孤独の魔女と独りの少女

徒然ナルモ

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八章 無双の魔女カノープス・後編

外伝.人魚の見た夢の先へ

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これは、エリス達がオライオンに旅立つ前の日、色々あった時の事のお話です、まぁと言っても忙しかったのはエリスとナリアさんとメグさんの三人だけではありますがね…

それでもみんな、決戦に赴く前にやっておくべきことをやってたりやってなかったり…、それそれ自由に帝国での1日を過ごしていたのです

…………………………………………………………


世界一の大国アガスティヤにはかつて世界一と呼ばれた料理人がいた

名を鉄人料理人 ブルーノ・シルキー、第六師団の団長と共に宮殿の給仕長も務める人物だ

宮殿の給仕長を務める ということは即ち皇帝陛下が食する物を責任もって仕上げる立場にいるということでもある

魔女であり 世界一の大国の絶対皇帝が口にするものを自らの手で作る、その重圧は凄まじく かつての給仕長の中にはその重圧に耐えかね料理中に泡を吹いて倒れた物も居るという

しかし、ブルーノは違った、彼は重圧など感じず ある日ポッと思いついたアイデアをこうていの食事で試し その舌を驚かせ楽しませるなんて大それた真似もして見せる、他の料理人では怖くて出来ないような真似だってブルーノは出来る 

何故なら彼は自らの腕と『世界一の料理人』という肩書きに絶対的な自信を持っているから、世界一の皇帝陛下に相応しいのはこの世界一の料理人ブルーノであると胸を張って言えるから

…けど、それも少し前までの話、ある日 ブルーノが視察でコルスコルピを訪れた時のことだ、そこで料理大国にて一番と称される女コックの料理を食べたんだ

曰くコルスコルピ建国以来の天才と呼ばれているとかなんとか聞いて ブルーノはさぞ傲慢で驕り高ぶる女なのだろうと思ったのだ、才能と感性だけでその地位を得たのだろうが 世界で戦うにはそれだけでは足りないのだ

どれ一つこの世界一の料理人がその味を見て その女コックを試してやろう、とその女コックの元を尋ね 軽い料理を一つ作らせ、軽く 口に入れたんだ

その瞬間彼は世界一の料理人では無くなった、女コックの作り出す味…いやあれはもう世界だ、幻想的な世界の前にブルーノは思わず膝をついた 膝をついて美味に酔いしれ序でに勢いで世界一の称号も女コックにあげてしまった

いや、だが確かなのはブルーノはこの女コックに出会った以もう胸を張って世界一とは名乗れなくなったことだ、それだけ女の腕は凄まじかった、才能と感性で驕り高ぶっていたのは私の方だと思い知らされたしまったんだ

圧倒的だった、鮮烈だった、その女コック…タリアテッレの姿は今もブルーノの脳裏に焼き付いている

その時の味を今も超えようと努力を積んでいるのに まるで追いつける気がしない…、このままではブルーノは宮殿の給仕長を務められる気がしない、皇帝陛下の口に物を入れられる気がしない

世界二の料理人では…ダメなんだ、ダメなんだ…ダメなんだ…

「ダメなんだ!!!」

「分かったよ!、食えばいいんだろ!食えば!」

宮殿に木霊するブルーノの声に辟易しながら嫌そうに応える青年の顔が、更に嫌そうに歪む

彼の名はアマルト、アマルト・アリスタルコスだ

コルスコルピに於ける名家の子息であり あの探求の魔女アンタレス様の弟子で、先日何やら問題を起こしたそうだが別にそんなことはどうでもよかった

問題は彼があのタリアテッレと義理の姉弟のような関係でその調理技術の指南を受けてきた、謂わば料理人としてタリアテッレに育てられた男だということ

タリアテッレの教え子は世界中に居る

有名なのはデルセクトのアビゲイル、大海にはマリナ、アジメクの給仕長もタリアテッレの教え子だと聞いたことがある…だが、全員会うのは難しい 全員立場があるし マリナに至ってはその尻尾を捉えるのも難しい

だが、そんな中 タリアテッレの教え子が自らの足元に転がってきたのだ ブルーノとしての逃す手立てはないと大急ぎで暇そうにメグの家でお菓子作ってたアマルトを拘束して宮殿のキッチンに引きずり込み 自らの料理を食べて欲しい旨を真摯に伝えたのだ

結果、快く引き受けてくれたようで嬉しい とブルーノは満面の笑みで笑う

「…はぁ、面倒クセェ…」

対するアマルトは宮殿のキッチンにいきなり引き摺り込まれ 辟易としながらその辺の椅子にもたれるように座り込む

今日はエリスとナリアが帰ってきた後 慰める意味合いも込めて菓子の一つでも作っておいてやろうと思ったら いきなり第六師団を名乗る連中がメグの屋敷に突っ込んできて、あれよあれよという間にこの有様だ

何?タリアテッレに負けた世界二番目の料理人さん?皇帝陛下の食事番を担当する自信を取り戻したいから タリアテッレを超えられたかどうか俺にジャッジして欲しい?

どうでもいいわ お前の事情なんて、俺関係ねぇだろうが、巻き込むなよな…

けどこいつの剣幕があんまりにもアレなもんで、つい引き受けちまった、まぁ 軽く味見して二、三言置いていけばこいつも納得するだろう

「少し待っていてくれ、腕によりをかけてフルコースを作るから」

「いやどんだけ食わせるんだよ、一皿だけでいいよ、味を見るだけだろ?」

「それもそうだな、では待っていろ」

そう言いながらこの宮殿の給仕長ブルーノは包丁片手に調理を始める

そこからか…これは時間がかかりそうだとアマルトは暇潰しにがてらにその辺に置かれていたリンゴをシャクシャクと食べながらキッチンの中を見て回る

(それにしていい設備だよな…)

帝国のキッチンは世界一 これは断言出来る、ボタンを押しただけで火が出る台 食材の鮮度を保つ保冷庫料理の味を保つ保温庫、あったらいいなが全部ある そんな夢のようなキッチンだ

メグの屋敷で料理してる時もあまりの便利さについ作り過ぎてしまう程だ…、なんかこう…一個か二個貰えないかな

(しかし…)

だが チラリと見るのはブルーノの手元だ、流石はタリアテッレに比類する料理人、手際はアマルトの数倍はいい、アレは経験と鍛錬 あと天性のセンスが伺える

けど、妙に手が震えている気がする、多分アレは緊張だ…、世界最高クラスの料理人が一品仕上げるだけで緊張で手が震えるって?、こりゃあ相当タリアに負けた件が尾を引いてるな

これじゃあ皇帝が口にする料理の中にこいつの指が紛れ込むのは時間の問題だなこりゃ

(まるで新人料理人みたいな手つきだ、これだから料理人って生き物は…)

繊細すぎるんだよ、一途過ぎるんだよ、腕に対して 味に対して 、持ち得る感性が…

「なぁアマルト君」

「はいはい?」

「タリアテッレは元気かな?また腕を上げたかな」

調理から気を抜かず ブルーノが問う タリアは元気かと、まぁ

「まぁ元気ですよ、アイツ生まれてこの方風邪とか引いた事ないですし」

「それは良かった、私は忙しくてここを離れられないから、本当なら毎日のようにタリアテッレの元を尋ねて 世界一の座をかけて勝負したいんだがねぇ」

ブルーノがタリアにあったのはもうかなり前だ、あの頃からタリアテッレも成長している、変化している、本当ならブルーノもタリアに会って 切磋琢磨したいんだろうが…残念ながら魔女も三食食いたいからな 給仕長たる彼がここを離れるわけにはいかないんだろう

「タリアテッレはどれだけ腕を上げているのか、どれだけ進んだのか、計り知れないが 私は必ず彼女を超えてみせる」

そう 真っ直ぐ語るブルーノの目は なんとも真っ直ぐな物に見える、こいつ…タリアテッレ大好き過ぎるだろ

(まぁ、そう言う熱いライバル的なのは 俺のいないところでやってくれやぁっしやせんかねぇ)

巻き込まれる身としては面倒以外何物でもないんだが…、なんて あまりの面倒さに眠気を感じ、ちょうどいいやとアマルトはうたた寝に興じる……






「アマルト君っ!」

「ぅぎゃっ!?な 何?」

「出来たよ!」

目を閉じて意識を微睡みに放り込んだ瞬間 ブルーノに叩き起こされ動転する、いやもう少し寝かせろよと思いもしたが、手元に置いてあったリンゴの芯がやや酸化しているのを見るに どうやら俺は結構寝ていたようだ…

「さぁどうぞ、私の逸品だ」

「自分で言うか?それ…」

さぁどうぞとブルーノが作って見せたのはアツアツのラザニアだ、まぁ結構ガッツリ作ったな…ってか

「コルスコルピの文化に合わせたのか?」

「まぁね、君たち好きだろ?チーズとかトマト」

喧嘩売っとんのか、まぁ好きだけど…、ラザニアは確かガニメデが好きだったな、前作ってやった時には『美味しいよ!美味しいよ!アマルト君!』つってあまりの大声にワイングラスが割れたんだったな、懐かしい

「もしかして嫌いだったかい?、よかったら好きなもの聞かせてくれるかな?」

「いや普通に好物だよ、ボロネーゼソースだろ?」

「おやそうだったかい、それは良かった」  

まぁ、だからうるせぇんだけどな と言う言葉を口の中に含み、フォーク片手にラザニアの一切りをぶっ刺し口に放り込む

熱い、まぁ熱い 何せ焼き立てだしな、口の中がグツグツいってら、けど美味い、そんじょそこらのラザーニャよりも数段うまい、けど…

「どうだい?タリアテッレは超えたかな!」

「いや全然?、焼き加減も数十秒単位で長いしベシャメルソースも作り方が粗い、後 ボロネーゼも下手にニンニク臭い」

「な…そんなわけ!」

「なら食えよ」

もう一つフォークでぶっ刺しブルーノの口に打ち込めば

「あっっつっっっ!?」

「分かるか?」

「……確かに、なんだこの下手な料理…私がこんなものを…?、そう言えば味見もしてない…」

おかしい 何かがおかしいと口元に手を当てて脂汗を流すブルーノの疑問は確かなものだ、これは明らかにブルーノの技量に見合わない低俗な料理だ

俺だっておかしいと思うよ、ブルーノの腕前なら こんな物作らない、けど作ってしまった、それは覆らない、少なくとも客の前に出した以上な

「どう言うことだ…どう言うことなんだアマルト君!」

「知らねぇよ!、…けどさ、アンタ これ作ってる時 何を考えてた?」

「え?…いや普通に手順を…」

「タリアテッレの事だろ?どうせ」

「うっ…」

チラリとその目を見れば 更にブルーノの汗が増す、タリアテッレの事を考えていたんだ 単純なことさ

結局料理ってのは目的ではなく手段でしかない、誰かが食べて完成するとはタリアもよく言ってる、けど 今日これを食べるのは俺だろう?

なのにブルーノはここにいない誰かを思い浮かべて作った、それは間違いなく集中を欠くに至る要因になっただろう、だから こんなズブのシロートがするようなヘマやらかしたのさ

「まぁ!どんな一流も 女に現抜かしてちゃ腕も腐らぁな」

「くっ…こんな、タリアテッレを超えることばかり考えるあまり…、なんと間抜けな」

「……なぁブルーノさんや、アンタは一体何になりたいんだい」

「何に?…」

「タリアテッレを超えた料理人になりたいのか?、それとも世界一の料理人?、それとも…皇帝に相応しい給仕長?、どれだい」

「ッ!?…」

タリアテッレを超える超えるとは言いはするが、当のタリアテッレは誰かを超えるとか 一番になりたいとか、そんな思考は一抹も抱いていない

あるのは求道の心、今より先に 未来はより先に、ただただより良い結果を探求するが故に無際限に上手くなる、はっきり言ってタリアテッレの背中を見ているうちは タリアテッレを超えるなんて無理だ、やるならその先を見ないとな

なんて、料理人でもない若造が何を偉そうにって話だがな

「ってわけだ、以上!終わり!帰るね!」

「待ってくれ…」

「待ちたくないんだが…」

「君の言葉…確かに私の心に刺さった、確かに言う通りだ、私はタリアテッレを超えることばかり考えてなんと情けない、私が目指していたのは 陛下の口に入れる物に胸を張れる己でしかなかったと言うのに…、どうやら 煮詰まりすぎたようだ、ソースのように」

「腹立つ物言いからやめろ、じゃあな 取り敢えず帰るわ、ウチのお嬢ちゃんとお坊ちゃんが落ち込んで帰ってくるだろうから 菓子作らないと」

「だから待ってくれ!」

いい加減そろそろ菓子作りに戻らないと味が落ちるのだが それでも俺の帰宅を許さないブルーノは俺の手を掴みグリグリと引き寄せようと引っ張って…いやいや力強いな!?そう言えばこいつも師団長だったな!

「まだ何か!?」

「いや今度はその失敗も活かして更に良いものを作ってみせよう!」

「そりゃ結構!俺の居ないところで作ってくれ!」

「君も味見をしてくれ!」

「自分でしろ!」

「付き合ってくれよアマルト君~!、君の舌は確かにタリアテッレの教えを受けた者の舌だぁ~!、参考になるんだよぉ~!」

「いやだつってんだろうが!、離せよ!やーだー!」

泣き喚きながら頼む頼むと懇願され 俺は逃げ場を失っていく…、ああくそ! ちょっとだけなら…まぁ いいか

エリス達が帰ってくるよりも前に 終わらせれば…

…………………………………………………………

「もっと声張れ声を!、屁っ放り腰で情けねぇ声あげてんじゃねぇ!、テメェらの剣にゃ一体何人の命がかかってんだ!、帝国の人間全員分だろうが!気合い入れろォッ!」

「ゔっ…おォッーーッッ!!」

帝国を守護せし世界最強の帝国軍、その強さの根源たる練兵エリアの中で最も広大な修練場に木霊するのは鬼の轟き、脈動する筋肉と振るわれる鉛剣を振るうのは 修練場に集いし兵士 その数二十万

今日この日 行われる鍛錬は特別なものである、気概と根性に自信がある者だけが集えと第一師団の団長から御触れが出され 二十万の兵士達は覚悟を胸にここを訪れていたのだが…

「はぁ…き キツい…」

誰かが吐露したその一言は全兵士達の総意であるかのように響く、彼等がここに集められたのは早朝だ 、いやまだ日が昇ってなかったから人によってはまだ夜中と捉える者もいるかもしれないくらい早くから 彼等はここで地獄と鍛錬を受けさせられている

とはいえやっているのはただの基礎訓練、それを極限まで高めたような至上の基礎訓練をもう半日近くやらされているのだ、いくら屈強な兵士達とて根を上げるという者

しかし

「キツいか?…キツいなら辞めてもいいぜ?なんて クソ嫌味な事は俺は言わねぇ、ただお前達が戦うのを辞めたら 誰が傷つくか どこに皺寄せが行くか、それを考えろ!」

そんな二十万の兵士達を最前線で面倒を見るように指揮をとり、また自分も同じ いやそれ以上の修練をやってみせる男は叱咤激励する、戦士は戦うのが使命であり 守るのが仕事だと彼は説き続ける

『そんなもん言われなくても分かってる』と少し前までなら兵士達も言えただろう、だがアルカナとの戦いやマルミドワズの襲撃で、帝国は決して無敵の存在ではない事を他でもない彼等自身が知ってしまった  

将軍ら師団長のような圧倒的存在になれなくても、少しでも強くなりたい ならなくちゃいけない、そんな兵士達の魂の声を煽るような彼の声は 寧ろ兵士達の心に火をつける

「戦え!、敵とじゃねぇ!己と!、己と戦い勝ち続けた奴が 大事な場面で勝ちをもぎ取る!、守りたい奴が一人でもいるなら!自分に勝て!その為に鍛えろ!腑抜けるな!」

そうして鬼教官として今日特別に招かれた アルクカースの大王ラグナは再び鉛の剣で素振りを始める、彼の掛け声に合わせ兵士達もまた剣を振るう、取れそうな腕を心で縛り 折れそうな心を魂で支えて鍛錬を続ける


今日この日 行われる特別な訓練とは『戦士達の王 ラグナ・アルクカースによる修練指導』だ、というのもラグナが練兵エリアで体を動かし オライオンでの戦いに備えている時のことだ

『ラグナ・アルクカースが行う訓練は凄まじく厳しいものである』という噂が兵士達の間に瞬く間に広がったのだ、ラグナにとっては毎日やっている物で なんら特別なことじゃない、だが ラグナは忘れているがラグナがやっている訓練とは即ち世界最強の戦士アルクトゥルス直伝の物 その険しさは世界でもトップクラスとも言える

それを聞きつけた同じく帝国の鬼教官こと第一師団 団長ことラインハルトが是非とも我らが兵士達を鍛えて頂きたいと申し出て、それをラグナが引き受けたことで今日この特別な修練が実現したのだ

「……一旦辞め!、しばらく休憩にする!、水分補給を忘れんなよ!」

「は…はい!」

カランとラグナが鉛の剣をその場に捨てたことで 一旦素振りの訓練は終わりを告げる、それと共に兵士達は次々とバタバタ倒れ ぜぇぜぇと荒い息で休憩を始めるのだった

「ふぅ…」

死屍累々と言えるその空間の中 ラグナは軽く息を吐いて汗を拭う、兵士達よりも重い鉛剣を持ち兵士達よりも厳しい訓練を行なっていたはずのラグナだけ涼しい顔で襟元をパタパタと動かしているのだ

まぁ、ラグナにはこれくらいの運動は慣れた物だ…寧ろ、帝国の兵士達はよくやっている

(すげぇな、流石はアガスティヤの兵士達、ここまでやってんのに脱落者ゼロか)

何人か弱音を吐く奴は居たが それでも逃げ出す奴は居なかった、流石はアガスティヤの戦士 世界最強と呼ばれるだけはあるとラグナは腕を組んで一人で嬉しそうに首を縦に振る

ラグナの元に突如として舞い込んだ帝国との合同修練 と行くか実際はアガスティヤの兵士達に訓練をつける形であったが…、やってみるとこれがなかなかに楽しい

アルクカースに帰ったら 俺も兵士達の鍛錬に付き合ってみるか…

「いやはや、流石は争乱の魔女の弟子…、なんと素晴らしい訓練をつけてくれる物だ」

はははと気持ちいくらいの笑顔で笑いながら倒れる兵士達を踏み越えてラグナの所まで歩いてくる影がある、ラグナと同じく 倒れることなくさっきの訓練をやり抜いた此度の事の発端 第一師団の団長ラインハルトだ

普段は仏頂面で物思いに耽る彼が 今日は上機嫌に笑いながら上着を脱いで隆々の筋肉を汗で輝かせている

「ん?、ああ ラインハルトさん、今日はありがとうございます お陰で俺も実りのある時間を過ごせてます」

「何を言うか…、貴方の鍛錬の仕方は実に合理的だ、無茶苦茶を課しているように見えて ギリギリ不合理にならないラインを的確に攻めている、これ以上無茶をすれば体を壊す…そんな線を的確に見極め限られた時間で最大限の成果を得る為思考され尽くしたメニューだ、素晴らしい 私も久々に楽しかった」

ラグナの訓練を聞きつけ 直ぐさまこの場をセッティングしたラインハルトもまた兵士達に混ざって一緒に訓練をしてたんだ、普段は机仕事ばかりしてみたいだから 直ぐにへばるかと思ったがこれがどっこい、この人 多分根っこは俺と同じタイプだ

「へぇ、あれが楽しいって ラインハルトさんってインテリに見えて結構…」

「ええ、元々 現場で動くのが私の性に合ってるとつくづく思います、それに 先程ラグナ殿下より賜った戦略の心得、あれも見事でした」

「え?ああ」

そう言えば体を動かす前に軽く座学をやったんだ、と言ってもいつも師匠がやってる戦術や戦略の勉強だが、それをプロの軍人の前でやるのはやや気恥ずかしかったが どうやら上手くいっていたようだ

「ラグナ殿下の話を聞いて私はアルクカースの評価を改めましたよ」

「へぇ?、そりゃどう言う風に?」

「失礼ではあるでしょうが ありのまま言うなれば、私はアルクカースを蛮族の国とばかり思っていました、突撃するしか能のない それこそ戦略性のカケラもない戦いばかりするものと」

「そりゃ散々だな、まぁそう言うのが好きなのも居るには居るがなぁ」

「それこそ仲間を盾に突撃とかするかと思ってました」

「流石にそこまで馬鹿じゃねぇよ…」

でも 実際他国からのイメージはそんな感じだ、アルクカースは突撃しか能がない奴等だからうまく搦め手に嵌めたり罠を用意したりすれば勝てる なんて甘い見通しを立てた国がいくつか喧嘩をふっかけてくる事もある

だがな、ウチは戦争の国だぜ?世界一の負けず嫌い大国だぜ?、全員負けない為に策を練そしてその策を実現する為に鍛えてるんだ、つまり 俺たちの戦いの中枢にあるのは筋肉でも剣でもなく 『知恵』と『思考』だ

どうすれば勝てるか どうすれば被害を少なくして勝てるか、それを突き詰めて考えて 研ぎ澄ませ続けたアルクカースの戦争レベルは他国の比じゃねぇ

搦め手を仕掛けようとした奴らを逆に策で雁字搦めにし、罠を仕掛けた奴らを後ろから蹴り飛ばして逆に罠に嵌めたりな

「アルクカースに伝わる古い諺にもある、『頭のない策士は底の抜けた矢筒みたいなモン』ってな?、考えない奴は役立たず扱いされるのがあそこさ、だからウチは考えて戦争をする あんまりナメんなよ」

「ええ、もう侮りません 貴方の描いた戦略図面の見事な事、軍師でもない貴方が彼処まで精巧に局面を観れるのですから 貴方の国の軍師はさぞ優秀なのでしょう」

「まぁな、うちの軍師は優秀さ 特に俺お抱えのやつはな」

「ですが、よかったのですか?」

「ん?何が?」

ふと、ラインハルトが真面目な面持ちで 汗を拭いながら問うてくる、本当に良かったのか と、何がだろう

「貴方の国の秘蔵の策や戦略を我らに与え、剰え訓練をつけるなんて…あくまで我等は他国ですよ?、そこまで答えていいのですか?」

「アンタから誘っておいてそれか?、まぁいいさ 先日の件があるしさ、これはその詫びみたいなもんだ」

先日 俺達は帝国軍と戦った、俺達が善で帝国が悪 なんてとてもじゃないが言えない構図での戦い、帝国は世界と国と己の家族を守る為に懸命に戦っていた そこに割り込み全部ぶっ壊しちまったからな、まぁこっちにもそれなりの事情があるとはいえ…そこにごめんの一つもなしってのは筋が通らねぇ

だから、その詫び代わりと言ってはなんだが 俺が兵士達の鍛錬を請け負って後腐れなしになるなら安いもんじゃないか

「それに、俺の戦略を垣間見た程度で アルクカースに勝てる気になられても困るし」

「確かにそれはそうだ、しかし本当にアルクカースの戦争哲学は素晴らしいな…、どうにか我が軍にも……」

お、ラインハルトが筋肉バカから師団長の顔に戻った、なんとかアルクカースの戦争技術を帝国に引き込みたいって魂胆か、けど それは俺も同じさ

「俺も、ここのトレーニング設備が欲しいなぁ 、ウチのトレーニング設備って言ったら鉄のダンベルとか鉄のバーベルとか鉄のサンドバッグとかしかないしな、ここみたいに最新の設備があれば…と考えてしまうな」

ウチのトレーニング設備は良くも悪くも脳筋だ、アルクカース人が頭を使うのは戦闘に対してだけ それ以外には全く脳のリソースを割かない、故にトレーニング設備もとりあえず重くて硬いほうがいいだろうという理屈だ、そこに学問はないは無いし理屈もない

…俺の師範はよく言っていた

『鍛錬ってのは一つの学問だ、良くいるだろ?無駄に鍛えまくって筋骨隆々になって自慢げに筋肉を晒す馬鹿みたいな筋肉ダルマがよぉ、オレ様から言わせりゃ あんな無駄だらけの筋肉なんてブヨブヨ贅肉と変わらねぇ どっちも使わない肉だからな、…人間に搭載可能な筋肉には限りがあるんだ なら無駄な容量を使わず適切な物を適切な分つける必要があり、それを実現するには筋トレに対する学問が必要ってな?、つまり勉強しろラグナ』ってね

あの人の体には一つとして無駄な筋肉が付いていない、全てに役目があり そしてその適切な使い方を熟知している、だから強いんだ

だから、アルクカース人たちにももっと頭を使った鍛錬をして欲しいが その為にはまずそれ用の設備を揃えないといけない…がしかしアルクカースにはそんなものない、対する帝国には卓越した学問が存在する、故に帝国から頂ければ幸いなのだが

(まぁ、だけど難しいだろうなぁ)

だがしかし、そんな両者の思惑の間に立ち塞がるのは両国間の関係の悪さがある

アルクカースは帝国のことを目の上のたんこぶとして見ているから正直嫌ってる、帝国もラインハルトの言った通り アルクカース人を野蛮な猿と下に見ている、本当なら手を取り合えば両国の利益は計り知れないが…

変に協力しても軋轢を生むだけだしなぁ

「なにやら、面白い話をしているな ラインハルト」
 
「ッ…!、これは!ルードヴィヒ将軍!」

ハッ!と突如響いた声に驚くように また弾かれるように動くラインハルトは咄嗟に上裸の胸元を手で隠し ピシッと声の方向へと振り向く、乙女かお前は

「やぁ、すまない 邪魔をしてしまったか?、ラグナ殿下」

「いえそんな…」

チラリと俺も目を向ければ いつの間にやら練兵エリアのど真ん中に現れた将軍 ルードヴィヒがかつかつと軍靴を鳴らしてこちらに歩み寄るのだ、この人もアーデルトラウトと同じ時間を操る魔術を使うのか?というか…

(すげぇ威圧、これが世界最強か…)

ゆらりとコートの橋を揺らす眼帯の男、その歩む姿を隈なく見ても 打ち込む隙が見当たらない、寧ろ殴りかかってもあっという間に制圧されるビジョンしか見えない

これが最強 これが帝国の切り札ルードヴィヒという男の実力か、伊達にアルクカースが数千年欲し続けた世界最強の座に君臨し続けるだけあって半端じゃねぇ

もし先日の戦いで俺がぶつかってたのがアーデルトラウトではなくルードヴィヒ将軍だったなら、勝ち目は無かったろう

そう思えるほどに ルードヴィヒは帝国最強戦力たるアーデルトラウトと比較しても尚圧倒的だ、こんなに強い奴と戦ってたら 俺は一体どうなっていたのか…ワクワクする

「そんな餓えた目で見ないで欲しい ラグナ殿下」

「あ、すみません…」

「いやいい、アルクカース人の性分は知り得ている、私を前に怯えるどころか闘争本能を疼かせるとは、この世で最も勇敢な人種だけあるな」

見え透いたおべっかだな、いや、敢えて見え透かせているだけか 社交辞令って匂いがプンプンするし、って事はこの人…態々ムダ話をしにきたってわけでもなさそうだな、俺に何か用があってきたのか?

「それで、将軍は何をしに?、まさか貴方も俺と一緒に訓練を?」

「お願いしたいところだがこの後も仕事がたんまりあってね、もう鍛錬など 久しくしていないよ」

久しくしてなくてあれか?、俺ぁみたぞ?あのシリウスを相手に…魔女を相手に殴り合うアンタの姿を、あれで鍛錬してないってマジかよもったいねぇ

「じゃあそれこそなにをしに…」

「先程聞こえてきた話だよ、アルクカースとアガスティヤで技術交換を…という話した」

「技術交換なんてややこしい話はしてないけどな、ただ俺はアガスティヤの設備と鍛錬学問が欲しい、ラインハルトはウチの戦略戦術が欲しいねって話をしていただけだよ」

「なら互いに技術提供をし合えばいい、両国の関係改善のためにな」

「何?…」

関係改善の為に?それはつまり…

「つまり、今の断絶状態に等しいアルクカースとアガスティヤの関係を再び良好なものにし両国で手を組みたいってことか?、…随分いきなりな話だな」

「まあな、だがこれは陛下の意志 陛下の言葉だ」

「カノープス様の?」

「ああ、先日のアルカナとの戦いで我等の無敵神話は崩れてしまった、大いなるアルカナに勝ちはしたが…大局的に見れば敗北にも等しい結末であると言えるだろう」

「まぁ…そりゃあな」

結局アルカナは滅ぼした、一抹の容赦もなく消しとばしたと言ってもいい…だが、それではダメなのだ

そこに至る過程で帝国は傷つき過ぎた、敵はアルカナだけじゃ無い マレフィカルムという巨大な組織の尖兵でしか無いアルカナ相手にここまで手こずってはいけないんだ、でなければ思われてしまう 『あれ?、ひょっとすりゃこれ 全員で突撃すれば行けるんじゃねぇ?』ってな

実際に全軍突撃をマレフィカルムがかまして来るか とか、実際に真正面からやり合ったら帝国が負けるか とかはこの際どうでもいい、ただ 今までマレフィカルムが裏社会で息を潜め動かなかった理由は偏にアガスティヤの無敵性を恐れての事だ

正面から挑んでもどうせ負ける なら裏から手を回して と相手の活動を消極的にさせていたのが帝国の権威なんだ、だがアルカナが善戦したせいでマレフィカルムの中にひょっとしたら という空気が漂ってしまっただろう

そうなれば帝国はもう抑止力として機能しなくなる、あちこちでマレフィカルムの構成組織が動きを活発にし 引っ切り無しに魔女大国に喧嘩を売ってくるはずだ、それらを蹴散らすのは訳ないが その都度国民に被害が出るんじゃあ意味がない

故にあの戦いは大局的に見れば失った物がデカすぎる敗北だった とルードヴィヒは分析する、俺もする そして勿論皇帝陛下もな

「正直驚いている、マレフィカルムに我等将軍と同格の存在が在籍していたとはな」

「所属する人間の絶対数が増えれば そういうバケモノの比率もデカくなるって事だろ、おかしい話じゃないさ」

「確かにな、だが由々しき問題だ ないとは思うがマレフィカルムとの一大戦争が起これば ひょっとしたら帝国だけでは対処出来ない可能性もある」

「そうかな…、アルカナとの戦いには将軍も参加してなかったみたいだし、戦力もまだまだ残ってたし…」

「いやダメだ、対処出来ない可能性が1%でもある以上 戦争は起きる、そして戦争が起こった時点で 我等の望む世界秩序は脆くも崩れ去るのだ」

つまり 帝国の勝利条件はそもそもマレフィカルムを滅ぼすことではなく 衝突を避ける事そのものにある、『お前らが束になってかかってきても俺達ぁ小揺るぎもしねぇぜ?』ってところを見せない限り マレフィカルムは仕掛けてくる可能性を払拭出来ないって訳だ

うーん、難しいなぁ 今まで八千年かけて形成した帝国の無敵神話をもう一度形成するには、それこそ同じくらいの時間がかかる、しかし もう悠長に構えている暇はない

敵はもう すぐそこに存在しているのだから

「というわけで、今後は我等帝国だけでなく 七つの魔女大国がそれぞれの関係をより一層綿密にし 横の繋がりを作る事でマレフィカルムに付け入る隙を与えないという寸法だ」

「なるほどなるほど、確かに帝国と他の魔女大国が強固な同盟関係を結べばそれだけで相手のやる気を削げる」

ただでさえ強い帝国が 他の魔女大国と組む、帝国に仕掛ければ六つの魔女大国が一斉に動き出す、それだけでなくそれぞれの国に存在する技術や武器を共有する事でそもそも一国の所有戦力を爆発的に飛躍させることもできる

もうマレフィカルムどうこうのレベルじゃないくらいの超一大戦力群の誕生だ、マレフィカルムだって 世界の何分の一を所有する魔女大国を一気に七つも相手にしたくはないだろう

けど

「出来るんですかね、それ」

だが、それでもさっきの話…両国間の関係の悪さは障害となる、シリウスの洗脳魔術を用いた関係により、魔女同士の繋がりが薄れて久しい、カノープス様でさえ疑心暗鬼にかられ他の魔女大国を敵視していた事もあり それぞれの国は今 分断されている

だからこそ、俺とデティとメルクさんが苦心してアジメク・アルクカース・デルセクトの三国間同盟を作り上げたんだが…、それも苦労したしなぁ

「大丈夫だ、もうカノープス様も他の魔女を疑ったりしない、となれば後は魔女様が声明を出せば 大国間の溝などあっという間に縮まる、それに加えて友好の証としてそれぞれの国が技術交換をすれば 関係は確固たるものになるだろう」

「…そうですね」

まぁ そっか、それもそうだ、結局魔女大国は魔女様の意向により決まる、魔女様が仲良くしないといえば仲良くしない、仲良くするといえば仲良くする そういう国なんだ魔女大国ってのは

「ああそうだ、魔女大国同士が手を結べば 敵はない、特に最近の各国の戦力的成長は目を見張る物がある、最早他の魔女大国は帝国にとって庇護の対象ではないだろう」

「庇護の対象って…まぁそうですね」

魔女大国は長らく帝国一強の時代が続いていた、その後にアルクカースが続き 他の魔女大国は一段も二段も劣る戦力…という感じでしばらく戦力的な格差が圧倒的だった

けど、アルクカースは俺の施策により、絶え間ない戦争を辞めたおかげで徐々に国力を回復させており その兵力の凄まじさは歴代最高とも言えるまでに高まっている

デルセクトは近年の蒸気技術の発達により魔力を用い無い兵器兵装が量産されている、特に最近メルクさんが手をつけている錬金機構の強化形態 『錬金決戦兵装』は帝国の魔装にも劣らない威力だ

コルスコルピも件の魔獣襲撃から国力の強化に努め 失われた『ロストアーツ』なる物の復元に努めている、あれが実を結べばそれだけで一気に強国の仲間入りだ

エトワールは…まぁうん、あんまり軍備強化はしてないけど 魔女様が帰還したお陰で国力は回復している

そして何より

「何より、アジメクの成長が著しい」

「ここ十年で結成された…『護国六花』ですね」

「ああ、アジメクにあそこまでのポテンシャルがあったことが驚きだ」

俺が認め 世界一の将軍が舌を巻く程に最近のアジメクの成長は凄まじい、長らく魔女大国最弱の地位に燻っていたアジメクが ここに来ての飛躍、それもこれもデティの手腕のおかげだろうな

「そんな魔女大国同士の同盟のためならば 我等も魔装の提供は惜しまない、といえ話さ」

「へぇ、いいですね 面白い話だ、なら また今度正式に会談の場を用意する必要がありそうだ」

「そうだ、故に…」

そうルードヴィヒ将軍が口を開き この一件について話をまとめようとした瞬間の事だ、皆が倒れこみ 静寂が蔓延る練兵エリアの扉が勢いよく開かれ その奥より怒号にも似た威勢の良い言葉が響き、俺たちのミミを劈いたのは

「ルードヴィヒ!…話がある!」

「ん?、アーデルトラウト…」

現れたのはアーデルトラウトだ、何故か片手で男を一人引きずりながら現れた彼女の姿を見て ルードヴィヒはやや口元を引攣らせる

気持ちは分かる、アーデルトラウトとは一度戦ったから その性分はよく理解している、故に彼女を律する立場にあるルードヴィヒの気苦労もよく分かる

「アーデルトラウト…、今は大切な話をしているから向こうに行ってなさい」

「そうはいかない、こちらも急ぎの用件で…ハッ!?お前は!!」

ルードヴィヒの意見に耳もくれずズカズカと兵士達を踏み越え現れる彼女が目にしたのは…まぁ、俺だよな、俺を見るなり彼女は目を見開きみるみるうちに顔を真っ赤にして

「よく私の前に顔を出せたな!ラグナ・アルクカース!」

「いやお前から来たんじゃん…」

「問答無用…、叩き斬る…!」

「何故ッ!?、ってか元気そうだなアーデルトラウト将軍、傷はもうすっかり良さそうだ」

「私が負けたみたいな口ぶりはやめろッッ!!」

声おっきい…、寡黙なのに声が大きいからなんか相対的にうるさく思える、この人とは先日の戦いでぶつかり合った間柄、そしてその戦いが終わったから俺たちはもうマブダチ…というわけにはいかない

戦闘中メチャクチャ煽り倒したのが効いてるらしく、彼女には今だに嫌われるのが現状だ、別にいいけどさ

「アーデルトラウト…、ラグナ殿下は敵では無い 国賓だ、無礼な態度はやめなさい」

「こいつは我等帝国を侮辱した…!、許せない!」

「…ははは」

あれは本心じゃ無いよって言った筈なんだが、それを割り切れる程大人じゃ無いようだ、いや俺より相当年上な筈なんだけどなこの人

「それよりアーデルトラウト、用件はなんだ、手早く報告をしろ」

「あ…、こいつの処遇をどうするか聞きに来た」

「こいつ?、ああ フィリップ師団長か」

ズルリと引きずるようにアーデルトラウト将軍が俺たちの前に差し出したのは …なんか包帯だらけの満身創痍の男だ、体も頭も包帯まみれ ここにいるより病院のベッドにいる方が良さそうな重傷人が転がされ 困惑する

えぇ、誰よこれ…なんでこんな傷だらけの人持ってきたの?

「アーデルトラウト…」

「勘違いするな、こいつが自分で病院のベッドを抜け出してエリスに会いに行こうとしてたから 叩いてのめして連れてきた、どうする」 

ん?、エリス?…こいつエリスの知り合いか?、そういえば俺達が到着するよりも前からエリスに協力してくれてたやつがいると言ってたな…、まさかそれが この…

「はぁ、フィリップのエリス殿への想いも考えものだな…、傷を押して動き出すとは」

エリスへの想い?…まさか…いやいや、そんな邪推はよそう…

「また檻に入れる?」

「いや、彼の罪は先日の魔女裁判でエリス殿が無罪になったことにより放免だ、医療室に戻しておけ」

「…でもまた抜け出すかも」

「なら明日会える事を伝えておけ、それまでに身なりを整えるようにいえば 彼も納得するだろう」

その言葉を聞いたアーデルトラウトは一瞬ニュッと嫌そうな顔をするも 直ぐにコクリと頷き再び踵を返してフィリップを引きずり連れて行く、多分医療室に連れていくんだろうが…引きずるのはやめてやってほしいな…

「はぁ…」

「忙しそうですね、ルードヴィヒ将軍」

「いえ…」

正直この人の多忙さは伺えるというものだ、世界中で活動する帝国の頂点が暇な訳がない、多分この世で最も忙しいのはルードヴィヒ将軍だろうな

普通の人間なら壊れてしまうような激務もなまじこなせてしまうから逆に酷だ

「ともあれ、陛下は魔女大国同士が手を結ぶ事を望んでいる…、その為にはまず魔女大国の盟主同士が会談する必要があり……」

「わかってますよ、その場にオライオンも引きずり出す必要がある…ですよね」

「そうだ、今 オライオンはシリウスの手中にある、どの道この話は ラグナ殿下達が帰還してからになるだろう」

「ですね…」

結局話を続けるには 今目の前に跨る敵をぶっ飛ばしてから…だ、そしてそれは俺達に託されている、なら やるしかねぇな

「我等帝国も出来得る限りの援護はするつもりだが…、頼む ラグナ殿下」

「任せてくださいよ、その為に俺は ここにいるんだからさ、さて…そろそろ休憩は終わりにしますか、決戦に備えて 鍛錬を続けようか!」

足元の鉛の剣を拾い上げ、肩に背負えば 倒れ伏していた帝国兵達も続々と立ち上がり始める、あんなに弱音を吐いていたのに その目は何よりも真っ直ぐだ

いい目だ、なら こっから全力で行くから…

「ついてこいよ!お前らァッ!!!」

「応!!」

剣を掲げ気炎を上げて 怒号を響かせる、いつか来る決戦に備えて その日その時後悔しないために、俺たちは刃を磨く 腕を上げる、守りたい物を守る ただそれだけの為に戦い続けようじゃないか!

「いくぜぇえぇぇえええ!!!」



「フッ…若いなぁ」

帝国兵達を率いて訓練を再開するラグナを見つめるルードヴィヒは遠い視線でそれを見つめる、ラグナ殿下はまるで若い炎だ、未だ燃え盛る最中にある炎…それは灯りにも人を温める光にもなる

あれは王者の気風とも呼べるだろうか、或いは変革の突風か…、いつまでも若いつもりでいたが 既にルードヴィヒの人生は折り返し地点を過ぎている、故にああも若い勢いを見ると感慨深くなって…

「いかんな、まだまだ隠居するつもりはないんだ、若いのには…負けられんな」

まだまだ子供に世界の行く末を委ねるほど 耄碌したわけでもない、私は私の 大人の仕事をするとしよう、子供達が自分の未来を切り開けるような…そんな仕事を

将軍の漆黒のマントが翻ると共にルードヴィヒの姿は霞に消える、全ては世界の安寧の為 子供達の未来の為、未だ燃え盛る大人は仕事を続ける 戦い続ける……

…………………………………………………………

「お招き頂きありがとうございます、陛下」

「そう畏るなフォーマルハウトの跡を継ぎし者よ」

流れる雲を絨毯に 青い空を壁面にに見るのは、マルミドワズ 帝国府の大帝宮殿の最上階 展望テラス 別名『世降の庭園』と呼ばれる白亜のテラスに配置された椅子に座るは二つの影

両名共にその所作は研ぎ澄まされたものであり、どことなく漂う厳かな空気を 敢えて呼ぶなら優雅と言えるだろうか

「しかし、私だけでよかったのでしょうか…、ラグナ達は」

「私はお前と話がしたかったのだ デルセクトの新たなる盟主 メルクリウス・ヒュドラルギュルムよ」

白亜のテラスにて机を挟み向かい合うのはこのアガスティヤ帝国の唯一絶対なる皇帝 カノープスと、デルセクト国家同盟群の同盟首長メルクリウス・フォーマルハウトの二名による蒼天の茶会だ

何故、私だけがとメルクリウスは笑顔を崩さぬまま想起する…

アレは皆が朝食を食べ終わった後のことだ、いきなりメグから『陛下から茶会のお誘いがあります、メルク様だけに』…と言われたのだ

ラグナもエリスも無く メルクリウスだけが皇帝カノープスに呼び出されたのだ、その異常な事態に彼女は些かの動揺を胸に秘めながらも こうして威風堂々と宮殿に赴いたのだ

(私と話が…か、一体なんの話をされるやら)

メルクリウスの中での皇帝カノープスのイメージを一言で言うなら『絶対皇帝』だ、この帝国はたった一人で八千年も治めた彼女は、はっきり言って統治者としてのレベルがメルクリウスとは段違いだ

そんな彼女が意味もなく人を呼びつけるとは思えない、ましてやメルクは同盟首長、魔女大国の一つを統べる者…それに

(呼びつけられる覚えがありすぎる)

カノープスにこうして呼び出されるであろう理由が メルクリウスにはありすぎる、それも仲良く話せるような話ではなく、最悪の場合怒声をあげられるような…そんな険悪な事を、メルクリウスは最近やっている

その件か?と流れそうになる冷や汗を気合いで押しとどめる

(ダメだダメだ、臆するな 今の私は同盟首長、立場的には帝国の皇帝となんら引けを取らない人間、私が臆すればデルセクトその物が下に見られる)

決して他国の盟主に弱みは見せられないと毅然と胸を張ると

「…フッ、若いな 同盟首長よ」

「へっ!?」

「無理に背筋を伸ばせば、それは或いは相手に隙を見出される、緊張したのなら 意味もなく笑い、茶を一口飲むのだ…こんな風にな」

するとカノープス様は片目を閉じて優雅な所作で用意された紅茶を一口飲む、そうやって緊張を紛らわせるがいいと…、まるでメルクリウスの内心を見透かしたように笑う

違い過ぎる、統治者としての暦が メルクとカノープスでは

「………」

「そう固い表情をするな、別にお前を叱咤したわけではない、ただ お前のあり方を見ていると、思い出すのだ…未だ未熟であった頃の我をな」

「それが、要件ですか?ラグナ達と違い私は未だ盟主として未熟であると」

「拗ねるな、そうは言っていないが ラグナ・アルクカースはあれで王族だ、そういう意味ではあれは既に王として完成されている、だが お前は違うだろうという話だ」

するとカノープス様は再び優雅にカップを下ろし、音も立てずに皿の上に置くと

「お前の出自は知っている、地下に押し込められながらに信念を貫き、それは天を穿ち頂点に立つに至ったとな、そんな有様が かつての我と被るのだ」

「かつての、陛下と?」

「うむ、我は生まれながらの王族ではあるが その幼少期は薄暗い地下牢で過ごしのだ、権威と名声に溺れ疑心に駆られた兄によって、我が両親は殺され 我自身も地下奥深くへと監禁された、母の顔も父の顔も知らず 我は闇の中で生きたのだ、お前と同じようにな」

故にその恐怖と心細さは分かるつもりだとメルクリウスを見つめるその目は、憐れみや同情ではなく、まるで懐かしき頃の情景を メルクリウスの姿を通して見るような、そんな朧げな視線であった

「薄暗い闇から出されたと思えば、今度は燦然と輝く権威の世界で戦わされる、故に己を強く見せねばならない、虚勢でもハッタリでも 自分の背中に背負った物を守りたい、そんな気持ちは 我にも覚えがある、と言っても もう数千年も前の話ではあるがな」

「…陛下が…私と同じ…、ハッ!」

ふと気がつくと メルクリウスはカノープスの話を聞き入り、緊張を忘れていたことに気がつく、ほんの少しの身の上話で するりとメルクはカノープスに懐へ入る隙を見せてしまったのだ

そんなメルクリウスを見てカノープスはくつくつと笑い

「さて、緊張はほぐれたか?」  

「す、すみません…」

「良い、お前は普段弟子達の中でも最年長故に気も抜けないだろう、偶には大人の胸を借りろ、我はお前の隙を見出してどうこうしようと言うつもりはない、もう和解したのだ 警戒するでない」

「うぅ…」

緊張をほぐすように一口紅茶を飲むが、赤くなった耳までは隠せない、恥ずかしい…警戒すらも手玉に取られ 緊張していた自分が恥ずかしい…

「くくく、まぁ今の話は半ば本当だ、我はお前に期待している、いつか立派に盟主として円熟した暁には 我の後継者…つまり、世界の守護者の座を渡しても良いと思っているからな、まぁ フォーマルハウトがなんというかは分からないが?」

「わ 私にですか?」

「ああ、そうだ…当然ながら我は知り得ているぞ?、メルクリウス お前のここ最近の活動を」

ゴクリと生唾が喉を通る、やはり知っていたか…、と慄くメルクリウス 

確かにメルクリウスが最近やっている活動は、或いは魔女の意向に真っ向から逆らうものだろう、マスターに意見を問うても『この同盟の所有者は貴方、ならばわたくしがいう事はございませんわ』としか言ってこない

否定はしないが、肯定もしないんだ…、ましてやそれがこの世界の指導者たる皇帝の耳に入れば…

「魔力を用いぬ蒸気機関の開発を推し進め、蒸気船による海洋進出、それに伴い各国の主要産業の買収及び吸収、商業を同盟首長の名の下に統括し 各国に対し金銭的な優位性を生み出し 商業的に世界各地の商業をデルセクトに依存させる…か、随分と横柄な真似をするな?デルセクトの首長よ」

「………………」

メルクリウスは眉一つ動かさずカノープスを見つめる、そうだ 今しがた皇帝が口にした言葉こそメルクリウスが最近世界で行なっている活動

デルセクトの強みである蒸気機関は魔術以上に可能性のある技術体系と信じたメルクリウスはそれを用いて巨大な鉄甲船を量産し 世界各地を線で結ぶ活動をしているのだ

それに伴いデルセクト内部で行われている商業を同盟の管轄下に置くために超巨大商業組合 『マーキュリーズギルド』を設立、ただでさえ強大なデルセクトの商業を一つに纏め上げ 各分野で世界各地の主要産業を買収し デルセクトの名の下に統治している

既に二十近くの非魔女国家がデルセクトによって商業的に統治されている等しい、見えず 触れず されど伝搬する超巨大な津波の如きメルクリウスの手は 帝国のお膝元であるポルデュークにも届いているだろう

「有り余る金銭とデルセクトの商売人気質を利用する為、同盟首長の名の下でならある程度の税を免除し かつその商業活動を援助する、そうする事により商人達は世界各地で荒稼ぎをする ということか、人の金銭欲とは果て無きものよな…ただ 金を儲けることへの免罪符を与えただけで、そうも世界が振り回されるとは」

「……別に、私は金銭欲でギルドを作ったわけではありません」

「そうか?、だが既にエトワールの酒造業はデルセクトの援助を受けたマルフレッド商会…いや もうセレドナ商会だったか?、それが凄まじい勢いで国内を席巻しているというではないか…、お前は他の魔女大国さえもその手中に収めようとしているように見えるが?」

「ただ見ればそのように見えるでしょう、ですが私がやっているのは投資です、回収する気のない投資…、それにより 世界各地の商業を発展させ人々の生活レベルを上げたいのです」

「そして押しあがった商業文明の頂点にお前が立つと?、強かな考えだ 確かにこのまま行けばお前は影響力だけなら魔女さえも凌ぐだろう」

「…そんなつもりは…」

無い…が、事実そうなりつつあるのが現状だ

メルクリウスの心は一つ、蒸気機関によって世界を繋ぎ 誰でもどこにでも行けるようにする、そして世界同士を繋げ 世界各地の商業を混同させ、誰でもどこの物でも手に入れられる…そんな世界を作りたいのだ

それこそ、この帝国にあるロングミアドの塔のような、世界各地の物が揃う市場を世界中に作ることが、私の目的だ

そうすれば…きっと、商人達が食い扶持に困る事はなくなる、メルクリウスの父や母のような悲劇が 少なくなるはずだと信じているのだ、商人の庇護者足らんてするのが 全ての根源だ

「此度呼び出したのは お前を愛でるのと同時に、お前の真意を問いたかった」

「私の真意ですか?」

「ああ、お前は何を望んでいるのか…、財政力を以ってして全ての国を手中に収める…謂わば見えない世界征服を成し遂げたいというのであれば、我はここで眉を顰めねばならぬ」

「世界征服になど興味はありません、権威はもう十分持っていますので、それに…私は信じているからです、魔女様が八千年経っても変えられなかった物も 私なら変えられると」

「…ほう、つまり我に出来ない事をお前なら出来ると?」

「はい」

そう信じなければやってられない、何処かで何かが破綻するかもしれない、だがもう引き返せる段階にないし そもそも引き返すつもりも最初からなかった、私は同盟首長の座に立ったのは ただフォーマルハウト様の跡を継いで恙無く世を流すことではない

フォーマルハウト様にも出来なかった事を、やり遂げる事こそが この座を私に任せてくれたフォーマルハウト様のご意思に殉ずる事だと

そう伝えればカノープスはクイッと顎を上げ見下ろすと

「嘘をついているようには見えんな、心底そう思っているようだ」

「その通りですので」

「フッ…、つくづくお前は私に似ている、不遜な所とか」

「それはどうも、陛下と類似点があるのは喜ばしい」

くははは と笑うカノープス様を前に、心の中で安堵の息をつく、私のギルドは各地を商業的に世界各地を席巻しているが、帝国にはまるで敵わない、何せ帝国はその転移魔術を使い 世界最高レベルの貿易力を持っているからだ

デルセクトの商人達がまずぶつかるのが帝国商業というレベルで、帝国は世界各地に網を張っている…、そこと今度は武力でぶつかり合う事になれば 私はアルクカースとアジメクに泣きつかねばならない所だった

「良いぞ、認めよう 寧ろ我らも一枚噛ませよメルクリウス」

「噛ませる?…」

「ああ、お前の活動を帝国が後押ししよう、なんなら 帝国の魔装技術をデルセクトに貸し与えよう」

「本当ですかッッ!?!?!?」

思わず立ち上がり狂喜してしまう、いやありがたい あの魔装技術があれば大助かりだ、いや 商業的には用いない、ただ 魔女排斥組織に対抗する兵器開発が格段に進む

ソニアによって空いた穴は如何ともし難かったが、帝国の技術者がいれば…

「偽りではない、お前の見込んだ技術者を何人か好きに連れて行け、そして好きに使うがいい、商業的に用いてもいいし…お前がギルドの裏で行っている莫大な量の兵器開発にも、な?」

「っ…」

そこも見抜かれていたか、ここまでくるとデルセクトに帝国のスパイがいる気がしてならない、いや居るだろうな…だが誰だ?、帰ったら調べないと…

しかし、兵器開発も好きにしろとは、まるで皇帝陛下の意にも介さないようだ…寧ろやってみるがいいと言わんばかりだ

…今まで技術開発を意図的に抑えていた魔女様がこうして私に技術を任せてくれるという事は、つまり 魔女様さえ手をつけなかった領域を私に任せてくれるという事だ、その手綱を私に握らせ やってみろと

「…必ずや、この世界をより良い姿にしてみせます」

「より良い姿にか、若いな…羨ましいくらい若いぞメルクリウス、だが 帝国を甘く見るなよ?、我はお前の弱みを握っているからな」

「は?弱み?」

なんでもないように紅茶を飲みながら宣う弱みに首をかしげる、あるか?私に弱みなんて…いやあるんだろうけど

「な なんですか」

「お前の性癖だ」

「せーへきっ!?」

「恥ずかしがるなメルクリウス、よく言うだろう 支配者たるもの性癖は倒錯的であれと」

「言いませんが…?」

「だが我もドン引きだぞ、度し難いにも程があるなメルクリウスよ、世が世ならお前は塀の中だ」

「一体何を聞かされているので!?」

「恥ずかしがるな恥ずかしがるな、それも愛 どれも愛、愛ならば躊躇うことはなかろうよ、ははははは」

一体なんなんだ、私にそんな度し難い性癖は無い、グロリアーナさんならまだしも 私はそんな…至ってノーマルの筈だ!、多分!多分な!

「ははははは、…はぁ…愛か」

「……カノープス様」

不意に笑い声が静まり、カノープス様の目がチラリと横を向く、見るのは空の向こうだ、何を考えているか…なんて容易に想像がつく

愛し人のことを思っているのだ、悪魔の手によって攫われた 愛しき伴侶の事を、本当ならば自分の手で取り戻したいであろうそれを思い カノープス様は青空を見つめる

「レグルス様ですか?」

「おや?、お前も相手の心を慮れるようになったか?」

「顔に書いてありますから、誰にでも分かります」

「そうか…、そうだな 我はレグルスの事を想っていた、我にそんな資格は無いのかもしれんがな」

流れる雲を下に見て、遥かに続く青空の更に向こうを見遣るカノープス様は想い人の名を口にして、悲しげにやおらと瞑目する

カノープス様のレグルス様への愛は本物だ、彼女は本当にレグルス様を愛している、性別や身分 時間の差など構うことなど無く皇帝はただ一人を愛し続ける

されど、それでも一度は殺しかけた相手、エリスがいなければ本当にレグルスを様を殺していただろう、故に その想いを口にする事を躊躇う…

「…レグルス様は我々がしっかり助けて参ります」

「そうか…、情けない話よ 世界最強などと呼ばれておきながら、我に出来ることは無く ただここで指を咥えて見ていることしか出来ぬのだからな、すまないな…お前達に重荷を背負わせて」

風に揺れる髪の毛隙間から カノープス様の潤んだ瞳がこちらを見つめる、すまないと謝られるのは これが初めてでは無い

マスターも 私に謝っていた、重荷を背負わせたと…、それは私達魔女の弟子が 魔女と同様の世界の行く末と言う名の重荷を背負っていることへの憐憫か 或いは責任から来る言葉だろう

魔女様も我らも同じ重荷を背負っている、違う点があるとするなら 魔女様達は選んでその責任を背負い、我等は選ぶ事なく 重荷を背負わされている事、魔女様達が残した厄災という名の難題を 我等に受け継ぐことが、彼女達には辛いのだろう

何よりその重荷の重さを、知っているから…

でも

「カノープス様、そろそろ我等にも背負わせてはくださいませんか」

「…何をだ」

「世界をです、我等魔女の弟子だけでなく この世を生きる全ての人間達に、我らはあまりに魔女様に頼りすぎた…、今まで魔女様が守ってくれた分 我等も魔女様を守りたいのです」

「十分守ってもらっているつもりだがな…、だが そうだな、先も言ったが我はお前に後の事を託そうと思っている」

すると カノープス様の顔がこちらを再び見つめる、今度は誰かを想わず ただこの世界を憂う絶対皇帝として、私の目を 私という人間そのものを目で見据える

「後の事 とは…、我ら魔女は シリウスの脅威が消えた後、世から姿を消すつもりだ」

「なっ!?す 姿を消すって…」

「シリウスに言われたのだ、厄災から人類を守る為と言いながら 永遠に人類を支配し続ける我らと亡者たるシリウスの違いは如何にと…」

「シリウスがそんな…、しかし奴は…!」

「奴は敵だ、だが 愚者では無い、我もシリウスの哲学には一目を置いている…何せあんな風になっても師だからな、…シリウスの言うことは正しい あまりに正しい、我ら魔女が居るだけで呼び込む混乱もある、ならば シリウス亡き後は使命の無くなった我らもまた…世には不要だろう」

故に我等は今後一切表舞台に関わることなく、世の行く末を影から見守り続けるつもりだと カノープス様は仰る、それはこの人の決定だろうか それとも魔女の総意だろうか…恐らくは後者だ、魔女様達はいつまでも自分達が頂点に君臨し続けることに引け目を感じている

だから、シリウスが居なくなったら もう魔女様達が世界に残り続ける必要性はないと言えば無い、けど…

「ですが…その…」

「確かに八千年も世話を焼いておきながらいきなり消えるのは無責任だろう、だから メルクリウス、お前に託す…我ら無き後の世を纏めて、魔女の弟子達と共にこの世を治めてくれ」

まるで それが今回の主題だと言わんばかりにカノープス様が頭を下げるのだ、無責任だと分かっているからこそ 頭を下げて我等に託す、後の世を…それも含めて重荷だと

だからか、私に帝国の技術を託すのも 商業ギルドの躍進に目を瞑るのも、魔女無き後の世を思うなれば事なのか、しかし…しかし

私なのか?私で良いのか?、魔女の弟子達の実質的なリーダーはラグナだ、きっと率いるならラグナだ、なのに私なのか…私で良いのか?

「…………」

「返事は、貰えんか?」

「わ 私には、些か役目が大きすぎるかと…」

「そこは我には似ていないのだな、だが良い 存分に考えろ…、どうせまだ時間はある、シリウスはしぶといからな」

逆に言えば シリウスを倒すまでに覚悟を決めろということだ、シリウスが消えれば 魔女様達もまたこの世から姿を消す、魔女大国は魔女大国で無くなり…その後に訪れる動乱の世を私達でまとめて行かなくてはならなくなる

…行けるのだろうか、そんな事…私達に?

「いきなり不躾な話をしてすまなかった、…話は終わりだ、だが一つ約束してくれ この話はお前一人の胸に秘めていてくれまいか」

「…なぜですか?」

「要らぬ混乱を生む、あの中で 一番大人なのはお前だから…そこを見込むとする」

それはまた…随分な話を背負わせてくれたな…、シリウスが消えれば魔女様達も表舞台から消えるって話は誰にも言うなって?

そりゃあ混乱を生むだろう、八千年世界を支え続けた魔女様の失踪はこの文明始まって以来の大事件、それに…エリス達もなんというか…はぁ

「さぁ重苦しい話はこれで終わりだ、後はこの景色を楽しんで茶でも楽しもう、メルクリウス」

「いえ……」

さぁ楽しもうと何処から出したのか 一瞬にして机の上に茶菓子が出現し、そこからカノープス様は茶菓子を食べる時以外口を開くことはなかった…

楽しめ と言われて楽しめるものか、友に隠し事をせねばならない事実と私一人に背負わされたどデカイ話に痛めつけられた我が胃は、とてもじゃないが茶菓子を受け止められるような余裕なんてなかった

そんな私を見て、カノープス様はやはり ただ笑うだけだ、…はぁ とにかく今は目の前のことにだけ集中しよう

目の前の戦いに…、この一件は一先ず忘れることにする


……………………………………………………………………

「ここが、ジルビアさんとリーシャさんの村ですか?」

「なんというか 不思議な村ですね」

風に揺れる草原の先に見えるのは、簡素な村…それを見据えてエリス達はただ、静かにゴクリと固唾を呑む

目を伏せ思うのは緊張、ついに来てしまったか…

「すみません、メグさん 付き合ってもらっちゃって」

「いえ、私もリーシャ様とは顔見知りですので、お墓に挨拶くらいはしておきたいので」

チラリと背後を見れば 移動用の転移魔装を片手で操作するメグさんと、麦わら帽子を片手にジッと向こうの村を見つめるナリアさん そして、軍服姿のジルビアさんが目に入る

そうだ、エリス達は今日 旅立ちを前に、帝国で唯一やり残したこと…リーシャさんのお墓詣りに来ているのだ

明日エリス達はオライオンに旅立つ、帝国を後にすれば 次ここに来るのは何年後になるか分からないし 何よりこれより先に待っている激戦を思えば、悔いとか思い残す事は、なるべく無くしておきたいというのが本音だ

だから、リーシャさんに挨拶に来た 報告に来た、アルカナを潰し ヴィーラントを倒し、エリス達は先に進むという事を

「…さぁ、行こう エリス サトゥルナリア君 メグ、リーシャちゃんが待っている」

片手に花束を掴んだジルビアさんが いつも以上に固い声音で口にすると共に、ポツポツと歩き始め 村の方角へ…リーシャさんのお墓がある方角へと、ゆっくりと歩んでいく

フリードリヒさん達はいない、今日は一番付き合いが長い幼馴染たるジルビアさんに譲るとの事でまた後日 リーシャさんのお墓詣りに行くそうだ、 あんまり騒がしくすると リーシャさんも気持ち寝れないだろうからと

エリスとしては騒がしくしてくれた方がありがたかったんですがね…、あんまりしんみりすると泣いちゃいそうで…、でも泣くわけには行かない

「エリスさん、行こう?」

「ええ、ナリアさん」

だって ナリアさんが泣いてないんだから、あの時あれだけ泣いたエリスがまた泣くわけにはいきません、…あんまり泣いてると 頼りなく見えますからね

静々と差し出されたナリアさんの手を握ると 手汗で濡れていた、それは緊張か 或いは冷や汗か、彼にとって身近な人の死は初めてだろう エリスにとっては…うん

けど、その悲しみを乗り越えた身から言わせてもらうと、死の悲しみを乗り越えるのはとても大変だ、もしナリアさんが折れるような事があるなら エリスが責任を持って彼を支えよう…

そう誓うとともにエリス達もまたジルビアさんについていくように草原を踏みしめ歩く、村の中には入らず 村の近くに設置された墓地へと向かう、軍事は本来マルミドワズの軍人用の墓地に入るのだが リーシャさんはもう軍を抜けるつもりだったから、ジルビアさんが頼んで村の方へと埋葬してもらったようだ

誰も喋らず、ただただ陽光を跳ね返す草原の上を歩き続ける事十数分、それはすぐに見えてきた

あの村用の墓地の群れが、ずらりと並んだ墓地の中 あそこにきっとリーシャさんのお墓が…なんて思っていると、それは直ぐに見つかった ジルビアさんが事前に場所を把握していたからだ

「これだ…、この下に リーシャちゃんがいる」

ポツリと雨垂れが地へ落ちるようなか細い声と共に、ジルビアさんは足を止めて 真横に屹立する石板に目を向ける、数多ある石板 それらは何一つとして変わりなく規律に則って等間隔にこの墓地に並んでいる、その一角…他とまるで何も変わらない墓地に刻まれるのは

『リーシャ・セイレーン ここに眠る』と…、詳しい享年などと共に簡素に名前が刻まれている、それだけが ここにリーシャさんが眠っているという証拠であり、これだけが リーシャさんがこの世に生きていたという証左である

「……リーシャさん」

「リーシャさん、…はぁあ…」

エリスもナリアさんもただ彼女の名を呟くことしか出来ない、ナリアさんなんかはさっきからあからさまにため息が震えている、それでも涙を浮かべないのは 流石だと言える

「これが、特記組最強世代と言われ 未来を期待された人のお墓だなんてね…、こんなの…あんまりだ…」

するとジルビアさんはリーシャさんの名前が刻まれた石板を撫でて、ポロポロと涙を流す

帝国軍人の墓には 古来よりその軍歴を記するというか習わしがある、リーシャさんだって 本当は様々な功績を立ててきた、けれど もう退役したという事実からそれらの軍歴が記される事はなかったのだ

ジルビアさんにはそれが悲しくてたまらないようだ、やはり何を言っても リーシャさんの軍人としての未来を奪った事実は消えない、きっと彼女は一生後悔して 毎夜悔い改め懺悔しながら泣く事だろう、それが彼女の一生なのだろう…だけど、それはどうしようもない事だ、友が死んでしまった以上 もうどうしようもない

「ごめんなさいと言いたいけれど、ごめんなさいと言い尽くしても足りないけれど、きっと貴方はそれさえも煩わしく思うのでしょ?、なら私…何も言わない、ただ 貴方がゆっくりと休めることだけを祈らせて」

そう縋り付くように双眸から落涙を零しながら花を手向ける、見たことのない青い花束だ よく知らないけれど、多分リーシャさんとジルビアさんにとって思い出深い花なのだろう事が 何も聞かされずとも伝わってくる

「ナリアさん…」

「あ…うん、そうだね」

何やら隣で惚けているナリアさんの手をトントンと指で叩けば、彼はハッと意識を取り戻し 再び表情は暗く落ち込む

「…やっぱり来るね、話を聞かされただけじゃ何処か現実味が無かったけど、お墓を見たら…急に来たよ、リーシャさんが本当に死んでしまったんだ…って実感が」

「そうですね、人が死ぬって言うのは…受け入れ難いことです、エリスも…受け入れるのに時間がかかりました、だから 下手に飲み込もうとしなくてもいいんですよ?」

「大丈夫、大丈夫だからさ」

そう言うとナリアさんはエリスから花束を受け取り、ジルビアさんの献花の隣に添えるようにソッと捧げる、あれはエトワールの固有種にして かつての国の名を冠する雪華アルシャラ

『これを捧げる相手は軍人リーシャ・セイレーンではなくクリストキントの脚本家 リーシャ・ドビュッシーである』と…暗に語っているようにも見えるし、事実そうなのだろう

「リーシャさん、貴方が残した脚本は 永遠にクリストキントに残ります、あの劇を見る限り 誰もが貴方を思い浮かべるでしょう、僕たちがみんなおじいさんになってもまた別の誰かに公演してもらいます、この世界が続く限り誰かに演じてもらい続けます、そうする限り 誰も貴方のことを忘れません…貴方の残したものはこの世に残り続けます、貴方の名前と共に」

リーシャさんの望みは忘れられないことであった、小説を書いていたのも 自分が死んだ後誰かが自分の残した小説を読む限り、自分は誰かに忘れられることはない

この世に生まれてきた意味を自分で残す、それが彼女の望みであった、それを知ってか知らずか ナリアさんは言うのだ、残し続けると リーシャさんの努力の結晶を…

この望みを叶えられたと喜ぶべきか それとも、叶える日が来てしまったことを嘆くべきか

「残しますから…残しますから、だから…また 見に来て…ください…、リーシャさん…リーシャさん…ッッ!」

震える声 縋り付く手、押さえつけた悲しみが液化し瞳から溢れる、決して泣き顔は見せまいと俯き ただただ声と肩を震わせる、その様を見ているだけど鼻の奥がジンと熱くなる…、貴方に泣かれると 悲しいです

それもこれも、エリスがあの人を守れなかったから…

「エリス様、今 何を考えてます?」

「メグさん…」

ふと、エリスも泣き出しそうになった瞬間 メグさんがいつも通り、クールにエリスの肩を叩く、その目は確かめるような 問いかけるような視線だ

「我々は振り返る為に来たのではありません、前を向く為に来たのです、酷なようですが…」

「いや、いいんですよ エリスはもう散々振り向きましたからね、そろそろ前向かないと」

「はい、でしたらエリス様も献花を…」

そう言いながらメグさんはエリスの渡す分の花束を時界門から取り出し…

「いえ、いいです」

「え?」

だがいい、エリスは献花をするつもりはない、だから エリスはエリスの分の花束を持ってこなかったんだ、…けれど 代わりに

「あれを、捧げますから」

「あれ…ああ、なるほど そういうつもりでしたか、ええ いいと思いますよ、私も」

メグさんもまた優しく微笑み 背中を押してくれ、ナリアさんとジルビアさんがエリスに道を譲エリスは暮石の真ん前に立つ…、そこにいるんですよリーシャさん 居ると思ってエリス、今から貴方にお話ししますよ?

「リーシャさん、エリスはちゃんと 貴方に託された後の事を片付けましたよ、ヴィーラントはぶちのめして地獄に落としましたし、アルカナも木っ端微塵に吹き飛ばしましもう跡形もありません」

後の事を託されたから ヴィーラントを倒したわけじゃないしアルカナをぶっ潰したわけじゃない、どうあれアイツらは倒すべき敵だった

だが、リーシャさんに託されたからこそ エリスは最後まで戦い抜けた、アルカナの軍勢を抜けて不死身のヴィーラントを倒し 最強の敵でいるシンを撃破する、この連戦で何度も挫けそうになる都度 リーシャさんの言葉が背を押した

そして、その言葉は今も…エリスの背に

「…エリスは先に進みます、師匠を助ける為にオライオンに向かい 旅を続けます、貴方が書くことが出来なかった物語の続きエリスはこの目で見てきます」

先に進み続ける限り誰かが傷つくだろう、エリスはこの先嫌っていうほど苦しい目を見るだろう、でも進むっていうのはそういうことだ 旅をするとはそういうことだ

色んなものを見て 色んな体験をして、楽しい事も苦しい事も丸めて飲み込み エリスは進むんだ

でも…、だからこそ 誓おう

「リーシャさん、エリスは…もう二度と誰かを失いません、友達も大切な人も絶対に失いません、何もかも守り抜いてみせます…今度こそ、絶対に!」

もうリーシャさんの時のような悲劇は繰り返さない、苦しくても痛くても立ち止まらず エリスは友達を守り続ける、誰も失いはしない 失わせなんかしない、例え相手が神だろうが 魔女だろうが 原初の災厄だろうが、エリスは今度こそ守り抜く事をここに誓う、エリスが守れなかった貴方に 誓いますよ

「だから見ててください、エリスの旅路を」

その言葉と共に懐から取り出したるは一冊の本、赤い装丁に金の文字で書かれるのは…

「ん、その本は…」

「はい、リーシャさんが最後に書いた物語…エリスの冒険をもとに書いた本です」

リーシャさんは軍を抜けるとともにこの物語を出版し 帝国でデビューするつもりだったという、…書き切るには書き切ったが それをデビューする直前に悲劇が起こってしまったんだ

でも、物語自体は完結している 故にエリスとメグさんはリーシャさんの原稿を持ってこの物語を出版して貰えるよう帝国商業組合に掛け合ったんだ、幸いリーシャさんのエトワールでの活躍は帝国にも届いていたからね、この本は 帝国の市場に並ぶそうだ

と言ってもそれはまだ先の話だ、エリスが持っているこれは組合が纏めてくれた最初の一冊…、リーシャさんの夢の出発点となるはずだった物だ

本当は形見として持っておきたかったですが、これはリーシャさんが作ったリーシャさんだけのものですからね、だからこれを花の代わりに捧げます 、空の上から読んでくださいリーシャさん

「リーシャちゃんの本か、…ねぇエリス その本、私も少し読んでもいいかな」

「ええ、…読んだらまた お墓の前に置いておいてください」

リーシャさんの本を まだジルビアさんは読んでいないようだしね、リーシャさんは目の前で自分の創作物を読まれるのを嫌がるかな?…いや、いいだろう

だって ジルビアさんはリーシャさんの最初のファンだ、そんな彼女が目の前で読んでくれるなら 彼女も喜ぶはずだ

「では、エリスはこれで」

「え?、もう行くの?…」

「ええ、あんまり長く居ると情けない顔を見せそうなので、それに 言いたいことは言えたし 渡したいものは渡せましたからね」

やることはやった 言うことは言った、エリスは先に進む 旅を続ける だから何も心配はいらないとリーシャさんに伝えた

別れの言葉としては呆気ないかもしれない、死者の弔いの言葉とは言えないかもしれない

けど、本当に言いたい言葉は…もう残してあるから、それでいいんだ

「ナリアさんはどうします?」

「僕は……、うん!僕も行く!」

グシグシと顔を拭いて再び彼は立ち上がる、強く強く立ち上がる、彼もまた もう二度と誰かを失わない為に戦い進む道を選ぶのだ

エリスよりもリーシャさんと付き合いが長いから、その悲しみだって大きいだろうに…強いですね、ナリアさん

「それじゃあジルビアさん」

「……ああ」

「リーシャさんの事、よろしくお願いします」

「…うん」

踵を返す、墓に背を向ける

歩み出す、リーシャさんを置いて

進み続ける、友と一緒に

旅を続ける、貴方の夢を背負って エリスは永遠に、貴方が見た夢を終わらせない為に、貴方の見た夢のままに、エリスは 旅を続ける 戦い続ける、笑い続ける

それがリーシャさんに対する最大の弔いであると信じているから、それがエリスにできる唯一の事だから…、ですから リーシャさん、見ててください

エリスは…今度こそ、やり遂げますから




…………………………………………………………



「エリス、…君は強い子だ」

エリス達がメグの時界門に消えるのを ジルビアは見届け、背を預けるように暮石にもたれ地面に座り込む、かつてこの村で一緒に過ごしたあの時のように、私は再び リーシャちゃんに背中を預ける

手の中にはリーシャちゃんの遺作である『少女ケレスの冒険』がある、ケレスってのは 多分エリスの事なんだろうな って思えるくらい、開いたページから彼女への想いが溢れてきて妬いてしまう

「…相変わらず、リーシャちゃんの文は…綺麗だな」

私の最愛の幼馴染は 凶刃に倒れ命を失った、もう二度と喋る事も動く事もない、けれど 彼女の伝えたかった意思は文字としてこの世に残っている

リーシャちゃんはこうして何かを残したかったんだろうなぁ…、自分がいなくなっても 誰かを楽しませる事が出来るように って

「…………」

黙って 噛みしめるように彼女の遺作を読み耽る、一ページ一ページしっかりと噛み砕いて飲み込むように楽しむうちに、いつしか私はリーシャちゃんの姿の代わりに この本の中の少女の姿を見る程に 熱中していた

少女は凛々しく優しい師匠と共に世界各地を巡る、慈愛の国 戦いの国 富裕の国 歴史の国 芸術の国 そして 豊かで不自由な大国の話、どれも現実の世界に存在する国々を彼女は勇気と優しさと師匠の教えを胸に笑って駆け抜けていく

自分もこんな風に、なんて思わせるのは これを書いている人間が同じように思ったからか

エリス…、君はリーシャちゃんにとても大切なものを与えてくれたようだね

「…彼女の最後の友達が、エリス…君で良かった」

最初の友達として つくづく思う、お陰で彼女の物語に 鮮やかな色が灯った事だろう…

「っと…もうこんなに読んでしまったか」

気がついたら空は赤く染まり始めていた、時を忘れて読み進めていたからか 本も終盤…、帝国を思わせる国に向かうところで お話は終わっている、でも この作者は信じていた

この物語に出てくる少女は、きっとどんな国を見つけても その先を目指し続ける事を、旅をやめないことを、だかこの物語では少女は旅を止める事なく 歩みを永遠に続ける…という終わり方をしているんだ

「…面白かったな、リーシャちゃんの最後のお話」

残り少なくなったページを指でなぞり 再び寂静に襲われる、きっとリーシャちゃんだってこの続きを書きたかったに決まってる、なのに この本はここで終わる、それより先が書かれることはない、永遠に書かれることがない

この物語は、ここで終わりなんだ…そう思うと無性に…ん?

「なんだ?これは…」

ふと、最後のページに何かが挟まっていることに気がつく、はらりとページをめくり見てみれば、そこには…

「これは、友情のペンダント…」

リーシャちゃんが持っていたペンダントだ、私達五人が友情の証としてあの日揃えて買った鉄のペンダント、壊れてなくなったと思ったそれが 溶接塗れで原型を失ってもまだ繋がり続けるそれが、本の中に挟まっていたんだ

粋な事をする…、でもフリードリヒの頼みを聞いてくれたのか

「…うん、これはここに挟んでおいたほうがいいな…」

エリスの言葉に従い ペンダントを再び栞のように本に挟もうときた瞬間、気がついてしまう

最後のページに残された、エリスの真のメッセージに

「これは…ははは、そうか…」

そこにはペンで一言だけ、書かれていた、きっとリーシャちゃんに向けられた言葉、手向けられたどの花より彼女に届くその言葉を見て、私は本を閉じ 再び墓へと捧げる、そうか…

「見ててくれ…か、きっと リーシャも君を見ていると思うよ、エリス…だから」

立ち止まらないでくれ、私達はここで 君の旅路の続きを見届けるからさ…

本を置いて立ち上がるジルビアは エリスの背中を空の向こうに見る、吹き荒ぶ風はまるでエリスのようだ、ただただ 通り過ぎるように吹いて 物事を前へと進める風のような少女に 今はただ、万感の謝辞を…

風に揺れるジルビアの髪とともに、煽られ開き ページが捲れていく『少女ケレスの冒険』

それは 鉄のペンダントの挟まった最後のページで止まり、その言葉が 天へと向けられる


物語の最後に描かれた『fin』の文字を切り裂くように引かれた二本の斜線、そして それを取り消すように置かれた代わりの言葉…

『To be continued』

その言葉の通り、進み続けるエリスの冒険は、リーシャちゃんが夢見た物語は、まだまだ…


つづく
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