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14・帰れないってわかったので、
しおりを挟む「ん、いいお天気! 」
窓を開けてわたしは思いっきり伸びをする。
昨日までの雨が上がり嘘のように空は青く澄み渡っていた。
お天気がいいと今まで沈んでいた気分まで浮き立ってくる気がする。
わたしは身支度を整えると軽い足取りで螺旋階段を下り外へ出た。
まだ残る昨日の雨の湿気が不快にわたしを包み込んだ。
中庭に出るとティヤが転がるように駆けて来てわたしの足にまとわりつく。
初めての日あんなにわたしを拒絶していたのが嘘のようだ。
ただ、その脚は傍目でもはっきりわかるほど引きずっていて、恐らくこれ以上早く全速力で走ることはできないってのがわかる。
唯一救いだったのは、この犬がそれを望んでいたってことがわかっていること。
「お姉ちゃん! 」
向けられた声に犬から視線を門の方に移すと、あのラリマーの姿があった。
犬はわたしを離れ一気に少年の方に掛けてゆくと押し倒すような勢いでラリマーに飛びついた。
「ティヤ! 元気だった? 」
ラリマーははちきれそうな程の笑顔を浮かべ犬の顔に頬擦りする。
それに応えて犬も少年の顔を涎でべたべたになるほどなめまわした。
「本当にありがとう、ティヤを助けてくれて」
ひとしきり戯れたあと顔を上げるとラリマーは言う。
「ううん。ごめんね。
結局は君から犬を取り上げるような形になっちゃって…… 」
わたしはそれが心苦しくて少年の顔を真直ぐに見られないままで言う。
「そんなことないよ。
本当はね、ボク知ってたんだ。ティヤが仕事を怖がっていたこと。
何度か父さんにも言ったんだけど、きいてもらえなかった。
だから、ティヤの命が助かって、もう牛を追わなくていいんだからこんないいことないって思ってる」
少年は頭上に広がる青空のような笑みをわたしに向けてくれた。
「それにお姉ちゃんからもらった犬、すっごい優秀だって、父さんも喜んでいたし、ボクも仲良しになったんだよ。
だからね、お姉ちゃんは謝らなくていいんだ」
わたしの気持ちを察したようにラリマーは言ってくれる。
「ありがとう、君、優しいね…… 」
「そんなことないよ。
ね、ティヤと散歩に行ってきていい? 」
少年は照れたように顔を綻ばせるという。
「どうぞ、遊んであげて」
わたしはそれに笑顔で返した。
駆け出した少年に犬は軽い吼え声を上げ、跳ねるようにしてついてゆく。
「何時の間に犬を飼われたんですか? 」
少年の姿を見送っていると、不意に声を掛けられる。
その声にふりむくとキューヴの姿があった。
「あの、その……
成り行きでね」
わたしは少し身を硬くする。
「殿下に許可を取らなかったのは悪いと思っているんだけど…… 」
消え入りそうな小さな声で言うとキューヴの顔がふと綻んだ。
「そんなに縮みあがらなくても大丈夫ですよ。
殿下も犬はお嫌いじゃないですし。
むしろ珊瑚様の気ばらしになるのならって言ってくださるはずですから」
「良かった…… 」
わたしは一つ息を吐く。
「それで、キューヴはまた殿下のいいつけでわたしの様子を見に来たの? 」
いつもキューヴの側にあるもう一つの姿がないことに、わたしは気落ちしながらも言う。
殿下の姿がないのはがっかりなんだけど、いいかげん慣れなきゃいけない。
昨日アゲートも言っていた。
ここは殿下の住まいじゃないって。
「そんなところです。
多忙すぎてこちらに来られないことを随分気にしておられましたので。
新しいペットと、可愛い恋人を作っていましたって報告しておきますね」
茶化すようにキューヴは言う。
「ね? 殿下今度は何時来られるのかな? 」
無意識のうちに口をついて出る言葉。
無理を言ったらいけないって、理性ではわかっているはずなのに、わたしの本能はそれを受け入れられない。
キューヴの顔を見ただけで、もう殿下が恋しくてたまらなくなる。
「そうですね、雨も上がりましたし。
あちこちに残っている視察が済めばすぐにでも…… 」
キューヴは考えるように口にする。
「でも、あんな若い恋人を作ったって知ったら何を置いても来てしまいそうですけど」
キューヴは笑った。
だけど、その目は笑っていなくて……
わたしがそのことに気がつくと同時に、不意にキューヴは真顔になった。
「あの、珊瑚様。
一つ承知しておいてもらいたいことがあるのですが…… 」
わたしの顔を覗き込んで、妙な顔をした後、少し考えていた様子だったキューヴが意を決したように口を開いた。
「国王と魔女は、確かにお互いがなくてはならないパートナーなのですが、生涯をともにする伴侶にはなれないんです。
そう決まっています」
そして真直ぐにわたしを見据えて言う。
「決まり? 」
わたしは首を傾げた。
「この国の全員がそう思っているわけではありませんけど……
いくら魔女が国王の片腕として欠かせない人物でも、異世界からの人間である以上あんまり気持ちのいいものじゃないって、思っている人が一部いるんです。
その魔女が産んだ子供が時期国王になるのは都合が悪いということです」
「反対する人たちがどんな行動に出るかわからないから? 」
「そうです。
そして、国王はその立場上、世継ぎを儲けることは必須ですから…… 」
キューヴの言葉はそこで途切れたけど、何を言おうとしているかは明白だった。
その言葉にわたしは息をはく。
だから殿下を好きになっちゃいけないって、好きになったらこっちが苦しい思いをするだけだって。
そう告げてくれている。
でも、そんなこと言われると尚更意識してしまう。
そういえば先王もパートナーの魔女のことを「いい友」と表現していた。
「じゃぁ、キューヴのおばあちゃんってやっぱり国王以外の人と結婚したんだ」
「そうですよ。言っていませんでしたか? 僕の祖父は普通の鍛冶屋です。
祖母のおかげで僕は城勤めができているけど、本当なら今ごろ鍛冶職人になっていた筈なんです」
そう言ってやんわりとした笑顔をわたしに向ける。
「すみません。
本当はもっと早く言ってあげられれば良かったですけれど。
召還された魔女様は大概、自分の居た世界に戻る手立てを探すのに必死で、そこまで気持ちの余裕がないって話でしたから、言わなくてもいいかなと思ってしまったんです。
言えば、『ずっと帰れない』という事実突きつけることにもなりますし」
キューヴは少し辛そうに睫を伏せる。
「そっか、そうだよね。
わたしもね、キューヴのおばあちゃんが先王の魔女だったって聞いた時に、嫌な予感がしたんだ。
ひょっとしてもう帰れないんじゃないのかって。
やっぱりそうだったんだ…… 」
肩を落としたわたしを前に、キューヴは黙って頷いた。
「祖母もね、帰ることを完全に諦められるようになるまでに何年も掛かったって言っていました。
なのに、珊瑚様。
こっちが驚くくらいどんどん、皆になじんでいくのですから…… 」
「そう? 」
「帰りたいって最初の一回以外、一言も僕たちの前では言ったことないし」
「それは、だって、誰に頼んでいいのかわからなかったというか……
きっとね、国王陛下の魔女様にでも会っていたらお願いしていたかも知れないけど。
あいにくとあわせてもらえなかったし…… 」
アゲートや料理人のおばさんに言っても困らせるだけだってわかっていたから言えなかっただけ。
それに、そんなわたしの気持ちに気がついていたからか、皆やさしかった。
だから尚更……
「いえるわけ、ないじゃない」
小さくつぶやく。
「そんなお顔しないで下さい。
僕達のほうが悲しくなってしまいます。
もちろん珊瑚様の大好きな殿下もです」
声のトーンを上げてキューヴは言う。
「……うん」
……やっぱりわたし駄目だな。
妙に沈んで皆を困らせてしまう。
わたしはそっと睫を伏せた。
「じゃ、僕はこれで行きますけど。
次に会うまでには元気な珊瑚様に戻っていてくださいね」
笑みを残してキューヴは帰って行った。
「わぁ…… 」
数日後、鏡の前に立ち、わたしはもう一度自分の姿をチェックすると歓声をあげた。
真新しい真紅のデイドレスは、少しだけ丈が短いこともあって動きやすい。
「ね? わたしこういう華やかな色着たことなかったんだけど、おかしくない? 」
振り返って背後に立つアゲートに訊く。
「よくお似合いですよ。黒髪にとても映えます」
そう言ってやんわりと微笑んでくれる。
「今までのお召し物もお似合いでしたけど、珊瑚様よく裾を踏んづけて躓くので…… 」
……その言葉にわたしは少し顔を赤らめた。
「だって今まで床に引きずる丈のドレスなんて着て生活することがなかったんだもん。
その、慣れてないって言うか…… 」
「だと、思いました。
ですからあたし達で珊瑚様に合うように作ろうって思ったんです」
「それに珊瑚様ならきっとこういうはっきりした明るい色のほうが似合うんじゃないかなって」
一緒にいたキッチンメイドが言う。
「ありがとう、嬉しい! 」
わたしは二人に笑いかける。
「でもいいの? 生地代、結構掛かっているような気がするんだけど」
ええ、もう。
これだけのものを縫うには、わたしが過去に着ていたものなんか比較にならないほどの生地の量が必要のはず。
洋服なんて既製品しか買ったことないけど、それにしたってこれだけのものをあつらえるとなると結構なお値段になる。
「大丈夫です。
生地は殿下が用意してくださったものですから」
アゲートが微笑んだ。
「縫うのにだって時間掛かった筈でしょ? 」
それが申し訳なくてわたしは言う。
「気にしないで下さい。
いつもやわらかいパンとか、おいしいお菓子のレシピを教えていただいているお礼だと思って」
キッチンメイドが笑みを浮かべて言う。
「じゃ、また何か……
シフォンケーキの分量でも思い出したら教えるね」
「シフォンケーキですか? 」
「そ、ふわふわの軽い食感の優しいケーキなんだけど、材料がイマイチ思い出せなくて…… 」
「アゲート! 殿下のお帰りだよ。
お出迎えの準備を手伝っておくれ」
言いかけたところで窓の外から声がした。
「はい! ただいま」
大急ぎで窓の側に寄るとアゲートは返事をする。
「今度はあたしの番よ。
叱られないうちに行くね。
じゃ、珊瑚さま失礼します」
軽く頭を下げると、キッチンメイドの女の子は大慌てで駆け去ってゆく。
一人残されて静まり返ったわたしの部屋とは反対に、砦の中は急にざわめいてゆく。
それと同調するようにわたしの心もざわめきだす。
わたしは窓に駆け寄ると、中庭の光景を見渡す。
何頭かの馬が引き込まれ、馬丁によって厩の方へ引かれてゆく。
その先には砦のドアの前に一列に並んで頭を下げる使用人たちの姿。
そして中庭の真中で固まり旅支度を解いている一団の中からわたしの目は一つの姿を見つけ出す。
お出迎えはいいって言われているけれど、呼ばれるまでなんて待っていられない。
- 最初に……
はやる心にわたしは部屋を飛び出すと、真新しいドレスの裾を翻して駆け出していた。
-出会った時から、惹かれていた。
光の入らない暗い中央空間を斜めに駆け抜ける。
-側にいて欲しい……
狭い螺旋階段を下る。
-見つめて欲しい……
あまりに急ぎすぎて靴の踵を踏み面の角に引っ掛けて転びそうになる。
-声を聞きたい……
慌てて壁にしがみつきその場をしのぐと二階のホールに出た。
-笑い掛けてほしい……
ホールを対角線に突っ切りをようやくホールの壁にしつらえられた唯一の出口にたどり着く。そこを潜った先の跳ね橋式の踊り場でわたしは足を止める。
-触れてほしい……
呼吸が乱れて胸が早鐘のように鼓動を打つ。
-抱きしめて欲しい……
息を整えるまもなく、階段下の中庭を見下ろしたわたしの目に、ようやくその姿が飛び込んできた。
-そして……
……わたしはだんだん欲張りになっていくみたいだ。
あれほど求めていた笑顔がわたしに向けられる。
「……なんだか、飼い犬に出迎えられているみたいだな」
あれほど聞きたかった声が、少し照れくさそうにそう言った。
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