陽月公奇譚 -女装の俺が、他人のベッドで目覚める理由ー

弥湖 夕來

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1・魔女は買い物に出かけ

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「では、こちらを。
 お約束の金貨二十枚です。
 お確かめ下さい」

 蒸し暑い館内を出たエントランスまで来ると、家令の男は礼金を差し出す。

「ところで、一つ訊いておきたいのだが。
 この館では何が起こっている? 」

 ヴレイはその金に手を伸ばす前に口を開いた。

「いえ、姫君のこと以外は何もございませんが」

 言葉こそ平静だが、男の声は明らかにうろたえている。

 それに一歩足を踏み入れれば、変異を見る力のない人間でさえ体調に異変を生じるようなこの邸の異常な状況。
 誰に訊かなくても明らかだ。

「そうか。
 ……言いたくないのなら無理に訊き出すつもりはないが。
 以後、ここに住まう人間に異変が起きても知らぬぞ。
 例えば先ほどの姫君とか…… 」

「な…… 」

 ヴレイの言葉に男の顔が蒼白になる。
 震えた手から持っていた小袋が床に落ち、中身の金貨が散乱する。

「これは、失礼を…… 」

 慌てて床に座り込み男は金貨を拾い集めた。

「しゃべっちまったほうがよくね? 
 ヴレイがついでに何とかしてくれるって言っているんだからさ? 」

 同じく床にかがみこみ金貨を拾う手を貸しながらアースは男の耳もとで囁いた。

「余計なことは言わなくてもいい」

 すかさずそれを聞き取ってヴレイはアースの耳朶を摘み上げた。

「でも、俺この状態見て見ぬふりするのは、ちょっとな」

「本人は言いたくても、言えない時というものもある。
 特に人に使われているとな。
 行くぞ。
 これ以上ここにいると却って迷惑になる。
 拾い上げた金貨の枚数を確認してポケットの中に納めると、言いたいことのあるアースを残してヴレイは歩き出す。

「お待ちください、ただいま馬車を! 」

 家令の男が慌てて声をあげた。

「気持ちだけ受け取っておこう。
 少し歩きたい気分だ」

「一つだけ訊いてよろしいでしょうか? 
 お二人は何時までこの街に滞在する予定なのでしょう? 」

 僅かに離れると背中から男の声が追ってくる。

「さて、もう一人の連れがなにやらこの街で済ませなければならない用事があるようで、それが終わるまで。
 どのくらい掛かるかは不明だ」

「左様でございますか」

 ただの相槌の筈の声が妙に安堵したようにアースの耳には届いた。


 
 開け放たれていた正面の門を潜ると急に人込みに入る。
 馬車で向かっていた時には気付かなかったが、館はマーケットの開かれている広場に面して建っていたようだ。
 さすがに宿に宿泊する人間は少なくても、ここで暮らす人間の数はそれなりにあるらしい。
 何処の町でも同じような人々の光景にアースはなんとなく安堵感を覚えた。
 

「いいのか? あんなこと言って。
 あのおっさんきっと今晩寝られねぇ程悩むぜ」

 店先に並んだ日よけの下を足早に歩くヴレイを追いながら、アースは自分より頭一つは上にあるヴレィの顔を覗き込む。

「かも知れぬな。
 だが、私は自分の手がけた仕事が中途半端で終わったとは思われたくないからな」

 やや足早に歩きながらヴレィは答えた。

「だったらさ、とことん首突っ込むのべきじゃないのかよ? 」

「言った筈だ。
 依頼主には依頼人なりの事情がある。
 そこまで私たちは首を突っ込むわけには行かないんだよ」

「それって矛盾してね? 
 そう言うことなら、気が付かないフリをしてやるほうが親切だろ? 」

「だからそれでは私の仕事が失敗したとみなされるかもと言っているんだ。
 これ以上の事態の好転を望むとなると、依頼人は身内の些細な事まで私達に話さなくてはならなくなる。
 できるならば隠し通しておきたい裏の事情までも。
 何処の家にだって事の大小は別にしてそう言ったことがあるんだよ。
 それを強請することはできないんだ、違うか?」

 突然足を止め自分から離れて行くアースを振り返って、説得するようにヴレィは言った。

「なんでそこまで話がでかくなるんだよ?」

 ヴレィの言葉が飲み込めなくて、アースは首を傾げた。

 
「あの場にいたのだからわかっていると思ったのだが…… 
 いいか? あの状況は不運にも妖魔に気に入られ取り付かれたものとは違うんだよ。
 誰かの掛けた 呪いのろいだ。
 つまりはあの一家もしくはあの家の誰かに強烈な恨みを抱いている人間の仕業だ。
 正直、生きている人間の恨みの方が厄介なんだよ」

 ヴレイはあからさまに大きなため息をついて見せた。

「つまり、その恨みを抱いている人物探してとっちめないと終わらない。
 そいつを捜すには依頼主から細かい話を訊かないと事が起こせないってことか」

「恨まれているって事は、事情は何であれ恨まれるようなことをしたと言う事実があるはずだからな。
 大概の人間は大きな顔で自慢気に人を陥れた話などひけらかさないだろう」

「……やめね? 
 この話」

 言葉を交わすうちになんだかだんだん気力が抜けてきてアースは呟く。
 恐らくこの会話は何処までいっても堂堂巡りだ。


 
 気まずくなった空気から逃れようと、アースは視線を空に向けた。

 今日の日差しから考えると真っ青に澄み渡っていそうな空は、妙などす黒い霞みが広がり煤けている。
 正直あまり気持ちのいい風景ではない。

「……っとっつ」

 そう思った途端に視界が揺らいだ。

 危うく地面に突っ伏しそうになった躯がかろうじて不自然な位置で思いとどまる。

「大丈夫か? 」

 咄嗟に掴んだと思える二の腕に掛かる骨ばった手に力が篭ると、地面すれすれまで落ちていた躯が引き上げられた。

「ああ、悪い。
 なんかに躓いて…… 」

 その原因を見定めようとアースは足元に視線を動かす。

「余所見をして歩いているからそういうことになるんだ。
 気をつけた方がいい。
 ここは街中にしては道が荒れているからな」

 言われたとおり人の集まるマーケットにしては石畳の石が浮き上がり所によっては失われ雨水が溜まっている。

 
「それより、俺腹減った。
 なんか喰いに行こうぜ」

 道端の露天から漂ってくるソーセージを焼く匂いにアースは鼻を動かしながら言う。

「そうだな、そろそろ昼だし。
 どこか座れる店を捜そう」

「いいよ、俺。
 あれでも」

 先ほどのソーセージの屋台を目にさらりと言う。

「またそれで食事を済ませる気か? 
 いい加減なものばかり食っていないで、少しはまともな物を食べることを憶えるんだ」

 逃がさないとでも言うようにヴレイはアースの襟元を掴むと強引に歩き出した。




「別に俺は物が口に入って腹が膨れれば何でもいいんだけどな。
 だいたい面倒だろ? 
 いちいち座って、スプーンやフォーク使うの。
 立ち食いだったら手で済むのに」

 マーケットの端にあるこじんまりとした食堂の椅子に収まるとアースは不満そうに声をあげる。

「子供じゃあるまい、行儀と言うものを考えるんだな」

「わかったよ。
 ついでに肉ばっかじゃなく何でも食えって話だろ? 
 草なんて野宿の時に食えば沢山だ」

 運ばれてきた緑鮮やかなサラダの皿を目にアースはげんなりした。

「これ以上太ったり、肌荒れなんかされたらアイツが黙っていないぞ」

「またそれかよ? 」

 しぶしぶ皿の中の生野菜をつついて口に運ぶ。

「この間も、ケーキの食べすぎで吹き出物出ただろう? 
 散々愚痴られて、挙句に化粧水にする薬草買いにやらされたんだからな? 」

 ヴレイが恨みを込めた視線を送ってきた。

「だから食べているだろ? 」

 フォークに葉野菜をつきたてて、それをヴレイの目の前に差し出して見せる。
 


「なぁ? 
 何で今まで黙っていたんだよ? 」

 葉野菜をかろうじて飲み込み、ようやくでてきた肉料理に思わず頬を緩ませながら、アースはその顔を覗き込む。

「何がだ? 」

 同じように皿の料理を切り分けていたヴレイが僅かに顔を上げた。

「重なった 呪いのろいが解けるって話。
 今まで一度もしなかっただろ? 
 俺に掛かっている 呪いのろいはずっとそのままだよな? 
 できるんだったらちゃちゃっと解いてくれよ」

「無茶言うな。
 お前の 呪いのろいは特別だ」

「今回のだって充分特別だったと思うけどな。
 三重だぜ? 
 それも生かす 呪いのろいと殺す 呪いのろいと両極端なもの掛け合わせて。
 あれが普通だって言うのかよ? 」

 ヴレイの物言いが不満でアースは口を尖らせる。

「ああ、一般的とは言いがたいが、お前に掛かった 呪いのろいから比べたらかなり単純だな。
 第一掛けた相手は一人で 呪いのろいを掛けられた時期も同一だ。
 お前の場合は何代も前の先祖が受けた家系の 呪いのろいに、地の 呪いのろい、生れ落ちた月日の 呪いのろいに…… 
 あとはなんだ? 
 とにかく数が多すぎるんだ。
 それぞれ皆違う者が掛けたもので、年月もばらばら。
 ついでにそれらが複雑に絡みあっている。
 恐らく国一番の能力をもつ魔導師でも無理だろうな。
 どうしてもって言うんならアイツに頼んだらどうだ? 」

 これ以上何か言うのが面倒になったのだろう。

 ヴレイはいつもの決り文句を持ち出した。

「アイツにか? 
 無理、無理、むりっ! 」

「少なくとも満月の魔女の力は私達生身の魔導師とは桁外れに強大だ」

「知ってるだろ? 
 アイツは俺の躯が気に入ってんだよ。
 この 呪いのろいの掛かった躯だからこそ、夜な夜な女に変化できるって言ってただろ? 
 そんなおいしい条件、わざわざ自分の手で解消するとでも思ってるのか? 」

 アースはあからさまに大きなため息をついて見せた。

「ごちそうさま」

 皿に残った最後の肉片を口に放り込み、お茶のカップを手に取とって咽の奥へ流し込むと徐に立ち上がる。

「何処に行く気だ? 」

 やや遅れてまだ皿を空にできないヴレイが戸惑ったように訊いてくる。

「ん? なんか仕事しないとな」

「心配しなくても今日の稼ぎは充分すぎるほどあったぞ」

「それはあんたの稼ぎでアイツの分だろ? 
 自分の剣賄うくらいは自分で稼がないとな。
 心配しなくてもいいぜ。さっき紹介所も見つけておいたし。
 じゃぁな」

 椅子を元に戻すと、アースは食堂を飛び出した。
 



 
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