ORCHID-オーキッド-

Ash.

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○月×日『正直な人』

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一条さんの部屋で、向かい合って座った。
甘い雰囲気は皆無だから、あえて並んでは座らなかった。

「マスターが昔の男?」

一条さんが直球を投げてくる。
そういう人だ。
……わかってる。
だから僕も、真っ直ぐに、向き合わなきゃ行けない。

「……はい」

僕の嘘偽りない返事に、一条さんは少し間を置いてから、長いため息をついた。

「ぁー……マジかぁ。正直ショックだ。あんないい男だとは予想外」

一条さんと先輩、いつから知り合いなんだろう。
先輩に"一条さま"て呼ばれてた。
名前を呼ばれるほどなんだから、行きつけなんだろう。
一条さんが言う、いい男ていうのはどう言った人の事なんだろう。

「あのが、山梨のトラウマ?」

「え、」

「初めて山梨と寝た時も先輩て言ってた。その後備品室で倒れた時や、たまにうなされてる時だってあるだろ」

自分でもわかってたことだ。
真っ当な恋がしたいなら、正直に。

「先輩ていうのは、木崎さんで間違いないです。つき合っていたのも、本当です。けど、僕が……、…………僕が……」

気丈に振る舞いたかったのに、視界が揺れる。
自分から、その言葉を口にするのは抵抗があった。

「僕が……」

「もういいよ」

一条さんが隣にきて、抱き寄せてくれる。
僕は首をふった。
涙がこぼれ散った。
この優しさに甘えたら、今までと何も変わらない。

「……浮気したんです。……僕が、……僕がっ」

1番認めたくなかった事実だ。

「……山梨、」

涙でぐちゃぐちゃになった顔を、一条さんの大きな手で撫でられる。
止まらない涙を拭ってくれる。

「山梨、ゆっくりでいいから。」

嗚咽が止まらない僕の背中を、優しく撫でてくれる。

「今日じゃなくてもいいんだぞ?」

優しい提案をしてくれる一条さんに、僕は首を振った。
僕も、僕なりに腹をくくったんだ。
落ち着けば、話せる。

浅く深呼吸をする。

一条さんが肩を抱いていてくれてる。

「……お酒を飲んでいて、覚えてないんです。あとから人に聞いた話で知って…………それまで、ずっと木崎さんが相手だと思ってたんです」

一条さんは納得、といった仕草で頷いた。
僕が飲酒することを嫌っていたのを一条さんは知っているからだろう。

「…………じゃあマスターとは」

「なにも……、手も繋いだことないんです」

「……え?」

「え?」

急に一条さんが間の抜けた声を上げたから、僕も同じような声を上げてしまった。

「ぁ、ごめん。辛いこと話してくれてるのに」

「……?」

「俺、マスターの店結構気に入っててさ。気も利くし、話しやすいし、俺より年下なのに1人で店構えててカッコイイじゃんか」

一条さんが言ってた"いい男"てそういうこと?

「そんな男が元カレとか完全に負けたなって凹んだけど、今、マスターとは何も無かったって聞いて、ちょっと安心……ていうか、その、ごめんな」

この"ごめんな"の意味は、なんとなくわかる。
僕側からしたら、好きな人とこれからって時にレイプされて、破局したわけだから、喜べる内容じゃないからだ。
けど、一条さんからしたら、僕が先輩と何も無かったことは喜ばしいことなんだ。
すごく複雑だと思う。

「ごめん、……ごめんな。俺、山梨とは付き合い短いけど、山梨が辛い経験したんだなってことは漠然と知ってたつもりだ。実際今話を聞いて、山梨を見て、俺の想像以上だったんだなって、感じてる」

一条さんは真剣だった。
ちゃんと、僕のことも理解してくれてる。

「俺、山梨が好きだよ」

「……ぇ、」

一緒に住もうと言ってくれた。
けど、その言葉は初めてだ。

「ごめんな、俺も酒に酔った山梨を抱いた」

「違う、……違います。あれは僕が、」

酒に弱いのは知ってた。
過去の過ちから酒を断っていたのに、新人歓迎会でハメをはずした自分が悪い。
一条さんは介抱してくれたんだ。

「僕が誘ったんですよね?」

「……まぁ、そうだけど。覚えてないんだろ?」

「覚えてなくても、わかります。一条さんはそんな人じゃないって。一条さんは、仮にあの時僕に恋人がいたとして、もしそれを知っていたら、誘われたって寝たりしませんよね」

真鍋先輩は、僕が自分の親友と付き合ってることを知っていたのに、僕に……

「しない。……て、言いたいけど、正直、今は山梨に惚れてるから、チャンスかもってくらいの下心はあると思う。けど、やっぱり嫌われたくないから、しないよ」

……正直な人。
だから、きちんと応えたかったんだ。

「一条さん、あの……いつなら引っ越してきてもいいですか?」

「え」

言っている最中で、恥ずかしくなって俯いてしまった。
本当は、好きって言ってもらったんだから、同じように返したい。
けど、まだそれは勇気が足りない。
今はこれが精一杯だ。

「付き合ってくれるってこと?」

「…………ん、」

頷く。

「山梨…」

一条さんが、今度は力いっぱい抱きしめてくれる。
苦しいくらいだ。
けど、すごく伝わってくる。
嬉しいんだって、気持ちが。

「大事にする。大事にするよ」

「はい。僕も」

一条さんの背中に腕を回すと、ハッとしたように一条さんが僕を引き剥がす。
驚いて一条さんを見ると、一条さんが戸惑ったような顔をして、難しい顔をして……それから視線を彷徨わせてから僕の顔を見た。

「一条さん……?」

なにか不都合でもあったのか不安になる。

「山梨、ぁー……あのさ、今夜…」

「今夜?」

今夜?
今夜がどうしたんだろう。

「なにか予定ありました?」

「いや……そうじゃなくて」

何か歯切れが悪い。
一条さんにしては珍しい事だ。

「予定あるなら帰りましょうか?」

「えっ、嫌だっ」

嫌だっ……て、
なんだか、子供みたいだ。
……可愛いな。

「どうしてほしいんですか?」

からかうつもりは無いけど、つい子供をあやすような言い方をしてしまう。
けど、一条さんは嫌がる素振りはせず、少しだけ頬を赤くしながら僕を見る。

「今夜は、抱かないって言ったから…」

ああ、そういう……
それで今夜て言ってたんだ。

なんだ、そういう事か。

可笑おかしくなって、小さく笑うと、一条さんの頬がさらに赤くなる。
そんな一条さんを、今度は僕から抱きしめた。

「……抱いてください」

羞恥心が無いわけじゃないから、少しだけ小さめな声で囁いた。
けど、一条さんにはちゃんと届いたみたいだ。
体に回された腕に力がこもったからだ。

「蘭」

初めて名前を呼ばれた。
彼の特別になれたようで、嬉しい。

そっと一条さんが顔を寄せる。
キスされる瞬間まで、真っ直ぐに一条さんを見た。

……その瞬間を味わうように。

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