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○月×日『涙を流す金魚⑤』
しおりを挟むその日のうちに、彼の部屋へ向かった。
学校を途中で抜けたから、今の時間帯なら部屋に誰もいないだろう。
部屋へ上がって、鞄に自分の荷物をつめた。
荷物を詰めながら、どうしたらいいか考えた。
矢野くんとあんなことしておいて、今更引き返せない。
だから、この部屋を出る決意はした。
けど、いざ面と向かって、別れが言えるだろうか。
矢野くんのことを話せば、別れ話になる前に、殴られてお終いな気がする。
そんな別れじゃなく、尾を引かない……綺麗な別れ方って、どうやるんだろ。
やっぱり、どうせ別れるんだから、矢野くんのことは持ち出さずに、波風立たないように……
「蘭…?」
考えるのに夢中になっていて、彼の帰宅に気づかなかった。
……まだ、頭の中が整理できてない。
篤也に名前を呼ばれたけど、顔が見れなかった。
「おい、なにしてんだよ」
僕が荷造りしているのに気づいた篤也が僕の側に屈んで目線を合わせようとする。
それでも僕は顔を上げられなかった。
「まさか出てくのか?……殴ったことなら謝っただろ?」
篤也の手がそっと頬に触れようとする。
それが視界に入って、思わず顔を引いてしまった。
「……蘭?」
不審に思われたのか、篤也が心配そうな声色で僕を呼ぶ。
それが、……気遣われてるみたいで、切なくなった。
優しくされてるみたいで、悲しくなった。
なんで今なんだろう。
もっと早く、僕を見て欲しかったのに……。
今にも泣きそうで、唇が小刻みに震えてるのを噛み締めた。
泣き出す前に、早くここを出ないと。
止まっていた手を、再開させる。
あと少しの荷物を鞄に詰め始めると、篤也痺れを切らしたように強引に僕の腕を掴んで自分と向き合う形にする。
「おい、蘭っ、黙ってたらわかんねぇだろっ」
隣の部屋に聞こえそうな声量で篤也が怒鳴る。
向き合って、篤也の怒った顔が目の前にある。
ふと、彼越しに柚野ちゃんが立っているのが見えた。
…………2人で帰ってきたんだ?
……僕が、1人で学校行って、帰ってきたから、篤也が代わりに彼のそばにいる状況はわかる。
わかるよ、
けど、
今の僕には、そんな小さなことが、受け止められなかった。
体が、……心が、凍り付いたみたいで、すごくクリアになれた。
「こんなとこ、もう居たくない」
ハッキリと、そう口にすると、篤也が戸惑ったような声を出す。
「は?」
「聞こえなかったんですか。こんなとこ、居たくないって言ったんですよ。僕のこと、引き止めておいて……期待してあなたについてきて、馬鹿みたいだ。口を開けばまこと、まことって…、挙句、僕のことは二の次だし、…………まだ続いてるんですか、復讐てやつ…」
1度口を開くと、止まらなかった。
「……は、……何言ってんだよ…」
「3人でこんなとこに住んで、2人の仲を僕に見せつけたかった……?」
「そんなわけないだろっ?お前何言って……」
「僕はっ、柚野ちゃんとは違うっ。あなたと付き合ったことがあるってだけで……でも柚野ちゃんは違うでしょ?僕が気にしないと思ってた……?あなたが僕に触れないのは、真鍋先輩のことがあるからだと……けど、愛情がないからだって、わかりました」
愛情がないから……
言葉にすると、凄く傷つく。
僕は小さく項垂れた。
「柚野ちゃんから真鍋先輩のこと聞いて、……ショックで、あなたに拒絶されても、ずっとどこかで繋がってる気がしてたのに…それが無くなって、…あなたじゃない男に合意無しに犯されたんだって再認識させられて、気持ちが悪くて……毎日吐いて、それでも自分にも落ち度があったんだから仕方ないって言い聞かせて……、……あなたが迎えに来てくれてから、上手くいってる気がしてたんです……。付き合ってたあの頃みたいに……て……、」
項垂れた頭を上げて、ゆっくりと柚野ちゃんを見る。
「……柚野ちゃんが心配なのは、本当だけど……3人で暮らすうちに、自分がすごく惨めになってきちゃって。篤也がここまでしたくなる存在なんだって、悔しくなった。1人でこの部屋で受験勉強してても全然落ち着かない。ここで僕は犯されたのに……2人は愛し合ってたんだから。堪らなくなって部屋を出て、2人を追ったら、仲良さそうに歩いてた……周りに人がいるのに、篤也に肩抱かれて……」
「ぁ……」
柚野ちゃんが心当たりがあったのか声を漏らす。
「ただの嫉妬だよ。部屋に戻ったら打たれるし、胸の中に溜め込んでたものが、溢れてきちゃって……。柚野ちゃんにはあんなに優しく触れるのに、僕にはこんな…」
篤也に掴まれた腕は、痛いくらいに力が入ってる。
腕を掴む篤也の手に触れると、篤也はハッとして、振り払うように手を離し、僕から目を逸らした。
僕からの接触も、拒むんだ……
「……悔しくて、悔しくて……僕と同じ気持ちを味合わせたいと思った…篤也にも、柚野ちゃんにも」
「ぇ……?」
真っ直ぐに2人を見た。
哀しみと憎しみが溢れて止まらなかった。
「……矢野昂平と寝た。」
矢野昂平と寝た。
ハッキリとそう口にし僕に、2人は呆然とした顔をする。
「……は?」
篤也が冗談だろ、と言いたげな目で僕を見る。
僕にそんな度胸がないとでも思ってるんだろうか。
僕は、とっくに汚されてる。
綺麗なんかじゃない。
篤也だって、それがわかってるから僕を捨てたんじゃないか。
可笑しくなった。
だって、矛盾してる。
僕が汚れてるなら、柚野ちゃんだってそうだ。
なのになんで僕はダメで彼はいいんだ。
なんで彼のことは抱けるのに、僕はダメなんだ。
「冗談だと思う?」
篤也ではなく、柚野ちゃんに視線を流して、口を開いた。
柚野ちゃんが今まで僕に対して見せたことない表情をする。
僕に、怯えてる。
「…………冗談、ですよね?」
声が震えてた。
きっと怖いんだろう。
僕がそんなことする人間だとは思っていないんだろう。
……でも、お生憎様だ。
自分の服に手をかけ、胸元を露わにして見せた。
白い肌に点々と、無数の鬱血痕。
それが何でつけられた痕かなんて、2人になら分かるだろう。
「真鍋先輩とのこと、思い出しただけでも吐き気がしたのに、彼とは案外平気だったよ」
本当は半べそかいてしまったんだけど、ここは強がる。強がって、2人に笑ってみせた。
瞬間、篤也の拳が飛んできて、僕はその場に倒れ混んだ。
殴られたのは頬だったけど、頭がグワングワンと揺れる感覚がした。
「篤也さんっ」
柚野ちゃんの悲鳴に近い声がする。
顔を上げると、また拳を振り上げた篤也の体に、柚野ちゃんが抱きついて制止した。
「どいてろっ、まことっ」
頭に血が登ってしまっている篤也に、柚野ちゃんが負けじとしがみついて、嫌々と首を振った。
僕はゆっくりと体を起こした。
ポタポタと床に血が落ちる。
それを見つめながら、思い通りの結末だな……と、泣きたくなった。
「先輩……?」
柚野ちゃんの必死の制止に押し負けたのか、拳を下ろした篤也と、篤也越しに、僕の様子を伺う柚野ちゃん。
柚野ちゃんの不安そうな声に顔を上げると、またポタポタと床に雫が落ちる。
真っ赤な血と混じって、透明な雫が幾つも落ちる。
涙だ。
最後まで強がるつもりでいたのに、できなかった。
ゆっくりと立ち上がって、詰めかけていた荷物を鞄に押し込み、玄関へと向かった。
「…………さよなら」
震える唇を噛み締めて、最後にそれだけ言葉にした。
情けない涙声だった。
2人のことは振り返らずに、部屋を出た。
数歩歩いたところで、人影に気づいた。
ただでさえ醜かった顔に、パンチ1発食らって、おまけに涙でぐしゃぐしゃの顔だ。
今更気にしたってしょうがない。
赤の他人に見られるくらいどってことないけど、涙だけは見られたくなくて、俯いて歩いた。
「馬鹿だろ、あんた」
そう聞こえて、たちどまった。
聞き覚えのある声。
顔を上げようとして、そうする前に一方的に引き寄せられて抱きしめられた。
驚いたけど、その抱擁が優しくて、涙が止まらなくなった。
今この瞬間、矢野くんの存在に救われた。
消えたかった。
身体も、心も、醜くて、こんな自分は消してしまいたかった。
こうして捕まえててもらえて、よかった。
自分を傷つける前に……。
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