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失恋プレイボール

第2話

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 グラウンドに引かれている、楕円形の白線を迂回するように歩いてサキは野球部の部室に向かった。
 野球部の部室はグラウンドの片隅に設置をされている。その入り口の辺りで素振りしている野球部員がなん人かいたがカサナの姿はない。
 素振りをしている野球部員の一人にカサナがどこにいるかをサキがたずねた。
「アキグチならそこの裏で投球練習しているぜ」
「ありがとうございます」
 サキは一礼し、野球部員が指差す部室の裏のほうに歩きだした。
 野球部の部室の裏をサキがのぞきこもうとしたのと同時に奇妙な音が響く。
 金属音かな? それにしてはあんまり高い音じゃなかった気が。
 一瞬、サキの頭の中で残酷な光景が浮かんできたがすぐにそんなことは絶対にないと言わんばかりに大きく首を横に振った。
「なにしてんだ?」
「きゃっ」
 いきなり後ろから声をかけられ、おどろき。サキが身構えている。
「あ……アキグチくんか」
 声をかけてきたカサナの姿を確認し、サキは胸に手を当てて大きく息をはきだす。
「びっくりさせないでよ。ついにこの学校にも殺人事件が起こったんだと」
「ルイノの悲鳴のほうが、よっぽど殺人事件を連想させるみたいだけどな」
 サキの悲鳴を聞きつけてか野球部の部室の入り口の辺りで素振りをしていた野球部員たちが心配そうな表情でのぞきこんできている。
「ご、ごめんなさい。大丈夫です」
 なんの心配もなさそうなサキの笑顔を見て安堵をしたのか野球部員たちは顔を引っこめた。
「アキグチくんのせいで」
「なんでもかんでも他人のせいにするやつはブスになるらしいぞ」
 悪態をつきつつカサナは野球部の部室の裏のほうに歩きだした。彼の悪口にはとくに反応せずサキもその後ろを追いかけていく。
「なにあれ?」
 金属の棒をくっつけたような奇妙な物体を指差すサキがカサナのいるほうに顔を向けた。
「陸上のハードルの親戚」
「似てるけどな。野球のストライクゾーン、分かるよな?」
「ボールにならない位置のことだよね」
「そうそう。そのストライクゾーンの位置というか範囲を目に見える形にしたものがこれだ」
 金属の棒をくっつけて、四角形をかたどっている部分をカサナが指先でなぞっている。
「この正方形っぽい部分の中がストライクゾーン」
「投球コントロールの練習だね」
「そういうこと」
 カサナが地面に転がっていた野球のボールを拾いあげる。
「あれっ、ちょっとだけ歪んでない?」
 四角形をかたどっている部分をサキが自分の腕の長さで大雑把にはかっていた。
「監督の手づくりだからな。しょうがない」
「へー、すごい。でもさ、かなり難しいんじゃないの。この金属の部分に当てたら駄目なんだよね?」
「逆だ。当てるんだよ」
「え?」
「まあ、黙って見てろよ」
 カサナの指定した位置までサキが後ろに下がる。
 野球のボールを持ったまま両腕を振りあげカサナは左足を上げた。上半身をひねり、左足を思いきり地面に踏みつけて体重をのせるのと同時に勢いよく投げた。
 あっ。この音はさっき聞こえてきたものと同じ。
 野球のボールが、四角形をかたどっている部分にぶつかり意図せずバントをしてしまった時のような奇妙な音が響く。
「すごい!」
「野球部だからな」
 憎まれ口を叩きながらもカサナはひそかにガッツポーズをしている。
「もしかして、これを見せたかったの?」
 カサナに惜しみない拍手をおくり、サキは約束のことかどうかを確認した。
「違う」
「それじゃ」
 サキは口をつぐんでしまう。
 夕日に照らされて真剣な表情をしているカサナ。このおれも異性、一人の男だとでも主張をするように鋭い視線をサキに向ける。
 いつもみたいにクラスの友達としゃべっている時とはぜんぜん雰囲気が違うような。
「こわいなー。なに、なんか怒らせるようなことをしたっけ?」
「分かっているんだろう。なんとなく」
「告白かな」
 カサナがうなずいた。顔が熱いのか、被っていた野球帽をうちわのように彼があおいでいる。
「えっと、うれしいけどさ。わたしだよ? ユイのほうが良いと思うよ。かわいいし、明るいし」
「やっぱり覚えてないんだな」
 野球帽を被りなおしてカサナが深呼吸をした。
「最後の試合のこと覚えているか?」
「アキグチくんがホームランを打って同点になったけど延長戦で負けちゃったね」
「そっちじゃなくて。緊張をほぐすために試合前に手を握ってくれたやつ」
 そういえば、そんなことをした記憶もあるけど。
「深い意味がないことは分かっている。でも、あれからずっと気になっていたんだ」
 そんなこと言われても、あの時はアキグチくんの緊張をほぐすために手を握っただけでそういう思いがあったわけじゃない。
「付き合ってくれないか?」
「ごめん。好きな人がいるんだ」
 カサナの顔を見ようとしたがサキにはそれができなかったようだ。
「そっか。やっぱりな、なんとなくそんな気がしていたんだよなー」
「あ、あのね」
「呼びだしといて悪いが。一人にしてくれないか、練習しないといけないからさ」
「うん。分かった……またね」
 背を向けたままのカサナに一礼して、サキは手を振った。声をかけようとしたがやめてしまう。
 サキがいなくなったことを確認してからカサナはようやく泣いた。
「君はよくやったよ」
 その人物はどこからともなく現れて、泣いているカサナの左肩を軽く叩く。
「誰ですか?」
「それはどうでもいいことだ、肝心なのは君が彼女に告白した事実だけ。中学生の甘酸っぱい恋。若気のいたりなんていうやつもいるかもしれないが勇気をだしたのは事実だろう」
 その人物のわけの分からない言葉に困惑したのかカサナが不思議そうにしている。
「君は告白した、とても勇気のいる行為だ。それに敬意を表してこれをあげよう」
 その人物が左手を開くと青白い石が見えた。周りの景色を青白く染めるほどの光をはなっている。
「これは」
「君の勇気だ。とてもきれいだろう」
「はい。けど」
「そうだ。弱々しくなっている……なぜかは君にも分かるだろう」
「分かりません」
 首を横に振るカサナの肩をふたたび、その人物が叩いた。
「嘘をつくな。正直になれ。なぜ諦める必要があるんだ? たった一回、告白を断られただけだろう」
「けど」
「けど、なんて言葉は必要ない。自分の思いに忠実になるだけだ。なにも難しいことではない。ほら、我慢しないで言ってごらん」
「ルイノサキと付き合いたい」
 カサナの心の底からの言葉に呼応するように……青白い石が一層、激しく光を放出しはじめた。
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