たとえばこんな、御伽噺。(2)

弥湖 夕來

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ラプンツェルと村の魔女

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◆◇◆ ◆◇◆ ◆◇◆
 
「……と、言うわけで、ここまでが当男爵領の経理になります」
 手にしていた帳簿から目を上げると家令が言う。
「あまりに少なくてびっくりされましたか? 」
 領地に関する面積や畑の作付けおよび収穫の予想などあれこれを説明する間一言も口を開かないライオネルに気の毒そうに家令は訊いた。
「いや…… 
 明日は、領地の視察に出たいんだが」
「かしこまりました」
 家令は心得ているとばかりに頭を下げる。
「お食事の用意ができておりますので、ダイニングのほうへ…… 」
 家令は促すように一緒に話を聞いていたアネットに視線を向けた。
「ん、後はわたしが案内するから」
 アネットは椅子を引いて立ち上がる。
「どうぞライオネル様、こちらです」
 ドアに向かいながらライオネルを見ると、その呼ばれ方が気に入らないとばかりに不服そうな顔をされた。
「っと、レオ様」
 言い直してみたけど、やっぱり男の表情は変わらなかった。
「じゃ、レオ…… さ、ま」
 そう呼ぶとあまりに距離が近くなりすぎるような気がして、面と向かって言うのが恥ずかしくてアネットは視線を泳がせながら呟くように言う。
「ま、いいか」
 まだ、それが気に入らないという口調だったが表情だけはうれしそうに緩めてライオネルはようやく席を立った。
 
「なぁに? 」
 ダイニングへと移動しながらアネットは視線を感じてライオネルを見上げる。
「さすが、お前のところの家令と言うか。
 確か男爵が存命のうちから領地の管理はお前の仕事だったって言ってたよな。
 経理の基礎とかみんな奴から教わったんだろう? 」
「うん。
 管理はわたしがしているなんて、本当は大きな顔して言えないのよね。
 ほとんどジョナサンがやってくれていたんだもの。
 わたしのほうが少しお手伝いしていたって感じかなぁ」
「なるほどな」
「なに、関心してるの? 」
「いや、仕事が速くて的確だと…… 
 それに、国境の条件の悪い領地の割に収穫量とかも安定してるし」
「みんな、ジョナサンのおかげよ。
 わたしや、父様じゃ、こうは行かなかったと思うのよね。
 うちは学者肌で、お祖父様も経営はあんまり得意じゃなかったって話しだし」
 話しながらアネットは足を止めるとダイニングのドアを開けた。
「どうぞ、お口に合うといいんですけど」
 アネットは城のダイニングなど比較にならない程狭くて暗い室内へライオネルを招き入れた。
 
 
◆◇◆ ◆◇◆ ◆◇◆
 
 目を開けると部屋の中にはすでに朝日が差し込んでいた。
「あ…… 」
 狭いベッドの中で起き上がるとアネットはぼんやりと室内を見渡す。
 
 塔の一角に造られた丸みを帯びた石積みのむき出しの壁に古びた家具が置かれた部屋。
「そっか、帰ってきてたんだよね」

 呟きながら慌ててベッドを下り、大急ぎでクローゼットを覗き込むと、城に行く前まで着ていた質素な薄墨色のデイドレスを引っ張り出す。
 
 窓の外を見ると日はすでにかなり高くなっていた。
 いつもならもうずっと前に起きだしている時間だ。
 城での宵っ張りの生活にすっかり慣れて、朝寝坊が習慣になってしまったみたいでアネットは戸惑った。
 
 手早くデイドレスを着込むと、鏡の前に立つ。
 喪服を兼ねた抑えた色のデイドレスは飾り気も全くなく、昨日まで着ていたドレスとは同じ喪服とは言っても、比較にならない程見劣りする。
 ライオネルの反応が少し気になった。
 とは言っても、ここでの生活ではこれまでの上等な生地のドレスでは贅沢すぎるし、喪服を兼ねたデイドレスはこれ一枚しか持っていない。
 
 諦めて部屋を出ると、暗い狭い廊下を急ぎ螺旋階段を駆け下りた。
「おはよう」
 ダイニングのドアを開けると、朝食の用意がすっかり済んでいた。
「おはようございます、お嬢様」
 いつものように家令はにこやかな笑みを浮かべながら手馴れた様子でティーポットを取り上げた。
「お疲れではありませんか? 」
 顔を覗き込みながら訊いてくれる。
「ううん、どうして? 」
 アネットは首をかしげた。
「昨夜も遅かったですし。
 その…… 
 今朝はずいぶんごゆっくりでしたので」
 言いにくそうに家令は口にした。
「ごめんなさい。
 お寝坊がすっかり身についちゃったみたいで…… 」
 アネットは苦笑いを浮かべた。
「王宮での生活は楽しかったですか? 」
 目を細めて家令の男は訊いてくる。
 その表情は少し心配そうに歪んでいた。
「うん、どうかな? 
 お姉ちゃんのことがなかったら、もう少し楽しめたのかも知れないけど…… 
 やっぱりわたしはこっちのほうがいい」
 差し出されたカップを受け取り口元に運びながらポツリとこぼすように言う。
 早朝から人の目を気にしながらの食事は正直肩が張った。
 お茶だってきっと今口にしているものなんて比較にならない程上等なものだったんだと思うけど、ほとんど味がした記憶がない。
「殿下は? 」
 その顔が見えないことに今更ながらに気がついてアネットは室内を見渡しながら訊いた。
「まだ、お休みのようですが」
 家令が事務的に報告してくれる。
「そう? 
 じゃ、起こしてくるわね」
 アネットは手にしていたカップを置くと立ち上がった。
「慣れない方に無理をしていただかなくとも」
 家令が慌てて引き止める。
「うん、でも今日はやらなくちゃいけないことが山積みだから起きてもらわないと。
 おばば様、朝早い分、夜もむちゃくちゃ早いし」
「でしたら私が…… 」
 男は手にしていたトレーを慌てて片隅に下ろす。
「ううん、いい。
 ジョナサン忙しいんだもの、まだ昨日の続きが残っているんでしょ? 
 そのくらいわたしにやらせて」
 言い置いてアネットは部屋を出る。
 めったに使わないシルバーは見事なほど光を放っていた。
 それにライオネルが寝室に使っている部屋だけじゃない。
 学者肌の父が際限なく入手し、他人に触られるのを嫌がったためにダイニングやパーラーにさえもこれまで大量の本がはみ出し積みあがったままになっていた。
 それが見事に片付けられている。
 いきなりライオネルが同行すると報告が来て、きっと使用人総動員で片付けて準備してくれたのは明らかだ。
 これ以上余計な仕事を増やしては申し訳ない。
 せめて自分にできることくらいしないと…… 
 
 上階へ足を急がせながらアネットは思いをめぐらす。
 
 古い建物に建て増しした構造のせいで、階段を上り下りした一角のドアにたどり着くと、中の様子を探りながらアネットは軽くノックをする。
 案の定というべきか、部屋の中は静まりかえっている。
 それも無理のない話で、昨日はほぼ一日馬車に揺られて、到着するとほぼ同時に夜半過ぎまで家令と額を突きつけることになった。
「ライオネル様? 起きてますか? 」
 声を掛けるけど返事がない。
 王城での生活を体験してみてわかったけど、田舎の暮らしとは時間がかなりずれている。
 起きられなくても無理はないけど…… 
 戸惑いながらもドアを開けた。
 
 朝日が差し込んで気持ちのいい光に満たされたベッドの中で、若い男が眠っている。
 日の光に透けその髪が赤く透き通って輝いている。
 長い睫を伏せたその整った顔を目にアネットは遠慮がちに声を掛ける。
「ライオネル様、起きて」
 その声に煩そうに男が寝返りを打った。
「今日は視察に出るって聞いたんだけど…… 」
 起こしていいのかわからずに戸惑っていると、男がうっすらと目を開けた。
「起きてください、ライオネル様」
 もう一度掛けた声に反応するようにライオネルの腕が伸びベッドの中に横たわる男の胸に引き寄せられる。
「ん、殿下…… 」
 取り込まれてしまった腕の中から抜け出そうとアネットは身をよじる。
「だから、『レオ』だって言ってるだろう? 」
 耳元で囁かれるとそのまま頬に軽く唇を落とされる。
 背中に回っていた腕が性急に動き出し、軽々とベッドの上に抱え上げられる。
「あのね、レオ様。
 まだ朝だから…… 」
 深いキスの合間に非難を込めて言うけれど、ほとんど効果はなく、首筋を撫でる手がデコルテにと下りてくる。
「だから…… 」
 言いかけた唇をふさがれて、ゆっくりと深くなる。
「っ…… ライオネル様」
 乱れ始めた息の下からかろうじて口にする。
 胸の鼓動と供に早くなる呼吸を意識して、アネットは男の胸を押しやった。
 
「アネットぉ! 」
 いくらなんでも時間的にも状況的にもまだ許されることじゃない。
 婚約は整っても結婚式はまだ当分先だ。
 それがわかっているから、必死に抵抗を試みてみると、窓から子供の呼ぶ声がした。
「あ…… 呼んでるから」
 強引に男の腕を抜け出して、アネットは部屋の片隅に走ると窓を開ける。
 意図せずに乱された息を整えながら、開いた窓から下を覗くと村の子供が二人ほど、アネットの部屋のある塔の窓を見上げているのが目に入った。
「こっちよ! 」
 窓から顔を出し、アネットは声をかける。
 庭の片隅から、別の塔の窓を見上げていた二人の子供がその声に振り向いた。
「ばばさまがね! 」
「呼んでるよ」
 窓の下へと駆け寄りながら、子供たちはかわるがわるに言う。
「ありがとう、今日ご挨拶に行こうと思ってたの! 
 先にいって『あとで、行きます』って言っておいてくれる? 」
 窓の下に来た子供たちにアネットは声を張り上げた。
「わかった。
 じゃ、アネットまたね! 」
「うん」
 子供たちの駆け去る背を目にアネットは窓を離れる。
「どこかに行くのか? 」
 ベッドの上に上体を起こし、まだ眠そうに瞼を瞬かせながらライオネルは訊いた。
「うん。
 おばば様のところにご挨拶に…… 
 レオ様も一緒に来て」
 習慣的に洗面器に水を張り、着替えを整えながらアネットは答える。
「誰だ『おばば様』って」
 そのアネットの姿に目を細めながらライオネルはベッドを降りる。
「村長さんのおばあ様。
 男爵領で一番の長老のおばあちゃんよ」
 顔を洗ったライオネルにタオルを手渡しながらアネットは簡単に説明する。
「村長のばあさんっていくつなんだよ? 」
「八十は超え…… 九十歳近いかな? 
 すごいでしょ? 」
「それって一般人の倍だろ、何かの冗談か? 
 それとも化け物? 」
「化け物だなんて失礼なこと言わないで。
 冗談でもないわよ。
 村一番の知恵者なんだから」
 アネットにシャツを着せ掛けてもらいながらライオネルは笑みをこぼした。
「どうかした? 」
「いや、もう夫婦になったみたいだ」
 言いながらライオネルはアネットの頬にそっと唇を寄せる。
 その言葉にアネットの顔に一気に血が上る。
 常に身支度に人の手を借りるのが習慣になっているライオネルは、まだ寝ぼけているのも手伝って放っておいたら身支度を始めてくれそうにない。
 そんな様子を目に自然に手を貸していた自分に気がついた。
「ご、ごめんなさい! 」
 手にしていた上着を取り落とすと慌てて部屋を出て後手にドアを閉じた。
「今更か? 」
 ドアの向こうから呆れたような声が聞こえた。
「とにかく、朝食ができてますから…… 」
 言い置いて慌てて階段を駆け下りる。
 
「おや、お嬢様どうしました? 」
 乱れた息を整えていると、キッチンから出てきたハウスキーパーのサヴィ夫人が声を掛けてくる。
「なんでもないの。
 それよりお願いしておいたものできてるみたい? 」
「ええ、今冷ましていたようですよ」
 その問いにキッチンの方を振り返りながら夫人が答えた。
「良かった、急にお願いしたから間に合うかなって心配だったの」
「お嬢様が戻ればご老の所にご挨拶に行くのはわかっていましたからね。
 準備はしてあったようですよ」
 ふんわりとした笑みを浮かべてくれる。
 その笑顔を目にやっと帰ってきたことをアネットは実感した。
 
 
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