本日もカイセイなり

モカの木

文字の大きさ
1 / 19

1話 本日もカイセイなり

しおりを挟む
「今日で何日目だっけなぁ」
 天都光あまとひかるは、日誌を書く手を少しだけ止め、誰にともなく呟く。
 傍らに立つ美貌の侍女、ティ・シフォン――光はティスと呼んでいる――が、僅かに目を伏せた。
「……あー、いや、やっぱ良いか。……うん、良いや」
 やれやれと頭を振りながら、少年は筆先をインク壺につけ直す。
 この動作にも慣れたものだ。
 記録をつけ始めてから、もうそれなりに経っている。そのページの厚みが、数えずともその日数の積み重ねを主張していた。
「はー……早く帰りたい……」
 思わずこぼれた声は、光の本音だった。
 それも日誌へ書き連ねそうになり、慌てて「本日もカイセイなり」と定型句となった締めの一文を書き添えると、日誌を閉じた。
 カイセイ。
 この世界を、光は彼なりの皮肉を込めてこう呼ぶ。
 異世界のアナグラムとして、だ。
 日本のごく普通の一般家庭で育ち、ごく普通に高校まで進んでいた光の人生は、極めて普通ではない事態に巻き込まれている。
 小説やゲームやらで見かける、異世界への召喚。
 その当事者になるというのは、せいぜい暇を持て余した授業中の妄想程度にしか考えたことはなかった。
 正にそこはファンタジーであり、人と魔物がはるか過去から争い続ける、剣と魔法が支配する世界。
 おあつらえ向きに文化も地球に準じているのは、お約束と言えばそうだが、いざ我が身に降りかかると困惑の種でもあった。
 生活に支障があるわけではないから、そんなものだ、と割り切るしかないのだが……。
 夢であれば、と少年は毎夜のように願って眠りに就く。
 残念ながら、今のところ夢から覚める気配はなく、天都光は変わらずカイセイにいる。

 翌朝。
 肩を揺すられ目覚めた光の視界に、透き通るような侍女の瞳が映った。近い。
 ちり、と主の顔にピントを合わせるように、紅玉の瞳孔が狭まる。
「おはようございます、マスター」
 鼻孔をくすぐる侍女の吐息に、少年の眠気は急速に霧散する。
 ふわりと花のような香りがするのは、香水だろうか。
「……おはよう、ティス」
 このやり取りは既に恒例ではあったが、未だに慣れない。
 一発で覚めた眠気を、少しだけ名残惜しく感じながら、光は体を起こす。
 音もなくベッドから離れた侍女は、何事もなかったかのように続ける。
「朝食の用意が整っております。お食事後は、司令部でリヴォフ将軍との軍議が予定されております」
「……おう」
 なんとなく釈然としないまま身支度を終えて寝室を出ると、扉の脇にはティスの他にもう1人が控えていた。
「おはよう、フィオ」
「おはようございます! 我が主!」
 フィオと呼ばれたのは、長身だが、まだ表情にあどけなさの残る少女、フィオ・シジョウ。
 少年の挨拶に明るく一礼を返すと、そのままかき消すようにその姿が見えなくなる。
 彼女はわかりやすく言えばニンジャであり、その主な任務は情報収集及び光の護衛だ。
 自己主張の強いところがあり、朝一の挨拶を欠かさないなど、忍んでいない部分も多いが、それを差し引いても飛び切り優秀といえる仲間。
 もちろん、彼女と光がこうした関係となるまでには、非常な紆余曲折があったのだが……一旦それは置く。

 この世界での標準よりは少しだけ豪華な朝食を終え、光は街へ出る。
 ご丁寧なことに、食べ物も地球とほぼ変わらない。
 強いて言えば、米をほとんど見かけないことか。
 おそらくは小麦が主食で、食卓にはパンやパスタのようなものが並ぶ。
 この「ようなもの」というのは光の主観で、実際にはパンやパスタそのものだが、少年にとっては認めがたい一線なのだろう。
 味もマトモだし、体調を崩す様子も今までに見られないのだから、カイセイの食べ物は地球との互換性があるのか、それとも、光の身体が既に地球のものではなくなっているのか。
 その辺りは、考えないようにしている。
 さておき、現在の少年の住まいから司令部までは、概ね歩いて30分ほどだ。
 まだ朝といえる時間だったが、大通りはそれなりの賑わいを見せており、そんな中でも何人かは光とティスに声をかけ、あるいは会釈であいさつをする。
 それらに軽く応えながら、二人は城壁を目指した。
 徐々に、集う人の性質が物々しいものに変わっていく。
 目的地の扉に差し掛かると、衛兵が姿勢を正して礼をした。
「お待ちしておりました。将軍は既に」
「どうも」
 司令部といっても、そこは城壁の一角をそれっぽくあつらえた、簡素な造りの部屋だ。
 そこには既に先客がいた。
 1人を除いて若く、およそ半数は女性だ。
「ヒカル」
 その中で上座に座っていた女性が――少女と言っていい容貌だが――立ち上がる。
 だが、この城壁都市、ヨウゲツをこれまで幾度も守り抜いたその実績を知るものであれば、彼女、レラ・リヴォフを外見で侮りはしないだろう。
「お待たせしたかな」
「いえ、定刻前だけど、始めましょう。城壁の補修状況から――」
 会議に光が口を挟むことは少ない。
 そしてそれは、レラの求めるところでもなかった。

 ◇

 そう長くはかからず、軍議は終わった。
 集まった軍人も、三々五々去っていく中、好々爺然とした老兵が、去り際に光の肩を軽く叩く。
「ヘンシェルさん?」
「この後、ちぃと時間をくれんか」
 少年が返事をする前に、レラが呼び止めた。
「ヒカル、少し残って」
「……ああ、わかった。ヘンシェルさん、後で伺います」
 笑って手を振る老人を見送ると、部屋にはレラと光、ティスの3人が残った。
 若き将軍は少しだけ息を吐くと、姿勢を崩し、頬杖をつく。
「悪いわね、話を遮って。……で、どう思うの?」
「長すぎる」
「そうよね」
 トントンと指で机を鳴らしながら、レラは思案する。
 光の役目は、もっぱら彼女の思考の相手で、長い、というのは、敵の動きがない期間のことだ。
 散発的な攻撃は続いているが、最後に本格的な侵攻を迎撃したのは、既にかなり前になる。
 その戦いには光も参加していたが、あれは――。
「圧勝、といえば聞こえはいいけどね」
「あの一戦だけならな。こっちと向こうじゃ数が違う」
「そのとおり」
 こちらの被害以上の損害を敵に与え、敵が引いたのであれば、それは勝利だろう。
 だが、実際には戦闘はその後も続く。
 単純な算数の話で、兵力に劣る側は長引けば長引くほど不利だ。
「こっちはどうなんだ」
「再編成は終わった。補充も何とかね。3000といったところ」
 城壁に3000の兵が詰めれば、数倍の敵には対抗できるだろう。
 レラの指揮もある。やれば10倍程度は相手にできるし、実際に、前回は跳ね返した。
「で、向こうは?」
 光の声に応じ、影のように降り立ったフィオが報告する。
「はい、旧マカリア要塞には1万ほど。ですが、後方のド本命、ウプアットには、まだ集結中でしたケド……10万といったところですか」
「やっぱりね」
 はぁ、とレラは息を吐く。
 フィオの登場には、もはや驚かない。
「いえ、むしろ長引いた方なのかしら」
「前の戦いで、本当は勝ちたかったんじゃないか。だから、今回は万全を期す……って感じかな」
 少年の言葉に頷き、レラが立ち上がった。
「ということなら、まだ猶予はある。ウプアット、10万の再編成には魔物とて数日はかかる」
「そこからマカリア要塞までは、およそ2日の行程ですネ。要塞からヨウゲツまでは1日」
 引き継ぎながら、私ならウプアットまで半日で往復できますが、とフィオが妙な主張を付け加える。
 静かに控えたままのティスとは対照的だ。
「1週間……か?」
 そんな様子を気にすることなく、光が呟く。
 タイムリミットとしては、あまり余裕はない。
「悔しいけど、私は動けないわ」
 レラが渋面を作った。
 ヨウゲツの守りの要、マーディン王国屈指の将軍、レラ・リヴォフとしては、今この都市を空ける訳にはいかない。
 将軍としての実力もそうだが、彼女自身、一流の騎士である。
 その辺りの魔物なら、それこそ10体20体は片手間であしらえる。
 戦力としても貴重だ。
「実はね、シュージとイイコが向かってきてる。今回の防衛に限っては、そこまで気にしてない」
「そりゃいい。でも、じり貧だ」
「そう。他の戦線も決して楽なわけじゃないから……防衛の間はともかく、その後まであの2人を拘束できない。マカリアを攻めるには、手が足りない」
 マカリア。
 以前は人間側の要塞で、ヨウゲツから魔物の領域へ攻め込むための橋頭保、だった。
「奪われてみて、改めてあの要塞の優秀さがわかったわ。まともに落とそうと思ったら、万単位で兵力が必要ね」
 嘆くレラを見ながら、光はぼんやりと考える。
 実際のところ、この世界では防衛側が有利だ。
 魔法。
 これは便利で、それなりの使い手が使う攻撃魔法は、要するに個人が携帯する大砲だ。
 城壁から弓の代わりに大砲が降り注ぐとなれば、その脅威は伝わるだろうか。
 攻める側からすれば、鬱陶しいことこの上ない。
 一方で、この世界の城壁は、いわゆる魔法防御が施されている。
 守る側からすると、攻め手の魔法はそこまで脅威ではない。
 対城塞魔法、というのもあるにはあるのだが、戦場で実用できる人材が少なすぎる。
 その点で、「城攻め」では数に任せた力押しが代替策となってくるのだが、それが可能なのは魔物側であって、人間側はおいそれと数に頼れない。
 この戦力比を考えれば、むしろ良く今の戦線を保持しているとも言えた。
「ここまで準備したなら、敵の侵攻は確実。集結した総勢11万の魔物が、ヨウゲツに雪崩を打ってくる」
 視線を宙に流しながら、レラは呟く。
「……つまり、その間は」
「ウプアットが空になる」
「そう……なるわね」
 答えた光に、レラが頷いた。
 全力で攻めてくるということは、その分守りはおろそかになる。それは道理だ。
「……ヒカル、実はね、あなたの、いえ、あなたたちの戦力は……ここの守備には数えていないわ」
「守備には、ね」
「そう。だから、自由にしていい。ここを守るだけなら、今回は平気よ」
 レラが当てにしているのは、先ほど名が挙がったシュージとイイコ、この世界の人間側の最高戦力。
 光の同郷。汀修志みぎわしゅうじ湊依衣子みなといいこ
 圧倒的な戦力を保持する魔物に対して、曲がりなりにも人間が対抗できてきた理由の一つ。
 カイセイの時代時代に現れ、不利を尽く覆してきた「勇者」。
 今代の勇者、と言われているこの2人組は、それだけに各地の戦線へ引っ張りだこだ。
 結局、火消し役しかできていないのは、皮肉と言えばそうだろう。
 今回はどうやら間に合うらしいが、次に間に合うかは、運次第。
「無茶を言っているのは承知よ。でも、多分、これは千載一遇の好機だから……お願い、『勇者』ヒカル」
 その呼び名に、光は肩をすくめた。
「人には言わないでくれよ、その肩書は」
「もう知ってる人は知ってるわ。でも、そうね、貴方がそう言うなら」
「勇者なんて大層なものは、修志に任せるさ」
「……ねぇ」
 踵を返した少年の背に、レラが呼びかけた。
「ありがとう。……このセリフ、次に会った時も言うつもりよ。忘れないで」
「……そうだな。覚えておくよ」
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

チート魔力はお金のために使うもの~守銭奴転移を果たした俺にはチートな仲間が集まるらしい~

桜桃-サクランボ-
ファンタジー
金さえあれば人生はどうにでもなる――そう信じている二十八歳の守銭奴、鏡谷知里。 交通事故で意識が朦朧とする中、目を覚ますと見知らぬ異世界で、目の前には見たことがないドラゴン。 そして、なぜか“チート魔力持ち”になっていた。 その莫大な魔力は、もともと自分が持っていた付与魔力に、封印されていた冒険者の魔力が重なってしまった結果らしい。 だが、それが不幸の始まりだった。 世界を恐怖で支配する集団――「世界を束ねる管理者」。 彼らに目をつけられてしまった知里は、巻き込まれたくないのに狙われる羽目になってしまう。 さらに、人を疑うことを知らない純粋すぎる二人と行動を共にすることになり、望んでもいないのに“冒険者”として動くことになってしまった。 金を稼ごうとすれば邪魔が入り、巻き込まれたくないのに事件に引きずられる。 面倒ごとから逃げたい守銭奴と、世界の頂点に立つ管理者。 本来交わらないはずの二つが、過去の冒険者の残した魔力によってぶつかり合う、異世界ファンタジー。 ※小説家になろう・カクヨムでも更新中 ※表紙:あニキさん ※ ※がタイトルにある話に挿絵アリ ※月、水、金、更新予定!

大学生活を謳歌しようとしたら、女神の勝手で異世界に転送させられたので、復讐したいと思います

町島航太
ファンタジー
2022年2月20日。日本に住む善良な青年である泉幸助は大学合格と同時期に末期癌だという事が判明し、短い人生に幕を下ろした。死後、愛の女神アモーラに見初められた幸助は魔族と人間が争っている魔法の世界へと転生させられる事になる。命令が嫌いな幸助は使命そっちのけで魔法の世界を生きていたが、ひょんな事から自分の死因である末期癌はアモーラによるものであり、魔族討伐はアモーラの私情だという事が判明。自ら手を下すのは面倒だからという理由で夢のキャンパスライフを失った幸助はアモーラへの復讐を誓うのだった。

『ミッドナイトマート 〜異世界コンビニ、ただいま営業中〜』

KAORUwithAI
ファンタジー
深夜0時——街角の小さなコンビニ「ミッドナイトマート」は、異世界と繋がる扉を開く。 日中は普通の客でにぎわう店も、深夜を回ると鎧を着た騎士、魔族の姫、ドラゴンの化身、空飛ぶ商人など、“この世界の住人ではない者たち”が静かにレジへと並び始める。 アルバイト店員・斉藤レンは、バイト先が異世界と繋がっていることに戸惑いながらも、今日もレジに立つ。 「袋いりますか?」「ポイントカードお持ちですか?」——そう、それは異世界相手でも変わらない日常業務。 貯まるのは「ミッドナイトポイントカード(通称ナイポ)」。 集まるのは、どこか訳ありで、ちょっと不器用な異世界の住人たち。 そして、商品一つひとつに込められる、ささやかで温かな物語。 これは、世界の境界を越えて心を繋ぐ、コンビニ接客ファンタジー。 今夜は、どんなお客様が来店されるのでしょう? ※異世界食堂や異世界居酒屋「のぶ」とは 似て非なる物として見て下さい

社畜おっさんは巻き込まれて異世界!? とにかく生きねばなりません!

カムイイムカ(神威異夢華)
ファンタジー
私の名前はユアサ マモル 14連勤を終えて家に帰ろうと思ったら少女とぶつかってしまった とても人柄のいい奥さんに謝っていると一瞬で周りの景色が変わり 奥さんも少女もいなくなっていた 若者の間で、はやっている話を聞いていた私はすぐに気持ちを切り替えて生きていくことにしました いや~自炊をしていてよかったです

おばさんは、ひっそり暮らしたい

波間柏
恋愛
30歳村山直子は、いわゆる勝手に落ちてきた異世界人だった。 たまに物が落ちてくるが人は珍しいものの、牢屋行きにもならず基礎知識を教えてもらい居場所が分かるように、また定期的に国に報告する以外は自由と言われた。 さて、生きるには働かなければならない。 「仕方がない、ご飯屋にするか」 栄養士にはなったものの向いてないと思いながら働いていた私は、また生活のために今日もご飯を作る。 「地味にそこそこ人が入ればいいのに困るなぁ」 意欲が低い直子は、今日もまたテンション低く呟いた。 騎士サイド追加しました。2023/05/23 番外編を不定期ですが始めました。

異世界ビルメン~清掃スキルで召喚された俺、役立たずと蔑まれ投獄されたが、実は光の女神の使徒でした~

松永 恭
ファンタジー
三十三歳のビルメン、白石恭真(しらいし きょうま)。 異世界に召喚されたが、与えられたスキルは「清掃」。 「役立たず」と蔑まれ、牢獄に放り込まれる。 だがモップひと振りで汚れも瘴気も消す“浄化スキル”は規格外。 牢獄を光で満たした結果、強制釈放されることに。 やがて彼は知らされる。 その力は偶然ではなく、光の女神に選ばれし“使徒”の証だと――。 金髪エルフやクセ者たちと繰り広げる、 戦闘より掃除が多い異世界ライフ。 ──これは、汚れと戦いながら世界を救う、 笑えて、ときにシリアスなおじさん清掃員の奮闘記である。

魔王を倒した勇者を迫害した人間様方の末路はなかなか悲惨なようです。

カモミール
ファンタジー
勇者ロキは長い冒険の末魔王を討伐する。 だが、人間の王エスカダルはそんな英雄であるロキをなぜか認めず、 ロキに身の覚えのない罪をなすりつけて投獄してしまう。 国民たちもその罪を信じ勇者を迫害した。 そして、処刑場される間際、勇者は驚きの発言をするのだった。

40歳のおじさん 旅行に行ったら異世界でした どうやら私はスキル習得が早いようです

カムイイムカ(神威異夢華)
ファンタジー
部長に傷つけられ続けた私 とうとうキレてしまいました なんで旅行ということで大型連休を取ったのですが 飛行機に乗って寝て起きたら異世界でした…… スキルが簡単に得られるようなので頑張っていきます

処理中です...