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古傷
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雪が降っていた。
予報では雪のマークなど、どの局もつけていなかったことに若干のいら立ちを覚えつつ橋の欄干に身体を預けて足を組む。
反対側を悠々自適(ゆうゆうじてき)に歩く黒猫が雪を踏みしめこちらを一瞥(いちべつ)する。興味がないのか欠伸(あくび)をして何処(どこ)かへと歩いていく。
古ぼけた街燈(がいとう)が最後の力を振り絞るように辺りをぼんやりと照らす。
「ふぅ」とため息をつく。
吐いた息は白くなりすぐに消えた。
夜の街というのはそれだけでどこか人智(じんち)を超えたところへ人を誘(いざな)うような恐怖を帯びている。例えば、今右手にある裏路地へ入った人は二度とここには戻ってこないのではないかというような。
時計に目をやると十一時少し前を示しており約束の時刻まではまだ時間がある。
降る雪が川面(かわも)に届いては消えていく。
老体には厳しい寒さである。
自分の老いを痛感しつつもどこか適当な店へと入ることをしぶしぶ決断した。
まあ、貧民街に近いここでこんな時間まで営業しているのは数が知れている。
そうなると顔馴染みの店に行くしかなくなるわけで約束の時間より早くはなるが店へと向かうことにする。
車の通りがほとんどなくなった道路を渡り貧民街の方面へと川沿いに歩いていく。
昼間歩くと貧民街に住む年端(としは)もいかぬ少年少女が物乞(ものご)いを一日中している。
この時間になるとそんな哀れな子供は家に帰り親に殴られる。そしてここの河原(かわら)で傷を庇(かば)うようにして寒さにその華奢(きゃしゃ)な体を震わせて眠りに落ちる。
薄明りすらない小道に入る。
古ぼけた看板にはかすれた文字で椿小路と書いてあるが未だにここをその名で呼ぶ人間を私は一人しか知らない。
苔(こけ)の生えた道を少し行くと美しい一匹の年老いた猫が足元に身体を擦りつけて挨拶してくる。猫の頭をなでると気持ちよさそうに喉をぐるぐると鳴らし目を細める。猫は大きく体を伸ばすとついて来いというように時折こちらを見ながら椿小路を奥へと進んでいく。
幾(いく)つか階段を上ったところに明かりがあった。
浮雲(うきぐも)と書かれた暖簾(のれん)が入口にかかっている。
引き戸を開けて中に入ると白いエプロンを身に着け、下ろしたら腰まである栗色の髪を深紅のリボンで結(ゆ)わいた女性がカウンターの中から甘い声で挨拶してくる。
「いらっしゃい。こんな時間に顔を出されるのは久しぶりですね。」
店主の間宮だ。年は二十代半ばだったはずだ。最近は自分の年さえ曖昧(あいまい)になっているのだ。人の年など明確に覚えているはずもない。
「そうか、この前も顔を出したと思うんだが…。」
「そうでしたか? そういえば約束の時間までまだありますよ?」
「あぁ。まぁこんな時間だ。もう客も来ないだろう?」
間宮は呆れ交じりの笑みを少し見せてから店の入り口の暖簾を外し中に入れた。
「悪いな。無理を言って。」
「平気ですよ。この時間に来るのは坂咲さんかここいらに住む猫ですから。…すいません。今は三ツ谷さんでしたね。」
気まずそうにこちらの様子をうかがう彼女に問題ないという笑みを返す。
「長くなってすまなかったね。どうにも話す決心がつかなくてね。」
「気にしないでください。こうして今、話していただけていますから。」
そういうと彼女は私が腰掛けているカウンター席にお茶を淹れて運んでくる。
「あと数年で八十五になるね。随分、私も年老いたものだね。」
軽く笑い間宮の方を見る。
「えぇ、祖父母がなくなってからは五十余年です。」
「そうか、もうそんなになるのか。私も年老いて当然だね。それじゃあ、始めようか。」
外の雪は先程より勢いを増していた。
その中を一匹の黒猫が先程私をこの店へと連れてきた猫と連れ立って暗闇に消えていくのを私も間宮も気づかなかった。
予報では雪のマークなど、どの局もつけていなかったことに若干のいら立ちを覚えつつ橋の欄干に身体を預けて足を組む。
反対側を悠々自適(ゆうゆうじてき)に歩く黒猫が雪を踏みしめこちらを一瞥(いちべつ)する。興味がないのか欠伸(あくび)をして何処(どこ)かへと歩いていく。
古ぼけた街燈(がいとう)が最後の力を振り絞るように辺りをぼんやりと照らす。
「ふぅ」とため息をつく。
吐いた息は白くなりすぐに消えた。
夜の街というのはそれだけでどこか人智(じんち)を超えたところへ人を誘(いざな)うような恐怖を帯びている。例えば、今右手にある裏路地へ入った人は二度とここには戻ってこないのではないかというような。
時計に目をやると十一時少し前を示しており約束の時刻まではまだ時間がある。
降る雪が川面(かわも)に届いては消えていく。
老体には厳しい寒さである。
自分の老いを痛感しつつもどこか適当な店へと入ることをしぶしぶ決断した。
まあ、貧民街に近いここでこんな時間まで営業しているのは数が知れている。
そうなると顔馴染みの店に行くしかなくなるわけで約束の時間より早くはなるが店へと向かうことにする。
車の通りがほとんどなくなった道路を渡り貧民街の方面へと川沿いに歩いていく。
昼間歩くと貧民街に住む年端(としは)もいかぬ少年少女が物乞(ものご)いを一日中している。
この時間になるとそんな哀れな子供は家に帰り親に殴られる。そしてここの河原(かわら)で傷を庇(かば)うようにして寒さにその華奢(きゃしゃ)な体を震わせて眠りに落ちる。
薄明りすらない小道に入る。
古ぼけた看板にはかすれた文字で椿小路と書いてあるが未だにここをその名で呼ぶ人間を私は一人しか知らない。
苔(こけ)の生えた道を少し行くと美しい一匹の年老いた猫が足元に身体を擦りつけて挨拶してくる。猫の頭をなでると気持ちよさそうに喉をぐるぐると鳴らし目を細める。猫は大きく体を伸ばすとついて来いというように時折こちらを見ながら椿小路を奥へと進んでいく。
幾(いく)つか階段を上ったところに明かりがあった。
浮雲(うきぐも)と書かれた暖簾(のれん)が入口にかかっている。
引き戸を開けて中に入ると白いエプロンを身に着け、下ろしたら腰まである栗色の髪を深紅のリボンで結(ゆ)わいた女性がカウンターの中から甘い声で挨拶してくる。
「いらっしゃい。こんな時間に顔を出されるのは久しぶりですね。」
店主の間宮だ。年は二十代半ばだったはずだ。最近は自分の年さえ曖昧(あいまい)になっているのだ。人の年など明確に覚えているはずもない。
「そうか、この前も顔を出したと思うんだが…。」
「そうでしたか? そういえば約束の時間までまだありますよ?」
「あぁ。まぁこんな時間だ。もう客も来ないだろう?」
間宮は呆れ交じりの笑みを少し見せてから店の入り口の暖簾を外し中に入れた。
「悪いな。無理を言って。」
「平気ですよ。この時間に来るのは坂咲さんかここいらに住む猫ですから。…すいません。今は三ツ谷さんでしたね。」
気まずそうにこちらの様子をうかがう彼女に問題ないという笑みを返す。
「長くなってすまなかったね。どうにも話す決心がつかなくてね。」
「気にしないでください。こうして今、話していただけていますから。」
そういうと彼女は私が腰掛けているカウンター席にお茶を淹れて運んでくる。
「あと数年で八十五になるね。随分、私も年老いたものだね。」
軽く笑い間宮の方を見る。
「えぇ、祖父母がなくなってからは五十余年です。」
「そうか、もうそんなになるのか。私も年老いて当然だね。それじゃあ、始めようか。」
外の雪は先程より勢いを増していた。
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