孤独の魔女と独りの少女

徒然ナルモ

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七章 閃光の魔女プロキオン

194.孤独の魔女と夢の跡

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アルザス三兄弟との戦いを終え マルフレッドの魔の手からコルネリアさんの妹 ユリアちゃんを救出し、エリスは再びクリストキント劇場へと…ナリアさんや師匠 コルネリアさんの待つ劇場へと戻ってきた

「ただいま戻りました」

「あ!エリスさん!、ユリアさんは…」

「ちゃんと連れ戻しましたよ、ほら」

コルネリアさんがベッドで休むナリアさんの部屋へ、エリスはユリアちゃんの手を引いて戻ってくれば、なんか部屋は凄い有様だった

本当にこの劇場中から集めたであろう大量の毛布がコルネリアさんの上へ覆い被さっており 、ベッド脇に座るナリアさんの手には擦られたリンゴが入った皿が

そして、ベッドの上で厚着をさせられているコルネリアさんの目は エリスよりも先に、その手の先の妹に注がれる

「…ユリア?」

「コルお姉ちゃん…」

「ユリ…っ、くぅ」

「動いちゃダメだよコルネリアさん!」

ユリアちゃんの姿を確認するなり動かない体を無理に動かして立ち上がろうとするコルネリアさん、しかし 動いては行けないとナリアさんは制止するが

「構わん、サトゥルナリア…やらせてやれ」

と ナリアさんを更に制止するのはレグルス師匠、やらせてやれと

「でも!」

「例え その身が砕かれていようとも 崩れる寸前であろうとも、それでも抱きしめてやりたい存在というのはいるものだ、それを邪魔するな」

「ぅ……」

そうこうしてる間に立てないほどに衰弱していたコルネリアさんは立ち上がり ユリアさんの方へと歩く ゆっくりと、ユリアちゃんもまた エリスの手を離れ……

「ユリア!!!」

「コル姉ちゃん!!」

抱きしめる 抱きしめられる お互いが、あの端正で整ったスターが 表情をクシャクシャに崩し、涙も鼻水も止める事なく 嗚咽しながら、最愛の妹を抱きしめる…

「会いたかった…ずっと、ずっと会いたかったわ…ユリア」

「コル姉ちゃん…わたしも、わたしも会いたかった…、ずっとずっと…ずぅっと」

マルフレッドの欲と薄汚い憎悪から引き裂かれた姉妹が今、数年ぶりに再会を果たせたんだ…喜ばしい限りじゃあないか、うん エリスもはらりともらい涙が溢れてしまうよ

「ごめんなさい…一人にして、こんなに…ぎ…傷ついて、貴方を守れなくで…」

「ううん、知ってるの…わたし コル姉ちゃんがわたしの為に頑張ってくれてる事、ずっと知ってた…、わたし 舞台に立つお姉ちゃんが好きだから 大好きだから…邪魔したくなくて」

「邪魔なんてそんな…!」

実際 コルネリアさんの中で舞台と妹、それは甲乙つけがたいものだし つけるべきものでもない、同じくらい大切で 何よりも愛している、けれどだからと言って舞台に専念して妹を放ってきたかと言えばそうじゃない

姉も舞台の上で妹を思い続けた、妹もまたあの部屋で舞台に立つ姉を思い続けた…だからこそ涙が止まらないんだ、会いたかったんだ

「私は貴方さえいればいいの、…だから もう 今度こそ離さない、今度こそ 私の手で守ってみせる、…それでもいい?」

「うん…うん、わたしもお姉ちゃんともう離れたくないよ…、お姉ちゃんが舞台に立つところを見たいよ」

「ええ…見せるわ、貴方の為だけに コルネリア・フェルメールというスターは輝くの」

そうして二人は抱き合ったままベッドへと潜り込む、うん いくら一件落着したからといってコルネリアさんの体調が回復したわけじゃない、引き続き安静にだ、ユリアちゃんも衰弱してるからね、一緒にベッドで休んでろい

「あら、もしかして感動のシーン見逃しちゃった感じかしら?」

「あ、ニコラスさん」

ふと そんな空気に入り込む声がする、ニコラスさんだ、エリスの騎士の衣装…を少し改造して大きくしたものを纏うその姿は、これがまぁあんまりにもサマになってて、主役交代したくなりますよ

「劇の方はどうでした?」

「どうもこうもびっくりよ、後半アドリブでなんとかって…、貴方達よく上手くやれてたわね」

「まぁ…そこは…、まぁ…」

「ニコラスさん本当に演技が上手くてね?、劇の方も大成功だったよ」

ナリアさんが語るに 最初はエリスではなく見知らぬ男が主役をやっているのに観客も面食らったが、そこはニコラスさん 人を惹きつける技術は天下一だ、直ぐに観客を魅了したらしい

そして最後のヴェンデルさんとの対決も、普通にニコラスさんが勝った、まぁニコラスさんはエリスと違い普通に軍人だ それも国内でも五本の指に入るような達人、軽くヴェンデルさんをあしらい劇は終了…かと思いきや

なんとアドリブでなんとかすると聞いたニコラスさんはそのまま倒したヴェンデルさんをお姫様抱っこし、ストーリーをまさかの和解ルートへ改編したらしい、ヴェンデルさんもまた美男子 ニコラスさんもまた超絶美男子、美男子と美男子の併せに何かに目覚めた婦女子の皆さんも多かったと聞く

いやぁ、メチャクチャやったな、エリスが頼んだ事だけど 次からやりづらぁ…

「ありがとうエリス、貴方のおかげで本当に助かったわ」

「ん?、ああ いいんですよコルネリアさん、エリスから突撃して助けに行ったようなもんなんですから」

「だからこそよ、でも…私とユリアを奪われたマルフレッドが、どんな手に出るか…」

「そこも大丈夫、今からなんとかしに行きますから…、今日の公演は終わりですよね、ニコラスさん 例の件お願いしてもいいですか?」

「ええもちろん、悪党退治に行くのよね?、アタシに任せて頂戴」

あとはマルフレッドをなんとかするだけ、こっちはもう一週間前から準備を進めてる、後は対面で話すだけだ…、ただエリスだけでは無理 ニコラスさんの助けがなければいけない、なので 今日はこのままマルフレッドの所に行くつもりだ

奴が変なことをする前に…

「じゃ、最後に軽く終わらせてきますね」

「……う うん、頑張ってね?」

「…?、はい 行ってきます」

何やらおかしい態度のナリアさんに首を傾げながらニコラスさんと共に劇場を出て外に向かうと、…臭う 臭ってくる、劇場の入り口 外から臭ってくる

タバコの臭いが…

「おろ、エリスちゃん またどっか行くの?」

「リーシャさん、またタバコですか?」

「そう言わんでよ、やめろと言われてやめられりゃ吸ってないよ」

リーシャさんだ、また劇場の外でタバコを吸ってるようで、頭の上に雪が積もってるところを見るに、結構前から吸ってるな…

「あら?、貴方が…リーシャ?、確かノクチュルヌの響光の原作者の」

「ん?、…ああ エリスさんの代役さん?、確か名前はニコラスさんだっけ?、凄い美人だね」

「………………」

「………………」

するとリーシャさんとニコラスさんが何やら見つめ合う、え?なに?なんの沈黙?なんで見つめ合うの?、やめて エリスを挟んで無言のやりとりしないでよ、もっと和気藹々としてよ…

「会えて嬉しいわ、リーシャ」

「私もです、こんな美人見れて眼福です」

握手だ、ニコラスさんとリーシャさんはお互い微笑み合い 何やらグッと強く手を交わらせる、よかった 二人とも仲良く出来たみたいだね、エリスも二人が仲良しで嬉しい!

って、言えるくらいエリスも子供だったら良かったんだけどな、分かるよ、二人の視線と握手には含みがある、そして互いにそれを理解した上で握手した、無言の駆け引きの末の握手だ

ただ、なに考えてんのか さっぱりなんだよなぁ…、なにを考えているか分からないニコラスさんと都度都度消える謎多きリーシャさん、二人ともエリスの考えの及ばない何かを秘めているような気がしてならないなぁ…

「じゃ、アタシこれから用事あるから」

「そうですか、じゃエリスさん 頑張って」

「あ、はい」

半ばニコラスさんに急かされるようにエリスはマルフレッドのもとに急ぐ、その動きを見てタバコを消し、ふらりと劇場の中へと消えていく、その背は…何かを感じ

いや何も感じないわ、なんなんだろうか

…………………………………………………………

夜も更けた頃、窓の中から灯の漏れるイオフィエル大劇場へとエリスは足を踏み込む、ニコラスさんにはまた後で来てもらうということで、寒空の下で悪いが外で待っていてもらうことにした

…エリスが、イオフィエル大劇場の扉を叩き 

『コルネリアさんの件で話しに来ました、エリスです』

と声をかければ、しばらく待った後 扉は開かれ…

『マルフレッドさんが奥で話があるそうだ』

とのお話を劇団員から頂いた、今度は裏口ではなく 正面から乗り込み、マルフレッドの元まで進む、奥とはこの劇場の支配人室だろう、案内されずとももう間取りは頭に入っているから一人でグングン進み

案の定 奥にあった支配人室の扉を叩き、返事を待たず…入室する

「失礼します、マルフレッドさん」

「お前か…お前が…お前がぁ…!!」

中に入った瞬間目に入るのは椅子に座りんふーんふー言いながら鼻息荒く顔を真っ赤にするマルフレッドだ、目の前の机に置いた拳はプルプル震えており 全身から激怒が漂ってる

まぁあんなに顔真っ赤にして、禿げ上がった頭も相待って茹で卵みたいだな

「コルネリアをどこへやった!」

「教える気はありません」

「ユリアをどこへ隠した!」

「教える義理もありません」

「ふざけるなァッ!小娘がァッ!」

マルフレッドが咄嗟に手に取ったペンがこちらに投げられるが、ヒョイと避け歩み寄る、怒ってますねマルフレッドさん、けどね エリスも怒ってるんですよ、貴方には…!!

「随分 好き勝手やってますね、コルネリアさんの件は言わずもがな、…貴方 候補選で不正をしてますね」

「はぁ?不正ぃ?、何を言いだすかと思えば…そんな事までワシの所為にするか!、ふざけおって!、あれは貴様らの実力不足だろう!それをワシの所為にするな!、それよりコルネリアは…」

「コルネリアさんはもうこの劇団には戻りませんよ、…不正の件も彼女が教えてくれました、候補選の管理委員会を貴方が買収してることもね」

「ぐっ!、あの女…!恩も忘れて…ワシを裏切ったか!」

「先に裏切ったのは貴方でしょう、何よりも真摯に演劇に臨むコルネリアさんを、いいえ このエトワールに存在する全ての役者を!裏切り!踏み躙り!冒涜した!、それをしたのは貴方 ただ一人でしょう!」

先に裏切ったのはお前だ、お前がコルネリアさんを信じず 彼女に話を通さず、不正に手を染めた その時点でマルフレッドとコルネリアさんの間を繋いでいたか細い糸を本当に切れてしまった、切ってしまったんだ マルフレッドは

それをお前、何を自分勝手に言っているんだ

「冒涜?演劇に?馬鹿者め!、演劇な所詮は興行!、劇団を運営する人間として私は正しいことをしたつもりだ!、あれは一種のプロデュースだ!」

「プロデュース?、開き直って何を言うかと思えばいけしゃあしゃあと…、コルネリアさんの意思を無視して そうまでしてお金が欲しいですか?、あんなに劇場を持って稼いでるのに?」

「そ…それは、当たり前だ 金はあればあるだけ…」

「違いますよね、…貴方 今所有してる金庫の中身 実は殆ど空っぽなんじゃないんですか?」

「なな 何をバカなことを…!」

確かにマルフレッドの劇場は繁盛している、その利益は計り知れない…、そう 『劇場は』繁盛してる

「聞きましたよ、酒造業 上手くいってないんじゃないんですか?」

「うっ…!」

マルフレッドの収入源は劇場ともう一つ 彼の本来のホームグラウンド『酒造業』がある、しかし 今マルフレッドの酒造業は窮地に立たされている、あまり表層化はしていないが ライバルの酒造業に押され今まで以上の収益が見込めなくなったのだ

普通ならその程度のマイナス 彼なら跳ね除けられた、が…ここで効いたのが全国に展開している劇場の方だ、こっちの建設費と維持費人件費が嵩み 酒造業がもう巻き返し不可能なところまで押されつつあるのだ

そして今度は劇場の売り上げを酒造業に回すが…、うまくいってない事業に投資するなんて金をドブに捨てるようなもん、彼は劇場と酒造業 双方から金を得る立場から一転、双方から金を搾取される立場に変わってしまったんだ

だから、今 彼の頼みの綱は酒造でも劇場でもなくコルネリアさん単体のみ、あそこまで酷使していた理由はそこだ

「コルネリアさんがいなければ…、お金が得られない ですよね、だからコルネリアさんをエイト・ソーサラーズにしたかった、エイト・ソーサラーズになれば 莫大な利益が入る手立てがあったんでしょう」

「ぐっ…この、小娘が…分かったような口を!、だが必要なのだ!今は金が!なんとしてでも …!」

ただ金がないだけなら事業を縮小するか、どっちかにブレーキをかければまだここまで酷くなることはなかった、が 彼のブレーキを壊した存在がある、それは

「聞きましたよ、貴方 デルセクト国家同盟群に借金してるんですってね、それも莫大な」

「ぁうぁ…!」

マルフレッドの顔が青くなる、それは知られたくなかったと

イオフィエル大劇場の建設費 全国展開するための資金 それを貸してくれた存在…、以前コルネリアさんが言ってた『あの人』『今月分』その正体はマルフレッドに金を貸していたデルセクト国家同盟群のことなのだ、その借金の支払期日のことだったのだ

劇場を建設する当初は返せる予定だったそれが、事業の躓きにより瞬く間に膨れ上がった、彼はそれを返すためにケツに火がついた牛みたいに止まることなく突き進んだんだ

「デルセクト国家同盟群…、取引相手はどっちですか?、メルクリウス首長?それともセレドナ陛下?」

「な 何故そこまで知っている…」

「コネがあるんですよ、エリスにもね…まぁ勘で当たってみたところ、正解でしたね」

思えば ヒントはあった、大昔に…

アンスラークスを訪れた際 セレドナさんが力を入れている物の一つに挙げられたのが ワイン業、つまり 酒造だ

聞いたところによるといい赤ワインを作るためにセレドナさんはマルフレッド商会と繋がりを持ったらしい、それでその縁で マルフレッドはセレドナさんを通じてメルクリウス首長相手に借金をした

お金を貸してくだされば 倍にして返せるし、エトワールの芸術品の流通ルートも確立し、かつ 良質な酒をデルセクトに格安で流すと、マルフレッドは持てる手札全てを使ってデルセクトに貸しを作ろうとした

なんせこれが上手く行けばマルフレッドは世界一の金持ち同盟相手に言葉を言える立場になる、それはまさしくエトワールの商業界と世界の酒造業界の覇権を握るに等しい、故にこそ気張ったが…コケてしまったわけだ

「貴方が会ってた相手はセレドナさん…、あの時劇場に来てたあの人ってのもセレドナさんですよね、あの人 昼間は商談で忙しいって言ってましたし」

「そ そんな事まで何故お前が知れる…!」

「言ったでしょ、エリスにはコネがあるってね、デルセクトにも メルクリウス首長にも」

「そんなバカな!、商業を司る魔女大国のトップと貴様のような小汚い旅人が繋がってるわけ…わけ…、た 旅人…エリス…まさかお前…お前ッッ!?!?」

そう、エリスにはマルフレッドを止める手札がある…、こいつは今 デルセクトへの借金を返すためセレドナさん相手に苦心している、セレドナさんとデルセクト相手に負い目がある 逆らえないくらいの借金があり、そしてエリスはデルセクトである程度幅を利かせられる…

デルセクトのトップ 栄光の魔女の弟子メルクリウス…、その学友にして盟友 エリス、その正体に気がついたのか、マルフレッドは椅子から転げ落ち…

「お おま お前!、まさか!メルクリウス首長の盟友の…魔女の弟子の!」

「エリスはエリスですよ、貴方の言う通り小汚い旅人です、けど…確かにメルクさんとは友達です、親友と言ってもいいです そこは胸を張れます、それで 貴方エリスの友達相手に借金あるんですね」

「な 何故ここに…!」

「この国には旅で寄っただけですが、ここに来たのは 貴方の不正を止めるためですよ…、マルフレッドさん エリスは先日セレドナさんとお話ししてきました、貴方の行いは目に余ると…これ以上返済期限の先延ばしは出来ない その言葉を頂きました」

「なぁっ!?そんな…バカな…」

セレドナさんが昼間忙しいって言ってたのはマルフレッドからの負債の回収だ、彼女がここに来た理由もそこだ、いくらアンスラークスのワイン業に手を貸したという恩があれど、もうこれ以上の先延ばしは出来ないってくらいお目溢しをしてきたらしい

がしかし、いざ蓋を開けてみたらマルフレッドがめちゃくちゃやってるじゃないか、これ以上借金の件でこの国を振り回すなら…

「借金の返済ができない場合の処置は 貴方の知る通り…と」

「あ…ああ、終わった…終わった…」

マルフレッドは一気に老け込みがくりと項垂れる、…ちょっと可哀想になってきたな

いやいや、勘違いしないで欲しいのはエリスは別にマルフレッドに痛い目に会わせようとして来たわけじゃない、不正を止めに来たんだ コルネリアさんを解放しに来たんだ

「ただし!、エリスがお話しして 候補選の不正を取りやめ票を正当なところに返し、コルネリアさんとユリアさんを解放し二度と関わらないという条件を飲むなら、ある程度は免除してくれるそうですよ?」

ここは完全にエリスのワガママだ、セレドナさんに直談判してお願いしますと頭を下げてこの条件を作ってもらった、セレドナさんもマルフレッドから負債の回収はもう難しいと分かっていたので 何処かで手を打ちたかったらしい

故に、彼が不正をやめるなら彼の酒造商会も買い取るだけで済ますそうだ、コルネリアさんの件はエリスが後で付け足した奴だ、後日セレドナさんには報告する

「わ 分かった!分かった!、不正はやめる!コルネリアも手放す!だから許してくれ!、ワシは…ワシは地獄には落ちたくないのだ!」

「地獄?」

地獄ってなんだ?、借金返せないと地獄に落ちるのか?、そういえばマルフレッド…都度都度その言葉を口にしてきたが、別に地獄に落とすつもりはセレドナさんもメルクさんも無いだろうに

「あの、地獄って何ですか?」

「と 惚けるな、お前だって知ってるだろう…!、デルセクトの借金を返せない商人は皆…地獄に落とされるのだ、落魔窟に落とされ無限の拷問を受け廃人にされると…!」

「ああー…、そういう」

それあれだ、古い情報ですよ…、デルセクトの金融をアレキサンドライト家が仕切ってた頃の、つまり 彼が恐れていたのはデルセクトではなくソニアさんだったのだ

なるほど、合点がいった 確かにソニアさんは怖いよな、エリスも今も怖いもん、けどソニアさんはもういない メルクさんがトップに立って彼女が金融に関わるようになってからは、そんな無茶苦茶な真似はなくなった

けど、多分 別大陸だからその情報が伝わってないんだ、この国じゃまだソニアさんがいた頃のイメージが根強いのか、ああはいはい分かりました

「まぁ、大丈夫ですよ 貴方がエリスの条件を飲むなら、地獄に落ちることはありません」

「そ そうなのか?…よかった…」

まぁ内緒にしておく、その方が都合がいいから…、さて マルフレッドの不正もコルネリアさんの件もこれで解決、不正票も元に戻ってナリアさんに入っていた筈の票も正常になる

これでよし…

「もし、まだデルセクトにあるようならエリスに言ってください、多分デルセクト側の人間なら エリスの名前を出せば何とかなると思うので」

「わ…わかった」

「ただし、逆もありますよ…、もしクリストキントにまだ手を出すなら エリスはお友達に泣きつくことになるかもしれません、出来れば そういう情けない真似はしたくないので、お願いしますよ」

「ひっ…」

これだけ脅せば十分だ、…はぁ メルクさんに迷惑をかけてしまった、また今度会ったらお礼と謝罪をしないと、エリス個人のワガママで金融関係に口を出した上、名前まで勝手に使って

エリスこういうの好きじゃないんだよなぁ…、なんか 友達の立場を利用してるみたいで、メルクさんたちはエリスを対等に扱ってくれる、だから出来ればエリスもあの人達の権力を笠に着たくない、エリス達は友達だから そういうことはしたくありません

と言いつつやっちゃったので、謝るには謝りますまた今度

「では、エリスはこれで…ニコラスさーん!」

「ハァーイ!、終わったかしら?」

「ヒィッ!、セレドナの使者…今の話はやっぱり本当…」

まだ疑ってたの?、まあ エリスは小汚い旅人なので疑う余地もありますでしょうけども、でも今はそれは関係ない ニコラスさんに来てもらったのは、マルフレッドを逃さないため

「契約書持ってきたわ?、可哀想だけれど これも貴方が無茶苦茶やらなければ、アタシやエリスちゃんからデルセクトに口利き出来たんだから、まぁ …全部取り上げるわけじゃないわ、だから反省なさい」

「はい…」

契約書を書かせ 後からやっぱあれ無しをさせない為だ、そのための契約書 それが例の件って奴だ

でもマルフレッドには同情する、少しだけど…、これでマルフレッドが若ければまだやり直せとは言えるが、彼ももう歳だ 再起は難しいかもしれない…

もしそれでマルフレッドが困って、窮地に陥るなら…今度はそちらに加担することもあるかもしれない、まぁ 彼が心を入れ替えていたらの話だけれど

「……では、エリスは帰りますね」

「うん、後は大人の話だから エリスちゃんは帰りなさいな」

「ありがとうございます」

…やや、後味の悪さを感じてしまう、敵ぶん殴って止めるならまだいいが、相手の物を奪って止めるやり方は エリスにはやはり少し合わないのかな、でもマルフレッドはこうまでしないと止まらなかった

ああー、やっぱあれだ エリスにこういうのは似合わないや!、帰って寝よう!考えても答えは出ないし変わらない、帰ろう みんなのいる所にさ


…………………………………………………………

「…そうして、マルフレッドから 不正をやめる話とコルネリアさんを解放する話を出せました、もう候補選は正常に戻りましたし、コルネリアさんも自由の身です」

そう、劇場に戻り ナリアさんやコルネリアさん達に報告する、もう全て終わったと…

するとナリアさんがポカンと口を開けて…

「ほんとに全部解決しちゃった…」

「ええ、全部解決しましたよ、後は候補選に勝つだけです」

「エリスさん凄すぎて、僕ちょっと引いてるよ…」

エリスがやったのはマルフレッドを止めて…クリストキントとナリアさんとコルネリアさんとユリアちゃんから手を引かせただけだし、結局んところマルフレッドを止めれば その周辺で割りを食ってる人間全員助けられる話だった、全部と言ってもエリスが解決したのは一つだけだ

それも殆どセレドナさんやメルクさんを頼っての話、エリスの手柄と言えばコルネリアさん救出くらい?でもそれもアルザス三兄弟が情報流出させたからだし…ううーむ

「ありがとうエリス、これで私達姉妹も安心して暮らせるわ」

「よかったね、コル姉ちゃん」

「そう言ってくれるとありがたいです、みんなを助けられたことはエリスにとっても救いになりますから」

「ええ、でも…これからどうしようかしら」

そうコルネリアさんはユリアちゃんの頭を撫でながら安らかに思案する、コルネリアさんはイオフィエル劇団に戻れないし ユリアちゃんが戻った以上帰るつもりもない、しかしだとするならこれからどうするか…

今体を壊し 全快まで時間がかかるコルネリアさんと小さなユリアちゃんが生きていくには、この国は些か険し過ぎる

「じゃあ、僕達クリストキントで劇をするのはどう?、コルネリアさんの体調が崩れるまでここにいれるし」

「でも悪いわ、流石に…、私は候補選で不正をした女優よ、そんなのを抱えたらここの皆さんに迷惑が…」

「迷惑じゃないよ!、コルネリアさんから聞きたい話 まだたくさんあるし、何より ここは行く先のなくなった人を助ける為の場所でもあるんだ、だから コルネリアさんもユリアちゃんも大歓迎だよ」

というか クンラートさんなら無理矢理にでもここに置くだろう、病人を外に出せないって言って

彼の優しさに救われた身としてはそう思うわけですよ

「…いいのかしら、けどそうね、ここの方々には恩がある 、そして 今私が差出せる物はこの演技しかない…、私でよければ ここに置いてくれるかしら」

「いいですよいいですよ!最高ですよ!」

「そうですね、折角コルネリアを助けたんです そのまま無責任に放り出すなんて真似はしたくありません、…安らぎ 憩い 和らぐ貴方の顔をエリスも見ていたいです」

微笑みかけながらコルネリアさんの手を握る、助けたなら助け抜く 目の前の窮地を救い相手の環境を変えるだけ変えたらサヨナラ…、それは助けたとは言えないくらい無責任なことだ 傷つけるよりなおタチが悪い

エリスはそういうことは出来る限りしたくない、コルネリアさんが自分の足で立てるようになるまで、側にいるにはこの劇団にいてもらう方が都合がいい、…それに これは打算的な話だが…

もし、エリスがこの国を立ち去ることがあっても、コルネリアさんがいれば クリストキントは大丈夫だろう

「エリス…、貴方が男だったら、私惚れてたわ…いえ、もう性別とか関係ないかも」

「は?、なんで」

「まるで王子様みたいだからよ」

なんですかいそりゃ、いやそんなこと言われても困りますよ…、ちょっと そんな艶っぽい目で見ないでください

「やめてください、エリスは貴方のファンで居たいので、貴方はエリスのスターで居てください」

「そうは言ってもねぇ…、でも分かったわ、貴方には返し切れないくらいの恩が出来た、貴方が言うなら 例え不正に汚されたとしても、私は再び立ち上がり 必ずもう一度スターとして輝くことを誓いましょう」

「ええ、お願いします…、もう一度貴方が舞台に立つ日を楽しみにしています」

「ふふふ、楽しみにされてしまったわ ユリア」

「コル姉ちゃん よかったね」

よかったのか?よかったって言ってくれるならエリスもよかったぁ、…はぁ 疲れた…

「すみません、ではエリスもう休みますね」

今日は朝っぱらからあちこちに行って色んなことして、久しぶりにこんなに動いて疲れちゃった…休むどころか余計疲れが溜まったな、また明日から公演があるし…もう休もう

「うん、お疲れ様エリスさん ゆっくり休んで」

「ん、ではわたしももう眠ろう」

「ししょー、…今日は一緒に寝ましょうよー」

「どうした?そんな子供みたいな…」

「子供の頃のこと思い出しちゃったんです、なので一緒に寝たいんです」

「そうか、わかった ではサトゥルナリア コルネリア、我々はもう休むよ」

「うん、僕はもう少しここにいるね」

そう軽くナリアさんとコルネリア挨拶をして、師匠と共に自室に向かう 今日はもうお休みです

取り敢えずマルフレッドに関する件はこれで解決だろう、…後はサトゥルナリアさんがどれだけ票を稼いでいたか これからどれだけ稼げるかにかかってる

また明日から気張ろうじゃないか、そう 明日から気張る為に 今日は全力で休むのだ、ね?師匠~

…………………………………………………………………………

エリスさんが自室に戻り、もう夜も遅い事から劇団員のみんなも眠りにつき、この劇場に この街に この国に眠りの静寂が訪れる、そんな静寂の中 僕は…サトゥルナリアは一人思う

エリスさんは凄いな、マルフレッドを中心に巻き起こっていた出来事 事件 、彼によって割りを食っていた人々全員を一人で全部助けてしまった

もうコルネリアさんも クリストキントも 僕も マルフレッドに悩まされることはない、風のように現れ全てを吹き飛ばすように解決していってしまった、その上で偉ぶらないのはきっと 彼女はこんな事を旅の中で何度もしてきたからだろう、自分がすべき事を理解しているからだろう

彼女にとっては普通の事なんだ、そこが凄いと思う…、まるで本の中の登場人物のようだ

彼女みたいな人が世界にはどれだけいるのだろうか…、僕は彼女みたいにはなれないけれど、彼女みたいに 自分のすべき事を理解している人になりたいとは思う…

「コルネリアさん、大丈夫ですか?」

「ええ、大丈夫よ…暫くは動けないでしょうけど、しっかり休めば また舞台に立てるわ、そうなったら この劇団とエリスにも恩を返さないと」

コルネリアさんはそう言いながらエリスさんの去って行った方を見る、今回の一件でエリスさんはコルネリアさんの心を奪ったようだ、それもそうだ 何もかもを助けてくれた上に自分の全てを肯定してくれたんだ、同じことされたら 僕も同じ顔すると思う

「ありがとうございます、コルネリアさんがこの劇団に来てくれたら百人力ですよ」

「あら、呑気ね」

「へ?…」

「私は貴方と貴方達劇団に恩義を感じてる、けど いえだからこそ舞台には常に真摯でいたいの、恩とか借りとか そう言うものを慮ってこの劇団で二番目の女優に甘んじるつもりはないわ」

「ッッ……!」

そこでコルネリアさんの言っている言葉の意味がわかる、コルネリアさんをこの劇団に引き入れると言うことはつまり、あの大スターのコルネリア・フェルメールが舞台に立つということ 僕と同じ舞台に…いや

舞台に立てるのはどちらか一人…主演を演じられるのは僕からコルネリアさんのどちらか一人だけ、これを譲れば 端役へと押し飛ばされる

「う…」

勝てない、僕ではコルネリア・フェルメールに…本物の演者に勝てない、役者の方を見て演技の一つも出来ない僕じゃあ、コルネリアさんには…

「ふふふ、なんだ 柔和な人かと思ったら、そんな顔も出来るのね」

「え?、そんな…顔?」

コルネリアさんに笑われ己の顔を触る、どこか変かな…いや、顔の形じゃないな、表情の話だ、机に置いた鏡に目を向ける

今 僕の表情は…

「真剣な顔つきよ、今の話を心の底で受け止めた顔をしてる、それは演技じゃ断じてない」

「…うん、演技じゃない…この顔は」

「私が一番の女優になると言えば 主役は譲らないと言えば、大体の奴はこう言うわ…、『舞台に上がれるだけでありがたい』ってね、そりゃあまぁそうだけど、でも違う…分かるでしょ」

分かる、コルネリアさんの言いたいことは分かる、舞台に上がる事が出来るのはとってもありがたい事だ、誰かにお礼を言えるなら手を取りお礼を言いたいくらいありがたい

けど、それは全てではない、舞台に立つのは飽くまでスタートでしかないんだ

「劇の中心に立つ自分を見て欲しい 私の演技を見て欲しい、これでもかってくらい観客の目の前で演じて、誰よりも前でその喝采を浴びたい…、私の努力とその結果生まれる美を芸を認めて欲しい、浅ましいけれど 私はそれを求めて主役を目指す」

「僕も…そうです」

「ふふふ、…私が一番を目指すと 主演を目指すと言った時の貴方の顔、真剣で危機感に溢れていた、例えどれだけ優しくともここだけは譲りない…そんな ドロついた物を感じたわ」

そうだ、僕はこの場所を誰にも譲りたくない、例え誰かを蹴落として その夢を破ってしまったとしても、僕は譲りたくない その為に多くのものを犠牲にしてるから

でも…

「でも、コルネリアさん…僕、怖いんです」

「怖い?何が」

「僕…男なんです、男の僕が女優として舞台に立つ、それはきっと 違和感を感じるお客さんもいる、僕はそれが怖いんです…、果たして 男の僕が主演として 女優として舞台に立ってもいいのか…、いつもそればかり考えて 舞台上でも、観客の方を向かず 自分を納得させることばかりで…」

正直 男が女役を演じることはある 女が男役を演じることもある、けど僕の場合は その上で頂点を目指そうとしている、男の身で女優の一番を目指してもいいのか…それが受け入れられるのか、その事を考えるのが怖いんだ…

「そう、確かに貴方を奇異の視線で見る人もいるでしょう、男の癖にと嫌な目で見る人もいるしそれを観客席に持ち出す奴もいる…、でもね サトゥルナリア よく聞きなさい」

「え?…」

するとコルネリアさんが僕の胸に手を当て、真っ直ぐこの目を見つめて…

「それが貴方なの、これが貴方なの どうやったってそれは変わらない」

と…真剣な面持ちでいう、どう足掻いても これは僕だと

「男で女優を目指し 女優となり、舞台に立ち 観客を魅了する、その為の努力も悩みも全て、サトゥルナリア・ルシエンテスという役者を構成する物なの、それが個性なの」

「僕の個性…」

「ええ、ただ演技が上手いってだけならこの国にはごまんと役者はいるわ、そこを差別化するのは その人が今まで歩んできた道程よ、生まれだったり 育ちだったり 立場だったり、或いはコンプレックス 或いは自己嫌悪、そこから生じる自己否定と悩み、それさえも その人の人となりを形作り、この世に一つしかない美を作り出すのよ」

「…………」

「だから自信を持ちなさい、貴方が稀有で奇異だというなら 裏を返せば他にはない武器があるってことよ、それを手にして挑みたい夢があるなら、それを否定しないで 向かい合うのよ、今 見せたい自分を見せなさい、それが役者の仕事よ」

ただ役を演じるだけなら 誰でもいい、ただ上手い演技を見せるだけなら 腕のいい役者でいい、けど…僕の見せたい演技を見せられるのは この世でただ一人、僕だけの悩みと僕だけの人生を歩んだ 僕だけなんだ…

「見せたい自分…」

「そうよ、みんな貴方を見に来てるの それなのに貴方自身を隠しちゃ意味がないわ、曝け出しなさい 自分自身を、演技はそれからよ」

……そうか…そっか

コルネリアさんが語ったそれは、決して役者道全ての答えではない、自己を殺し完璧に役に没頭するのもまた演技の真髄 、自己表現で観客を魅了するのもまた真髄

だけど、僕とコルネリアさんはどこか同じものを見ている、いや  きっと同じような悩みを持っていたからこそのシンパシー、そこから導き出される答えは 即ち僕と同じ

…他の誰の答えにもならないが、僕自身の答えにはなる…これが、今僕に必要なもの

「貴方、演技好きでしょ?私と同じで、演技と舞台 それに関わる全てが好き、違う?」

「…いいえ、僕も好きです、劇場にある全てが」

「なら、それをぶつけなさい 臆さずに、貴方にしかできない 貴方がやりたいやり方で、それを見せるために舞台はあり それを見るために観客席があるのだから」

「…ありがとうございます、…うん」

僕の見せたい好きを 見せる、そうだ それこそが僕の求めるものじゃないか、コルネリアさんの言葉に、どこか いや何かが晴れた気がする

今なら、決められるかもしれない…、リーシャさんから渡された この台本とテーマを

「ん?、それ 台本?」

「…はい、新作の台本です…、けど テーマの部分が空白なんですよ、そこを決めて欲しいって言われてたんですけど、曖昧で…」

「へぇ、でも 今なら決められるんじゃないかしら?、そんな顔してるわ」

うん、決められるよ、僕自身を見せる為の 僕自身の個性を見せる為の、観客のみんなに見てもらうには…一つしかない

「決めました、決まりました…コルネリアさん、この台本のテーマは」

懐からペンを取り出し、台本に書き入れる…テーマを、この台本の命を

「テーマは 認められない己…、そして 歌劇です!」

「歌劇ね、いいんじゃない?…やってみなさい」

「はい!、やります! 早速リーシャさんに届けて来ますね!、相談に乗ってくれてありがとうございました!」

「今回だけよ、これからはライバルなんだから」  

「はい!」

ありがとう!と手を振り部屋を出て行くその姿を見て コルネリアは笑う

…本当に面白い劇団 面白い人達だ、優しく 必死で 暖かで 芯がある、ここでなら 私も私をさらけ出せそうだ…と

…………………………………………………………………………

『イオフィエル大劇団所属 コルネリア・フェルメール 電撃退団』

その知らせが突如王都中に轟いてから 一か月の時が経った…、コルネリアの異様な票数はイオフィエル大劇団のマルフレッド主導による不正だった事が発表されると共にコルネリアはイオフィエル大劇団を退団、理由は演劇に対する方向性の違いと…

不正はマルフレッドの仕業だった、それに呆れたコルネリアが遂にイオフィエルを立ち去ったのだと街人達の間で実しやかに囁かれ、コルネリアに降りかかっていた悪評は全てマルフレッドに移る結果になったのだ

コルネリアは獲得不正票を元の候補者達に戻し、そして今回の一件の責任を取る為候補を辞退、イオフィエル大劇団は今後候補選に参加する権利を剥奪され 今回の一件は幕を閉じた

そうして時だけが経ち……

「………………」

イオフィエル大劇団の支配人マルフレッドは抜け殻になったように支配人室で呆然と座る、失った 全て失った、ここまで積み上げた全てを

そりゃあ汚い真似も沢山した、けど どんな悪事もワシなら誤魔化せるとタカを括っていたらこれだ

も マルフレッド商会は半ばセレドナに奪われる形になった、まぁそれはいい どの道もう重しにしかなっていなかった、けど 問題はコルネリアの方だ

商会を失ったマルフレッドには今この劇場しかない、だが…コルネリアを失ったイオフィエル大劇団など、翼のない鳥も同然

…終わった……、ユリアを人質にしていればコルネリアを思うままに操れたが、ユリアが救出されてしまった以上、もうアイツがワシのところに戻ってくる事はない

それに…

「……ふっ、ふはは…」

この劇団にワシの味方はいない、そりゃそうだ 今まで商売の道具として酷使し続けていたからな

ワシは演劇と劇場が嫌いだ、だからその復讐としてメチャクチャにしてやろうと、この劇団の人間にも半ば八つ当たり同然に当たった

結果、ワシが落ちぶれた途端 大勢の劇団員がワシの元を去った、残った奴も行く場所がないからってだけで、ワシの味方ではない、現にワシに声をかける奴はいないし 廊下を歩いても冷たい視線しか飛んでこない、自業自得だ

…思い出すな、ミハイル大劇団にいた頃を、結局あの時と同じになってしまった、またワシはくだらん感情で周りを振り回して 自分の元から大勢の人を引き離した

思えば、ワシがどれだけ好き勝手やってもユミルだけはワシを見放さなかった、まぁ アイツもワシが引き離したのだが、…はぁ 何をやっていたんだワシは…

「ふん……」

帽子を掴み コートを羽織る、出掛ける…何処かに行くわけじゃない、ただ今は少しでもここから離れていたい、劇場はワシにとって嫌な場所でしかないのだから

「あ…支配人、何処かへ行かれん…ですか?」

ふと、廊下に出ると 劇団員とバッタリ出会う、こいつは…コルネリアが出て行く寸前に我が劇団に引き入れた新人の…、名前はなんだったか 覚えていない

「なんだ、ワシに用でもあるか」

「あ…いえ」

見るからに怯えている、いやこいつだけじゃない 他の劇団員もまたワシに怯える、怒り狂ったワシが八つ当たりすると思っているのだ、馬鹿者め 八つ当たりをするではない 今までのそれが八つ当たりだったのだ

「いえ、コルネリアさんが居なくなっちゃったから、僕達もやり方を変えようかなって思って…、新しい劇を僕達で考えたんですよ!、マルフレッド支配人に確認してもらいたくて…」

「くだらん、勝手にやれ」
 
今更何をしても無駄だ、どう足掻いても損失分は取り戻せない、国内にいる劇場もどうせすぐに潰れ始める、ワシの手元にはもう何も残らん…何も

もはや語ることはないと劇団員を手であしらい、劇場の外に出る


連日 劇場の外には行列が出来ていたのに、今は近寄る影もない、確かに不正の件はおおっぴらにはならなかったが、代わりにコルネリアを失った劇団に魅力は無くなり、客が近寄らなくなったのだ

…全て、コルネリアのおかげだったのだ、それを…自らの手で手放すとは…

「はぁ…」

己でやったこと 己でしでかした事とは言え、もうワシは全ての気力を失っていた

商会もない 劇場に味方もいない、居場所もない あの時と同じでワシは邪魔者になった、ならまた劇団を去ろうか…、でも 今度は行く場所もない、なら雪原にでも飛び出して死んでやろうか

そうすれば、皆清々するだろう、いや あの世にはユミルが居るんだったか、あの憎い男と顔を突き合わせるのは嫌だな…

「…………ん?」

ふと、目に入るのは脇道…その向こうにある大行列、確かあそこはクリストキント劇場があった場所

そう言えば、クリストキントとサトゥルナリアはここ最近評判を更に伸ばしているようだ、なんでも新しい劇が好評だったらしい

いや、サトゥルナリアの票を操作していた身だからこそ分かる、サトゥルナリアという男はこの王都に受け入れられている、その人気は確かなもの、コルネリアには及ばないがコルネリアには近いしい物を感じて

「………ふむ…」

気がつけば、ワシの足は勝手に脇道へ逸れ 劇場へと向かっていた、劇を見ようというのか?、憎きクリストキントと 憎いユミルの息子の憎い劇を、何もかも憎ましいそれを態々目に入れようというのか

何を考えているんだワシは、ユミルの息子の劇だぞ?あの憎たらしい男の…ワシを裏切った女の子、あの二人の面影残る子供の劇を、かつて共に切磋琢磨した二人の残したそれを…観に行こうというのか、ワシは

それとも、何もかもを終わらせる前に 観ておきたいとでもいうのか、あんなにも こんなにも憎んでいるのに

「…相変わらず汚い劇場だ」

長い行列を超え、ワシは観客席の一番奥に座る…、ここの劇団の人間にできれば顔を見られたくないから、なんたってワシはここの劇団の敵だからな、イオフィエルに居場所が無いなら ここにも無い

…だというのに、ふと気がつく…そう言えば、こうして劇を見るのは久しぶりである事に

観客席の感触、幕が閉じている景色、どれもミハイル大劇団を去ってから見ていないものだ、ワシにとって憎々しい思い出しかないこの場所に 今ワシは郷愁を感じている…

「何を考えているのだ、ワシは…」

自分でも何をしているのか分からないうちに、劇場の幕は開いて行く…、クリストキントの新たな劇 、本来なら嫌な感情しかわからないのに…この感情はなんだ

…まるで、かつて あの場所に夢を見た、若き日を思うような…


『これは、今ではない昔 ここでは無い何処かの物語、世は平和を極め 退屈すら感じるほどに平和な日々に包まれる、とある町の とある少女の物語……』

舞台の奥には街が広がっていた、平和で平凡で 多く物が雑多にあるが何も無い、そんな平々凡々な街の中 雑踏の中心に立つ少女が一人 歩いている

サトゥルナリアだ、ユミルの芯の強さとスカジの見目麗しさを引き継いだ 二人の子供だ、あの顔を見ていると二人を思い出し、二人に対する復讐をあの子にしてしまいたくなるほどに 彼奴はそっくりだ

その復讐に駆られた結果が今だと思えば、全てどうでもよくなるがな…

…舞台は名も無き街、名がないのではなく言うまでもないほどに平凡などこにでもある街だからだ、そんな平凡な街で平凡に生きる少女が 世に煌めきを見出そうと、歌い 踊る、時に一人で 時に街の人々を巻き込んで、美の熱風を吹き荒らす

平坦な劇だ、起承転結も何もない ただただ歌と踊りを楽しむ普通の歌劇だ、うちのイオフィエル劇団が抱える脚本家ならもっと良い劇が、いや 彼奴ももう居ないのだったな

『皆さん!踊りましょう!歌いましょう!、そして見て 聞いて 感じてください!、これが私だと!、これが自分だと!』

なのに、内容は平坦だと言うのに、魅入られるのは何故なのだ…、あの舞台の中心で舞うサトゥルナリアから目が離せないのは何故なのか

なんでそんなにも楽しそうなんだ、あれは楽しそうな演技じゃない 本当に楽しいんだ、舞台に立ち劇を演じる それが楽しくて楽しくて堪らない、そんな気持ちがダイレクトにこちらに飛んでくる

…いや、確かに披露される歌も 踊りも 演技も素晴らしい、認めよう ワシも演劇の世界に居た身、物の良し悪しは分かる…

今 あの舞台に立つ皆が、己の気持ちを声に乗せ歌っている、それを見て 観客席もまた楽しくなる…、人を楽しませる娯楽としては一級…、だからなのか?こんなにも食い入るように見ているのは

『確かに!自分を認める事は辛い事です!周りから認められない事は苦しい事です!、けれど!だからこそ 私は歌います!、私の気持ちを 皆に届け皆に私を見てもらいたいから…!』

舞い踊るサトゥルナリアは叫ぶ、踊るように楽しみながら 歌うようにはしゃぎながら、周囲の演者も 観客席も巻き込みながら…

歌う

『他の誰かじゃない、他の何でもない、貴方が見る先に 奇跡はある、何かを好きになれた 何かを好きでいる事、それは奇跡以外の何物でも無い宝』

メロディに乗せたメッセージが、響き渡る楽器の音色に合わせて サトゥルナリアが歌う

『やればできる なんてとても言える身じゃ無い、いつも負けそうに蹲り いつも努力が報われない、そんな日々に挫けそうになる事ばかり、だけれど それが私なの、間違えても 失敗しても、それが私 それが世界、そうやって歩いて そうやって願って、進んでいくんだ』

まるで ワシに語りかけるような言葉に、無理矢理 記憶が引きずり出される

劇団に居た頃は、今ほど裕福じゃなかった 商会で働く頃よりも失敗が多かった、周りの成功に目が行って、上手くできない自分ばかり見られている気がして、他が出来ることが全部 自分には出来ないと自暴自棄になることもあった…

『進む事を恐れないで、涙を隠さないで、その全てが 貴方なんだから 私なんだから、失敗も寄り道と笑おう 傷も化粧と誇ろう、偶にちょっとだけ泣いて 道を進もう、歩む道は自分だけの道なんだから』

でも 苦しかったけど、辛かったけど、上手くいかなかったけど、傷だらけで泣くことも多かったけど…

楽しかったんだ、あの劇団にいる頃 確かに…確かにワシは 楽しかったんだ…、苦しい記憶ばかり思い出されるけど、でも 楽しい事もたくさんあった

ユミルに認められた、スカジに褒められた、ハーメアに笑われ、マリアニールに涙を拭われ、みんなに手を差し伸べられて ワシは…あの時のワシは 確かに立って、彼処に 舞台に居たはずなんだ

「お…おぉ…」

気がつけば涙が溢れていた、心苦しい失敗に無理矢理蓋をした記憶が溢れて、あの時の…夢を追いかけていた頃の感情を思い出して

…そうだったんだ、ワシが劇場を持ったのは 復讐の為じゃ無い、まだ 追いかけていたかったんだ 見ていたかったんだ、あの時の夢を…

『この空の下に確かに私はいる、ここにいるのは私だけの私、それを認めてもらうまで みんなに見てもらって笑顔に出来るまで、声が枯れるまで 消えるまで 歌い続ける』

気がつけば顔を手で覆うっていた、見れなかった サトゥルナリアの顔を、彼の顔は かつて私に向けられた、ユミルの目を思い出させる…、私が裏切った 彼の顔を…

目元から離したこの手は、あの時とは違う シワと汚れに塗れた薄汚い手だ、時間が経ち過ぎた 思い返すには遅過ぎた、この世界への想いを取り戻すには

ワシは…ワシは、確かに 好きだったんだ、ここが 劇場にある全てが…好きだったんだ

『…私は、夢を追い続ける 例え何があろうと、挫けようとも これが私の全てだから、だから 見ていてください、応援していてください、必ずその声と目に 応えますから』

「……っ」

サトゥルナリアの目が 舞台の上の彼の目がこちらを見た気がした、そうか…そっか、私には ワシには…もう何も無い、けど

まだ、これは失くしてなかったんだな…


そうしている間に劇場の幕が閉じて、舞台は終わる…観客席が喝采に包まれる、懐かしい音だ、金よりも名声よりも ワシはこれが欲しかったんだな

「…参ったよ…サトゥルナリア、お前が正しかったよ ユミル…、見事だ 見事だった」

軽く 手を叩く、これが もっと早く言えたならばと思うも、今は ただ舞台の余韻に浸り、鼻をすする




こうして、クリストキント劇団の公演は…歌劇『君へ届ける 我が声と歌』は終わりを告げた、呆然としたままマルフレッドが向かうのは街の外では無い、自分の所有する劇場、イオフィエル劇場に

「………………」

何も考えず、マルフレッドが向かうのは 支配人室ではなく、イオフィエル劇場の観客席、人のいない観客席、そこに向かい 一人息を吐く

「…この劇団の舞台は、こんなにも綺麗だったか」

我が劇場ながら素晴らしいじゃ無いか、これなら…良い劇が出来そうだ

「ゆ 勇者よ、汝に告げるは…えぇっと…、あ!支配人!?」

「む?」

ふと、目に入る 見ればさっきワシに声をかけた怯えた劇団員が一人で舞台上で拙い練習をしているではないか、しかしそれもワシを見て怯えて やめてしまう

「あ あの、支配人…ど どうされたんですか?、すみません 勝手に練習して…」

「…………」

ワシの視線を受けてビクビク怯えながら クシャクシャになった台本をしまう劇団員、何?どうされただと?、…どうしてしまったんだろうな、ワシは

「すみません、お邪魔なら直ぐに帰って…」

「さっきの演技だが…」

「え?」

ふと、マルフレッドの声に驚き、退散しようとした劇団員は反応し 足を止める、今 演技の話をしたか?と、見れば マルフレッドは真っ直ぐ舞台と劇団員を見つめ

「さっきの演技だが酷いものだ」

「す すみません…」

「もっと腹から声を出すんだ、声を張り上げるのではなく 遠くにいる誰かに聞かせるよう意識しろ、そして 台本を読み上げるのを意識するのではなく台本を読んで感じたことをそのまま伝えるのを意識しろ、そうすれば 良いものになるだろう」

「え…、あ はい!」

マルフレッドの言葉に顔を明るくし嬉々として舞台に立つ…いい顔になった、舞台に立つならなによりも役者が楽しく、それがエフェリーネ団長の教えだったな…

一人、マルフレッドは観客席に座り、舞台を眺める、遠の昔に降りた夢の舞台を遠くから眺めながら

「お前の名は 何という」

「え?、フレイです!フレイ・ベラスケスです!」

「そうか、フレイ …、練習を続けなさい、ここで見ている」

「分かりました!、オホン!勇者よ!汝に告げるは……」

一人で演技を続けるフレイを眺めてマルフレッドはぼんやり思う、昔もワシはああやって一人でずっと練習をしたものだ、辛かったが上達するのが何よりも楽しかった

思えば ユミルはワシの努力を知ってくれていたのかもしれない、…そんな彼をワシはくだらないやっかみで追い出してしまった、あれがなかったら もしかしたらワシはまだユミルと一緒にいたかもしれないな

なんて、そんな虫のいいことを考えられる資格はない、けど 思ってしまう

ユミル スカジ ハーメア そしてマリアニールが残した伝説の劇、ヴァルゴの踊り子…、もしも …もしもだ、あの時ワシがあの場にいたならば…、みんなと夢を追えたなら…きっと

「あ あれ?、支配人泣いてますか?」

「泣いとらん!、それよりも劇を続けんか、そんな集中力では上達せんぞ?」

「は はい!」

マルフレッドの幕は閉じた、もしかしたらとっくの昔に閉じて もう開くことははないのかもしれない、全てを失い 再起もできない、みんなを傷つけ 多くを奪ったこの手の汚れは払えない、一生抱えて償い続けなければならない

けれど 誰かの物語の幕を開ける、その一助になれたなら

今はただ、そう思ってしまう………、嗚呼 演劇とはこんなにも楽しいものだったんだな、こんなにも好きなものだったんだな、ようやく 思い出せたよ


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