とある司祭の死

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とある司祭の死

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とある司祭の死


 私の眼前に立ちふさがる黒き悪魔は、自らを『レグネ』と名乗った。
「さあ、お前の願いは何だ。お前の黒き欲望に従い、なんでも願いをかなえてやろう」
 レグネの姿が私の存在する空間に、どんどんと広がっていく。それは純白のシーツにこぼれてしまったしまった赤いワインのシミのように止めどなく、どこまでも素早く広がっていく。もはや私にそれを阻止する手段など、あろうはずがなかった。
「どんな願いもかなえてやろう。金が欲しいか…それとも地位か。この俺様がかなえてやるのだ。遠慮などいるものか。ただし、それ相応の代価…報酬はいただくがな」
「私は、何を差し出せばよいのだ」
 私はその迫力に、思わず聞き返した。
 レグネは私の問いかけに、わずかに目を細める。それはあたかも自分の思惑に乗ってきた愚かな対象に対して、歓喜に微笑んでいるようだった。
「魂を差し出せ」
「な、なんだって」
 私はその言葉に、思わず聞き返す。
 どんな願いが叶うとしても、そのために差し出す代価が己の魂であるとすれば、願いと引き換えに私は死んでしまうのではないか。いや…それよりも悪魔との取引は、死したその後も魂は取引をした悪魔にとらわれ、永劫の苦しみの牢獄にとらわれてしまうと聴いたことがある。
 そんな私の心の中を察したように、レグネは猫なで声でつぶやいた。
「なぁに…願い相応の魂は報酬としていただくがな、俺たちは貴様たちが信仰する神ほど酷いものではないさ」
 悪魔はそう言って、私に手を差し伸べた。

              §§§

 私の名はマルクト。ガメス神殿の準司祭だ。
 ようやく厳しい極寒の白銀の季節を終え、穏やかな春の訪れを感じられる穏やかな吉日に、街のもっとも古くから存在し、また歴史的にも威厳ある我らがガメス神殿の最高職位であらせられる司祭長が亡くなった。
 司祭長は齢八十歳をこえる大往生だったので、見たことのないような立派な葬儀が、それはそれは盛大に、今日より十四日間の長きにわたりとり行われたのだ。
 今回お亡くなりになった司祭長は恩情熱き聖人と名高く、また教会での地位も最高位の立場だったため、近隣諸国からも最高位の司祭やそれに準ずるものが枚挙し、最期のお別れをするために集まっている。その列の長さたるや、純白の神聖衣を身にまとった司祭たちが数キロにわたり続くさまは、荘厳のひとことに尽きた。
 教会関係者ばかりでなく、一般の信者も次々と集まり、おかげで街は喪に服するどころか人があふれかえって、一種異様なお祭り騒ぎになっていた。
 私はガメス神殿の教徒ではあるが、それほど高い地位でもなく、むしろ雑務全般をこなしている下っ端なのだが、おかげで各地からの来訪者の対応に大忙し。
 今日も一日、各地の司祭や貴族の挨拶、葬儀の手配などに振り回され、働き続けたその体は疲労の限界…すでに、くたくたである。
 ありがたいことに、平時であればこんな時間には酒場も閉まってしまうが、このお祭り騒ぎのせいで街は眠ることなく活気にあふれている。
 私は今日一日の疲れを癒すために、いきつけの酒場へと向かっていた。
 私はそこで仕事終わりに一番安い食事と、一杯の葡萄酒でのどを潤すことが日課となっていた。
 私の信仰している教義で葡萄酒は神の恵みといわれ、これに関しては禁止戒律にはなってはいない。だから私は一日の終わりに葡萄酒を飲むことに、何の躊躇もなかった。

 私は酒場の重い扉を押し開け、騒がしい店内へと進んだ。
 相変わらずここ数日間は、店内は活気にあふれ…というか喧騒にあふれて、少々落ち着かない様子だったが、ここが街での最低価格設定の店だったので、貧乏準司祭の私にとっては唯一、利用しやすい店だったのだ。
「いらっしゃいませ」
 私は、そのまま一番奥の席へと案内された。通いなれたこの店の、ここが私の指定席のようになっている。
 酒場の隅の薄暗い角席だったが、いつも以上にけたたましい店内の雰囲気を考えると、ゆっくりと食事をしたかった私にとっては、むしろこの席は好都合だったのだ。
 私は決して豪華とは言えない木製の椅子に腰を下ろすと、いつもの食事と葡萄酒を注文した。
 店内の混み具合から察するに、私の注文した品々は時間がかかるかもと考えていたのだが、幸運にもそれほど時間はかからずに、注文品のすべてが私のテーブルに並べられた。
 疲れも空腹も限界を迎えていた私は、早速その食事を腹の中に咀嚼し、流し込んだ。もしかしたらその食べ方は、準司祭にあるまじき、飢えた犬のような下品な食べ方ではなかったろうか。それでも私は一気にすべてを腹の中に詰め込む。
「ふう~」
 やがて空腹も満たされ、満足した私はため息をひとつ、大きく吐き出した。
 今日も本当に一日忙しかった。私より高位の方々の応対…失礼のないように気を遣い続けて心の休まる時間がまるでなかったのだから。
 そのとき、私はふいに声をかけられた。
「すみません、よろしいですか?」
 満腹と疲れでうとうととしていた私が顔を上げると、。そこには満面の笑みをうかべた、気の弱そうで小奇麗な格好の小男だった。その服装の胸の部分には、商人ギルドの金の紋章が刺繍されていた。
 その商人と思しき人物は、人懐っこそうな笑みをうかべながら、そこに立っていた。
「すみません。大変、お疲れのご様子のところ申し訳ございませんが、ご合席よろしいでしょうか。どこも席がいっぱいのようなので…」
 私はそう言われ、キョロキョロと周りを見まわした。
 店内は先ほどより混み合っていた。どうやら男の言う通り私のテーブル以外は、すべて満席のようだった。
 私は相席という気分でもなかったが、状況が状況なのでしぶしぶ頷いた。もちろん教会の準司祭という立場もあったことは、言うまでもない。
「…どうぞ」
 私は疲れからか眠くなり始めた目をこすりながら、それでも笑みをうかべて言った。
「ありがとうございます」
 男は軽く私に会釈をすると、対面の小さな木製の椅子に腰を下ろした。
「すごくにぎやかですね」
 男はそう言いながらも、手際よく給仕に注文を済ませたようだった。
「そうですね。これも亡くなった司祭長の、人徳の賜でありましょう」
 私は、辺りを見まわしながら言った。
「司祭様は随分と、皆様に慕われていたご様子ですね」
 私は、大きく頷きながら言った。腹がいっぱいになり、多少の酒もそれに手助けをしていたに違いない。
「ええ…司祭長はとても信心深く静かな方で、貧富の差なく万人に慕われていた方でしたから。本当に残念なことです」
 男は、そうでしょうともと呟き、何度も頷いていた。
 そうしているうちに男のもとには、彼の注文していた火酒が運ばれてきた。男は喉が渇いていたのか、運ばれてきた火酒を一気に飲み干すと私に向き直り、そのまま話を続けた。
「ところで、その御高名な司祭長様のお名をお聞きしてもよろしいでしょうか。失礼ながら、今回自分は司祭長様のお悔やみのために、この街にやってきたわけではないのです。大事な商いの清算のために、たまたま通りかかっただけなので」
 男はばつの悪そうに、頭をポリポリと掻きながら言った。そういってから男は慌てたように自己紹介を始めた。
「大変申し遅れました。自分は旅をしながら世界各国をめぐり、行商をさせていただいております、レグネと申します」
「あっ…私はガメス教会の準司祭を務めさせていただいております、マルクトと申します」
 私はレグネという行商人に軽く頭を下げ、そして続けた。
「私は準司祭といっても名ばかりの役職で、実際のところは教会の雑務全般をまかせていただいております」
 レグネに丁寧に挨拶をされた私は、あわてて自己紹介をおこなった。
「準司祭、マルクト様ですか。こちらこそ、よろしくお願い致します。ここでお会いしたのも何かのご縁。以後ごひいきにお願いいたします」
「こちらこそ。不肖な準司祭ではありますが、よろしくお願いいたします。レグネ殿」
 そう互いに挨拶をくみ交わすと、レグネは私に握手を求めてきたので、私もあわててレグネの前に手を差し出す。
 やがて程なくして、レグネの注文した食事が運ばれてくる。
 私たちのテーブルは、二人の食事の皿と酒のジョッキでいっぱいになった。
 レグネはいくつかの料理を口に放り込むと再び火酒を注文し、それらを一気に自らの喉に流し込んだ。

              §§§

 話してみると、このレグネという商人は、なかなか面白い男だった。
 彼の語る、これまでの旅してきた地域の話や風習などはとても面白く、私の知的好奇心を刺激し続けた。また彼の吟遊詩人のような独特の語り草は、いつまで話していても、飽きることも興味が尽きることもなかったほどだった。
 やがて気が付くと私たちのテーブルには、二人の食い散らかした山ほどの空の皿や酒のジョッキが積み上がっていた。私のほうはといえば、これまでにないくらいに酒を飲んでしまったようだ。飲んでも飲んでも口の中はカラカラに乾き、気を許すと眼前の景色が回りだす。重いまぶたをこすると、向かいの席のレグネが複数人に見えたりといった状況だ。
 やがて私の口調も砕け、聖職者にあるまじき口調になりつつあった…よん。
「ところで、マルクト様」
 …と、レグネは言葉を紡いだ。
「マルクト様は準司祭様ということで、当然のごとく神を信仰しておられますよね」
 私は赤ら顔でコクリと頷いた。その目つきはかなりとろんとしていたに違いない。
「では、マルクト様は神を心の底から信仰していらっしゃいますか?」
「それはいったい、どういう意味なのれすか」
 私はレグネの質問の意味が分からずに、質問を聞き直した。ろれつがまわらなくなっているのが、自分でも自覚できる。
「すみません。失礼を承知でお聞きしました。各地を巡っておりますと、司祭クラスの方々でも、教会の教義を信仰してはいても、実際にご覧になっていない神については、明言を避けるような方もいらっしゃいますので。マルクト様はそのあたりを、いったいどのようにお考えになっているのか興味があったものですから」
 レグネは頭を、右手のひとさし指でポリポリと掻きながら言った。そして、その両の眼にキラキラとした光を宿しながら笑う。それは、まるで悪戯好きな子供のようだった。
「確かに我々教会に携わるものは、神のありがたーい教えを信仰しておりますよん。おそらく当協会には、神を信じぬふとどき者など、ひとりもいるはずがございまひぇん」
 私は当たり前のことを、当たり前に答えた。この問いに、彼が何を求めているのかは計りかねたが、私の答えに迷いなどない。いや、私の準司祭という立場上、これ以外の答えは考えられなかったからである。
 しかし、それにしてもろれつが回らない。
「では…」
 それでも、レグネは言葉を続ける。
「準司祭マルクト様は神をご覧になったことや、あるいはその奇跡を、実際に目の当たりにされたことはございますか」
 私はその思いもかけぬ問いに、思わず口にした葡萄酒を吹き出しそうになった。気道に葡萄酒が入ってしまって激しく咳き込み、ゲホゲホとむせかえる私を尻目に、なおも彼は言葉を続けた。
「皆、神を信仰している…と、皆口々にそうおっしゃいます。そして、それは我々の頭上に神が存在しているというということの証明になります。ならば、その対極の存在たる悪魔も、同時に存在しているということになりませんか。少なくとも偉大なる教会の聖なる教典には、その神と悪魔の存在が記されているではありませんか」
 私は咳き込み、涙目のままレグネに言った。
「確かに、あなたのおっしゃるとーりら。我らが信仰するガメス教典に限らず、すべての信仰には堕落の象徴…悪魔という存在が記されいまふ。そして神は、それらすべての存在と対立していまふ。得てひて教義とは、その怠惰の象徴より自らを律するものでありまひょう」
「ほう…」
 レグネはスッと目を細めた。
「では、再びお聞きしましょう。マルクト様は神を見たことがありますか。また、奇跡をお感じになったことはありますか」
「ありましぇん…」
 私は間髪を入れずに即答した。
 普段ならそんな答えは絶対に…文字通り神に誓ってしないのだが、酔いに任せて正直に答えてしまったのである。
「正直なご回答、ありがとうございます。初めにもお話ししましたが、自分は各地をまわりながら商売をしています。その結果、自分の経験からお話をさせていただくと、実は神も悪魔も実在しているのです」
 私は目を丸くした。今までの話の流れから、こんな答えが彼から帰ってくるとは思ってもみなかったからである。
 そんな私の様子を知ってか知らずか、彼はそのまま言葉を続けた。
「実は神も悪魔も、同じ存在…同種族なのです」
「ひょんな、わけがにゃい」
 私は少々荒っぽく、彼に答えた。
 実のところ、私も実際にその御姿を拝見してきたわけではないのだが、彼の言葉が常識を欠いた非常に滑稽な言葉だったことはわかるからだ。
 しかし、彼はさらに言葉を続ける。
「少々、誤解があったようです。神も悪魔も同じ種族…そしてそれは人と違い肉を喰らわず、生物の精神を喰らう存在だということです。自分にささげられた精神エネルギーを糧とし、吸収し、生きながらえる種族なのです。神と悪魔の違いは、人の価値観的に美しい姿をしているか否か、ただそれだけの存在なのです」
 レグネは雄弁に語り続ける。その姿は自身に満ち溢れている様子だった。
「だから神は、自分に信仰を向けさせる。悪魔は自分に魂を捧げさせる。彼らは対象がその気にならなくては奪うことができません。自発的に捧げてもらう必要があるのです」
 レグネの背信的なその語らいに、私の酔いは急速に冷めつつあった。まるで心臓に冷たい刃が差し込まれたかのように…。
 そんな私の様子を無視して、さらにレグネは話を続けた。
「では神と悪魔…どちらが正しいのでしょうか。ここだけの話ですが、自分は神よりも悪魔のほうが正しいと感じているのです」
「なぜですか…」
「悪魔という存在は、人々の願いを…欲望をかなえてくれます。もちろんそれには代償が、あるいは対価が必要ですが、それは人でいうところの物を譲ってくれる代わりに代金を払え…というものと同等だと思うのです。そして悪魔は約束を反故にするようなことはありません。払った対価分だけは必ず実現します。ところがどうでしょう。神という存在は、人々から己に対する信仰を要求しているわりには、必ずしも見返りを与えようとしません。ごくたまに、まるで子供のように、そして気まぐれに、奇跡という名の代償を与えているにすぎないのです。それは人に例えるなら、金を支払っているにもかかわらず、商品がいつまで待っても渡されない…詐欺師といった者の行為に酷似しているではありませんか」
 私はレグネの衝撃的な話の展開に怒りを覚え、酔いが醒めつつあった。
「確かに神というものは、軽々しくそれをお示しにはならない。奇跡とは、そのような安売りするものではないからだ」
 その私の言葉に、レグネはさらに反論する。
「時には気まぐれに天変地異級の災害を与え、あるいは自分を信仰しない人々を簡単に滅ぼし、それなのに自分に対する絶対的な服従を要求し、かつ信仰という見返りに魂の隷属を強要する。それが、あなたたちが神と呼ぶ存在の在り方。…それが正義とは、自分にはまったく思えません。ならば逆に、悪魔という存在は魂を代償にはしますが、裏切ることなく契約通りに、対価に見合った望みを必ずかなえる。あなたは、正義はどちらにあると考えますか?」
「悪魔は、勤勉な人間を堕落させるという」
「悪魔は欲望を、提案したりはいたしません。人が願い、望んだことをかなえてさしあげるだけです。もし願いが邪悪であるならば、それはそれを望んだ人間が邪悪…ということではありませんか」
「…ぐぬっ」
 私は彼の言葉に言い返すことができなかった。
「しかし、なぜそのようなことがわかるのだ。すべてはあなたの想像の結果にすぎぬのではないか?」
 レグネの顔が邪悪にゆがむ。そして彼はこう言い放った。
「それは俺様が、その悪魔だからだ」
 気が付くと、先ほどまでけたたましかった辺りの喧騒が消えている。
 辺りの景色も暗転し、だんだんと闇に支配されていく。
「まだわからんか、人間」
 レグネはその正体を現した。ゆらやらと体の形が揺らぎ、みるみる異形の姿に変貌していく。それは大きな山羊の頭を冠した、悪魔という名で呼ばれているものであった。
「…ひっ」
 私は、声にならぬ悲鳴を上げた。
「恐れるな人間。お前のところの司祭長も、実は俺様と取引をしていたのだ」
「そんな、馬鹿な…」
「司祭長は強欲だったぞ。奴は俺様に富と地位、そして権力を願ったのだ。俺様は奴と契約をした。司祭長の寿命と引き換えにな」
「なんと。司祭長がお亡くなりになったのは、貴様の所業であったか」
「おいおい、滅相なことは言わないでくれ。俺様は奴の寿命の半分を代償に、願いをかなえてやったのだ。今回の奴は、寿命で亡くなった。多少の手伝いはしてやったが、奴の人生は概ね至福であったろうよ」
「そんな、悪魔の言葉を信じろというのか」
「まあ、そういきり立つな人間。実は俺様にも都合というものがある」
「…何を今さら」
「今回、司祭長とやらとの契約が終了するにあたり、次なる契約者を探していたのだ。先ほども話した通り、俺様も無条件でこの世に存在はできないのだ。そもそも俺様は異次元のアストラル生命体だ。この現世で存在を維持するためには、この世界の生物の魂が必要なのだ。お前たちの観念で言うと、食料と考えてもらって構わない。それを提供してもらう代わりに、対価としてこちらも願いをかなえてやろうというのだ。そこでお前のような、そこそこの地位があり、かつ神を心底信じておらず、欲望にまみれた人間を探していたのだよ」
 私はレグネと呼ばれた悪魔の気迫に気圧され、ごくりと唾を飲み込んだ。
「さあ、お前の願いは何だ。お前の黒き欲望に従い、なんでも願いをかなえてやろう。だが、嘘はつくなよ。アストラル体の俺様にとって、お前の真実の望みか否か…というものは容易に判断することができる。精神でつながり、心を読むことなど造作もないことなのだからな。それに自らの意思で捧げてもらわねば、俺様は魂を喰らうことができぬ」
 レグネの姿が私の存在する空間に、どんどんと広がっていく。それは純白のシーツにこぼれてしまったしまった赤いワインのシミのように止めどなく、どこまでも素早く広がっていく。もはやそれを阻止する手段など、私にあろうはずもなかった。
「どんな願いもかなえてやろう。さあ、金が欲しいか…それとも地位か。この俺様がかなえてやるのだ。遠慮などいるものか。ただし、それ相応の代価…報酬はいただくがな」
「私は、何を差し出せばよいのだ」
 私はその迫力に、思わず聞き返した。
 レグネは私の問いかけに、わずかに目を細める。それはあたかも歓喜に微笑んでいるようだった。
「魂を差し出せ。魂以外に何があるというのだ」
「な、なんだって」
 私はその言葉に、思わず聞き返す。
 どんな願いが叶うとしても、そのために差し出す代価が己の魂であるとすれば、願いと引き換えに私は死んでしまうではないか。いや…それよりも悪魔との取引は、死したその後も魂は取引をした悪魔にとらわれ、未来永劫苦しみの牢獄にとらわれてしまうと聞いたことがある。
 そんな私の心の中を察したように、レグネは猫なで声でつぶやいた。
「なぁに…願い相応の魂は報酬としていただくがな、願いの大きさによっていただく魂…寿命の長さは変わってくる。ただ、それだけだ。俺様は貴様たちが信仰する、神ほど酷い対応はせぬよ。望みは必ずかなうし、奴ら神のように、死ぬまで魂を縛り付けたり、搾り取ったりはしないさ」
 悪魔はそう言って、私に手を差し伸べた。
「そうですか…」
 私は、あきらめたようにつぶやいた。この悪魔とかかわってしまった瞬間に、私の運命は決まってしまっていたのかもしれない。
 おお…神よ。
 司祭長も、その地位は悪魔との契約によってなされている。富と地位、そして権力を願った司祭長は寿命の半分を悪魔に譲り渡した。悪魔の言うことが真実ならば、司祭長の野望でも、その程度の寿命で済んだのだ。
 私は心を決めた。そして悪魔に向き直る。
「ならば、私の願いはひとつ」
「よし、その願いとはいかような…」
 私は悪魔に願った。もしかしたら、まだたらふく飲んだ葡萄酒が残っていたのかもしれない。
 私はもじもじしながら悪魔に言った。
「…先ほどから予想外に飲み食いをしてしまった。私の現在の願いは、この酒場での飲食代の全てを所望したい。どうやら私の財布の中の代金では、足りそうにない。このままでは聖職に就くものが食い逃げをしてしまうことになる」
「…えっ?」
 悪魔の…レグネの素っ頓狂な言葉が漏れ、その目が点になる。
「本当にそれでいいのか? そんなんでオーケー?」
 悪魔は焦っているように見えた。
「嘘偽りはない。私の心の中が見えるのだろう。覗いてもらって、一向に構わない」
 その言葉に、レグネは私の心の中を覗いてみたのだろう。信じられないものを見るような目つきで、私を哀れそうに眺めている。その眼は不審者のようにプルプルと泳いでいた。
「よ、良かろう…いいだろう。俺様に二言はない。…しかし本当に、それで大丈夫なのか? もしアレだったら、もっとすごい願いでも良いのだぞ。そう…例えばハーレムとか、世界征服とか、永遠の命とか…」
 私は首を横に振り、意を決して聞いた。
「良いのだ、レグネ殿。それが私の真なる願い。見事、かなえてくだされ」
 レグネは、がっくりとうな垂れている。心なしか額のあたりに、数本の青いじゃみじゃみした線が見える。
「ところでレグネ殿、私の願いに対する対価は、どれくらいのものだろうか。私の寿命は、いったい貴殿に、どのくらいお支払いすればよいのだろうか?」
 悪魔はすねた子供のように、口を尖らせながら言った。
「…正味、二時間くらい…」
 悪魔は寂しそうに言った。その目にはうっすらと涙が浮かんでいた。







 

 


 
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