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3・一振りの剣を手に

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 戸外へ一歩出ると、言いようのない重い空気が身体を取り囲んだ。
 神経の細い人間や身体の弱いものなどたちまち侵されてしまいそうな程の強い瘴気。
 毒気を含んだ恐ろしい空気が都市全体に広がっている。
 空は無数の黒い鳥の翼で覆われ日の光さえも見えない。
 空を覆う鳥の塊が落とす影が都市全体を深い闇色に染めていた。
「こんなに早く悪鬼と化すとは思わなかったが」
 空を見上げヴレイは呟く。
「つべこべ言わずに手っ取り早く片付けちまおうぜ。
 そいつどこにいるんだよ?」
 同じく空を眺めながら、アースは先ほどの食卓から意地汚くも持ち出したパンを再びかじりはじめる。
「早く片付ける方が良さそうだな。
 お前なら、奴はどこにいると思う?」
 口一杯にパンを頬張るアースの顔を呆れ顔で眺め、ヴレイは訊いた。
「……それがあんたの仕事だろう? 
 俺に見えるとでも思ってるのか? 」
 頬張ったパンを飲み下して、アースは言う。
「強いて言うなら、この瘴気じゃ都の中なんじゃね? 
 穴だらけのボロッボロだけど、一応ここ結界張ってあるもんな。
 それが災いして外に出られなかったんだろ、檻みたいになって。
 だから瘴気がたまってる、違うか? 」
「私が訊きたいのは奴がこの都の何処にいるかという話だ」
 よほど苛立っているのかヴレイの語気が荒くなる。
「心当たりなんて全くないぜ。
 通りすがりに声かけられてあそこに連れてかれて、気がついたら縛られてた。
 聞いたのは名前だけだからな。
 後の対応してたのアイツだし」
「ならば、ルナに代わってもらおうか」
 アースのあまりにのんびりとした答えに気分を害したかのようにヴレイがギロリと睨む。
「それなら夕方まで待てよ」
 それには動じずにアースは眉を顰める。
「そこまで待ってはいられぬな、時間がない」
 言いながらヴレイはアースの頭を撫でる。
「何するんだよ、気持ち悪いな」
 アースは躯を竦ませて、眉を顰める。
「何時までも子供扱いするなよな」
「いや、そこに雑魚が一匹…… 」
「いるのか? 」
 ヴレイの言葉にアースは周囲を見回すが、取り立てて何かがいるようには見えない。
「ああ、ごく小物だがうようよとな。
 おまえの魔力に引き寄せられてきたんだろう」
「俺じゃなくってアイツのだろう」
 諦めた様子で言うアースに向かってヴレイは呪文を唱える。
 いつもの物より簡単な呪文が文字化して躯を取り巻き消えると、アースの視界が突然曇る。
「うわっ。何だこれ」
 そこここに塊となってうごうごと虫のように蠢く黒い霧を目にアースは声をあげる。
「何だ、その驚きようは? 
 たまには見ているだろう」
「いや、だってこれ数が半端ないし。
 どっから湧いて来るんだよ。
 まさか今までずっとこんなのに囲まれていたわけじゃないだろうな? 」
「さすがにこれほど増えたのは今朝からだな。
 大半はあれに呼び寄せられて結界の穴から潜り込んできた小物だろう。
 あれだけ穴だらけなら大物は無理でも小物なら楽に入れる。
 恐らくあの鳥も皆そうだろう」
「げっ。
 それ本当かよ? 
 じゃぁあれ皆相手にするのか? 」
 正直うんざりする。
「大元を始末すれば散るだろう」
 小物など何でもないかのようにヴレイは言う。
「そろそろいくか」
 空を眺めたまま動こうとしなかったヴレイがようやく歩き出す。
「済まぬが、町の地図はあるか? 」
 ヴレイは、側に控えたまま黙って待っていた家令の男を振り返る。
「こちらに」
 予め指示してあったのか、予想して用意してあったのか男は手にしていた地図を広げる。
「……この辺りと、ここ、それからこの周辺だな。
 人をやって鳥を始末してもらってくれ。
 人を襲う鳥は妖魔にとり憑かれているか、妖魔そのものだから始末しても問題はない。
 ただ深追いはしなくていい。
 数があまりにも多くて対処できないようなら退避してくれ」
 広げた地図を手にヴレイは指示を出す。
「わかりました。
 では、早速…… 」
 家令はやや離れて控えていた騎士と思える数人の男の元へかけてゆく。
 
「なぁ、ヴレイ。
 鳥の対応なんかさせといていいのか? 
 もっと手を貸してもらうことがあるだろ? 」
 家令の指示を受けそれぞれに散って行く男達を見送りながらアースは訊いた。
「それでいい。
 一般の人々にも見える物を処理してもらえば、この街の者はそれで安心できるだろう」
「確かに。
 あいつらの中には人間の恐怖心喰ってでかくなるのもいるもんな。
 例え鳥だって襲われたら誰だって恐怖心を起こす。
 その鳥を始末してもらおうって訳か。
 護ってもらっているって言う確信があれば抱く不安は小さくなるってことだよな。
 でもって餌が少なきゃ妖魔は育たない」
 ヴレイの言葉にアースは頷く。
「それはわかったけど、肝心の大物はどうするんだよ? 」
「それが我々の仕事だろう。
 いくぞ、あまり時間はなさそうだ」
 普段は荷物の中に入れっぱなしになっている剣を佩きヴレイは顔をあげる。
「そうだった」
 小さく呟くともう一度家令の男に歩み寄る。
「もう一つ、仕事だ」
「なんでございましょう? 」
「この街に掛かった結界をできるだけ早く修復してもらいたい」
「ちょっと待った。
 直すってなんだよ? 
 壊すのの間違いじゃないか? 」
「お前はちょっと黙っていろ」
 ヴレイはアースの口を封じる。
「ともかく、一刻も早く結界の修理を頼む」
「あの…… 
 貴殿が直して下さるのではありませんか? 」
 男が戸惑った様子でヴレイの顔を見る。
「無理だな。
 他人の張った結界を別の術者の手で直すことは不可能だ。
 壊れかけた結界を一度消してもう一度張り直すのは可能だが、今はその時間がない。
 最初に結界を張った者に修復を依頼して欲しい」
「とは申しましても…… 」
「何か不都合なことでも? 」
 言いよどんでしまった家令の反応にヴレイは眉を動かした。
「実は、術をかけた魔導師は既に他界しておりまして、後を継いだ弟子は行方不明になっております」
「例の手の込んだ呪術道具を作らせておいて逃げた奴か? 」
「いえ、それとは別の方ですが。
 逃げたお方も一人や二人ではありませんでしたから」
「その話は置いておくとして。
 他にその死んだ魔術師の弟子か血統を継いだ者はいないのか? 」
「確か、ご令嬢が一人いたはずです。
 ですが偉大なる術者の力は受け継がなかったようで、今では結婚して普通にお暮らしになっていらっしゃるようです」
「そいつだ! 」
「はぁ? 」
 突然叫んだヴレイの声に家令は驚いたように顔をあげた。
「その娘を呼び出して結界を修復させてくれ」
「ですから、その方は魔力をお持ちにならなかったようで、全く普通のお暮らし振りです。
 恐らく魔術師の使う術は一つも使えないようですが」
 家令は困惑気味に訴えてくる。
「力などなくても、いざとなれば『血』が通用する。
 もともと結界を張った者はいずれ、効力が消え別の魔術師の手で張りなおさねばならないことを考慮して、その方法を血縁者に伝えているはずだ。
 今すぐに、その婦人を迎えにいってもらおう」
 何かに焦り苛立っているかのようにヴレイの語気が荒くなる。
「では、すぐに…… 」
 その勢いに気圧されたように家令は慌ててその場を離れてゆく。
「なあ、なんだって結界を修復する必要があるんだよ? 
 囲い込んだりしたら追い出すものも追い出せなくなるだろう」
 男の姿が見えなくなるのを待って、ようやくアースは問い掛ける。
「あれが見えぬのか? 」
 ヴレイは街の上空に視線を送る。
「もしかして、あの、黒いの、全部、妖魔? 」
 上空に目を凝らしてアースは途切れ途切れに訊く。
「なんか、穴に引っかかって入りたいのに入れないみたいな、でかめの奴までいるんですけど? 」
「そう言うことだ。
 漏れでた祟神の妖気に引き寄せられ随分の数集まってきている。
 幸いなことに今はまだ小物しか潜り込めないでいるがな。
 結界を破って浸入してくるのも時間の問題だろう」
「そうなったら、厄介だよな? 
 邪魔する雑魚は増えるし、もしかしてあいつの餌になったりなんかして? 」
「ルナの力を欲したくらいだ。
 あれは自分の魔力を増大させるために、引き寄せられてくる低級は片っ端から喰らうだろうな」
 アースの言葉にヴレイは頷く。
「嘘だろ? 
 今だってこの事態だろ。
 あれがもっと力をつけたらどうなるんだよ? 」
「だから、さっきから時間がないと言っただろう」
 ヴレイはようやく足早に歩き出した。
「で? 
 俺は何すればいい? 」
 慌てて追いかけながらアースはヴレイの顔を覗き込む。
「そうだ、な…… 」
 閑散としたマーケットの広場を見渡し、ヴレイは考えるように押し黙る。
 目を細めると結界の綻びから入ってくる妖魔の動く方角へ視線を動かす。
「とりあえず、行くか」
 呟くと、妖魔の後を追って歩き出した。


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