上 下
2 / 21

1・魔女を拾ったけれど、 -2-

しおりを挟む
「ここにいる間って言われても、あたしそんなに長居するつもりはないんだ。
 すぐにでも帰りたいんだけど、此処、何処? 
 さっきの鳥何? 
 後で説明してくれるって言ったよね? 」
 女は立ったまま堰を切ったように話し始める。
「ああ、あれか? 
 あれはロクデモナイヤツオトトイキヤガレ鳥、通称ロク鳥といってあの聖域を守る守護鳥だ。
 因みに肉食。
 噂じゃ聖域の中に足を踏み入れた人間片っ端から呑み込むって話だ。
 ついでに此処はロンディリュウムサイ王国。
 ロンダリア大陸の中央やや西より辺りだな。
 その国境付近の聖域を守る砦だ」
「何よ、それ? 」
 俺の答えに女の顔が一瞬引きつった。
「何時の時代…… ってか、その前にロンダリア大陸なんてないよね。
 みたところヨーロッパみたいだからユーラシア大陸? 」
「残念ですが、不正解ですね。
 その大陸はこの世界の何処にも存在しません」
 パライバが呟いた。
「存在しないって、どういうこと? 」
 女の目が見開かれた。
「お気づきになられていませんか? 
 此処はあなたの居た世界ではないことに」
 その言葉に女の顔が一瞬で青ざめた。
「つまり、あたしはどこかの異世界に飛ばされて来たってこと? 
 階段から落ちたのに手摺じゃなくて木の枝に引っかかった時点で、どこかおかしいとは思ったんだけど、実際にそんなことがありうるわけ? 」
 蒼い顔をしたまま女はぶつぶつと口の中で何かを呟く。
「あ、でも言葉は通じているから誰かにからかわれてる? 
 にしては、大掛かりだよね? 
 着る物だけじゃなくて、建物やこの人里全体ついでに外人さんまで用意するなんて…… 
 手が込みすぎだよぉ。
 建物は中世で、家具はビクトリア様式、衣服はロココって、何? 
 や…… もしかして、あたし、死んでる? 
 そうよ。四階の階段の手摺を越えて反対側に落っこちたはずだもん。
 無事で済むわけないって…… 
 落ち方が悪くて首の骨でも折って即死とか? 
 でもって、ここって三途の川の手前? 」
 更に顔色を蒼白にさせながら女は続けた。
 女には既に廻りの俺たちの姿は見えていないようだ。
「ちょっと待て、落ち着けよ! 」
 自分の置かれた状況を把握しようとして考えを巡らすうちにパニックになりかけているように見える女に俺は呼びかけた。
「これが落ち着いてられる? 
 あなたたちはどうか知らないけど、こっちは現実死活問題なんだからっ! 」
 終にはパニックも絶頂に達したのか女が声を荒らげた。
「貴様! 殿下になんと言う口をっ! 」
 いわれのない怒りを露にされ、パライバが反射的に俺の前に立ち女を睨みつける。
「いい、やめとけ」
 俺はその肩に手を掛けると背後に押しやった。
 とはいえパライバはこれで黙るからいいとしても、女の方はどうしたものか…… 
 冷静にさせないと話もできない。
 とりあえず、一度今の思考から頭を切り替えさせないと。
 そう思いながら頭を捻ると手にしたカップの中でお茶が揺れる。
 それを手にしたまま俺は女に一歩近寄ると、おもむろにカップを持ち上げ女の頭上まで持っていき傾けた。
「何すんのよっ! 」
 突然頭からお茶をぶっ掛けられ、ようやく女は俺の顔を見る。
 淹れてから少し時間の経っていたお茶は、恐らく火傷するほどには熱くはない筈だ。
「どうしてくれるの、これ借り物なんだよ。
 こんな高価な物、染みなんかつけたりした日にはどうして謝ればいいのよぉ」
 うめくように言ってお茶の滴った胸元辺りに視線を動かす。
 案の定突然お茶をぶっ掛けられ、髪を濡らされ借り物のドレスを汚されたことに女の意識は少しこちら側に戻ってきたようだ。
「気にするなよ。
 それを用意させたのも俺だし、汚したのも俺だ」
 慌てて女に駆け寄って手にしたハンカチを差し出すプルームに視線を送り頷きながら俺はいう。
「それで、少しは落ち着く気になったか? 」
「あ…… 」
 差し出されたハンカチで濡れた顔とドレスの胸元を拭いながら、女は言葉にならない声を発した。
 
「その、まことに言いにくいのですが…… 」
 ようやく俺達の話を聞く気になった女をソファに座らせたところでパライバが切り出す。
「先ほども申し上げましたとおり、此処はあなたの生まれて暮らしてきた世界ではありません。
 時空も時間も全く別の、異世界とでも言いましょうか。
 この世界に存在する三つの月が一列に等間隔に並ぶ何年かに一度、あの場所がどこかの世界に通じまして、時折あちらの人間が迷い込むと言うか呼び寄せられるというか…… 
 とにかく現れるのです」
「……つまり、あたしは死んだんじゃなくて異世界に来ちゃったってこと? 」
 女は睫を瞬かせると上目遣いに俺達を交互に見上げる。
 その表情がなんとも愛らしい、なんてこの場では関係のないことをうっかり思ってしまう。
「そういうことだな」
 女の問いに俺は頷く。
「じゃ、どうやって帰ればいいわけ? 」
「それは無理かと…… 」
 ただでさえようやく落ち着いたばかりの女にパライバは非道な言葉を呟いた。
「あ、莫迦っ! 」
 慌てて口を閉ざさせた時には遅く、パライバの呟きはしっかり女の耳に入ってしまっていたみたいだ。
 途端にその表情が曇る。
「困るのよ、それじゃ…… 
 せっかくのデートの約束、すっぽかすことになるじゃない。
 振られたらどうしてくれるの? 
 一年半も片思いして、ありったけの勇気搾り出して告白してようやく付き合ってもらえるようになった先輩なのに」
 女はどこか切羽詰った様子で叫ぶ。
「とは言われましても、こちらとしてもそこまでは関知していないと言いますか。
 そもそも、魔女になるべくして現れたあなたを帰してしまうわけには…… 」
 パライバが眉間に皺を寄せた。
「ちょっと待って! 
 魔女って何? 」
 妙な単語を聞いたとでも言いたそうに女が首を傾げた。
「魔女は魔女ですが。
 このロンディリュウムサイ王家に仕え国王と共に国を支えて行く使命を担った」
「じゃ、やっぱり何かの間違いじゃないのかな? 
 あたし、魔女なんかじゃないよ。
 そもそもあたしの居た世界には現実的に魔女なんて存在、ありえないから」
 女は首を傾げる。
「間違えじゃないと思うぜ。
 あの場所にあのタイミングで現れるのは魔女と相場が決まっているんだからな」
 同意を求めるように俺はパライバの顔を見上げた。
「恐らくですが、こちらのお嬢様の場合、覚醒が必要なパターンかと。
 歴代の記録からしますと産まれ持って魔女の自覚のあるものとこちらに来てから魔力に目覚める者の二通りあるということですから」
 パライバがしたり顔で説明する。
 さすがに王太子付きの文官だけのことはある。
 王太子本人の俺よりそういう事情には詳しい。
「帰してって、お願いしても無駄みたいだよね」
 少し拗ねたように女は言うと恨みを込めた目で俺を睨みつけた。
 次いであからさまにため息を吐く。
「とりあえず、あの場所から連れ出してくれたことはお礼を言うね。
 もしあのままあそこに居たら、あたし今頃鳥のお腹の中だっただろうし。
 それとこれも…… 」
 気を取り直したかのように言って女はドレスのスカートを指し示すように丸く持ち上げる。
「その、早速汚しちゃって申し訳ないんだけど」
「言っただろ? それを汚したのは俺だから気にするなって」
「でも、ごめんなさい。
 あたしがあんなに取り乱さなければ、此処までする必要なかったんだもん。
 問題は…… 」
 言いかけて女の顔が急に曇った。
「どうかしたか? 」
「これからどうしたらいいのかなって。
 家にも帰れないしお金も持ってないんじゃ、路頭に迷うのが当たり前でしょ? 」
「此処に居ればいいだろう」
 俺は当たり前とばかりに口にする。
「いいの? 」
 女の顔が少しだけ綻んだ。
「そのために迎えにいったんだぜ」
「でも、あたしあなたたちの言っている魔女じゃないと思うよ」
「そんなのわかんないだろう? 
 それにこの砦の主がいいって言ってるんだから、遠慮するなよ」
「……じゃぁ、お世話になります」
 意を決したように言って女は頭を下げた。
「おまえ、名前は? 」
「あたし、蛍。源(みなもと)蛍(ほたる)っていいます」
「俺はフロー、こっちはパライバだ。
 よろしくな」
 背後に立つパライバに視線を送り、俺は言う。
「こちらこそ、よろしくお願いします。
 フローさん? 
 えっと、さんでいいのかな? 
 さっきからそっちの人とか皆、“殿下”とか、“王子”とかあたしの居たところじゃありえない称号で呼んでいるんだけど」
 蛍と名乗った女は少し戸惑ったように言う。
「国を治める国王とか王太子って知らないのか? 」
 パライバが呆れたように訊く。
「知らないわけじゃないけど、あたし達にしてみたら雲の上の人だもん。
 一般庶民母子家庭育ちのあたしなんかじゃ間近で直接話なんかしたことどころか接点だってないから、どう呼んでいいのかわからないし」
「フローでいいぜ」
「王子! 」
 たしなめるようにパライバが声をあげた。
「いい。
 敬称なんて面倒だ。
 蛍はこの国の人間じゃないし俺にそこまで敬意を払う必要はないだろう。
 それに…… 
 とにかくそういう訳だから、いいな」
 言いかけた言葉を俺は飲み込む。
 あれと同じ顔に今更『様』や『殿下』なんてつけて呼ばれたら、拒絶された気分になる。
「王子がそう仰るのでしたら…… 」
 パライバはそれだけ言って引き下がった。
「正直俺たちにはおまえを返してやれる手立てはない。
 だけど、此処にいて身の振り方が決まるまでは客として遇してやるよ」
「ありがとう」
 蛍の顔がようやく少しだけ綻んだ。
 その笑顔に俺の目が釘付けになる。
 
 
 ドアが閉まるのと同時にパライバがあからさまに大きなため息をついた。
「どうかしたか? 」
「いえ、よりによって『黒髪』の『覚醒前の魔女』とは…… 」
 その表情があからさまに曇る。
「あいつの髪、黒くはないだろう? 
 確かに少し黒味掛かってはいるがどちらかといえば栗色系だろ」
「いえ、あれは人為的な色ですよ」
 一体何時の間にそこまで観察したんだか、パライバは自信を持って頷いた。
「仕方がないだろう? 
 こっちにそこまでの選択権はないんだから。
 むしろ俺にしてみれば奇跡みたいなものだ」
 蛍の顔を思い起こして俺は呟いた。
「そこも問題ですね。
 よりによってルチル様に似た顔の娘など…… 
 いいですか? 
 くれぐれも『契約』を早まったりなさらないで下さいよ」
 パライバは厳しい顔で俺をにらみつける。
「余計な世話だ。
 いずれ俺を補佐する魔女だろ? 
 相性が悪い相手なんか真っ平だからな。
 口出すなよ」
 書き物机に戻ると積みあがった書類を手に入れは呟いた。
 正直七歳も年齢の離れたパライバの進言は間違っては居ないと思う。
 子供の頃からの付き合いでその判断が信頼できることも承知だ。
 とはいえ事あるごとに釘を刺されるのはさすがに閉口する。
 これじゃどっちが王太子なんだかわからなくなりそうだ。
 
 
しおりを挟む

処理中です...