カルバート

角田智史

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 正造

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 契約を取るのが営業の仕事である、
 古今東西あれども、やはりそれはその通りで否定する事はできない。
 どんな手法であれ、契約を取ってこなければ役立たずのレッテルを貼られる。
 彼が延岡へ僕の後輩としてきた時、今まで誰も取れなかった企業をビギナーズラック的に決めてきた。
 そしてもう一件、他社競合の末、他社の対応が遅く契約に至った物件があった。
 1年間で、その2件である。
 働いてみると、もろもろある。支社長が話を決めてきた物件を彼に成績としてつけたり、僕が見つけてきて渡した物件があったり、そういった事でなんとかごまかし続けてきた。
 そんな中で、支社長も僕も大手企業の相手をして、彼の面倒を見きれていなかった事も否めない。しかしながら彼の成長をはっきりと感じる事なく、時間は過ぎていった。日々の聞き取り、指導としては、営業職としてではなく、人間として成長させたい、その思いの方が強かった。
 例えば
 「机の上を片付けなさい。」
 だとか
 「人の話は最後までちゃんと聞きなさい。」
 だとか、そういった、幼稚なものだった。

 5月から彼がこちらへ来て約1年、いよいよ本体の人間から目を付けられたのだった。
 そして、一向に成長していかない彼の姿を見て、とうとう支社長から課せられたのだった。
 「5月中に契約を取れなければ営業から外す。」と。

 彼は家を建てたばかりだった。こちらへ来たばかりの時は、よく銀行さんや工務店さんとの打ち合わせがある、と言って時間を作っていた。
 彼は4人の子供に恵まれ、4人目は生まれたばかりだった。
 4人目が生まれた時、僕はあるコンビニの駐車場で出産祝いを渡した。嫁さんも一緒にいた。
 後日正造が
 「角田さん、内祝い持ってきましたけど、どうすればいいですか?」
 と聞いてきた。僕は他の仕事に夢中で「ああ…」と生返事で返したが、いや、そんなん自分で考えろよ、と突っ込む事もしんどかった。それ以降、未だに内祝いは僕の手元に届いていない。
 
 僕が一度、MKに連れていって以降、彼はその内1人でも通うようになっていた。ほぼ毎日通っていた時期もあるようだった。

 僕は毎日のように彼に電話を入れていた。それは他愛のない、女の話だとか下らない話をするようにしていた。
 営業に携わる人間が、僕と支社長、そして彼。日々、支社長からの聞き取り、この状況で僕まで彼に追い打ちをかけるような事になれば、精神的にとてもやっていけない、と思っての事だった。

 僕は同僚であって、上司ではなかった。上司であればこうもいかなかったんだろうが、年齢が上の先輩という立ち位置でしかなかった。仕事で彼に聞かれる事があれば真摯に対応してきたつもりではあるが、僕の無駄な電話や、一緒に飲みに出る事は、常に精神と戦っている営業員への息抜きを提供しているつもりだった。
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