人鳥失格 -ペンギン失格-

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プロローグ

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 見渡す限りを雪と氷に覆われた大地。
 そこへ颯爽と降り立った岩飛いわとび あすかは、未だかつてない喜びに身を打ち震わせていた。雪原の感触を確かめるように一回二回と足踏みしてから、胸いっぱい息を吸い込み――そして叫んだ。

「クォガックルゥアァーッ!」

『……あすか、ちゃんと人語で喋ってくれないとできないから。酷い声になって響いているよ?』
「もうほら、すっっごい!ヤバくない?あたし今、南極大陸にいるんだよ?南極だよ、な・ん・きょ・く!来ちゃった来ちゃった!ついに来たんだよ!」
『うんうん。そうだね。ほら、ちゃんと『スーツ』の状態をチェックしてね』
「もう、フジくんは心配性なんだから。とんではねても問題ナシ!それに船上でも散々確認したし、モニターもしてるんでしょ?大丈夫だって!」
『もちろん見ているけど、そっちで映ってなかったら問題だから。ちゃんと確認してね』

 イヤホン越しの声を「はいはい」と流しつつ、あすかは首をぐるりと回して辺りを見渡す。
 視界いっぱいに広がる大地の白と空の青。その先では、高く切り立つ山々と海に浮かぶ巨大な氷塊の威容がこちら見下ろしている。スーツのおかげで寒さを感じることはないが、時折吹き付ける風が雪を巻き上げて、太陽光を反射しきらめく。いつも動画で見ていたまんまの、憧れの景色。でも、彼女の目当ては、ではなかった。
 としゃり、としゃり、としゃり。
 幅広い足が雪を押す軽快な音をBGMに、周囲へじっと目を凝らす。すると、ほどなく視界の端に映る「黒い影たち」。大小様々な姿で群れ合うそれは――

「ぺ、ぺぺ……ペンギン!本物の、ペンギンっ!いたぁぁああぁぁあっ!」
『あ。ちょっと、待っ……って早いなぁ』
『ほっほっほ。上陸したてなのに、あすか君は流石の順応性ですねぇ』
オウ先生。感心するのも良いですけど、ちゃんと記録お願いしますね?ほら、日下ひげ先生もちゃんと調整してください』
『ほっほ。わかっているとも』
『へぇへぇ。言われずともしっかりやってるよ』

 サポートチームの声を遥か置き去りに、あすかは雪煙を上げて走り出す。絶好調の「スーツ」も彼女の昂ぶりを汲み取り、バチリと音を鳴らし全力で後押しをする。

「……グェグアッ?!」
「グエーッ!ガァッガアッ、グァーッ!」

 対する彼らも気が付いたようだ。突然猛スピードで近づいてくるその異様なに、驚き目を見張りけたたましく声を上げ始めた。翼をバタバタと叩き、首を伸ばして左右に振り、警戒感を全身でアピールしている。
 それでも、彼女は止まらない。
 踏み込むホップが高らかに鳴き雪を響かせ、続くステップが制止の鳴声を一瞬で抜き去り、最後に目標へと飛び込む大ジャンプ。勢いあまって宙一回転のオマケつきだ。

「つっかまえたぁあぁぁぁあ!」
「クェーーーーー?!」

 悲鳴と歓声がデュエットとなり南極の空に木霊こだました。ただならぬ事態に、周りのペンギン達も抗議とばかりにあすかを鋭いくちばしでつつき回すが、それすらも彼女にとっては「ご褒美」でしかなかった。
 飛び付いたペンギンをがっしと掴み、熱烈な頬ずりを敢行する。勢いよく伸ばした両翼に吊られてか、はたまた嘴に蹂躙じゅうりんされたせいか、背中から軋むような鈍い金属音が鳴るが、目の前に夢中なあすかは気がつかない。

「ああっもうっ!今あたし、まみれてる!最っ高ぉ……」
『あすか、あすか。ドン引きされてるよ。っていうか絶対怒ってるって。』
「えへへ、こりゃツルツルでスベスベだぁ。スーツ越しでもわかるよ、わかっちゃうよぉ」

 ペンギンも必死に身をじらせて激しく抵抗するが、あすかはフリッパーとヒレ足を器用に使って標的のペンギンをホールドしたまま、これまた器用に首をくねらせて頭から背中まで顔をこすり付けその曲線美を堪能する。
 
「クェッ……!ガーックェクェクェッ?!」
『うーわほら。めっちゃ嫌な顔してる』
『ほぉ、ペンギンもあんな顔するんですねぇ。これは発見ですねぇ』
『いやぁ、僕は流石に彼らがうらやま――ゲフン、可哀想ですよ』
「すごい!これよ、これ!だめ、我慢できないっ……‼」
「グアグエエェーーッ!」

 そのまま散々につつき回され、ついには数羽がかりで踏みつけにストンピングされた頃、やっと一旦満足したあすかが哀れなペンギンを解放した。

「クエェッ!」
「あふん」

 最後の一撃とばかりに鋭い蹴りを入れてから、ペンギン達は尾羽を振りながら散り散りに走り去っていく。全くひどい目に合った、と声が聞こえんばかりの様子である。

『――えっと、あすか。大丈夫?』
「えへへ、えへへぇ……天国だぁ。ぷりぷりお尻がプリプリ怒ってて可愛いよぉ」
『うん、大丈夫そうだね。ペンギンスーツの耐久性も問題なさそうだ』

 あすかが満足げな笑いと共にドサリと雪に埋もれて仰向けになる姿をみて、モニターの向こうで富士とみおがほっと息をつく。そんな彼女の姿は、どこからどう見てもくたびれた「コウテイペンギン」そのもの。

 ――岩飛あすかは現在、最先端科学技術の粋を集めて作り上げられたペンギン型作業補助服アシストクロース『ペンギンスーツ』を身に纏っていた。ペンギン生態学最高権威の教授全面監修のもと精緻せいちに作り上げられたソレは、このように本物に紛れてもなお見劣りしないほど完ぺきな出来だった。
 流石に大きさばかりは本物より半回り大きくなってしまっているが、客観的に見ても違和感は無し。ペンギン達も、まったくに「異物」として見ているようには感じられなかった。
 そして奇しくもあすかの突発行動により、各種サポートシステムが正常に作動していることも確認できていた。

「ねぇ、フジくん」
『ん?』

 祭りのあと、しばしの静寂を経て。
 ぽつりと、あすかはマイクの向こう側へと声を掛ける。直上の太陽が燦燦さんさんと光を降らし仰向けのその顔をまばゆく照らしていた。
 ペンギンスーツに、着用者の表情を反映させる機能はない。でもそれは満面の笑顔のようにも見えて。

「……ほんと。ありがとうね!」

 富士からの返事は、ない。それでもあすかは満足そうに大きく息を吐いて、寝転んだままぐっと伸びをする。
 返事はないけど。幼馴染の彼のしてそうな顔は、大体わかる。

『――ほっほ。さて富士君。そのゆるんだ顔のままで良いから、支度を始めますよ』
『せ、先生?!ゆるんでなんか……え、そんなに顔にでてます?』
「クエックエクエクエーッ!」
『……うん、まぁ、あすかがそう言うなら僕はそれでいいよもう』

 面々の笑い声が、どっと響き渡る。
 その声は、南極大陸の冷たい空気にすっと染み込んで消えていく。

 こんな程度では、永きに渡って固い氷と雪に包まれてきた極限の世界は毛ほども揺らぎはしない――はずだった。

「クエェァ……」

 彼らとコウテイペンギン達の喧騒けんそうからほんの僅かだけ離れた、切り立った氷山のかげ。他の目には留まらなそうなその場所で気だるげに寝そべっていた一羽のペンギンが、間延びした声と共に頭をもたげる。ゆっくりとした動作で姿勢を起こし、穏やかで上品なオレンジ色のラインの首筋を嘴でひと撫でして、再び賑やかな方面をじっと興味深そうに見つめた。視線の先にいるのは、自分たちと同じコウテイペンギン――のはずのモノ。それは自分や仲間たちと比較しても少しだけ大きめで、しかしとても美しく、そして少しだけ異質に見えた。
 バタバタとコミカルな動きで去っていく姿を見届けて、は嘴の端を緩ませてつぶやく。

「ガァ……クエェクアァクェ」

 ――へぇ。面白いじゃん。
 そんなことを言ってる様子で身をよじり、氷山を滑り降りて群れのいる方向へと去っていく。

 西暦2125年11月。
 人間の少女、岩飛あすか。将来の夢は『人鳥ペンギンになる』こと。
 彼女の行動が、南極大陸を前代未聞の大きな感情の渦へと巻き込んでいくのだった。
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