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第97話:全ては幻(挿絵あり)
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決闘を見守るは23人の観客。
「便利屋さん!頑張れ!」
「あんたならやれる!魔王の野望を挫け!」
生き延びた2人の騎士、トランとロスー。
応援するのは共に魔王と戦った便利屋。
死んだ騎士達の魂がヴィトスにかかっている。
「ボス!行け!」
「俺達のボスはあんただけだ!」
生き延びた20人のブレゴ含めたチンピラ達
応援するのは自分たちの人生を導いてくれたティモシー。
たとえ悪魔に魂を売ったボスでも、そんな彼らの覚悟がクラウ・ソラスにかかっている。
「うぅ…。」
1人の少女は顔を抑え、俯いていた。
全ては神に託した。この決闘の結果も、父親の行く末も。
それでも直視出来るものではない。
「ロレイン。我が娘よ、聞いてくれるだけでいい。」
だがそれでもティモシーには聞いてほしい事があった
この言葉が最後になるかもしれない。
「どちらの勝利を祈ろうとも構わない。ただ見届けてくれ。この決闘は間もなく終わる。」
決闘者たちに残る力は僅か。
ロレインの辛いときはもう終わる。
「お前を不安にさせてしまって悪い父親だったな。次こそお前と向き合う。だからどのような結果になろうとも、アビーに会わせてくれ。」
ティモシーやロレインにとって、ただ勝負ではない。
この決闘自体が人生への区切りなのだ。
「うん…。」
ロレインは俯くのも、顔を抑えるのもやめた。
自分もまたアリアンナ家の血を継ぐものなのだから。
しかし、それでも体の震えが止まらない。
「ロレイン。」
便利屋からも依頼人にかける言葉がある。
それはとてもシンプルだった。
「信じてくれ。」
ただ一言だけ。
その一言だけでロレインの震えは止まった。
彼女は怯えるのをやめ、堂々と決闘に向き合った。
「私は勝つ。勝って地上を統べて、神に奪われた幸せを取り戻す。」
剣を構えてにじり寄る決闘者たち。
傷を抱えた者同士、その歩みは遅い。
「一度失った幸せが戻ってくることはない。決して。」
お互いに敬意を抱きつつも、信念は交わることは無い。
言葉はもはや無意味。であれば剣で決着をつけるしかない。
間合いまであと僅か。
あと一歩。
「はあっ!」
伯爵は胴への横薙ぎを行った。
便利屋の斬られた脚では素早く動けず、跳んで避けることも出来ない。
なら便利屋が打つ手は1つ。
「よし!」
ティモシーの読み通り、便利屋は横薙ぎを伏せて躱した。
あの脚では一度伏せれば直ぐには立ち上がれない。
後は伏せた便利屋に追撃を加えるのみ。
「なに!?」
だが読みが甘かった。彼には伏せた勢いと、腕の力がある。
便利屋は横薙ぎを回避した直後にヴィトスを地面に突き立て、剣の上で倒立を行ったのだ。
「ぐふっ!」
全身全霊で横薙ぎを払ったせいで、ティモシーは血を吐いて崩れた。
何故忘れていたのか。自分は便利屋以上の傷を負っていることに。
「これで…。」
なんという好機。
逆立ちのまま狙うべき点を見ると、便利屋はその方向へと体を倒した。
「終わりだ!」
剣の上での前転しながら、その勢いで突き立てたヴィトスを抜いた。
狙うは1点。クラウ・ソラスを持つ伯爵の右腕。
剣を台にした疑似宙返りによる全体重と回転が加わった斬り降ろし。これなら切断できる。
「魔剣よ…。」
ティモシーは認めた。
この土壇場での攻防で敗北を喫した事を。
だが剣技で負けようとも、彼にはまだ魔剣がある。
「私に力を!」
ティモシーは魔剣に力を注いだ。
憎しみを、怒りを、嘆きを、愛を、己に残る全てを。
ヴィトスがティモシーの右腕に触れようとした瞬間、それは起こった。
壮大な現象の始まりが。
「ん?」
腕の直前でヴィトスが止まってしまった。
誰かに掴まれているわけでもないのにそれ以上、剣を振り下ろせない。
「何だ?」
便利屋は己の肉体が大いなる力から解放されているのを感じた。
だがそれは生きる為に重要な力でもあった。
「石が…。」
周りを見れば、地面の石が次々と浮いている。さらに空高く上がっていく。
まるで大地から解放されたかのように。
「わ、うわあ!?」
便利屋も例外ではなかった。
彼も石と同じように宙へと浮き上がった。
いくら手を伸ばそうが、すでに大地を掴めない高さにいた。
「屋敷が!?」
トランは屋敷の屋根が剝がれていくのを見た。
剥がれた屋根もまた空へと上がっていく。
天に落ちていくかのようだ。
「まさかこれは…!?」
ブレゴはこの現象の正体を知っている。
天使の本で読んだからだ。
「クラウ・ソラスの土の力、“天よりの招来”だ!」
人、石、建物。遍くものを大地に結び付ける力、重力。
その重力を天地で逆転させる。それがクラウ・ソラスの最後の力、“天よりの招来”。
満月の魔力か、フォーメーション・ウルトラか、彼自身の精神力か。それら全てか。
バルベリスが引き出せなかった力を、ティモシーが引き出したのだ。
しかし観客たちに影響はない。
「ボスの影だ!俺たちを守ってるんだ!」
答えは下にあった。
ティモシーの影が、決闘の観客達の足元を守るかのように伸びている。
“天よりの招来”から守っているのだ。影が守るもの以外はすべて天へと落ちていく。
崩れていく屋敷の瓦礫も、耐えられずに抜けた木も、そして便利屋も。
(素晴らしい、素晴らしいぞ!まさか魔剣最後の力を引き出すとは!貴様を侮っていたわ!)
バルベリスの高笑いが止まらない。
この依り代がいれば無敵だ。障害はもういない。
(ついに叶うぞ、地上を統べるという野望が!)
悪魔の称賛を聞きながら、ティモシーは恍惚の表情で固まっていた。
勝利の瞬間に、神が座す天に全てが落ちていく様の美しさに酔っているのだ。
「見ているか、アビー、ロレイン!父の勝利を!」
この圧倒的な力。
瀬戸際で見せた父親の勇姿。
きっと家族は誇らしげに見ているだろうと思って。
だが彼には娘の声が届いてはいなかった。
「お父様、もういいわ!魔剣の力を解いて!」
どれだけロレインが呼びかけようともティモシーは忘我状態で笑みを浮かべたままだ。
バルベリスに認められ、限界を越え、有頂天になっている。
力に魅入られ、もうどんな声も届かない。
「お願い!このままじゃ…!」
(ロレイン。)
懐かしきその声。
ロレインの内に宿る母の魂による囁きだ。
「お母さま?」
(今のお父さんに声は届かないわ。あの方を呼びましょう。天に帰ろうとしてる、私たちの願いを聞いてくれたあの方を。)
ロレインは天を見上げた。
天地がひっくり返った神話の世界が広がっている。
そして空に落ちようとする少年の姿が。
(覚えてる?あの頃のように、一緒にあの方の名を力いっぱい呼びましょう。)
「で、でも…。」
(私たちの祈りはきっと届く。)
またこの時が、母と共に天に呼び掛ける時が来るなんて。
だがあの時と違うことが1つある。呼ぶべき名を知るのはロレインだということ。
「呼んでほしい名があるって、彼は言ってたわ。だからお母さまもそう呼んで。」
(分かったわ。じゃあいきましょう。)
娘と母は共に叫んだ。
「(せーの。)」
彼の名を思いっきり。
「うわあああ!」
資料を調べて“大地からの解放”は使えないと安心していた。
これが初体験だったゆえに対処など出来なかった。
まさかティモシーが引き出すなど予想できなかった。
誤算してしまった便利屋は吸い込まれていった。
天に。満月が輝く果てしない空に。
「(ラフィ!)」
名が聞こえた。2人の女性の声が重なった声で、魂に染み渡る声で。
懐かしく、久しく呼ばれていなかった自分のあだ名であるラフィが。
ラフィ。ある時は怒りを込めて呼ばれた。
ラフィ。ある時は悲哀を込めて呼ばれた。
ラフィ。ある時は愛情を込めて呼ばれた。
「まだだ。」
ラフィという呼び名が思い出させた。己の使命を。
握りしめるヴィトスが思い出させた、依頼人が託してくれた想いを。
見上げる大地が思い出させた、戻るべき決闘場を。
「まだやれる!」
ラフィは答えた。
彼女たちの願いに。
※※ ※ 《回想》 アリアンナ邸 子供部屋 ※ ※ ※
「ねえ、お母様。泣き虫の天使様は、世界が救われた後にどうなったの?」
「悲しいお話よ。それでもいい?」
「うん。」
幼いロレインは、抱きしめてくれる母に訊ねた。
母だけが教えてくれる素敵な天使様のその後を。
世界が救われ、彼以外の天使が全ていなくなってからの話を。
「泣き虫の天使様は独りぼっちになったショックで記憶を失い、人として大地を何百年も彷徨ったの。そしてまるでガブリエル様みたいに優しい子連れの女性と出会われ、恋に落ちた。だけどその女性は、ある夜に戦争で命を落とされた。」
「かわいそう…。」
きっとたくさん泣いたのだろう。
泣き虫なうえに、悲しいことがあったのだから。
「その時に思い出したの、自分が天使様であることを。天使様は翼を生やして、天へと帰っていった。天使様の翼から舞い散る美しい羽根を見て人々は戦いをやめたの。そして天使様は今でも私たちを、天で見守ってくださっているのよ。」
だからこの宗教は“夜の羽根”と呼ばれるようになった。
争いが少しでも無くなるようにという願いを込めて。
「じゃあお空から降りてきてもらいましょ。泣き虫の天使様のお名前、教えて!私呼んでくる!」
娘からの嬉しい提案にアビーは涙を堪えた。
もし本当に降りて来てくれればと願わずにいられない。
「ならお母さんと一緒にやりましょうか。天使様のお名前、教えてあげる。」
「うん!」
母と娘は何度も天に呼び掛けた。日が暮れるまでずっと。
泣き虫の天使の名を。
※※ ※ 《回想終わり》 ※ ※ ※
「嘘。」
人々は語り継いだ。
言葉で、文字で、身振り手振りで。
魔王の戦乱や、神の失望から世界を救った者たちを。
美しく、力強く、その背には翼が生えたその姿を。
「天使様…。」
歴史や宗教が語るままの姿が空にいた。
ラフィは背中から輝く翼を生やし、天への落下を止めていた。
天に帰ろうとしていたが、母と娘の呼びかけに答えて思いとどまったかのように。
「ありえん…。」
ティモシーの笑みは止まっていた。
幼き日のお仕置き部屋で救いを求め続けた存在が、空に顕現している。
なんという皮肉か。その存在が今の自分の願いを阻もうとしているとは。
天使は剣を構えながらこちらへと、地上へと飛び上がってくる。
(やれ!討ち取るんだ!忌まわしき我が宿敵であり、神の使いを!)
バルベリスが怒りのままに囁いた。
“混沌の時代”で、魔王の野望をことごとく打ち砕いた天敵が再び現れたのだ。
(見ろ、愛しき妻を!神から奪い返せ!)
ティモシーが視線を天から地上に下ろすと見えた。
さっきまでどれだけ乞うても、見せてくれなかったアビーの姿が。
⦅あなた、もう少しで一緒にいられるわ。お話も踊りも何でもできる。神も天使も打ち倒して、幸せを取り戻しましょう。⦆
アビーの姿が喋る言葉を聞いたティモシーに力が溢れていく。
神への憎しみが、奪われたことへの怒りが、弄ばれたことへの恨みが。あらゆる負の力が。
ティモシーが溢れた力を魔剣に注ぐと、クラウ・ソラスは闇のオーラを纏った。
⦅さあ、天使を討って!⦆
「来いいいぃぃぃ!」
ティモシーは肉体と精神からあらん限りの力を振り絞り、天使へと魔剣を構えた。
「うおおおおおおお!」
ラフィは天から飛び立った。
少女の願いを、母の祈りを背負い、ティモシーの元へと真っ直ぐ。
両親に見捨てられた少年であり、妻を奪われた夫であり、祈りが届かなかった男の怒りに答える為に。
「行くぞ!」
ラフィは全てを剣に込めた。
ヴィトスが直視できないほどの輝きを放つ。
剣を握る事で沸き立つ罪悪感も、辛い想い出も振り切って。
そして必殺技名を叫んでいた恥ずかしい過去も。
「ムーン…!」
ティモシーの憎しみも、バルベリスの謀略も、アリアンナ家の呪いも全てを断ち切るためにラフィは放った。
おのれの全てを掛けて斬り降ろす必殺技を。
狙うは1点。
「ファルコン!」
ヴィトスの光と、クラウ・ソラスの闇がぶつかった。
聖なる光が満ちて、夜のアリアンナ邸を照らし尽くす。
重力がうねって、宙を浮く石や瓦礫が弄ばれて渦巻く。
聖と魔の激突が巻き起こした光と重力の嵐が、アリアンナ邸を包んだ。
「どうなったんだ?」
観客たちは何も見えなかった。
激しい光によって、視界が真っ白になってしまったからだ。
だが耳は墜落音を捉えた。天に招来された石や瓦礫が地上へと再び落ちてくる音だ。
「見える…。」
ブレゴの徐々に戻りつつある視界で決闘者たちを見た。
まるで何事もなかったかのようにラフィとティモシーは背中合わせに立っている。
「勝敗は?」
最初に口を開いたのは、満足気なティモシーだった。
「そうだったんだな…。」
ティモシーは魔剣を見た。
そして悟ったように喋り出した。
「私は魔法陣の上で独り言を喋っていた。誰とも踊っていなかった。」
(何を言っている?それよりも勝ったんだろうな!?)
ティモシーは見た。
眼前に立つアビーの姿を。
「アビーはずっと天使様に会うのが夢だった。天使を討って、なんて言葉が彼女の口から出るはずがない。」
(しまっ…!)
バルベリスは昂りすぎていた。
つい喋らせてしまった。アビーの姿に過剰な言葉を。
「ようやく気付いた…。このアビーは…、悪魔の作った紛い物だと。」
(違う、お前を勇気づけようとしたんだ!)
バルベリスは己のミスに気づいた。
思わぬ苦戦、地盤の崩壊、天使の出現。これらで冷静さを欠いていた。
ティモシーを焚き付けるためとはいえ、あまりに彼女の姿を乱用しすぎた。
見抜かれるほどに。
(戦え!まだ決闘は終わって…。)
「全ては幻。」
悪魔の声がティモシーの心からかき消える。
ついに彼が悟った時、眼前のアビーの幻は風に吹かれた霧のように消滅した。
夢から覚めたかの如く。
「私は…、負けた…。」
ラフィのムーン・ファルコンは断ち切った。
ティモシーの腕でも、致命傷を負っている彼の体でもなく、ティモシーの憎しみを。
憎しみが作り上げたクラウ・ソラスを。
断ち切られていた事をようやく思い出したかのように、魔剣は鮮やかな切り口を晒して切断された刃を地面に落とした。
「アビーの夢は…、叶ったんだな…。」
剣を失い、敗者は笑顔を浮かべて倒れた。
負けたというのにティモシーの心は解放感で満たされていた。
「いやったああああああ!」
トランが雄叫びを上げて、ラフィの勝利を喜んでいる横でロレインはある名を呟いた。
母の死で封じた記憶。
泣き虫の天使の名前。
ラファエルの“夜の羽根”での呼び名。
「イスラフィル。」
輝く翼を持つその姿。
母と共に呼んだ天使が地上にいた。
「便利屋さん!頑張れ!」
「あんたならやれる!魔王の野望を挫け!」
生き延びた2人の騎士、トランとロスー。
応援するのは共に魔王と戦った便利屋。
死んだ騎士達の魂がヴィトスにかかっている。
「ボス!行け!」
「俺達のボスはあんただけだ!」
生き延びた20人のブレゴ含めたチンピラ達
応援するのは自分たちの人生を導いてくれたティモシー。
たとえ悪魔に魂を売ったボスでも、そんな彼らの覚悟がクラウ・ソラスにかかっている。
「うぅ…。」
1人の少女は顔を抑え、俯いていた。
全ては神に託した。この決闘の結果も、父親の行く末も。
それでも直視出来るものではない。
「ロレイン。我が娘よ、聞いてくれるだけでいい。」
だがそれでもティモシーには聞いてほしい事があった
この言葉が最後になるかもしれない。
「どちらの勝利を祈ろうとも構わない。ただ見届けてくれ。この決闘は間もなく終わる。」
決闘者たちに残る力は僅か。
ロレインの辛いときはもう終わる。
「お前を不安にさせてしまって悪い父親だったな。次こそお前と向き合う。だからどのような結果になろうとも、アビーに会わせてくれ。」
ティモシーやロレインにとって、ただ勝負ではない。
この決闘自体が人生への区切りなのだ。
「うん…。」
ロレインは俯くのも、顔を抑えるのもやめた。
自分もまたアリアンナ家の血を継ぐものなのだから。
しかし、それでも体の震えが止まらない。
「ロレイン。」
便利屋からも依頼人にかける言葉がある。
それはとてもシンプルだった。
「信じてくれ。」
ただ一言だけ。
その一言だけでロレインの震えは止まった。
彼女は怯えるのをやめ、堂々と決闘に向き合った。
「私は勝つ。勝って地上を統べて、神に奪われた幸せを取り戻す。」
剣を構えてにじり寄る決闘者たち。
傷を抱えた者同士、その歩みは遅い。
「一度失った幸せが戻ってくることはない。決して。」
お互いに敬意を抱きつつも、信念は交わることは無い。
言葉はもはや無意味。であれば剣で決着をつけるしかない。
間合いまであと僅か。
あと一歩。
「はあっ!」
伯爵は胴への横薙ぎを行った。
便利屋の斬られた脚では素早く動けず、跳んで避けることも出来ない。
なら便利屋が打つ手は1つ。
「よし!」
ティモシーの読み通り、便利屋は横薙ぎを伏せて躱した。
あの脚では一度伏せれば直ぐには立ち上がれない。
後は伏せた便利屋に追撃を加えるのみ。
「なに!?」
だが読みが甘かった。彼には伏せた勢いと、腕の力がある。
便利屋は横薙ぎを回避した直後にヴィトスを地面に突き立て、剣の上で倒立を行ったのだ。
「ぐふっ!」
全身全霊で横薙ぎを払ったせいで、ティモシーは血を吐いて崩れた。
何故忘れていたのか。自分は便利屋以上の傷を負っていることに。
「これで…。」
なんという好機。
逆立ちのまま狙うべき点を見ると、便利屋はその方向へと体を倒した。
「終わりだ!」
剣の上での前転しながら、その勢いで突き立てたヴィトスを抜いた。
狙うは1点。クラウ・ソラスを持つ伯爵の右腕。
剣を台にした疑似宙返りによる全体重と回転が加わった斬り降ろし。これなら切断できる。
「魔剣よ…。」
ティモシーは認めた。
この土壇場での攻防で敗北を喫した事を。
だが剣技で負けようとも、彼にはまだ魔剣がある。
「私に力を!」
ティモシーは魔剣に力を注いだ。
憎しみを、怒りを、嘆きを、愛を、己に残る全てを。
ヴィトスがティモシーの右腕に触れようとした瞬間、それは起こった。
壮大な現象の始まりが。
「ん?」
腕の直前でヴィトスが止まってしまった。
誰かに掴まれているわけでもないのにそれ以上、剣を振り下ろせない。
「何だ?」
便利屋は己の肉体が大いなる力から解放されているのを感じた。
だがそれは生きる為に重要な力でもあった。
「石が…。」
周りを見れば、地面の石が次々と浮いている。さらに空高く上がっていく。
まるで大地から解放されたかのように。
「わ、うわあ!?」
便利屋も例外ではなかった。
彼も石と同じように宙へと浮き上がった。
いくら手を伸ばそうが、すでに大地を掴めない高さにいた。
「屋敷が!?」
トランは屋敷の屋根が剝がれていくのを見た。
剥がれた屋根もまた空へと上がっていく。
天に落ちていくかのようだ。
「まさかこれは…!?」
ブレゴはこの現象の正体を知っている。
天使の本で読んだからだ。
「クラウ・ソラスの土の力、“天よりの招来”だ!」
人、石、建物。遍くものを大地に結び付ける力、重力。
その重力を天地で逆転させる。それがクラウ・ソラスの最後の力、“天よりの招来”。
満月の魔力か、フォーメーション・ウルトラか、彼自身の精神力か。それら全てか。
バルベリスが引き出せなかった力を、ティモシーが引き出したのだ。
しかし観客たちに影響はない。
「ボスの影だ!俺たちを守ってるんだ!」
答えは下にあった。
ティモシーの影が、決闘の観客達の足元を守るかのように伸びている。
“天よりの招来”から守っているのだ。影が守るもの以外はすべて天へと落ちていく。
崩れていく屋敷の瓦礫も、耐えられずに抜けた木も、そして便利屋も。
(素晴らしい、素晴らしいぞ!まさか魔剣最後の力を引き出すとは!貴様を侮っていたわ!)
バルベリスの高笑いが止まらない。
この依り代がいれば無敵だ。障害はもういない。
(ついに叶うぞ、地上を統べるという野望が!)
悪魔の称賛を聞きながら、ティモシーは恍惚の表情で固まっていた。
勝利の瞬間に、神が座す天に全てが落ちていく様の美しさに酔っているのだ。
「見ているか、アビー、ロレイン!父の勝利を!」
この圧倒的な力。
瀬戸際で見せた父親の勇姿。
きっと家族は誇らしげに見ているだろうと思って。
だが彼には娘の声が届いてはいなかった。
「お父様、もういいわ!魔剣の力を解いて!」
どれだけロレインが呼びかけようともティモシーは忘我状態で笑みを浮かべたままだ。
バルベリスに認められ、限界を越え、有頂天になっている。
力に魅入られ、もうどんな声も届かない。
「お願い!このままじゃ…!」
(ロレイン。)
懐かしきその声。
ロレインの内に宿る母の魂による囁きだ。
「お母さま?」
(今のお父さんに声は届かないわ。あの方を呼びましょう。天に帰ろうとしてる、私たちの願いを聞いてくれたあの方を。)
ロレインは天を見上げた。
天地がひっくり返った神話の世界が広がっている。
そして空に落ちようとする少年の姿が。
(覚えてる?あの頃のように、一緒にあの方の名を力いっぱい呼びましょう。)
「で、でも…。」
(私たちの祈りはきっと届く。)
またこの時が、母と共に天に呼び掛ける時が来るなんて。
だがあの時と違うことが1つある。呼ぶべき名を知るのはロレインだということ。
「呼んでほしい名があるって、彼は言ってたわ。だからお母さまもそう呼んで。」
(分かったわ。じゃあいきましょう。)
娘と母は共に叫んだ。
「(せーの。)」
彼の名を思いっきり。
「うわあああ!」
資料を調べて“大地からの解放”は使えないと安心していた。
これが初体験だったゆえに対処など出来なかった。
まさかティモシーが引き出すなど予想できなかった。
誤算してしまった便利屋は吸い込まれていった。
天に。満月が輝く果てしない空に。
「(ラフィ!)」
名が聞こえた。2人の女性の声が重なった声で、魂に染み渡る声で。
懐かしく、久しく呼ばれていなかった自分のあだ名であるラフィが。
ラフィ。ある時は怒りを込めて呼ばれた。
ラフィ。ある時は悲哀を込めて呼ばれた。
ラフィ。ある時は愛情を込めて呼ばれた。
「まだだ。」
ラフィという呼び名が思い出させた。己の使命を。
握りしめるヴィトスが思い出させた、依頼人が託してくれた想いを。
見上げる大地が思い出させた、戻るべき決闘場を。
「まだやれる!」
ラフィは答えた。
彼女たちの願いに。
※※ ※ 《回想》 アリアンナ邸 子供部屋 ※ ※ ※
「ねえ、お母様。泣き虫の天使様は、世界が救われた後にどうなったの?」
「悲しいお話よ。それでもいい?」
「うん。」
幼いロレインは、抱きしめてくれる母に訊ねた。
母だけが教えてくれる素敵な天使様のその後を。
世界が救われ、彼以外の天使が全ていなくなってからの話を。
「泣き虫の天使様は独りぼっちになったショックで記憶を失い、人として大地を何百年も彷徨ったの。そしてまるでガブリエル様みたいに優しい子連れの女性と出会われ、恋に落ちた。だけどその女性は、ある夜に戦争で命を落とされた。」
「かわいそう…。」
きっとたくさん泣いたのだろう。
泣き虫なうえに、悲しいことがあったのだから。
「その時に思い出したの、自分が天使様であることを。天使様は翼を生やして、天へと帰っていった。天使様の翼から舞い散る美しい羽根を見て人々は戦いをやめたの。そして天使様は今でも私たちを、天で見守ってくださっているのよ。」
だからこの宗教は“夜の羽根”と呼ばれるようになった。
争いが少しでも無くなるようにという願いを込めて。
「じゃあお空から降りてきてもらいましょ。泣き虫の天使様のお名前、教えて!私呼んでくる!」
娘からの嬉しい提案にアビーは涙を堪えた。
もし本当に降りて来てくれればと願わずにいられない。
「ならお母さんと一緒にやりましょうか。天使様のお名前、教えてあげる。」
「うん!」
母と娘は何度も天に呼び掛けた。日が暮れるまでずっと。
泣き虫の天使の名を。
※※ ※ 《回想終わり》 ※ ※ ※
「嘘。」
人々は語り継いだ。
言葉で、文字で、身振り手振りで。
魔王の戦乱や、神の失望から世界を救った者たちを。
美しく、力強く、その背には翼が生えたその姿を。
「天使様…。」
歴史や宗教が語るままの姿が空にいた。
ラフィは背中から輝く翼を生やし、天への落下を止めていた。
天に帰ろうとしていたが、母と娘の呼びかけに答えて思いとどまったかのように。
「ありえん…。」
ティモシーの笑みは止まっていた。
幼き日のお仕置き部屋で救いを求め続けた存在が、空に顕現している。
なんという皮肉か。その存在が今の自分の願いを阻もうとしているとは。
天使は剣を構えながらこちらへと、地上へと飛び上がってくる。
(やれ!討ち取るんだ!忌まわしき我が宿敵であり、神の使いを!)
バルベリスが怒りのままに囁いた。
“混沌の時代”で、魔王の野望をことごとく打ち砕いた天敵が再び現れたのだ。
(見ろ、愛しき妻を!神から奪い返せ!)
ティモシーが視線を天から地上に下ろすと見えた。
さっきまでどれだけ乞うても、見せてくれなかったアビーの姿が。
⦅あなた、もう少しで一緒にいられるわ。お話も踊りも何でもできる。神も天使も打ち倒して、幸せを取り戻しましょう。⦆
アビーの姿が喋る言葉を聞いたティモシーに力が溢れていく。
神への憎しみが、奪われたことへの怒りが、弄ばれたことへの恨みが。あらゆる負の力が。
ティモシーが溢れた力を魔剣に注ぐと、クラウ・ソラスは闇のオーラを纏った。
⦅さあ、天使を討って!⦆
「来いいいぃぃぃ!」
ティモシーは肉体と精神からあらん限りの力を振り絞り、天使へと魔剣を構えた。
「うおおおおおおお!」
ラフィは天から飛び立った。
少女の願いを、母の祈りを背負い、ティモシーの元へと真っ直ぐ。
両親に見捨てられた少年であり、妻を奪われた夫であり、祈りが届かなかった男の怒りに答える為に。
「行くぞ!」
ラフィは全てを剣に込めた。
ヴィトスが直視できないほどの輝きを放つ。
剣を握る事で沸き立つ罪悪感も、辛い想い出も振り切って。
そして必殺技名を叫んでいた恥ずかしい過去も。
「ムーン…!」
ティモシーの憎しみも、バルベリスの謀略も、アリアンナ家の呪いも全てを断ち切るためにラフィは放った。
おのれの全てを掛けて斬り降ろす必殺技を。
狙うは1点。
「ファルコン!」
ヴィトスの光と、クラウ・ソラスの闇がぶつかった。
聖なる光が満ちて、夜のアリアンナ邸を照らし尽くす。
重力がうねって、宙を浮く石や瓦礫が弄ばれて渦巻く。
聖と魔の激突が巻き起こした光と重力の嵐が、アリアンナ邸を包んだ。
「どうなったんだ?」
観客たちは何も見えなかった。
激しい光によって、視界が真っ白になってしまったからだ。
だが耳は墜落音を捉えた。天に招来された石や瓦礫が地上へと再び落ちてくる音だ。
「見える…。」
ブレゴの徐々に戻りつつある視界で決闘者たちを見た。
まるで何事もなかったかのようにラフィとティモシーは背中合わせに立っている。
「勝敗は?」
最初に口を開いたのは、満足気なティモシーだった。
「そうだったんだな…。」
ティモシーは魔剣を見た。
そして悟ったように喋り出した。
「私は魔法陣の上で独り言を喋っていた。誰とも踊っていなかった。」
(何を言っている?それよりも勝ったんだろうな!?)
ティモシーは見た。
眼前に立つアビーの姿を。
「アビーはずっと天使様に会うのが夢だった。天使を討って、なんて言葉が彼女の口から出るはずがない。」
(しまっ…!)
バルベリスは昂りすぎていた。
つい喋らせてしまった。アビーの姿に過剰な言葉を。
「ようやく気付いた…。このアビーは…、悪魔の作った紛い物だと。」
(違う、お前を勇気づけようとしたんだ!)
バルベリスは己のミスに気づいた。
思わぬ苦戦、地盤の崩壊、天使の出現。これらで冷静さを欠いていた。
ティモシーを焚き付けるためとはいえ、あまりに彼女の姿を乱用しすぎた。
見抜かれるほどに。
(戦え!まだ決闘は終わって…。)
「全ては幻。」
悪魔の声がティモシーの心からかき消える。
ついに彼が悟った時、眼前のアビーの幻は風に吹かれた霧のように消滅した。
夢から覚めたかの如く。
「私は…、負けた…。」
ラフィのムーン・ファルコンは断ち切った。
ティモシーの腕でも、致命傷を負っている彼の体でもなく、ティモシーの憎しみを。
憎しみが作り上げたクラウ・ソラスを。
断ち切られていた事をようやく思い出したかのように、魔剣は鮮やかな切り口を晒して切断された刃を地面に落とした。
「アビーの夢は…、叶ったんだな…。」
剣を失い、敗者は笑顔を浮かべて倒れた。
負けたというのにティモシーの心は解放感で満たされていた。
「いやったああああああ!」
トランが雄叫びを上げて、ラフィの勝利を喜んでいる横でロレインはある名を呟いた。
母の死で封じた記憶。
泣き虫の天使の名前。
ラファエルの“夜の羽根”での呼び名。
「イスラフィル。」
輝く翼を持つその姿。
母と共に呼んだ天使が地上にいた。
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