Flora

sakaki

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4:一目惚れは芽吹く暇も与えない

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色恋沙汰への鈍さほど質が悪いものはない。
香坂水瀬(こうさか みなせ)は日頃から常々そう思っている。というより、思わずにはいられない。恋人である齋原葉純(さいばら はすみ)を見る度に。
葉純の経営するフラワーショップ:Cicelyを訪れる客はそのほとんどが葉純目当てである。常に見ている訳ではない水瀬が気付くほどだというのに、当の葉純は全くだ。あからさまに手など握ってくる客がいたとしても、ただスキンシップの多い人。何度も食事や飲みに誘ってくる客がいたとしても、それはフレンドリーな人。執拗に連絡先を聞き出そうとしてくる客がいたとしても、花の世話について相談したいのだろうと店の名刺を渡す始末。
葉純はどちらかといえばしっかり者で、別に天然ボケという訳でもないというのに、自分に向けられる好意・・・というか下心に関してだけは殊更に鈍いのだ。警戒心がまるでない。
だから水瀬は苦労する。



(・・・ん?)
受け持ちの授業の合間、息抜きを兼ねて閉店間際のシシリーに向かおうとしていた水瀬は、階段を下りている途中で葉純を見つけた。客を見送っているらしく、入り口の前で姿勢良く立っている。柔らかい笑みを讃え、ゆっくりとお辞儀する所作は見とれるほど綺麗だ。何となくその視線の先を辿ると、背中を丸めた男が深々と頭を下げていた。頭を下げすぎて分厚い眼鏡が落ちそうになったらしく、おたおたしながら去って行く。何となく冴えない男だ。
あの男には水瀬も見覚えがある。常連の一人なのだろうが、水瀬が認識しているだけでもかなりの頻度で通い詰めているはずだ。例に漏れず葉純目当てだということは、その表情や態度から分かる。まぁ、葉純は微塵も気付いていないが。
(ま、露骨に誘ってきたりはしてこねぇみたいだけどな)
誘うどころか、ガチガチに緊張して話すのもままならなくなっている所も何度か見かけた。見た目の印象そのままに、かなりの奥手なのだろう。
そんなことを考えていると、店内に戻ろうとしていたらしい葉純がこちらに気付いた。
「水瀬、どうしたの? そんなところでぼんやりして」
中途半端な所で立ち止まっていた水瀬を不思議そうに見つめる。葉純が先ほどまでとは違う素の笑顔を浮かべている事に、水瀬は少しばかりの優越感を覚えた。
「ちょっと休憩中。そっちはぼちぼち閉店だろ? お疲れさん」
水瀬は残り数段だった階段を下りて葉純に歩み寄る。本当はゆっくりと髪を撫でたかったが、流石に外なので軽く頭に触れる程度にとどめた。
「うん。今のお客さんで今日はラストかな」
水瀬の腕時計を覗き込んでから葉純が頷く。今日も一日が無事に終わったという事に満足そうな表情を浮かべている。
「さっきの眼鏡、結構見かけるよな?」
話題に上ったことをこれ幸いと探りにかかる。
「あ、見てたんだ。そうなの。市ノ宮さんって言ってね、お得意様なんだよ」
葉純はそんな水瀬の意図など気付くはずもなく、屈託のない笑顔で答えた。
「ほら、近くにお料理教室あるでしょう? あそこの事務・・だったか総務だったかな・・の人で、お教室に飾るお花とかよく注文してくれるの」
「へぇ・・」
個人的に来ている訳ではないのかと少しは安堵する。
「大人しい感じだけど、すっごく良い人だよ」
葉純の評価に、思わず水瀬の目元がピクリと動く。だが葉純はそれに気付くことなく、更に市ノ宮を褒めちぎった。
「お花の説明とか、いつも真剣に聞いてくれるし、選ぶ時もすごく時間かけて一緒に悩んでくれるし。あ、お花届けに行く時も色々気を遣ってくれるんだよ。すっごく優しいの」
「へぇ~・・・そりゃ良かったな」
それは葉純に下心があるからだろう、と言ってしまいたい気持ちを飲み込んで平静を保つ。言ったところで、呑気にそんなはずないよと笑い飛ばされるのがオチなのだ。

「じゃ、また後で。お仕事頑張ってね」
「あぁ、お疲れ。後でな」
閉店の準備をしなければならない葉純を見送ってから、水瀬も塾へ戻るべく階段を上る。
(『優しくて良い人』、ねぇ・・・)
葉純に見せていた余裕顔は打ち消して、思い切り舌打ちをした。



翌日。塾が休みだった水瀬は、葉純の帰りを首を長くして待っていた。
シシリーには定休日があるが、水瀬の勤める興神塾は土日祝日休みなく授業を行う超進学塾。おかげで水瀬の勤務は時間も曜日も不定期で、葉純とはなかなか休みが合わない。二人っきりで一日中ゆっくり過ごすというのは滅多に無いことだ。
(けど、今週末は別だもんな~)
久しぶりにシシリーの定休日に合わせて休みが取れた。朝から晩まで思う存分葉純を味わうつもりだ。
水瀬としてはベッドから出ない一日でも全く構わない(というか望むところ)なのだが、葉純はせっかくだから二人で何処かに出掛けたいと言っていたので、ドライブデートを計画する事にした。葉純の好きそうな所を調べて、あれこれと予定を立てて、今日はそうやって有意義に過ごしていた。・・・のだが、
「はぁ? 仕事が入ったぁ!?」
ようやく帰ってきた葉純の言葉に耳を疑う。休みのはずだった週末に、二人っきりで過ごす予定だった週末に、料理教室の5周年記念パーティの会場準備の仕事を受けてきてしまったらしい。
「ゴメンなさい。お得意様の依頼だし、何より大掛かりなお仕事だからやってみたいって思っちゃって・・・」
「仕方ねぇなぁ・・・」
しゅんとして素直に謝られれば、大人げなく拗ねるわけにもいかない。物凄~~~く落胆はしたが。
「立夢と成夢には声かけたのか? 大掛かりな仕事なら人手いるんだろ?」
頭の中で組み立てていた週末の予定表をぐしゃりと潰し、笑顔を作って葉純の髪を撫でる。
「うん。立夢君にはお店でお願いして、高波にはメールで。二人とも出勤してくれるって」
水瀬が臍を曲げなかったことに安堵したのか、葉純は嬉しそうに水瀬の肩に寄り添って来た。
(料理教室って、あの料理教室だよな・・・)
葉純を抱き寄せながら、水瀬は不意に思いつく。
週末の楽しみが絶ち消えてしまった恨みも相まって、昨日の葉純の言葉がよぎった。
「俺も一緒に行って手伝ってやるよ。成夢はともかく立夢じゃ力仕事の足しにならねぇだろうしな」
企みを冗談交じりの口調に隠して、そんな申し出をする。
「本当? すっごく助かる! ありがとう水瀬」
当然ながら水瀬の思惑など知るよしもない葉純は手放しで喜んでくれた。



そして週末。
アルバイトの高波兄弟と揃いの作業着に身を包み、水瀬はキッチンスタジオICHIYOUに来ていた。葉純が大掛かりな仕事だと言っていたのは伊達ではないようで、想像以上の数の生花を運び込まねばならない。これには他意無く手伝いに来て良かったと素直に思った。葉純と高波兄弟だけでは大変だったことだろう。
「せっかくのお休みだったのに本当にゴメンね」
葉純は水瀬にも高波兄弟にも何度も謝っていた。
成夢は休日手当が出るという事で張り切っているし、立夢は葉純に惚れた弱みか、二人ともちっとも嫌な顔はしていない。水瀬も葉純が活き活きとして頑張っている姿が見られるので満足だった。それに、
(俺は他に目的もあるしな)
チラチラと視界の隅に入って来ている男を睨む。例の冴えない地味な眼鏡の男・・・“すっごく優しくて良い人”の、市ノ宮だ。
先ほどからずっと、葉純に近付こうと様子を伺っているように見える。仕事中だろうに。
(何か妙~~な緊張感携えてんだよなぁ・・・こりゃ今日来といて正解だったわ)
差し詰めタイミングを見計らって葉純を誘うなり告白するなり、何らかのアクションを取るつもりでいるのだろう。これだから油断は出来ない。
(さて、ぼちぼち仕掛けるか)
粗方の搬入作業が終わり、予め作っておいたらしい籠に入ったフラワーアレンジメントを各テーブルに飾った。残りは一番メインとなる大物の完成を待つばかりだ。会場準備がほぼ整ったこともあり、ICHIYOUの従業員達は葉純が集中しやすいようにと出て行ってくれた。好都合だ。
「残りの片付けとかは俺と葉純でやるから、お前ら先に上がって良いぜ」
成夢と立夢にそう伝え、速やかに退席頂く。
それから真っ直ぐ事務室に向かった。
「生花の搬入が終わりましたので、ご報告に伺いました」
市ノ宮に向かって慇懃無礼に頭を下げる。市ノ宮は妙にどぎまぎした様子で水瀬を見ている。そういう性分なのか、水瀬を怪しんでいるのかはよく分からない。
「私共はお先に失礼致しますが、店長はあの大物の仕上げがありますので、もう暫く残って作業させていただきます」
邪魔者である自分達はいなくなり、葉純だけが残るのだと嘯く。
「え? あ、そ、そうなんですか。お、お疲れ様でした」
チャンスを与えられた市ノ宮は、分かりやすく喜んでいた。

途中にあった自販機でコーヒーを買って葉純の元へ戻ると、生け花はあと一歩で完成というところまで来ていた。
全体のバランスを整えているらしく、花を離れて見ては少し手を加えるという動作を繰り返している。
「ちょっと一息入れないか?」
葉純の動きが止まったタイミングを見計らって声をかける。
「ありがとう」
コーヒーを受け取ると、葉純は緊張を緩ませてほっとしたような顔をした。
「あ、高波と立夢君に先に帰って良いよって言わなくちゃ」
「大丈夫だよ。ちゃんともう帰らせた」
今更そんなことを心配する葉純に水瀬は苦笑する。どうやら集中するあまり周りが見えていなかったらしい。この分では当然市ノ宮のことを気にする余裕もなかったのだろう。
「今日は一段と、体中から花の匂いがするな」
葉純の耳に鼻を寄せ、そのままゆっくりと抱きしめる。
視線の片隅には市ノ宮の姿が見えていた。水瀬の言葉通りに葉純が一人きりになったと信じてやって来たのだろう。
(残念だったな)
葉純の首筋に口付けながら、慣れた手つきで結わえた髪を解く。
「あ、こら、まだ仕事中だってば」
葉純はぱらぱらと落ちてくる髪に困ったような顔をして水瀬を嗜めた。身を捩って水瀬の腕から逃れようとする。けれど派手に動けばコーヒーが零れてしまいそうで、強い抵抗は出来ないようだ。
(まだ足りねぇ)
解いた髪に指を差し入れ、柔らかな感触を楽しみながら視線を合わせる。
「ちょっと息抜きも必要だろ?   ほら」
「だめ・・・」
甘い声で囁いて唇を寄せれば、葉純が逃げない事は知っていた。触れるだけのキスを何度か交わし、背中に回していたはずの手が無意識に下に降りていた。
「ちょっ・・・ホントにこれ以上は・・・」
腰を撫でられ、流石に動揺した様子の葉純が上擦った声で制止する。
「はいはい、分かってるって」
恨みがましそうに見つめられ、水瀬は降参の構えを取った。つい本来の目的を忘れてしまうところだった。
「続きは帰ってからたっぷりな」
改めて葉純を抱き寄せ、艶めいた声で囁く。
そしてしっかりと市ノ宮を見据えた。市ノ宮はただ呆然としてこちらを見ている。
(誰のモンか分かったかよ)
言葉無くそれを伝えるために、水瀬は不敵に微笑んだ。
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