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第一章 たった一人の温泉旅行中に

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 部屋に付いている風呂に入って夜空を眺めていた。

 広さはないが露天になっていて開放的な気分にさせてくれる。こんなに良い環境なのにお値段もお得なのは、オーナーさんの努力なのだろう。有り難いことだ。その感謝の気持ちがまた来たいという気持ちにさせ、リピーターを生むので正のスパイラルになっているのだろう。

 眼下には森が広がっている。伸びた木立が所狭しと乱立している。

 月の光に照らされた眼下を見てると、所々で木の先が揺れているのがわかる。まるでキコリが木を切っているかのように左右に揺れる。

 それは一か所に留まらずあちこちと動いている。まるでキコリが切る木を探し移動しているように。

 こんな夜にキコリの筈でもなく、野生のイノシシが木にぶつかったとしてもそんなに揺れる程木は低くない。イノシシも歩くたびにぶつかっていては大変だろうに。

 それに、その揺れる木がこちらにだんだんと向かって来ている時点でだいたいの予想ができている。

「ンギャー」

 女性の叫び声が森の中から聞こえてくる。残念なことに俺にはその声が誰かが大方の予想が付いていた。

 もし、あれがあやかしの叫び声だったら普通の人間には聞こえないのだが、俺には聞こえてしまう。

 欠点なのはその声が聞こえたからと言ってあやかしとは決めれないということ。

 普通の人間の声と同じように聞こえてしまうのだ。

 昼間の街中だったなら、人と間違えて助けに向かったかもしれないがこんな夜の森、あやかし以外の何者でもないのは容易に想像できる。

 特に今日は、そのあやかしさえも特定できてしまう。

 叫び声がだんだんと近づいてくる。

「やれやれ」

 濡れた体で外にいると流石に風邪を引いてしまいかねないので、もう少しのんびりしたかったのだが湯船からでてタオルで体を拭いた。

 外に通じる窓が勢いよく開く。本日何度目だろうか。

「がぐまっでぐだざい!」

「かくまってほしいと言ったのか?」

 うんうんと何度も首を縦に振るあやかし。浴衣ははだけて帯で辛うじて前が開かないでいる状態は、全力で走って来たのを物語っている。

「もう二度と会うことはないって言ってたけど、今日会うの何回目だ? それに会ったら俺の首を落とすとかなんとか言ってたじゃん。こわい!」

「そんなこと言わないで! アイツに見つかったの!」

 鼻水を垂れ流し、泣きながら窓の外を指さす。何者かに追われてきたのだろうな。

 それが何者なのか、考える間もなく答えがやって来た。
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