孤独の魔女と独りの少女

徒然ナルモ

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八章 無双の魔女カノープス・後編

241.魔女の弟子と決別の戦い

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「今日から、陛下のメイドとしてお世話になるメグ・ジャバウォックです、よろしくお願いします」

そんな言葉を聞いた時、そして 見知らぬ少女がダボダボのメイド服を着込みながらギクシャクと礼をする姿を見て、私は思わず眉を顰め陛下に視線を送ってしまった

これはどういうことかと

「聞いたな、ルードヴィヒ?この子を今日から我の専属メイド弟子にする」

「弟子…ですか」  

ルードヴィヒは思わず反芻してしまう、今目の前で玉座に座る皇帝カノープスがいきなりとんでもないことを言い出したのだ

この少女…メグを我の弟子にすると、それは即ちこの国に魔女の弟子が生まれるということで

「はぁ…」

思わず眉間に指を当ててしまう、またとんでもないことを言いだしたぞ、いや陛下が突拍子も無いのは今に始まったことではなく その思いつきを実現するのが我々将軍の役目ではあるのだが

これはいくらなんでも幾ら何でも過ぎる、何せ弟子だ 魔女の後継者だ、それはこの国で最も皇帝陛下に近しい人間になるということ その絶技を継承するということ、それはリスクが大き過ぎる

皇帝陛下が完璧にこの帝国の管理システム足り得るのは 陛下が完璧で完全だからだ、そんな陛下の完全性に穴を開けるかもしれないような大事態…、将軍筆頭として止めるべきか

いや、無理だな 陛下は私の言うことは聞かない、陛下は誰の言うことも聞かないからこそ 皇帝陛下なのだ、この方が下した決定は誰にも覆せない

つまりもう何がどうあれ、この少女が世界最高の国の世界最強の主導者の後継人になることは決定事項ということだ

ああ 、これから起こる問題の数々を思うと頭が痛い…、ただでさえ多忙なのにこれ以上…

「しかし、この子は元殺し屋故な メイドとしての基本を知らぬのだ」

「…ん?、殺し屋?元殺し屋?この子が?、まさか陛下 自分を殺しにきた存在を弟子にしようとしているのでは…」

「その通りだが」

卒倒しそうになる、よりによって陛下を殺しにきた存在を鍛えると言うのか?、陛下の力を受け取り 強くなったこの子がまた陛下の命を狙わない保証がどこにあると言うのだ?

相変わらず凄まじいお方だ、いい意味でも悪い意味でも…

「まぁそこはいい」

いいのか…

「問題はこの子をメイドにするにあたって この子を教育する係が必要ということ、我はこの子に魔術は教えてやれる人に尽くす方法は教えてやれぬ、我は生まれてより 誰かの下についたことがない故な」

「…でしたら、今の従者長に話を通しておきます、彼女は今まで数千人の執事やメイドを育てたベテラン、彼女にかかればメグ殿もすぐに立派なメイドに…」

「いや、この子はお前が育てろルードヴィヒ、メイドとしての技法と人に尽くす心得はお前が叩き込め」

「ッッ…!?!?」

はぁ?なんて無礼な口は陛下には利かないが 言いたい、何を言っているんだこの方は、私にメイドとしての技法を教えろと言うのか?、私はメイドでもなければ従者でもないのだが!?

「良いな」

「…良くありません、私は将軍です メイドとしての作法を教えるには不足でしょう、適任な人物を探すべきです」

「その結果がお前、と言うだけだ…まぁ不足はあるまい、我が認める大将軍たるお前ならな」

「い いえしかし!」

「問答無用、ではな?我はクリュタイムネストラの建造に移る、この子は任せた」

そう言うなり陛下は玉座から立ち上がり…次の瞬間には跡形も無く 痕跡も無く消え去ってしまう、いや その建造の責任者…私なんだが……

「………………」

後に残されたのは ブカブカのメイド服を着込んだメグと私だけ、故に嫌でも視線を感じる…、メグが私をジッと伺うような視線で見つめている

表情は無だ、何も感じない顔で 虚ろな目でこちらを見ている…、大丈夫なのか?この子 、そもそも陛下を殺しきにきたと言う時点で極刑は免れないと言うのに、…私はどうするべきか

この子の処遇はある意味私に一任されたと言ってもいい、…故始末するのもまた……

「ルードヴィヒさん」

「む、なんだ…」

「私は…陛下のお役に立ちたいのです、殺す為の道具でしかなかった私を…人にしてくれた陛下のお役に、その為なら なんでもします どんな事にも耐えます、なのでどうか お願いします」

ペコリと頭を下げて私に懇願するようにそう口にするメグの姿は、とても真摯に見えた

私とて将軍、人を見る目は他の人間よりはあると自負している、その私の目が告げている

この子は、信ずるに値すると

(そもそも、陛下が自ら見定めた子なのだ…、才覚も忠誠心も持ち合わせているか)

陛下は八千年間この治世を守り続けた偉人だ、いくら思いつきの突拍子も無い行動でも 陛下ならば何かしらの意味があると思える

なら私がすべきはこの子や陛下の考えを疑うことでは無く…

「メグ、と言ったな」

「はい」

「お前はメイドだ これからメイドになるのだ、ならば礼の仕方はただ頭を下げるのでは無く、カテーシーの方が適切だろう」

信じる事だ、陛下を信じ この子を信じ メグを一人前のメイドにする事が私の役目だ

まぁ、メイドに育てると言ってもそもそも私はメイドを育てた経験も従者をした経験も皆無なのだが……

「カテーシー?」

するとメグはコテンと首を傾げて私の言葉を繰り返す、カテーシーを知らないのか?まぁ元殺し屋なら仕方ないか、ええと、カテーシーの仕方は…

「カテーシーは従者の挨拶の仕方だ、相手を立て 主人を立てるとは言葉のみならず作法の一つ一つに宿るのだ、故に いついかなる時もカテーシーにて挨拶を…」

「どうやってやるのですか?」

「そ…それはだな、…こ こうやってスカートの端を摘んで 足を交差させて、頭を下げて…」

と マントの端をスカート代わりにしてカテーシー実演してやればメグはそれをジッと見つめるばかり、何をやっているんだ俺は…、顔が熱い

「こう…ですか?」

するとそれを見て学んだメグはおずおずと不格好ながらも私の真似をして不慣れなカテーシーをしてみせる、うーむ 気難しい者が見れば許せぬくらいには不恰好だが、まぁ よかろう

「ああそうだ、次からはそうやって挨拶をするように」

「はい、ルードヴィヒさん」

「ルードヴィヒ将軍と呼べ、…陛下の命令だ これよりお前の教育をする、ついてこい」

「はい、ルードヴィヒ将軍」

そうして私メグという教え子を持った、魔術は陛下が それ以外は私が、メイドとしての心得や座学などの教育も諸々私が担当する事になった、ただでさえ多忙を極めるというのに その上でメグを育てるなど…私に出来るのか、そんな不安しかなかったが

殊の外、メグは真面目で 秀才であった

………………………………………………………………

「紅茶です、ルードヴィヒ将軍」

「ああ、カップの置き方はある程度問題はあるまい、だが…少々湯の温度が高い、茶葉はあまり高温で熱すると味が飛ぶ上、陛下はもう少しヌルい方が好きだ 彼の方は一気に紅茶を飲み干すのが好きだからな、次からは留意せよ」

「はい、将軍」

あれからメグをメイドとして育て 教育する事になった私は四六時中メグを側に置き続けた、陛下が彼女に魔術を教えている間は 仕事の合間を縫って私自ら従者長のところに赴き メイドとしての心得や技法を聞きに行き、メグに教える為に取得するようにしている

お陰でメイドでもなんでも無いのに私は紅茶の入れ方からベットの整え方まで熟知してしまったよ

普通に考えれば二度手間だ、従者長が私に教え 私がメグに教えているんだからな、何故私がこんなことをしなくては…、と 最初は思いもしたが、今はそんな気持ちはない

「…ん、だが茶葉を入れるタイミングはいいようだ、以前よりも味がいい」

「ありがとうございます、将軍」

メグは懸命だ、一日でも早く陛下の為一人前の従者になる為 私が教えたことを何が何でも取得しようと毎日必死に勉強している、その上で陛下からの魔術もまた取得しようと努力し…

メグは寝る間も惜しんで毎日を全力で過ごしている、私の教え子たるメグがこうも頑張っているのだ、教育係の私が 多忙の一言を理由に怠けるわけにはいくまいよ

「ルードヴィヒ将軍、今日は以前習った茶請けの菓子を作ってきました」

「ほう、準備がいいな」

「はい、少しでも早く 一人前の従者になりたいので」

最初は字も読めなかったこの子も、私が時を教えてやれば空いた時間に本を読み 私の教育以外の場でもメイドとしての技能に磨きをかけている、本当に頑張る子だと感心していると

奥から一枚の皿に乗ったパイが湯気を立ててこちらに運ばれてくる

「アップルパイを作りました、味見をお願いします」

「アップルパイ…、そういえば作り方を教えていたな」

これも私が作り方を教えた物の一つだ、料理なんてしたことなかったが メイドはそうも行かない、故に料理長に教えを請い アップルパイの作り方やお菓子の作り方を諸々マスターして この子に教えていたんだったな…

しかし、結構なサイズだな…一皿丸々私に食えと?、なんて視線でメグを見ると 、ああ期待の眼差しだ、全部私に平らげてほしいって目だ

さっき昼食を食べたばかりなんだが、ええい仕方ない

「んっ、…うん 美味い」

「っ…よかったです、たくさん味見をして 作ったんです」

「そうか、だが メイドは努力を誇ってはいけない、もし陛下に出した時は 同じことは言うなよ」

「は はい…」

そう注意するとメグは無表情ながらにやや落ち込む、…まぁ

「まぁ、お前は私の従者ではない 今は許そう、頑張ったな メグ」

「はい!」

…最近この子は目に見えて感情的になっている気がする、陛下と共にいるからだろうか、血の通った人間らしくなってきたと言える

それかもしくは、この歳になってようやく人としての感情を獲得したとも言える、…この子が以前いたと言う殺し屋の環境余程劣悪だったのだろう

「しかし……」

「?」

「いや、なんでもない」

メグが人間的になればなるほど 成長を感じれば感じるほどに、思うのは メグという人間がこれからどう言う人間に育つのか…と言う期待と不安

メグがこのまま育てば 一体どう言う人間になるのか、私でも想像がつかない…、良い方に育つか悪い方に育つか分からないが、私の感情としては良い育ち方をしてほしい

しかし、メグには今 友達と呼べる存在がいない、それどころか私と陛下以外の人間と話しているのも見たことがない

人との関係は大切だ、人は人と関わるからこそ得られる物も多い、出来るなら友達と呼べるような存在もいつか作ってほしい、全てはメグという人間がより人間的になるために…

(しかし、この環境じゃそれも難しいか)

メグはマルミドワズから出ることはない、外を出歩く事もなければ自由に過ごす時間もない、これでは友達なんて夢また夢、ましてや陛下の弟子ともなれば 市野の人間では友人も務まるまい

…考えられるのは同じ魔女の弟子たち…、最近各国の魔女達がこぞって弟子を取り始めている、そういう人物達ともいつかは関わることになるのだろうが、果たして友達になれるかどうか

「アップルパイか…」

そう言えば、以前私にアップルパイを作ってくれると言っていた子も魔女の弟子だったな

孤独の魔女の弟子エリス…、彼女は国を巡って旅をしている、ならいつかここにも来るだろう この子とも出会うだろう

もしそうなったら、…いやだがエリスと友達になるのはリスクが大き過ぎる、何せエリスは……

「どうかされましたか?、ルードヴィヒ将軍」

「ん?…」

ふと見れば、私を心配するように眉を傾けるメグの姿が見える、心配か私が、だが私はお前の方が心配だよ

「なんでもない」

…ただ教育するためだけの存在だった筈だが、こうして必死に 懸命にこの子を育てているうちに、私にも彼女に対する情が湧いてしまったようだ

願わくば、メグ…私はお前が幸せになってくれることを願うよ…

─────────────────────────

暗く 静かな大帝宮殿の廊下を行く一人に影、メイド服を揺らし 優雅な所作に歩くメイド メグは、憂げな顔にて沈むような気配のままただ歩く、目的は一つ…任務のため

アルカナとの戦いを終え 戦勝の祝福に湧く帝国、そんな中一人で重苦しい空気を放つ彼女の胸抱く任務の二文字が、ただ今は重く 重い…

そんな鉛のような足取りで行くメグは、それでも確たる足取りで向かう…全ては陛下の為 帝国八千年の目的の為、迷う暇は彼女にはなく……

「メグよ」

「…ルードヴィヒ将軍」

ふと、背後より声が響きメグの足を止める、ルードヴィヒ様将軍 この国の軍部の頂点にして私の育ての親の一人でもあるルードヴィヒ将軍が、労わるように私に声をかける

やめてくれ、陛下の期待に応えられないダメな存在に、そんな声をかけないでくれ

「行くのだな」

「はい、きっと チャンスは今日しかありません」

「本当にそうか?」

何が言いたいか分からず、私は振り返り 彼の顔を見る、いつもクールに表情一つ動かさない彼の目が、何か 心配するような目をしているのに気がつく、…もしや私がまた失敗すると思っているのだろうか

「…何を仰りたいか、私には分かりかねますが、ご安心を 必ずや陛下と将軍の期待に応える成果をあげてみせます」

「そうじゃない、ただ私は聞きたいだけだ」

「何をですか…!」

「それで良いのか…とな」

キッと表情を固くする、問答のループを望んでいるのか、この人はこれから役目があるはず、こんな所で遊んでいる暇はないはず、それとも私をいじめて楽しいですか ルードヴィヒ将軍

「いいですよ」

そう私が無愛想に応えると、ルードヴィヒ将軍は…

「そうか、残念だ」

そう語りコートをはためかせ クルリと反転し踵を返す、何が言いたかったんだ 何をしたかったんだ、よく分からない よく分からないが

気にすることもあるまい、任務達成の前には如何なる事象も些事である

「……では、参りますか、準備は出来ていますね」

虚空に消えたルードヴィヒ将軍の背を流し見た後、私は廊下の先にいる彼に向けて声をかける、彼は私が目を向けると ピクリと肩を揺らし、手に持った弓を固く握り締め こう返す

「う…うん、大丈夫だよ」

「それは良かった、フィリップ様 頼りにしてますよ」

顔を青くし、ダラダラと冷や汗を流すフィリップの肩を叩き、私は向かう

今度こそ、任務を達成しよう 、陛下の意思を遂行する為に 私は生きているのだから


………………………………………………………………

「それで、話ってなんですか?、ただ事じゃあなさそうですが」

エリスはあれから、メグさんに話があると呼び出されて連れられたのは エリス達に与えられたお屋敷、今の自宅です

暗く 音のない屋敷の中、エリスはリビングに向かい 二人の息だけが響く屋敷の中、メグさんに問いかける、何の用ですか と

…一緒に遊びに行きましょう!って顔じゃないのはわかる、今の彼女の表情は神妙極まる、今も両手を下腹部で合わせて 直立不動を貫くメグさんの表情は、彫像のように変わらない

なんの話がされるやら

「真面目なお話があります」

「分かってますよ、だからエリスも出来る限り真摯に応えるつもりですが…」

「それは良かった、実は…」

するとメグさんは、少しだけ躊躇するかのような間隔をおいて、こういうのだ

「実はエリス様の此度の活躍が認められ、正式に帝国軍への加入が許可されました、エリス様は今日から帝国軍人です」

「は?」

「エリス様に与えられた 仮の階級『少尉」も今日から本物の階級になりますよエリス少尉、陛下からもエリス様には新たに師団を与えるよう仰せつかっているのでこのままいけばエリス様は第三十三師団の団長…」

「ちょっと待ってください!」

いきなりぶつけられた話に、困惑しながらも止める、待て待て ちょっと待て

エリスの帝国軍の加入が許可された?、そんなもの頼んでないし望んでもない、都合が良かったからエリスは帝国軍と手を組んだだけ、そこに入ろうなんて気は毛頭ないのに…

「なんでございましょうか」

「あのメグさん?、エリスは帝国軍に入るつもりはありません、師団長にだって なるつもりはありませんよ」

「しかし、師団長になれば この屋敷を正式に与えられます、給金も帝国軍部内でも上から数えた方が早いくらいには出るでしょう、仕事に関しても問題ありません ちゃんと補佐出来るものをつけますし、エリス様なら直ぐに仕事だって」

「そんな事を言ってるんじゃありません、立場とか富とか そんなもの要りませんよ、エリスは旅に出ます 師匠と共に、何処かに所属するつもりは全く無いんです」

「ですが帝国に居ればもう無理にあちこち放浪する必要はなくなります、それに…行きたい場所があるなら 転移魔力機構を使えば直ぐに行けます、アジメクだろうが アルクカースだろうが…何処にだって」

「そんなの楽しくありませんよ、エリスは自分の足で地の果てまで進みたいんです、…貴方なら分かるでしょう」

「…………」

メグさんらしく無い、というのが感じる所

この人は転移の術を持ちながら自分の足で歩くのが好きだ そこを楽しいと言ってのける、その感性には心底同意していたのに、そんな事言うなんて正直…正直ショックだ、エリスの旅は旅行じゃ無いんだよ

「…帝国に居れば、いつだって友達に会えます、ラグナ様にもメルクリウス様にも…、それに 私もずっと側にいます、だから…」

「メグさん」

「…………」

言う必要があるだろうか、今エリスが怒っていることを

それは侮辱だ、友達と会えるからと旅をやめるなら、エリスはあの学園で旅をやめている、アルクカースもデルセクトもエトワールからも旅立っていない、みんなと別れてここにいない

そりゃあメグさんが側にいてくれるのは嬉しい、けれど…けれどだ、これはエリスの生き方だ、旅はエリスの人生だ、それを エリスの生き方を汚すような事を言わないでくれ

「……エリスは帝国軍には加入しません、折角のお話ですがお断りさせていただきます」

「どうしても、受け入れてはくれませんか?」

「はい、引き止めてくれるのはとっても嬉しいです、メグさんがずっと側にいてくれるのは嬉しいです、けれど エリスは進みたいんです、先に まだ立ち止まるには早すぎるんです」

ごめんなさいと頭を下げる、心苦しいが それでも、エリスは友達に恥じない生き方をしたい、みんな自分のやるべき事をやっている、ならエリスもやるべき事をやり通すべきだ、最初の宣言通り この旅を終える、それがエリスほどやるべき事だから

「つまり、エリス様は帝国軍には、帝国の人間にはならないと」

「はい、ですがエリスが帝国の味方である事に変わりはありません、また何かあったら呼んでください、いつだって飛んで来るので」

そう言いながらエリスはリビングに広げた荷物を纏める、もう旅に出る支度は出来ているんだ、ナイフ 地図 羅針盤 携帯用の食料と水 諸々準備が出来ている

その荷物をせっせとポーチの中に詰める…そんな中気がつく、あれ?もう師匠謹製のポーションがない事に

色々使って回ったから もう残り少ない…後三本だけか、旅に出る前にまた師匠に作ってもらわないと、この帝国でなら材料も手に入るだろうし、あのポーションがあるのとないのとではまるで違いますからね

「まぁ、帝国ならエリスの助けなんていらないでしょうが、それでもいつでも頼ってください、帝国がエリスの味方なように、エリスもまた帝国の味方なので」

メグさんに背を向け、荷物を整え終わる、よし 後は師匠帰りを待って、リーシャさんに挨拶をしたら旅に出られる、長かったような短かったような帝国での戦いもこれで終わりだ

「今までありがとうございました、メグさん 師匠が帰ってきたらまた改めて…」

「貴方の師匠は帰ってきませんよ」

「…なんですって?」

メグさんの口から放たれた言葉が、ドスンと深く空気を重くする、師匠が帰ってこないって?…なら、何処に行ったと?そもそも何を知っていると?

「どう言う意味ですか?」

「どうもこうもありません、貴方の師匠はもうこの世にいません」

もうこの世に?何をバカな…いや、まさか帝国が何かを…、だとするなら

「言っておきますがメグさん、例えあなた達帝国だとしても 師匠に何かしたら、エリスは許しませんよ、もし師匠に何かあったら…」

「帝国はまだ何もしていません、まだですが…、分かりませんか?エリス様」

すらりと虚空よりメグさんは剣を取り出す、鋭く研がれた魔装剣、それを片手に持ちながらギロリとこちらを睨むのだ、分かりませんかって何も分からないよ

メグさんの言ってることも、何をしようとしてるのかも、何が起きているのかも…

「魔女レグルス様は 魔女シリウスの魔の手によりその体を奪われたのです、今や魔女レグルスは何処にもいない、あれはもう シリウスです、大いなる厄災なのです」

「はぁっ!?、何をバカな…!、そんなことあり得るわけないでしょう!」

師匠がシリウスになった?、…何をバカなことを、いや でもシリウスは他の魔女を洗脳しその意思を弱らせ、その体を乗っ取ろうとしていると言う話は聞いたことが…

で でも、でも師匠に限ってそんなことあり得るわけない、師匠は大丈夫だ 大丈夫に…決まってる

「何かの間違いですよ!そんな、師匠がシリウスに体を奪われるなんて!、そもそも師匠にそんな素振りありませんでした!、他の魔女みたいに狂わされたり…操られていたり、そんな素振りは」

「ありませんよ、必要ありませんから…だって、他の魔女と違い 魔女レグルス様とシリウスは血縁関係、それも姉妹…肉体的に見れば殆ど同一の存在です、シリウスの魂がこの世で最も適合する肉の器が レグルス様であることくらい、貴方だって分かるでしょう」

「そりゃ…でも…でも!」

でも、師匠がそんな簡単に体を奪われるわけがないと言う感情的な意見とともに、理性的な意見も浮かぶ、そんな簡単に奪えるならシリウスは八千年も死んでないだろうが

少なくとも師匠は八千年間魔女レグルスとしてあった、この度の最中もそんな気配はなかったし、何よりそんなん簡単に師匠の体を奪えるなら 他の魔女やエリスの体を奪おうとはしない、最初から師匠だけを狙ったはず

何かあるんだよ、シリウスでさえ師匠に手出しできない理由が!

「何かの間違いです、もっと深く きちんと調べてください」

「残念ながら レグルス様はもう正気ではありません、もう兆候は発露に変わっています」

「そんな…、し 師匠はどうなるんですか?」

「このまま行けば、レグルス様の肉体は完全にシリウスに染まり、シリウスは無欠なる復活を遂げるでしょう、そうなれば …分かりますね」

世界は終わる、完全な復活を遂げたシリウスは今度こそ世界を滅ぼす、それはなんとしてでも 阻止しなければならない、そう 阻止だ

まだ阻止の段階なんだ、師匠は完全にシリウスに乗っ取られたわけじゃない!師匠はまだ完全にシリウスになってしまったわけじゃない!、それはメグさん自身が語っている、ならばまだ出来ることはあるはずだ!

「まだ 不完全なんですね、ならまだ出来ることはあります」

「ええ なので、我々帝国軍は総力を挙げて魔女シリウスをこの不完全な状態のうちに殺します」

「殺す…?、それって…」

「ええ、魔女レグルスの肉体を滅して シリウス復活の目を消します」

「…………」

今更声など挙げまい、分かっていた 彼女達の態度からただ 、今の言葉で決まったことが一つある

エリスが拳を握り メグさんに向き直ると、彼女もその手の剣を突きつけ 

「故に選びなさい、エリス!我々帝国と共にシリウスを殺す為戦うか、…シリウスの側につくか」

帝国につくか シリウスにつくか、それは二つに一つの答えだと、メグさんは迫る エリスに向けて、事態を飲み込んだわけじゃない 何が起きたかこの目で調べる必要がある、だが それでも今 決断を迫られるというのなら

答えは一つしかない

「エリスは…、シリウスを復活させません、アイツは蘇っちゃいけないやつです」

「なら…」

「ですが!師匠も殺させません!、エリスは帝国にもシリウスにも味方しません!エリスはレグルス師匠の弟子!師匠の味方です!」

「それはつまり、帝国を敵に回す ということでよろしいですね?」

「師匠を傷つける奴はみんなみんなエリスがぶちのめします!、それが帝国であれなんであれ関係ありません!」

帝国…世界最強の国家そのものが相手であろうが関係ない、エリスは師匠を守る、例え世界でたった一人であろうとも、エリスだけは師匠の味方なんだ!

その咆哮を、帝国への宣戦布告と捉えたメグさんは…

「…そうですか…」

分かっていましたよ そういうと、そんな風にメグさんは笑うと 剣を持たぬ方の手を軽くあげて…

「…残念です、貴方とは良き友になれると思っていましたよ」

そう言いながら体を傾ける、横へ…横へ…、すると 彼女の背後の窓の光が見える…外の景色が見えて

「…………?」

え?なに?、メグさんが体を傾けただけで 何も起こらないんだけど、どういう意味の行動?

「……あれ?」

ふと、メグさんがおかしいなと首を傾けながら体を起こし 背後の窓を見る、なんだかよくわからないが 何か失敗したようだ、なら……

今だ!

「っ……!!」

「あ!エリス様!!」

走る、メグさんの横を駆け抜け扉をあけて屋敷の中を駆け抜ける、何が起きたかわからないメグさんの言ってることはとても信用出来ない、この目でしかと確認して、もし 師匠がシリウスの魔の手により窮地に陥ってるならば、助けなければ!

このままじゃ師匠はシリウスによって肉体を奪われるか!帝国によって命を奪われる!そのどちらも阻止しなければならない!

「っと!」

扉を数度蹴破り 向かうは玄関、師匠は何処にいるか!分からないがとにかく師匠を探すところからだ!、きっともう師匠と帝国の戦いは始まっているとみられる、なら喧騒の方へ進めば…!

そう、エリスが玄関の扉に手をかけた瞬間、その手を横から掴み阻止する腕が 虚空より伸びてくる

「逃がしませんよ、陛下の邪魔をするなら貴方といえど容赦しません…!」

「メグさん…!」

時界門を作り出し、一瞬でエリスの横へ転移してきたメグさんがエリスの手を捻り上げ拘束しようとしてくる、この人から逃げるのは至難の技だな!

「ふんっ!」

「ちっ!」

手を掴んだまま容赦なく振るわれる剣を籠手で弾くと共に逆にメグさんの腕を掴み返し、反転しつつ投げ飛ばす、まずはこの人から逃げないと…!

シリウスとなりつつある師匠の味方をすると宣言した瞬間から、メグさんにとって 帝国にとって、エリスは敵対者なんだ!

「おっと、危のうございます」

すると投げ飛ばされたメグさんはその進行方向に時界門を作り出し、その穴を潜ると

「こちらでございます」

「ぐっ!?」

エリスの背後から飛び出てくる、投げられた方向とエリスの背後の空間を繋げてそのまま飛んできたんだ、そのままメグさんは両足でエリスの腕と首を絡め、拘束を図る

「ぐぅっ!?」

「観念してくださいませ、シリウスに味方をする存在を 帝国の味方にならぬ貴方を放置するわけにはいかないのです」

ギリギリと凄まじい脚力でエリスの首を絞め落とそうとしてくる、この人も元ハーシェル家、対人戦闘においてはプロ中のプロ、そこに帝国軍のマーシャルアーツと無双の魔女の教えが加わったこの人の戦闘能力は 一介のメイドの範疇に収まらない

そんなこと、分かってる…分かってるさ!!だけど!

「ぅぉぉおおあああああああ!!!」

「な!?」

諦めるわけにはいかない、こんなところで止まってたまるか!エリスは師匠に会いに行くんだ!、助けに行くんだ!

足腰に力を入れて上半身に組みつくメグさんごと体を振り回し 壁に叩きつけ振り払う

「キャッ…!」

「メグさ…ぅぅ」

メグさんが軽い悲鳴をあげてエリスから引き剥がされ地面を転がる、その様を見て やや心が揺らぐ、師匠の敵はエリスの敵だ 帝国が師匠を殺そうとするなら帝国だって倒してみせる、そんな風にいくら決心しても…変わらないんだ

エリスの中で彼女は未だ友達のままなんだ、それを傷つけ 痛がる顔を見て、平気なままでなんかいられない…、エリスは 友達を傷つけたくはない、それは嘘偽りない本心だ

でも、状況がそれを許さないなら、躊躇はしない!

「く…やりますね!」

刹那、メグさんの手がブレる、だがこれは見たことがある フランシスコが行った二重ナイフ投擲、こうして改めて見てもメグさんが投擲したのは一本のナイフにしか見えない、しかし

「エリスは師匠の 孤独の魔女の弟子ですから!」

腕を二度払い、飛んできたナイフとその影に隠れていたナイフを弾き返す、そうだ エリスは孤独の魔女レグルスの弟子!、如何なる存在が相手でも エリスは師匠のために戦う!それが例え友だとしても!

「ッッ…『大火炎舞魔装 点火』!」

弾かれたナイフが地に堕ちる頃には、既にメグさんの手には紅蓮の大籠手が装着されている、魔装だ 彼女の魔術があれば瞬時にそれを取り出し使うことが出来るのだ

というか、あんなもの エリスに見せてくれた魔装のリストの中には無かったぞ…

つまり、つまりだ、彼女はあの魔装をエリスに隠していたということになる、それは この対決を既にあの頃から予期して…、くそ 最初からこのつもりだったのか!!

「炎を纏い 迸れ轟雷、我が令に応え燃え盛り眼前の敵を砕け蒼炎 払えよ紫電 、拳火一天!戦神降臨 殻破界征、その威とその意が在るが儘に、全てを叩き砕き 燃え盛る魂の真価を示せ!!」

「『アークドライブ』…!」

悲しい、ただひたすら悲しい、友達と思っていたのはエリスだけなのか?、彼女は最初からこうして戦うつもりで ああして帝国に招き入れる為にエリスに近づいていたのか?、だとしたら だとしたらエリスは!

纏う炎雷の拳と、炎杭に変形するメグさんの籠手が同時に火を吹き…そして

「『煌王火雷掌』」

「『フレイムインペイル』!」

激突する、二つの火炎が爆裂し 瞬く間に屋敷の中を炎で覆い尽くしていく、エリスと師匠 メグさんの三人で半年生きた屋敷が、炎と衝撃により 吹き飛び、燃えていく

それはまるで、今までの全てが否定され、エリスと 帝国の戦いの火蓋が切って落とされたかのように感じる

でも、例え友と思った人間が相手でも、世界最強の国が相手でも、師匠を傷つける人間がいるとするなら、エリスは戦う そこは変わらない、それがアルカナでも帝国でも

変わらないんだ!

………………………………………………

「げぶぅっ!?」

上がる黒煙 噴出する炎は屋敷の扉をエリスごと吹き飛ばし、この体はゴロゴロと芝生の上を転がる、メグさんがあんな強力な魔装を隠し持っていたなんて…、それを引っ張り出してきたということは

これは戯れてもなんでもなく、本気だということの何よりの証左

本気でエリスを殺しにきた、シリウスが師匠の体を使って復活しようとしているのは本当なんだ…

「どうして…」

なんでこんなことに、十年以上師匠と付き添っているが そんな素振り全く見えなかった、他の魔女様たちも気付いてなかったと思う、それがこんな 目が覚めたら何もかも変わってしまうくらいいきなり

何が何だか分からない なんて言葉は言い飽きた、全部知って 全部解決する、何 いつも通りさ、さぁ 行くぞ…

「…………家が」

立ち上がれば見えてくるのは、燃え盛るエリス達の家、もう帰れない 帝国相手に宣戦布告してしまった以上、エリスはアルカナ達と同等の いやそれ以上の扱いを受けるだろう

世界最強の国を相手にどこまでやれるんだ…というか

「メグさん…」

メグさんは無事なのか、なんて思考が挟まる、エリスがぶっ飛ばしたくせに 心配してしまう、もしかしたら気絶してあの家の中に取り残されているんじゃないか?、だったら助けない

「…っ」

いや、メグさんは強い、この程度でやられる相手じゃない、なぜ追ってこないのかは分からないが…無事だ、というか帝国と敵対したエリスが今更彼女の心配なんて必要ない…、それよりも

「…ごめんなさい、メグさん」

懐から取り出すのは金色の杭、メグさんが時界門を作る目印とする為のアイテムだ、彼女はエリスを守る為だと言いながらこれを渡してくれたし…事実これのおかげで助けられた場面も何度もある

だけど、もうこうなっては持ち続けるわけにはいかない、これを持つ限り エリスはメグさんから逃げられないから

「っ……」

金の杭を炎の中に投げ込み 処分する、それは 本当の意味でエリスとメグさんの決別を示してしまったようで……

「魔女の弟子 エリス殿」

「む…」

ふと、背後を見れば 帝国兵が大挙してエリスを囲んでいるのが見える、こんなに兵士を連れてきていたのか メグさんは、エリスが誘いを断ることを予期して 戦闘になることを予感して、最初からこうするつもりで…、戦力を用意していたというのか

「その様子では、我等にはついてくれないのですね」

隊長格とみられる男が武器を片手にエリスに問いかける、その声音は硬い…、ああ 知っているとも彼のことは、確か あのアルカナ討伐戦に参加していた兵士のうちの一人だ、エリスが助けた人間の一人だ

それが、今度はエリスに武器を向けている

「ええ、エリスは何があっても師匠の味方です、その敵になるなら 容赦はしません」

「…残念です、貴方には恩がある 貴方の人の良さも知っている、出来るなら そんな人に武器なんて向けたくはなかった、こんな事になんて ならなければいいと何度祈ったか」

しかし、彼は武器を構える それが帝国の意思であると語るように、帝国兵が全員 魔装カンピオーネを構え エリスに詰め寄る

「ですが!例え貴方でも魔女シリウスの復活の助けになるならば 先に進ませるわけにはいかないのです!、これは帝国創設以来の理念!世界秩序の為!、我等は世界を守らねばならないのです!」

「そうですか…、立派ですね、でもエリスも世界を壊そうってんじゃありません、ただ貴方達の行動の果てに師匠の苦しみがあるなら…というだけの話」

「分かっていますよ!貴方の師匠への想いは!、だが我等も引けぬ!引けぬのだ!、愛する国とこの世界のために!、せめて…せめて抵抗されず我等に捕らえられてください!エリス殿!…いいえ、孤独の魔女の弟子 エリス!!」

ズカズカと軍靴が大地を踏み荒らし エリスに迫る、帝国軍が 完全にエリスを敵として捉えた、魔女シリウス討伐の障害になるならばと 武器を片手に迫り来る

悪い…本当に悪い、ですが エリスは

「エリスは止まりません!何が相手でも!、エリスは孤独の魔女の弟子 エリスなんですから!!」

振るわれる魔力刃を躱し、風を纏い突っ込む、味方はいない、居るのはさっきまで味方だった人達だけ

既にこの国にエリスの味方は一人としていなくなったのだ、いや いる

一人だけ、エリスの味方は 師匠だけだ!

待っていてください師匠!!

………………………………………………………………

「…………エリス」

始まってしまった帝国とエリスの戦いを前に、彼女の名を呼ぶ そんな事無意味だと分かっているのに

「…くそっ…!」

弓を持った手が震える、遠視の魔眼を用いて 高台から彼女の戦いを見れば、胸が締め付けられる…、もう始まってしまった以上 どうしようもない

「僕に、何が出来る 何が出来たんだ」

高台の上、星穿弓カウスメディアを構えるフィリップは未だ 矢を番えたままエリスを狙い続ける、今この場で渾身の魔力弓を放てば エリスの頭を確実に撃ち抜ける、エリスは僕に気がついていない…なのに

「出来ない…、出来ないよ 僕には」

出来るわけがない、本気なんだ…僕は本気で彼女が好きなんだ、恋愛なんてした事ないから 愛の伝え方はとっても下手くそだけれど、この余りある愛は言葉に尽くしてもなお足りないほどに彼女を愛している、一目惚れなんだ…!

「何か…何か出来ないか、僕には エリスの為に…何か」

「どういうつもりですか、フィリップ様」

「っ…!」

刹那、突き刺すような低い声がフィリップの背後から投げかけられる、慌てて振り返れば 時空に穴を開けて燃え盛る家の中から現れるメイドが…、スカートの端をやや焦がしたメグが現れる

その表情にあるのは怒り、あの屋敷の炎よりも尚熱い怒りの表情で僕を睨みつけている、その威圧に 思わず竦んで目を背ける

「私が合図をしたら、ここから矢を放ち エリス様の眉間を撃ち抜く、そういう話でしたよね、だから私 エリス様を狙いやすいように窓の前に配置したというのに、何故 撃たなかったのですか」

「……それは」

僕に与えられた任務は、メグがエリスと交渉して その交渉が失敗した瞬間、処分…即ち殺す事だ、不意に放たれる狙撃に エリスは対応出来ない、あの瞬間 僕は確実にエリスを殺せた自信があった

僕の狙撃技術に目をつけたメグが提案してきたその任務を前に、僕は…この矢を放つ事が出来なかった、そのせいでエリスは完全に帝国相手に宣戦布告して こうして戦いになってしまった

「…僕は、狙撃手だ 暗殺者じゃない」

「帝国の敵を撃ち抜くのが仕事です、それを放棄してよくもまぁいけしゃあしゃあと」

「エリスは…帝国の敵では…、ぐっ!?」

刹那、メグによって胸倉を掴みあげられ フィリップの足が宙に浮く、否が応でもその目が…恐ろしい目がフィリップの視界に入る

「エリスは 帝国の理念である世界秩序を否定し、魔女レグルスの討伐を阻止するつもりです、具体的な解決法も提示せず ただただ情動の赴くままに動く彼女を放置すれば、全てが台無しにされる…、それでシリウスが復活したら 世界が終わるんですよ?、我々の戦いは世界を守る戦いです…そこに横槍を刺すなら、殺されても文句は言えませんよ」

「お前…!、今までエリスとずっと行動を共にしていたのに、なんで…そんな無慈悲になれるんだよ」

メグがずっとエリスと共にいたことは知っている、ずっと一緒にいたんだ、この半年間ずっと…

同じ家に住み 同じ場所に行き、同じ相手と戦い 同じことで笑っていた、そんな相手をよくもまぁ軽々と殺そうと計画を立てられるな!、何も思わない人間がいるのか!

「…無慈悲ですか、今の私は無慈悲に見えますか」

「あ…ああ」

「ならこれが、きっと私の本性なんでしょうね、どんなに取り繕っても 奴の匂いは消えないのでございますね」

するとメグは僕を捨てるように放り投げ、再び時界門を作り出し 何処かへと向かおうとするのだ、いや その前に と言わんばかりに彼女は足を止めて、肩越しに僕を見ると

「言っておきがねフィリップさん、貴方は人殺しでしょう?戦場で何人も殺してきた、なのに今更私の行いを否定しないでほしいですね…、虫が良すぎますよ」

痛烈な言葉を残して、去っていく…もはや僕は用済みなのだろう、沙汰は追って下すつもりだのだろう、師団長降格か 軍をやめさせられるか?、或いは…帝国の理念を邪魔する敵を庇ったとして、僕も牢に入れられるか

だが、そんな事はどうでもいい…、今僕にそんなことを気にする余裕はない

今はただ

「人殺し…かぁ、効くなぁ…」

その言葉が 何より突き刺さっていた、人殺しか…、確かに僕は大勢殺してきた、帝国に刃向かう愚か者を何人も殺してきた、だがそれは戦場でだ あちらも僕達を殺そうとしていたし 殺される覚悟があってあそこに立っている人間ばかりだった、僕がやったのは 帝国の為の……

『平気な顔で人を殺す人間となんか 仲良くなれませんよ!』

……響く、脳内に響くエリスの声

ヴィーラントを突き放す為に放ったその言葉は、僕にも刺さっていた、僕は帝国の敵を平気な顔で殺してきた、そんな行いをエリスは否定した

平気な顔で殺す奴となんか 仲良くなれないか…効いたなぁ、あの言葉は とても効いた、あんまりにも効きすぎて暫く放心してしまうくらいには…

事実僕はあの戦争で何人も殺した、エリスがヴィーラントから助けてくれる直前も殺していた

…そんな僕がどれだけエリスを愛しても、きっとエリスは答えてくれない、僕は彼女の嫌う存在と同じだから


「はは…はは、あはは…はははぁ…」

嗚咽混じりの笑いがこみ上げる、やってしまったものは覆らない、殺した以上 殺す前には戻らない、人が生き返るように あり得ない、どれだけ後悔しても…彼女に相応しい男にはなれない

そんな僕に出来ることはあるのか、殺す人間が殺さない彼女の為に…、それともまた殺すか?

いつものように敵を、帝国の敵を…殺すか?


「…………エリス」

弓を持って立ち上がる、僕は 僕は何を選ぶべきか、何をすべきか…、その決断が迫られているんだ

僕が出来ること、それは

「…よしっ!」

駆け出す、弓を背負い とにかく走る、泣いていても変わらない、今僕にやれることは

師団長 フィリップ・パピルサグに出来ることは、一つしかない

………………………………………………………………

「ふふ…ふふふふ、くふふふふははははははは!!」

帝国一の湖と帝国を横断するように伸びる広大な運河が存在する、その水周りを利用し 水を組み上げ転移魔力機構を用いて街へと移動させることを義務付けられたエリア X地区の川辺を見下ろすように丘の上に立つ女は自らの体を見て笑う

大いに笑う、地の底から 腹の底から笑うように、狂喜する

「うむ、この感触…他の誰の体を奪うよりも馴染む、流石はワシと同じ肉体を持つ者、ワシと同じ血を流す者、やはりレグルスしか居らなんだか」

黒い髪をたなびかせ、その手を握り 開き また握り、くつくつと生の実感を持って笑う女

特徴的な射干玉の髪と紅の瞳、孤独の魔女レグルスだ、いいや?今はもうレグルスではないか、最早レグルスなる女はこの世のどこにもいない

今この時、この場所に立つ女に名を訪ねたならば、きっとこう答えるだろう

原初の魔女 シリウス様であると

「くくく、感謝するぞレグルス、後の事はワシに任せえ、お主の体 有用に使ってやるからのう」

レグルスの体を動かし ニヤニヤと似合わぬ笑みを浮かべているのはシリウスだ、その同化魔術を用いて レグルスの魂と一体化したのだ、それもかつてないほどの同調率で、同化と言うよりは最早融合…、故にレグルスはもうこの世にいない、我が魂の代替え品として消え失せたのだ

魔女シリウスはこの時を持ってして復活した、その肉体は本来の物ではなく妹レグルスのものだが、関係ない…いやあるか?、シリウスが復活出来たのはレグルスという存在がいたからこそなのだから

そもそも、肉体を動かすのは魂だ、そして魂と言う名の魔力が最も浸透しやすいのは血である、故にワシは血を使った魔術をいくつか開発したこともあるが…ってこれはどうでも良いのう

肝心なのは その血に魂が馴染むかどうかなのだ、肉体と魂は対になる同一存在、魂の形と肉体の形は同期する、故に シリウスがどれだけ強力に同化魔術を使って魔女やニビルの肉体を奪おうとしても 必ず齟齬が生まれてしまう

既に出来上がった肉体の中に無理矢理別の形の魂を押し込んでも、肉体に魂が馴染まず 血に染み込まず上手く魔力を引き出せず 同化を維持できない、そもそも同化魔術なんてのは シリウスの超越した力があるからこそ辛うじて成立しているだけの奇跡に近い物だったのだ

だから、他の魔女の体を奪っても シリウスは真なる復活を遂げられなかっただろう、それでも他の魔女の体を奪いにかかったのは ある意味保険と牽制の一手…、最悪現世に舞い戻ることさえ出来れば良い と言うやけっぱちの行動であった、現世に戻ることが出来れば 肉体の工面などどうとでも出来るしのう

じゃが、そう言う工程を省いて 一気に完全なる同化まで持っていくことが出来る存在が一人だけいる、それが レグルス、血を分けた姉妹だ

同じ人間の腹から 同じ人間の遺伝子を受け取り、同じ血を持つレグルスの魂の形はシリウスの物に非常に酷似している、故にシリウスの魂もレグルスの体はすんなり受け入れてしまう、そこにデメリットは存在しない、ただ レグルスの思考と人格がワシに置き換わっただけ…

同じ血を持つが故に、レグルスとの同化を完璧に遂行することができる、ワシの復活計画の大本命 それがレグルスなのだ

「とはいえ、完全に復活した と言うわけではなさそうじゃのう、肉体は魂と同調したが、あんまり無理はさせられんか」

レグルスとシリウスの肉体に差はない、だが レグルスとシリウスの実力差には天と地ほども差がある、この状態でワシが全力を出したら その出力に肉体が耐えきれず瓦解してしまう、そうなったらワシはまたあの世の入り口に逆戻り

それは流石に嫌じゃ、折角授かった第二の生、謳歌せずして捨てることなど出来はせぬ

「んぅー、しかしぃ」

とシリウスはレグルスの体を見る、これが妹の体か…昔はあんなちんちくりんじゃったのに成長したのう、というか…というか!

「おかしいのうおかしいのう!、何故かのう!、同じ魂同じ血を持つ同じ姉妹じゃのに!、どーしてこうも一部分に差が出来るのかのう!不公平じゃのう!」

揉みしだく 己の胸を、いやレグルスの胸か、おかしいのー?ワシにはなかった物が今手の中にある、これが胸の感触というやつか!掴めるぞ!おい!、おかしいのう!ワシにはこんなになかったのにのう!

「すっげ!これが胸か!重いのう!やわこいのう!、ぬははははは!生身の体最高ー!」

ピョンピョン飛び回りながら胸を揉む、バカっぽい絵面じゃが 八千年ぶりの現世じゃ、大目に見て欲しい、いやぁ 柔らかいのう、他人のを見ると腹が立つがこれが自分のだと思うと途端に優越感が出る

あー、この気持ちを共有したい、いっそ胸を丸出しにして街に赴くか、恥かくのワシじゃなくてレグルスだし、別にいいよな

「あ…いや、しかし今ワシはレグルスじゃし、結果的に恥をかくのは…ワシ?」

うーーーん、まぁええか 別に、どうでも 、胸をポインポイン触りながらも次の計画を考える、取り敢えず差し当たってすべき事は決まっている

このままでは星の記憶には辿り着けん そこに行き着く道を作る手立ても現在手中にない
じゃから大願の前段階として必要なのは…

「おい、汚らわしい手で我が伴侶の体に触れるな」

「おおん?、もう来たか」

ふと、目の前の空間が割いて、流るゝ大河を絨毯のように踏みしめ現れた女が鬼の形相でワシを眺めている

おほほ、もう来たか、いやぁくるよなお前は…

「今はワシの体じゃ、ワシの体を好きにしようとも 何も構うまいよ、なぁ?カノープス」

カノープスじゃ、皇帝カノープス 無双の魔女カノープス、如何様に呼んでも結局本質は変わらん、ワシのかつての弟子であり ワシの復活計画の最たる艱難であった存在じゃ

それが顔を真っ赤にしてワシを睨みつけおるんじゃ、おっかないのう 怒っとるのう、バカじゃのう…

「違う 断じて違う、その体はレグルスの物 我が生涯の伴侶の物!、例え姉であってもそれを好きにしていい道理は無い!」

「たわけが!、道理があるからこうして実現しておろうが!、偉そうな口聞くなら止めてみよ!、我が計画を 誰よりも深く知りながら何一つとして止められなかったお前に、何か出来るなら な…?」

カノープスが顔が忸怩に塗れるのを見るのは非常に気分がいい、こやつはこの八千年間 ずっとワシの邪魔をしてきた

レグルス以外の魔女の肉体を乗っ取ろうと考えた時 親指に上がったのはこのカノープスじゃ、カノープスは実力だけで言えばワシの半分近い、つまり乗っ取ればその時点でワシは半分程度の力を取り戻せることになる

じゃが上手くいかなかった理由は一つ、カノープスは強靭な意志で同化しようとするワシの手を払いのけ 剰えワシが生きていることを逆に察知しおった、洗脳を行い アイデンティティを破壊し意思を弱らせようにもそもそも洗脳も通らん程に固い意志…、カノープスはワシが手出しできん唯一の人間であった

ワシが生きていると察したカノープスは世界秩序を謳い軍事力の強化を図り始めたのじゃ、ワシの計画を潰す為各地に軍を配置して…お陰でやり辛いことこの上なかったわ

まぁ、やり辛かっただけで 無理ではなかったがのう

「…まだ間に合う、貴様が完全なる復活を遂げるまで まだ時間はあるはずだ、その前に貴様を殺せば…、今度こそ 永遠に生き返れぬように滅すれば、全てが終わる」

「んー、まぁそうじゃのう、ワシはまだ万全じゃ無いしのう お前の時空魔術があればワシを永遠に滅することも叶おうよ」

ポリポリ頭を掻いて色々考える、カノープスなら出来る、世界ごとワシを消すか 或いは世界ごとワシを隔離するか、方法は色々ある 時空魔術は最も万能に近き力、それは作ったワシがいっちゃん理解しとる

しかしのう

「じゃがお前に出来るか?カノープス、ワシのいない世界で最強なんか名乗ってたイキり小娘に、悪いがワシが復活した以上お主は世界最強の魔女でもなんでも無いのじゃ!!!」

ぬわははははははと高らかな笑いをあげて、レグルスの肉体を使い運河の上に漂うカノープスに向けて跳躍する、久々の肉体を使っての躍動、やはりええのう 肉体とは 生命とはこうでなくては!

くるりと空中で二、三回転しつつ放つは飛び蹴り、レグルスの肉体はアルクにも匹敵する、ワシほどで無いが 近接も熟せるのは知っておる、故にその肉体を極限まで用いてカノープスに突っ込む

「……いつまでも自分が上と思うなよ」

対するカノープスは動かない、防御も回避も行わず ただ受け入れるようにワシの蹴りを受け止め……

「ありゃ?」

無い、蹴りがカノープスに直撃する瞬間 ワシの体はカノープスの体を貫通し 向こう側へ飛び出てしまう、さっきと同じじゃ さっきワシが彼奴の心臓をこの手で貫いた時同様 手応えがない

「チッ、器用な事が出来るようになったでは無いか」

くるりと反転し魔術で運河を凍らせその上に着地し、振り返る 背後のカノープスの体を

やはりのう…、彼奴 自らの体を時界門に変換し 攻撃をすり抜けさせておったか、これじゃあいくら物理攻撃を仕掛けても無意味か…八千年前にはあんな事出来なんだのに、成長したな?カノープス

「師よ、我は貴方を殺す為に 今日まで生きてきたのだ、この八千年の決意を今 ここでぶつけよう!」

「はっ、上等ブッこく前に行動せえ、啖呵ってのは行動が伴ってこそ かっこいいもんじゃと教えたろうに」

まぁよい、どうせなら軽く ウォーミングアップがてら カノープスの相手をしてやるか、まだ時間はある、その間に 久々の復活を祝う為暴れるかのう

エリスやアンタレスの時よりも濃密な生の充実を感じ シリウスはカノープスと相対する

旧世界最強の存在と魔女世界最強の存在、両者が今 激突を繰り広げる


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