上 下
15 / 56
第一幕 麗しの美少年は、あやかしとともに?

(14)

しおりを挟む
 不満を露わにする烏丸は、危害がないと理解できれば見目美しい着物の人だった。

 身長は高校生の千晶より一回り高く、負けず劣らずの陶器のような白い肌を持っている。
 金色の瞳は確かに目つきが悪いと言えなくもないが、それと表裏一体の美しさがあった。
 
美形の男が部屋に二人。もったいない空間だなあ、と人ごとのように考える。

「烏丸が千晶と連れ添うことになったのには、何か理由があるの?」

 出来のいい角を立てるメレンゲと薄黄色の生地。二つをボウルで混ぜ合わせながら、暁が問いかける。
 一応烏丸に向けた質問だったが、答えたのは千晶だった。

「うーん。それが、あんまり覚えてないんだよね。気づいたら憑かれてたというか」
「気づいたらって……そういうものなの?」
「暁といったな。お前もどこぞから嗅ぎつけてるのであろう。この馬鹿の持つ力のことを」

 化け猫から聞いた話のことか。
 思い当たる節があった暁は、こくりと正直に頷いた。

 その間、先ほど作った生地を三等分に分け、一つをフライパンに着地させる。

「これは稚児の頃から、他を惹き付ける力を秘めていた。傷を癒し力を増大させる、かんなぎの力だ」
「かんなぎ?」
「巫女さんを漢字で書いたときの、最初の文字だよ。アキちゃん」

 こんな漢字、と空で字を記す千晶に、なるほどとひとまず腹に落とす。

 巫の力。傷を癒し、力を増大させる。
 すごい力なのはわかるが、つまりどういうことになるのだろう。

「論より証拠だよね。ほら、烏丸」

 促された烏丸が、気怠げに足を床につけ千晶に近づいた。
 その身を屈めたかと思うと、暁は驚愕に目を見張る。

「へっ……」

 烏丸の顎にそっと手を添えると、差し出された白い頬に、千晶は口づけを落とした。
 烏丸もその行為を承知していたようで、静かに目蓋を下ろして受け止めている。

 その画は、まるでどこかの美術館に展示されている錯覚を起こしそうなほど、完璧で美しいものだった。
 ぽかーんと口を半開きにした暁はといえば、まさに対局側にある間抜けさを表している。
 今自分は、何を見せられているのだろう。

「ほら。さっき事務所でアキちゃん、烏丸の頬を思いっきりビンタしたでしょ」
「ああ。うん」
「そのとき、烏丸に小さく引っ掻き傷できてたよね? だけどほら。見てみて」
「ああ。うん。……うん?」

 促されていることに遅れて気づき、慌てて烏丸の頬を覗く。
 すると先ほどまで残っていたはずの傷跡は綺麗になくなっていた。
 自然治癒にしてはどう考えても早すぎる。

「これが、千晶の力……ということ?」
「これだけじゃないみたいだけどね。俺が自覚してる一番わかりやすい力がこれかな」
「……ああ、なるほどね。つまり初対面で橋の上で私の頬にしたあれも、傷の治療のためだったのか」
「んー。それはただ単に、したくなっただけかも?」

 含みのある笑顔で首を傾げる甥を尻目に、暁はそっと自分の頬に触れてみた。

 葉が擦っただけだとさして気に留めていなかったが、少なくとも今はかさぶたのざらついた感触がひとつもない。
 つまり千晶は、生まれながらにヒーラーのような力を持っていた、ということか。勿論驚きもしたが、一方で妙に納得してしまう。

 幼い頃の暁は親への反抗心もあり、問題児と称するにふさわしい児童だった。
 怪我をこさえて帰った暁を見つけては、姉の保江がすかさず手当てしてくれた。
 校内では仕方なしに保健室で治療を受けることもあったが、保江の手当ての方が段違いに治りが早かったのだ。

 もしかすると、もともとその力は保江のものだったのかもしれない。

「薬も過ぎれば毒となる。現世のあやかしは特に力の弱体化が著しい。こいつがこの街に越しただけでも、あやかしの動きも活発になる要因になる」
「はあ。動くパワースポットみたいなものだ」
「はは。アキちゃんの表現だと、まるで幸せを運ぶ青い鳥みたいだね」

 まるで、そうではないと言っているような口ぶりだった。

「俺は、稚児だったこいつの力が暴走しないように監視をしてきた。そして知らぬ間に、この力に拘束されていただけだ。共にいる理由は、他にはない」
「こ、拘束?」

 それは要するに、千晶の「力」とやらが強すぎて、磁石のように離れなくなってしまったということだろうか。
 あやかし界隈の常識は、やはり暁の理解の範疇を超えている。

「ぷぷ。烏丸ってば格好付けちゃって。俺は別に拘束なんてしてないもんね。お前が勝手に離れがたくなってるだけでしょ?」
「そんなわけがあるか。お前が自らの力を未だ持て余しているだけで……てめえ、ニヤニヤ笑ってんじゃねえ!」

 お。今少しだけ、口調が砕けた。

 心底嫌そうに視線を払う烏丸と、それを楽しむ千晶。
 理由はどうあれ、今は互いの意思でこの状況に落ち着いているらしい。

 千晶の反応を見ているだけで、二人の時間の長さが垣間見える。
 こんなに飾らない素の表情を、暁はまだ向けられたことがなかった。

「さっき事務所で起こした騒動も、私の身元保証人としての覚悟を見極めるため?」

 言外に千晶のための行動かと尋ねた暁を、烏丸は一笑に付した。

「俺は単純に、お前の耐性を確かめたかっただけだ。小さな物の怪一つに騒ぐ女は多い。騒がしいと落ち着いて昼寝もできぬからな」
「……耐性」
「さきほど魑魅魍魎の姿を見ただろう。あれは俺が見せたまやかしだったわけだが」

 話を切った烏丸は、にやりと口角を上げた。

「こいつの惹きの強さは本物。そのうち本当の魑魅魍魎がこの建物に集結しないとも限らぬ。そういうことだ」
「え」
「そうなった場合はお前、一体どう対処する?」
しおりを挟む

処理中です...