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第一章

第十話

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 ついに、名前で呼んでくれた。と喜んでる場合ではない。オレに水をくれた相手は人間ではなかった。もっとも、由梨も人間ではないが。

 そいつは、無機物だった。という説明では意味不明だろう。簡単に言えば、ビーナスの彫像。美術室では定番だろう。白い石膏像だ。顔は由梨だが、ボディはビーナス。由梨、喜べ。ナイスバディを神がくれたぞ。

『ベシッ』。本物の由梨からの軽い攻撃。すでにユーホーキャッチャーはなく、剣になっていて、その柄の部分でオレの後頭部を打撃。

「刃の方じゃないだけ喜びなさいよ。」

 由梨の話を聞いているどころじゃない。

 そもそもビーナス像には両手、両足がないはず。だが、こいつにはあった。要は化け物だ。顔は由梨、両手、両足は軟体動物という実に不気味な姿を晒している。

『シャアアアア』。奇妙な声をあげて、こちらに近づいてくる。由梨顔がだんだん怒りに満ちてくる。

 いやそうではない。変貌しているのだ。目は鋭く斜めに切れあがり、瞳は縦に細くなっている。口は大きく広がっていき、その中から何やら細く赤いひも状のものが出てきている。

 髪はごわごわと膨れ上がり、しかもその毛はホースのように太くなり、先端が膨張したかと思うと、先がぱっくり割れた。そこからも口元と同じように、紅の細長い何かが波打っている。つまり、顔と髪の毛がトカゲ目ヘビ亜目。いわゆるメデューサだ。

「きゃあああああああ~!」

 由梨は恐怖に耐えかねて、悲鳴を上げた。顔を梅干しのように顰めて、両手で頭を押さえている。

「おい、大丈夫か。」

「だ、大丈夫じゃないわ。今激しく交戦準備中。手出しは無用なんだからねっ。か、からだが動かないわ。もう敵を追い詰めたわ。」

 うずくまっても声だけは出している由梨。文脈は乱れている。戦闘不能だ。これはオレが闘うしかない。しかし、武器はない。とりあえず、由梨の剣を強奪し、メデューサに向かっていく。胴体は固そうなので、頭部を狙う。右から剣を振り降ろす。髪の毛になっている蛇がぱらぱらと落ちる。

「やったか?」

 思わず声を上げるオレ。しかし、蛇はすぐに復活して元に戻る。トカゲのしっぽのようなものらしい。これはやっかいだ。メデューサは胴体が固いので動きはぎこちない。しかも何も喋らない。

 だが、両腕を肩より上にして前に突き出し、からだを左右に揺らしながら、オレたちの方に近づいてくる。これではまさに蛇に睨まれたカエル状態だ。なんとかしなければと思うが、こんな経験がまったくないオレ。対処のしようがない。髪の毛・蛇がオレの背中を舐めてきた。

「うわあああ。やめろ~!オレは食ってもうまくないぞ~!こんな時にカードが役にたつんじゃないのかあ!」

 急に静かになった。金属の輪がメデューサを囲んだかと思うと、メデューサは突然止まった。

 由梨がカードを出したのだった。メデューサの髪の毛が蛇から何かに変化した。20センチくらいの細い棒とその先に毛が付いている。絵の具用の筆。それが頭から生えているように見える。

 これはこれで不気味というか、滑稽である。思わず噴き出しそうになったが、状況が状況。ぐっとこらえながら、さらにメデューサの顔を凝視すると、蛇から別のものに変わっていく。

『ムンクの叫び』のごとく、極端に湾曲しながら、出来上がりは少女。眼鏡女子であった。そばかす付き。意外にかわいい。

『バシ』またもや由梨チョップ。今は痛点が神経を通じて大脳に回るヒマがない。何だ、この少女は?そしてこれがトリガーカード『メタルの防御』の力か?

「あたし、絵が好きなのに、描くことができない。」

 喋りだした。怪奇だ、何だと思考を巡らす余裕はない。禅問答のように言葉を紡ぐ。

「どうして描けないんだ。」
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