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第二章

第二十五話

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そんな政宗のところに、万?がゆっくりと歩いてきた。

「私はね、」
 万?はいつもの「まっほ」ではなく、『私』という一人称を使用した。

「私は母親の顔を知らない、いや両親ともに知らない。一度も会ったことがない。どこにいるのか知らない。生きているのか死んでいるのかすらわからない。私はコインロッカーで生まれた、いや捨てられていた。そして孤児院で育った。でも私を捨てた母親を恨んだことはない。捨てた事情がきっとある。それが何かはわからない。知りたいと思ったことはあるけど、手がかりがまったく掴めなくて、諦めた。でも事情がわかっても私は変わらない。どこまでいっても私は私。自分の思うように生きるしかない。むしろ、捨ててくれたおかげで、私は他の人よりずっと早く自立できた。だからアイドルやりながら学校に行った。両立は大変だった、苦しかった。でも嫌じゃなかった。」


「それが俺の生き方と何の関係がある。貴様と俺は立場、生き方もまったく違うだろう。それは貴様がそういう生き方をせざるを得なかったという人生だということではないか。貴様は貴様の好きにすればいい。俺は自分の立場で母親を恨んでおるだけだ。」


「あなたはわかっていないわね。事実を聞くということは耳に痛いこともある。でもそれを判断するのは自分。情報の提供すらなければ、何も考えることもできないの。私には何の情報もなかった。だから考えたり、悩んだりすることもできなかった。こちらの方がどれだけ辛いことか。あなたにはわからないのね。」


「わからないぞ。俺は闘わずして恋に敗れたんだ。こんな悔しいことはなかった。ああ、兄上、お慕い申しております、ううう。」


「政宗よ。母上にその話をするようお願いしたのは拙者だ。」


 オレが政宗に向かって喋っている。これはどういうことだ。


「そ、その声は兄上。」


政宗の兄がオレに乗り移ったらしい。


「久しぶりだな。元気だったか。と言っても死人同士だが。拙者は天獄、お前はジバク。なかなか会えぬものよ。」
「兄上、どうして母上にそのようなことを。」


「拙者もかなり迷った末のことではあるが、あの後、敵味方に分かれたとしても、拙者のことは知っておいてほしかったのだ。わかった上で戦う。つらいだろうが、それはそれで良かったのだ。」


「どうしてでございますか。」


「それはな、母上が亡くなる時点で、拙者の家族は拙者と政宗のたったふたり。でもひとりじゃない。ふたりだということを知っておいてほしかったのだ。これはなんの打算もない。家族がいる。それがわかるだけで十分じゃないのか。家族とはそういうものだろ。」


「ううう。たしかにそうかも知れませぬが、でも政宗の切ない思いは・・・。」


「そのような恋心と家族は別物だ。恋はいつか冷めることはある。でも家族の絆、血筋は変わることはない。どちらが大事なのかはよくわからぬが、家族の絆は永遠のものだ。だからこそ、お前に拙者が実の兄であることを告げたのだ。これで、拙者がいつ死んでも、お前が先に死んでも、家族であることは同じなのだ。恋以上のものをお前は手にしたのだ。」


「そこまで兄上がお考えであったとは。得心が行きました。でも、これだけは言わせて下さいませ。兄上、政宗はどこにいっても兄上をお慕い申しております。」


「ありがとう。そこまで思ってもらうことこそ、男冥利に尽きるというものよ。ではさらば。」


「政宗も兄上のおそばに今度こそ参ります。」


「そうだな。それでこそ、我が妹。」


「でも天獄に行く前にひとつお願いがございます。」
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