リーゼロッテの王子さま -婚約者候補に奥さんがいたらいけませんか?ー

弥湖 夕來

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「ね? どうしてヴェルナー様がここに居るの? 」
 リーゼロッテは首を傾げる。
 普通の状態なら父親や家族でもない男が年頃の少女の寝室の枕元で夜を明かすなど絶対にあってはならないことだ。
 特にリーゼロッテの場合は乳母がそんなことを許す訳がない。
「先日姫様を襲った男があの時捕えられたのはご存知ですよね? 」
「ええ」
 あの騒ぎの中、その場に居合わせたヴェルナー邸の従僕や警護に当たっていた兵、そしてリーゼロッテの外出を聞きつけて駆けつけたヴェルナー達によって犯人は簡単に取り押さえられたと聞いている。
「……その先は俺が話す」
 降ってきた声に顔を上げると何時の間にか目を覚ましたヴェルナーの姿があった。
「おはよう、姫君。
 早いんだな」
 背後からそっと顔を寄せると、ヴェルナーはリーゼロッテの頬にそっと唇を寄せてくれる。
 男にしてみればただの挨拶のはずなのに、何故かリーゼロッテの鼓動が早まった。
「実はあの後、君に傷を負わせた男を尋問中に妙な言葉を聞いたんだよ」
「妙な言葉? 」
 テーブルの反対側に腰を下ろしたヴェルナーの顔を見ながらリーゼロッテは首を傾げた。
「ああ、何でも仲間が城の中にも潜入しているとかなんとか…… 」
 ヴェルナーは渋い顔をした。
「ただのハッタリかもしれないが、あんなことの後だ。
 警戒しておく方がいい。
 そういう事情で乳母殿に無理やり頼んだんだよ」
「そんな話、わたし聞いてないわ! 」
 自分の身に危険が迫っているのを知らずに毎晩ご機嫌で熟睡していたかと思うと、さすがにバツが悪い。
「俺が口止めした。
 大怪我をした後の君に余計な負担を掛けたくはなかったからな。
 心労で傷が悪化したら困る」
「でも、ヴェルナー様直々についていて下さったなんて。
 ……もしかして毎晩? 」
 リーゼロッテの声が次第に小さくなる。
 まさか枕もとで毎晩寝姿を見られていたと思うと、恥ずかしさで顔に一気に血が上った。
「まさか、姫君の寝室にいくら警護の為とはいえ衛兵を入れるわけにはいかないだろう」
「それはそうだけど…… 
 よくニオベが承諾したなって」
 リーゼロッテは恨みを込めた視線を乳母に送った。
「ヴェルナー殿下が駄目ならヴィクトール殿下をと脅されましたからね。
 ヴィクトール殿下を引き合いに出されたら承知しないわけにはいかないじゃないですか。
 それでしたらまだ奥様のいらっしゃるヴェルナー殿下の方がマシです」
 諦めたように乳母が呟いた。
「そんなに警戒しないで大丈夫だと言っただろう。
 ウルティモ帝国皇帝の一人娘に手を出すには命が幾つあっても足りないのは誰でも承知だ」
「そういう問題じゃ…… 」
 思わずリーゼロッテは戸惑いの声をあげた。
 その背後で突然ドアがノックされる。
「リーゼロッテ様はもうお目覚めですか? 」
 遠慮がちに訊いてくるのはアーデルハイドの声だ。
 それに反応してヴェルナーがすばやくドアに歩み寄る。
「じゃ、もしかして香が変わっていたのって…… 」
 男の背中を見つめながら、リーゼロッテは乳母に囁く。
「はい、枕もとで慣れぬ人の気配がして寝付けなくてはいけないので、少し配合を変えておきました」
「それって、わたしよりヴェルナー様の方に効いたんじゃない? 」
 どうりでヴェルナーがあの窮屈な体勢で寝込んでいるわけである。
 子供の頃からこの手の香の世話になっているリーゼロッテには既に免疫ができていて若干効きが悪い。
 恐らくそれを承知で乳母は香の配合を変えたのだろう。
 
「朝早くから何の用だ? 」
 予期せぬ訪問者にヴェルナーがドアの向こうに立つ人影と対応してくれている。
「朝摘みの薔薇をリーゼロッテ様に届にきたのよ。
 子供達がどうしても姫様に差し上げるんだって、うるさくて…… 」
 色とりどりの花束を手にしたアーデルハイドにヴェルナーがそっと顔を寄せる。
 その光景はいつでも一枚の絵のようで、思わずため息がこぼれてしまう。
 それと同時に胸を締め付けられるような切なさがリーゼロッテを苛んだ。
 
 どうして? とか、何故とか、そんな言葉ばかりが頭の中で何度も繰返される。
「姫様? 」
 ドアの前の二人の姿を目に黙り込んでしまったリーゼロッテの顔を乳母が覗き込んできた。
 
「帰りましょう、ニオベ」
 ぽつりと小さく呟く。
「え? 」
 呟いたリーゼロッテの声は乳母の耳にはっきり届かなかったようでもう一度訊かれた。
「傷が塞がったら、お暇しましょう」
「いいんですか? 姫様はまだ…… 」
 乳母はいかにも気の毒そうに眉根を寄せて訊いてくれる。
「あれでも、わたしに勝ち目があると思う? 」
 額を寄せ合い笑みを浮かべる二人の幸せそうな姿に視線を向けリーゼロッテは呟いた。
 もう、二人が並んだ姿を見たくない。
 その光景を見るたびに胸の中に真っ黒な靄が広がって不快になる。
 どうしてヴェルナーの隣に立っているのが自分じゃないのかって、どうしてあの優しいキスを落される額が自分のものでないのかと、つい考えてしまう。
 アーデルハイドをけして嫌いなわけではないけれど、その黒い靄が胸に広がるたびにどうしようもないどす黒い思いに支配される。
 そんな自分も嫌だ。
 せめて迷惑だとはっきり態度で示してくれれば諦めもつくかもしれない。
 ヴェルナーはいつでも優しくて、時折与えられる甘い抱擁や挨拶のキスにいつでもときめいてしまう。
 ただの挨拶だってわかっているはずなのに…… 
 だから、ヴェルナーのことを嫌いになれたら。
 他の王子にも目が向けられるのに。
 何度もそう思う。
 しかしヴェルナーのあの穏かな笑顔を向けられるたびに、どんどんひきつけられて行く自分がいる。
 このままではどうにかなってしまいそうで怖い。
 
「ね? お父様も心配なさっているだろうし…… 
 もう、これ以上ここにいても却って迷惑を掛けてしまうだけだもの」
 今回は怪我だけですんだけど、もしここで自分が命を落すことになったりしたら…… 
 父の気性から考えてもきっと戦は避けられなくなる。
 それだけはどうしても避けたい。
 自分のことで何のかかわりもない民に被害が及ぶのだけは絶対に避けなければならない。
 だったら、見込みがないとはっきりわかっている以上、もうここに居続けることは無意味だ。
「では、大至急皇帝陛下に連絡を取りますね」
 乳母が慌てた様子で立ち上がった。
「姫君? 」
 それを聴きつけたようにヴェルナーが室内へ駆け戻ってくる。
「どうして急に? 」
「急でもないのよ、少し前から考えていたの。
 わたしがこちらにお邪魔させていただいた本当の理由は、お父様の宮殿内に不穏な空気が流れていたから。
 わたしの安全を考えて、お父様がオズワルド陛下にお願いして避難させていただいていたのよね。
 でも、ここも安全でないのなら、これ以上ご迷惑をおかけするわけにはいかないもの。
 お世話になりました」
 湧き上がってきそうになる涙をこらえ、リーゼロッテはヴェルナーに笑みを向けた。
 
 
 
 夜半近く、リーゼロッテはそっとベッドを抜け出した。
 あれ以来ずっと枕元に置いてあったくまのぬいぐるみを手に、そっと庭に滑り出す。
 それからの数日、乳母は大忙しだった。
 持ち込んだ荷物を取りまとめる使用人に指示を出し、物によっては先に送り出す。
 その合間に本国との連絡を取る。
 ここへ来る時にはリーゼロッテの知らないところで無数の使用人がしていたことをほとんど乳母一人が担っていた。
 それを横目にリーゼロッテは久しぶりに自由を満喫していた。
 多忙すぎる乳母はリーゼロッテのことに目が行き届かなくなっている。
 おかげで少し位の時間なら庭へ散歩に出ても何も言われない。
 
 おりしも満月の月明かりに照らされて、手入れの行き届いた庭のトピアリーを明々と照らし出す。
 その中にじっと立ち月を見上げる人影をリーゼロッテは見出した。
「やっぱり、いた」
 ぬいぐるみを抱えたまま駆け出し、影の側まで来るとリーゼロッテは息を弾ませたままその顔を見上げる。
「ここに来れば遇えるんじゃないかって思ったのよね」
 その言葉に少年がゆっくりとリーゼロッテに顔を向ける。
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