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十八話 臆病者の覚悟
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「誰だい!?」
酒場『フリッカー』の屋根裏部屋に忍び込んだリアムは、暗闇を切り裂く呼びかけに、文字通り飛び上がった。目の前に翳されたランタンの灯りで頭がくらくらする。
「女将さん……」
「リアム? ……随分、男前になったじゃないか」
ハウンドが逮捕された翌日から、リアムはヴィクターから逃れるため、川沿いと山際の裏路地街を行ったり来たりしていた。
逃げるほど後悔が押し寄せ吐きそうになる。なぜ、ヴィクターに歯向かったのか。なぜ、彼の言葉を信じなかったのか。道端で蹲りそうになっていた矢先に、ジグザとふたたび遭遇した。
『お前はいつも逃げてるな。忙しい野郎だ。……隠れる場所、教えてやろうか?』
ジグザの手引で身を隠せたものの、野良犬同然に狭い路地を移動するしかなかった。なんでもジグザはリアムの手を借りたい要件があるらしく、今日までつきまとわれている。
承諾すれば安全な場所まで逃してやると持ちかけられたが、とてもリアムには達成できない条件で、受けることができない。
シティから出ることもできず、酒場にも戻れないままズルズルと追っ手に怯える日々を送っていた。寝る場所もままならないため、服は薄汚れ、微かに異臭を放っている。
逃亡生活も十日ほど続いていた頃、せめてジャズには一目会って謝罪しなければと勇気を振り絞り、今に至る。
「てっきりロドルナから出ていったのかと思ってたよ」
リアムが使っていたベッドにジャズは腰掛け、脚を組んだ。ランタンの灯りを弱めたため、ジャズの表情はよく見えない。
部屋の片隅で縮こまるリアムに、
「腹、減ってないのかい?」
ジャズは構えることなく気さくに話しかける。彼女の態度は、リアムが焦ってしまうほどに自然体だ。
「……ぼ、僕、犯罪者になったみたいなんですけど……お、女将さん、警察に通報しないんですか?」
大勢の捜査官たちの前で正体を明かしている。裏路地街で何度か捜査官に見つかりそうになり、そのたびに息を潜めていたリアムには、警戒心が育っていた。
「アンタを突き出して、私になんの得があるってんだい。それより腹、減ってないのかって聞いてるんだよ」
苛立ったように煙草を取り出したジャズに、リアムは慌てて「す、空いてます」と答えた。
「ちょっと待っときな」
ランタンとともにジャズは廊下に消え、暗闇のなかでリアムは息を吐き出す。
――逃げないと、女将さんに迷惑がかかってしまう。
だが、尻をついたそばから、脚を動かすのも億劫になっていた。
しばらくすると食べ物の匂いが廊下から漂い、リアムは思わず尻尾を揺らしてしまう。
「……火は落としちまったからね。あと身体も拭いときな」
床に置かれた皿には、酒場の残り物――固くなったパンと蒸したジャガイモが盛り付けられていた。
リアムは反射的に手を伸ばし、頬いっぱいに詰め込む。
狩りができれば、裏路地街でももう少しマシなものを食べられただろうが、目の前をネズミが横切ってもリアムの食指は動かなかった。
喉がつまり、ワインのジョッキを傾け、中身をぐびりと飲み干す。普段なら手を付けない甘苦い液体が、喉の渇きを癒してくれた。
そんなリアムをジャズは静かに見守っている。
「……で、何しに戻ってきたんだい?」
満腹になり、濡れたタオルで顔を拭くリアムは動きを止めた。
「気づいてる通り、アンタはロドルナ警察に追われてるね。……この店も監視されてんの、判ってるだろ?」
危険を冒してまで何故戻ってきたのか。ジャズの疑問はもっともである。
「お、女将さんに謝りたくて……」
恩を仇で返すとはまさにこのことだ。謝罪したいのは、リアムの自己満足でしかない。
「あ、あと、僕にじ、人狼のタグをつけるなって抵抗してくれたから、そ、そのお礼も言いたかったんです」
「なんのことだい?」
ジャズは不可解そうに眉を跳ね上げた。リアムも同じくきょとんとしてしまう。
「え、ぼ、僕が警察に捕まらないように、お、お願いしてくれたんじゃ……」
「アタシはそこまでお人好しじゃないよ。……ヴィッキーも素直じゃないね」
肩を震わせ笑いを堪えるジャズに、リアムは、はっとする。
「え、じゃあ」
「アイツが照れ隠しにアタシを使ったんだろう。アンタはヴィッキーのお気に入りだからね」
「お、お気に入り……?」
「ヴィクターは十年前の【狩り】で仲間を殺されてるんだ。……人狼に手厳しいのはそのせいさ。そんなアイツが人狼を手元に置いておくこと自体、異常なんだよ」
物心つく頃からたぐいまれな戦闘能力を発揮したヴィクターは、父親に厳しく鍛えられたのだそうだ。
「……女将さん、詳しいですね」
「十年前の【狩り】にアタシも参加してたからね。ヴィッキーはあの頃から凄かったよ」
ジャズは、火をつけた煙草の煙とともに天井に向かって過去を吐き出す。
主に銃器で【狩り】を行う者たちと違って、ヴィクターは近距離での戦闘を得意とした。リアムはヴィクターが銃の扱いを苦手としているのを知っているので、さもありなんと納得していたが、どうやらそんな戦い方をしているのは、ヴィクターだけのようだ。
「私は【狩り】に飽きて警察をやめちまったけど、ヴィッキーにとっちゃあ人狼を追いかけるのが、人生のすべてなのかもね」
幼い頃から人狼を狩るための厳しい訓練に明け暮れていたヴィクター。
そこに人狼らしくないリアムが現れ、彼の価値観が揺らいだ。結果、リアムの存在を警察に隠すことに繋がったのだとしたら。
ヴィクターはヴィクターでリアムにどう接すればいいか持て余していたのだとしたら。
そんな彼の葛藤に気づかず、ヴィクターに悩んでいることを分かってもらえなくて、ひとりで喚いて。
――僕は自分のことばかり考えていた。
「……ヴィ、ヴィクターさん、け、警察を辞めさせられちゃうんでしょうか?」
「さあね。……ただ、ハウンドを捕獲できた功績があるから、アンタを逃したことは不問になるかもしれないよ」
「お、女将さん、ハ、ハウンドさんを、知ってるんですか?」
「ゴシップ誌に面白おかしく書かれてんだから、知らないやつのほうが珍しいね」
それに、とジャズは前のめりになる。
「……最近、喰われた死体をよく見かけるよ。そっちに警察は気を取られてるのさ」
「え」
「知らないのかい? なんでもハウンドの手下どもが大将を返してほしいんで暴れまわってるとか……。本当はどうなんだい?」
「ぼ、僕に聞かれても……」
ジャズはリアムがハウンドの仲間だと疑っている。無理もない。ハウンドと仲良く並んでいたところを多くの捜査官に目撃されているのだ。
「あ、そう」
ジャズの口撃に備え、身構えていたリアムは虚をつかれた。口うるさいジャズがあっさりと引き下がる時は、
「……ど、どこまで知ってるんですか?」
大抵自分のなかで答えを持っている。
細く整えられた眉をさらに跳ね上げ、ジャズは嘯く。
「何も知らないよ。胡散臭いタブロイド紙の記事しか知らないね」
「……ほ、本当ですか?」
「アンタね、こんなところで油売ってていいのかい? くだらないこと言い続けるなら、大声出すよ」
いきなり態度を変えたジャズに、リアムは焦り、使い終わった食器と布を丁寧に揃えた。
警察は酒場にリアムが戻ってくるとみて、監視をつけている。見張りの捜査官が入れ替わる、僅かな隙にリアムは忍び込んでいた。ジャズの言うとおり長居するわけにいかない。
「お、女将さん、い、今までありがとうございました」
「今生の別れでもあるまいし、何いってんのさ。……ヴィッキーに会いにいくんだろ」
「あ、あ、会いにいく資格は、ぼ、僕にはありません」
そう願っても冷静に話せる状況で顔を合わせることは敵わない。
「そんな大層な野郎かい。ただの狩人だよ」
そう悪態をつきつつ、ベッド横の小さな棚からジャズが取り出したのは、リアムがヴィクターから拝借した黒いハンチング帽だ。ロドルナ警察の銃を象った徽章が、鈍い銀色に輝いている。
あの日――ヴィクターと喧嘩別れしたときに落としたはずなのに。
「ど、どうして、ここに……」
「ヴィッキーが持ってきたんだよ。……『俺が持ってても意味ねえからな』って。何言ってんだろうね、自分とこの備品だってのに」
ところどころ泥汚れが目立つハンチング帽を握りしめ、リアムは俯いた。
どういう意図でヴィクターはジャズに帽子を預けたのか。ヴィクターは自分勝手なリアムに怒っているだろう。それでもまだ協力者だと思ってくれているとか?
――そんなに都合のいいことがあっていいのかな。
もし、もう一度会ってもいいなら。
ドンドンドン!
階下から響く音に、リアムはびくりと肩を震わせた。
「噂をすれば、だね」
気だるげに立ち上がったジャズは、「早く行きな」とリアムを追い払う。
「す、すみません……」
「謝るくらいなら、今度、酒の一本でも持ってきな」
ヒラヒラと手を振るジャズは、足音高く階段を降りていく。
「うるさいね! もう店じまいだよ!」
扉を叩く音に負けじとジャズは声をはりあげている。それに被せるように、野太い声が聞こえた。
リアムは窓を開け、周囲を見回してから、石壁を伝い、小路に降り立つ。
酒場の入り口の方向からは、ジャズと男たちの言い争う声が聞こえた。申し訳なく思いつつも、ふと想像以上に警官が戻ってくるのが遅かったような気がする。
『遅い』
「え、ジグザさん……?」
ガス灯がつくる光の輪が、大きな獣を照らし出した。鳶色の獣――ジグザに、リアムは小走りで近づく。
『この俺に見張りまでさせたんだ。……次はこっちの用事に付き合え』
「べ、別に頼んでませんが……もしかしてジグザさんが、見張りの気を引いてくれたんですか?」
道理で長く警官の姿が見当たらなかったわけだ。
ジグザは牙を自慢げにチラつかせる。
『てめえだけなら今頃、捕まってたぜ』
「あ、ありがとうございます。……あ、あのジグザさん、この前のお話、う、受けようと思います」
牙を引っ込め真顔になったジグザの反応に、リアムはゴクリとつばを呑み込む。
『……なんだあ、昨日まで尻込みしてたくせに、どういう風の吹き回しだ?』
「お、女将さんに挨拶できて、か、覚悟が決まっただけです……」
突如思いついた計画をジグザに悟られるわけにはいかない。
耳を覆っていた布を剝ぎとると、ハンチング帽を目深に被り、リアムは力強く言った。
「……あ、案内よろしくお願いします」
畏まったリアムを鼻で笑い、ジグザは路地の暗がりに入り込んでいく。その後を見失わないようリアムは駆け足になった。
酒場『フリッカー』の屋根裏部屋に忍び込んだリアムは、暗闇を切り裂く呼びかけに、文字通り飛び上がった。目の前に翳されたランタンの灯りで頭がくらくらする。
「女将さん……」
「リアム? ……随分、男前になったじゃないか」
ハウンドが逮捕された翌日から、リアムはヴィクターから逃れるため、川沿いと山際の裏路地街を行ったり来たりしていた。
逃げるほど後悔が押し寄せ吐きそうになる。なぜ、ヴィクターに歯向かったのか。なぜ、彼の言葉を信じなかったのか。道端で蹲りそうになっていた矢先に、ジグザとふたたび遭遇した。
『お前はいつも逃げてるな。忙しい野郎だ。……隠れる場所、教えてやろうか?』
ジグザの手引で身を隠せたものの、野良犬同然に狭い路地を移動するしかなかった。なんでもジグザはリアムの手を借りたい要件があるらしく、今日までつきまとわれている。
承諾すれば安全な場所まで逃してやると持ちかけられたが、とてもリアムには達成できない条件で、受けることができない。
シティから出ることもできず、酒場にも戻れないままズルズルと追っ手に怯える日々を送っていた。寝る場所もままならないため、服は薄汚れ、微かに異臭を放っている。
逃亡生活も十日ほど続いていた頃、せめてジャズには一目会って謝罪しなければと勇気を振り絞り、今に至る。
「てっきりロドルナから出ていったのかと思ってたよ」
リアムが使っていたベッドにジャズは腰掛け、脚を組んだ。ランタンの灯りを弱めたため、ジャズの表情はよく見えない。
部屋の片隅で縮こまるリアムに、
「腹、減ってないのかい?」
ジャズは構えることなく気さくに話しかける。彼女の態度は、リアムが焦ってしまうほどに自然体だ。
「……ぼ、僕、犯罪者になったみたいなんですけど……お、女将さん、警察に通報しないんですか?」
大勢の捜査官たちの前で正体を明かしている。裏路地街で何度か捜査官に見つかりそうになり、そのたびに息を潜めていたリアムには、警戒心が育っていた。
「アンタを突き出して、私になんの得があるってんだい。それより腹、減ってないのかって聞いてるんだよ」
苛立ったように煙草を取り出したジャズに、リアムは慌てて「す、空いてます」と答えた。
「ちょっと待っときな」
ランタンとともにジャズは廊下に消え、暗闇のなかでリアムは息を吐き出す。
――逃げないと、女将さんに迷惑がかかってしまう。
だが、尻をついたそばから、脚を動かすのも億劫になっていた。
しばらくすると食べ物の匂いが廊下から漂い、リアムは思わず尻尾を揺らしてしまう。
「……火は落としちまったからね。あと身体も拭いときな」
床に置かれた皿には、酒場の残り物――固くなったパンと蒸したジャガイモが盛り付けられていた。
リアムは反射的に手を伸ばし、頬いっぱいに詰め込む。
狩りができれば、裏路地街でももう少しマシなものを食べられただろうが、目の前をネズミが横切ってもリアムの食指は動かなかった。
喉がつまり、ワインのジョッキを傾け、中身をぐびりと飲み干す。普段なら手を付けない甘苦い液体が、喉の渇きを癒してくれた。
そんなリアムをジャズは静かに見守っている。
「……で、何しに戻ってきたんだい?」
満腹になり、濡れたタオルで顔を拭くリアムは動きを止めた。
「気づいてる通り、アンタはロドルナ警察に追われてるね。……この店も監視されてんの、判ってるだろ?」
危険を冒してまで何故戻ってきたのか。ジャズの疑問はもっともである。
「お、女将さんに謝りたくて……」
恩を仇で返すとはまさにこのことだ。謝罪したいのは、リアムの自己満足でしかない。
「あ、あと、僕にじ、人狼のタグをつけるなって抵抗してくれたから、そ、そのお礼も言いたかったんです」
「なんのことだい?」
ジャズは不可解そうに眉を跳ね上げた。リアムも同じくきょとんとしてしまう。
「え、ぼ、僕が警察に捕まらないように、お、お願いしてくれたんじゃ……」
「アタシはそこまでお人好しじゃないよ。……ヴィッキーも素直じゃないね」
肩を震わせ笑いを堪えるジャズに、リアムは、はっとする。
「え、じゃあ」
「アイツが照れ隠しにアタシを使ったんだろう。アンタはヴィッキーのお気に入りだからね」
「お、お気に入り……?」
「ヴィクターは十年前の【狩り】で仲間を殺されてるんだ。……人狼に手厳しいのはそのせいさ。そんなアイツが人狼を手元に置いておくこと自体、異常なんだよ」
物心つく頃からたぐいまれな戦闘能力を発揮したヴィクターは、父親に厳しく鍛えられたのだそうだ。
「……女将さん、詳しいですね」
「十年前の【狩り】にアタシも参加してたからね。ヴィッキーはあの頃から凄かったよ」
ジャズは、火をつけた煙草の煙とともに天井に向かって過去を吐き出す。
主に銃器で【狩り】を行う者たちと違って、ヴィクターは近距離での戦闘を得意とした。リアムはヴィクターが銃の扱いを苦手としているのを知っているので、さもありなんと納得していたが、どうやらそんな戦い方をしているのは、ヴィクターだけのようだ。
「私は【狩り】に飽きて警察をやめちまったけど、ヴィッキーにとっちゃあ人狼を追いかけるのが、人生のすべてなのかもね」
幼い頃から人狼を狩るための厳しい訓練に明け暮れていたヴィクター。
そこに人狼らしくないリアムが現れ、彼の価値観が揺らいだ。結果、リアムの存在を警察に隠すことに繋がったのだとしたら。
ヴィクターはヴィクターでリアムにどう接すればいいか持て余していたのだとしたら。
そんな彼の葛藤に気づかず、ヴィクターに悩んでいることを分かってもらえなくて、ひとりで喚いて。
――僕は自分のことばかり考えていた。
「……ヴィ、ヴィクターさん、け、警察を辞めさせられちゃうんでしょうか?」
「さあね。……ただ、ハウンドを捕獲できた功績があるから、アンタを逃したことは不問になるかもしれないよ」
「お、女将さん、ハ、ハウンドさんを、知ってるんですか?」
「ゴシップ誌に面白おかしく書かれてんだから、知らないやつのほうが珍しいね」
それに、とジャズは前のめりになる。
「……最近、喰われた死体をよく見かけるよ。そっちに警察は気を取られてるのさ」
「え」
「知らないのかい? なんでもハウンドの手下どもが大将を返してほしいんで暴れまわってるとか……。本当はどうなんだい?」
「ぼ、僕に聞かれても……」
ジャズはリアムがハウンドの仲間だと疑っている。無理もない。ハウンドと仲良く並んでいたところを多くの捜査官に目撃されているのだ。
「あ、そう」
ジャズの口撃に備え、身構えていたリアムは虚をつかれた。口うるさいジャズがあっさりと引き下がる時は、
「……ど、どこまで知ってるんですか?」
大抵自分のなかで答えを持っている。
細く整えられた眉をさらに跳ね上げ、ジャズは嘯く。
「何も知らないよ。胡散臭いタブロイド紙の記事しか知らないね」
「……ほ、本当ですか?」
「アンタね、こんなところで油売ってていいのかい? くだらないこと言い続けるなら、大声出すよ」
いきなり態度を変えたジャズに、リアムは焦り、使い終わった食器と布を丁寧に揃えた。
警察は酒場にリアムが戻ってくるとみて、監視をつけている。見張りの捜査官が入れ替わる、僅かな隙にリアムは忍び込んでいた。ジャズの言うとおり長居するわけにいかない。
「お、女将さん、い、今までありがとうございました」
「今生の別れでもあるまいし、何いってんのさ。……ヴィッキーに会いにいくんだろ」
「あ、あ、会いにいく資格は、ぼ、僕にはありません」
そう願っても冷静に話せる状況で顔を合わせることは敵わない。
「そんな大層な野郎かい。ただの狩人だよ」
そう悪態をつきつつ、ベッド横の小さな棚からジャズが取り出したのは、リアムがヴィクターから拝借した黒いハンチング帽だ。ロドルナ警察の銃を象った徽章が、鈍い銀色に輝いている。
あの日――ヴィクターと喧嘩別れしたときに落としたはずなのに。
「ど、どうして、ここに……」
「ヴィッキーが持ってきたんだよ。……『俺が持ってても意味ねえからな』って。何言ってんだろうね、自分とこの備品だってのに」
ところどころ泥汚れが目立つハンチング帽を握りしめ、リアムは俯いた。
どういう意図でヴィクターはジャズに帽子を預けたのか。ヴィクターは自分勝手なリアムに怒っているだろう。それでもまだ協力者だと思ってくれているとか?
――そんなに都合のいいことがあっていいのかな。
もし、もう一度会ってもいいなら。
ドンドンドン!
階下から響く音に、リアムはびくりと肩を震わせた。
「噂をすれば、だね」
気だるげに立ち上がったジャズは、「早く行きな」とリアムを追い払う。
「す、すみません……」
「謝るくらいなら、今度、酒の一本でも持ってきな」
ヒラヒラと手を振るジャズは、足音高く階段を降りていく。
「うるさいね! もう店じまいだよ!」
扉を叩く音に負けじとジャズは声をはりあげている。それに被せるように、野太い声が聞こえた。
リアムは窓を開け、周囲を見回してから、石壁を伝い、小路に降り立つ。
酒場の入り口の方向からは、ジャズと男たちの言い争う声が聞こえた。申し訳なく思いつつも、ふと想像以上に警官が戻ってくるのが遅かったような気がする。
『遅い』
「え、ジグザさん……?」
ガス灯がつくる光の輪が、大きな獣を照らし出した。鳶色の獣――ジグザに、リアムは小走りで近づく。
『この俺に見張りまでさせたんだ。……次はこっちの用事に付き合え』
「べ、別に頼んでませんが……もしかしてジグザさんが、見張りの気を引いてくれたんですか?」
道理で長く警官の姿が見当たらなかったわけだ。
ジグザは牙を自慢げにチラつかせる。
『てめえだけなら今頃、捕まってたぜ』
「あ、ありがとうございます。……あ、あのジグザさん、この前のお話、う、受けようと思います」
牙を引っ込め真顔になったジグザの反応に、リアムはゴクリとつばを呑み込む。
『……なんだあ、昨日まで尻込みしてたくせに、どういう風の吹き回しだ?』
「お、女将さんに挨拶できて、か、覚悟が決まっただけです……」
突如思いついた計画をジグザに悟られるわけにはいかない。
耳を覆っていた布を剝ぎとると、ハンチング帽を目深に被り、リアムは力強く言った。
「……あ、案内よろしくお願いします」
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