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発展編

31.ワイルドを味わう?

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「そう言えば、ランチ以外で美云と食事に行くのは初めてですね」

「そうですね」

たぶん、"二人きりで"と言う意味なんだろう。確かにランチ以外で獅朗と二人きりで食事に行ったことはない。

「実は、つい誘ってしまいましたがお店は決めてません。獅朗はどこか行きたいお店ありますか?」 

「ふふ。美云らしいですね。でもお店選びは私に任せてください」

獅朗は美云の肩をポンと優しく叩くと席に戻っていった。
そうだった。獅朗は几帳面な性格だからきっと今まで行って美味しかったお店は覚えているんだろう。

また視線を感じてキョロキョロしてみると、遠くの方で佳敏がニンマリしているのが見えた。

うっ。きっと明日になれば知りたがりの佳敏に全部吐かせられるだろう。

しばらくしてからまたスマホからピロンと着信音が鳴り見てみると、獅朗からのメールで候補のお店を数軒知らせるメールだった。

その中で一軒、獅朗にしては珍しいと思える日本食のお店があった。お寿司と言う、魚を生のまま食べられるワイルドな料理のお店だ。このワイルドさがウケるのか、それとも料理の乗ったお皿がベルトコンベアーの上を流れてくるのがおもしろいのかこの国でも人気がある。

『お寿司が食べたいです。ここは流れるお寿司屋さんですか?』

ピロン。
メールで行きたい店を知らせるとすぐ返信が来る。 

『ここは流れないお寿司屋さんですよ。それでも良いですか?』

なるほど。流れないお寿司屋さんは入ったことがない。でもお寿司を食べてワイルドな気分を味わいたかった。

『はい。流れなくても大丈夫です』

『では、予約をしておきましょう。また後で』

メールで話し合った後、心なしかワクワクしている自分がいることに美云は気づいた。


………


「じゃ、行きましょうか?」

「はい」

終業時間になり獅朗が美云に話しかける。

二人一緒に執務室から出ていく姿に佳敏がニヤニヤした視線を送ってくるのが見えた。本当に目ざとい。


会社から出てしばらくすると、片手に包まれるような暖かさを感じた。おや?と思って自分の手を見れば獅朗の手が美云の手をそっと包んでいる。

「また転んだりしたら大変ですから」

美云の何か言いたげな顔に答えるように獅朗が笑顔で答える。うっ。確かに。前回転けた時は勢い余って獅朗を押し倒してキスまでしてしまったんだ。

「私は気にしませんけどね。もう一度、美云に押し倒されても」

うっ。なんてことを爽やかな笑顔と共に言うんだろうこの人は。

「もう押し倒したりしません」

「そうですか?それは残念です」



手をつないだまましばらく歩いていると、だんだんと高級な感じの街並みに姿が変わる。道行く人も何となく高級そうな服を身に付けている。あれ?お店のチョイス大丈夫だったかな?と美云は少々、自分の財布の中身を心配した。

着いた先はやはり高級そうな面構えのお店だったが引き返すわけにも行かず。それに隣の獅朗はなんだかやけに楽しそうなので、促されるままにお店に入る。
えぇい、やけくそだ。絶対、ワイルドになってやる!

美云がそんな思いを抱きながら店内をキョロキョロしてるうちに獅朗が店員さんに話しかけていたらしく席へ案内してもらう。

 
案内された先は個室でとたんに美云のワイルドになりたい気持ちが萎んでしまう。
部屋いっぱいにテーブルが置いてあり、それぞれ二人掛け用のソファ椅子が壁に沿うように置かれている。

いや、部屋と言うよりもむしろテーブルとソファが置けるだけの狭いスペースを壁で囲ってドアを付けたような、例えるなら秘密基地のような少し圧迫感のある部屋だった。

美云が動揺しているうちに獅朗に背中を軽く押されて中に入る。その後ろから獅朗も部屋の中をキョロキョロしながら入ってくるが、なぜか対面で座るのではなく美云の隣に腰を落ち着けた。

ん?これは、どう言うことだろう?でも実際、並んで座ってみると落ち着くことが分かる。対面だと見つめ合うスタイルだから、本当に付き合っていてラブラブな関係じゃなければ間が持たない。だからなのか?きっとそうかも?美云はそう結論付けた。


狭い個室に並んで座り、獅朗は隣に座る美云をチラリと見ると、美云の左手に自分の右手を乗せる。ビクリとしてこちらを見る美云が何か言いたそうにしている。

キスしたいけれど、最中に店員が現れたら美云に気まずい思いをさせるだろうし、きっとビックリさせてしまうだろうから手を繋ぐだけにとどめておく。

「コース料理を予約しておきましたから来るまで待ちましょう」

「はい。あの・・・」

「美云はお酒好きですよね?」

獅朗は片手で器用にメニューを開くと美云が見やすい位置にメニューを置く。

「はい。好きです・・・」

なぜ手を繋ぐのか美云は獅朗に聞きたいのにはぐらかされた気持ちになる。これは今までのようにからかわれているのか、それとも・・・


コンコン

美云が物思いに耽っているうちにノックの音が聞こえ、料理が運ばれてきた。獅朗が店員さんに料理に合うお酒をお願いしている声が聞こえる。
料理がテーブルに並べられているうちにお酒も運ばれてきた。部屋中に美味しそうな匂いが充満する。

「じゃあ、いただきましょうか?」

と言いつつも獅朗は繋いだ手を離さない。

「えっと、手をつないだまま?獅朗は左利きじゃないですよね?」

「ええ。でも、私は今、美云と手を繋いでいたい気分なので食べさせてくれますか?」

ええっ?そんな子どもみたいなこと言う人だったろうか?この獅朗と言う人は?

お寿司を食べてワイルドになりたかったのは美云なのに、まだ食べてもいないうちから獅朗はワイルドになってしまったのか?
はたまた女性と二人きりになるとこんなことする人なのか?
気になる。気になり過ぎるけどそんなこと聞けない。

しょうがないので、口を開けて待っている獅朗の口許まで料理を運んであげると、獅朗は嬉しそうにもぐもぐと食べだす。

獅朗がもぐもぐしている間に美云も食べて、また食べさせて、自分も食べて・・・を繰り返した。

もちろん、その姿は給仕係りの店員さんにバッチリ見られ、その視線はなぜか微笑ましいものを見るような視線だった。


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