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再び賑やかな人の行き来が見えてくる、警視庁敷地の正門前通り。
「おおい、お嬢ちゃん。今日のこの味噌汁なんだがなあ。なあんか少し、味が違う気がするんだよなあ」
夜もとっぷり更けた時分の食堂に、あまり馴染みのない男の声が響いた。
食堂に残っていた最後の客で、でっぷり腹の肉を据えた男の客だ。
「大変申し訳ございません! 今すぐ、別のものとお取り替えいたします……!」
「いやいや。同じ鍋から掬ったものならば、取り替えられても同じことだよ。なあんか味がなあ、いつもよりも苦いというかしょっぱいというか」
「そうでしたか。他の方からは特段苦情はありませんでしたが……」
「いやいやこれは確かだよ。ちょっと、飲んで確認してみてくれるかな?」
「わかりました。では、少々失礼いたしま……」
「待て」
男が味に苦言を呈した味噌汁のお椀を、満乃が受け取ろうとする。
そのお椀を、外から駆け込んできた者が一瞬早く奪い取った。
はあ、はあと肩を上下させるその姿に、満乃は目を大きく見張る。
「た、龍彦、さん……?」
「……あんた、まだこれを含んでいねえな?」
驚愕に目を剥きつつも、龍彦の問いに満乃はこくりと頷いた。
突然の闖入者に、男は慌てた様子で口を開く。
「お、おいおい何だ!? 急に入ってきてなんなんだお前は!?」
「味噌汁の味が違う、か。それは今しがたお前が袖下から注いだ、桃色の『あるもの』のせいではないか」
「……ッ!?」
「桃色の……? あっ、ちょっと、龍彦さん!?」
顔色を変えた男と、声を上げる満乃。
二人の反応を余所に、龍彦は手にしたお椀の中身をぐいっと一気に煽った。
のちの調査のために必要最低限は残したが、大部分は龍彦の喉の奥へと流される。
時間を置いて舌先から追ってきた特有の苦みに、龍彦は瞳を鋭くした。
「……薬を盛ったか。街外れで取引されている、粗悪品だな」
「な、なんだなんだ!? お前、どうしてそんな平気な顔でいられるんだあ……!?」
「あいにく俺は、ガキの頃から毒やら薬やらは盛られ慣れてるんだよ」
嘘ではなかった。
幼い頃は毒草を口にしただけでなく、悪徳薬師から出所も知れぬ薬を含まされては駄賃を稼いでいたことがある。
そのためか否か、龍彦は人と比べて幾分か毒に強い体質となっていた。
「抵抗してくれるなよ。恐らく今の俺は、普段よりも加減が利かない」
「……う、ううう……っ」
龍彦の鋭い視線に、今後の展開を悟った男はがくりとその場に項垂れた。
殊勝なその態度に、龍彦は内心安堵の息を漏らす。
表情には出さないが、龍彦の身体は今、経験にない速度で熱が上っていた。
「こいつは、味噌汁に薬を混ぜてあんたに飲ませようとした。このまま捕らえて、聴取室に連れて行く」
「薬って……あっ、龍彦さん!」
「そこの皿には触れるな。後から来る同僚の奴らに……一通り調べるよう、話を……っ」
「龍彦さん! 龍彦さん、大丈夫ですか……!?」
「触るな!」
力一杯に張り上げた言葉に、はっと小さく息を呑む音がする。
こちらを見つめる満乃は、伸ばそうとしていた手を止め、苦しげに眉を寄せていた。
数日前と同じ──大きな瞳に瞬く美しい光に、ぐらりと意識を持っていかれそうになる。
「今俺は……こいつが盛った薬を含んでいる。触れないほうがいい。あんたが嫌いなわけじゃない。あんたに……触れたくないわけじゃ、ない」
「え……?」
熱い吐息に混ざるような言葉は、目の前の満乃の頬を微かに紅潮させた。
ああそうだ。
今日俺は、何を伝えるために来たんだった?
「あんたに……これを」
懐に入れていた紙袋を差し出す。
目を瞬かせつつも受け取った満乃に、ほっと胸をなで下ろす。
「前にお前に告げたのは……全部嘘だ。頭に血が上って、思ってもいないことを言った。本当は……あれであんたと最後になんて、したくなかった」
「龍彦、さ……」
「また、改めて詫びに来る。あんたがもしもそれすら御免ならば……遠慮なく、店先に投げ飛ばしてくれ」
「ッ、馬鹿!!」
引きずるように男の首根っこを捕まえ、食堂をあとにしようとする。
そんな龍彦の背中に、突如優しい温もりが触れた。
満乃が後ろから抱きついたのだ。
「投げ飛ばすわけありません! 私だって、龍彦さんとあのまま終わりになんてしたくなかった……!」
瞬間、龍彦の心臓が痛いくらいに胸を叩く。
「ねえ……きっとですよ? 今度はあなたのほうから、約束しましたからね……?」
「……ああ。きっとだ」
全精力を振り絞って、龍彦は短く告げた。
声を震わせる満乃の表情を一瞬だけでも目にしたかったが、何とか思い留まった。
目にしたら最後、満乃に伸ばしてしまいそうになる手を押さえることができないと、わかっていたからだ。
薬を盛ろうとした男は、以前から満乃を気に入り、己の愛人にしようと画策していたらしい。
言葉巧みに薬入りの味噌汁を口にさせ、医者に診せに行く振りをして己の居宅に浚う腹づもりだったという。
丸一日かけてようやく薬が抜けたあと、後処理を任せた田村からの報告を、龍彦は顔をしかめながら聞いていた。
「先日お前にあれこれ吹き込んだ男も、今回の男の手下だったらしいな。お前が食堂に入り浸っていては作戦が頓挫すると考えて、お前を食堂から遠ざけようとしたんだと」
「汚え算段を組みやがって」
「いやでも、そこに特攻するお前もなかなかすげえよ。あのお椀に入れられた薬だって、何の薬だか確信はなかったんだろ? 下手したら致死量の毒だった可能性もある」
「読み込んでいた薬の一覧にそれらしいものを見ていたから、推測は立っていたがな」
事務室に籠もって詐欺師集団の資料を読みふけっていたことが、意外にも功を奏したというわけだ。
例え何の薬かわからずとも、あの場はああ行動していたかもしれないが。
「愛の成せる技、ってわけかあ」
「は?」
「まあいいや。医者からの了承も出てることだし、さっそく行くんだろ? あの食堂に」
どこか嬉しそうに問う田村に、龍彦は小さく頷いた。
丸一日、含んだ薬に苦しむのに手一杯で、ろくに食事もとれていなかった。
早く、あいつの作った温かい料理が食べたい。
その晩、妙な緊張感を携えながら、龍彦はみたしや食堂の戸をくぐった。
テーブルを拭いていた花が息を呑んだかと思うと、挨拶もないまま厨房へ一目散に走り去る。
「龍彦さんっ!?」
そして次の瞬間には、血相を変えた満乃が厨房から飛び出してきた。
久しぶりに真正面から目にしたその姿に、咄嗟に言葉が出ない。
「遅くに悪い。今、いいか」
「……はい。勿論です……!」
ふわりと笑う満乃は、まるで大輪の向日葵のようだ。
いつも通り、出入り口近くの左奥席に向かった龍彦は、そわそわ身体を揺らしながら腰を据えた。
一度厨房に下がった満乃が、グラスに入った冷や水を持ってくる。
「どうぞ。お冷やです」
「ああ」
「もう、体調は平気なんですか? 出歩いても問題ない程度には……?」
「ああ、別に大事ない」
「本当に本当に、大丈夫ですか?」
何やらしつこく尋ねてくる満乃に、龍彦は怪訝な顔をする。
「だって……あの味噌汁の中に薬が盛られていたんですよね? 私が飲むところだったものを、龍彦さんが庇って飲み干して……具合もとても悪そうでした」
「少しは残したぞ。じゃなけりゃ後で調査できないからな」
「そういう問題じゃありません! 私、すごくすごく不安だったんです! もしかしたらその薬のせいで、龍彦さんが……し、死んでしまうんじゃないかって……!」
突然怒りだしたかと思えば、その目尻にうっすらと涙が滲む。
盆を両手に抱きながら肩を震わす満乃に、龍彦はぎくりと胸を鳴らした。
「っ、馬鹿。心配しすぎだ。あれは別に毒ってわけじゃない。それなら俺はあの晩にとっくに死んでるだろ」
「だから怒っているんです! どうしてあんな危ないものを私の代わりに煽ったりしたんですか! 命に関わるものだったらどうするつもりだったんですか!」
「……怒ってるのか?」
「当然です!!」
どちらかというと泣いているように見えるのだが、それはきっと言わないほうがいい。
そして、そんな表情を自分に向けられているということも悪い気はしない……ということも、きっと言わないほうがいいのだろう。
「もう薬は抜けた。医者の診察も受けたから、問題ない」
「でも、相当酷い症状が出たんでしょう? 同僚の田村さんから聞きました。丸一日自室に閉じこもっていなければいけないほどだったと」
田村。余計なことを。
「どんな症状が出る薬だったんですか。頭が痛いとか、お腹が痛いとかですか。私、田村さんに何度も介抱させてほしいと頼み込んだんですが、聞き入れてもらえなくて」
「はっ、そりゃあんたが介抱役なんて、どだい無理な話だろうな」
「そんなこと! 私にだって看病の心得くらいは……!」
「あれは催淫剤だ」
「……え」
このままじゃ埒があかないと踏んだ龍彦は、下手な隠し立てを止めた。
瞬間、満乃の勢いがぴたりと止まる。
満乃を手籠めにしようと企む、下卑た男の考えそうなことだ。
もともと特徴的な色味をした薬だったが、味噌汁を含んだ瞬間から龍彦の身体にまとわりつく不自然なほどの熱があった。
「あんたが介抱役になって現れたら最後、俺の手であんたが傷ものになっていた」
「き、きず……」
「あのとき、あんたの手を拒んだのもそれが理由だ。悪かったな」
「あ、い、いいえそれは……」
どうやら、龍彦の説明にようやく理解が追いついたらしい。
気恥ずかしさからか、満乃はその頬をじわりと赤く染めた。
なんだ、その顔は。
可愛いな。
「……違う。そうじゃあない」
「え? え?」
「こっちの話だ。それはそうと、まずは詫びを入れさせてほしい。以前あんたにひどいことを言ったこと、本当に申し訳なかった」
「おおい、お嬢ちゃん。今日のこの味噌汁なんだがなあ。なあんか少し、味が違う気がするんだよなあ」
夜もとっぷり更けた時分の食堂に、あまり馴染みのない男の声が響いた。
食堂に残っていた最後の客で、でっぷり腹の肉を据えた男の客だ。
「大変申し訳ございません! 今すぐ、別のものとお取り替えいたします……!」
「いやいや。同じ鍋から掬ったものならば、取り替えられても同じことだよ。なあんか味がなあ、いつもよりも苦いというかしょっぱいというか」
「そうでしたか。他の方からは特段苦情はありませんでしたが……」
「いやいやこれは確かだよ。ちょっと、飲んで確認してみてくれるかな?」
「わかりました。では、少々失礼いたしま……」
「待て」
男が味に苦言を呈した味噌汁のお椀を、満乃が受け取ろうとする。
そのお椀を、外から駆け込んできた者が一瞬早く奪い取った。
はあ、はあと肩を上下させるその姿に、満乃は目を大きく見張る。
「た、龍彦、さん……?」
「……あんた、まだこれを含んでいねえな?」
驚愕に目を剥きつつも、龍彦の問いに満乃はこくりと頷いた。
突然の闖入者に、男は慌てた様子で口を開く。
「お、おいおい何だ!? 急に入ってきてなんなんだお前は!?」
「味噌汁の味が違う、か。それは今しがたお前が袖下から注いだ、桃色の『あるもの』のせいではないか」
「……ッ!?」
「桃色の……? あっ、ちょっと、龍彦さん!?」
顔色を変えた男と、声を上げる満乃。
二人の反応を余所に、龍彦は手にしたお椀の中身をぐいっと一気に煽った。
のちの調査のために必要最低限は残したが、大部分は龍彦の喉の奥へと流される。
時間を置いて舌先から追ってきた特有の苦みに、龍彦は瞳を鋭くした。
「……薬を盛ったか。街外れで取引されている、粗悪品だな」
「な、なんだなんだ!? お前、どうしてそんな平気な顔でいられるんだあ……!?」
「あいにく俺は、ガキの頃から毒やら薬やらは盛られ慣れてるんだよ」
嘘ではなかった。
幼い頃は毒草を口にしただけでなく、悪徳薬師から出所も知れぬ薬を含まされては駄賃を稼いでいたことがある。
そのためか否か、龍彦は人と比べて幾分か毒に強い体質となっていた。
「抵抗してくれるなよ。恐らく今の俺は、普段よりも加減が利かない」
「……う、ううう……っ」
龍彦の鋭い視線に、今後の展開を悟った男はがくりとその場に項垂れた。
殊勝なその態度に、龍彦は内心安堵の息を漏らす。
表情には出さないが、龍彦の身体は今、経験にない速度で熱が上っていた。
「こいつは、味噌汁に薬を混ぜてあんたに飲ませようとした。このまま捕らえて、聴取室に連れて行く」
「薬って……あっ、龍彦さん!」
「そこの皿には触れるな。後から来る同僚の奴らに……一通り調べるよう、話を……っ」
「龍彦さん! 龍彦さん、大丈夫ですか……!?」
「触るな!」
力一杯に張り上げた言葉に、はっと小さく息を呑む音がする。
こちらを見つめる満乃は、伸ばそうとしていた手を止め、苦しげに眉を寄せていた。
数日前と同じ──大きな瞳に瞬く美しい光に、ぐらりと意識を持っていかれそうになる。
「今俺は……こいつが盛った薬を含んでいる。触れないほうがいい。あんたが嫌いなわけじゃない。あんたに……触れたくないわけじゃ、ない」
「え……?」
熱い吐息に混ざるような言葉は、目の前の満乃の頬を微かに紅潮させた。
ああそうだ。
今日俺は、何を伝えるために来たんだった?
「あんたに……これを」
懐に入れていた紙袋を差し出す。
目を瞬かせつつも受け取った満乃に、ほっと胸をなで下ろす。
「前にお前に告げたのは……全部嘘だ。頭に血が上って、思ってもいないことを言った。本当は……あれであんたと最後になんて、したくなかった」
「龍彦、さ……」
「また、改めて詫びに来る。あんたがもしもそれすら御免ならば……遠慮なく、店先に投げ飛ばしてくれ」
「ッ、馬鹿!!」
引きずるように男の首根っこを捕まえ、食堂をあとにしようとする。
そんな龍彦の背中に、突如優しい温もりが触れた。
満乃が後ろから抱きついたのだ。
「投げ飛ばすわけありません! 私だって、龍彦さんとあのまま終わりになんてしたくなかった……!」
瞬間、龍彦の心臓が痛いくらいに胸を叩く。
「ねえ……きっとですよ? 今度はあなたのほうから、約束しましたからね……?」
「……ああ。きっとだ」
全精力を振り絞って、龍彦は短く告げた。
声を震わせる満乃の表情を一瞬だけでも目にしたかったが、何とか思い留まった。
目にしたら最後、満乃に伸ばしてしまいそうになる手を押さえることができないと、わかっていたからだ。
薬を盛ろうとした男は、以前から満乃を気に入り、己の愛人にしようと画策していたらしい。
言葉巧みに薬入りの味噌汁を口にさせ、医者に診せに行く振りをして己の居宅に浚う腹づもりだったという。
丸一日かけてようやく薬が抜けたあと、後処理を任せた田村からの報告を、龍彦は顔をしかめながら聞いていた。
「先日お前にあれこれ吹き込んだ男も、今回の男の手下だったらしいな。お前が食堂に入り浸っていては作戦が頓挫すると考えて、お前を食堂から遠ざけようとしたんだと」
「汚え算段を組みやがって」
「いやでも、そこに特攻するお前もなかなかすげえよ。あのお椀に入れられた薬だって、何の薬だか確信はなかったんだろ? 下手したら致死量の毒だった可能性もある」
「読み込んでいた薬の一覧にそれらしいものを見ていたから、推測は立っていたがな」
事務室に籠もって詐欺師集団の資料を読みふけっていたことが、意外にも功を奏したというわけだ。
例え何の薬かわからずとも、あの場はああ行動していたかもしれないが。
「愛の成せる技、ってわけかあ」
「は?」
「まあいいや。医者からの了承も出てることだし、さっそく行くんだろ? あの食堂に」
どこか嬉しそうに問う田村に、龍彦は小さく頷いた。
丸一日、含んだ薬に苦しむのに手一杯で、ろくに食事もとれていなかった。
早く、あいつの作った温かい料理が食べたい。
その晩、妙な緊張感を携えながら、龍彦はみたしや食堂の戸をくぐった。
テーブルを拭いていた花が息を呑んだかと思うと、挨拶もないまま厨房へ一目散に走り去る。
「龍彦さんっ!?」
そして次の瞬間には、血相を変えた満乃が厨房から飛び出してきた。
久しぶりに真正面から目にしたその姿に、咄嗟に言葉が出ない。
「遅くに悪い。今、いいか」
「……はい。勿論です……!」
ふわりと笑う満乃は、まるで大輪の向日葵のようだ。
いつも通り、出入り口近くの左奥席に向かった龍彦は、そわそわ身体を揺らしながら腰を据えた。
一度厨房に下がった満乃が、グラスに入った冷や水を持ってくる。
「どうぞ。お冷やです」
「ああ」
「もう、体調は平気なんですか? 出歩いても問題ない程度には……?」
「ああ、別に大事ない」
「本当に本当に、大丈夫ですか?」
何やらしつこく尋ねてくる満乃に、龍彦は怪訝な顔をする。
「だって……あの味噌汁の中に薬が盛られていたんですよね? 私が飲むところだったものを、龍彦さんが庇って飲み干して……具合もとても悪そうでした」
「少しは残したぞ。じゃなけりゃ後で調査できないからな」
「そういう問題じゃありません! 私、すごくすごく不安だったんです! もしかしたらその薬のせいで、龍彦さんが……し、死んでしまうんじゃないかって……!」
突然怒りだしたかと思えば、その目尻にうっすらと涙が滲む。
盆を両手に抱きながら肩を震わす満乃に、龍彦はぎくりと胸を鳴らした。
「っ、馬鹿。心配しすぎだ。あれは別に毒ってわけじゃない。それなら俺はあの晩にとっくに死んでるだろ」
「だから怒っているんです! どうしてあんな危ないものを私の代わりに煽ったりしたんですか! 命に関わるものだったらどうするつもりだったんですか!」
「……怒ってるのか?」
「当然です!!」
どちらかというと泣いているように見えるのだが、それはきっと言わないほうがいい。
そして、そんな表情を自分に向けられているということも悪い気はしない……ということも、きっと言わないほうがいいのだろう。
「もう薬は抜けた。医者の診察も受けたから、問題ない」
「でも、相当酷い症状が出たんでしょう? 同僚の田村さんから聞きました。丸一日自室に閉じこもっていなければいけないほどだったと」
田村。余計なことを。
「どんな症状が出る薬だったんですか。頭が痛いとか、お腹が痛いとかですか。私、田村さんに何度も介抱させてほしいと頼み込んだんですが、聞き入れてもらえなくて」
「はっ、そりゃあんたが介抱役なんて、どだい無理な話だろうな」
「そんなこと! 私にだって看病の心得くらいは……!」
「あれは催淫剤だ」
「……え」
このままじゃ埒があかないと踏んだ龍彦は、下手な隠し立てを止めた。
瞬間、満乃の勢いがぴたりと止まる。
満乃を手籠めにしようと企む、下卑た男の考えそうなことだ。
もともと特徴的な色味をした薬だったが、味噌汁を含んだ瞬間から龍彦の身体にまとわりつく不自然なほどの熱があった。
「あんたが介抱役になって現れたら最後、俺の手であんたが傷ものになっていた」
「き、きず……」
「あのとき、あんたの手を拒んだのもそれが理由だ。悪かったな」
「あ、い、いいえそれは……」
どうやら、龍彦の説明にようやく理解が追いついたらしい。
気恥ずかしさからか、満乃はその頬をじわりと赤く染めた。
なんだ、その顔は。
可愛いな。
「……違う。そうじゃあない」
「え? え?」
「こっちの話だ。それはそうと、まずは詫びを入れさせてほしい。以前あんたにひどいことを言ったこと、本当に申し訳なかった」
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