でんでんむしが好きな君

ひらどー

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誰と行ったのかを説明できます

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 二歳になった子どもを初めて花火大会に連れて行った夏。残念なことに夫はその貴重な現場に居合わせることができなかった。仕事の都合で、花火の観覧時間に間に合わなかったのだ。行ったのは子どもと私、そして子どもの祖父母の計四名だった。
 仕事を終えて帰宅した夫に私が、花火綺麗だったよ、と感想を伝えた。そのすぐ後、夫は子どもに「花火、誰と行ったんだ?」と訊ねた。
「ばーちゃとー、じぃーじとー、まーまとー、かーしゃとー……いった!」
 指を折りながらの説明だった。
 だが惜しい。「まーま(ママ)」と「かーしゃ(お母さん)」は同一人物だ。どちらか一方のみを言えばいい。
 そして、指の折り方も少し違う。「ばーちゃ」で親指を折るところまでは上出来だ。何かを数えるときは確かにそうやって数える。大人をよく見ている。いい観察眼だ。しかし「じぃーじ」と言った時点で他の全ての指も折ってしまったのが惜しい。その数え方だと二人しか数えられない。
 自分の父に精一杯の力で伝えようとする様が愛らしかったので、そんな細かい指摘は横に投げて置いた。頑張って話そうとする我が子が可愛いと思ったのは夫も一緒だったようで、更に会話を続けた。
「花火、どんなだったんだ?」
「どどーんばばーん、おっきーい、したよ!」
「花火、誰と行ったんだ?」
「まーまとー、ばーちゃとー、じぃーじとー、まーまとー、かーしゃとー、とーしゃ!」
 夫よ、さっきも同じ質問をしていなかったか。
 息子よ、君のまーまは一人だけだ。そしてとーしゃは一緒に行っていない。
 子どもとの会話を楽しむ夫と、花火の話をするのが楽しい子どもによる、同様のやり取りはこの後も何度も続いた。その度に、花火に行ったメンバーが少しずつ変わっていった。
 最終的に、「ぱーぱ」が固定メンバーとなり、「まーま」と「かーしゃ」が忘れられてしまった。せめてどちらか一方だけでも残して欲しかった。
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