たとえばこんな、御伽噺。(2)

弥湖 夕來

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ラプンツェルと村の魔女

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◆◇◆ ◆◇◆ ◆◇◆
 
 木陰に身を潜めライオネルはじっと息を殺す。
 目の前には数頭の狼が何処からか銜えてきた、獣の肉を貪り食っていた。
 降り積もった深雪に周囲の音は吸収され、狼たちが獲物を食いちぎる音だけが木々の合間に広がり消えてゆく。
 ほぼ無防備の状態の狼たちの一頭に狙いを定め、ライオネルは手にした弓を引き絞った。
 力を込めた指を離すと、かすかに風を切る音と共に矢は真っ直ぐに狙いを定めた場所へと飛んでゆく。
「キャゥン! 」
 かすかな悲鳴を上げた直後、一頭の狼がどさりと雪の上に倒れこむ。
 それを合図にするかのように、他の何頭かの狼がいっせいに走り去る。
「ふぅ…… 」
 顰めていた茂みの中から立ち上がると、ライオネルは息をつく。
「殿下、危ない! 」
 その直後森の木々の間に従者の若い男の声が響き渡った。
 同時に何か鋭い殺気が右肩の後ろ辺りに突き刺さる。
 咄嗟に躯を捻るとライオネルは腰に挿す剣を抜き、それをなぎ払った。
「ギャン! 」
 大きな断末魔の声と共に一頭の狼の体が血しぶきを上げ、深雪の上に転がった。
「危なかったですね、殿下」
 矢筒と短剣を手に、従者が茂みの中から姿を現した。
「ああ、助かった」
 肩で息をしながら崩してしまった体勢を立て直し、立ち上がるとライオネルは雪に倒れた二つの獲物に視線を向けた。
 弓で倒したほうは普通の若いメスだが、剣で切り倒したほうは老齢のおそらくはボスクラスの大物だ。
 
「これで幾つ目だ? 」
 その姿を目にライオネルは従者に訊いた。
「今日は六頭目ですね。
 通算すると…… 」
 従者は記憶を手繰りながら指を折った。
「……です」
 従者が呟く背後でざわりとひとつ大きな風が吹き周囲の木々の梢を揺らしその声を掻き消した。
「風が出てまいりましたね。
 そろそろ戻りましょうか? 
 この人数で今から狼の群れに出くわしたら厄介です」
 従者がライオネルの同意を求めるように顔を見上げる。
「旦那、そうしやしょう。
 それでなくても旦那は奴らの恨みを買ってますからね、これ以上ここにいるのは得策とは思えねぇ」
 木々の間から姿を現したもう一人の年嵩の男が言った。
「そうするか」
 それに答えてライオネルは歩き出した。
 
 
 森の入り口に建つ瀟洒な館の大きな樫の木の扉を叩くと、待っていたとばかりに開く。
 頭髪の全くない年老いた執事が一人顔を出すと恭しくライオネルに頭を下げ中に招き入れた。
 先導されて向かったパーラーにはすでにカーテンが下ろされ、薄暗い闇が広がっている。
 その中で真っ赤に燃え盛る暖炉の炎が淡い焔色の光を放ち周囲を照らし出していた。
「ご苦労さま。
 お寒かったでしょう? 」
 その前に立ち尽くし、じっと炎を見つめていた人影がゆっくりとこちらを向き直る。
 癖の全くない真っ直ぐな、腰まではある長い黒髪が優雅に揺れた。
「さあ、どうぞこちらへ…… 
 体を温めてくださいな」
 少し体をずらし、今まで占めていた場所を空けるとその前に手ずから椅子を置いた。
「ああ、すまない」
 言われたままにライオネルは暖炉の前に向かう。
「本当に申し訳ありません。
 お手数をおかけして…… 」
 言いながら傍のテーブルに用意されていたグラスを取り上げると、琥珀色の酒を注いでライオネルに差し出す。
 そのために少しかがんだために暖炉の炎に照らし出された人影の容姿があらわに浮かび上がった。
 切れ長の瞳に通った鼻筋、何処にもケチのつけようのない整った若い女の顔。
 癖のない長い髪とそろえた黒曜石の瞳はどこかエキゾチックな雰囲気を漂わせている。
 夜会でもないのにこの季節には不釣合いなデコルテの大きく開いたドレスを纏ったその優美な曲線を描く肢体は妖艶以外の何者でもない。
「悪いな、なかなか片がつかなくて」
 差し出されたグラスを受け取るとライオネルはそれを口に運びながら言った。 
 
 国境を越える街道沿い辺り一帯を治める、モントン伯爵。
 その邸宅に身を寄せてもう何日になるだろうか? 
 
「とんでもありませんわ。
 領地の人間の話に、ずいぶん数が減ったと喜んでおりました。
 わたくしもあのとき助けていただけなかったら、どうなっていたかと…… 
 本当に感謝しておりますのよ」
 女はやんわりとした笑みを浮かべる。
 その笑みさえも艶を含んで色っぽい。
「とおりかかったついでだよ。
 どのみちあの狼の群れを何とかしなけりゃ、俺たちだってあの先へ行けなかったんだからな」
 強い酒を一気に喉の奥へ流し込むと動きの悪くなっていた血流が動き出すのがわかる。
「領民が困っているのに手を貸すのは領主としての義務だろう? 」
 ライオネルはグラスの中で揺れる琥珀色の液体を暖炉の炎に透かし、それを眺めながら言う。
「ですが中央の方々は余程のことがない限りこんな国境の小さな領地までは来てくださいませんもの。
 いくら数が増えたと言っても所詮狼。
 本当ならわたくし共だけで何とかしなければいけませんのに、頼みの綱の夫は亡くし、領民は自分の家の家畜を護るのが手一杯で集団で駆除する手が全くない状態でしたから」
 
「すまないな、なかなか援軍が来なくて」
 ライオネルは息を吐く。
 困っている女を放っておくわけに行かず手を貸すことになったものの、その数のあまりの多さと、そこから生じた人手不足に、王城に手助けの人員を要請する使いを出したのはもう何日も前だ。
 しかし、何故か全く来る気配がない。
「もう一度使いを出してみるか? 」
「そうですね…… 
 そうしたいのは山々ですが」
 女はそっと睫を伏せた。
「何か、問題でも? 」
 その顔を目にライオネルは訊く。
「ええ、先日出した使いがまだ戻ってきませんの。
 ひょっとして狼にやられたのでは…… 」
 女は不安そうに瞳を揺らす。
「だったら尚更。
 もしかしたら城に連絡が行っていないってことだろう? 」
「そうですわね。
 でしたらもう一度使いを出しておきますわね」
「ああ、そうしてくれ」
 暖炉の中で燃える炎をぼんやりと見ているとなんだか疲れが湧き上がってきた。
 ライオネルはひとつ欠伸を漏らす。
「奥様、お食事の用意ができていますが」
 先ほど迎え入れてくれた執事が顔を出すと声を掛けた。
「ありがとう。
 殿下はお疲れのようですから、こちらへ運んで…… 」
「かしこまりました」
 男が一礼して姿を消すと、しばらくして暖炉の前に食事が運び込まれた。
 酒と共に供されるそれらを胃袋に詰め込むと、さっきから顔をもたげていた睡魔が勢力を増してくる。
 一日中雪の積もった森の中を歩き回っているせいかもうくたくただった。
「悪い…… 
 休ませてもらう」
 立ち上がると何故か足がもつれる。
「大丈夫でして? 」
 女が慌ててそれを支える。
 さっきまで一緒に呑んでいた酒の香気を含んだ甘い息が顔に掛かる。
「ああ、平気だ」
 胸に回った女の腕を煩そうに押しやりながらライオネルは歩き出す。
「明かりをお持ちくださいな」
 手元にあったフェアリーランプを女が慌てて差し出した。
「いや、いい。
 どうせこのまま寝るだけだ」
 ライオネルは振り返らずに部屋を出る。
 すっかり闇に包まれた閑散とした廊下の先にあるステアケースを上る。
 その先にある廊下に並ぶ重厚なドアの前を抜け、奥にある壁に似せたドアを開ける。
 邸の裏方に面しほとんど光が入らない真っ暗な空間が広がっていた。
 ややして闇に目が慣れてくると先ほど通ってきた廊下とは比較にならない程の質素な通路が続く。
 ライオネルはその通路を通り抜け狭い階段を上がった先にある質素なドアを開けた。
「殿下? 」
 闇の中で質素なベッドに横になっていた人影がその気配を察して起き上がり呼びかけてきた。
「またこちらでお休みになるんですか? 」
 いつも付き従っている従者が言う。
「ああ…… 」
 言葉少なに答えて同じ室内の空いているベッドにもぐりこんだ。
「こちらでは暖炉もありませんし、お寒くありませんか? 
 表でお休みになればよろしいのに…… 」
「あの部屋は妙な気配がして落ち着いて寝られないんだよ」
 粗末な上掛けを頭の上まで引き上げながら呟いた。
「どうしてなんでしょうね? 
 いつでも何処でも寝られる殿下が」
 従者は首をかしげたようだ。
「さてな? 」
 その問いに答えるのももどかしい。
 それほどにライオネルは睡魔に捕らわれていた。
「だいぶお疲れのようですね」
 起き上がるとベッドを出た従者は何処からかもう一枚毛布を取り出し、ライオネルのベッドに掛けながら言う。
「いつになったら応援が来るのでしょう? 」
 先ほどライオネルが思ったのと同じことを口にする。
「ん? ああ…… 
 奥方がもう一度使いを出してくれるそうだ」
「それにしても異常な数ですよね? 」
 抜け出したベッドに戻りながら従者は首をかしげる。
「確かにな…… 」
 毛布の中にもぐりなおしながらライオネルは答えた。
 そう思いながらも、体を占める睡魔には勝てない。
 それ以上のことを考える余裕もなく、かろうじてそれだけ口にするとライオネルは眠りに引き込まれていった。
 
 
「殿下、起きてください」
 遠慮がちに掛けられる声にライオネルはゆっくりと目を開く。
 窓から差し込んだ光はまだほんのりとした薄明かりで、完全に日は昇っていない。
「うん…… 」
 生返事をして毛布の中にもぐりなおした。
「とりあえず、お起きになってください。
 寝なおすのでしたら、表のお部屋に移ってからにしてくださいよ。
 客人が用意してもらった客間に泊まらずに、裏の使用人部屋で休んでいたなんて言い訳が立ちませんから」
 言いながら従者は強行とばかりに、ライオネルがもぐりなおした毛布を剥ぎ取った。
「おまえ…… 」
 仕方なく起き上がるとライオネルはベッドの脇に立ち手際よく寝具を片付ける従者を、恨みがましくにらみつけた。
「とにかく、お願いしますよ」
 ベッドを降りると昨夜脱ぎ散らかしたシャツをふわりと掛けてくる。
 それ以上何を言っても無駄だと、ライオネルは黙って身支度を始めた。
 袖のボタンを留めさせようと腕を差し出すと、腕に嵌ったブレスレットがすべり落ちて手首で揺れた。
「それ、アネット様の髪ですよね? 」
 ライオネルの腕に光る金色のブレスレットを目にいつの間にといいたそうに従者が訊く。
「わかったか? 」
「それはもう。
 ブロンドの人間は多いですけど、これだけ綺麗なはちみつ色の髪はめったにありませんし、留め金の石はアネットお嬢様の瞳の色ですから」
 従者はしたり顔で笑みをこぼす。
「王妃の奴、そこまで…… 」
 その言葉にライオネルは呟いた。
 もともとはアネットから強引にもらったものだが、明らかに恋人に贈る為に作られた品物だったことに改めて息をつく。
 
 同時に、アネットの貌が脳裏に浮かび上がる。
 
 直ぐに戻るつもりだったから、あんな形で出てきてしまった。
 何かの折にふと見せる不安そうなあの顔を見るのが辛くて。
 
 なのに、こんなに長い間はなれることになるとは思わなかった。
 
「いい加減に帰りたいですね」
 まるでライオネルの心の中を読み取ったかのように従者が言う。
「ああ、いつになったら終わるんだか? 」
 先を急ぎたいのは山々だったが ところが何頭狼を倒しても一向にその数が減らない。
 すでに三桁を優に超える数を始末した筈だ。
 本来ならこの辺りを縄張りにしている群れ、根絶やしにしたといっても過言ではない数だ。
 だが、全く数が減る様子がない。
 むしろ増えているといってもいい。
 数だけではない、その状態自体が異常だ。
 何かがある…… 
 
 身支度を整え部屋を移動しながらライオネルは考えた。
 
 
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