完黙主義者の恋愛調書

かびなん

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5話

初デート?とお子様ランチ

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 素直で健気で献身的。突き放しても、めげずに愛をぶつけてくる。疲れて帰ってきた時には、温かな食事ととびきりの笑顔で「おかえりなさい」と出迎えてくれる。そんな湊の存在は、隆司に家庭の温かさを教えた。
 最近、湊がいる環境に慣れてきたどころか、少しずつだが心地好さを感じるようになってきている。
 湊は、本当に不思議な存在だ。

「湊、今日はバイト休みだったよな。そっちの予定って、何か入ってるか?」
「えっと、今日は足りなくなった食材の買い出しと、隆司さんのスーツをクリーニング屋さんから引きとりに行く予定だけですけど」

 あと何かあったかな、と思い出そうとしている湊の手を掴み、柔らかく引く。

「なら、ちょっと付きあえよ」

 隆司は、そのまま湊をマンションの駐輪場に連れていった。

「後ろ、乗って」
「え?」

 突然渡されたヘルメットを両手で抱えたまま、湊は隆司とその隣にある大型のバイクを交互に見つめる。湊は何を言われているのか、まるで分かっていない様子だった。

「ツーリングに行くぞ。俺も今日、仕事休みだから」
「えっ? 隆司さんが連れてってくれるんですか?」

 隆司の意図を漸く理解した湊の顔が、パッと晴れる。

「この状況で、俺以外の誰がいるんだよ。いいから乗れよ」
「は、はい!」

 湊は断る選択など持ち合わせていないと言った様子で、手の中のヘルメットを被る。準備が整ったのを見届けると、隆司もヘルメットを被り、愛車に跨がった。

「スピード出るから、しっかり俺の身体に掴まってろよ。下手に手離して落ちたら、大怪我どころじゃ済まないからな」
「分かりました!」

 ヘルメットの重さに弄ばれながらも大きく首を縦に振ってから、さも母親に抱きつく幼子のように隆司の腰にしがみつく。その動作が可愛くて思わず笑みを零すも、同時にかけたエンジン音が掻き消した。
 それから二人が向かったのは、海沿いの道を走った先にある港の大型商業施設だった。
 目的地に到着し、バイクから降りてヘルメットを脱ぐと、少々汗ばんだ肌に心地好い海風と潮の香りが当たる。振り向けば、眼前には太陽の光が美しく反射した海原が広がっていた。
 ずっと仕事に追われる生活ばかりだった隆司にとって、こんなにもゆったりとした休日は久々だ。せっかくだから、存分に楽しもうと考えながら、湊の方に視線を遣る。
 しかし、降りたバイクの隣に立つ湊は、未だヘルメットを脱いでいなかった。

「どうした、湊。まさかメットの脱ぎかたが分からないとかじゃないよな」

 いくら元お坊ちゃんでも、それはないだろう。ただ、湊という男はいつも予想を超える言動をする人間だ。「被ったメットが脱げません」と平気で言ってくるかもしれない。

「メット取るぞ」

 隆司は両手でヘルメットの側面を掴み、一気に持ちあげる。
 次の瞬間。
 どうしたらそんな顔ができるのかと、問いつめたくなるぐらい情けない顔でニターっと笑う湊の顔が、ヘルメットの中から出てきた。
 しかも、グヘヘと耳を疑いたくなるような笑い声まで発している。

「……俺は、今日ほどお前の知り合いだということを後悔した日はない」

 抑揚のない声で呟き、持っていたヘルメットを再び湊に被せる。すると、ここまできて漸く妄想の世界から帰ってきた湊が、ワタワタと変な動きをしながらヘルメットを脱いだ。

「ちょっと隆司さん、酷いですぅ」
「酷いのは、お前の存在自体だ。綺麗な顔で汚い笑い浮かべる様が、どれだけ酷いものか分かるか? 軽いホラーレベルだぞ」
「え? 綺麗? ん、もう! 綺麗な顔だなんて、そんなプロポーズみたいなこと言われたら僕、感じちゃうじゃないですか。こんなお日様の下で僕の足を開こうとするなんて、隆司さんも大概狼ですね」

 何をどう解釈したら、そんな曲解が生まれるのだろうか。
 だらしなく顔をにやけさせ、内股でクネクネと奇妙なダンスを踊る湊を、隆司は哀れみを含んだ目で見つめた。

「…………悪い、もうどこから突っこんでいいか分からないから、とりあえず買い物中止して耳鼻科に行くぞ」

 言葉が通じないほど耳垢が溜まっているのなら、仕方がない。今日は休みを潰して医者巡りをしようと、湊の首襟を掴んでバイクに向かう。

「わぁー、今のは冗談です! ちゃんと全部聞こえてますから、お医者さんにいく必要なんてないです!」

 だから許してください、と今にも土下座しそうな勢いで慌て、謝る湊。隆司はほとほと呆れ果てながら、冷たい視線を向けた。

「いいか、今から一度でも変な妄想や発言をしたら、強制的に帰宅だからな」
「はーい、分かりました。帰りたくないから、約束は厳守します!」

 どこで覚えたのか、湊が敬礼のポーズをこちらに向けて誓いを立てる。最後までふざけてはいるが、湊だってそこまで頭が悪い人間ではない。恐らく以降の分別はつけてくれるだろう。

「分かったなら、さっさと行くぞ」

 湊が愚者ではないことを信じて、隆司は海沿いの歩道を歩きだす。
 漸く落ち着いたところで周囲の景色を見渡すと、やっと休日らしい光景を目にすることができた。
 ウッドデッキで作られた温かみのある歩道と、そこから眺められる海。今日は天気がいいからか、歩道で立ち止まって海を眺めている人も多かった。
 冬の始まりの潮風は少し頬をひんやりとさせたが、嬉しさで陽気になっている湊の色白の頬は、そんなことを思わせないぐらい赤く染まっている。心から楽しんでいる様子が湊の全身から伝わってきて、連れてきたこちらも胸が太陽の光に包まれたように穏やかな気持ちになった。
 今日、ここへ来ることを湊には一言も言わなかったため、驚かせてしまったが、逆にこれでよかったのだと隆司は確信する。
 気持ちは言葉にしなくても、伝わる時にはちゃんと伝わるのだ。
 そう、湊が相手なら。

「あまり走り回って、不様に転ぶなよ」
「転んだら、この前みたいに助けにきてくださいね」
「言ってろ」

 燦々と降り注ぐ冬の太陽の下で、季節外れの向日葵が咲くように微笑む湊。
初対面の人間は、湊を見ると必ず「綺麗な人だ」と言うそうだ。確かに見た目は、夜に咲く花盛りの薔薇という印象で、見る者を魅了する。けれど、こうして心のままに笑う湊は、太陽や青空のほうがよく似合っていた。
 性格や人間性に関しても、そうだ。出会った頃の湊は、「愛情をたっぷり与えられてきたから、愛情が枯渇すると生きていけない人間」という印象だった。愛され慣れ、尽くされ慣れ、それが当たり前だと思っている。きっと愛情が枯渇しそうになると、その前に誰かが気づいて愛情を与えていたのだろう。
 けれど、実際は随分と違っていた。人に愛される気質があることに変わりないが、その反面で強い芯を持つ。
 笑える話、今ではもう隆司の中にいる湊は、全く別の人間だ。だからこそ、彼へ抱く感情も変化している。それは不思議な感覚だが、嫌な気がしなかった。

「ん?」

 ぼんやりと湊のことを考えていた時、不意に胸ポケットに入れていた携帯が鳴った。
 呼び出しだろうか。
 今日は久しぶりの休暇だから、呼び出しの順番は最後になるはず。それでも尚、呼び出されたとなれば、余程の事件が管轄内で起こったということ。
 隆司は眉を寄せて携帯を取りだす。案の定、携帯の着信画面には、刑事課の電話番号が記されていた。
 せっかく湊が喜んでいるのに。
 仕事が入ったことを知った時の湊の落胆を予想すると、手の中で鳴る電話が恨めしく思える。

「悪い、電話に出てくるな」
「あ……はい、行ってらっしゃい」

 笑顔で送り出してくれる湊に罪悪感を覚えながら、少し離れた場所で電話に出る。

「はい、長谷部です」

 しかし電話の内容は隆司の予想に反して、経理部に出す書類の一部に漏れがあったというものだった。署に出向く必要はないらしく、口頭での回答でいいと言われる。

「ああ、その伝票は課長に提出済みです。あとは判を押してもらうだけになってます」

 相手から聞かれることに答えながら、隆司はふと自分が珍しくも機嫌が悪くなっていることに気づいた。
 出動要請の電話でないことは助かったが、だからと言ってせっかく羽を伸ばそうと思っていたところで冷や冷やさせられるなんて。少しは、こちらのことも考えてほしいものだ。
 声には出さず、胸中で文句を並べていると、まるで隆司の不満を予測したかのように、電話の相手が思わぬ朗報をもたらせてくれた。

「え……田島さんがっ?」

 田島の怪我の予後が思いの外軽く、退院後に刑事を続けられそうだという。
 ずっと田島の容態を気にしていた隆司にとって、その報告は嬉しい以外なにものでもない。歓喜のあまり直前までの不平をすっかり忘れた隆司は、電話口に向かって喜びを伝えながら、何度も頭をさげた。

「はい、ええ、分かりました。伝えてくださってありがとうございます」

 端から見たら、おかしな人間に見えるだろう。だが今はそれでもよかった。
 全ての用件を終え、電話を切った隆司は、すぐにでも湊に田島のことを伝えたくて駆けだそうとする。と、その時突然、隆司の視界に余計なものが入り込んできた。
 知らない男が、湊に声をかけている。

「……っ!」

 しかも、声をかけられている湊のほうも、何やら楽しそうな顔をしているではないか。
 あれは誰だ。知り合いだろうか。まるで自分と喋っている時のような笑顔を浮かべる湊の姿に、胸の奥がチリチリとやけた。
 せっかく田島のことを聞いて気分がよくなっていたのに、その喜びがどんどん冷めていく。心なしか、強い苛立ちまで覚えるようになった。
 どうしてこんな気分になるのだろう。自分でも説明できない感覚に首を傾げていると、前方にいた湊が隆司に気づいて手を振った。隣の男もこちらを見る。しかし、その男は隆司に向かって頭を小さく下げると、そのまま湊から離れ、歩いていってしまった。

「湊っ」

 一人になった湊に駆け寄り、隣に並んだところで去っていく男の背を見つめる。

「今の誰だ? 知り合いか? まさか……ナンパされてたとかじゃないだろうなっ」

 自分でも余裕がなくなっているのが、手にとるように分かったが、どうしても冷静ではいられなかった。
 しかし、問われた当の本人は、隆司のそんな気持ちなど知らずといった風に、ケロリと返事をかえすだけだった。

「いえ、道を聞かれてたんですよ。僕も分からなかったので、一緒に地図を見て考えてたんです」

 二人でいた理由を聞いて、拍子抜ける。そして何故だか、ほっと安堵の息が零れた。

「道……あ、ああ、何だ、そうだったのか」

 仲睦まじく話していた二人の姿を見て苛立ちなんて感じていた自分が、少し恥ずかしくなる。そんな気分になっていたことを湊に悟られたくなかった隆司は、あからさまに視線を逸らし、話題を変えた。

「…………ちょっと早いけど、昼飯でも食べに行くか?」
「はい! あ、でもいいんですか? さっきの電話、仕事じゃ……」
「電話で済む用事だったから、大丈夫だ。今日はもう、大きな事件が起こらない限り呼ばれないと思う。ああ、あと田島さんのことだけど――――」

 話を変えるついでに、田島のことも話す。すると、復帰を知った湊の顔がみるみる明るくなった。

「本当ですか! よかったですね!」

 あたかも自分のことのように喜ぶ湊の笑顔に、心が温かくなる。自分とは関係ない、しかも直接会ったことすらないのに、隆司が嬉しいというだけでここまで気持ちを同調してくれる。こういうところが湊のいいところ、魅力なのだろう。

「今度、見舞いに行こうと思うんだが、お前も一緒にくるか?」
「いいんですか? 僕が行っても……」
「別に、友達って言えばいいだろう」
「え、可愛い奥さんって紹介してくれないんですか?」
「調子に乗るな」

 今にも喜々として飛びついてきそうな湊を寸でで躱し、さっさと歩きだす。背後からはフフッという湊独特の笑いが聞こえた。

「さっさと飯食いにいくぞ。何が食べたいものあるか?」
「うーん……あっ、じゃあ、お子様ランチが食べたいです」

 湊の希望が耳を通り抜けた後、すぐに隆司の動きが止まる。今のは空耳だろうか。

「……お子様ランチ?」
「ええ、お子様ランチです」

 やはり、聞き間違いではなかったらしい。しかも言った本人は、自分がおかしなことを言っていることにまるで気づいていない。まさかとは思うが、湊は大人になってもまだお子様ランチが食べられると思っているのだろうか。それとも資産家御用達のレストランでは、お子様ランチという名の大人用メニューがあるのだろうか。隆司は理解に苦しみながらも、必死に考える。だが、結局納得には達しなかった。

「なぁ、あれって小学生が食べるもので、大人はご遠慮下さいってやつじゃないのか?」
「確かにそうですね。でも通常の料理を頼んで、更に追加という形にすれば対応してくれるところも多いですよ」
「そう……なのか?」
「はい。僕、大人になってからも『ここのお店のお子様ランチが大好きなんです』って言ってよく頼んでましたし」

 言いながら湊がニコリと極上の笑顔を浮かべて、注文の時の再現を見せる。
 なるほど、この笑顔で頼まれたら大抵の人間は落ちるだろう。隆司は向けられた笑顔に思わず鼓動を早くしながらも、別の意味で納得した。

「そうか……。ただ、何でお子様ランチなんだ?」
「昔から大好きなんですよ。お子様ランチって、色々な種類のものが入ってるでしょう? それが何だか仲良し家族みたいで、いっつも『スパゲティは僕、エビフライがお兄ちゃんで、パパがハンバーグ。ママはプリン』って決めて遊んでたんです」

 楽しそうに昔の話をする湊の姿に、チクリと胸の奥が痛む。
 辛い別離があったというのに、こんなにも嬉しそうに家族の話ができるなんて。きっと未だ湊の中で仲が良かった頃の家族の記憶が色濃く残り、いつかその光景を取り戻そうと思っているのだろう。そんな健気な思いを感じとった隆司は、無性に自分にできることをしてやりたくなった。

「そうか。なら、頼んでみるか。まぁ、もしダメって言われたら、お子様ランチに入ってるメニュー全部頼んで、皿に盛ってやるよ」

 ハンバーグもスパゲティもエビフライもプリンも、単品で頼めるものばかりだから無理はないはずだ。頭の中で算段をしていると、隣で湊が豆鉄砲を食らった鳩のように両目を見開いた。

「全部って……そんなに頼んだら、お腹いっぱいになっちゃいますよ?」
「俺は大食漢だから平気だ。……それに、この前の礼もしたいしな」
「この前って、あの時の? そんな、別にお礼なんていいですよ」
「いいんだよ。お前は遠慮なんかするな」

 自分が湊に対して、こんな風に感謝を返す日がくるとは思わなかった。照れにも似た不思議な感覚に囚われながら、不器用に笑う。

「嬉しい。隆司さん、ありがとうございます」

 空気が踊るように柔らかく、そして蕾が花開く瞬間のごとく可憐に顔を綻ばせる。
 忽ち、湊の周囲だけ空気の色が変わったように見えた。冬なのに春の爽やかさと甘さを織り交ぜたような淡い色の中で、はにかむ湊。
 それは、これまで見た中で一番綺麗な笑顔だった。
 また、胸がドクンと鳴る。けれど、その鼓動が何を指すものか、今の隆司にはまだ分からない。ただ――――「じゃ、行きましょう」と組まれた腕を振り払わない程度には、湊を受け入れていることを自覚したのだった。
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