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2・囚われた先で、

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 宿屋の食堂は相変わらず閑散としていた。
 絶品のこの宿の食事も今日で最後かと思うと自然と欲が出て、アースは五つ目のバケットサンドに手を伸ばす。

「それで、アイツ何をやらかしたんだ? 」

 なみなみと注いだミルクを片手に、サンドイッチを飲み下してアースは訊いた。

「窓から出入りしていたのを人に見られて騒ぎになった…… 」

 苦々しい表情でヴレイが答える。

「一応窓から出入りするなと言っておいたのだがな」

「好きなんだろ? 窓から出るの」

「好き嫌いで済ませられるか。
 おかげで泥棒騒ぎにまでなった」

「そりゃそうだよな。
 人が寝静まってた頃宿屋の壁よじ登るなんて、泥棒以外に考えられないもんな。
 おとなしくヴレイの言うとおり玄関使えばいいのにな」

「私が年端も行かない少女を宿の一室に連れ込んでよからぬ噂が立ったりしたら、お前が嫌がるんじゃないかって、アイツなりに気を使っているんだよ」

「何だ、それ? 
 それなら姿消して玄関出て行けばいいだろ? 
 ついでに施錠してあるドアをすり抜けるのだって。
 俺はよく知らないけど、アイツならそのくらい楽勝だろ? 」

「……確かに、アイツならそのくらいの仕事は簡単なはずだ」

 ヴレイがお茶を飲み干して頷く。

「やらないっていうことは何かできない理由でもあるんだろう」

「そっか? 
 俺は、アイツどこか抜けてるんだと思うぜ」

 手元に残ったサンドイッチを口の中に放り込んで、アースはまた皿の中へ手を伸ばす。

「いい加減にしておけよ。
 満腹になりすぎると歩くのが辛くなるぞ」

「いいだろ? 
 満タンの胃袋抱えて歩くのは俺だし。
 次の街でこれほど美味い食事にありつける保証はない、って言うか宿の食いもんってほとんど不味いよな? 」

「余程有名な神殿でも抱えている街でもない限り、宿場町なんてのは通り一遍の客がほとんどだからな。
 コストを掛けてサービスしても一度っきりだ。
 そんな無駄普通はやらないだろうな」

「な? これ今日の昼に食えるように持っていっていいか? 」

 不意に思い立ってアースは訊いた。

「別に構わないが」

「じゃ、包んでもらってくるな」

 アースは跳ねるように席を立つと厨房に駆け込んでいった。
 
 

 宿屋のエントランスを出るとアースは片手でしっかりランチの包みを抱えたまま、大きく伸びをした。

「これで、この薄気味悪い穴だらけの結界の街ともサヨナラだ」

 正直言ってしまえば、あまり居心地のいい街ではなかった。
 結界の穴から入ってくる妖魔の出す瘴気のせいか、なんとなく身体がだるい。
 オマケに始終付きまとう誰かの視線。
 それから開放されると思うとせいせいする。

「そうだ、アース」

 マーケットの建ち並んだ広場に足を進めながらヴレイが財布を差し出した。

「私が薬を調達してくる間に、これで剣を用意して来い」

「いいのか? 」

 アースは目を輝かせる。

「ああ、
 それなりの収入があったからな。
 あまり高価な品物でなければそれだけあれば買えるだろう。
 前の剣を手放してからもう一月近くになるし、道中やっぱり普通の武器はあるに越したことはない。
 妖魔しか切れぬ剣だけでは心もとない」

「じゃ、行って来る! 」

 アースはヴレイの気が変わらないうちにと、差し出された財布を引っ手繰るように受け取って走り出した。

「刃物商の場所はわかってるな? 」

 背中から追ってくるヴレイの声に頷きはしたものの、アースは足を止めなかった。
 


 先日、やむおえぬ理由で現金が必要になり唯一換金できた剣を手放してから、既に三つの宿場町を渡った。
 それでも何とか事なきを得てきたのはヴレイの魔術のおかげだ。

 それはありがたかったが、常に護られているだけと言うのはアースのプライドが許さない。

「えっと、鍛冶屋はこっちだったな」

 曲がり角で足を止めてアースは考える。

 一応この街に入った時点で鍛冶屋だけはチェックしておいた。

「どうせまた、何か入用が出たら一番先に換金するんだし。
 やっぱ、武器を専門に扱う店より鍛冶屋だよな。
 品揃えは少ないけど、鍛冶屋の腕によってはいいものが相場より安く手に入るし」

 呟きながら先へ進む。

 
「あの…… 」

 誰かに呼び止められアースは足を止めた。

「ん、俺? 」

 振り返ると、足元まである丈の長いマントを着た人間が立っていた。

「恐れ入りますが、あの灰色の瞳の魔術師様のお連れの方でいらっしゃいますよね? 」

 目深に被ったフードのせいで顔はわからないが、声からして若い女らしい。

「ヴレイの事か? 」

 アースは首を傾げた。
 灰色の瞳の人間など別に珍しくもない、そういわれたところでそれがヴレイだとは言い切れない。

「ええ、そう。
 そのヴレイ様から、わたくしついさっき伝言を言付かりましたの。
『厄介なことになった、どうしても手を貸して欲しいから今すぐにきて欲しい』との事ですわ」

「んあ? 」

 アースは女の言葉が飲み込めずに首を傾げる。

「やっぱり誰か他の魔導師の間違いじゃないか? 
 ヴレイに限ってそんな筈ないと思うぜ。
 あいつは自分だけの手に負えないと見たら闇雲に手を出すような人間じゃないからな」

「申し訳ありません。
 全部私たちのせいなんです。
 急に何処からともなく出てきた妖魔に襲われて…… 
 逃げることもできずに震えていたところを偶然通りかかったヴレイ様が割って入ってくださったのです。
 でも、その妖魔が予想以上に強かったみたいで。
 かろうじて逃げられたわたくしが言伝を言い付かりましたの。
 ヴレイ様はまだ妖魔と対峙しております」

 女は怯えた様子で訴える。

「成り行きか? 
 あのお人よしらしいよな」

 アースは呟く。

 ヴレイは厄介事は基本背負い込まない主義だが、ひとたび関わってしまうと逃げることのできない人種だ。

「で? ヴレイは今何処にいる? 」

 女に視線を向けアースはその様子を探りながら訊く。

「この先の劇場通りと、神殿通りをつなぐ横道を入ったところです」

 女は自分の背後を指差した。

「はぁ? 劇場通りって何処だよ? 
 通り名で言われてもわからないぜ。ここで暮らしているわけじゃないし。
 何本目だ? ここからどう行けばいい? 」

 女が指差した方角に視線を向け、アースはもう一度訊く。

「ご案内しますわ。
 こちらです」

 一瞬が惜しいかのように女は素早く身を翻すと駆け出した。


 
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