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1・魔女は買い物に出かけ

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 月明かりだけでも昼間のように明るい夜道を、少女は一人歩いていた。

 纏ったリネンのスカートの裾がふわりと揺れる。
 軽やかな足取りダンスのステップを踏むようで、時折すれ違う酒の入った男達の視線を捕らえた。
 翻る銀色の髪が月光に溶け、まるでこの世の生き物ではないような幻想を抱かせる。
 そのせいだろうか? 
 どうしてもこんな時間の少女の一人歩きは不釣合いだというのに、誰一人咎めようとはしなかった。
 
 人気の消えたマーケットの広場の片隅まで来ると少女はようやく足を止める。

「確かこの通りだったと思うのよね」

 呟いて一本の細い路地へと足を踏み入れる。

 通り抜けてきたマーケットと違い居酒屋やバーと言った飲食店が並ぶこの通りは深夜に関わらず賑やかだ。

「いらっしゃいませ! 」

 軽やかなドアベルの音と同時に、店内から複数の声が響き来客を招き入れる。

「こんばんは」

 灯りを落とした店内のあちこちで、妙齢の女性とやたら容姿の整った男が並んで酒を煽っているのを目に少女は臆することなく奥へ向かった。

「ちょっとお嬢ちゃん! 」

 ドアの横についていた若い男が慌てて引きとめる。

「困るよ、ここは君みたいな若い娘が来るところじゃないんだよ」

 眉間に皺を寄せた困惑顔で言う。

「気にしないで、遊びに来たわけじゃないから。
 ママ居る? 」

 店内を見渡して少女は言う。

「え? ああ、ママね。
 確かカウンターに…… 」

 男は丁寧にカウンターの奥を指差してくれた。

「ありがとう、おにいさん。
 もう少ししてわたしが大きくなったら遊んでね」

 少女は適当に愛想をこぼして店の奥へと進む。

「おや、また来たのかい? 」

 カウンターの向こう側から中年の女が顔を出すと愛想よく言う。

「旦那さん居る? 」

「ああ、いつものとおり、奥で来もしない客を待っているよ」

 言いながらカウンターの裏にある小さなドアを鼻先で示す。

「じゃ、お邪魔します」

 女の脇をすり抜けて少女はドアへと向かった。

「おや、あんた…… 」

 すれ違い様に女が呟く。

「どうか、した? 」

「いや、気のせいかも知れないけどね。
 今日来たホスト志望の男の子によく似ているなって思って。
 まさか、兄弟とかじゃないわよね? 」

「違うわよ。
 でもママ、その子雇わなくて正解」

 くすりと小さく笑って少女はドアを開いた。


 
 ドアを開くと室内には妙な香の匂いと煙が充満していた。

「いらっしゃいませ。また、来たてくださったのですか? お嬢さん」

 灯されたランプの明かりの向こうから、先ほどの女と同じ年齢程度の男が愛想よく少女を迎え入れた。

「おや…… 」

 少女の顔を見るなり座っていた椅子から腰を上げると男は首を傾げる。

「どうかした?」

 不思議な反応をする男の顔を少女は徐に覗き込んだ。

「いや、昨日はもうちょっと幼かったと言うか、二三歳若く見えたと思ったので」

 隠そうともせず男は言う。

「何言ってるのよ。気のせいよ気のせい。そんなに簡単に人間齢取る訳ないじゃない」

 少女は明るい笑みを浮かべる。

「そうですか?」

 男はまだうさん臭そうに傾げた首を元に戻さないがそれ以上訊こうとはしなかった。

「まだ、なにか? 」

「失礼。
 商売柄ここに来るのは術者が多いからね、何年たっても齢を食ったように見えないお客ってのは結構多いので。
 その反対もありうるものかと…… 」

 室内に並べられた一見ガラクタにも見えるものを見渡して男は言う。

「もしそう見えるんだったら、着ているもののせいよ。
 今日のはね、少し大人っぽいでしょ? 
 奮発しちゃった」

 襟ぐりの大きく開いたドレスを見せびらかす様に少女は店の真ん中でくるりと回って見せる。

「よくお似合いですよ」

 男は穏かな笑みを向けてくれた。

「ありがと。
 ね? 
 それよりも、昨日のまだある?」

 不意に男に向き直ると手にしていた小箱を手前の小机の上に置き、少女は男に向き直った。

「見えませんでしたか? 
 入り口にそのまま…… 
 余程それが気に入ったようですね」

 酒場へと通じるドアを指さしながら男は答える。

「変わった魔女さんですね。
 あんな何の細工もない武骨な剣を気にするなんて。
 その細い腕では振るうこともできないでしょう。
 それより、これなんかどうですか? 
 柄に嵌まっている輝石は魔よけですし、何より莢の細工が美しいでしょう? 」

 男は片隅にあった豪華な細工の小刀を差し出した。

「いいのよ。
 わたしが持つんじゃないもの」

 男の差し出した剣をやんわりと押しやって、少女はぽつりと呟く。

「彼氏にプレゼントですか? それにしても普通の物の方がいいのではないかと思いますが? 
 仮にもここで扱っている代物です。何が起こるかわかりませんし」

「だから、いいんじゃない。
 それより、今夜のこれ、いくらで買ってくれる?」

 持ってきた小箱を取り上げると男に差し出す。

「どれ…… 」

 男はその小箱を受け取ると蓋を開けずに耳を近づける。

「相当な"悪夢"だと思うんだけど?」

 少女は箱に耳をあてたまま、何かを見定めようとするかのように耳を澄ませる男の顔を覗き込んだ。

「出所は?」

 程なく、男は顔を上げると、先程の穏やかな表情を一転させ真剣な表情で少女に訊いてくる。

「そこのマーケットの広場から真直ぐ伸びる大通りに面した大きなブナのあるお屋敷のおじいさん」

「ブナ屋敷…… クロケット卿ですか。ならば金貨三枚ってところですね」

「嘘? あれだけうなされていたのに?」

 淡々と値踏みする男の言い値に少女は目を見開いた。

「あのご老人はそんなものです。
 若い頃から気が小さいことで有名な御人ですから。
 たまにいるでしょう? 
 気が小さいっていうのか、大したことがなくても悪夢にうなされるタイプの人間が。
 卿はまさにそのサンプルなんです」

 苦笑いをしながら男は言った。

「そんな…… 、結構苦労したのよ?」

 媚を含んだ瞳で少女は男の顔を見つめる。

「嫌なら持って帰っても構いませんが」

 男はそれでも構わないとでも言いたそうに涼しい顔で構えている。

「ん~ わかったわよ。
 いいわその値段で。
 どうせそんなものわたしが持っていてもどうなるものでもないし」

 結局こちらに勝ち目はなくて少しだけふくれた表情をして、諦めたように少女は言った。

「聞き分けのいいお客様で助かりますよ」

 少女に笑いかけながら男は小箱を戸棚の中へ仕舞い込むと、代わりに金貨をつまみ出して少女に渡した。

「あと、これは聞き分けのいいお客様へのオマケです」

「なぁに?」

 金貨とは別に男が差し出したものに少女は目を丸くする。

「大したものではありませんが。何かのお役にたつでしょう」

「ありがと」

 小さな気遣いに感謝の気持ちを表すように少女は男に笑いかけた。

「もう、行かなきゃ」

 ドレスの裾を翻し、少女は戸口へ向かう。

「お帰りでしたらこちらからでも出られますよ」

 部屋にあるもう一つのドアを男は指し示した。

「こちらからなら、酔っ払いの間を抜けなくても外に出られます」

「来る時もここから入れるようにしてくれればいいのに」

「本来はこちらが入り口なんですよ」

 不満げに言う少女を目に男はドアを開いてくれる。

「本当にこっちが入り口だったのね」

 頭上に下がる魔術を扱う人間でなければ読めない文字の書かれた看板を見つけ、少女がつぶやく。

「じゃ、またね」

「何か手に入ったらまた来てくださいね。夢使いの魔女さん」

 走り出した少女の背中に男が声を掛けた。

「ええ」

 声に応えて振り返り軽く下げた頭が何かにぶつかった。

「ごめんなさい」

 顔を上げると頭から足元まで暗い色のマントですっぽりと覆われた人影がある。
 薄暗い中で濃い青紫の特徴的な目が光る。

 その様子に少女は小さく身を震わせた。

「あの、本当にごめんなさい。次からは気をつけますから」

「大丈夫です、この人は常連さんですから。
 気にしなくていいから、早くお帰りなさい」

 店主が言う。

「本当にごめんなさい」

 もう一度頭を下げると、少女は月明かりの夜の町へ消えていった。


 
「今のは? 」

 駆け去る少女の後ろ姿を目に先ほどの人影が男に訊く。

「夢使いの魔女のようですよ。
 数日前からこの都市に滞在しているようです」

 客の問いに男は親切に答える。

「本当の齢はいくつかわかりませんけど、可愛いですよね」

「夢使いの魔女? 」

 少女の走り去った闇の中をその痕跡を辿るかのように見つめながら客はかすかに笑ったようだった。

「御存知ありませんか? 
 人の夢を現実の物として扱える僅かな魔力のみを持った魔女のことを。
 たいがいああ言った少女のことが多いんですが」

 それに気付かないかのように店主は言う。

「あれが? 
 案外もっと凄いものかも知れませぬぞ」

 少女の走り去った後を、なおも見つめながら客は呻くように言った。

「して、何の御用でしょうか?」

 思い返して主は聞いた。

「結構。探していたものは見付かったので…… 」

「あの、お客さん?」

 あっけに取られる店主を残し、客は何も売らず買わずに店から消えていった。


 

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