胸を撫でおろした。
あの洪水を教訓に今生きる人々が救われたことに。
それが伯爵夫人の命を奪った水害だとは何たる皮肉だ。
「なんで洪水が?雨なんて降ってなかったのに!」
疑問でいっぱいの部下だが、団長はなんとなく答えに気づいていた。
こんな事が出来る存在は1つしかない。
「これが魔王か…。」
まさか都でその力を味わうことになるとは。
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