カミサマ奇譚

森塚零

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序章~出会い~

空色のもの

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「おら、ちゃんと立てよ!!」

バキッと音がする。あぁまた殴られたのだろう。少女は冷静に考える。

「ははっ、ザマァみろ。食事が貰えるだけ感謝しろよ、『忌ミ子』」

「……」

男が少女の体を持ち上げ、無理やり口に袋の中のものを流し込む。白い液体のそれはまさに家畜の餌だった。流し込まれてはたまったものではなく、少女は飲みきれずにボトボトと落としていく。

「チッ、汚ねぇんだよ!!」

パァン!!!

また音がする。少女の格好は酷いものだった。服はボロボロの血塗れ。顔は真っ赤に腫れ上がり、腕や足は切り傷、打撲痕ばかり。少女は床に身を投げ出したまま。少女にとっては当たり前のことだった。痛みには慣れた。もう何も感じないのだ。息をするのと同じように、当たり前に少女は傷つけられる。

「テメェ、なんで文句の一つも言わねぇんだ?俺のダチも言ってたぜ?『忌ミ子』は喋らない、動かない。まるで人形だってな。」

少女は何も答えない。男達が何を語りかけても少女はいつも何も言わないのだ。
男は少女が何も答えないことに怒りを表した。問答無用で少女を殴り続ける。
夕暮れに男達は帰っていった。必ず男達は夕暮れ時に帰っていく。そういうものだと、少女は納得している。
夕暮れ時はいつも静かだ。男達もいないそこは、とても、とても静かだ。

「こんにちは、昨日ぶりだね」

カシャンという音とともに声が聞こえた。顔をあげれば、そこには
朗らかに笑う少年がいた


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「ユン!図書館寄ってかねぇか?」

授業が終わり、放課後のことだった。珍しくレンが図書館に行こうと言い出したのだ。理由を聞けば来週までに提出の課題の調べ物をしたいだとか。

「あーごめんね、レン。僕ちょっと行かないといけない所があって…」

ユンにしては歯切れの悪い回答にレンは首を傾げるが、すぐにいつもの笑顔に戻り「まだ1週間あるしまた付き合ってくれよ!」と言い残し走り去っていった。
レンはいつも笑っている活発なクラスのムードメーカー的存在だ。ユンのことを対等に扱う家族以外の唯一の存在。ユンはレンのことを親友だと思っているし、その逆も然り。だが今日は、そんなレンの誘いを断っても行かないといけない所があるのだ。
昨日の少女の元へ行くのだ。昨日ユンは少女にまた来ると約束を交わした。ユンは小さな手提げ鞄をぶら下げて草むらをかき分けていく。抜け出た先は綺麗な草原。1本だけ生えているミヤザクラ。その根本にあの鉄格子が……
ユンが近づこうとしたその瞬間、ギィっと音を立てて鉄格子が上へ開いたのだ。

「っ!」

ユンは咄嗟にミヤザクラの木に身を隠した。

(…あれ…僕、何で今隠れたんだろう)

隠れてからハッとするが鉄格子の下から出てきた人間に気を取られ、思考は遮られてしまった。

「はぁ~!やっぱすっきりすんなぁ!」

伸びをしながら若い男が出てきた。

「そうだな、だが明日は別の班だろう」

顔の汗をハンカチで拭く中肉中背の男。

「残念ですね、変わってくれないかなぁ」

エプロンをした茶髪の男

「やっぱ殴るなら人形じゃなくて生身の人間だよなぁ」

あははと笑いながら中肉中背の男が言う。

「違いますよ!人間の形したバケモノでしょう?」

茶髪の男がそう言った。

「ははっ!そうだったなぁ!」

3人の男達はガハハと笑いながらユンが来た道を戻っていった。

「…え?」

ユンは呆然とそこに立っていた。なぜなら、その3人は

村人だ。

ユンの住む村の人間だ。
若い男は村で牛を育てる優しい青年。
中肉中背の男は子供達によく人形芝居を見せている面白く楽しいおじさん。
茶髪の男は美味しいパンをいつも分けてくれるパン屋さん。
言っていることはよく分からなかったが、ユンはあんな顔をした彼らを初めて見た。

あんな、歪んだ笑顔の3人を。

ユンはミヤザクラから離れて鉄格子を覗き込んだ。なかには倒れているあの少女がいた。その体は昨日よりも傷だらけだった。

「こんにちは、昨日ぶりだね」

声をかければ少女が倒れたままユンをちらりと見る。やはりその瞳はとても美しかった。

「…何、してるの」

「君に会いに来たんだよ。約束したじゃないか」

ユンは笑いながら少女に語り掛ける。少女はむくりと起き上がりユンと視線を交わす。

「…ほんとだったんだ」

「約束は守るよ?」

ユンはあっと何かを思い出したように持っていた鞄を掲げた。

「お弁当を持ってきたんだ。一緒に食べよう?」

「…オベントウ?」

「うん、サンドイッチを持ってきたんだ」

ユンはにこっと笑う。だが少女は顔を顰めた。

「無理だよ。私は外には出られない。どうやって一緒に食べるの?それに食事ならさっき摂ったよ。」

少女はため息をつく。壁にもたれかかりユンの答えを待つ。
対してユンはキョトンと少女を見つめていた。そして鉄格子に手をかけると、グッと上へ引っ張った。

ギィイッ

「…!」

鉄格子はいとも簡単に音を立てて開いたのだ。ユンは鉄格子を完全に開くと少女に向かって手を伸ばす。

「さぁ、おいでよ!」

少女は無意識のうちに手を伸ばしていた。鉄格子に向かう小さな階段を上り、ユンの手を取った。


ヒュウウウウウ…


顔を出した瞬間にぶわりと風が吹いた。少女はぐっと目を瞑る。その隙にユンが少女の体を引き上げる。

「あっ」

少女はユンにもたれ掛かる形になってしまった。
少女が再び目を開けるとそこには

「……っ!」

サアアとミヤザクラの葉が揺れる。鉄格子からいつも見ていた青い空がそこにはあった。少しオレンジがかかっているがそれがまたとても良かったのだ。下を見れば緑色の草。裸足の少女には草がとてもくすぐったかったが、不快感としてそれが現れることはなかった。

「…すごい」

少女は目を輝かせながら言った。言った、というよりは、無意識のうちに呟いたという方が正しいだろうか。

「とりあえず、サンドイッチ食べないかい?」

ユンが少女をミヤザクラの下に連れていく。根の部分に腰を下ろすとユンは鞄から弁当箱を取り出した。中にはトマトとツナのサンドイッチとマッシュポテトが入っている。そして水筒の中には野菜とベーコンのコンソメスープが入っている。まだ温かい。先生が気を利かせて職員室で温めてくれたのだ。

「はいどうぞ!」

「…これ、は?」

「トマトとツナのサンドイッチと、マッシュポテトとコンソメスープだよ!」

少女はよく分からないようで首を傾げていた。ユンはコップにコンソメスープを入れるとはい、と少女に渡した。

「飲んでみてよ、家のメイドのスープは絶品なんだ」

少女がユンからコップを受け取り、一口飲んでみる。

「…おい、しい……!」

少女はふわりと笑った。ユンはスプーンも渡し、少女に使い方を教える。少女はベーコンや野菜をスプーンですくって口に入れる。旨みが凝縮されていてとても美味しい。少女は一気にコンソメスープを飲み干してしまった。
サンドイッチもマッシュポテトも、少女は目を輝かせながら完食していった。

「美味しかった…とても、お腹が重い」

少女はお腹を擦りながら幸せそうな顔をした。ユンはふふっと笑って言った。

「また持ってくるよ!毎日この時間に、君の元へ行こう。約束だ!」

「…うん、やくそく」

少女もふわりと笑ってユンと小指を絡める。さて、とユンは立ち上がり少女も一緒に立たせる。ユンは少女を鉄格子のなかに入れた。

「僕はもう帰るけど、君はここにいないといけない…のかな?」

「…うん」

「じゃあバレないようにしないとね!鉄格子は元々鍵はかかってなかったから。外に出たいと思ったら外に出るといいよ。でも朝までには戻るんだよ」

少女はこくこくとユンの言うことに相槌を打つ。

「今夜は月が綺麗なんだ。見に出るといいよ、じゃあ、また明日」

ユンはそう言うとカシャンと鉄格子を閉めて去っていった。

「…美味しかった、なぁ」

「何がだい?」

独り言だった。今日を振り返って出た、小さな呟き。驚いて見てみると隣には『あの子』が立っていた。

「あ……」

「久しぶりだね、ロキ」

「うん、とっても久しぶりだね。」

「何が美味しかったんだい?」

「うん、あのね…」


『じゃあバレないようにしないとね!』





「あ、えっと、いつも、より、ご飯が美味しかった、気がするなぁって…」



「ふーん…そっかぁ、よかったねぇ、ロキ」

「…ねぇ」

「ん?なんだい?」

「あの、『ろき』って何?」

「え?」

「あの、いつも、あなたは『ろき』って言うから…」

「…君に相応しい呼び名だよ」

「…名前?」

「それでもいいんじゃないの?君には名前なんて無いんだし」

「……うん」

「じゃあね、ロキ。」

「もう、行くの?」

「まあ、僕も忙しいからね」

「…また、来てね」

「ふふ、今度は君から来るんだよ」

「え?」

「いや何でもない、じゃあね」

「あっ……」


あの子は消えてしまった。
いつもそうだった。いつも来たと思えば一瞬で消えてしまう。あの子はいつも夜に現れる。アイツらがいなくなって暫くしてから来るのだ。私に言葉を教えてくれたのもあの子だ。お陰でアイツらの言っていることも、ユンの言葉も理解出来た。オベントウは分からなかったけど。

私は立ち上がり鉄の棒に力を込めて上に押し上げる。ギィィと嫌な音を立ててそれは開いた。ユンが言っていた。今日はツキが綺麗だと。ツキは、多分空が真っ黒な時しか出てこない変な形の白いものだ。そこだけぽっかり穴が空いているようで変な感じがした。でも、形はいつも違った。歪な丸や、端がとんがっている細長いもの。私は外に出て緑色のクサを踏みしめる。顔をあげてみた。
蒼く丸い穴があった。
蒼く、というか、青みがかった白っぽい穴だ。周りの景色をぼんやりと照らし出している。これがツキなのだろうか。あの穴の奥には何があるんだろう。どうして形が違うのだろう。
どうしてこんなに美しいんだろう。
今ここに答えてくれる人はいない。
あぁでも、

「明日、ユンに聞けば、いいね」

私はずっとそこに立っていた。



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「えぇと、木、木の図鑑は、っと……」

その頃ユンは家の書庫で本を探していた。学校の宿題に木についてのレポートをまとめてくるものがあったのだ。書庫にはたくさんの資料があるので、ユンはそこで木についての資料を探すことにしたのだ。だが一口に木と言っても色々な図鑑や資料があった。『果物のなる木大辞典』、『神木の全て』、『桜の世界』……とりあえずユンは全て持っていくことにした。だが、普通の樹木の本も欲しい。ユンは目当ての本を一番上の段に見つけた。一番上の段はユンの身長だと、脚立を使っても手をギリギリまで伸ばさなくては取れないのだ。

「よぃ、しょっと…」

目当ての本の背表紙に触れ、指先に力を込め引いた瞬間。棚にはギュウギュウに本が詰まっていたらしく、他の本も一緒にバサバサと落ちていった。

「えっ、わわっ!」

樹木の本は胸に抱えるも、それ以外の本は床に落ちていく。高さは10mほどで、ハードカバーの本ばかりなのでドサドサと大きな音がする。
いけないいけない、アーリアが心配して来てしまう。
そんなことを思っていると、落ちた本の1冊が脚立の足にぶつかる。脚立は軽く斜めに傾いた。だがユンは今両手に本を持っている状態のため、体勢を立て直すことが出来なかった。

「うわっ!」

ユンは脚立から足を滑らせ、落ちてしまった。ダァアン!!と大きな音がした。

「つぅ…」

背中や腕、全身がヒリヒリズキズキと痛み出す。起き上がろうとも思ったが痛みが酷く、背中も強く打ち付けたため息がままならない。
横たわっているとバン!と扉が開き、何人かのメイドと執事が入ってきた。

「ユン様!?、ユン様!どうされましたか!?」

「あ、はは、ごめんね、ちょ、っと、落ち、ちゃった、んだ…」

息が詰まって上手く話せない。喉がくっと閉まる気がした。

「ユン様!誰か救護班を!」

「ユン様、お身体のどこが苦しいでしょうか?、どこに痛みを感じますか?」

「あ、うん……………あ?」

ユンは自分を抱き起こす執事に自身の状況を説明しようとした。
だが、痛みが無くなってしまったのだ。
さっきまで息が詰まるほどの激痛と衝撃があったのに。それが無かったことのように痛くなくなったのだ。

「…?」

なんでだろう。でも、苦しくないのは嬉しいな。ユンが右手をグーパーとしていると、執事が心配そうに

「ユン様…もしや、苦しくてお声が…?」

ユンはその声にハッとして慌てて訂正する。

「あ、いや、違うよ、大丈夫。なんか、痛みが引いてきたっていうか…」

「本当ですか?それはよかった…ですが、一応念のため、明日救護班に看て頂きましょう。」

「あぁ、そうするよ、ありがとう」

ユンは自分で起き上がり、資料を持って自室に戻った。


机に座ったユンはさてと、と本を開く。

「あれ?」

本を開いたページには木についての文や写真……などは無く、何かの物語のようだった。真ん中より少し前から開いてしまったため、話が途中からだが物語だとわかった。

【真実を知った少年は、業火と共に全てを薙ぎ払いました。『やめて!お願い!』少女がいくら叫んでも、呼んでも、少年の瞳が彼女を捉えることは、もうありませんでした。少年は剣で少女を斬り殺してしまいました。少女がその場に倒れ、その瞬間、当たりに立ち込めていた煙が晴れました。そして────】

「ダメだなぁ、勝手に持ち出しちゃぁ」

驚いて後ろを振り返ると、扉の前に少女が立っていた。同い年くらいの少女だ。その少女は変わった容姿をしていた。
青いサファイアのような長い髪に、金色の猫のような瞳。不思議な少女だ。ユンが少女に見蕩れていると、少女はユンに近寄ってきた。

「あぁ、自己紹介がまだだったね。ボクはこの屋敷のメイドの面接に来たんだ。」

「へぇ、名前は?」

「…名前?んー、じゃあ……


カミサマ」


「え?」

「ボクの名前はカミサマ。よろしくね、ユン」

カミサマと名乗る少女はユンに手を差し出してくる。ユンは彼女の手を取り

「よろしくね、カミサマ」

と笑った。
少女────カミサマはキョトンとして笑い出した。

「あははっ、やっぱり君は馬鹿正直だねぇ」

「え?何言ってるんだい?」

「いーや、なんでもないよ。じゃあボクはこれで。じゃぁね、ユン」

手を振ったカミサマは、ユンが瞬きした一瞬のうちに消えてしまった。ハッとして机を見てみると、あの物語の本は消えてしまっていて、代わりに樹木の本が置いてあった。もしかしたらあの娘はこれを届けに来てくれたのかもしれない。

「明日お礼を言わないとな…」

ユンはペンを走らせ、宿題を片付け始めた。



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「やっぱり持ち出してたんだね…まあ、あんまり読んでないみたいだし、大丈夫かな?」

シリウス邸の屋根の上に、分厚い本を開き、パンを頬張る人影が見えた。

「てことは、ここ、かな」

少女は親指をペロリと舐めると、夜の闇に消えていった。

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