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2章 ふたりの生活

新しい薬師

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「ただいま帰ったわ」

浮足立ったメルルーシェが家の扉を開きながら声をかけると、部屋からラミスカが顔を出した。

「おかえり」

子ども特有の甲高い声から少し落ち着いた声になったラミスカは、鶏のルーを脇に抱えたまま居間に出てきた。

「あら、ルーもいたのね」

気持ちよさそうに喉を伸ばして撫でられている鶏、ルーは1年前から庭で飼っていて、ラミスカがそう名付けた。

ルーを庭に出して戻ってきたラミスカが、笑顔のメルルーシェを不思議そうに見上げる。

「メルルーシェ、嬉しそう」

ラミスカはメルルーシェのことを母とは呼ばない。メルルーシェもそれを受け入れている。ずっと口数の増えたラミスカは、不愛想な口調や無機質な表情は変わらなくても、とても感情が豊かになったとメルルーシェは思っている。

「そうなの、わかる?
今日はあなたに贈り物があるのよ」

メルルーシェは箱を取り出すとラミスカの前に置いた。

「少し遅れてしまったけれど、6歳になった贈り物よ」

ラミスカはじっと箱を見つめている。

「でも本を貰った」

「贈り物はひとつなんて決まりはないのよ」

メルルーシェは笑いながらラミスカの頬に手を伸ばして撫でる。

「さぁ開けてみて」

ラミスカはゆっくりと箱に触れると、ぎこちなく破った。

透き通った鉱石を針金細工で包み込んだ首飾りが露わになると、ラミスカはしばらくそれを眺めていた。

革ひもを鷲掴んでメルルーシェを見上げる。

「これはどうするもの?」

メルルーシェが飾り物を身に着けることはなかったので、ラミスカは首飾りを見たことがなかった。ラミスカから首飾りを受け取ると、まず自分の首に付けて見せる。

「こんな風に身に着けるの」

メルルーシェの胸元で光る透明な鉱石を見つめる。

「前に一緒に読んだ“ロゼッタ恋物語”を覚えてる?」

「うん」

「リオベルトが“いつも君の側にいると誓う”と言ってロゼッタに首飾りの贈り物をしたでしょう?
リオベルトがロゼッタに贈った首飾りというのがこういうものよ」

ラミスカが納得したように頷いた。

メルルーシェは自分の首から外した首飾りをラミスカにかける。鎖骨辺りに石がかかるように長さを調節してあげる。ラミスカの胸元で揺れる上品な印象の鉱石を見てメルルーシェが微笑む。

「とっても良く似合うわラミスカ」

心なしかラミスカの口元が緩んでいる。

「鉱石をアルスベル様が加工してくれたの。
これはね、魔力の暴走を抑えてくれるお守りよ」

スファラ鉱石は過剰に溢れた魔力を吸い取る性質を持つ。
南では簡単に手に入るものだったのに、こちらには流通していないもので手に入れるのに少し時間がかかった。

ラミスカが魔力の暴走を起こしたのは1年前だ。
魔力が発現した子どもは決まって最初はただ魔力を含んだ靄が発生して、それが自分の持つ属性へと変化していく。
ラミスカは炎の魔力を身に宿しているようで、彼が酷い火傷を負っていたこともそれに関係しているのだろうーーーとメルルーシェは考えていた。

炎の魔力は他の魔力に比べても危険が多い。ラミスカ自身が火傷を負ったりすることがないように、メルルーシェはスファラ鉱石を用意したのだった。

「メルルーシェは?」

何について聞いているのか分からず首を傾げると、ラミスカが小さく「誕生日」と呟いた。

「私の誕生日?ノレスノリアの節よ」

ラミスカが初めて他人の誕生日に興味を持ったことに内心驚きつつ答える。

「ノレスノリアは雪解けの神」

「そうよ、良く覚えてるわねラミスカ」

ラミスカは記憶力が良い子どもだった。神の名や薬草の名前、メルルーシェが教えることを驚くほどすぐに覚えるのだ。

「あなたはイシュテンの節ね」

イシュテンは木々の色を染める彩色の神だ。
気まぐれでものの色を変えてしまう彼の神の話をしながらふたりで夕食の準備をした。


「明日から少し帰るのが遅くなりそうなの。
ユン様の具合が悪くて、しばらくは新しい薬師の方が来て忙しくなるわ」

「ユンリーは悪い?」

初めてラミスカの口から出たユンリーの呼称が“ババア”だったときは心底肝を冷やした。
一体どこでそんな呼称を覚えたのか、ユンリーからは“私のいないときにはそう呼んでるんだろう”と散々嫌味を言われ、メルルーシェは頭を悩ませたものだった。

その呼称に含まれる人を蔑む意味を伝えると、ラミスカは納得してその言葉を使わなくなった。

「良くはないけれど、大丈夫よ。
あなたが心配していたと伝えるわ」


翌日、ラミスカを連れて仕事に向かうメルルーシェは、町が少し騒がしい気配に包まれていることに気付いた。ラミスカは特に気付いていない様子で、ぼーっと何処かを見つめている。

「ランスさん、おはようございます。
今日はどうかしたんですか?何か騒がしいですね」

いつも通り過ぎる木材所の前で、向こうの集まりを眺めながら問いかけると、ランスは顔をしかめて呟いた。

「やぁ、メルルーシェちゃん。ラミスカも。最近首都から兵団が来たじゃないか。
それがどうも昨晩、酒場で兵士が騒ぎを起こしたらしくてな」

最近首都から兵団がやってきたのはメルルーシェも知っていた。
北の大関所に近いモハナに兵団が駐屯しているらしいが、少数はこのエッダリーの東宿屋に留まっている、と噂になっていた。

「あら、そんなことがあったんですね。
怪我人が出たかご存じですか?」

誰か怪我人が出ていればユンリーの薬屋を頼ってくるしかないはずだ。急いで薬屋を開けなければならないかもしれない、と尋ねる。

「いんや、流血沙汰にはならなかったらしい。酒場のテネットがえらい怒って…」

饒舌なランスと軽く談笑すると、足早に薬屋に向かった。


戦争が終わっても、西側では争いが絶えない。捕虜となったダテナン人の反乱やロズネル公国からの領土侵犯で小規模な争いがずっと続いているのだ。

ベルへザード兵の多くは戦後も西側に駆り出されているはずなのに、ここ最近エッダリーを含む北側に軍の影がちらつき始めた。ラミスカのことを見つめながら顔を曇らせるメルルーシェだった。

(ラミスカと接触させることは避けたいわ。)

薬屋の開店準備をラミスカに手伝ってもらっていると、少し歳を重ねた風貌の婦人が入ってきた。

「どうも初めまして。
スーミェ・エルオンです」

新しく入る予定の薬師の名を名乗った女性に笑顔を向ける。

「メルルーシェと申します。神官だったので姓はありません。
こちらが息子のラミスカです。どうも良くいらっしゃいました」

メルルーシェとラミスカの姿に少し戸惑った様子のスーミェは、愛想笑いを浮かべてお辞儀する。

「年老いたユンリーという方が店主だと伺っていたので、少し驚きました」

ユンリーからは彼女を雇うかどうかを任されている。
そもそも体調を崩しがちな自分に変わって、メルルーシェの負担が減るようにとユンリーが用意してくれた話なので、ラミスカの肌の色を見て態度を変えたりするようであれば容赦なく追い出せと言われていた。

スーミェに薬屋の主であるユンリーは体調が優れず、自分と共に働くことが主になる等の事情、条件や手当のことを説明すると、スーミェはほっとしたように息をついた。

「なるほど、分かりました。私で良ければ働かせてください」

その日はスーミェには帰ってもらい、店を閉まった後にすぐ近くにあるユンリーの自宅を訪ねて、職歴についての紙を渡して彼女から受けた印象を報告する。

「まぁあんたが良いならいいんじゃないの。好きにしな」

少し痩せたユンリーは、椅子に腰かけたままメルルーシェを見上げていたが、メルルーシェの隣にくっついているラミスカにからかうように声をかける。

「それよりラミスカ、あんた見ない内に少しは男前になったじゃないか」

黙ったまま自分を見つめるラミスカにユンリーが肩を竦めた。メルルーシェはユンリーを寝台へと連れていくと、声をかけてみる。

「ユン様。少し時間を頂ければ癒しをかけたいのですが」

「やめとくれ」

メルルーシェは毎回体調を崩したユンリーに癒しを申し出るのだが、返事は決まって拒否だった。

「気が向いたら言ってくださいね」

「さっさと帰んな」

ユンリーはラミスカの髪を乱暴に撫でつけると、ふたりを追い払うようにそう告げた。


帰り道、メルルーシェが市場で買ったおやつの串焼きを「串を横に向けて食べるのよ」とラミスカに手渡しながらユンリーについて尋ねた。

「ラミスカ、ユン様の事は好き?」

「ユンリーは言葉は乱暴。だけど目や手は暖かい」

考えるようにしてゆっくりと言葉を紡ぐラミスカを見てメルルーシェは微笑んだ。

「そうね……。でも逆の人もいるのよ。覚えててね、ラミスカ。
あなたにどんな親切な言葉をかけても、どんな目であなたを見ているのか、どんな事をしているのか。その人の行動を見なくてはいけないわ。それがその人の本心よ」

「分かった」

「それにね、ユン様はいつまでもいるわけじゃないの。
人はいつか必ず死んでしまうから、後悔しないように接さないといけないわ」

どこか自分に言い聞かせるように、メルルーシェは呟いた。


ふたりは甘辛い肉で挟まれた焼き色の付いたムチの実にかぶりついた。


****



「メルルーシェさんはお若いのに随分と勉強なさったのね」

新しく薬師として店に勤め始めたスーミェは物腰の柔らかな人で、自分よりも年下のメルルーシェに対しても敬称をつける真面目な人間だった。

どこか気遣わしげな視線を向けてくることが少し引っかかっていたが、メルルーシェは特に理由が分からなかったので気にしないことにした。

元々ベルへザードの西からやってきたというスーミェは、西で起こっている反乱の内情を良く知っていた。ユンリーの遠縁の知り合いらしく、戦火が激しくなることを察して遠縁の伝手でここまでやってきたそうだ。

薬草は地域によって採れるものに差があるため、スーミェが知らない薬草や用法があり、それを教えるということはあったが、それはメルルーシェも同じで、北にはない薬草や、成り代わる薬草についてスーミェに教わることもあった。

スーミェは良い家の出のようで、神殿で育ったメルルーシェと似たような言葉遣いをする。

「それにしてもあの仮面は不気味で好きじゃないわ」

メルルーシェが小声で呟いた。
メルルーシェとスーミェは乾燥した薬草を渡して部位によって分ける流し作業を行いながら、数日前に市場で見た兵士の格好についての話をしていた。

ベルへザード兵は所属に関わらず、首元を隠すローブに腹鎧を装着していて、基本的には似た構造をしている。最近になって顔を隠す仮面のような装着具を着けている兵士が目に付くことが話題だった。

「西のオクルにいたときも、急にあの仮面が増えたのよね。
新しい魔具の一種なんでしょうけれど、ダテナン人の暴動が激しくなってからかしら?」

スーミェがそう呟きながら、作業を手伝うラミスカから薬草を受け取る。

「仮面魔具がついてる装備は、対ダテナン兵士じゃない」

急に声を発したラミスカをスーミェが戸惑ったように見る。

「よく…知ってるのね」

スーミェの呟きと同時に、薬屋の扉が乱暴に開いて高い音色の鈴が悲鳴をあげるように響く。



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