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「ははっ……あははっ。もう、やっぱりみんなおかしいなぁ」
あすかは決して広いとは言えない船室のベッドの上に座り、時おり笑い声をもらしながら紙の束をめくっていた。
左手側には、読み終えた手紙や友人たちの写真などが小山になって積み上げられている。もっとも、長い船旅の中で何度も何度も読み返しているため、内容はほぼ覚えてしまっていたが。
最初にこれらを受け取ったとき、あすかとしては正直「なんで今どき『紙』?」と疑問に思ったが、手渡してきた日下教授の「極限状態に置かれた時ほど、直接触れて重さを感じられるモノの方が救いになったりするんだよ」との言葉にひどく納得した。
そして、ついに憧れの南極上陸が目前となっている今の状況こそ、興奮と緊張の極限状態にふさわしいであろう。
あすかはこの手紙たちを読んで改めて、表に出てきている王教授や日下教授以外にも多くの人に支えられてこのプロジェクトが成り立っていたことを実感した。多方面の協力が不可欠なプロジェクトだということは少し考えてみれば当然わかることだが、そもそも『ペンギンになるためのスーツ』を作るなどという面白そうなことを知って放っておける研究者など、あの大学にはいないのだ。話を持ち掛けられたマッドな教授たちが、喜々として取り組む姿が目に浮かぶようである。
しかし、スーツの強度試験の協力者に大岡本教授の名前があったのは、不安がるべきか安心するべきか。
何やら薬品臭い紫色の便せんを読み終えて小山の上に投げ捨てると、あすかは一息ついて自らもベッドに身を放り出す。
そしてしばらく右に左にと身を転がして、今度は端末を操作して中空に画像を投影させる。
内容は、百年以上も前に刊行されたという漫画の一ページ。それを託してくれた親友の顔が即座に浮かぶ。
スッキリしたような、すこし寂しそうな、嬉しそうな、泣きそうな、楽しそうな、心配そうな――いろんな表情をない交ぜにした顔をして、彼女は言った。
『あすか、ごめん!私、南極には行かないことにしたから。……うん、ごめん、もう決めたことだから』
『多分その方が、私らしく役に立てると思うのね。秘密はちゃーんと守るわよ』
『もう、なんで泣いてるのよ。大丈夫、大丈夫。あすかは気にせず、いつも通り真っすぐ走って――夢をバッチリ実現しておいで』
『あ、どうせ南極に向かう間暇なんでしょ?出発までに『良いモノ』をまとめておいてあげるから、船の中で見てせいぜい学びなさい』
『ほらほら、しゃきっとして!私はずっと、あんたたちを応援してるからさ』
脳裏へリフレインする映像に、あすかは目の端に薄っすらと浮かぶ涙を指で拭って頭を振る。
あれから何度も話をして、彼女の決断が前向きな理由というのはしっかりと理解していた。だから感傷はあるが、悲しいとはもう思っていない。
実際に彼女は、準備期間中には周りにバレない範囲で最大限のサポートと応援もしてくれた。それがなかったら、今こうしていられなかったかもしれない。
このプロジェクトは、世間に秘密の計画。みずほは出発の見送りにも行けない事へ散々文句を言っていたが、出発前日にもビデオ通話で沢山の励ましをしてくれた。そして、休学する前の最後の講義日には、いま映し出されている漫画の映像などが大量に入った記録キューブを渡してくれたのだった。
『コレ、まとめて渡すって言った例のやつね。我ながら大っ量に入れたから、暇つぶしには使えると思う。……んー、中身は内緒。別に出発前に見てもいいけど、気に入らなかったからって返品不可よ!』
せっかくみずほがそう言うのだから、あすかは覗きたい気持ちを何とか抑えて出発してから見ることにした。
しかし、その中身がまさか、全て少女漫画だったとは。
確かにあすかは、今までその類のものを読んだことが無かった。他人から勧められてもイマイチ気が乗らなかったし、何より無理に読ませようとしてくる人とはウマが合わなかった。でも、そういった経緯まで知っているみずほが薦めてくるのだから、何かしら理由があるのだろう。
あすかは、とりあえず読んでみることにした。そしてその結果――
めちゃくちゃにハマった。
恋愛部分に関しては相変わらず共感など一切無かったが、単純に内容が面白かったのだ。
あすかも当時の文化様式などはそこまで詳しくなかったが、どう見ても滅茶苦茶なシチュエーションを『恋愛』の二文字の強引な動機で突破してくるのも、それはそれでよいスパイスに思えた。当時流行っていたらしい『推し』という用語も、興味深い。
どうしてここまでハマったのかあすか自身も不思議であり、もしかしたら幼少からペンギンばかり追いかけていたせいで知る事のなかった新鮮な娯楽だったから、かもしれない。
……などと、そんなことを富士に熱く語ったところ、何故か少し嬉しそうな顔をしていたのは不可解だったが。
二年間の準備期間で、あすかを含めたメンバー全員、出来る事は全てやってきた。小さな船内で今さらやる事など限られている。
であれば、こうして昂る精神を落ち着けるためにも、別のモノに気持ちを逸らすのも良いのではないだろうか。
あすかはそんなことを自分に言い聞かせて、指を振って中空に映る漫画のページを送る。
「ふふ……ふふふっ……こんなこと、あるぅ?あははは……!」
少女の笑顔を載せて、小型南極調査船『きが号』は今日も海を往く。
南極上陸まで、あと五日。
あすかは決して広いとは言えない船室のベッドの上に座り、時おり笑い声をもらしながら紙の束をめくっていた。
左手側には、読み終えた手紙や友人たちの写真などが小山になって積み上げられている。もっとも、長い船旅の中で何度も何度も読み返しているため、内容はほぼ覚えてしまっていたが。
最初にこれらを受け取ったとき、あすかとしては正直「なんで今どき『紙』?」と疑問に思ったが、手渡してきた日下教授の「極限状態に置かれた時ほど、直接触れて重さを感じられるモノの方が救いになったりするんだよ」との言葉にひどく納得した。
そして、ついに憧れの南極上陸が目前となっている今の状況こそ、興奮と緊張の極限状態にふさわしいであろう。
あすかはこの手紙たちを読んで改めて、表に出てきている王教授や日下教授以外にも多くの人に支えられてこのプロジェクトが成り立っていたことを実感した。多方面の協力が不可欠なプロジェクトだということは少し考えてみれば当然わかることだが、そもそも『ペンギンになるためのスーツ』を作るなどという面白そうなことを知って放っておける研究者など、あの大学にはいないのだ。話を持ち掛けられたマッドな教授たちが、喜々として取り組む姿が目に浮かぶようである。
しかし、スーツの強度試験の協力者に大岡本教授の名前があったのは、不安がるべきか安心するべきか。
何やら薬品臭い紫色の便せんを読み終えて小山の上に投げ捨てると、あすかは一息ついて自らもベッドに身を放り出す。
そしてしばらく右に左にと身を転がして、今度は端末を操作して中空に画像を投影させる。
内容は、百年以上も前に刊行されたという漫画の一ページ。それを託してくれた親友の顔が即座に浮かぶ。
スッキリしたような、すこし寂しそうな、嬉しそうな、泣きそうな、楽しそうな、心配そうな――いろんな表情をない交ぜにした顔をして、彼女は言った。
『あすか、ごめん!私、南極には行かないことにしたから。……うん、ごめん、もう決めたことだから』
『多分その方が、私らしく役に立てると思うのね。秘密はちゃーんと守るわよ』
『もう、なんで泣いてるのよ。大丈夫、大丈夫。あすかは気にせず、いつも通り真っすぐ走って――夢をバッチリ実現しておいで』
『あ、どうせ南極に向かう間暇なんでしょ?出発までに『良いモノ』をまとめておいてあげるから、船の中で見てせいぜい学びなさい』
『ほらほら、しゃきっとして!私はずっと、あんたたちを応援してるからさ』
脳裏へリフレインする映像に、あすかは目の端に薄っすらと浮かぶ涙を指で拭って頭を振る。
あれから何度も話をして、彼女の決断が前向きな理由というのはしっかりと理解していた。だから感傷はあるが、悲しいとはもう思っていない。
実際に彼女は、準備期間中には周りにバレない範囲で最大限のサポートと応援もしてくれた。それがなかったら、今こうしていられなかったかもしれない。
このプロジェクトは、世間に秘密の計画。みずほは出発の見送りにも行けない事へ散々文句を言っていたが、出発前日にもビデオ通話で沢山の励ましをしてくれた。そして、休学する前の最後の講義日には、いま映し出されている漫画の映像などが大量に入った記録キューブを渡してくれたのだった。
『コレ、まとめて渡すって言った例のやつね。我ながら大っ量に入れたから、暇つぶしには使えると思う。……んー、中身は内緒。別に出発前に見てもいいけど、気に入らなかったからって返品不可よ!』
せっかくみずほがそう言うのだから、あすかは覗きたい気持ちを何とか抑えて出発してから見ることにした。
しかし、その中身がまさか、全て少女漫画だったとは。
確かにあすかは、今までその類のものを読んだことが無かった。他人から勧められてもイマイチ気が乗らなかったし、何より無理に読ませようとしてくる人とはウマが合わなかった。でも、そういった経緯まで知っているみずほが薦めてくるのだから、何かしら理由があるのだろう。
あすかは、とりあえず読んでみることにした。そしてその結果――
めちゃくちゃにハマった。
恋愛部分に関しては相変わらず共感など一切無かったが、単純に内容が面白かったのだ。
あすかも当時の文化様式などはそこまで詳しくなかったが、どう見ても滅茶苦茶なシチュエーションを『恋愛』の二文字の強引な動機で突破してくるのも、それはそれでよいスパイスに思えた。当時流行っていたらしい『推し』という用語も、興味深い。
どうしてここまでハマったのかあすか自身も不思議であり、もしかしたら幼少からペンギンばかり追いかけていたせいで知る事のなかった新鮮な娯楽だったから、かもしれない。
……などと、そんなことを富士に熱く語ったところ、何故か少し嬉しそうな顔をしていたのは不可解だったが。
二年間の準備期間で、あすかを含めたメンバー全員、出来る事は全てやってきた。小さな船内で今さらやる事など限られている。
であれば、こうして昂る精神を落ち着けるためにも、別のモノに気持ちを逸らすのも良いのではないだろうか。
あすかはそんなことを自分に言い聞かせて、指を振って中空に映る漫画のページを送る。
「ふふ……ふふふっ……こんなこと、あるぅ?あははは……!」
少女の笑顔を載せて、小型南極調査船『きが号』は今日も海を往く。
南極上陸まで、あと五日。
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