CODE;FACTOR -コードファクター-

ゆづのすけ

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前編

CODE;FACTOR CODE;01 Akagi & Nagato

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 四月。
 今日から高校二年生になる東雲しののめ 赤城あかぎは、各教室の入り口へ貼り出された座席表を確認して回っていた。

 「やったね赤城、今年は同じクラスじゃん。よろしくね」
 赤城の背を軽く叩きながら声をかけてきたのは、見慣れた親友だ。
 「おはよ、舞。ほんとだ、一緒だね」
 同じ表の中に萩尾はぎお舞風まいかぜの名を見つけ、赤城は安堵した。舞風はさらに座席表を眺め、ふと一点に視線を留めた。
 「わ。今年も瀬良せらいんじゃん」
 「せら……?ああ、あの金髪の……」
 舞風が指さした座席表の名を追うと、確かに赤城の後ろの席に『瀬良長門ながと』という名が印字してある。顔見知りではないため詳しくはないが、赤城にも見覚えはあった。学校内でもいつもジャージの男子生徒で、何よりもその大柄な体躯と金髪が目を引く。しばしば生徒指導教員と廊下で怒鳴り合っている声が聞こえてきていた。声も大きく、威圧的で近寄りがたい。
 「そうそう。あたし、去年も同じクラスでさ。面白いんだけど、ちょっと……つか結構怖いっつーか」
 「ふうん……」
 「赤城は真面目だからああいうのと関わることとかないもんね。一年間、じっくり堪能したらいいんじゃない?あのうるささ」
 「なによそれ」
 茶化すように笑う友人につられて、思わず笑みがこぼれる。瀬良は学内では有名人だったが、当たり障りなく過ごしてきた赤城にとって、特に関わる機会もないだけだ。もっとも、長門という名は確かに、人名には不向きであるとは思う。船の名前じゃあるまいに、と、感じたささやかな共通点も、始業式での校長の長々とした訓示の間にいつしか赤城の意識からは薄れていった。


 新学期最初のホームルームが終わり、休み時間を告げるチャイムと共にクラスの一同がざわめいて席を立つ。赤城も喉の渇きを癒そうと鞄から水筒を取り出しかけた時、ふいに担任に呼び止められた。放課後に校長室まで来るよう事務的に告げられ、その日時を記した付箋を渡される。不良と名高い瀬良長門ならまだしも、校長室に呼び出されるような物事など赤城にはとんと見当もつかない。担任の口調から察するにお叱りを受けるような事はなさそうではあるが、その得体の知れなさがかえって一層赤城の不安を煽った。その不安を仕舞うように、受け取った付箋を自習ノートに挟む。

 結局その日、瀬良長門と割り振られた席は空のままだった。



 夕方訪れた、ブラインド越しに西日の射す校長室には三人の男性が立っていた。己の席であろう、革張りのチェアの脇に校長──全校集会で壇上に立って長ったらしい話をする顔だ──と、赤城のため部屋の扉を開けたその場に静止した新学年の担任。そして向い合わせになっている応接用のソファの傍らに、黒髪を束ねた見知らぬ細身の青年がひとり。
 青年は赤城を見るなり柔らかく微笑み、会釈をした。手入れの行き届いたスーツから、彼の几帳面そうな性格が見てとれる。肩から胸へと流した長髪が揺れた。
 「初めまして。私は対不死化生命体殲滅部隊『TEARSティアズ名坂なさか支部、医務班長兼総務統括、小鳥遊たかなし大和やまと……と申します。ああ、長ったらしい肩書きは後程説明しますので、名前だけ簡単に覚えていただければと。東雲赤城さん、ですね。」
 大和と名乗る青年の握手に応えようと右手を差し出しかけた赤城だったが、彼が差し出したのは左手であった。「左手の非礼をお許しください」と申し訳なさそうに背を屈める大和に慌てて左手を返し、その手に体温を受け取る。随分と長い肩書きであるが、殲滅だの部隊だの、赤城にはそれこそ全く心当たりがない。言われるまでもなく、彼の名前を把握するのが手一杯だった。
 赤城を見守る三人の男性はそれぞれ目配せをし、それを受けて大和が小さく頷いた。そして改めて赤城に向き直り、諭すようにゆっくりと口を開いた。
 「今回こうして東雲さんをお訪ねしたのは、重要なお願いがあるからです」


 高等学校を始めとして、教育施設ではカリキュラムの大規模な見直しが行われ、簡単な軍事行動の基礎の授業が組み込まれた。基本的な作戦行動の座学や、体育では簡易的な護身用対人戦闘術の授業が数年前から始まっている。
 赤城が通う、県立名坂高等学校も例外ではない。
 ここ名坂市は、政令指定都市から少し離れた沿岸部に位置する地方都市だ。かつて大戦期には軍港として発展したため、各地に軍の遺構が点在している港町である。


 大和が合図をすると、校長と担任は一礼して場を辞した。校長室に、赤城と大和の二人が残される。
 「近年、不死化生命体──簡単には死なない細胞に寄生された生命体。ざっくり言うと、ゾンビのようなものです。この、ゾンビが増えている、という話はご存じですか?」
 促されるがまま応接用ソファに腰掛けた赤城の斜め前の席に腰を下ろした大和は、傍らのクリアファイルから一枚資料を抜き取って、赤城の目の前のテーブルに差し出した。


 細胞にプログラムされているアポトーシス。
 それを無効とし、細胞を不死化させ増殖を続けさせるようコードされた因子を持つ遺伝子が開発された。ある者はそれを『がん細胞』、またある者は『再生の希望』と呼んだ。
 関係者らはその因子に『コードファクター』と名付けた。
 再生医療への貢献。知識人の延命。ペットの長寿命化。絶滅危惧種の保存。数多くの希望を背負った不死化因子は、その力を広く発揮する実用化の日をアンプルの中で静かに待っていた。

 長らく紛争の続いた灰色の時代に多くの国が疲弊した。今から八年前、各国の首脳陣が集い世界同時廃戦宣言を採択した。その宣言の当日、サミット会場で大規模なテロが発生。
 国と軍部の首脳が一瞬で肉塊と化し、同時に───

 人を喰らう異形へと変貌した。

 『コードファクター』を投与された肉塊のひとつが『発症』し、その最大の副作用──貪食作用を示し始めた。
 コードファクターに感染した者は、その増殖を続ける細胞を維持するために膨大な栄養を必要とする。そのため、他の肉を喰らう貪食作用を示す。感染者の体液等が体内に侵入すると、体液に含まれるコードファクターが吸収され、感染は拡大していく。



 「ちょっと前に……動画が流行りましたよね。親父狩りの……」
 不良少年らに囲まれて暴行された中年男性が、突如豹変し、少年のひとりに食らい付いた動画だ。そのショッキングさから瞬く間に拡散され、若い世代を中心に話題になった。赤城も、その動画を観たことのある一人だった。
 「ええ、そうです。驚異的な身体能力を得た彼らは、人を襲います」
 「人を……」
 先程まで人間だったものが、突如獣のように飛び掛かる。動画で見た時はぞっとしたが、どこか遠い街での出来事だと思っていた。それをこうして目の前の人物に語られると、崩壊はすぐそこにあるのではないかと腹の奥がすっと冷たくなる。

 「情報規制がかかっていますので、全容は公には明らかにされていません。僕も、お話できる範囲は厳しく定められています。ですから、校長先生と担任の前橋先生には席を外していただきました」
 教員には聞かせられない機密事項を、赤城には聞かせる必要がある。目の前の青年は、そう言っているのだ。
 「細胞を不死化させる因子、『コードファクター』の台頭により、人類は確実に滅びへと歩みを進めています。それを少しでも食い止める必要がある」
 大和はクリアファイルの上に、名刺を差し出した。その肩書きの一部を、筋ばった指がなぞる。
 「対不死化生命体殲滅部隊、TEARS。コードファクターに感染・発症した異形を倒すための、国境を越えた精鋭によるチームです」
 「ゾンビを倒さなきゃいけないのは分かりました……。でも、どうして私にその話を……?」
 困惑を隠せない。そんな物騒な話を持ちかけられるような心当たりは、赤城にはいっさい無いのだ。
 「春休みの登校日に、健康診断がありましたよね?五年前から、そのデータは我々軍部が収集、解析しています。その主な目的は、コードファクターの感染に抵抗しうる体質の持ち主を見つけ出すこと」
 まさか、と赤城は血の気が引くのを感じた。赤城が察したことは、大和にも見て取れたらしい。
 「ええ、そうです。僕も結果を見て疑いましたが……その耐性体質がずば抜けているのが、東雲赤城さん。貴女なんです」

 校長室で叱られるどころか、人類の命運を握る精鋭部隊の一端へのスカウトとは恐れ入る。ぽかんとする赤城に、ですよねと大和も苦笑いを隠せない。
 「でっ……でも!私まだ未成年ですし、親だって……その、」
 赤城は高校進学を期に、親元を離れて名坂に下宿している。部活の弓道に集中したかったからだ。それぞれ詳しくは知らないが、父親は製薬会社、母親は研究施設に勤めており、人のために尽くすことを第一義とする正義感の強い二人だ。この話を聞けば入隊は許可するだろうが、それでも不安なものは不安だ。
 「実は既に……高校入学当初、つまり昨年から、親御さまより許可はいただいています。あとは東雲さんご自身のお気持ち次第、です。」
 大和は、赤城の様子を見ながら慎重に告げる。少し言いにくそうだ。
 「当然ながら、我々は強制することなどできません。あくまでもこちらの都合で、身勝手に、命を懸けて戦ってくれと図々しいお願いをしている身ですから」
 「……その。返事は……時間を頂いても、構いませんか。……心の、準備が」
 既に両親に話が通っていたとは思わなかった。それよりも、命を懸けて戦ってくれ、という言葉がずしりと響く。頭で理解はすれど、心が納得を拒否していた。
 第一、そんなゾンビなど見たことがない。ニュースでしばしば目にすることはあったが、それらは遠い世界の話だと思っていた。テレビの向こう側の世界が突然、目の前に現れたのだ。
 「勿論です。こんな荒唐無稽な話、信じろという方が難しいのも……よく分かりますから」
 壁にかけられた時計を見た大和は、「随分とお時間を取らせてしまってすみません」と告げた。話はひとまずここまでのようだ。
 「僕達としても、東雲さんの意志の尊重が最優先ですから、どの選択をされようと責めるつもりは一切ありません。……名刺の裏に僕の番号とメールアドレスを書いていますので、お気持ちが固まったら、お返事はそちらにお願いします」
 出入口の扉を開き、赤城を見送った。


 *
 部活を終えた舞風とファストフード店に寄り道して軽く話したが、大和の件は切り出すことができなかった。舞風もさして興味がないのか、踏み込んで訊いてくることも無かったのは赤城にとって幸いだった。

 陽も沈みかけて、徐々に目を覚ます街灯が道を照らす。
 舞風と別れた後、赤城は商店街の外れを歩きながら、大和の名刺を眺めていた。『対不死化生命体殲滅部隊 TEARS 名坂支部 医務班長 総務統括 少佐 小鳥遊大和』と書かれている。こうして文字で見ても、やはり随分と肩書きが長い。組織のことはさっぱりわからないが、立場の高い者なのだろうか。ドラマ等で知ってはいても、実物の名刺をこうしてまだ高校生の自分が受けとることなど想像もしていなかった。
 (それにしても、美人な男の人だったなあ……)
 まだ学生の少女には、親を除いては教員以外に成人と関わる機会などあまり無い。生徒としてではなく、一人の人間として赤城を扱う大和の態度は、彼女にとっては新鮮だった。
 帰ったら、貰った資料に目を通してみよう──そんなことを呑気に考えながら、名刺のネームプリント部分を指で撫でる。医務班長、ということは、医療にも精通した人物なのだろうか。そういえば、父親の勤務先も、小鳥遊製薬とかいう名前だったような気がする。


 と。
 五十メートルほど先の歩道に、人が立っていた。その人物はその場でゆらりゆらりと揺れている。何となく不審に思い、赤城は名刺をそっとスクールバッグの中へと忍ばせた。
 人影は揺れた後、何かを探すように周囲をゆっくりと見渡した。離れていたため顔はよく視認できなかったが、目が合った──と直感が告げた瞬間、
 人影が勢いよくこちらへと走ってきた。
 赤城は慌てて元来た方向へと踵を返した。びたん、という鈍い音に振り返ると、人影が歩道に敷き詰められたブロックの小さな段差につまづいていた。大の字に倒れていると思いきや、うつ伏せの背がぼこり、ぼこりと隆起する。呼応するように四肢もぼこり、と膨らみ、もとの二倍はあろうかという巨体へと変貌した。
 赤城の脳裏に、大和の言葉が過る。
 ──驚異的な身体能力を得た彼らは、人を襲います──
 今日は部活を休んだのもあって、弓道に使う弓を持っていなかったことが悔やまれる。丸腰である以上、あの化け物を撒くことに専念するのが得策であろう。赤城はスクールバッグを抱え、黄昏時のシャッター通りを駆け出した。

 追ってくる気配は続いている。中心街の筈なのに、周囲は恐ろしいほど静かだ。どこかに逃げ込もうという算段は閉ざされていく。どれほど走ったのか、気が付けば閑散とした旧呑み屋街へと辿り着いていた。換気扇から吐き出された油で汚れたこの辺りは、数年前に軒並み閉店してしまっている。赤城は訪れたこともないため、ここの景色は右も左も分からず背筋を冷やす。
 突如トタンが倒れるような激しい音と同時に、女性の悲鳴が空気を切り裂いた。
 長い叫び声は呻き声に変わり、やがて途切れ、びちゃびちゃという不快な音が聞こえる。咄嗟に耳を覆いたくなったが、敵の見えないこの状況で自分から聴覚という手懸かりを捨てることは、赤城のぎりぎりの理性が許さなかった。
 ずるり、ずるり。引き摺るような音が近付いてくる。逃げなければ、頭ではそう理解していても、膝から下に嘘のように力が入らない。見渡せばそこは、随分と狭い路地だった。陽が沈んでしまった以上、方角もわからない。四つ這いになった化け物が、ひょっこりと脇道から顔を出した。薄暗い中でもはっきりと、恐怖の張り付いた真っ白な中年男性の顔と目が合う。否、男性の顔をしたその口の中に、巨大な眼球がこちらを覗いている。
 ぼたりぼたりと血を滴らせながら、男性の口角がにたりと歪む。
 咄嗟に顔を反対へと逸らすと、路地の向こう側から、もう一体ゆらゆら揺れる人影が見えた。──囲まれている。
 赤城は、視界が揺らぐのを感じた。
 それは本能から来る恐怖。己も今からあの肉塊の中に沈むのか──そう思うと、笑いさえ込み上げてきた。
 極限まで研ぎ澄まされる五感。迫り来る絶望に折れようとしたその時、路地の向こうに気配を感じた。足音はジョギングでもするかのように安定しており、こちらに向かってくるようだ。その力強さは、赤城に一瞬の勇気を取り戻させる。
 「来ないで!危険です!」
 咄嗟に気配に向かって声を荒げた。これ以上一般人を巻き込むわけにはいかないという、せめてもの人助けのつもりで。

 「はいはい、お仕事お仕事っと」
 頭上から飛び出してきた大きな黒い影は、赤城の背後から現れた二体目の頭上にそのまま着地する。鈍い音が響いて地面に溶け込むかのように潰れ伏した。血で滑る靴底の勢いを脚力で殺し、バスケットボールの試合のように踏み替える。そのまま裏拳──否、拳に握り込んだ何かごと、三体目の首に叩き込む。壁に倒れかかったその頭を、止めの靴底が蹴り潰した。
 一体目、赤城をここまで追ってきた巨体の化け物が、ジャージの男に威嚇音らしき奇声を発した。張り付いた男性の顔がばっくりと耳まで割け、口内に隠れた眼球の下からさらに巨大な口が現れる。血に濡れた口内には、先程喰らったであろう、マニキュアが施された白い手の一部が残っていた。
 思わず身を屈めて目を背けようとした赤城をジャージの男は軽々と飛び越え、その長身を赤城と巨大の間に割り込ませる。
 「汚ったねえなあ。何人食ったの?」
 男は嘲るように告げながら、握っていた物体──大型の、黒光りするハンドガンを化け物へと向ける。

 けたたましい銃声がひとつ響き、口内の眼球が爆ぜる。化物は大きく揺らめいた。赤城の方へ倒れかかってきたその頭に、男の蹴りがめり込む。そのまま振り抜かれる脚とともに、反対方向へと巨体が仰向けに倒れた。
 赤城の前に軽やかに着地したその男は、サイドに赤いラインが入った上下揃いの黒いジャージに、『 TEARS 』と印字された腕章を着用している。TEARS ──どこかで見たような。
 ジャージの男は、倒した巨体にはさして興味もない様子で、腰を抜かしたままの赤城へと目線を合わせてしゃがみこんだ。
 「だいじょーぶ?かっこいーヒーロー登場に腰抜けてんじゃん」
 返り血もそのままに、けらけら笑う。綺麗なブロンドが、街灯に照らされてきらりと光った。
 言葉が返せずにいる赤城に大きな怪我がないらしいことを確認して、澄んだ珊瑚礁のようなターコイズブルーの瞳が改めて巨体を一瞥した。
 「来ないで、ってなに、俺がこんな雑魚にやられるとでも思った?」
 赤城が死を覚悟した化物を雑魚呼ばわりするとは随分なことだが、先程の動きといい腰のホルスターに慣れた手付きで銃を仕舞う姿といい、彼がこのような現場に居合わせるのは初めての事ではないらしい。
 差し出された手を赤城が取ると、そのまま一気に引き起こされた。
 「送ってあげたいのは山々なんだけど、さっきのデカブツが仲間呼んだんだよね。ちょっとだけ片付けるから、待っててくれる?」
 そう告げるや否や、呻き声とともに三体、新たな異形が現れた。ジャージの男は、事も無げにそれらを同時に相手取り、あっさりと沈める。


 「ん、大丈夫。駅はあっちだけど……家どこ?」
 「あ……ええと、西新町の方……です」
 「じゃあ区域外だね。そこまで送るよ」
 区域外、という言葉に首を傾げていると、やがて路地がシャッターのような壁に塞がれた場所へと辿り着いた。行き止まりでは、と躊躇う赤城をよそに、ジャージの男はそのまま壁へと近付いていく。それに倣って赤城も近寄ると、壁にセンサーらしき装置がついている。そこに男が腕章を翳すと、音を立てて目の前の壁の一部が開いた。目の前には見慣れた大通りがある。
 「これが隔離区域。シャッターが閉まる前に入り込んだんでしょ。餌になんなくて良かったね」
 ここに化け物を閉じ込めて、被害拡大を食い止めるらしい。このような装置の存在など、全く知らなかった。どうりで人の気配が無かったわけだ。
 「そんじゃーね、気を付けて帰んな」
 呆気にとられる赤城をよそに、男はそう言って笑顔でひらひらと手を振る。ここからなら家はすぐそこだ。
 気心の知れた友人と別れるかのようなあっけらかんとした挨拶は、さながら年頃の高校生のようだった。……その長身が返り血にべったりと濡れていたことを除いては。



 下宿先に帰宅すると、急に恐怖が甦ってきた。あの男の人が助けに来なかったら、あるいはあと1分到着が遅かったら、今頃自分はここに戻ることもなかっただろう。冷えきった喉を潤したくて、何か味わって生の実感を得たくて、最近暖かくなり消費量の減ったインスタントのココアをマグカップへ流し込んだ。

 落ち着きを取り戻すと、角の向こうで悲鳴をあげ続けた女性を思い出す。彼があと五分来るのが早ければ、あの女性も助かったのではないか。
 ──違う。
 もしも自分があの時戦えていたら、あの女性も今頃、自宅に帰れていたのではないか。
 そう思うと、胸の奥がつかえて、じんわりと視界が滲んだ。


 *

 「まさか、こんなに早くお返事がいただけるとは予想外でした。……お怪我はありませんか?」
 駅前で赤城を出迎えた大和は、淡い茶色をした薄手のトレンチコートにスラックスという出で立ちで、とても軍事組織の人間とは思えない。伊達眼鏡をクラッチバッグへと仕舞うと、「それでは参りましょうか」と、まるでそのままショッピングデートにでも向かうかのようにエスコートされた。
 赤城の心変わりに、先日何があったのかを大和は何となく察しているらしい。
 引っ越す前にまずは組織と施設の説明を、との話だったため、赤城の荷物は帰りに受けとるであろう書類が入るようなトートバッグひとつだ。大和は荷物を持ちましょうか、と提案してくれたが、まだほとんど物の入っていないバッグを持たせるのも気が引けるので辞した。


 正門では、厳つい顔をした守衛が大和を見るなり音を立てる勢いで敬礼した。大和はそれをやんわりと手で制しながら、会釈をして門を抜ける。赤城もそれに倣って守衛に小さく礼をすると、彼は一瞬不思議そうな表情をしてから、赤城にも敬礼を返してくれた。大和の客人であることを把握したのだろう。

 石畳の通路を歩いていくと、高校の窓からも見えていた、赤いレンガ造りの三階建ての本館がいよいよ目の前に現れる。その見た目から『鎮守府』と地域では呼び親しまれている建物だが、敷地内へと踏み込むのは今回が初めてだ。
 本館の正面玄関から大理石のエントランスホールに入ると、中央階段が出迎えた。真っ白な壁と天井が、階段に敷かれた真っ赤なカーペットを際立てる。
 「古い建物ですからね。管理も大変なんですよ」
 木で造られた手摺を撫でながら大和はそう言うが、赤城にとっては、お伽噺に出てくるお姫様が降りてきそうな階段に思われた。
 そのまま二階へ移動し、ひとつの木造の扉へと辿り着く。入口に掲げられた縦書きのプレートには、筆文字で応接室と書かれている。
 「どうぞ、お掛けください。ああ……楽にしていただいて結構ですよ。僕も、畏まられるのはあまり得意ではないので」
 中央に構えられた大きな応接セットは、校長室のものとは格が違うことは素人の赤城の目にも明らかだった。しかし大和は着ていたコートを、慣れた様子でソファの背もたれへと掛けてしまう。戸棚を開けながら「緑茶と紅茶、どちらがお好きです?コーヒーもありますけど」と訊いてきた。
 「遠慮しなくて良いんですよ。まだ少し肌寒い中、結構歩いてきましたし。というわけで医務班としてお勧めするとしたら、殺菌効果の高い緑茶です」
 「えっと……じゃあ、緑茶……で、お願いします」
 「ふふ。分かりました」
 校長室で話したときよりも、幾分か雰囲気が穏やかな気がする。こちらがより、彼の素に近いのだろうか。
 重厚な応接室にはやや不釣り合いな一連の何気ない動作は、彼のこの軍事施設における地位の高さを示すものに他ならない。ポットが湯を注ぐ音を聞きながら、赤城はぼんやりとそんなことを考えていた。
 「すみません、今あいにく皆出払ってまして。本当はもう少し賑やかなんですよ」と、二人分の緑茶が大理石の机に置かれた。

 大和は赤城の正面に腰掛け、少し畏まって向き直る。
 「改めまして、小鳥遊大和です。僕はここの専属医師でもあります。うちはまだまだ女性も少なく、僕も男の身、若輩ではありますが……困ったことがあったら何でもお気軽にご相談ください」
 差し出された右手を握り返すと、手袋の下にあったのは無機質な──機械のような感触だった。赤城が驚いたことに気付いたのか、大和はやんわりと笑って続ける。
 「右手が義手なんです。驚かせてはいけないと思い、先日は左手での握手になってしまいました。すみません」
 外された手袋の下から、銀色の掌が現れた。日常生活には支障はないんですよ、との言葉通り、随分と精巧に動く。義手を間近で見るのは赤城にとって初めてのことだった。

 「スタッフも男性ばかりで、女性向けの整備が追い付いていません。色々と不便をお掛けするかとは思いますが、お気付きの点はいつでも教えてくださいね」
 机の下から白い紙袋を取り出し、そこからひとつの薄い冊子を机に乗せた。表紙には『名坂支部 明刻寮 寮規則』と書かれている。
 「襲撃を受けた件については聞き及んでいます。ここでは敷地内に寮もありますし、安全の為に入寮していただくのも手かな、と」
 と言いながら、大和は脱いだコートのポケットから腕章を取り出してみせた。TEARSと印字されたそれは、確かにあの時ジャージの男が身に付けていたものと同じだ。襲撃の件がきちんと共有されていたという事実に、赤城は頼もしさを覚えた。

 「どこも似たような状況ではあるのですが、うちも人員不足が深刻でして。赤城さんを強引にお呼びしてしまったのも、そのせいです。で、うちの司令官……ここで一番のお偉いさんの方針としては、習うより慣れろ、ですので。なるべく早い段階で、というかすぐにでも、赤城さんにも実戦に」
 「ちょちょちょ、待ってください!?私もあんなヤバ……化け物といきなり戦うんですか!?」
 嫌な予感は的中する。それを見越しているとばかりに、大和は続けた。
 「ええ、心配はごもっともです。ですので、赤城さんには強力なサポートをあてがいました。そろそろここに来る頃合いだと思うのですが……」
 「サポート……?」
 「ええ。同い年で同じ学校に通っているので、名前くらいは聞いたことがあるかもしれません」
 大和がそう告げると同時に、重厚な扉がずいぶんと乱雑に開かれた。
 「おぃーす!大和ぉ、用ってなに?」
 現れたジャージに身を包んだ金髪は、赤城には強烈に見覚えがあった。
 「ぁ……!」
 「んぇ?どっかで会ったっけ?」
 金髪の男は、思わず驚きの声を漏らした赤城の姿を見て少し考えてから、思い出せなかったのか思い出すことを放棄したのか、「まあいっか」と笑って誤魔化した。
 目鼻立ちのくっきりした色素の淡い顔立ちは、一見すると西洋人のようだ。だが目の前のこの男は、見た目よりも妙に幼い口調ながら、存外流暢に日本語を喋る。そんな彼に大和は「ちょっと長門くん。君が教えてくれたんじゃないですか、襲われてた女の子が居たって……」と苦笑してから、赤城に向き直った。
 「赤城さんの指南役として作戦行動を共にしていただく、瀬良せら長門ながとくんです。少し癖は強いですが、その実力は折り紙付き。名坂のエースです」
 大和の紹介を受けて、長門は得意気に胸を張る。
 「英国で生まれた帰国子女の長門様だよ!よろしく!」

 人知れず街の平和を守るヒーローの正体は、新学年早々学校をすっぽかすような不良のクラスメイトだった。




 *


  真っ暗な世界に、ごぼり、ごぼりと音を立てて白い欠片が浮かんでゆく。
  気泡だ。
  それらは僅かな光を受けて、暗い世界の中で宝石のように輝く。
  しかしその宝石は、手のひらからこぼれ、ふわりふわりと遠ざかってしまう。
  さながら、この手を拒むように。

  冷たい。
  哀しい。
  寂しい。
  随分と長い間、ここでこうしている気がする。

  これは誰の夢だろうか。
  これは誰の記憶だろうか。

  己の名前すら、もう、思い出せなかった。


 *

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