孤独の魔女と独りの少女

徒然ナルモ

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八章 無双の魔女カノープス・後編

243.魔女の弟子と愛しき君よ

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フィリップさんがこちらに迫っているであろう帝国兵を押しとどめている、今の間にエリスは早く生産ラインに紛れて外に出なければならない…のだが

「しかし、何処に行ったら良いものか」

ゴウンゴウンと音を立てて駆動し続けるこの大工場の構造は、とてもエリスに理解できる範疇になく 何処に入れば外に送り出されるのかも分からない

下手なところに飛び込んで、エリスも一緒に加工されて出荷されちゃった なんてクソ間抜けな話、今はいらないからね

「にしても全然分かりません…」

何処に行けばいいかフィリップさんに聞いておくんだった、どうしよう こうしている間にもフィリップさんは戦ってくれているわけだし、その覚悟を無駄にしない為にも早く行動に移したいのに…

そんな気持ちが焦りを生んで、クルクルと首を回転させるようにあちこちを見回す

にしても凄い入り組んでいるな、この大工場内には道がないのか?と思えるほどに 生産用の魔力機構が並んでおり エリスはその隙間に体を入れて進んでいる状態だ

見た感じ、人もいなさそうだし…、無人で動くなんて凄い技術だ、ん?

「これは…」

ふと目の脇に移る物がある

袋パンパンに詰められた何かが動く床に乗せられてトンネルの奥へと進んでいくのだ、まるで何処かへ運ばれるように…、これ 外に出るのかな、これに乗れば外に出られるのかな

行ってみるか?…やばそうなら引き返せばいいし

「よいしょっと…」

手すりに身を乗り出し、動く床に身を乗り出そうと、体を持ち上げた その時だった

「そこではありませんよ」

「え!?あわわわっと!」

突如として響いた声に驚いて手摺から滑り落ちそうになる、いや いやいや そこではないって誰か言わなかった?、機能性?

右を見る、誰もいない 

左を見る、誰もいない

念のため上を見回す、誰も…居た

「え あ…その…」

「………………」

上 上だ、無数に折り重なる魔力機構の生産ライン、その枝葉のような構造の隙間から、エリスを見下ろす人間の姿が見えるのだ

白い髭 白い髪、手には仰々しい杖を持ち、その髭同様白いコートを着込む老夫…

師団長だ、帝国第十五師団  深淵魔導法団の団長…、又の名魔術王と呼ばれる魔術界の重鎮、ヴォルフガング・グローツラング その人だ

「っ……!」

思わず身構える、そうだ このプリドエル大工場はこの人の領域だった、たった一人でここにある魔力機構全てを動かすという超常現象じみた事をしているのがこの人なんだ

…師団長ということは彼もまたエリスを殺すつもりなのだろう、…しかし 参った

彼は師団長である上に、七魔賢でも最強格の男だとも聞く、七魔賢といえばグロリアーナさんやリリアーナ先生がいる魔術界の行方を定める七人の大魔術師達

リリアーナ先生曰く、七魔賢のメンバーの大半が第二段階に至っており、その中でもうち二人は第三段階に至っていると、誰が第三段階に至っているかは教えてくれなかったが 七魔賢最強の男である彼がそこに入っていないわけがない

つまりこの人は、将軍やタヴ達と同じ 第三段階到達者ということになる…、今ここでやりあって 勝負になるかも怪しい存在、迂闊だった この人あんまりにも影が薄すぎるからこの人と邂逅する という可能性を危険視していなかった

「…………」

傷はフィリップさんがエリスのポーションを使い治してくれた、けれど 体にはまだ疲労感が残っているし 魔力も消耗している、オマケにここでこの人と戦えばポーションの消費は必至、残り二本しかないそれをもう迂闊には使えない…

だって、この二本がなくなったら 回復手段を持ち合わせないエリスは…師匠という補給路を失ったエリスは、もう復活することができなくなるのだから

故に警戒する、もうさっきまで見たいな強行軍は出来ないのだから…、選択を誤るわけには…

「聞こえていたかな、そのコンベアの上に乗っても外には出られないよ」

「へ?…」

「それはこれから加工する小麦粉を乗せたコンベア、外に出た時 パンとして出たいのなら止めは致しませんが」

「あ…そ そうなんですね、忠告ありがとうございます」

止めてくれた?、というかこの人 エリスを襲ってくる気配が無いぞ?、それどころか何を考えているか全く読めない

エリスを見つめる目に光は無く、見ているようで何も見ておらず、何も見ていないようで全てを見ている、そんな不可思議極まり無い印象を与えるヴォルフガングの目はエリスを恐怖させるに足るものだ

「……あの、ヴォルフガングさん」

「はい、なんでしょうか」

「エリスを襲いに来たのですか?、皇帝陛下の邪魔をさせない為に」

「良い質問です、今この場において最も重要かつ明確にせねばならない事柄、ですので きっぱりと答えておきましょう」

フワリと浮かび上がるヴォルフガングはエリスの言葉に答えるように降下し、その目の前に 音もなく着地する、まるで厳格化何か見ているかのような非現実的な光景とヴォルフガングの態度に エリスの首が再び横に曲がる…

そんな不思議そうなエリスを見て、軽く ヴォルフガングは笑うと

「私はあなたの味方ですよ、エリス」

と…そう言うのだ、味方…味方か…ううん

「味方ですか…」

「信用出来ませんか」

「信用出来ないわけじゃありません…けど」

信用しないわけじゃ無い、信用出来ないわけじゃ無い、けど 信用出来る材料もまた無いのだ、だってエリスこの人のことよく知らないしさ、何より味方する理由がないだろう

味方してくれるならありがたいけど、やったー!味方だー!と背後を見せた瞬間ナイフでグサリ なんてのもあり得るのが今の状況、味方宣言してくれるヴォルフガングには悪いが、些か慎重にならせてもらう

「ふむ、聞いた通り 考えられる子のようだ、確かにこのような老いぼれが いきなり現れ味方だと言っても、痴呆を疑われても仕方ありませんね」

「別に年齢のことは今関係ありませんよ、ただ 貴方も師団長の一人、皇帝陛下の目指す真なる秩序に追従する存在のはず、謂わばエリスは敵ですよ」

「いいえ、敵ではありません、貴方もまたシリウスの打倒を目指す若き勇士、帝国とは目指すところが違うだけ…、ただ その過程でレグルス様を生かすか殺すかの違いです」

おお?…おお、なんか話が出来そうだぞ、その通りだ

エリスは別にシリウスの復活を望んでるわけじゃない 師匠を助けたいだけだ、けど帝国にしてみればレグルス師匠を助けるということはシリウスを助けることと同義と捉えられる

それをこの人は分けて考えてくれているのか、なんだか信用出来そうだぞ なんてエリスの寂しがり屋な部分が声を上げる

「…ほんとに味方なんですか?、いいんですか?他の師団長達に背いて、皇帝陛下の命令に背いて」

「私が受けている命令は『シリウス復活の障害となる存在の打倒』だけ、『魔女の弟子エリスを殺せ』とは一言も言われてません」

なんか屁理屈じゃないかそれ…

「私はただ、こちらの方が大局を見るならば良いと、判断しているだけです」

「こちら?…」

「ええ、魔女レグルスを殺すのでは無く、生かす事で シリウスの目的を打ち砕く、その方がね、それには 貴方が必要 というだけですよ」

するとヴォルフガングさんはくるりと髭とコートを翻し、杖を打ちながら何処かへと歩いて行き…

「ついて来なさい、急ぐ旅路であることは分かりますが、貴方が師を助けたいと望むなら、力を貸しましょう」

「本当ですか…!?」

「ええ」

正直言うと、今は藁にも縋りたい気持ちだ

この状況を打開する方法が全くない、このまま実力勝負と強硬手段に出ても、結果は同じだろう、師匠を確実に助けるには 今のエリスでは実力不足だ、なら 今ここで疑心に駆られる必要も意地を張る必要もない

ついて行こう、もしかしたらこうしてヴォルフガングさんと会話出来るのは、フィリップさんが足止めしてくれている今しかないかもしれない

「分かりました、師匠を助けられるならば」

「ふふ、君はよく考えられる子のようだ…」

杖をつき歩くヴォルフガングさんの横に着くように駆け出し、ゆっくりと進む老夫を眺めながら エリスは考える

しかし、この人 本当に得体が知れない人だな、聞いた話じゃ 将軍と同格の力を持ちながら戦闘には一切参加せず、かといって魔術師達を率いる立場にいながら師団の管理も一切しない、だと言うのに皇帝カノープスは彼を重用し好きにさせているのだ

それは彼が卓越した魔力操作の腕を持ち、この生産エリアの全ての設備を一人で動かせるから…、と言う理由以外にも あるような気がしてならない

「ふむ、少し近道をしましょうか」

するとヴォルフガングさんは指を軽く振るう、すると あちこちで無数に稼働していた魔力機構達がより一層強い鳴動し、激しい揺れと共に動き出し ヴォルフガングさんを相手に道を開け始める

…本当に、このプリドエル大工場は彼が支配しているんだな…、設備の配置すら 指先一つで変えられるなんて

そう言えば、この人はこの生産ラインを動かすために 普段はこのプリドエル大工場から外には出られないといっていたな、つまりここに閉じ込められているも同然だ、彼は それでもいいのかな

「あの、ヴォルフガングさん」

「なんですか?」

「ヴォルフガングさんって、こんなに凄い魔術師なのに 外に出たりしないんですか?、師団長として活躍すれば、あっという間に将軍にもなれそうなのに」

「ふむ、外に出る用事も出世欲もありませんので、それに ここで仕事をしている限り、彼女は私に魔術の研究を自由にさせてくれる、人も立ち寄らないし 趣味に没頭するには良い空間ですよ」

「没頭って、ここにどれくらい居るんですか?」

「齢を十代にして、今日この日まで ずっとここにいます」

気が狂いそうだな…、エリスなら狂ってるよ、もしかしたらこの人ももう狂ってるのかも…

なんて失礼な考えを察したのか、ヴォルフガングさんは歩みを進めながらエリスの顔をじっと見て

「私のことよりも、貴方は自分自身の事を心配した方がいい、貴方は今 人生で最も危うい時期にいるのですから」

「あ…すみません、そうですよね 帝国に喧嘩売ってるわけですし、呑気が過ぎました」

「そうではありません、貴方の人生に於ける最大の岐路に 貴方はいるということです、ここで選択を誤れば、貴方は多くのものを失い貴方の道は定まってしまう、これはとても大きなことなのです」

いまいち言ってることがよくわからない、ただ人生の岐路ってのは分かるよ、とどのつまりエリスはいるんだ 人生という長い長い迷路の中で今、分かれ道にいる

『師匠を助けた未来』と『助けられなかった未来』、二つに分かれる道のどちらに進むか 進めるか、それは全てエリスの選択と行動にかかってる、エリスは何が何でも前者を選びたい…だからこうして足掻いているんだ

「…エリスは師匠を助ける為にはどんなことでもしたいです、ヴォルフガングさんは知っているんですよね」

「ええ、我が目は遍く物を見通します…故に、心当たりはあります」

「なんですか?」

「それは…………」

そこでフリーズ、足を止めて口を開いてボーッと止まるヴォルフガングさんに思わずエリスも足を止め その顔を見る、え?何?え?それは…?なんなの?

寿命が来たとかじゃ無いよな、死んで無いよな…、うん 息してる、じゃあ一体

「……言えません」

「って言えないんです!?」

何!その溜め!、っていうか言えないって結局教えてくれないんじゃん!、期待して損したかも…

「言えば…貴方はきっと、もっと無茶をする、是が非でも 解決を急ぐ、それではきっとこの件は解決しない」

「エリスがですか?、…落ち着いて行動しろってんなら ちゃんと言われた通りにしますよ」

「そう言う問題ではありませんよ」

じゃあどう言う問題だよ、ただ ヴォルフガングさんが知る この件の解決法 と言う物を伝えると、どうやらエリスは是が非でも解決しようと張り切ってしまうらしい、一体どう言う内容の話なのかも分からないが 意地悪な話であることは分かる、期待させるだけさせて やっぱり言えませんは くれ騙しみたいなもんだ

なんてやや不貞腐れていると、ヴォルフガングさんが開けた道はとある空間へと出る

「んん?ここは…?」

明らかに そこだけが違った、製造を行う魔力機構達に囲まれたこのプリドエル大工場の内部はあちこちが金属に塗れている、あっちも鉄 こっちも鉄と生気のかけらもない油臭い場所だ

だが、エリスが彼に招かれてたどり着いたそこは、木材の扉で仕切られ 中には木の机や椅子 そして壁は暖かな木目が照る生活感溢れた空間へと出たのだ、まるで 工場の中に家があるようで…ってまさか

「ここがヴォルフガングさんの家ですか?」

「私の研究所です」

研究所って…、なんでこんなところに…、なんて思う間もなくヴォルフガングさんは白い髭を撫でながら研究所のソファに腰をかける

「あの、ヴォルフガングさん?」

「なんでしょうか」

「エリスは今 外で友達に命を賭けてもらって時間を作って頂いた身なんです、一刻の猶予も無い と言ってもいいくらい、余裕がありません」

「存じて居ます」

「エリスを助けてくれるつもりなのも有難いですし、魔術王の研究所に招いて頂いたの方光栄です、ですけど ここでゆっくりする暇はないんです、教えてくれることがないのなら 外へと出たいのですが」

「ふむ…」

エリスの辛い言葉にヴォルフガングさんは表情一つ変えず、蓄えた髭をモサモサと弄り、チラリ視線を移し

「外に出たいのなら、この研究所の隣にあるパンを運ぶコンベアに乗れば、魔女レグルス様とカノープス様が交戦するX地区の側に出ます、そこを経由すれば 直ぐに現場に駆けつけることが出来るでしょう」

「なら…!」

そう エリスが踵を返そうとした瞬間、鳴り響く 強い…強い音が、まるで木の机に何かを叩きつけたかのような強い音に、エリスは慌てて振り向く、するとそこには

「しかし、まだ機が熟していません、助けるのは至難の業でしょう」

ヴォルフガングさんの手元の机には大きな砂時計が置かれており、まるで砂が落ち切ってから迎えとでも言わんばかりだ

「砂時計…?」 

「助けたいのなら、機を待つべきかと」

大きな砂時計にはこれでもかってくらい砂が詰められている、だと言うのに下に落ちる為の道は砂つぶ一つ分くらいしかなく、こうしてひっくり返したと言うのに まるで落ちきる気配がない

…なんだこれ…、これを待つなんて悠長なことしてたらフィリップさんがせっかく作ってくれた時間が無駄になる

「あの、その砂時計 落ちるまでどれくらいかかりますか?」

「丁度丸一日は要するかと」

「そんな暇、ありませんよ…」

ひょっとしてこの人は なんのかんの上手くいってエリスはここに繫ぎ止める為の時間稼ぎをしようとしているんじゃないのか?、この砂時計が落ちきる前に ラインハルトさん達がここに駆けつけ、あの老夫はそれを見て舌を出す心算じゃないのか?

「…その砂時計が落ち切ったら、どうなるんですか?」

「機が熟します」

「機が熟すって、何が起こるんですか?」

「それは言えません、言えばどの道あなたは一人で向かってしまうでしょうから」

話にならない と言うのが正直な感想だろう、ただ何も聞かされずチビチビ落ちる砂を見つめている時間も 精神的な余裕も、エリスには無い

「すみません、あんまり信用出来ません」

「そうですか」

「…エリス、行きますね」

「ええ、行くのは構いませんよ…ただ、まだ機は熟さぬと」

ええい!またそれか!機ってなんだ!機が熟さないとなんだと言うのだ!、しかも別に止める気は全く無さそうだし…よく分からん

それに此の期に及んでも、教えてくれる気はないらしい、エリスが踵を返してもヴォルフガングさんは眉一つ首をコクリと縦に振る

「では、エリス これだけは伝えておきます」

「なんでしょうか…」

「もし、機が熟したと貴方が思ったその時は 今一度ここに立ち寄りなさい、その時は 正式に力を貸しましょう」

今はまだ力を貸すべきじゃ無いと言うのか、やはり彼には何か考えがあるのか、だが 直ぐそこに帝国軍が迫っている現状ではゆっくり考える時間もない

「分かりました、では 行ってきます」

「ええ、まぁ 貴方ならば自力で運命を手繰り寄せる事も出来ましょう、きっと 自らの答えを導き出す事もできましょう」

「はい、ありがとうございます…」

では また後ほどと語るヴォルフガングさんに頭を下げてエリスは駆け出す、ヴォルフガングさんの考えは分からないが、エリスのためを思ってやってくれた事なのかもしれないが、それでも今は 少しでも前に進んでいたいんだ


ヴォルフガングさんの研究所の外には彼が語ったようにパンを大量に運んでいるベルトコンベアが見える、その進行方向に目を凝らしてみると…、何やら空間が歪んで生まれた穴のようなものが見える、あれを使えば…

「…師匠、待っていてください!」

そう エリスは両頬を叩いて、パンの海にダイヴする、師匠が シリウスがいるであろうX地区へ向かう為、エリスはパンに紛れて空間転移魔力機構の中へと 飛び込んでいくのであった




「エリス…」

そうして、エリスが立ち去った後 ヴォルフガングは一人研究所で落ちる砂を見守り続ける、その瞳に意思らしき物は感じられず、ただただ役目に殉ずるようにその場から動かない

「ここでエリスが向かうのもまた運命か、だとすると未来は変わらないか…」

ふむと髭を撫でる、そして思考する、ヴォルフガングに出来ることは少ない ここで自分が思いのまま動くにはリスクが大き過ぎる、それに約束の件もあるが それ以上に彼自身も見極めたいのだ、エリスと言う人間と その未来を

「ふむ…」

するとヴォルフガングは手元の机の引き出しを漁り、中から一冊本を取り出しパラパラと中をめくり確認する、そこに書かれているのは…

『皇帝陛下が極大魔装『ヘレネ・クリュタイムネストラ』を用いてシリウスを魔女レグルスの肉体ごと消し去り、全てが徒労に終わる』

そう書かれているのだ、…さて カノープスがこの後どのような決断に出るのか、それだけが気掛かりだ

……………………………………………………………………………………

アガスティヤ帝国、それは世界一の技術と共に 世界一の領土を持つ国としても知られる

帝国を統べる皇帝カノープスの力により主要な都市は全て空に浮かび上がっており、この遥かな地平には平原と僅かな村々だけが延々と広がる

この国に魔獣は出ない 山賊だって出ない、ただただなだらかで ただただ平和なこの土地の一角で今宵魔女時代始まって以来激戦が繰り広げられているのだ


もうもうと上がる黒煙は星夜を染める

あれだけ緑が広がっていた平原はたった数時間で遍く全てが燎原と化し、黒く染まっている

戦場 そんな言葉さえ生温いほどに、荒れ果てた大地を敢えて呼ぶならば 地獄と口にする方が適切であろう

「ふぃー、壮観じゃのう」

そんな黒煙滾る地獄の中、まるで陽を浴びるタンポポのように天真爛漫な笑みで伸びをする影ぞあり、黒夜よりもなお黒い射干玉の髪と沸き立つ血のように赤い瞳を持つ魔女、人々が孤独の魔女レグルスと呼ぶ存在が似合わない下劣な笑みで地獄を闊歩する

…いいや違うな、彼女はレグルスではない、ややこしい話ではあるが レグルスであってレグルスに非ず、その内に存在する意思は今 彼女の姉にしてこの世の災禍の根源 原初の魔女シリウスに奪われているのだ

「空を灼き 地を燃やし 海を消す、魔術ってのはぶちかました後の被害がデカけりゃデカいほど気持ちがええもんじゃのう、のう お前もそうは思わんか?」

ギシシと笑うレグルス…いやシリウスは黒煙の向こうにいる相手に問いかける、この地獄を作り出す惨事の片棒を担いだ相手にして 今現在シリウスを相手取る存在

それは燎原を踏みしめ、黒煙を切り裂き シリウスの視線すらもへし折りながら皇帝のローブをはためかせ邁進する、その行く道こそが王道であるとばかりに 迷いなく、シリウスに向かって歩く

「我が領地を灼き 何をヌケヌケと、その似合わぬ笑みを今すぐやめるのだ、シリウス」

艶色の髪をたなびかせるは皇帝、見るだけで相手を圧倒する威容は無双、この地獄にありながら未だ傷もなく歩む姿は最強の魔女、この帝国 いや この世界における最強の存在、無双の魔女 皇帝カノープスがシリウスの問いかけに眉を顰め牙を剥く

シリウスとカノープス、史上最強の存在と全世界最強の存在の激突の舞台となったこのX地区に 再び激震が走る、ただ 両者が睨み合っただけで大地が震えたのだ

もうやめてくれと懇願するように震え、世界が怯えるほどに 彼女達の戦いは熾烈を極めていた

「おっかねぇのうカノープス、師が生き返ったのだぞ?、もう少し喜ばんかい」

はぁ とシリウスは頭を掻き毟る、漸く それこそ八千年の時をかけレグルスの心を弱らせ 萎えさせ、漸くこの体を奪うことが出来たというのに祝辞の一つも述べないとは不肖の弟子めとシリウスは再び笑う

シリウスは今 最も完全復活に近い場所にいる、他の魔女達を洗脳したり 体を奪ったりこそしたが、あんなもの物の試し、レグルスの体を奪う予行練習に過ぎないのだ

そして事実、その試みもあってレグルスの乗っ取りは非常にスームズに行った、最早我が復活は避けられん 、いい加減諦めろとカノープスには何度伝えても 奴はワシを殺すの一点張り 問答にもならぬとシリウスは半ば呆れ果てる

「お前は最早我が師でもなんでもない、貴様は死者だ もうこの世に必要のない存在だ、早々に死に失せろ」

「はあ~?ワシが死者なら生き汚く現世にしがみつくお主らはなんじゃ?生きる亡者か?、馬鹿馬鹿しいのう、ワシらは遠に人の領分を超え 世の摂理を逸しておる、だというのに未だに生だの死だのに囚われるか?、価値観が人間のままとは、さぞ永遠は行き辛かろうよカノープス」

「…喧しい」

「あっはっはー!反論出来んか?、お?お?悔しいのう悔しいのう、口で負けるとは悔しいのう!」

「レグルスの口で、我の愛する者の口で 顔で 体で!、下劣な言葉を口走るなと言っている!!」

カノープスが拳を横に振るう、ただそれだけで世界は歪み 刹那大地が砕ける、ありゃあ時空魔術を応用した攻撃法、世界の修正力を攻撃に転用した防御不可の打撃技じゃ

当たればワシでさえ『ぎゃひー!?』と悲鳴をあげてぶっ飛ばされること間違いなしの究極の一撃、まぁ当たってやらんがなとクルリとバク転し攻撃範囲から逃れる、ううん ワシってば最高

…しかし、カノープスめ 今詠唱しとらんかったな、これは師として叱ってやらねば

「おい、カノープス!お前…」

「『界天・阿毘羅雲拳』ッ!!」

刹那、着地しカノープスに向き直ったシリウス目掛け、カノープスが再び拳を突き出す、ただそれだけで世界が再び歪み出す、何もないはずの虚空が形を作り 巨大な拳が形成されこちらに飛んで…お、これ避けられ……

「ぎゃひー!?」

吹き飛ばされる、殴り飛ばされる、体は垂直に横に飛び 手足は投げ出され遠心力により二転三転し激痛と衝撃で思考が遮られる、ううむ久しい激痛 これが痛みよ、肉体がなければ味わえぬ感覚…!

「がもっ!?」

気がつけば我が体は遥か向こうに見えていたはずの山に突っ込み 、その体裁を砕き 瓦礫の中に埋もれる、痛いのう痛いのう!ワシってば痛いの…

「大っ嫌いじゃーっ!!」

全身に力を滾らせ 体の上に乗る山一つ分の瓦礫を吹き飛ばす、あんにゃろうボケコラカスコラ!話してる人間をこうも殴り飛ばすとは!いったいどんな風に育てられたのやら

まぁいい、もらった分は返さねばならんのう…!、全力の魔術で奴を吹き飛ばしてくれる!

「しぶといな、シリウス」

「んぉ?」

ふと、カノープス声が聞こえる、見れば我が背後にカノープスの姿がある、おお 時界門でここまで飛んできたか、なんの目印もなしにここまで的確な転移をするとはさすが我が弟子の中で最も…

「『天降八開手』」

「ぅごっ!?」

次の瞬間天より飛来する八つの光条が大地を砕き ワシの体ごと焼き尽くし滅ぼそうと炸裂する、一撃一撃が地形を変える程の威力で放たれるそれを見切れば背後へと飛びながら、歯噛みする…

「カノープス!貴様!キチンと詠唱せんかい!!」

降り注ぐ光の柱 それが生み出す滅びの中、飛び交うながら吠える、さっきの魔術も今の魔術もワシが作り出した魔術…故に当然詠唱もある、だと言うのにカノープスはさっきから魔術名一つ唱えるだけで事象を確定させてきおる

こやつめ、詠唱をせんのだ、必要とされる工程をすっ飛ばして結果だけを得てくる、折角詠唱考えたのに!ワシが!

「必要ない工程は省くに決まっているだろう」

「何が省くだ、貴様 一体幾つの魔術を貯蔵しておる!」

そうだ、奴のこの技には覚えがある…、必要とされる詠唱と言う名の工程を踏まず ノーモーションで魔術を発動させる術をカノープスは開発しておるのだ

その名も『貯蔵詠唱』、所謂特殊詠唱法に部類される技術、その中でも一段と特異な技術よ

何せ此奴は予め詠唱を済ませておき 発動する筈の魔術を待機状態にさせておく事ができるのだ

矢で例えるならば 詠唱は矢筒から矢を取り出し 弓に番える作業のことを言う、その工程を踏むことにより ただの投擲とは比べ物にならぬ威力と精度を生み出す事ができる、じゃがカノープスの貯蔵詠唱は弓に番えた矢を放たず体の中に残しておく事ができる

それを何度もな何度も行うことにより、いつでも発射できる状態にある魔術が複数用意出来る、あとは必要になったら矢を放つだけ、詠唱はその瞬間には必要ないと言う寸法じゃ

まさしく魔術を貯蔵する詠唱法、魔眼詠唱よりも尚高い技術力と才能を必要とする技術…、羨ましいのう ワシそれ出来んのじゃよな

「この八千年間 お前に使う為だけに溜めに溜め続けてきた、果てはない」

そう カノープスはこの八千年という時間 いずれシリウスが蘇ることを見越して、延々と詠唱を貯蔵し 貯蔵限界を開拓し 凡そ無限と言えるほどに、魔術を貯蔵していたのだ…、それもこれもすべてはこの時のため

この時の為 お前の為、その言葉を聞いたシリウスは一瞬キョトンとした後…ニタリと笑い

「我が復活を予期しておきながら、このザマか?カノープス」

「ッ……!!」

シリウスの言葉は カノープスにとって最も言われたくない言葉の一つであろう、復活を予期して八千年を過ごしておきながらそのザマか…と

「んん?だってそうじゃろう、ワシの復活を予見しておきながらやる事が迎撃?、ワシならそもそも如何なる戦力を用いてでも復活の芽を摘むのう、それお主さぁ 何故頑なに帝国の中だけで終わらせようとする?、お前だけで完結させようとする?、八千年も時間があったんじゃ 他の魔女達と共に世界規模でワシを陥れる事が出来たであろうに、それを何故せなんだ」

「……くっ」

カノープスの顔に刻まれる文字は忸怩の二文字、カノープスとてそこは理解していた、理解していたが 出来なかったのだ、それを見越したシリウスは責め立てるように舌を出す

「ワシが代わりに答えてやろうか、他の魔女と結託しなかった理由は一つ 他の魔女もまたワシの掌にあることを恐れて 仲間を信じられなかったから…」

仲間を信じられなかった、その通りだ…それでも数百年前までは他の魔女達と合同で行う七魔女会議にて連携は取っていた、だが その連携さえ打ち崩されたのは六十年前、シリウスの魔の手が他の魔女達にも伸び始めた頃だ

一人一人狂い本来の姿から変わっていく中 カノープスだけが正気を保ち続ける、かつて志高く世界の平和を誓い合った仲間達がシリウスの洗脳により暴虐の王へと変貌する中 カノープスだけが元のままでいた、愛すべきレグルスは隣にいないのに カノープスだけが世界の為に戦い続ける

…無理だろう そんなの、友が全員狂っていくのに自分に出来ることは何もなく ただ見ていることしか出来ない、そんな状況下でカノープスだって正気では居られなかった、カノープスはシリウスの洗脳魔術とは関係なしに狂気的な疑心暗鬼に陥っていたのだ

故に他の国と結託はせず 帝国の軍事力だけを飛躍的に上昇させ、最悪他の六つの魔女大国と戦争しても乗り切れるよう備えた、いつか仲間を殺すことを想定して彼女は自ら他の魔女大国との関係を絶ったのだ、それ故に 八人の魔女はその連携を失った

「ワシを殺す ではなく、お前はもうワシを殺す事でしか魂の安寧を得られないのだろう?、人を疑い 仲間を信じず 疑心の中で己の手だけで全てを終わらせようとする…、八千年前から変わったのうカノープス、お主 弱くなったよ」

「………………」

カノープスは静かに瞑目し、その動きを止める…一言一句違わずその通りだからだ

カノープスは仲間を信じられなくなった、シリウスの手の中にあり 救うすべがない仲間達を、レグルスは皆を元に戻したというが そのレグルスがシリウスの手の中にあり 意のままに行動していた事を考えると その情報もまた信用出来ない

…ああ、これだ、また我は疑っている、友達を レグルスを …頭の中でどれだけ信じたいと思えど、もう心が共を信じようとしない…

仲間を信じられず、たった一人でシリウスと相対する我は…八千年前から弱くなった事だろう、我は朋友達と共にあり 朋友達は我と共にあればなににも負けない、そんな大切なことさえ忘れた我は…

「あーはははは、滑稽滑稽!ワシを殺すために八千年準備を続けたぁ?たわけたわけ!、準備したもの以上に物を失ってどうするよ!」

「そうだな、…お前の言う通り、我は友を信じられなくなったとも、その結果お前に付け入る隙を与えたのだろう、だから…だからこそ」

だからこそ、友を信じきれず 何もなし得ることが出来なかった…その贖罪の為にも、シリウスだけはなんとしてでも この手で倒さなくてはならないと、その覚悟を秘めた顔を見てシリウスは自らの顎を撫で思考する

こうして、カノープスを煽り立てて分かったが やはりカノープスは今の状況になっても他の魔女達に助けを求める気はないようだ

それは 自分が事を招いてしまった責任感からか、或いはまだ他の魔女を信用しきれないからかは分からぬが、シリウスからしてみれば好都合、八人の魔女の強みは八人揃った時の連携よ、それがないなら楽勝じゃわい!?

「責任は 我が取る!」

「勝手に責任おっ被っとれ!どの道お主はここで終わりじゃからのう!」

完全復活前の準備運動じゃとシリウスは己の体に走る魔力を隆起させる、やはりレグルスの魔力はワシの魂によく馴染む、アンタレスよりもプロキオンよりも馴染む…勿論エリスよりも

「さぁてカノープス、ワシも本気出しちゃうからのう!、一生懸命頑張って 世界を守れよ!」

「無論だ…」

同調率は着実に増している、ベラベラ喋ったおかげでこの肉体はより一層ワシのものになった、今ならば 多少はマシに戦えるかとシリウスは深く腰を落とし構えを取ると

「ーーーーッッ!『魔弾流星運河』ッ!!」

レグルスの得意技 超高速詠唱にて魔術を成立させ、放つ魔術は流星群

我が周囲に無数の星光が煌めくと共にその全てが凡ゆる物体を貫く光線として威力を発揮する 星辰魔術の廉価版である銀河魔術を用いる

銀河魔術は星辰魔術の一部分、つまりワシが作り出した最強の魔術体系たる星辰魔術の威力と速度だけを限定的に取り出す魔術よ、星辰魔術のように特別な付与効果などはないが、純粋な威力と速度なら如何なる魔術よりも速く 如何なる魔術よりも強い

それを目の前でぶっ放したのだ、当然逃げ場なんぞあるわけがない、そんな物初手で潰したわ、回避は間に合わん あるのは防御のみ、魔術による防御が間に合うか見物じゃのう!

しかし、ここで一つ シリウスは致命的な見落としをしていた

「『停刻』」

「ほ?」

あ やべ、それ忘れとっ──────……………………







…………………………─────────たわぁっ!?

「ぐふぅっ!?」

刹那、目の前にいたはずのカノープスの姿が消え、突如として真横から伸びてきた足に蹴り飛ばされ地面を転がる

カノープスだ、避ける隙間も隙も無いはずの弾幕を回避し蹴り飛ばしたのだ、そうじゃ カノープスには完全なる時間停止という切り札があった

シリウスの致命的な見落とし、それは『乖離』だ

「この!、ーーーーッッ!『昇り流星破衝』!」

「『停刻』」

受け身を取るなり地面を払うように魔術を放つも、やはり──────

─────………………カノープス姿が消える、次の瞬間には魔術を通り抜け我が眼前に…

「がはぁっ!?」

飛んでくる衝撃にこのワシが対応することも出来ずに無様に地面を転がる、くそ 時間停止に対応が出来ん!と目をグルグル回して唇を震わせる

そう、本来のシリウスならば演じるはずのない失態と無様、彼女が生まれてよりこの方 一度たりとも観せることはなかった窮地を今、見せている

その理由は乖離にある、意識と体の乖離

「ちょ ちょっとやめんかカノープス、時間止めるヤツ、それナシしよう」

「断る、『停刻』」

吹き飛ばされたワシの体を前に再び時が─────………………

────────………………止ま 

「ぐぅっ!?」

振り下ろされたカノープスの足がシリウスを地面に叩きつけ、燎原が隆起し 体が陥没し大地に縫い付ける、逃げ場を失ったシリウスは呻き声をあげながらもジタバタと無意味な抵抗を繰り返す

確かにシリウスはカノープスを上回る存在だろう そこは間違いない

確かにレグルスの力は或いはカノープスにも対抗し得るものだろう

だが、そこにシリウスの誤算が生まれた、レグルスの肉体をワシが操れば カノープスくらいなんとかなるだろうと安い目算をしてしまった

この話を極小化し、チンピラレベルの話に落とし込めば 或いはなんとかなったかもしれない、だが 今ここで相対している二人は世界最強の名を欲しいままにする頂上の戦いなのだ

そこでは凡ゆる物が要求される、魔力の強さや腕力の強さだけで勝敗を決する段階ではない、行動の合理化 及び原理に基づいた思考と行動、そして経験と直感が過剰に要求される、そこで差が生まれるのだ

当たり前の話だがカノープスはカノープスという人物を八千年続けている、途中で他の誰になったことはない、故に自分の事は誰よりも分かっている、魔力の動かし方 筋肉の運用法 咄嗟の判断、全て八千年の間に体に馴染み 思考もなく至高の結果を叩き出すことができる

対してシリウスはレグルスになって五~六時間、いくら完全に乗っ取ったとは言え いくらシリウスとレグルスの体が同一でも、他人の体は他人の体、シリウスとレグルスでは出来ることに大幅に違いがある 

しかも半端に体が馴染むからとシリウスはレグルスの肉体と己の魂に軋轢が生まれている事に気がつけない、いつもの調子で戦おうとしてしまう そこにどうしようもない齟齬が生まれているのに気が付きもせずに

故に、差が出来ているのだ、シリウスとレグルスの魂と肉体が乖離しているからこそ 差が生まれて、誤算が生じて それがこの結果だ

「最早我は迷わん、愛すべき伴侶の肉体であれ かつての師であれ、我は迷わず破壊する」

「チッ…」

グリグリとワシの頭を踏み躪るカノープスの足が、このワシに恥辱と屈辱を味あわせる、カノープスめ…おのれ…おのれ!

されど、どれだけ悔しく思えど抜け出せない、これがレグルスであったなら 自らの手札を的確に用いて拘束から抜け出しただろう、というかそもそもこんな状況に持って行かれる事はない

「その足を退けんか、カノープス」

「断る、と言っている 『界放之一滴』」

眼下のシリウスに向け、カノープスは指を指し 垂らす、指先を這う雨垂れの如き一滴は 重量に従い ポツリと一つ空へと躍り出る

なんのことはない一滴、されどその内に秘められたのはカノープスの魔力とその真髄、黄金に輝く水滴は惹かれるようにレグルス…いやシリウスの額目掛け震えながら落ちてくる

「ちょっ!おま…!!」

そんななんてことのない水滴が 自らの頭の上に落ちてくるのを見たシリウスは…顔を青くし身を捩り逃げようと足掻く、あのシリウスが恐れる水滴が 自然の摂理のままに…今、落ちて


刹那、全てが光に染まる



「ぐぉぉおおぁぁぁあああああ!?!?!?」

吠える、シリウスは全霊で吠えて耐える、今全身を苛む激痛に殺されぬように、全身を包む衝撃に消されないように

見えない、あまりの光に何も見えない

聞こえない、あまりの衝撃に何も聞こえない

音と光に支配された世界シリウスから何もかもを奪い立て、その命までも奪い去ろうと荒れ狂う

 
時空魔術  奥義『界放之一滴』、自らの魔力を水滴の一つにまで凝縮させ放つ極大魔術の一つである、内容だけ見れば単純な魔力爆発だ、問題はその爆発が周辺の空間を吹き飛ばしながら発生することにある…

対象との距離、間に存在する空気などの抵抗、対象が纏う魔力防壁 及び魔術防御など、威力減衰に繋がる要因全てを押し退け 零距離よりもなお近くで極大の魔力爆発を発生させる奥義の中の秘奥、辺り一面の地形全てを消し飛ばすのと引き換えに敵性存在に甚大な被害を与えるそれは、シリウスでさえ恐怖させる程の力を秘める

「ぐぅぅうぅううう!?!?」

シリウスは懸命に防御をしただろう、腕をクロスさせ歯を食いしばり必至に魔力を押し出し壁を作ろうとしただろう この魔力の爆発からほんの少しでも逃れようとしただろう

だが無意味だ、空間が押し飛ばされている以上 爆心地とシリウスの肉体は同一座標として扱われる、体の中で爆発しているにも等しいのだ、なのに外に向けて防壁を作っても無意味

シリウスだって分かってる、この魔術を作ったの自分だ、そして後悔する、この魔術を作ったこととこの魔術に対するカウンターを用意していなかったことを、一度発動すれば防御不可 一切の威力減衰が発生しない魔力爆発をその身に受けることになるのだ



そして、激閃が止み 轟音が静まる頃、戦場となった燎原は いや燎原だった筈の地点には何もなくなっていた

綺麗に地表だけが巨大なスプーンっ抉られたようにポッカリと円状に空いた地面のど真ん中に唯一変わらず立ち続ける皇帝は、腕を組みながら眼下に目を向ける

「ほう、まだ生きているか、相も変わらずしぶといものよ」

「ぜぇ…ぜぇ…」

全身に傷を作り、満身創痍の容態で大の字で横わるシリウスは懸命に呼吸を繰り返す、マジで死ぬ それほどにダメージを負ってしまった、だが だが

生きている、流石はワシ ゴキちゃん並みにしぶといのう

「く…ぅ、死ぬ…ぅ」

「だろうな、そして未だ危機は去っていないぞシリウス、我は貴様が死ぬまで 攻撃を終わらせるつもりはない、早々に死ね」

んー、ヤバいのう そうシリウスは呼吸を繰り返しながら思考を巡らせる

カノープスが強いのは知っておった、ワシの弟子達の中で最強じゃからのう、アルクもフォーマルハウトも レグルスでさえも、ともするとナヴァグラハやトミテでさえカノープスには敵わない、この世で此奴に単騎で勝てるのは恐らくはワシだけじゃ

じゃが当のワシも今はレグルスの器に込められている状態、万全とは言い難い…、レグルスの実力は凡そカノープスの三分の一程度、そしてワシは今レグルスの力をフルで引き出せない状態にある、いくらやっても地力で負けるか

……レグルスは治癒魔術が使えん、代わりに魔術薬学に精通しているが今からポーションを作る暇はない、故にこの傷は癒せんし…ううむ、参ったぞ、これは本気でまずい、なんとかなると思ったが 完全復活を前にハイになってしまったか

うーむ、どうする 捨てるか?、レグルスの体を…、別に復活の手はこれだけではないし、しかし レグルスの体を使うのが一番手っ取り早いし、しかしこのままじゃワシはカノープスに殺されるし…ええい!


………………………………………………………………



「さぁ、これで終わりだ シリウス」

そしてカノープスはワシに向けて手をかざす、カノープスの極大魔術を受け虫の息のシリウスに向け、今 引導を…

「っ…うう、か カノープス」

渡そうとした瞬間、シリウスが…いや レグルスが口を開く

「な なんだ」

掠れる声でカノープスの名を呼ぶ、ぐったりとあからさまに死に体になりながら 震える手でカノープスの方に手を伸ばせば、カノープスは明らかに動揺して…

「わ 私は、なにを…私はどうしてしまったんだ、カノープス…」

「…まさか、レグルス…?レグルスなのか…!?」

「ああ…、そうか 私は、シリウスに体を奪われているのだな…」

レグルスの意識が覚醒したのか、シリウスの気配は消え去りかつての友を思わせる風格を漂わせる、何故シリウスの意識が消えたかは分からない、ダメージの深さ故に魔術を保てなくなったか、或いは窮地と見て一人そそくさと手を引いたか…、どちらにせよレグルスの意識は戻ったようだ

すると、動かない体を見て状況を察したレグルスは薄く笑い、涙をため 覚悟を決めるように目を閉じる

「カノープス、頼む 私を殺してくれ…」

「な 何を言って…」

「お前も最初からそのつもりだったんだろう…、なら迷うな 頼む…殺してくれ、再びシリウスによって体を奪われる前に…頼む」

「っ……」

カノープスはかざした手を引っ込める、レグルスの言葉を前に手を引く己を見て カノープスは歯を噛みしめる、そうだ 先程シリウスに言われた通りだ、カノープスにレグルスは殺せない、いくら覚悟を決めても その瞬間が来れば躊躇する

それを身に染みて理解する、己の迷い故に レグルスにこんな事を言わせている自分に呆れ果てる、なんと…なんと愚かなのだと

「分かった…分かったぞ、友よ…」

「だ だが、…カノープス その前に一度、私を抱きしめては貰えないか…、幽世へ旅立つ前に 愛するお前の抱擁を…得ておきたいんだ」

フッ といつものようにクールに笑いながらカノープスに抱擁を懇願するレグルスは、己の死を悟り、両手を広げるのだ

「…分かった」

カノープスは目を伏せ、レグルスを抱きかかえる、レグルスは危険な存在だ、シリウスを危険な存在だ、たとえ意識が戻ってもレグルスが生きる限り シリウスが復活する可能性は拭えない、だから 例えどれだけ愛そうとも殺さなくてはならない

だが、どれだけ殺さなくてはいけなくても、愛しているんだ どうしようもないほどに…、故に 彼女の温もりを忘れないように カノープスはゆっくりとレグルスの体を抱きしめるのだ

「ああ、カノープス…」

「なんだ…我が無二の親友よ」

「一つ、言いたいことがある」

遺言か、カノープスは静かに返事もなく彼女の口元に耳を当てる、何を言うつもりかは分からないが…

恨み言なら受け止めよう

愛の言葉なら嚙みしめよう

何かを残したいと言うなら叶え、何かを成したいと言うのなら全霊で応えよう、それが友の命を奪う愚帝に出来る唯一の事なのだから

すると、レグルスは小さく小さく口を開き…

「っ…っ…っっ……」

ボソボソと何かを囁き始めた、最早喋る力もないのか 吐息と変わらぬ程の言葉を前に、カノープスは眉を顰め

「レグルス、すまん…もう少し大きな声で言ってはくれまいか」

いや聞こえない、普通に聞こえない ボソボソと喋るだけのレグルスの言葉を聞き取ることができない、辛いのは分かるがもう少し聞こえるように言ってくれ、もしかしたらこれが最後の言葉になるかもしれないのだから

それでも一向に大きくならぬレグルスの声に、カノープスは出来る限り集中して、その吐息の内容を聞き分ける、すると



「…っ…っ『斂葬・吸魔劫殺』」

「っんなっ!?」

詠唱だ…

力なく倒れ 抱きかかえられる筈のレグルスの腕に力が篭り、咄嗟に引き離そうとするカノープスの体を捉えて離さない、あまりの出来事に歯噛みするカノープスは見る

先程まで、レグルスだったそれが 再び下劣に笑う様を

「貴様…!シリウス!」

「バッッッカじゃのう!、こんな軽い演技に騙されるとはのう!!それとも愛情故か?友情故か?なら尚更愚かと言わざるをえんわ!」

「ぐっ!」

演技 演技 演技、その言葉がカノープスの中で反芻する 

なんと愚かなのか、目の前に餌をぶら下げられた馬のように レグルスという存在に引き寄せられた己の間抜けさに怒りを覚えると共に、カノープスの中で異常が発生する

「っ…!」

魔力が抜けていくのだ、体の中にあり魔力が カノープスが保有する絶大な魔力が、ゴッソリと半分程持っていかれる

古式吸魂魔術だ、現代では第一級禁忌魔術に部類されるそれは、相手の体内の魂を抉り 魔力と生命力を奪う最悪の魔術

相手に密着せねば使用出来ないという条件さえ満たせば、相手を消耗させ 己の力を取り戻すことが出来る破格の力を持つ、それを 使われたのだ

「離…れんか!」

「おお、お望み通り 貰うもん貰ったからのう」

くるりとバク転しカノープスから離れるシリウスは再び大地に立ち、対するカノープスは膝をつく、予想以上に魔力を持っていかれた衝撃で 体に力が入らない

「…カノープスよ、やはりお前 未だにレグルスを殺すことを躊躇しておるな」

「…………」

シリウスの言葉にカノープスは目を背ける、躊躇…か

「お前は何度もレグルスを殺す機会に恵まれながらもそのチャンスを全て棒に振ってきた、さっきの魔術だって 本来の威力なら我が肉体は遠に消滅していた筈、じゃが ワシは生き残った、何故か?それはお主が無意識ながらに手を抜いたから…じゃろ?んん?」

「…………」

「さっきの魔術だけではない、レグルスがこの国を訪れた時だって お前はそこでレグルスを殺すつもりじゃった、じゃから側に軍を侍らせていたんじゃろう?、いいやそれだけではない レグルスの居場所を知りながらも手を出さなかったのはお前自身が何よりも迷っていたからじゃ」

シリウスは誰よりも魔術に精通した人物である、魔術の全ては彼女に通ずる、故にカノープスの放つ魔術も全て論理的に受け止め数値化させる事が出来るのだ

カノープスの残存魔力を元にして 魔術技量に魔術単体が持つ絶対値を足して導き出される魔術威力値とでも言おう値を計算してみるとどうだ?、先程発生した魔術の影響力と計算結果が明らかに違う、これはどういうことか…

そう それはまさしくカノープスが先程の魔術 『界放之一滴』を本気で行使していなかった事に他ならない、バレてしまったのだ カノープスが今だにレグルスを殺す決心をつけていないことが

故にそこに漬け込んだ、それだけの話だったのだ

「カノープス…お前さぁ、半端にも程があるぞ」

するとシリウスは髪をグシグシと掻き乱し 掻き上げカノープスを見下ろす、その様はまるで在りし日の師の姿のようで、まだこんな顔が出来たのかとカノープスは目を伏せる

「やると決めたならば心を鉄にして実行すべし、それはワシがかつてお前に説うた教えであろう?、忘れたか」

「忘れてなど…」

「ならば何故実行出来ん、ここぞという場面でワシがレグルスの体と顔を利用しないと何故想像できんのか、最期の最期で奇跡が起こって愛する者とハグが出来ると本気で信じていたのか?、『凄い何か』が起こって全てが万事解決すると本気で思うておるのか?」

刹那 シリウスの足がブレてカノープスの体を蹴り飛ばす、魔力を奪い それを力に変えたか、その威力は凄まじく カノープスは呻き声を上げ、その身に土をつける

「くぅ…」

「くだらん、あまりにくだらん思考回路じゃ、悲しくなるぞカノープス お前はワシの弟子の中でも最強じゃろう、そんなお前がそのザマでは 師匠たるワシの格が落ちるというものよ」

今度はシリウスがカノープスの体の上に足を置く、足を置いて踏みつけ、踏みつけ見下ろし、見下ろした目を上弦の月が如き歪ませ笑う

「良いかカノープス、奇跡は起こらん 起こらんから人は行動するのだ、何もせず解決するならば 人類は手足を得ず 木のように黙して生きている事じゃろうて、故にワシは足掻く 足掻いて今この地立った…、じゃというのにお前、そのお相手が半端な覚悟で奇跡と幻想を信じる馬鹿者とは ワシってば泣けてくるぞい、にょほほ」

「貴様……」

奇跡は起こらない、行動なくして結果は無い、故に行動を放棄したカノープスが望む結果はどうやっても得られないのだと説く

カノープスは後手に回り続けた、半端な覚悟と半端な友情でレグルスを苦しめた、結果としてこんな状況になっているのだ、それを痛感すると共に 理解する

シリウスの言っていることは正しい、その通りだ…我はレグルスを殺せない、殺せない

本当は レグルスが謁見の間に姿を見せた時点で、殺害するつもりだった、だが いざ顔を見たら愛しくて愛しくてたまらなくなって、その手を取ってしまった

それから半年、我はずっと悩み続けた なんとか出来まいかと、我と共に束の間を過ごすレグルスの姿を見れば見るほど思考は混迷し 答えが出せずにいたんだ

もしかしたら、助けられるかもしれない、レグルスを死なせずに済むかもしれない、…そんな愛故の迷いが この結果を生んだ

だが、今ようやく 決心がついた、シリウスの言葉で 迷いを捨てられた

甘いから良く無いのだ、レグルスを望むから良く無いのだ

確かにレグルスの事は愛しているが、今ばかりは この愛を捨てよう

「分かった 理解した、貴様の言う通りだ」

「うむうむ、分かったならよろしい、お前は昔から聞き分けが良いからのう…ん?、いや そうでも無いのう、別に聞き分けよく無かったよなお前、お?」

首を傾げるシリウスの足首を掴み…、閉じた目を 開く、物理的にも精神的にも

カノープスは今、決意と言う名の瞳を開いた


「ぐぉっ!?お前!?まだそんなに元気なんかい!」

叩きつける、腕の力だけでシリウスを地面に叩きつけ大地を砕くと共にその勢いを利用し空を舞い立ち上がるカノープスは腕を組み シリウスの言葉を無視して、号令をかける

この半年間、いいや この八千年間 ずっと口に出来なかった言葉を口にし、実行に移せなかったそれを行い、捨てられなかった レグルスへの一抹の情けと愛を今捨てる

「三将軍ッッッ!!」

「こちらに…」

カノープスの言葉に答えるように虚空より現れるは三人の将軍、豪奢な漆黒のコートをはためかせるその者達は…

「アーデルトラウト、ゴッドローブ、ルードヴィヒ…、一時任せる」

「御意」

黒金の槍を携えた万事穿通の将、深蒼の眼光を輝かせるのはアーデルトラウト・クエレブレ

白銀の巨剣を軽々と片手で持ち上げる万断剛剣の将、天を衝く巨人 ゴッドローブ・ガルグイユ

そして、龍の如き面構えの眼帯が威圧を放つ万能全知の将、人類最強の呼び声高きルードヴィヒ・リンドヴルムの三人が 皇帝の号令を待っていたかのようにシリウスの前に立ち塞がるのだ

「おおん?、今更他の人間が混じってワシの相手が出来るとは思えんがぁ、それに 此の期に及んで人任せとは…」

「吐かせ、これらは貴様を殺す為我が育て上げた駒…劣りはせん、それに 人任せにはせんさ、我もまた戦う…今度は本気でな」

「では、陛下 例のアレを?」

ルードヴィヒはチラリと背後のカノープスに問いかける、伺うのでは無い 問いかけるのだ

それで、問題ないのだな?と皇帝に対して不遜にも問いかける、まるで我が迷いを見透かしているかのように、相変わらず お前はそこが知れんなルードヴィヒ

だが安心しろ、構わん 我はレグルスを殺す

「ああ、使う…我が臨界魔力覚醒を」

削られた魔力を隆起させ 大地を揺らすと共に、カノープスは更に目を尖らせる、使うのだ 今ここで臨界魔力覚醒を

魔女達の盟約により使うことを自ら禁じた力、世界を捻じ曲げる神の力を、そして もう一つ

「そして、大帝魔装 『ヘレネ・クリュタイムネストラ』を起動させる、ここで終わらせるぞ 、大いなる厄災を!」

使う、魔女の切り札である臨界魔力覚醒 そして、皇帝専用極大魔装…別名対天狼最終決戦兵器『ヘレネ・クリュタイムネストラ』を、この二つを用いて 厄災を終わらせ

レグルスの命を断つ

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