子守唄は夜明けまで続く

sakaki

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子守歌は夜明けまで続く12

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子守唄は夜明けまで続く12


(まだ16時か・・・)
アパートが見えてきたところで携帯の画面で時間を確認し、八雲はため息を漏らした。
今日は仕事だったのだが、普段に比べると数時間は早い帰宅だ。早退したので当然なのだが。ちなみに正確に言うなら、「早退させられた」である。
朝から幾度となく、顔を見られる度にギョッとされ、二の句には「大丈夫?」「具合悪い?」と聞かれた。顔色が悪いのか、目の下に濃い隈でも拵えているのかは分からないが、兎も角ひどい顔をしている自覚はある。
同僚に早退を勧められてもしばらくは遠慮していたが、結局は甘えさせてもらうことにした。子供達にまで心配され始めてしまったからだ。
(プライベートのことで仕事に支障が出るなんて・・・いい歳して何やってるんだろう)
自分の情けなさが嫌になる。
少しでも気を抜くと昨夜のことが思い返されて、胸が締め付けられるようだった。一臣にはっきりと拒絶された、あの瞬間の光景が脳裏に過ぎると今にも声を上げて泣き出してしまいそうになる。それこそ年甲斐もない。
(もう・・・忘れよう)
八雲は気を取り直すように、一瞬だけ目を閉じてゆっくりと深呼吸をした。折角早く帰ってきたのだから、今日はうんと時間のかかる煮込み料理でも作ろうと頭の中で献立を考えてみる。何とかして気を紛らわせなければ果てしなく落ち込んでしまいそうだ。
(なんだろう・・賑やかだな)
アパートの階段を上っていると、ご近所のおばさま達であろう嬉々とした話し声が聞こえてきた。井戸端会議の真っ最中だろうか。出来れば今日はあまり捕まりたくない。
「・・・え」
階段を上り終えたところで八雲は自分の目を疑った。賑やかなのは予想通りの面々だったが、その輪の中に何とも信じ難い姿があったのだ。
「三倉さん・・・」
八雲の自宅の扉の前に一臣がいる。一瞬、考えすぎているが故の幻覚か、寝不足故の白昼夢かと思った。けれど、何度瞬きをしてみても、一臣がそこにいるのは確かな現実だ。
「あ・・」
八雲は、一臣がどうしてこんなところにいるのか問いかけようとした。こちらに気付いた一臣も、その口を開こうとした。
だが、
「あらぁ、八雲さん! やっと帰ってきた! 遅いじゃないのよ、ちょっと」
「この方ず~っと待ってて下さったのよぉ。ほら、早くこっち来て」
「うちでお待ちになってて何度も言ったんだけどねぇ。遠慮なさって外で待つって言うから」
「ホントにねぇ、遠慮しなくていいのに。せめて麦茶でもと思ってね、あたし達が交代で持ってきてたのよ」
「そうそう、見れば見るほど男前なもんだからサービスしがいがあったわよ」
おばさま達の話はまさにマシンガン級。口を挟む隙がなく、なんだか勢いを持って行かれた気分だ。
一臣を見てみれば、明らかに辟易した顔をしている。いつもながら不機嫌さを隠そうともしてないが、おばさま方にはとっては全く気にならないようだ。
(ずっと待ってた・・・って)
おばさまその2の言葉を反芻する。
もしや、ずっとこんな調子だったのだろうか。気の短い一臣が、この状況下でずっと耐えていたというのか。八雲の帰りを待つために。
「あ、あの、とにかく中に入りましょう。皆さんもありがとうございます。すみませんでした。失礼します。すみません」
八雲は意を決しておばさま達の間に割り込み、一臣の手を引いた。おばさま方にはひたすらに頭を下げながら、一臣を半ば押し込むようにして部屋の中に逃げ込む。扉を閉めてからも、まだまだ一臣を取り囲んでいたかったらしいおばさま達の残念がる声が聞こえた。
「帰ってくるのが遅ぇんだよ」
舌打ちと共に一臣が言う。眉間の皺がいつもの三倍はありそうだ。
「お待たせしてすみません」
咄嗟に謝罪の言葉が口をついて出たが、よくよく考えれば八雲が謝るのもおかしな話だ。八雲が待つように言っていた訳でもないし、たまたま早退したお陰で普段に比べれば早い帰宅だ。八雲が仕事中であろうことくらい、一臣だって分かっているはずではないのか。
「休業中、らしいな。初耳だが」
八雲が反論しようとする前に、一臣がスマートフォンの画面を示した。八雲がシッターを休業すると知らせているHPが表示されている。
帰宅時間も分からず闇雲に待つつもりはなく、八雲のスケジュールを調べるためにシッターの予約サイトを開けば休業になっていた、と一臣は言った。
「休業中の割に帰って来やがらねぇしな」
苦々しく吐き捨て、不機嫌度MAXというような表情で煙草を取り出す。
「・・・煙草を吸うなら外に出るか換気扇の下にしていただけますか?」
八雲が言うと、一臣は舌打ちをして煙草を仕舞った。いつもと何ら変わりないやり取りだが、八雲にはいつも通りの笑顔を浮かべる気力はなかった。
「不要になった家政夫に、一体何のご用ですか? 退職書類でも必要でしたか?」
我ながら随分といじけた物言いになったものだ。隠しきれない声の震えが何とも情けない。
一臣の眉間の皺は更に深くなった。
「てめぇなぁ! 人がわざわざ謝りに来てやってるってのに何なんだその態度は!? 」
一臣の怒号が響く。
「え・・・謝りに来たんですか?」
八雲は少し拍子抜けした。一臣は途端にばつの悪そうな顔になる。
「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・昨夜は・・・・・・・・・・・・・悪かった」
先ほどの怒鳴り声から一転し、聞き取るのがやっとなほど微かな声で言った。
(えーっと・・・どういうことなんだろう・・・?)
昨夜はっきりと拒絶され、もう終わりなのだと、忘れなければならないのだと思っていたのだが・・・。
「とにかく、昨夜俺が言ったこともしたことも酒の所為だ。全部忘れろ。いいな」
なんとも尊大な謝罪だ。一臣らしいといえば一臣らしいが。
さらに、
「・・・言っておくが、アイツはあの後すぐ帰ったからな」
ボソリと身の潔白まで訴えてくる。
あの一臣が、昨日の今日でわざわざ謝りに来て言い訳をしている。そのために何時間も待って、おばさま方のマシンガントークにも堪え忍んで。
「ぷっ、あははっ」
八雲は思わず笑ってしまった。
「笑ってんじゃねぇよ!」
一臣にまた怒鳴られたが、おかしいのだから仕方ない。体調を崩すまで思い悩んでいた自分がバカみたいだ。
「ここで立ち話してるのも変ですし、座ってて下さい。貴方の家じゃないので安物のコーヒーくらいしか出せませんけど」
まだ少し笑いが治まらないまま、八雲は一臣を部屋の奥へ促した。"奥”と言っても一臣の家の玄関先とさして変わらない広さしかないのだが。
一臣は言われるままに部屋に入り、少し部屋を見回した後で腰を下ろした。あまりの狭さに衝撃を受けているのかもしれない。
この部屋に一臣を迎えることなど想像もしたことがなかった。もの凄くミスマッチだ。
100円ショップで買ったやたらと重たいマグカップにインスタントコーヒーを入れて一臣の前に置くと、一臣が八雲の手を掴んだ。
「・・・俺は、疚しい事はない」
真っ直ぐに射抜くような眼差しで言う。
「それはさっき聞きましたけど・・・」
改めての弁解に八雲は少し戸惑った。「一臣のことを信じる」と言葉で伝えるべきなのかと思ったが、そうではなかった。
「お前はどうなんだ?」
一臣が問う。
「俺に話してない事が・・・あるんだろう?」
感情を押し殺したような声だ。一臣なりに、冷静に話を聞こうと努めているのが伝わってくる。
八雲は動揺した。一臣に話していない事は沢山ある。
休業の事、短期とは言え西浄の病院で働いている事、美恵子の入院の事、そして花那の事。
一臣との今後に、迷いが拭えないでいることも。
「あ、あの・・」
全てを話そうと決めていたはずなのに、いざとなると言葉が出ない。何せ昨夜でもう終わったのだと思っていたのだ。またこうして一臣と向き合うことになるなんて予想だにしていなかった。
思わず目を逸らすと、一臣が掴んだままの手をまた強く握った。
「お前が・・・例えば、過去のこと、とかで・・・考えてる事があるならちゃんと言え」
一臣の言葉に目を見開く。「過去のこと」と一臣は言った。八雲の迷いに、一臣は感づいていたのだろうか?
「どうして・・・どうして、分かったんですか?」
顔を上げて一臣を見つめる。今度は一臣の方が居たたまれないという表情で目を逸らした。苦々しく、「どうしてか、なんてどうでもいい」と呟く。
「・・・もしお前が、俺とのことを終わりにしたいと思ってるなら、」
「違います!」
八雲は慌てて一臣の言葉を遮った。離れていきそうになった手を、今度は八雲が強く握った。
もう一臣との別れを考えるのは嫌だった。昨夜から続いていたあの絶望感・・・あんな想いはもう二度としたくない。
「終わりになんて・・・したくありません」
一臣の目を見て、はっきりと伝える。
「でも・・・」
視界の隅で花那の写真を捉えれば、八雲はまた迷ってしまう。一臣の手を離し、堪えきれない涙を拭った。
「過去を忘れるなんてできないんです」
花那のことを忘れることも、乗り越えることもしてはいけない。自分だけが幸せになるなんて、そんなことは許されないのだから。
「心から愛してました。・・・だから・・」
嗚咽混じりに想いを紡ぐ。こんな風に、一臣の前で感情的になったのは初めてだった。
一臣はただじっと八雲を見ている。八雲に離された手もそのままだ。
「僕は、この先も・・っ・・ずっと・・」
花那に償うために生きていくべきだと、そう思っている。なのに、一臣と別れたくない気持ちが捨てられない。そんなものはただの我が侭なのに

「・・・もういい。話すな」
溜息と共に、一臣が吐き捨てるように言った。
もうこれで終止符を打たれるのだろうか。八雲は怯えた眼差しで一臣を見つめた。
「お前が、あの男のことをそこまで好きで、忘れられないってんなら・・・」
髪をグシャグシャにかき乱して、顔が見えないようにしながら一臣は言う。
「だって、彼女のことを忘れるなんて・・・」
八雲はまた嗚咽を漏らした。
・・・が、
「彼女?」
「あの男?」
ふと違和感に気付き、二人して顔を上げた。
「誰のことだ?」
「そっちこそ、誰のことです?」
目が点になる、という表現がこの時ほど相応しかったことはないだろう。




「ありえねぇ・・」
一臣は頭を抱えて呟いた。
事の顛末・・・つまりは、お互いの間に生じていた大きな認識の違いに、二人して呆れ果てる羽目となった。
「ありえないのはこっちですよ。まさか西浄さんとの事を誤解してたなんて・・・」
八雲としてはあまりにも予想だにしない相手だ。
「あの人、あんなですけどお子さん6人もいるんですよ!? 本当にあり得ない!」
西浄は八雲がシッターを始めたばかりの頃からの常連客だ。当時は若い男に自分の子供を預けようという人はなかなかいなかったので、次から次へと子供が産まれては仕事をくれる西浄はまさに上顧客だった。
「そんなモン知るか! あんなチャラい野郎と二人でゲイバーから出て来るお前が悪ぃだろうが! 紛らわしいんだよ!!」
一臣は不機嫌全開で怒鳴る。
「貴方こそ、人のこと言えないでしょう!? あんな綺麗な方とベタベタしながら帰って来ておいて、何も無かったーなんて本当だか怪しいもんですよ!!」
カチンと来たので八雲も怒鳴り返した。こうして怒鳴るのも初めてかもしれない。
一臣は一瞬面食らった顔をしたが、忽ち顔中に青筋を立てた。
胸倉を掴まれ、てっきり輪をかけた怒鳴り声をぶつけられるのかと思いきや、ぶつけられたのは頭だった。
「痛いじゃないですか!!」
まさか頭突きされるとは思わず、八雲は憮然として抗議する。やり返そうとしたが、一臣はまたすぐに顔を近付けてきた。
「もう黙れ」
尊大に言ってのけ、今度はそのままキスをする。
触れるだけのキスはまるで子供をあやすように優しい。久々に感じる一臣の体温に、悔しいかな怒りなど忽ちのうちに萎んでいった。
(・・・ずるい人)
押し倒されて、八雲も一臣の背に腕を回す。安堵からか、自然と涙がこぼれた。



「あ~あ・・・どうしてくれるんですか。このアパート、ものすごーく壁が薄いんですよ」
汗で額に張り付いた髪をどかしながら、八雲は掠れた声で不満を述べた。
何せちょっとした物音すら聞こえるレベルだ。テレビの音も、笑い声だって聞こえるのだから、当然八雲の声はご近所中に聞こえてしまっただろう。
「知るか。お前が勝手にデカい声出してただけだろうが」
不満をぶつけられた等の本人は、意に介すどころかふんぞり返って換気扇の下で煙草を吹かしている。
「おばさま方の噂話のネタにされるかと思うと居心地が悪すぎますよ」
八雲は深く溜息をついた。シャワーに向かうべく体を起こすが、腰に力が入らない所為でひどくのろのろとした動きになる。
「引っ越しの口実が出来て良かっただろうが」
一臣が吐き捨てるように言った。
「荷物まとめて、さっさと俺の所に越してくりゃいいんだよ」
ふん、と鼻を鳴らして煙草をくわえる。
「・・三倉さん・・・」
八雲はいささか驚いていた。今までも何となく感じ取ってはいたものの、こうしてハッキリと一臣の口から同居の意志を聞くのは初めてだ。
「欲しけりゃ、仏壇でも祭壇でも神棚でも買ってやる」
一臣が視線で部屋の片隅を示す。そこにあるのは花那の写真と位牌だ。
八雲の話した"彼女”のことに、一臣はいつ気付いたのだろう。
「でも・・」
「お前に考える猶予をやるとロクなことにならねぇってのが分かったからな」
迷いが拭えない八雲を遮り、一臣がわざとらしく大きな溜息をつく。吐き出された煙草の煙は逃れることなく真っ直ぐに換気扇に吸い込まれていった。
「もう観念して、俺に納まれ」
いつもと何ら変わりない尊大な物言いで、一臣は言う。全部まとめて引き受けてやるから、と。
「・・・仏壇も祭壇も神棚も要りませんよ。貴方、無駄に大仰なの買いそうですし」
八雲は呆れたように笑った。改めて、悩んでいた自分が馬鹿みたいだと思った。
「三倉さん、これからは自宅でも換気扇の下とベランダ以外では煙草吸えなくなりますね。これを期に禁煙したら如何です?」
よろめく足取りで一臣に歩み寄り、嫌味な口調で言い捨てる。
「なっ・・・おい、ちょっと待て! ざけんな!」
一臣が面食らった様子で怒鳴るが、八雲は素知らぬ顔で浴室に逃げ込んだ。




ーーー後日。

「なぁ苑、あの人はヤクザかなんかなワケ?」
西浄が沸き立つナース達の中心人物を見やり、どこか怯えたように尋ねた。
「いいえ、ただの一介の会社員のはずですけど」
八雲はにっこり笑顔で答える。
「いや、それにしちゃあ、なーんか俺を見る目がカタギじゃねぇ気ぃすんだけど」
西浄は八雲の肩に置いていた手を更に引き寄せるようにして、内緒話でもするように顔を近付けた。その瞬間、皮膚がビリビリするほどの殺気が飛んでくる。
「おい!」
ナース達の輪の中からよく通る声が八雲を呼んだ。
「はいはい」
八雲は西浄の手を乱雑に払い退けて声の方に向かう。
「無駄にベタベタ触られてんじゃねぇよ」
傍に行くと、一臣は不機嫌さを全身から滲ませて呟いた。西浄とのことは誤解だと分かってもからも、変わらず嫉妬はするらしい。
「あの人は誰に対してもベタベタするんですよ。そのうち慣れます」
妬いてくれる一臣が可笑しくて仕方ないのだが、笑ってしまうと怒られるので八雲は涼しい顔をした。
「ほら、そろそろ病室に行きましょう」
一臣の手を引き、名残惜しそうなナース達に頭を下げる。
少し挨拶に寄っただけのつもりだったのだが、西浄に掴まったのとナース達が予想以上に一臣に食いついたので長引いてしまった。
今日は一臣と二人で美恵子のお見舞いに来たのだ。
『お前の母親代わりなんだろうが』
一臣がそう言って、自分も美恵子の見舞いに行きたいと申し出た時には少し・・いや、かなり驚いた。
(もしかして、「親御さんに挨拶」的な気持ちなんですかね・・・)
病室が近付くにつれてどこか緊張しているような面持ちになる一臣を見やり、八雲はまた可笑しくなった。
「・・・笑ってんじゃねぇよ」
一臣が苦々しく呟く。我慢したつもりだったのだが、顔がにやけてしまっていたらしい。
「幸せだから笑っちゃうんですよ」
開き直って「仕方ないじゃないですか」と言い切ると、一臣も不機嫌そうにしながらも何処か満更でない顔をする。
「こんにちは~」
ノックをして顔を覗かせると、美恵子は満面の笑みで迎えてくれた。
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