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32・いろいろ探られたので、

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「では、魔女殿、また次回を楽しみにしておりますぞ」
 見送りに出た外門の前で教授は馬の上からわたしに微笑みかける。
「えっと、お手柔らかにお願いします」
 わたしは僅かに顔を引きつらせて答える。
 さすがに三日間の集中授業はきつかった。
 暇がつぶれたなんて喜ぶどころじゃない。頭のなかに詰め込まれたものがまだ整理できずにぐるぐると渦巻いている気がする。
「そんなに緊張しないで下され。
 では、また…… 」
 教授の乗った馬はゆっくりと歩き出す。
「机の上の計算は優秀なんだって? 」
 降って湧いたような声にふりむくとオプシディアンの姿があった。
「自分の所有する倉庫の管理も満足にできないくせに」
 男は莫迦にするかのように鼻で笑う。
「悪かったわね! 」
 わたしは噛み付くように言う。
 
 別に管理を怠っていた訳じゃない。
 番狂わせが起きただけ、あんたのお姫様のせいでね。
 
 喉元まででかかった言葉を飲み込む。
 
 ……半分はわたしのせいなんだよね。
 そもそも、わたしが柔らかいパンの製法なんて教えなければ、小麦が不足なんて事にはならなかった筈。
 次いで王女が来なければ、来てもあんな要望を口にしなければ。
 小麦が寂しくなったら、パンはおじいちゃんだけにして、みんなにはいつもの別の麦を使った昔からのパンを食べてもらえば済んだ筈なのだ。
 現に殿下のお留守の今は、皆にそうしてもらっている。
 来年は少し小麦の作付けを増やしてもらう予定。
 ただ、今年の間には合わないから。やっぱり今までのものでやりくりするしかないってがんばっているのに…… 
 
 まるでわたしが無能みたいに言われて無性に腹が立つ。
 
 わたしは男に背を向けて歩き出す。
 そう、大事なことを忘れていた。
 ううん、忘れていたわけじゃないけど、教授がきちゃったせいで考えている暇がなかった。
 
 どうやって、この男を王都の王女の所に送り返すか。
 
 アゲートも嫌ってるしするから、一刻も早く帰ってもらいたいんだけどな。
 
 一番簡単なのは、この男のプロポーズをとりあえず受けちゃうことだろうけど。
 間違ってもそれだけはしたくない。
 ええ、もう、絶対の絶対の絶対に。
 例え地下牢に放り込まれたってそのほうがマシ。
 
「待てよ! 」
 男は大またでついてくる。
「話はまだ終わってないぜ」
「そっちは終わってなくても、こっちは終わってるから」
 振り返りもせずに言う。
 正直この男の顔なんてもう見たくもない。
 
「君、聖域から一人で生きて帰ってきたって、本当か? 」
 前に回りこむと、男はまるで異質なものでも見るような目でわたしを見据える。
「それがどうしたって言うのよ? 」
 わたしはそのせいで足を止めることになり、足を止めさせられた苛立ちも手伝って男を睨みつけた。
「いや、やっぱり魔女は怖いなと思ってさ。
 この間の戦。知っているだろう? 」
 その言葉にわたしの顔から血の気が引く。
 殿下を死の縁まで引っ張っていったあの戦。
 そのことなんて考えたくもない。
「君のところの被害もそこそこだったみたいだけどな。
 俺はあの戦で二人の兄弟をあの鳳に喰われたんだ。
 それだけじゃない、仲間も数人な」
「な…… 」
 やっぱりあの鳥、肉食って本当の話だったんだ。
 今更ながらにあの大きな影が上空から頭上に急降下してきた時の情景が思い起こされ、全身が粟立つ。
「ま、あんな物騒な場所で戦を仕掛けたこっちの国王も国王だけどな」
「どうして? 
 ただでさえにらみ合って相手に殺されるかも知れないのに、第三者に襲われるリスクまで負うの? 」
 ふいに口をついて出る言葉。
「さてね。
 あの莫迦国王の考えていることなんか俺みたいな凡人には全くわからないけど。
 一応、あの鳳が自分の見方をしてくれるとでも思ったんじゃないのか? 
 使いようによっては、見方には見向きもせず、相手方の人間だけど襲うとでも考えたとか? 
 それで、結果が、あれ。
 惨憺たる有様でさ、おかげで今回の話にもつれこんだって訳」
「王女さまの輿入れの話が浮上したってこと? 」
「なのに、何故あんたは無傷でここにいる? 」
「それは…… 」
 わたしは口篭もる。
 多分、王都の魔女様とあのユニコーンのおかげ。
 わたしの能力じゃない。
 わたしはただ守られていただけ。
 
 だけど、正直にそんなことまでこの男に話してしまっていいのか躊躇する。
 
 と、いうか、その前に。
 どうしてこの男はそこまであれこれ知っているんだろう? 
 予想はつかないわけじゃない、砦の人間の中には口が軽い人がいるってだけの話。
 
 それにしても、三日ほどわたしが教授と書庫に篭っている間に、よくこれだけのことを聞き出したものだと思う。
 ここの人たちの一部がいくら口が軽いって言っても、敵国のしかも中心部にわりと近い位置にいるってわかっている人間に、そうそうほいほいと口を割るわけないと思う。
 そんな人間殿下が側に置いておくわけがないはずだから。
 
 なので、一刻も早く王都に帰ってもらいたいんだけど。
 わたしのことだけじゃいいけど、これ以上余計なことを詮索されるのはさすがにまずい。
 何しろ、ここは国境を守るための砦の訳で、内情を全部知られたら攻められた時に陥落しかねない。
 
 ……殿下に相談してみようかな? 
 
 ふいにあの笑顔が蘇って胸が引き絞られた感覚にわたしは胸元で手を握り締める。
 
 本当はわたしが王都にいければ一番いいんだけど。
 そうしたら、この男も一緒に連れて行って置いて来ちゃえばいい。
 だけど、わたしが王都に入れないんじゃそれは不可能で…… 
 これだけ、わたしに固執してると誰か他の人間に連れて行ってもらうのは無理そうだし。
 
 
 わたしが言葉に詰まっていると、そこに荷物を積んだ荷馬車が入ってきた。
「魔女様、お言いつけの小麦をお持ちしました」
 見知った村の村長が馬車を止めると御者台を降り、被っていた帽子を取ってわたしに頭を下げる。
「ありがとう。
 じゃ、バッテリーの方に運んでくれる」
 お願いしてわたしは同じく食料保管庫の方へ歩き出す。
 これで少しの間、この男から離れられると思うと、少し気が楽になる。
 
 出掛けに殿下にお願いした小麦の手配、もう済んでいたんだ。
 相変わらず殿下のその仕事の速さには舌を巻く。
 
「では、わしはこれで…… 」
 荷馬車の荷台に積んだ袋を全て下ろして積み上げると男はまた頭を下げた。
「ありがとう。
 料金は後で取りに来てね。
 それからこれ、小さなお嬢さんに食べてもらって」
 男が荷物を降ろしている間にキッチンからもってきたクッキーの入った小さなかごを手渡す。
「いつもお心遣いありがとうございます」
 男は更に頭を下げて馬車に戻る。
「やれやれ…… 
 これで、今年の小麦は何とかなりそうだね。
 バッテリーに積み上げられた袋を前に付き合ってくれていた、料理人のおばさんが息をついた。
「ごめんなさい。心配かけて…… 」
「なに、珊瑚ちゃんのせいじゃないし。
 そもそもパンの焼きすぎだってのはわたしだって承知してるよ」
 そう言って声をあげて笑ってくれる。
「パンの焼き過ぎって言えば…… 
 薪は大丈夫? 」
 わたしはおばさんの顔を見て訊く。
 オーブンを暖めるには燃料が必要で、ここの場合それが薪。
 都市ガスや電気のようにお金さえ払えば他に何もしないでも無尽蔵に供給されるわけじゃなかったことをわたしは思い出す。
「どうかね? 」
 首を傾げた後おばさんは歩き出す。
「一応まだ兵糧の分には手をつけちゃいないよ。
 普段キッチンで使っている分はこっちだけどさ」
 案内されたキッチンの裏手に積まれた薪は先日から比べるとだいぶ減っている。
「定期的に補給されるから、次の補給量を少しふやしてくれるとあたしも安心なんだけどさ」
 薪の山を見上げておばさんは呟いた。
「うん、手配しとくね。
 ね、この薪ってとこから来るの? 」
「どこって…… 」
 わたしの言葉におばさんが目を丸くした。
「この近隣の森ですよ」
 声に視線を向けると、何時からそこにいたのかサードニクス将軍の顔がある。
「森の木? 」
「そうですが、何か? 」
 そのあんまり切ると森林破壊が…… 
 足りないからってやたら切って薪にしちゃっていいんだろうか? 
 妙な知識が顔を出す。
 
「今からでも、一度、見に行きますか? 
 ご案内しますよ」
 将軍が言ってくれる。
「ありがとう、でも…… 」
 わたしは背後に視線を動かした。
 わたし達の立つ場所より少し離れた建物の壁に背を預け、こちらを見ているオプシディアンの姿がある。
 
 なる…… 
 
 皆から、あれこれ聞き出すだけじゃなくてこうやって情報収集していたって訳だ。
 
 つまり、領地の森の視察なんて言ったら絶対に着いてくる。
 明らかにこっちの弱みを探っている人間にそんなところまで晒す必要はない。
 
「また、次にしておくね」
 わたしは将軍の顔を覗き込むようにしながら背後の男に視線を送りながら言った。
 
 
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