5 / 188
Ⅰ ここはどこ? 私は誰?
5. とりあえず記憶喪失ってことで
しおりを挟む馬車で一ヶ月近く。王都のベルネーゼ侯爵家に到着した。
私――というかミュリエルは八歳まで領地のお屋敷にいて、それから十四歳で家出をするまでの六年間、この王都のお屋敷で暮らしていたらしい。
王都のお屋敷はやや規模が小さいと聞かされていたのだけれど、とんでもない。まるでお城と言っても差し支えないほどの豪邸だった。
馬車を降りれば室内へと迎え入れられる。
象牙色っぽい石張りの床のロビー。ライン状に敷かれた絨毯は落ち着きのある瑠璃紺。
そこに、まるでオペラの舞台であるかのように立ち並ぶお仕着せ姿の使用人と、主役の舞台俳優――にしか見えない、銀の長髪を束ねた長身の男性。その隣りに並ぶのは、これまた舞台女優がごとき美しさの女性。かなり色素の薄いプラチナブロンドの髪を持ち、シンプルだけどたぶん質がいいだろうドレスを着て、優雅な足取りで近づいてくる。
「お帰りなさい、ミュリエル。待っていたわ」
「よく、帰ってきた」
両手を広げる侯爵様(たぶん)と期待の眼差しで見つめる侯爵夫人(たぶん)。
動けずにいると、気まずい沈黙が落ちた。本来であれば感動の再会だったはずだ。侯爵様の胸に飛び込み、無事を喜び合ったに違いない、けれど。
視線を伏せている使用人たちの意識もこちらに向けられているようだった。期待を裏切って申し訳ないけれど、まだ、自分がミュリエルであることを受け入れきれていない。仕方ないと思ってもらうしかなかった。
「冗談はよしてくれ、ミュリエル! まさか、本当に、この父がわからないと申すのか」
「まあ、ミュリエル。困った子。お母様のこともわかりませんの?」
ええ、わかりませんとも。
心の中で一人ツッコみ、視線をそらす。
どうやらお二人が、ミュリエルの――私の両親で間違いないようだった。
現在の私は十五歳(になったところ)。
移動中に聞いた話によると、どうやらミュリエルは丸一年、侯爵家の捜索から逃げきっていたようだ。
となると、がぜん、ミュリエルという少女がどんな少女だったのか気になった。
お嬢様であるから最初は自分のこともできなかっただろう。それを思えば、相当な根性と行動力があっただろうことは想像に難くなかった。
けれど、そういった話を聞いてもなお、何も思い出せなかったので、今は記憶喪失ということになっている。
侯爵様たちにも先に連絡がいっていたはずだ。ただ、聞いていても信じられなくて、わずかな可能性にすがって今を迎えた、ということなのだろうけれど――結果はこのとおりだった。
「――しかし参ったな」
場所を移しての談話室。ふっかふかのソファーに腰を下ろして、紅茶と甘いお菓子をいただき始めると、侯爵様が深いため息をつかれた。
ついさっきまで食べろ食べろ攻撃をしていたというのに、一転、かなり苦悩に満ちた表情になっている。そんな侯爵様を見て、夫人も眉をハの字にした。
「そうですわね。もう時間もあまりないといいますのに。どういたしましょう」
「あぁ、本当に。まったくどうしたものか……」
何度も繰り返される二人の悩ましげな言葉。私はだんだんと顔を引きつらせていった。
これはわざと? わざとなの? いや、わざとでしょう!
私はぴくぴくする口の端を必死に抑えながら、二人が望んでいるだろう言葉を口にする。
「え、ええと……どうかしたのですか? 侯…いえ、お父様、お母様」
うぅ、聞いてしまった……。聞いてしまったよ。どう考えても厄介事でしかないだろうに。
というか、口! 口がもげる!
お父様、お母様って何!? 生まれてこのかた二十四年、一度たりとも親をそんなふうに呼んだことなんてないのに。
だいたい、お父様っていうより侯爵様って感じなんだよね。キツイなぁ。でもこれ、やっぱり慣れなきゃだよね……?
などと盛大に脱線しているうちに、侯爵様の話は始まっていた。
「ミュリエル、お前はもう十五だろう?」
「えぇ、そうみたいですね」
「……つまりはそういうことだ」
いやいやいや、だからわからないってば。
十五歳だから何だっていうの? もったいぶらずに言ってほしい。
「ええと?」
ちょこんと首を傾げて見せれば、侯爵様はさらに意気消沈した様子になる。
「それも覚えていないのか……。十五といえば、社交界デビューの歳だろう? つまり、お前の社交界デビューが来月にあるのだ」
「しゃ……」
社交界デビュー!?
10
あなたにおすすめの小説
里帰りをしていたら離婚届が送られてきたので今から様子を見に行ってきます
結城芙由奈@コミカライズ連載中
恋愛
<離婚届?納得いかないので今から内密に帰ります>
政略結婚で2年もの間「白い結婚」を続ける最中、妹の出産祝いで里帰りしていると突然届いた離婚届。あまりに理不尽で到底受け入れられないので内緒で帰ってみた結果・・・?
※「カクヨム」「小説家になろう」にも投稿しています
処刑前夜に逃亡した悪役令嬢、五年後に氷の公爵様に捕まる〜冷徹旦那様が溺愛パパに豹変しましたが私の抱いている赤ちゃん実は人生2周目です〜
放浪人
恋愛
「処刑されるなんて真っ平ごめんです!」 無実の罪で投獄された悪役令嬢レティシア(中身は元社畜のアラサー日本人)は、処刑前夜、お腹の子供と共に脱獄し、辺境の田舎村へ逃亡した。 それから五年。薬師として穏やかに暮らしていた彼女のもとに、かつて自分を冷遇し、処刑を命じた夫――「氷の公爵」アレクセイが現れる。 殺される!と震えるレティシアだったが、再会した彼は地面に頭を擦り付け、まさかの溺愛キャラに豹変していて!?
「愛しているレティシア! 二度と離さない!」 「(顔が怖いです公爵様……!)」
不器用すぎて顔が怖い旦那様の暴走する溺愛。 そして、二人の息子であるシオン(1歳)は、実は前世で魔王を倒した「英雄」の生まれ変わりだった! 「パパとママは僕が守る(物理)」 最強の赤ちゃんが裏で暗躍し、聖女(自称)の陰謀も、帝国の侵略も、古代兵器も、ガラガラ一振りで粉砕していく。
転移先で日本語を読めるというだけで最強の男に囚われました
桜あずみ
恋愛
異世界に転移して2年。
言葉も話せなかったこの国で、必死に努力して、やっとこの世界に馴染んできた。
しかし、ただ一つ、抜けなかった癖がある。
──ふとした瞬間に、日本語でメモを取ってしまうこと。
その一行が、彼の目に留まった。
「この文字を書いたのは、あなたですか?」
美しく、完璧で、どこか現実離れした男。
日本語という未知の文字に強い関心を示した彼は、やがて、少しずつ距離を詰めてくる。
最初はただの好奇心だと思っていた。
けれど、気づけば私は彼の手の中にいた。
彼の正体も、本当の目的も知らないまま。すべてを知ったときには、もう逃げられなかった。
『白い結婚だったので、勝手に離婚しました。何か問題あります?』
夢窓(ゆめまど)
恋愛
「――離婚届、受理されました。お疲れさまでした」
教会の事務官がそう言ったとき、私は心の底からこう思った。
ああ、これでようやく三年分の無視に終止符を打てるわ。
王命による“形式結婚”。
夫の顔も知らず、手紙もなし、戦地から帰ってきたという噂すらない。
だから、はい、離婚。勝手に。
白い結婚だったので、勝手に離婚しました。
何か問題あります?
クラス転移したけど、皆さん勘違いしてません?
青いウーパーと山椒魚
ファンタジー
加藤あいは高校2年生。
最近ネット小説にハマりまくっているごく普通の高校生である。
普通に過ごしていたら異世界転移に巻き込まれた?
しかも弱いからと森に捨てられた。
いやちょっとまてよ?
皆さん勘違いしてません?
これはあいの不思議な日常を書いた物語である。
本編完結しました!
相変わらず話ごちゃごちゃしていると思いますが、楽しんでいただけると嬉しいです!
1話は1000字くらいなのでササッと読めるはず…
【完結】乙女ゲーム開始前に消える病弱モブ令嬢に転生しました
佐倉穂波
恋愛
転生したルイシャは、自分が若くして死んでしまう乙女ゲームのモブ令嬢で事を知る。
確かに、まともに起き上がることすら困難なこの体は、いつ死んでもおかしくない状態だった。
(そんな……死にたくないっ!)
乙女ゲームの記憶が正しければ、あと数年で死んでしまうルイシャは、「生きる」ために努力することにした。
2023.9.3 投稿分の改稿終了。
2023.9.4 表紙を作ってみました。
2023.9.15 完結。
2023.9.23 後日談を投稿しました。
挙式後すぐに離婚届を手渡された私は、この結婚は予め捨てられることが確定していた事実を知らされました
結城芙由奈@コミカライズ連載中
恋愛
【結婚した日に、「君にこれを預けておく」と離婚届を手渡されました】
今日、私は子供の頃からずっと大好きだった人と結婚した。しかし、式の後に絶望的な事を彼に言われた。
「ごめん、本当は君とは結婚したくなかったんだ。これを預けておくから、その気になったら提出してくれ」
そう言って手渡されたのは何と離婚届けだった。
そしてどこまでも冷たい態度の夫の行動に傷つけられていく私。
けれどその裏には私の知らない、ある深い事情が隠されていた。
その真意を知った時、私は―。
※暫く鬱展開が続きます
※他サイトでも投稿中
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる