CODE;FACTOR -コードファクター-

ゆづのすけ

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前編

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「赤城さん!」
「おい、逃げる気か!?」
 赤城に駆け寄ろうとする大和の腕を乱暴に掴み、激昂した霞が問う。
「放してください。貴方……市民を撃ったんですよ!?」
「あははッ! 撃つわけないじゃん、この娘が本当にただの市民ならね!」
 声と共に天井が派手に壊れ、真っ白な少女が落ちてきた。
「ごめんねぇ霞様。こいつ追いかけるのめんどくって、天井壊しちゃった」
 巻いた銀髪をツインテールのように結い上げた赤目の少女は、悪戯っぽくウインクをしながら恭しく霞に礼をする。
「構わない。……この二人をやれ!」
「はぁい。じゃ、E48、やっちゃうね」

 E48と名乗ったアンセラの少女は、倒れている赤城に手刀を叩き落とす。すんでのところで転がってかわした赤城は、反動で起き上がりながらクロスボウを構え直した。
「何なのあんた、さっきから……!」
「何ってこっちが訊きたいっての、侵入者」
 霞のいるこの部屋に辿り着く途中に、このE48の奇襲を受けて赤城は大和とはぐれ、E48を撒きながら建物内を走り回る羽目になった。
 もう少しで到着という頃に、霞に呼びつけられていた千代田に見つかり、追跡されていたらしい。 
「……っ」
 撃たれたのは左肩だ。ずきずきと痛むが、今はそれに構っていられない。赤城は目の前のアンセラを睨み付け、間合いをはかる。一対一の対人戦闘は初めてだが、やるしかない。

「選ばせたげるよ」
 E48が手を振ると、その手の赤い爪が刃物のように伸びる。
「痛いのと苦しいの、どっちがいい?」

 白い悪魔は、楽しそうに微笑んだ。

 大和の胸倉を掴み上げた霞の前に、すっと一つの小型機器が掲げられる。
「……ボイス、レコーダー……?」
 レコーダーには赤色の動作灯が点灯──録音中であることを示している。霞の背筋を冷たいものが滑り落ちた。
「これを壊しても無駄ですよ。このデータはリアルタイムで外部に転送、バックアップされています。今ここまでの貴方の発言は、すべて、証拠に残っている」
「!?」
 大和が白衣のポケットに手を入れているのは知っていた。が、霞も白衣を頻繁に着る身であり、ポケットの大きな白衣ではそこに多数のものを入れることも決して珍しくない。白衣のポケットに手を入れる仕草というものは、彼らにとってごく普通の光景だったのだ。
 ──ポケットの中のボイスレコーダーを、起動されていた。
「貴様ッ……! 自分が何をしているか分かっているのか!? 小鳥遊の名に傷が付けば、小鳥遊に勤める職員も、お前も……!」
「言動を慎みなさい。まだ醜態を晒し続ける気ですか?」
「……有り得ない。薬剤師にはならないだの婚約者がいるだの……頭がおかしいとは思っていたが、これほど狂っているとは。いつから小鳥遊の誇りを忘れた?」
「……」
 大和は、床に散らばる紙を無言で指差した。
「……?」
 紙を拾い上げてみると、それは『同意書』と書かれていた。
「コードファクターとその制御薬の治験の同意書……のコピーです。……ステージ四の患者を中心に、終末期にある患者にたいして、コードファクター投与による腫瘍の貪食試験とその制御薬の投与試験に協力させるもの」
 そして、

 ──その死後、臓器を含めすべてを研究のために提供させるもの。



□一時間前 第四研究ラボ 資料棟

 そのファイルを見たとき、大和は愕然とした。
 指定病院内でも、該当の患者を担当する医師たちのごく一部に極秘裏のみに知らされたプロジェクト。
患者に死者が出れば、本来死因を解明するために行われる病理解剖を称して、臓器および血液等の回収を行った。
 あの日、ちとせの病棟で行われた会議では、奇妙な『同意書』という単語が飛び交っていた。彼らは直接的な発言は避けていたが、ろくでもない実験が行われようとしている予感がした。まさかちとせが、とは思っていたが、その時ちとせが書いていたものは同意書などとは全く違うものだった。
 大和の研修を受け持った担当医もまた、このプロジェクトに加担していたのだ。

 *

「ぐッ……!」
「時雨! 無茶すんな、下がれ!」
 S部隊は、発症したE47に苦戦していた。
 『侵入者の排除』という役割とはまた別に、『子供を助けて欲しい』という固有の意思を持った──意志疎通が可能なアンセラ。目の前のアンセラが提示したひとつの可能性は、そこに希望を生んでいた。
 が、発症による凶暴化は、これまで交戦してきたアンセラとは明らかに程度が違っている。
「こいつ、ヒーローショーで敵役やってたアンセラだ!」
『そうだ。子供が好きなんだ』
「その状態なら喋れるんかお前!!」
 まさかE47から返事がくるとは。
「そういえば喋ってたような気がする。キヨが言ってた!」
「なら話は早い。お前が退いてくれれば、俺達はその向こうにいる子供達を救出できるんだが……!」
『不可能だ。今は【侵入者を殺せ】という指令コードを受けている。オレたちはそれに、抗えない』
「コード……?」
 時雨の刃は、E47の皮膚が変形したように思われる部位に阻まれ、甲高い金属音を何度も響かせる。
『……指令コードを受けて、もうすぐ……ここに他のアンセラが来る』
「!!」
 長門が振り向くと同時に、子供らが収容されている棟へと続いている電子扉が派手な音を立てて吹き飛ばされた。
「うおっ!」
 飛び散ってくる破片の痛みを、袖越しに感じる。
「オ……オオオオ!!」
 赤子の腹を思わせる胴体から、にゅるりと血管のようなピンク色の枝分かれした紐が飛び出ている。その紐は血で濡れており、まだ鮮やかにきらきらと照明を反射していた。幾つもの眼球が、周囲をぎょろぎょろと見渡す。

「うぇぇキモ……おい保育士さん、とんだ問題児の登場だぜ!!」
「お目覚めそうそう悪いが、良い子は寝る時間だ……!」

 *

 風を切る音を纏って振るわれる深紅の爪は、掠めた床や机に幾重もの傷を重ねる。当たったらひとたまりもない。
(……私には、瀬良くんみたいなパワーはない。でも……)

「なぁに、まだ鬼ごっこするの?」
 E48に背を向けて、赤城は機器の並んだ机の間を駆け出した。
(ま、アタシも霞様から離れた方がやり易いし……)
 人間の匂いはそれぞれ離れている方が嗅ぎ分けやすい。
 赤城にとっての利は、そのままE48にとっても利であった。思わず口の端がつり上がるのを抑えながら、E48は赤城を再び追い始めた。

 以前、囮としてアンセラを誘導し撃退した時の光景が脳裏を過った。
 あの時のアンセラ、ベスゴやブラックフィンとはE48のスピードは比べ物にならない。赤城を弄ぶように、フードのついたワンピースを広げながらふわりふわりと足取り軽く追ってくる。
 先程から数本の矢を放ったが、呆気なく叩き落とされてしまった。矢の浪費も避けるべきだ。
「あははっ、アタシが怖いの? 無理もないよ……ねぇッ!」
 赤城を目掛けて爪が振り下ろされる。
 横のデスクの下に転がり込んで、隣のデスクへとコードのカーテンをくぐり抜けた。
「あっれぇ? どこ行った?」
 デスク下を覗き込むと、そこでは赤城がクロスボウを構えていた。
「チッ!」
 すぐさま飛び退き、放たれた矢を寸前でかわす。迂闊に覗き込んでしまった為、矢が頬を掠めた。
「まどろっこしいなぁ……ったく!」
 デスクや機材を巻き込むのも構わず、爪を凪ぎ払う。
 それこそが、赤城の狙いだった。

 あの日、赤城を狭い通路へ誘導し、二頭のアンセラを斬り伏せた。
 長門のような体格や腕力を持たずとも、彼と肩を並べるもうひとりのS部隊──

 環境をも武器にする、萩原時雨の戦い方なら。

 重いデスクに食い込んだ爪の動きが鈍ったその瞬間、矢がその爪を叩き割った。
「ッ!?」
 コーティング刃の矢を、ここまで使わずにとっておいたのだ。
 アンセラの細胞を崩壊させる試作コーティングの改良型。角化しているとはいえ爪も細胞である以上は有効であろうという大和の見立ては、見事に的中した。
 すぐさま第二射を放つ。刃物が折れるようなぱきんという高い音をまたひとつ奏でて、少女のネイルはからからと床に落ちた。
「なっ……に、それ、聞いてないし……」
 武器を失ったE48は、未だ動揺を隠せずに後退った。肩で息をしながら、赤城もゆっくりと立ち上がってデスクの列越しに彼女と向かい合う。
「はぁ……仕方ないなぁ」
 E48はやれやれと肩をすくめてから、戦闘続行の意思を喪失したのか、そのままぼろぼろになったデスクに腰を掛けて足を組んだ。
「アタシの敗けでいいよ。そんかわりお喋りしよ」
「な、なにそれ……」
「アタシのお願い聞いて欲しいの」
「お願い?」
 E48は、指先で先程放たれた矢を弄んでから、興味をなくしたようにぽいと床に落とした。
「アタシにその服ちょうだい」
「はっ!?」
 人質がどうのとかいう要求かと思いきや、なんとも間の抜けた希望だった。
「セーラー服、って言うんだっけ? そういうの。着てみたいんだよね。いいでしょ?」
「いいわけないでしょ?! 私の服だよ!?」
「あんたは帰れば服が買えるでしょ。でもアタシは買えないの。ずっとつまらない検査着だけ。下着だって指定よ? 死ぬまでずっと」
「……」
 同情するな。頭の中で、金髪の隊長がそう叱咤する。
 それでも、敵味方を抜きにしても。
 純粋に同じ年頃の少女として、E48がその願いを口にできるのは、赤城が初めてで──あるいは、最後であろうことが理解できてしまった。
「別にさ、着飾ったって見せたい相手がいる訳じゃない。でも可愛い服って、眺めてたらそれだけで気分上がるじゃん? 着れたらもっと嬉しくなると思う」
「……え?」
 今更だが、赤城は目の前のアンセラがはっきりと自我を持っていることに驚いた。それも、可愛い服が欲しいなどという、殺戮生体兵器とは思えないあまりにもありふれた少女の意思だ。
「嬉しいとか……あるの?」
「あるよ。この気持ちが造られたものかどうかは分からないけど……そんなのどうでもいい。アタシはどうせここから出られなくても、可愛い服が着てみたいって思う」
「…………」
「どう? イヤって言っても剥ぎ取るけど」
「……持ってきた荷物の中に、私の着替えが───」
 赤城の声は、ふたつの銃声に掻き消された。

「──な、」
 撃鉄の起きる音に、大和は咄嗟に上体を捻った。
 が、霞の放った弾丸は、確かに大和の右腕を捉え──吸い込まれた。
 と同時に、大和もまた平気な顔をして左手を霞に突き付ける。
──どうして、怯まない?
──どうして、お前まで銃を持っている?
 二発目の銃声が響いた。
 床にぱたりぱたりと血を落としているのは、霞だけだ。
「……なに……?」
 大和を見やると、弾丸が裂いた袖の下には銀色の腕が──義手が覗く。
「…………」
 その手の銃は、先程千代田が持っていたものだ。
 周囲にはいつの間にか、千代田の姿は無かった。
「……ははは」
 完敗だ。
 銃を奪っていたなんて。
 そして──義手だっただなんて。
 運はすべて、小鳥遊大和に味方していた。
「……勝てる、訳がなかったのか」
 生まれも、見た目も、才能も、覆せないとわかっていた。だからこそ、努力だけでは彼よりも[[rb:優 > まさ]]っていたかった。
「僕の努力の方が上だった、ただそれだけです」
 霞の心中などお見通しだと言わんばかりに、大和は腕を捲って義手を見せる。
「僕のことはしていただきます。いいですね?」
「ああ。……一応医療者の端くれだ、……やらせてくれ」
 膝をついたままの視界に差し出された左手を、霞はそっと握り返した。

 *

 研究所の廊下を、霞と大和、それに続いて赤城が歩いていく。
 E48は、新たな指令を受けたのか、舌打ちをひとつしてどこかへ駆け出してしまった。
「制御薬?」
「ええ。コードファクターの制御薬があれば、ワクチン不適合体質でも、感染しても救うことができます。……認可と小鳥遊の公式発売を待っていられません。最前線には、一刻も早く必要なんです」
「体質に合うかどうかはわからないぞ」
「ええ。だからこそサンプルが要ります。適合するかしないか、それだけでも準備を進めたい」
 大和が霞に要求したものは、コードファクターの制御薬だった。
「大和さん。……制御薬って、ワクチンと違うんですか?」
「体内に免疫システムとして常駐させる『ワクチン』と異なり、コードファクターの持つ貪食副作用を強く制御するのが、制御薬です。外敵を見つけて殺す防衛部隊をワクチンとするならば、侵入者を捕らえて、彼らが暴れないように押さえつけておく獄吏が制御薬……といったところでしょうか」
 赤城に答えた大和に、霞が付け足した。
「ワクチンは身体への負担も、適合と不適合の個人差も大きいんだ。後から開発された制御薬はまだ市販には至らないが、人体への適合率が高く、ワクチン不適合の人間が感染しても発症を抑えられる希望になる」
「……その実験を、ここでしているんですか?」
「制御薬自体はほぼ完成で、認可を待っている状態だ。今はコードファクターそのものの制御……『制御が可能なコードファクター』の開発をしている。本来薬というものは数十年単位で作られることも普通だ。この制御薬もコードファクターも、表に出てこなかっただけで、研究自体は昔から進んでいた」
 普通は病原体とその制御をする薬は同時に開発されるものだが、コードファクターは研究が先走ったのだという。
「EA機関が早くに研究を独占したからでしょう」
 ガラス張りの渡り廊下に差し掛かると、霞がひとつの建物を示した。
「制御薬の開発および保管をしているのは反対側のあの棟だ。」
「……広いですね」
「役職や担当する部署によって立ち入り可能区域を定めている。物理的に区切ることによって、一応防諜も兼ねている」

 霞は、ひとつの扉の前で足を止めた。
「……。……治験に参加した患者には、体調管理や自覚症状を記録……もとい、日記をつけさせていた。それがここに保管してあるはずだ」
「ここに?」
「当時のそのプロジェクトの旗艦ラボはここだ。EA機関との共同プロジェクトは、第四、第五ラボに纏まっている。第六は私にもわからない。試験は各地で実施したが、サンプルの選定期間終了後、ここに集められることになっている」
「……」
 厳重なロックが解除され、扉が開いた先に並んだ棚には、小さく見出しがついている。病院名ごとに五十音で並べられていた。
 大和は思わず駆け出す。
 彼が研修医として配属され、ちとせが搬入されそのまま入院していた総合病院。
 引き出しを乱暴に開き、中からメンバー一覧を引っ張り出す。
 忘れもしない。内海うつみ武利たけとし。ちとせの血液検査結果に疑問を呈した大和の提言を「担当医は私だ」とはね除け続けた、小肥りで猫背の医師。煙草のヤニで黄ばんだ歯並びと口臭を、ありありと思い出せる。
 有賀ちとせの主治医もまた、プロジェクトのメンバーだったのだ。
 複数の患者のノートがまとめられた、分厚いファイルを取り出す。唇が震えて、皮肉にも祈るように、声が漏れた。
 小鳥遊大和は、プロジェクトの証拠を掴むとともに、有賀ちとせもこのプロジェクトの被害者であることを確かめるために無茶を通してこのラボに来た。
 だがこの期に及んで、有賀ちとせというひとりの女性を愛したひとりの人間としての大和の本心は、そこに、彼女の日記が『無い』ことを望んでいた。

「……やめて、ください」
 わかっていた。
 どうしてあの日、ちとせがアクセサリーを骨壺でなく大和が持つことを望んだのか。
「……やめて……」
 わかっていた。
 どうしてちとせの病理解剖の計画から実施までがあんなに迅速だったのか。
「…………やめてくれ……!」
 わかっていた。
 どうしてちとせの棺が、あんなに軽かったのか。

 わかりたくなかった。
 見取り図が書かれたノートが、そこに挟まっていた。

「大和さん!」
 膝から崩れ落ちた大和に、赤城が駆け寄る。
 震える指は力なく、ノートをぱらぱらと捲った。
『コードファクターの投与の話が来た。
 大和は実家と仲が良くないみたいだけど、大和を生んでくれたお家の役に立てるなら、いいかなって思う』
『リハビリ中、大和が来てたみたい。大和はあたしに黙ってたけど、看護師さんにはバレバレだっつーの! 相変わらず嘘がヘタなやつ!』
『窓にメジロが来てた。インコ飼いたいって言ったら、大和怒るかな?』
『内海先生、あたしのことキャバ嬢かなんかだと思ってる気がする』
『面会の子かな? あたしの部屋に迷い込んできた。子供いいなぁ。飴とか持ってたら良かったのにな』
『大和が飴を持ってきてくれた。エスパーかよ! って思ったけど、なんかパチパチするやつだった。あたしは好きだけど、昨日の子は泣くかもね笑』
『めっちゃ台風。ヤバい。窓ヤバい。びびる。この音で夜中に眠れないじいさんが廊下徘徊してるのもマジびびる。寿命縮む』
『大和の誕生日。何もしてあげられなくてごめんね。退院したらめっちゃ返すわ』
『理想の部屋の間取り書いてたら大和に見つかった。婚礼写真飾ろうって言ってくれたのめちゃくちゃ嬉しい。色男のためにがんばろう!笑』
『主治医の交代とかないのかな? たかなしせんせーだったらいいのにな~』
『大和がごきげんななめだった。うーん、けんたいき?』
『記念日のお祝いにこっそりケーキくれた! あたしが元気になったら、いろんなところに遊びに行こうって! 言質とったぞ! 美味しいお店よろしく!』
『最近さぼってた。薬って効いてる?』
『大和忙しそう。大変だよね』
『さびしいって言ったら、あいつぜったい来るから、ダメ』
 日記は、そこで途切れていた。
 濡れたのが乾いたのか、ページは波打っている。
「……何だ。体調、全然書いてないじゃないか……」

 ぱたぱたと、またノートに雨が降った。

 *

 E48に発された命令コードは、制御試験場に予定外に現れた大型アンセラを沈黙させることだった。
 侵入者排除はその次で構わない。驚異の排除が最優先だ。
「は!? 何このデカブツ……聞いてないんだけど!」
 E48が手を構えると、その赤い爪が一瞬で伸びる。
(あの子に割られた時は確かに驚いたけど、あれはちょっとナメてただけだっての!)
 振り回される触腕をかわしながら、本体へと忍び寄る。
(何だ、目玉は多いけど……図体でかいぶん死角ばっかりじゃん?)
 触腕はもっぱら、銃声の主へと向かっている。E48とは反対側に居たのも好都合だ。
(よし、まずは目玉ひとつ貰い──)
 振りかぶったその瞬間、狙いを定めていた眼球がぎょろりとE48を捉えた。
「なッ!?」
 同時に、眼球の黒目部分から棘が突き出て、中空のE48を串刺しにする。
 ──嘘でしょ?
 ──あたし、まだあの子に服、貰ってないんだけど……?
 串刺しにした棘はそのまま地面へと突き立つ。さらに無数の触腕が、先端を棘のように尖らせ、少女へと降り注いだ。

 アンセラが暴れたことで、フロアの床や壁は瓦礫と化したり隆起したりの有り様だった。
 時雨は隙を見てその陰へと身を滑らせ、態勢の立て直しを図る。血が滴る左腕を何とかしなければ。
「時雨さん!」
「っ!?」
 不意に名を呼ばれて振り返ると、アンセラの腕を掻い潜って駆け寄ってきた千代田が居た。
「これ、お返しします……!」
 手渡されたそれは、車上で交戦した際に紛失した、時雨の──かつて最上が使っていた──短刀だった。
「アンセラと共に回収された品のなかに、これがあったんです。見覚えがあったので……」
「どうして、これが俺のものだと……」
「だってあの時、私を庇ってくれたではありませんか。その刀で」
 長門たちと向かった公園で、発症した小肥りの女性と対峙した事を思い出す。
「ああ、あの時……」
 千代田は、合点がいったらしい時雨の様子を見ると、安心したように微笑んだ。
「……親友の形見なんだ。……ありがとう」
 キットの包帯を袖の上から乱暴に結んで応急処置をすると、短刀を抜いて立ち上がる。
 ──啓。
 ──あと少しだけ、暴れてやる。

 長門の銃から放たれた弾丸は、アンセラの本体でぎょろぎょろと蠢く眼球を潰していく。
(まずは、左半分の視野……!)
 眼球が破裂する度にギャアギャアとアンセラが叫んでその触手のような腕を振り回す。破裂した眼窩の奥に、脈動する塊が見えた。
「あれか!」
 コアが見えればこちらのものだ。
 銃を構えた瞬間、その脈動する塊から突如として棘のようなものが飛び出した。
「がッ!?」
 棘はまっすぐに長門の腹に、そのまま壁へと突き立った。
 体内で行き場を失った鉄錆の味が、ごぱりと口から溢れる。
(やべ……やらかした……)
 肋骨が折れた感触。どくどくと伝わる脈動は、おそらくアンセラのものではなく、己のそれだ。
 血に濡れた手から銃が滑り落ち、金属のそれが床を叩く音が響く。なにかが瓦解する。
「瀬良ぁ!!」
 血相を変えて時雨が叫ぶ。
 ──大袈裟だよ、時雨。
 ──あの銃は、どうせさっきパクったやつだ。俺のじゃない。
「……俺に……」
 血を吸って重くなった手袋が床に落ちる。
「勝てると思ったか?」

 ホルスターから、銀と黒のそれを引き抜く。
 ここから視認できない角度であろうと、己の腹を串刺しにするこの棘こそが、アンセラの弱点を──雄弁に語る!
「死ねッ!!」
 雄叫びのような銃声が響き、アンセラのコアが破裂した。
 耳をつんざくような甲高い絶叫が響く。
「無茶しすぎだ、死ぬぞ馬鹿野郎!」
 時雨が棘に飛び掛かり、一刀をもってそれを叩き斬る。
 身体を支えるそれを失った長門の身体は、どさりと床に落ちた。
 コアを破壊され、アンセラの左半分が瓦解していく。
「はッ……はッ……どうよ、俺の……本気は……!」
 大の字になって浅い息を繰り返す。見つめる天井に、傍らに屈んだ時雨の顔が覗き込んでくる。長門の笑顔を見て、時雨もまた、小さな笑顔を返した。
「……最高だ、隊長」

「あ、ぐッ……」
 大和は突然、揺らぐ視界に膝をついた。
 鼓動が速く、うるさい。
 全身がひどく熱を帯びて、張り裂けそうだ。
「大和さん……?」
 赤城の声に答える余裕が無い。左肩が痛む。交戦時に痛めたのか? 
 耳の奥で、べきり、ぶちりという鈍い音が響いた。
「──!!」
 発症しようとしているのだ。
 大和の身体は、『ワクチン』は不適合だった。杉戸のアンセラは退治されたうえ、噛まれた際の武蔵による適切な処置もあり、杉戸のアンセラに対する統制因子も陰性だったため、感応による発症誘発は考えにくいはずだが──
 激痛に声も出ない。
 離れろ、と言いたいが、辛うじて唇が動くかどうかだ。
 大和の脳は、その知識の海から必死に打開策を探す。が、その検索スピードよりも、左肩が内側から食い破られる激痛に──
「う、ぐッ……、ぁああああ!!」
「くそっ、大和! お前、感染していたのか!? 制御薬を寄越せというのは、そういうことか……!」
 霞が素早く大和を後ろから羽交い締めにする。
「赤城と言ったな。矢がまだあるだろう。それでこいつを刺せ!」
「っ……!?」
「発症したら俺の腕じゃ抑えられない! 今はこいつを止めろ!」
 赤城は震える手で、矢を取り出し、そっと逆手に握る。
 アンセラ? 大和さんが?

 ──遠くで声が聞こえる。
 大和がラボに向かうことを許可する代わりに、武蔵が告げた条件。
 赤城を同行させること。
 それはつまり、コードファクターの侵食を受けないも同然な体質の彼女に、発症した際には大和を討たせること。
 ──残酷なことを言う。
 この少女は、出会ってからまだ一ヶ月程しか経っていないような男に対しても心から心配して泣いてしまうほど優しい子なのだ。己を討てなどと、言い出せる訳がなかった。
 意識の糸が切れる直前、目の前の少女と目が合った。
 泣きそうな、不安げな、辛そうな色をしている。
 ──僕は、この子に、彼女を重ねていたのだろうか。

 轟音がして傍らの壁が吹き飛んだ。
「うッ!?」
「ぅわっ!!」
 壁に空いた穴の向こうには、巨大なアンセラがのたうっている。
「霞さん、何あれ……!!」
「実験体のひとつが、指令コードを受けて暴走したんだろ。クソッ、でかくなりすぎだ……大和はあいつに感応したんだ!」
「感応!? 感応アンセラはこの間時雨さんが討ったはずじゃ……」
「改型感応種なんざまだ日本に少ないだけで、機関はとっくに開発済みだ!」
 言いながら、霞の脳裏に嫌な可能性がひとつ浮かんだ。
(そのサンプルがこのラボにもあったが、地下で培養液に突っ込んで厳重管理していた。あの何重もの鍵は何者が故意に起動しない限り、出せるわけが無……、……まさか)

 瓦礫を飛び越えて、人影が赤城たちのもとへ飛び込んできた。
「千代田!?」
「あなたは、さっきの……!」
「申し訳ありません、霞様」
 霞は腰のベルトに通したポーチから小型の注射器を取り出して、大和の左肩に突き立てた。
「私達、生体複製型は、意図せぬ発症を防ぐために鎮静薬を携行しています。人間への接種は推奨されていませんが、発症前段階である大和さんには有効かと」
「そんな真似をしたら、お前が……!」
「私は、進化した人類の未来よりも……未来のために『今』戦う人を守りたい。そう思ったのです」
 大和が落ち着いたことを確認した千代田は微笑んで、そっと立ち上がった。
「さようなら、大和さん。私は、彼女にはなれなかった」
 そして目の前のアンセラに向き直り、力強く告げる。

「識別名、千代田瑞季。サンプルデータ個体名、有賀ちとせ。これより、命令違反リベリオン・コードを開始します」

 千代田の右腕が大きく裂け、幾重もの鎌が重なったような異形の──アンセラの腕に変貌した。

 *

「いッ……」
 痛む頭を降って、上体を起こす。
 頭をぶつけて、脳震盪でも起こしていたようだ。
 あいつと交戦していて、千代田が来て、それから……
「……瀬良!」
 瓦礫の山の間に血溜まりを探す。倒れたままの長門に駆け寄る時雨のもとに、アンセラの腕が振り下ろされてきた。
「ッ!!」
 身構えたものの、腕はぶつかってこない。
「……?」

 見上げると、割って入ったE47がその腕を受け止めていた。
『チッ、こいつ、一匹じゃない。二つのアンセラが融合していたんだな……もうひとつコアがある。気を抜くな! そいつを救うなら早くしろ。時間は稼いでやる』
「……! ……頼んだ!」
 携行品の応急キットからひとつのアンプルを取り出す。特殊プラスチック製のそれは交戦の衝撃にも耐え、無事なようだ。血で滑って口が上手く開かず、一方に噛みついて手早く口を折る、中身をシリンジへと移す。注射針を開封し、シリンジへと装着し、針の先端から液が一滴溢れるのを確認する。
(瀬良なら……きっと耐えられる)
 長門の腕に、注射針を差し込んだ。
 中央のTEARS研究開発部で新型ワクチンと並行して独自に開発が進んでいる、戦闘員用の応急修復キットだ。塩基配列を組み換えたコードファクターを意図的に投与し、短時間での細胞の修復をはかる。まだ治験段階の試作品だが、どこから手に入れたのかルイスが大和の目を盗んで密かに時雨に託していたものだった。大和は渋ったが、みすみす死なせるよりは賭けてみろ、緊急時に使え、と。

 *

 発症した千代田の両腕が、アンセラの右半分を切り裂いた。ズタズタになった肉片が飛び散り、その奥からまた真新しい触手と棘が飛び出して千代田を襲う。

 あの日、千代田瑞季が目覚めた時、彼女には知らない誰かの記憶があった。
それはあまりにも幸せで、温かな記憶だった。
 記憶の持ち主の名は、有賀ちとせ。
 彼女には小鳥遊大和という婚約者が居て、冷静で物腰穏やかかと思いきや実は世間知らずな彼に随分と振り回され、また振り回しながら賑やかな日々を送っていた。
 千代田は、ちとせのすべてを識っていた。しかし、なにも知らなかった。

 あの日、千代田瑞季の前に現れた男は、小鳥遊大和と名乗った。
 死んだはずの婚約者が目の前に現れたというに、彼は淡々と、彼の仕事を全うしようとしているように見えた。
 何かがおかしい。
 彼を飲みに誘ったのは、小鳥遊大和の生体サンプルを採取せよという霞からの命令もあったが、千代田が覚えた違和感があったからだ。記憶の中の小鳥遊大和と、目の前の小鳥遊大和は、どうにも一致していると思えなかった。
 純粋に、個人として、彼に興味を持った。与えられていた情報のみならず、生きている彼について、知りたいと思った。

 あの日、彼は短刀を握り締めてなお、発症者を救うことを諦めていなかった。
 傷の癒えぬ身でもなお、躊躇いなく千代田を庇った。
 発症した女を抱えていたのだから、そのまま斬ってしまえば、反撃を食らうことも無かったはずだ。非合理的な彼の行動が、理解できなかった。

 ──分かっていた、彼が私の手を取ることはないことを。
 血飛沫が、雨のように降る。
 ──私は有賀ちとせではない。
 命令で少女を撃った時、目を見開いて千代田を見た細身の男こそ、ちとせの記憶の中にあった小鳥遊大和なのだろう。あの場に銃を残したことだけが、霞の配下である千代田瑞季ではなく、大和の婚約者だった有賀ちとせとしての精一杯の行動だった。
 ──私はアンセラだ。
 生体の複製に重きを置いている身体は、制御薬を失った今、もう人間の身体には戻れない。今この化け物を少しでも消耗させて、千代田彼女ちとせの大切な人への活路を開く。
 ──私は、私は──
 それだけが、今の千代田わたしにできること。
 鈎爪に引っ掻けた肉の板が、筋の切れる音を立てて裂ける。その奥に、脈動するコアを見た。と同時に、コアから太い棘が突き出てくる。
 ──ひとにもアンセラにもなれない、できそこないだ。
 千代田の意識は、そこで途切れた。

 *

 ──あの日俺は、賭けることを恐れた。
 ──その躊躇いのせいで、選択肢を誤った。
 ──もう二度と躊躇うな。そうだろう? 啓!

 短刀の柄を握り締めた。
 アンセラの触腕に食らい付いたままのE47の背を駆け上がり、千代田に集中している触腕を叩き落としていく。
 ひときわ太い棘が突き出るのに合わせて、横から全力で刺し貫いた。

 ドンと鈍い音が響いて、巨大なコアにクロスボウの矢が深々と突き立つ。
 それを合図に、霞も己のハンドガンの残弾をありったけコアへと撃ち込んだ。
 アンセラは悲鳴をあげながら、崩れつつあるコアを庇うため周りの肉で包み始めた。
 その肉が、ひときわ大きい銃声と共に弾け飛ぶ。
「はッ……ヘタクソなんだよ、おっさん!」
 不敵な笑みを張り付けた長門が構えた二丁の銃は、再び火を噴く。
 暴れて振り回そうとするアンセラの腕を、E47の顎が食い千切った。
『不味い』
 支える力を失い床に倒れ伏したアンセラのコアに、とどめとばかりにフルオートの銃弾が降り注ぐ。

 射線の先には、膝立ちの大和が銃を構えていた。
 長門に連れてこられた隊員が提げていたマシンガンだ。

「うぉ、大和……!」
 長門が驚いた声をあげた。大和は弾倉の空になったマシンガンを床に下ろすと、小さくはにかんで応える。
「マジかよ、お前いいとこかっさらっていきやがって~」
 大和の方へと向かおうとする長門の靴を、弱々しく掴む手があった。
「ん?」
「……起こして欲しいんだが、布団が重い……」
 倒れるアンセラに巻き込まれ、肉片の下敷きになっていた時雨の腕を長門が引っ張る。
「いッ……痛い!痛い痛い痛い!!」
「うるせー!! 注射の仕返しだ!!」
「悪かった! 悪かっ……えっ? これ俺が悪いのか?」
 引っ張っている左腕を負傷していることに気付いたらしい長門は、諦めて肉片をどかして時雨を解放した。

「……ねぇ、瀬良くん。あれ……」
 赤城がおずおずと長門と時雨の背後を指差す。
 振り返って、息絶えた巨大なアンセラが横たわるぼろぼろになった制御試験場を見やると、一体のアンセラがぽつんと立っている。
「あーーーーーっ!!!! あいつアンセラだったわ!!」
「わ、忘れていた……!! 当たり前のように庇ってくれたから……!!」
 アンセラ、もといE47はうんうんと頷く。
『俺達にとってもコイツは排除すべきものだった。ありがとう』
「アンセラと協力してアンセラ退治してたの!?」
「知らねーよ! 時雨がこいつとグルだったんだろ!?」
「ば、馬鹿言うな! 俺が瀬良に治療因子を打てたのだって、あいつが時間を稼いでくれたからだぞ……!!」
『俺はアンセラだ。お前達の敵だ。だから俺は、お前達を殺さねばならない』
 そう言うE47は、何も構えない。襲おうという気すら感じられない。

 が、
 アンセラと人だから、戦わなければならない。
 すべてのアンセラは、殺さなければならない。
 今のS部隊にできることは、任務の遂行のみだった。


「子供はこの奥です」
 吹き飛ばされた鉄扉の向こうへと、気絶していた隊員が案内する。
 E47を長門と時雨に任せて、赤城と大和と霞は細い廊下を歩いていく。
 至るところに血が飛び散っており、道中で先程のアンセラが子供を食いながら進んできたことを物語っていた。
 脱走防止のためだろうか、入り組んだ通路を進んでいくとひとつの小部屋に突き当たる。隊員がその扉を開錠すると、中には十数人の子供達が思い思いに遊んでいた。
「お前達が追ってきた、今朝名坂から送られてきた子供だ。メディカルチェックもまだだったから、何も投与していないはずだ」
 霞の言葉を聞いていると、子供達の中からひとりが飛び出してきた。
「おねぇちゃん! おねぇちゃんだ!」
 大喜びで赤城に飛び付く。
「ミユちゃん……!」
「おねぇちゃん、あそぼ! おいしいおやつもあるよ! くまさんもあるの! おねぇちゃん、くまさんだいじにしててくれてる?」
「もちろん! いつも学校に着けていってるよ」
 深雪に手を引かれ、赤城は部屋の奥へと駆けていった。
「知り合いか……?」
「赤城さんが、鞄にくまのキーホルダーを着けているんです。以前救助した市民の女の子に貰ったと言っていたので、その子かと」
「成る程……」
 名坂支部と小鳥遊製薬が差し向けた『小鳥遊大和』と『有賀ちとせ』がそれぞれ別人だったことは、互いにとって想定外だった。
「おかしいと思わなかったんですか? 死んだ筈、それも解剖されて臓器を奪われた筈の婚約者を前にした小鳥遊大和fakeがあんなに平然としているなんて」
 霞は確かにな、と笑って頭を掻く。
「千代田にあれほどの自我が出るとは予想しなかった。あれはただの、複製品replicationの筈なのに……」
 霞はしばらく考えてから、言いにくそうに切り出した。
「……生きていた人間を細胞から複製する。それを可能にする技術を得た小鳥遊は、今や二分している。上層部がEA機関に入れ込んで、技術も設備も機関に流れている。……お前が跡継ぎになって、膿を取り除くべきだ」
「ええ、そうでしょうね」
「私は、とにかく認めてもらうことに必死だった。だが……さっきアンセラを間近で見て、……俺はあんなものの研究に手を染めていたのかと目が覚めた。お前が見ていた世界は、こんな地獄だったんだな」
「……」
「小鳥遊の名は、羽黒にはあまりにも荷が重すぎる。どのみちお前が継ぐしかない。なのにお前は、……従兄にいさんは、どうして小鳥遊を継ぎたがらない?」
「婚約者を殺されたからですよ」
「……」
 あっさりと答えた大和に、霞は息を呑んだ。
「なんて甘えたこと、もう言っていられない。でも今、僕がTEARSを離れることは、不可能です。……僕は、あまりにも多くのものを背負ってしまった」
「なら──」
「TEARSで僕はまだやることがあります。事務仕事も医師の仕事もてんこ盛りでドアは吹き飛び拳はめり込む荊の道ではありますが、頼れるクルーも居ますし」
「…………マゾなのか?」
「ご名答。先程は貴方に見る目がないと言いましたが、訂正します」
「は?」
 職員が駆け寄ってきて、子供達を連れ出す準備が整ったことを告げた。
 子供達は、意外なことに帰りの車に乗るのを渋った。
「しろいおにーさんは?」
「しろいおにーさんもつれてって!」
「白いお兄さん?」
 赤城が首を傾げると、深雪は元気に頷く。
「うん! しろいおにぃちゃん! やさしくて、ミユたちとあそんでくれたの!」
「……E47だろう。子供達の見張りを担当していた」
 霞の言葉に、赤城の顔が曇った。

 *

「大和さん。アンセラって、どうしても殺さないといけないんでしょうか」
 すっかり陽の傾いた高速道路を駆ける車内で、赤城は西陽に目を細めながら運転手へと問い掛けた。
「……医師として答えるなら、『がん細胞は取り除かないといけないのか』というような問いですね。本人の体力や免疫力にもよりますが……広がってからでは遅いので」
「あの。そうやって誤魔化すの、本当に悪い癖だと思いますよ、大和さん」
「はい……」
 サングラスの下の瞳からは、感情はいまいち読み取れない。赤城の何かを窺っているようだが、彼はそれについて口にしなかった。
「感染の程度にもよりますが、軽度ならば発症までに時間が掛かることを身を持って学びました。アンセラはもはや、これまで我々の常識で対処できるものではない。より研究を進めて、認識を改める必要があります」
「……つまり?」
「アンセラは必ずしも敵ではないかもしれない。むしろ、アンセラこそ、コードファクターの現状を打開する鍵になるかもしれない」
 前方に現れた看板の、サービスエリアの名前がふと赤城の目に留まる。似たような苗字をした実力派俳優を思い浮かべた。
「ワクチンと同じです。毒を制すにはその毒を、形を変えて用いる。TEARSが前線で得るデータと、小鳥遊の技術力をもってすれば、あるいは」
 言いながら、大和にもサービスエリアの看板は目に留まったらしい。カーナビゲーションの音声案内も、サービスエリアの存在を告げる。
「サービスエリア寄ります? 随分と走りましたし。ここのラーメンが美味しいんですよね」
 それまで長らく山だった左手が開けて、市街地を望む。
「ここからなら、あとは百キロ程度です」
「ひ、百キロ……」
「赤城さん、あんまり遠出はしたことありませんか?」
「無いですよ! ……たぶん」
 幼い頃のことは覚えていない。きょうだいの話をしたあの時から、意図して思い出そうとしても、やはり思い出らしい思い出はなにも浮かばなかった。普段から思い出そうとしなければ、忘れてしまうものなのだろう。

 広々とした駐車場に降り立ち、うんと伸びをした。
「着替えがあって良かったです……」
「そうですね」
 まさか血塗れでサービスエリアに降り立つわけにもいくまい。
(着替え……)
 交戦したアンセラの少女を思い出した。可愛い服を着たがっていた彼女は、どこに行ったのだろうか。
 背脂で有名な、地名を冠したラーメンを食券で注文する。数時間前まで非日常の世界に居たというのに、ここはあまりにも日常だ。
(これを守るのが、大和さんたちの仕事なんだよね)
 そう思い大和を見やると、三枚ほど食券の半券を持って上機嫌だ。……全部食べる気だろうか。

 *

 医務棟の第一診察室──もとい、診察室としての機能は別の部屋に集束し、今は大和の執務室状態だ──で大和を待っていたのは、無情にもデスクに積み上がった書類の山だった。
「……まぁ、やっぱり裏に籠って手を回すよりは、こうして武蔵さんに無茶を言われルイスさんにせっつかれ時雨さんにドン引いていただいて長門くんにしばかれてるほうがずっと好きですね、僕は」
 クリーニングの糊のきいた白衣に袖を通す。ポケットにボールペンなどの筆記用具を流し込み、ビーカーに被せてあった滅菌テープの貼られたアルミホイルを剥がす。
「仕方ないじゃないですかぁ。電波妨害されたんですからぁ」
「そんなん予想できるだろルイス様ならよォ!?」
「TOCシステムの問題じゃなくて、あの建物自体が突然外界との通信をシャットアウトしたんですよぉ! 僕のハッキングがバレたとは思えませんし、同時にハッキングしていた別の誰かがシステム検知に引っかかったとしか……」
「頑なに自分の非を認めねーなお前!?」
 処置中からずっとぎゃんぎゃんとうるさい英国勢を横目に、大和は棚からコーヒーの瓶を取り出しながら、ベッドに腰掛けている赤城に問うた。
「そうだ。あのノートに書かれていた間取り図、見ましたか?」
「えっ? は……はい、少しだけ」
「僕の家、あの間取り図なんですよ。今度、良かったらうちに来ませんか? 赤城さんの歓迎パーティー、僕も参加したかったので」
 大和は悪戯っぽく笑った。
「美味しいお料理を長門くんに作ってもらいましょう」
「んえぇ!? 俺かよ!!」
「あはは! 賛成です」


 数日後。
 帰宅する大和の車内は賑やかだった。
 部屋に着くやいなや、大きなレジ袋を提げた長門はさっそく準備に取り掛かる。
「赤城、手伝ってよ」
「は~い、こっち卵入れとくね」
「俺も手伝おう。何か……できることはあるか?」
「時雨くん、一緒にテーブルを拭きましょう。ね? ほら、ほらほら」
 時雨は大和の自室を訪れるのは初めてなためか、きょろきょろと見渡している。
「仕方がねェなぁ、そっち貸せ。一品ぐらい作ってやる」
「え、たけぞうマジで!?」
「僕も混ぜてくださ~い☆」
「る、ルイス! おめーはダメだ! おとなしくしなさい! メッ!」

 狭くなったキッチンをぼんやりと見やる。
 もしも自分が彼らに出会っていなかったら。
 あの実験への参加に同意した患者がいなかったら。

 たらればの迷いは今はもう意味をなさないものだ。
 無意味な選択など何もなかった。ひとつひとつを積み重ねてきたからこそ、今がある。これからの航路がどれほど荒れ狂うものであろうとも、この心強い戦力がいるならばいつか暁を迎えられるだろう。
 過去の後悔は誓いとなり、今は大和の歩みの指針となる。

 シルバーのネックレスを外して、棚の定位置に掛ける。
 チェーンこそ男性のそれに付け替えたが、トップは女性ものだ。彼にとって、前を向く決意の象徴だった。

 長い間伏せられていた写真立てを、そっと起こす。
 そこには、病室のベッドで、さながらヴェールのようにシーツを被って満面の笑みを浮かべる、向日葵と竜胆が咲いていた。

 ──あとで、皆で写真を撮ろうと言ったら、笑われるだろうか。
 ──家族写真も、並べよう。
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