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御成街道
雪桜花4
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その日。
12月の第3土曜日。
私は早朝から社長に呼び出された。
いや、正確に言えば前日の晩に、私の家まで迎えに行くよと言われたのだけど。
土曜日で早朝で、ランニングが趣味のお父さんがいつどこを走ってるのか想定出来なかったので、私からお断りして(まだ薄暗い時間帯なのでタクシーで)出社した。
なんだかんだ言っても、まだ高校生の私が大人の男性とお付き合いしている事が父親にバレるのは良ろしくない、程度の判断力は浮かれポンチな私にもある。
あとタクシーって行っても隣の市からだし、せいぜい2,000円程度で済む。
社長のこったから払うとか言い出しかねないので、駅で降りて領収書は貰わなかった。
普段どれだけアルバイト料を貰っているんだって話だし。
………
駅前のセブンイレブンで、朝食となるサンドイッチとコーヒーを購入(社長の好きなドクターペッパーが売ってないので、並びの100円ローソンまで足を運んで一応購入)。
肩掛けカバンより遥かに大きな、お菓子とパンでいっぱいのトートバッグを左手にマンションに向かうと、社長は既にロビーで待っていた。
「おはようございます。」
「おはよう。」
ガッツリとベンチコートを着込んだ社長は手ぶらのまま、私を斜向かいの(100円じゃない)ローソンに連れて行ってくれた。
そこはなんでも、昔農家(農家って言葉が沢山出てくるな)だった人がオーナーをしているとかで、駐車場自体がないコンビニが多いこの辺では例外的に、広い駐車場がある店舗だ。
ウチのものぐさ社長は、その広い駐車場を横切り入店する手間が物欲に負ける人なのと、車通りの多い道路を横断する手間(直ぐ先に信号あるけど)を面倒くさがる人。
だから、私みたいな元気と体力だけはある女子高生が手伝える事があるわけですよ。
別に横断歩道までも、駐車場の奥行きも50メートルってとこだし。
今日は、週末の早朝なので車通りも少なく、そのまま横断することが出来た。
「社長、買い物ならあらかじめ私が一通り済ませてますよ?」
「ん?あぁ、今日は同行者がいるから、そっちで待ってんだよ。」
「同行者?」
ローソンの広い駐車場の1番端っこに、白くて長いワンボックスが止まっていた。
私も知ってる。
ハイエースって奴だ。
4ナンバーだけど、広くて長い。
私達が近寄って行くのを見て、運転席から誰か降りて来た。
って、ほぇぇ。
髪が腰まであって緑色のツナギを着た(そのせいでバストがポヨンポヨンに豊かなのが丸わかりの)女性ですよ。
歳は社長より少し上かな?
いや、お美人さんだけど、ほうれい線が少しだけ浮き始めてるよ。
あと、お肌の張り(だけ)なら私が勝ってる。
「松本と申します。普段は舞台装置の制作や操作をしています。」
「舞台装置?」
はて、舞台?
「今日は1日、先生をお借りしますね。」
「はぁ。」
話が読めないぞ。社長。
「と言うわけで、今日は1日松本さんにかかりっきりになるので、理沙くんを構っている暇がない。」
「私は犬か幼児か?」
チビだって、締切前で殺気立っている時は、ヒロと一緒に部屋の隅っこで大人しく丸まっているんだ。
私も社長も、情に絆されて代わりばんこに時々抱っこしに行くぞ。
実際のところ、取材用のカメラと社長の言動のメモ書きで、社長に甘えてる暇なんかない1日を過ごすんですけどね。
★ ★ ★
ハイエース4WDディーゼル車は独特のエンジン音を立てながら北上する。
ドライバーは松本さん。
助手席に社長。
一応、3人並んで座る事の出来る車だけど、別にそんな窮屈に乗る必要もないので、私1人、後部座席でお座り。わん。
確かに誰にも構って貰えない。
前方の2人は、何やらよくわからない専門的な話に夢中になっているからだ。
更に私の後ろはラゲットルームになっていて、何やらシート(風呂敷)が被されたものが膨らんでいる。
今日はこれを運ぶために、この車が用意されたらしい。
途中、守谷SAを通過する頃に右から朝陽が昇った(のを尻目に、私は大好きなBLTサンドと雪印のコーヒー牛乳で朝ご飯)。
北関東道に入って桜川筑西ICで高速を降りた。
こないだは水戸まで行って、あのお婆ちゃんの言う昔の街道をぐりっちゃら走っていたのと違って、私の知らない高速道路の私の知らないインターチェンジだ。
そして目の前には、直ぐに山がある。
因みに南側も山だ。(地図を見ると、筑波山の山塊の端っこらしい)
南の山は、冬を迎えて緑が消えて黒っぽいけれど、これからハイエースが向かおうとしている山は、白いものが見え隠れしている。
直ぐに道端にも雪が積もり始めた。
空はどんよりと、低く暗い。
これは今日も降るだろう。
「山鳩が白くなると雪」
お婆ちゃんの言葉を思い出すなぁ。
しかし成る程、確かにこれは、この間の狭い街道じゃ例え社長が運転する軽自動車でも走行は無理だ。
でもハイエースは着実に北上して行く。
標高が上がって交通量が減り、除雪が間に合わなくなって来た田舎道をグイグイと進んでいく。
スリップとか、スタックとかする事もなく、インターチェンジから1時間も掛からずに、私達はあの、昔は宿場町だったと言う廃村に辿り着いていた。
最新型スタッドレスタイヤ凄え。
………
「ここだね。」
「うん。少し狭いかなぁ。」
「山の中だからね。林業が盛んだった最盛期でも住民は30戸と、鈴木さんが調べた資料にある。多産だった昔でも子供の数はたかが知れてるさ。」
私達が最終的に辿り着いたのは、朝のローソン駐車場と大差ない広さの空間だった。
積もる雪で、もはやここがなんだったのかはわからない。
でも、私達が立つここには私でもわかる。古い桜の木が雪化粧をして立っている。
この桜の木と、さっきの社長と松本さんの会話で、ここが学校跡である事が推測出来る。
個数30戸か。
多分、小中学校合同の、教室が学年ごとに分かれてすらいない学校だったんだろな。24の瞳みたいな。
あ、私24の瞳って見た事も読んだ事もなかった。
私がほけぇと桜を眺めてる間に、社長と松本さんはハイエースから色々機材を取り出して、セッティングを始めた。
ターフを張り、その下に今時懐かしい円筒形の白い石油ストーブが置かれる。 雪の中に置かれたストーブは、まるで雪だるまみたい。
桜の背後には何やら白い板が立てられ、ただ雪塗れになっているだけの桜の木が、妙に引き立って見える。
その桜の木に、ハイエースがお尻を向けた状態で止まり、後部のハッチが開けられるとほぼ同時に雪が降り出した。
「天気予報にほぼピッタリでしたね。先生。」
「平野と違って山の天気はね、崩れる方には当たり易いものですよ。」
ハッチの下で何やら悪巧みをしている姿を、私はターフの下のストーブに当たりながらデジカムで記録している。
「無駄にならなくて良かったですね。」
「まぁ、無駄になったらなったで、プランBは考えているから。ここで出来なくなるのは残念だけど、無駄なプランにならなくて良かったよ。」
社長は多分、この12月の平日は、この為に動いていたんだろう。
だったら、社長の悪巧みが上手く行くといいな。
準備が一通り終わって、キャンプ用具のコンロでレトルトパックの豚汁を3人で味わっていると、外をマイクロバスが通っていく。
バス?
「来ましたね。」
「雪のコンディションも悪くない。行けるかな。」
「信じましょう。」
信じる?
そのマイクロバスから降りて来たのは、黒地に牡丹のは花が鮮やかな留袖に、クリーム色の羽織を羽織ったお婆ちゃんだった。
滑らない様に、さりげなく鈴木さんがお婆ちゃんの手を握っている。
それはまるで、仲の良い祖母と孫娘の散歩姿。
お婆ちゃんは、私と社長に深々と頭を下げると、松本さんの案内でターフの下、ストーブの脇に立った。
私は場所を鈴木さんに譲って社長の隣に行く。
「寒い中、御足労願いまして、ありがとうございます。」
「いいえ。ここはあったかいですよ。」
ターフはつまりテントの屋根しかない物であるけれど、幸い風が今は止んでいる。
ハイエースの中にはブルーシートが畳まれているので、場合によってはそれを風除けにするつもりだったのかな?
「ほんの3分間だけですが、私からのプレゼントです。お受け取り下さい。」
社長はお婆ちゃんに軽く会釈をすると、松本さんに合図を出した。
途端に、付近に歌声が流れ出す。
それは、中年の男女が歌う「校歌」だった。
更に降る雪を、ハイエースに積まれた照明が照らす。
昼間の露天の照明にどんな効果があるのか。
雪がピンクに見える。
桜の木の後ろに置かれた板の前だけね。
やがてその板には、数枚の写真が投影された。
その光景を私は知らない。
でも、私は知っている。
ここにあった木造平家建ての学校だ。
枡酒を持った見知らぬお爺ちゃんが笑うのは、あの崩壊する前の酒屋の店先だ。
あの細い、かつての街道の両側に少しだけ並ぶ建物。
うん、私の浅薄な知識でも、白い滲んだ白黒写真の建物が、古い旅館な事はわかる。
そして、埋もれかけた線路が敷かれた舗装すらされていない山道で、校歌とスライドショーは終わった。
懐かしい風景と、懐かしい歌声を聞いたお婆ちゃんはニコニコ微笑みながら何度も頭を下げて、むしろ号泣して足元が怪しい鈴木さんを気遣いながら、2人はマイクロバスに戻って行った。
「あれ、運転出来るかしら。」
「ん?運転手がいるから大丈夫だよ。」
半ば呆れ顔の松本さんの疑問に応えながら、社長は後片付けを始めた。
慌てて私達も、取り敢えずストーブの火を消す。
「この為に今月走り回っていたんですか?社長?」
「実際に動いていたのは鈴木さんだよ。僕はそれを取りまとめていただけ。」
「でもアレですよ。」
頭に雪を被ってターフを畳みながら松本さんは、社長にも呆れている様だ。
「割と雪が桜に見えましたね。」
「それこそ松本さんの舞台装置の力ですよ。このロケーション、この天気どれか一つでも欠けたら、ただの子供騙しです。」
「失敗しそうだったら、式典会場の公民館で最初からチャレンジしてますよ。それがプランBでした。」
12月の第3土曜日。
私は早朝から社長に呼び出された。
いや、正確に言えば前日の晩に、私の家まで迎えに行くよと言われたのだけど。
土曜日で早朝で、ランニングが趣味のお父さんがいつどこを走ってるのか想定出来なかったので、私からお断りして(まだ薄暗い時間帯なのでタクシーで)出社した。
なんだかんだ言っても、まだ高校生の私が大人の男性とお付き合いしている事が父親にバレるのは良ろしくない、程度の判断力は浮かれポンチな私にもある。
あとタクシーって行っても隣の市からだし、せいぜい2,000円程度で済む。
社長のこったから払うとか言い出しかねないので、駅で降りて領収書は貰わなかった。
普段どれだけアルバイト料を貰っているんだって話だし。
………
駅前のセブンイレブンで、朝食となるサンドイッチとコーヒーを購入(社長の好きなドクターペッパーが売ってないので、並びの100円ローソンまで足を運んで一応購入)。
肩掛けカバンより遥かに大きな、お菓子とパンでいっぱいのトートバッグを左手にマンションに向かうと、社長は既にロビーで待っていた。
「おはようございます。」
「おはよう。」
ガッツリとベンチコートを着込んだ社長は手ぶらのまま、私を斜向かいの(100円じゃない)ローソンに連れて行ってくれた。
そこはなんでも、昔農家(農家って言葉が沢山出てくるな)だった人がオーナーをしているとかで、駐車場自体がないコンビニが多いこの辺では例外的に、広い駐車場がある店舗だ。
ウチのものぐさ社長は、その広い駐車場を横切り入店する手間が物欲に負ける人なのと、車通りの多い道路を横断する手間(直ぐ先に信号あるけど)を面倒くさがる人。
だから、私みたいな元気と体力だけはある女子高生が手伝える事があるわけですよ。
別に横断歩道までも、駐車場の奥行きも50メートルってとこだし。
今日は、週末の早朝なので車通りも少なく、そのまま横断することが出来た。
「社長、買い物ならあらかじめ私が一通り済ませてますよ?」
「ん?あぁ、今日は同行者がいるから、そっちで待ってんだよ。」
「同行者?」
ローソンの広い駐車場の1番端っこに、白くて長いワンボックスが止まっていた。
私も知ってる。
ハイエースって奴だ。
4ナンバーだけど、広くて長い。
私達が近寄って行くのを見て、運転席から誰か降りて来た。
って、ほぇぇ。
髪が腰まであって緑色のツナギを着た(そのせいでバストがポヨンポヨンに豊かなのが丸わかりの)女性ですよ。
歳は社長より少し上かな?
いや、お美人さんだけど、ほうれい線が少しだけ浮き始めてるよ。
あと、お肌の張り(だけ)なら私が勝ってる。
「松本と申します。普段は舞台装置の制作や操作をしています。」
「舞台装置?」
はて、舞台?
「今日は1日、先生をお借りしますね。」
「はぁ。」
話が読めないぞ。社長。
「と言うわけで、今日は1日松本さんにかかりっきりになるので、理沙くんを構っている暇がない。」
「私は犬か幼児か?」
チビだって、締切前で殺気立っている時は、ヒロと一緒に部屋の隅っこで大人しく丸まっているんだ。
私も社長も、情に絆されて代わりばんこに時々抱っこしに行くぞ。
実際のところ、取材用のカメラと社長の言動のメモ書きで、社長に甘えてる暇なんかない1日を過ごすんですけどね。
★ ★ ★
ハイエース4WDディーゼル車は独特のエンジン音を立てながら北上する。
ドライバーは松本さん。
助手席に社長。
一応、3人並んで座る事の出来る車だけど、別にそんな窮屈に乗る必要もないので、私1人、後部座席でお座り。わん。
確かに誰にも構って貰えない。
前方の2人は、何やらよくわからない専門的な話に夢中になっているからだ。
更に私の後ろはラゲットルームになっていて、何やらシート(風呂敷)が被されたものが膨らんでいる。
今日はこれを運ぶために、この車が用意されたらしい。
途中、守谷SAを通過する頃に右から朝陽が昇った(のを尻目に、私は大好きなBLTサンドと雪印のコーヒー牛乳で朝ご飯)。
北関東道に入って桜川筑西ICで高速を降りた。
こないだは水戸まで行って、あのお婆ちゃんの言う昔の街道をぐりっちゃら走っていたのと違って、私の知らない高速道路の私の知らないインターチェンジだ。
そして目の前には、直ぐに山がある。
因みに南側も山だ。(地図を見ると、筑波山の山塊の端っこらしい)
南の山は、冬を迎えて緑が消えて黒っぽいけれど、これからハイエースが向かおうとしている山は、白いものが見え隠れしている。
直ぐに道端にも雪が積もり始めた。
空はどんよりと、低く暗い。
これは今日も降るだろう。
「山鳩が白くなると雪」
お婆ちゃんの言葉を思い出すなぁ。
しかし成る程、確かにこれは、この間の狭い街道じゃ例え社長が運転する軽自動車でも走行は無理だ。
でもハイエースは着実に北上して行く。
標高が上がって交通量が減り、除雪が間に合わなくなって来た田舎道をグイグイと進んでいく。
スリップとか、スタックとかする事もなく、インターチェンジから1時間も掛からずに、私達はあの、昔は宿場町だったと言う廃村に辿り着いていた。
最新型スタッドレスタイヤ凄え。
………
「ここだね。」
「うん。少し狭いかなぁ。」
「山の中だからね。林業が盛んだった最盛期でも住民は30戸と、鈴木さんが調べた資料にある。多産だった昔でも子供の数はたかが知れてるさ。」
私達が最終的に辿り着いたのは、朝のローソン駐車場と大差ない広さの空間だった。
積もる雪で、もはやここがなんだったのかはわからない。
でも、私達が立つここには私でもわかる。古い桜の木が雪化粧をして立っている。
この桜の木と、さっきの社長と松本さんの会話で、ここが学校跡である事が推測出来る。
個数30戸か。
多分、小中学校合同の、教室が学年ごとに分かれてすらいない学校だったんだろな。24の瞳みたいな。
あ、私24の瞳って見た事も読んだ事もなかった。
私がほけぇと桜を眺めてる間に、社長と松本さんはハイエースから色々機材を取り出して、セッティングを始めた。
ターフを張り、その下に今時懐かしい円筒形の白い石油ストーブが置かれる。 雪の中に置かれたストーブは、まるで雪だるまみたい。
桜の背後には何やら白い板が立てられ、ただ雪塗れになっているだけの桜の木が、妙に引き立って見える。
その桜の木に、ハイエースがお尻を向けた状態で止まり、後部のハッチが開けられるとほぼ同時に雪が降り出した。
「天気予報にほぼピッタリでしたね。先生。」
「平野と違って山の天気はね、崩れる方には当たり易いものですよ。」
ハッチの下で何やら悪巧みをしている姿を、私はターフの下のストーブに当たりながらデジカムで記録している。
「無駄にならなくて良かったですね。」
「まぁ、無駄になったらなったで、プランBは考えているから。ここで出来なくなるのは残念だけど、無駄なプランにならなくて良かったよ。」
社長は多分、この12月の平日は、この為に動いていたんだろう。
だったら、社長の悪巧みが上手く行くといいな。
準備が一通り終わって、キャンプ用具のコンロでレトルトパックの豚汁を3人で味わっていると、外をマイクロバスが通っていく。
バス?
「来ましたね。」
「雪のコンディションも悪くない。行けるかな。」
「信じましょう。」
信じる?
そのマイクロバスから降りて来たのは、黒地に牡丹のは花が鮮やかな留袖に、クリーム色の羽織を羽織ったお婆ちゃんだった。
滑らない様に、さりげなく鈴木さんがお婆ちゃんの手を握っている。
それはまるで、仲の良い祖母と孫娘の散歩姿。
お婆ちゃんは、私と社長に深々と頭を下げると、松本さんの案内でターフの下、ストーブの脇に立った。
私は場所を鈴木さんに譲って社長の隣に行く。
「寒い中、御足労願いまして、ありがとうございます。」
「いいえ。ここはあったかいですよ。」
ターフはつまりテントの屋根しかない物であるけれど、幸い風が今は止んでいる。
ハイエースの中にはブルーシートが畳まれているので、場合によってはそれを風除けにするつもりだったのかな?
「ほんの3分間だけですが、私からのプレゼントです。お受け取り下さい。」
社長はお婆ちゃんに軽く会釈をすると、松本さんに合図を出した。
途端に、付近に歌声が流れ出す。
それは、中年の男女が歌う「校歌」だった。
更に降る雪を、ハイエースに積まれた照明が照らす。
昼間の露天の照明にどんな効果があるのか。
雪がピンクに見える。
桜の木の後ろに置かれた板の前だけね。
やがてその板には、数枚の写真が投影された。
その光景を私は知らない。
でも、私は知っている。
ここにあった木造平家建ての学校だ。
枡酒を持った見知らぬお爺ちゃんが笑うのは、あの崩壊する前の酒屋の店先だ。
あの細い、かつての街道の両側に少しだけ並ぶ建物。
うん、私の浅薄な知識でも、白い滲んだ白黒写真の建物が、古い旅館な事はわかる。
そして、埋もれかけた線路が敷かれた舗装すらされていない山道で、校歌とスライドショーは終わった。
懐かしい風景と、懐かしい歌声を聞いたお婆ちゃんはニコニコ微笑みながら何度も頭を下げて、むしろ号泣して足元が怪しい鈴木さんを気遣いながら、2人はマイクロバスに戻って行った。
「あれ、運転出来るかしら。」
「ん?運転手がいるから大丈夫だよ。」
半ば呆れ顔の松本さんの疑問に応えながら、社長は後片付けを始めた。
慌てて私達も、取り敢えずストーブの火を消す。
「この為に今月走り回っていたんですか?社長?」
「実際に動いていたのは鈴木さんだよ。僕はそれを取りまとめていただけ。」
「でもアレですよ。」
頭に雪を被ってターフを畳みながら松本さんは、社長にも呆れている様だ。
「割と雪が桜に見えましたね。」
「それこそ松本さんの舞台装置の力ですよ。このロケーション、この天気どれか一つでも欠けたら、ただの子供騙しです。」
「失敗しそうだったら、式典会場の公民館で最初からチャレンジしてますよ。それがプランBでした。」
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