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Ⅰ ここはどこ? 私は誰?
9. 経験値が足りません
しおりを挟む「ミュリエル!」
客間に入るなり、まぶしいほどの美貌が私を出迎えた。
日本人が想像するいかにもな王子様――金髪碧眼の青年だ。青年の周りにはキラキラと輝くエフェクトが見える気さえした。
まぶしさに目を細め、現実逃避するように視線を素通りさせる。すると部屋の奥、そこにもまた、別の青年がいた。その青年を見た瞬間、思考が停止する。
さらさらと揺れるダークブラウンの髪に、榛色の瞳。知性を感じさせる風貌からは、芯の通った強さも感じられる。体つきも、がたいがいいわけではないけれど、しっかりと引き締まっていて、日々鍛えているだろうことが窺える。
目が合うと彼は小さく会釈した。瞳には案じるような色が浮かんでいる。私はその綺麗な瞳に吸い込まれそうになった。
――すごい。
よくわからないけれど、そうとしか言えなかった。心臓はバクバクと鳴り響き、吐く息も熱い。無意識のうちに両手で胸元を押さえていた。
彼が、ベイル様だ。
生身のベイル様は二次元のイラストとは重ならないけれど、すぐにわかった。
きれいに整った顔に笑みはない。ただ、冷たい印象もなく誠実さがにじんでいた。凪いだ日の、静かな湖面のような印象だ。
互いに視線を外せないまま、見つめ合い――。
「ひゃっ」
突然手を取られ、意識が引き戻される。気づかぬうちに間近に来ていたのは、最初に目にした金髪の青年だった。
「私を見てほしいな、ミュリエル。今の君にこんなこと言っても困るかもしれないけれど――」
金髪の青年が私の手を軽く持ち上げ、身をかがめる。手の甲に、やわらかく、しっとりとした感触のものが触れた。
「また会えてよかったよ。帰ってきてくれて、ありがとう」
頭が、真っ白になった。
ふふふふふふふ、ふれた!?
く、くくくくくくく、くちびるが!?
思考が再開するや否や、盛大なパニックに陥った。
単なる挨拶だってことはわかっている。けれど手に触れたのは唇で――って唇!?
「な、ななな……」
なんで! どうして! いや、挨拶だし。でも、く、くちび……。
「落ち着いて、ミュリエル。大丈夫だ。私たちは同じ学院に通う友人だから」
先ほどとは反対の手が取られる。ベイル様だった。ベイル様もまた、いつの間にか私のそばまで来ていて、私を落ち着かせるように、優しくその手をなでた。
なで、なでられた!?
「ミュリエル?」
「あ、は、はははい。そ、そう、そう、です…か……」
間近で見ると、二人とも見上げるような背丈だった。ベイル様も金髪の青年も、ミュリエルより頭一つ分は高い。一九〇センチくらいだろうか。たぶんミュリエルも一六〇センチくらいあるからきっとそうだろう。
十五歳って言ったっけ。女子の私はもう伸びないだろうけれど、二人はまだ伸びる可能性あるってことだ。すごいなぁ。そういえば、侯爵様も背はそこそこ高かった。平均身長が高いってことか――。
はい、現実逃避終了。
せっかくなだめてくれたベイル様だけれど、手をなでられては逆効果だ。落ち着けるわけがない。
だいたい、ベイル様は勘違いしていた。私が動揺しているのは知らない人に触られたからっていうのが一番の理由じゃない。一番の理由は、手にキ、キスされたことで――。
「貴方様も落ち着かれてください。まだ……挨拶もしていないのですから」
ベイル様は金髪の青年にも声をかけた。挨拶……そういえば、していなかった気がする。
「すまないね。ミュリエルが記憶喪失だと聞いて、動揺してしまったようだ。記憶喪失なら、なおさら気をつけなくてはならなかったというのに」
「あ……え、ええと、いえ……」
どうやら私が記憶喪失だということは、侯爵様が先に話しておいてくれたらしい。けれど、口から出たのは返事ともいえない声で。どうしようと焦るけれど、金髪の青年は構わず言葉を続けていた。
「神は残酷だ。本当に、どうして。どうして君が、こんな目に遭わなくてはならなかったのだろう」
金髪の青年が顔を苦しげにゆがめた。まるで自分のことのように嘆く青年の表情は、私の胸をぎゅっと締めつけた。
苦しげで、わずかに潤んでいるように見える双眸。辛そうで、悲しそうなのに、そこには私の知らない熱が見え隠れする。
な、なに……? いや、まさか、そんな……。
私を捕らえようとするそれから逃れようと視線をそらせば、今度は優しげでありながらも静かに燻るもう一対の瞳が待ち受けていた。
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