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あすかとやっくんの二羽は爽快な丘滑りを堪能したあと、談笑しながら再び町をペタペタ歩いていた。
人間の町であれば、例えば夕飯時前は買い物や仕事から帰宅する人々で賑やかになるなどあるが、今のところペンギンの町でそういった雰囲気は見受けられない。
いつでも誰もが、それぞれ行きたいところへ気ままに歩いているようだ。と、相変わらず整いすぎた雑踏に加わりながら、あすかはそんなことを思っていた。
二羽の目的地はやっくん一家の塒である区画だが、先ほどまで居た丘からはだいぶ遠いエリアに在るらしい。麓に降りてからそれなりの時間歩いているが、まだまだ距離がある様子だ。
「ごめんね、ずいぶん遠いところの丘を登っちゃったね」
「ううん、大丈夫。あしゅかと話しながら歩くの、すごく楽しいから」
「えへへ、嬉しいこと言ってくれるねっ。あ、もしかしてご両親もいるのかな?何か、お土産とか持っていかなくていいかな?」
「その『オミヤゲ』が何のことか知らないけど、何も気にしなくていいよ。ウチの親ってずいぶん適当だから、居るかもわからないよ」
「へー、そうなんだ」
しかし、すっかり仲良くなった二羽は、ついつい歩きながら話し込みすぎてしまった。
特に前を先導して歩くやっくんは、あすかと話すためにちょくちょく後ろを向いていた。そのせいで、足元が疎かになっていたのだろう。
「それでさぁ……ひあっ⁈」
「やっくん!」
誰かが道に落としたらしいイカを踏んづけてしまったやっくんは、雪煙をまき散らして勢いよく背中から転倒する。
しかも道自体が緩やかな傾斜になっていたせいか、あるいは高揚する気分に任せて知らず知らずのうちに早足になっていたせいか、そのままつるつるとカーリングのストーンよろしく滑っていってしまう。あすかの目には、その一連の映像がスローモーションのように映った。
目を見開き嘴と翼を広げ、くるりと時計回りに回転しながら遠ざかっていくやっくん。
宙を舞い、氷の粒と共に美しい放物線を描く半冷凍の立派なイカ。
太陽光をキラキラと反射する街道、悲壮な絶叫を響かせるペンギンの先にはざわつく群衆。
そして群衆の中心にいるのは、偉そうな態度で歩く四羽のペンギン。
――もし、やっくんが投射されたストーンなのだとしたら。その結末は言わずもがな。
ヒゲペンギンは、いち早く察知し余裕を持って退いていた。
アデリーペンギンは、慌てて近くのメスペンギンに飛びこんだ。
眠そうなコウテイペンギンは、元から少し離れたところで見ていた。
一番偉そうなコウテイペンギンは――全く前を見ていなかった。
「クエェェエアァアァァ……‼」
「あ、やばっ」
「だからさぁ、その時言ってやったん……あん?」
『おこりんぼ』が事態に気が付いた時には、回転するやっくんの尻がもう目の前にあった。
ドシンと鈍い衝撃音が辺りに響く。おこりんぼが「グエァ⁈」と叫びながら吹き飛ばされ、地に伏せる。その横顔へ追討ちのようにやっくんの尻が乗り、とどめとばかりに宙を舞うイカが見開く目の上にべちゃりと着地した。
場にいるすべての人鳥の時が、凍り付く。そして数瞬の沈黙の後――
「キャー‼」
「いっっっってぇぇ!何しやがる!」
「あばばばば……ごご、ごごごごごめごめんなささいぃぃぃぃ」
「ちょっと、やっくん大丈夫⁉」
「いででっ、俺様の上で暴れんな!さっさと退きやがれ!」
「は、はひぃっ‼」
突然の出来事に観衆が悲鳴を上げ、あすかは顔面蒼白で飛び退き五体投地するやっくんに駆け寄り、そして翼を怒らせたおこりんぼが立ち上がったのは、ほぼ同時だった。
はたから見ても身に纏った怒気が相当なものであることは明白で、まるで周囲に陽炎が揺らめいているかのようである。
おこりんぼは片方の目を激しく瞬かせて、ひれ伏すやっくんの嘴先へと足をぺチンと強く踏み下ろした。
「――お前、良い度胸してるじゃねぇか」
「すすす、すみませんでしたぁぁぁ‼わ、わざとじゃなくてその、イカを踏んでしまって転んで、その……」
「あたりめぇだろ!わざとだったら、俺様の嘴でお前の背中を模様付きにしてるところだ」
「ヒィィィッ」
駆け寄って聞いていたあすかには『模様付きになる』の恐ろしさがイマイチよくわからなかった。しかしやっくんの反応や、周囲の「おい、模様付きだってよ。あいつ終わったな」などという騒めきから鑑みるに、何やらペンギン界においては大変な罰なのだろうと理解できた。
しかもよりによって相手は、ペンギンたちの羨望の的である『P4』であり、さらにやっくんが言うには首長の息子という、どう考えてもヤバい相手である。ここでなんとかして溜飲を下げさせなければ、厄介ごとの種になるに違いない。
だからあすかは、未だ伏せたまま震えているやっくんに代わり、なるべく殊勝な態度に見えるよう努めておこりんぼを見上げる。
「あたしからも謝ります、ごめんなさい。あたしが彼の気を逸らしてしまったから、気が付かず転んでしまったんです。あの、お怪我などは……」
「あぁん?この程度の事で俺様が怪我なんてするわけ――おい、待て。お前どっかで見たような……」
おこりんぼがふと何かに気が付いたように、あすかを覗き込む。
一瞬遅れて、あすかもうっかり忘れていた事実を思い出す。これはまずい、非常にまずい、バレたら火に油を注ぐことは確実だ。なんとか誤魔化せないかと、あすかは目を逸らして必死で頭を巡らせた。
「えっと、あのその…………人鳥違い、なんじゃないですかねぇ?」
「んー?……まぁ、そっか。お前みたいな海藻臭いメスが、俺様と知り合いなわけねぇよな」
これまたよくわからないワードが出てきた、とあすかは眉を顰める。南極に到着してからまだ海には潜っておらず、当然海藻も口にしていないのに『海藻臭い』とは何だろうか。おそらく、日本語でいう『芋っぽい』のような蔑みのニュアンスを含む言葉かと察せられるが、ピンとこないせいか特に感情が湧かなかった。
なので、あすかは反論もせず受け流すことにする。
「ソウデスヨ。そんなわけ、ないじゃないデスカ」
「まぁ、いい。とにかくお前は関係ねぇ、すっこんでろ『海藻メス』。用があるのはそこの間抜けだ」
「あわわわわ、ごめんなさいごめんなさい」
「あの!彼だけではなく、二羽の不注意なんです。だから、あたしも謝ります。ごめんなさい、どうか許してください!」
「あしゅか………」
「うるせぇ!よくも貧相で臭い尻を俺様の顔にぶつけてくれたな。高貴な顔が汚れるだろうがよ!」
「いや、その………ううん、とにかく、ほんとごめんなさい」
「だいたいな、お前みたいな平はな、俺様に触れる事自体が烏滸がましいんだよ!どうせその尻と同じくらい性根も貧相なんだろうよ!」
「………ちょっと」
怒りに任せて塩水を飛ばしながら好き放題罵倒をしてくるおこりんぼに、あすかは思わずムっとしてしまった。
すっくと立ちあがり、おこりんぼを正面から見据える。真正面に立つと、あすかとおこりんぼは大体同じぐらいの目線になった。
「なん――お前、でかいな」
「あんた。流石に言いすぎじゃない?」
「ちょ!あしゅか、やめてっ」
慌てて上体を持ち上げたやっくんが、あすかの腰を嘴でつんつんと突くが、あすかは無視しておこりんぼへにじり寄る。
あすか自身の事は、何を言われても受け流すことが出来ただろう。しかし今日一日優しさを沢山与えてくれたやっくんへの暴言は、腹に据えかねたのだ。
「はんっ。なんだ、海藻メス?貧相に貧相と言って何が悪い。むしろ、俺様の正直さに感謝してほしいほどだね!」
「言って良いことと悪いことがあるでしょう、撤回しなさいよ!」
「ぼ、ボクのことはいいから!あしゅかもヒラメされちゃうよ!」
「――ほぉ。ずいぶんと威勢がいいな。デカいのは図体だけにしておいたほうが身のためだぞ?」
「その言葉。そっくりそのままお返ししますけど?」
「てめぇ………‼」
バチバチと、おこりんぼとあすかの視線が激しくぶつかり合う。
それを見た群衆は少しずつ遠巻きになっていき、『せんせい』と『ごきげん』もそれぞれ深い溜息をついて遠ざかっていく。
そんな中、一歩離れたところから興味深そうに事の成り行きを見つめていた『ねぼすけ』が、いつの間にかおこりんぼの背後まで近づいてきていた。気が付かずボルテージを際限なく上げていくおこりんぼの黄色い首筋をやんわりと突き、そして柔らかい口調で声を掛けた。
「――ねぇ、その辺にしときなよ。お父上が待ってるんじゃないの?」
「なんだ?俺様に翼図しようっていうのか?」
「はいはい。そういうのは、オレには効かないって知ってるでしょ。ほら、あの人鳥怒らせると面倒くさいよ?」
「…………ケッ」
ねぼすけの言葉を聞いたおこりんぼは、動きを止めてしばしの間空を仰ぎ考え、そして長いため息をついた後あすか達にくるりと背を向けた。
「……おい、お前ら。今回だけは見逃してやる。命拾いしたな」
おこりんぼの口調こそ吐き捨てる風だったが、あれだけ目に見えそうなほどだった強い怒りが、ほんの少しだけ和らいだようにあすかは感じられた。功労者であるねぼすけの方は特に表情を変えず、そのまま歩きだす。
もう一度短く溜息をついて、背を向けたままのおこりんぼも後に続いた。
その様子を見て、やっくんがへにゃりと力なく倒れこみ安堵を漏らす。
「はぁぁぁぁ。た、助かったぁぁ」
「……うんまぁ、そうみたいね」
「あしゅか、ありがとう。ボクなんかのために謝ってくれて」
「ううん。本当にあたしのせいでもあるから、当然よ。気にしないで」
あすかとしてはまだわだかまりが残っていたが、追いかけるのは誰のためにもならないとわかっていたからこそ、ぐっと堪える。
足が震えて立てない様子のやっくんの背中をあすかが翼で摩っていたのだが、去っていくおこりんぼが再び吐き捨てた言葉を聞いて――
「俺様たちとは次元が違うんだ、二度と顔見せんなよ。まぁ、せいぜいその下賤で貧相な尻でも寄せ合っていな」
――その動きを止めた。
「……待ちなさいよ」
「あ、あしゅか?なにを………」
今度は、あすかの体から怒気の陽炎が吹き出てくるのを、やっくんは幻視した。
ゆらりと立ち上がり、やっくんが制止をする間もなく、あすかは駆け出す。
ペンギンらしからぬ足さばきで雪道を蹴り上げ、猛然と走り出すあすかはぐんぐんスピードに乗る。
みるみる、おこりんぼの背中が近づく。しかし、悪態をつきながら歩く彼は気が付かない。
残り数歩の所で、あすかはヒレ足をそろえて踏み込み、跳躍。
ついた勢いそのままに、全身と翼を器用に使って体制を整え、照準を定めながらぐっと力をため込む。
「まったく……ん?」
「――りはね」
おこりんぼが異変へ気が付いた時には、もうすべてが遅かった。
振り向いた彼の視界いっぱいには、足裏を向けた綺麗な空中姿勢で飛び込んでくるあすか。
あすかの足が、おこりんぼの横腹に触れる。
瞬間。
両足に溜めた力を解放して、一気にインパクト!
「グァグェゴグォヴァッ⁈⁈」
奇声を上げて吹き飛ぶ、おこりんぼ。
唖然として見つめる他のペンギンたち。
ペンギン史上初の見事なドロップキックが、おこりんぼに炸裂したのだった。
「ペンギンの尻はね……誰の物も!全て残らず高貴で風雅で至高で素晴らしいのよっっ‼」
――怒るポイントそこなんだ?
と、ツッコんでくれる者は、その場にはいなかった。
人間の町であれば、例えば夕飯時前は買い物や仕事から帰宅する人々で賑やかになるなどあるが、今のところペンギンの町でそういった雰囲気は見受けられない。
いつでも誰もが、それぞれ行きたいところへ気ままに歩いているようだ。と、相変わらず整いすぎた雑踏に加わりながら、あすかはそんなことを思っていた。
二羽の目的地はやっくん一家の塒である区画だが、先ほどまで居た丘からはだいぶ遠いエリアに在るらしい。麓に降りてからそれなりの時間歩いているが、まだまだ距離がある様子だ。
「ごめんね、ずいぶん遠いところの丘を登っちゃったね」
「ううん、大丈夫。あしゅかと話しながら歩くの、すごく楽しいから」
「えへへ、嬉しいこと言ってくれるねっ。あ、もしかしてご両親もいるのかな?何か、お土産とか持っていかなくていいかな?」
「その『オミヤゲ』が何のことか知らないけど、何も気にしなくていいよ。ウチの親ってずいぶん適当だから、居るかもわからないよ」
「へー、そうなんだ」
しかし、すっかり仲良くなった二羽は、ついつい歩きながら話し込みすぎてしまった。
特に前を先導して歩くやっくんは、あすかと話すためにちょくちょく後ろを向いていた。そのせいで、足元が疎かになっていたのだろう。
「それでさぁ……ひあっ⁈」
「やっくん!」
誰かが道に落としたらしいイカを踏んづけてしまったやっくんは、雪煙をまき散らして勢いよく背中から転倒する。
しかも道自体が緩やかな傾斜になっていたせいか、あるいは高揚する気分に任せて知らず知らずのうちに早足になっていたせいか、そのままつるつるとカーリングのストーンよろしく滑っていってしまう。あすかの目には、その一連の映像がスローモーションのように映った。
目を見開き嘴と翼を広げ、くるりと時計回りに回転しながら遠ざかっていくやっくん。
宙を舞い、氷の粒と共に美しい放物線を描く半冷凍の立派なイカ。
太陽光をキラキラと反射する街道、悲壮な絶叫を響かせるペンギンの先にはざわつく群衆。
そして群衆の中心にいるのは、偉そうな態度で歩く四羽のペンギン。
――もし、やっくんが投射されたストーンなのだとしたら。その結末は言わずもがな。
ヒゲペンギンは、いち早く察知し余裕を持って退いていた。
アデリーペンギンは、慌てて近くのメスペンギンに飛びこんだ。
眠そうなコウテイペンギンは、元から少し離れたところで見ていた。
一番偉そうなコウテイペンギンは――全く前を見ていなかった。
「クエェェエアァアァァ……‼」
「あ、やばっ」
「だからさぁ、その時言ってやったん……あん?」
『おこりんぼ』が事態に気が付いた時には、回転するやっくんの尻がもう目の前にあった。
ドシンと鈍い衝撃音が辺りに響く。おこりんぼが「グエァ⁈」と叫びながら吹き飛ばされ、地に伏せる。その横顔へ追討ちのようにやっくんの尻が乗り、とどめとばかりに宙を舞うイカが見開く目の上にべちゃりと着地した。
場にいるすべての人鳥の時が、凍り付く。そして数瞬の沈黙の後――
「キャー‼」
「いっっっってぇぇ!何しやがる!」
「あばばばば……ごご、ごごごごごめごめんなささいぃぃぃぃ」
「ちょっと、やっくん大丈夫⁉」
「いででっ、俺様の上で暴れんな!さっさと退きやがれ!」
「は、はひぃっ‼」
突然の出来事に観衆が悲鳴を上げ、あすかは顔面蒼白で飛び退き五体投地するやっくんに駆け寄り、そして翼を怒らせたおこりんぼが立ち上がったのは、ほぼ同時だった。
はたから見ても身に纏った怒気が相当なものであることは明白で、まるで周囲に陽炎が揺らめいているかのようである。
おこりんぼは片方の目を激しく瞬かせて、ひれ伏すやっくんの嘴先へと足をぺチンと強く踏み下ろした。
「――お前、良い度胸してるじゃねぇか」
「すすす、すみませんでしたぁぁぁ‼わ、わざとじゃなくてその、イカを踏んでしまって転んで、その……」
「あたりめぇだろ!わざとだったら、俺様の嘴でお前の背中を模様付きにしてるところだ」
「ヒィィィッ」
駆け寄って聞いていたあすかには『模様付きになる』の恐ろしさがイマイチよくわからなかった。しかしやっくんの反応や、周囲の「おい、模様付きだってよ。あいつ終わったな」などという騒めきから鑑みるに、何やらペンギン界においては大変な罰なのだろうと理解できた。
しかもよりによって相手は、ペンギンたちの羨望の的である『P4』であり、さらにやっくんが言うには首長の息子という、どう考えてもヤバい相手である。ここでなんとかして溜飲を下げさせなければ、厄介ごとの種になるに違いない。
だからあすかは、未だ伏せたまま震えているやっくんに代わり、なるべく殊勝な態度に見えるよう努めておこりんぼを見上げる。
「あたしからも謝ります、ごめんなさい。あたしが彼の気を逸らしてしまったから、気が付かず転んでしまったんです。あの、お怪我などは……」
「あぁん?この程度の事で俺様が怪我なんてするわけ――おい、待て。お前どっかで見たような……」
おこりんぼがふと何かに気が付いたように、あすかを覗き込む。
一瞬遅れて、あすかもうっかり忘れていた事実を思い出す。これはまずい、非常にまずい、バレたら火に油を注ぐことは確実だ。なんとか誤魔化せないかと、あすかは目を逸らして必死で頭を巡らせた。
「えっと、あのその…………人鳥違い、なんじゃないですかねぇ?」
「んー?……まぁ、そっか。お前みたいな海藻臭いメスが、俺様と知り合いなわけねぇよな」
これまたよくわからないワードが出てきた、とあすかは眉を顰める。南極に到着してからまだ海には潜っておらず、当然海藻も口にしていないのに『海藻臭い』とは何だろうか。おそらく、日本語でいう『芋っぽい』のような蔑みのニュアンスを含む言葉かと察せられるが、ピンとこないせいか特に感情が湧かなかった。
なので、あすかは反論もせず受け流すことにする。
「ソウデスヨ。そんなわけ、ないじゃないデスカ」
「まぁ、いい。とにかくお前は関係ねぇ、すっこんでろ『海藻メス』。用があるのはそこの間抜けだ」
「あわわわわ、ごめんなさいごめんなさい」
「あの!彼だけではなく、二羽の不注意なんです。だから、あたしも謝ります。ごめんなさい、どうか許してください!」
「あしゅか………」
「うるせぇ!よくも貧相で臭い尻を俺様の顔にぶつけてくれたな。高貴な顔が汚れるだろうがよ!」
「いや、その………ううん、とにかく、ほんとごめんなさい」
「だいたいな、お前みたいな平はな、俺様に触れる事自体が烏滸がましいんだよ!どうせその尻と同じくらい性根も貧相なんだろうよ!」
「………ちょっと」
怒りに任せて塩水を飛ばしながら好き放題罵倒をしてくるおこりんぼに、あすかは思わずムっとしてしまった。
すっくと立ちあがり、おこりんぼを正面から見据える。真正面に立つと、あすかとおこりんぼは大体同じぐらいの目線になった。
「なん――お前、でかいな」
「あんた。流石に言いすぎじゃない?」
「ちょ!あしゅか、やめてっ」
慌てて上体を持ち上げたやっくんが、あすかの腰を嘴でつんつんと突くが、あすかは無視しておこりんぼへにじり寄る。
あすか自身の事は、何を言われても受け流すことが出来ただろう。しかし今日一日優しさを沢山与えてくれたやっくんへの暴言は、腹に据えかねたのだ。
「はんっ。なんだ、海藻メス?貧相に貧相と言って何が悪い。むしろ、俺様の正直さに感謝してほしいほどだね!」
「言って良いことと悪いことがあるでしょう、撤回しなさいよ!」
「ぼ、ボクのことはいいから!あしゅかもヒラメされちゃうよ!」
「――ほぉ。ずいぶんと威勢がいいな。デカいのは図体だけにしておいたほうが身のためだぞ?」
「その言葉。そっくりそのままお返ししますけど?」
「てめぇ………‼」
バチバチと、おこりんぼとあすかの視線が激しくぶつかり合う。
それを見た群衆は少しずつ遠巻きになっていき、『せんせい』と『ごきげん』もそれぞれ深い溜息をついて遠ざかっていく。
そんな中、一歩離れたところから興味深そうに事の成り行きを見つめていた『ねぼすけ』が、いつの間にかおこりんぼの背後まで近づいてきていた。気が付かずボルテージを際限なく上げていくおこりんぼの黄色い首筋をやんわりと突き、そして柔らかい口調で声を掛けた。
「――ねぇ、その辺にしときなよ。お父上が待ってるんじゃないの?」
「なんだ?俺様に翼図しようっていうのか?」
「はいはい。そういうのは、オレには効かないって知ってるでしょ。ほら、あの人鳥怒らせると面倒くさいよ?」
「…………ケッ」
ねぼすけの言葉を聞いたおこりんぼは、動きを止めてしばしの間空を仰ぎ考え、そして長いため息をついた後あすか達にくるりと背を向けた。
「……おい、お前ら。今回だけは見逃してやる。命拾いしたな」
おこりんぼの口調こそ吐き捨てる風だったが、あれだけ目に見えそうなほどだった強い怒りが、ほんの少しだけ和らいだようにあすかは感じられた。功労者であるねぼすけの方は特に表情を変えず、そのまま歩きだす。
もう一度短く溜息をついて、背を向けたままのおこりんぼも後に続いた。
その様子を見て、やっくんがへにゃりと力なく倒れこみ安堵を漏らす。
「はぁぁぁぁ。た、助かったぁぁ」
「……うんまぁ、そうみたいね」
「あしゅか、ありがとう。ボクなんかのために謝ってくれて」
「ううん。本当にあたしのせいでもあるから、当然よ。気にしないで」
あすかとしてはまだわだかまりが残っていたが、追いかけるのは誰のためにもならないとわかっていたからこそ、ぐっと堪える。
足が震えて立てない様子のやっくんの背中をあすかが翼で摩っていたのだが、去っていくおこりんぼが再び吐き捨てた言葉を聞いて――
「俺様たちとは次元が違うんだ、二度と顔見せんなよ。まぁ、せいぜいその下賤で貧相な尻でも寄せ合っていな」
――その動きを止めた。
「……待ちなさいよ」
「あ、あしゅか?なにを………」
今度は、あすかの体から怒気の陽炎が吹き出てくるのを、やっくんは幻視した。
ゆらりと立ち上がり、やっくんが制止をする間もなく、あすかは駆け出す。
ペンギンらしからぬ足さばきで雪道を蹴り上げ、猛然と走り出すあすかはぐんぐんスピードに乗る。
みるみる、おこりんぼの背中が近づく。しかし、悪態をつきながら歩く彼は気が付かない。
残り数歩の所で、あすかはヒレ足をそろえて踏み込み、跳躍。
ついた勢いそのままに、全身と翼を器用に使って体制を整え、照準を定めながらぐっと力をため込む。
「まったく……ん?」
「――りはね」
おこりんぼが異変へ気が付いた時には、もうすべてが遅かった。
振り向いた彼の視界いっぱいには、足裏を向けた綺麗な空中姿勢で飛び込んでくるあすか。
あすかの足が、おこりんぼの横腹に触れる。
瞬間。
両足に溜めた力を解放して、一気にインパクト!
「グァグェゴグォヴァッ⁈⁈」
奇声を上げて吹き飛ぶ、おこりんぼ。
唖然として見つめる他のペンギンたち。
ペンギン史上初の見事なドロップキックが、おこりんぼに炸裂したのだった。
「ペンギンの尻はね……誰の物も!全て残らず高貴で風雅で至高で素晴らしいのよっっ‼」
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