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二十一話 飼い犬と飼い主
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ハウンドからはバニシャの甘く爽やかな香りが漂っている。蜘蛛の巣のように撒き散らされた匂いは、姿は見えずともハウンドの動きをリアムに教えてくれた。
「……ここです」
リアムはトリガーを握りしめるヴィクターの手に手を重ねた。
狙撃隊を盾にハウンドを狙って、二人同時に息を吐き出す。
バシュッ!
発射の反動が肩に響き、リアムは涙目になりながら、歯を食いしばった。捜査官たちの向こうからドサリと何かが床に落ちる音がして。
「と、取り押さえろ!」
倒れ伏したハウンドに捜査官たちが群がり、四肢を拘束していく。
ヴィクターに寄りかかり、ぼんやりしていたリアムは、肩口を掴まれ呻いた。
「いっ!」
「……お前、いい加減にしろよ」
抑揚のない声に、リアムは身体を縮こまらせる。
ヴィクターは舌打ちし、脱いだジャケットで、リアムの傷口をぐるぐる巻きにし始めた。
「ヴィ、ヴィクターさん、これ、お気に入りのジャケットじゃあ……」
硬い布が傷口にこすれ、脳天に激痛が走った。
「い、痛いです……」
「ないよりマシだろ」
ヴィクターは乱暴に手当をしていく。リアムは抵抗する気力もなく、されるがままになっていた。
「……お前、やっぱり変わんねえな」
横になったリアムをヴィクターは硬い表情で見下ろした。蜂蜜色の瞳に宿るのは怒りか、それとも。
「……ま、前の、僕だったら、ヴィ、ヴィクターさんを、守れなかった。だ、だから、変わってないとか、い、言わないでください」
自分勝手と思われようが、リアムは構わなかった。
――初めてなんだ。何かをやり遂げたいって思えたのは。
「……口答えする前に何か言うことがあるんじゃねえか?」
言いたいことは山ほどある。何から口にすればいいか整理できないまま、リアムは勢いに任せて言った。
「ぼ、僕は病気じゃないですっ」
「何だ唐突に?」
驚くヴィクターにリアムは焦った。
「ハ、ハウンドさんを捕まえた時、言ってたじゃないですか、ぼ、僕たち人狼はわ、悪いものだって」
「……そんなことを言った覚えはないぞ」
「で、でも、に、人間が人狼になることはわ、悪いことなんでしょう?」
あの時――ハウンド逮捕時に、ヴィクターは人狼を病気扱いした。大好きな人に存在を否定され、リアルは逃げ出さずにはいられなかったのだ。
ヴィクターこそリアムに言うべきことがあるのではないか。こちらを責めるばかりでは納得できない。じっと視線に力を入れると、ヴィクターも同じように睨んできた。
想いが伝わらずリアムは呆然とする。ヴィクターは珍しく慌てたように言い繕った。
「あ、あれはだな。売り言葉に買い言葉というか。……お前に対して言ったつもりはないぞ」
リアムは虚をつかれた。てっきり何が悪いんだと切りかえされる覚悟していたのに。そう素直になられると調子が狂ってしまう。もともとヴィクターに好意的なリアムは弱気になった。
「ず、ズルいです、ヴィクターさん……」
「その言葉、そのまま返すぞ」
「な、なんですか……?」
ヴィクターはきちんと整えている短髪を乱暴に掻きむしり、
「人のこと助ける前に、自分の身を守れってんだよ」
リアムはぽかんと口を開けてしまった。 ヴィクターは、リアムの顔面にハンチング帽を押し付ける。
「ヴィ、ヴィクターさん?」
ハンチング帽を持ちあげ隙間からリアムはヴィクターを見つめた。しかめっ面が泣きそうに歪んでいる。
彼は横になったリアムの胸元を思い切り突きながら、早口で捲し立てた。
「他人に引きずられ過ぎなんだよ、お前。だから、毎回毎回騒ぎになるんだろうが」
「す、すみません……」
「本気で悪いと思って行動してねえだろ……」
「ヴィ、ヴィクターさんの考えを無視してごめんなさい。でも僕は……」
「もう喋るな。……怪我に響くぞ」
起き上がろうとするリアムをヴィクターは押し返し、背中をむけた。拒絶されれば、リアムは沈黙するしかない。
騒然とするなか、二人の周りだけ重苦しい空気がまとわりついている。
仁王立ちするヴィクターの背中を見上げ、リアムは「あ、あの……」と声をかけたが、突如ヴィクターは床に座り込んだ。
「だ、大丈夫ですかっ!?」
リアムを助けたときに怪我をしたのか。ならばすぐに手当をしなければ……。
「……俺の心臓が持たねえからあんま無茶するな」
慌てて起き上がったリアムの耳に消え入りそうな声音が届いた。頭を抱え背中を丸めるヴィクターをまじまじと見つめる。
「え……」
「思い込みだけで突っ走るなっていってんだよ!」
「ご、ごめんなさい……」
ヴィクターの怒声に、捜査官たちが、離れたところからちらちらと視線を投げかけてくる。注目されるのは嫌だ。リアムは小声でヴィクターに確認した。
「も、もしかして怒ってますか……?」
「あ? 怒ってねえよ」
眉をつりあげ声を荒らげているのに、怒っていないとは説得力に欠ける。普段のリアムなら怯えていたが、痛みでそんな余裕はなく、思ったままをヴィクターに告げていた。
「……そ、その割には思いっ切り、ぼ、僕のお腹蹴りましたよね」
「手加減すれば、ハウンドに気づかれるからな。お前も本気だったんだからお互い様だろ」
――それって……。
ヴィクターが怒っていたのは、捜査から逃げ出したからではなく、リアムが自身を大事に扱っていなかったからだというのか。
「ヴィクターさん」
「うるせえな、もう寝てろ」
ふたたびハンチング帽を顔面に押し付けられた。これ以上ヴィクターを怒らせてはいけない。リアムは薄暗い視界のなか、目を閉じた。
うとうとしていると、耳元をゆっくり撫でられる。まさか、人狼嫌いのヴィクターがそこに触れるとは思わず、リアムは泣きたくなった。
ヴィクターの手は大きくてあたたかい。心地よくて夢の中に引きずり込まれそうになるが、まだ眠るわけにはいかない。
今度こそ、伝えるんだ。
「ヴィクターさん」
沈黙に促され、リアムは言葉を続けた。
「ぼ、僕にとって貴方は……うっ」
「後にしろ。そろそろ捕縛が落ち着いた頃合いだ。お前も治療院へ運ぶから……」
「う、動くな!」
「なんだ……?」
廊下に緊張感を帯びた数人の声が響いた。
ハウンドを制圧していた捜査官たちが円状に広がり、中心に向かって銃を構えている。次の瞬間、捜査官二人が宙に舞い、ヴィクターの前に落下した。
「おい、しっかりしろ!」
ヴィクターは倒れた捜査官の肩を揺らすも、彼らはぐったりとし、意識を失っていた。
『グオオオオオン!』
輪の中心には、狼へと变化しつつあるハウンドがいた。唇は大きくめくれ上がり、牙が露出している。
ハウンドは床に落ちた眼鏡を踏みつぶすと、包囲網を一足飛びに越え、迷わずヴィクターに突進した。
リアムの援助がなければ、ヴィクターの弾は当たらない。それでもヴィクターは腰を低くし、ハウンドを迎え撃とうとする。肉薄したハウンドはしかし、ヴィクターの脇をスルリと走り抜けた。
リアムはヴィクターの影から突如現れたハウンドに驚くも、身体はピクリとも動かない。
――え、まさか。
ハウンドは優雅にしゃがみ込み、何を思ったのかリアムを肩に担ぎ上げた。
「なっ! てめえ!」
「動くとこの子を食べるよ」
ヴィクターは足を止め、歯ぎしりする。
「……最初からこうすればよかったんだね」
ハウンドは跳躍し、壁を駆け上がると天窓を突き破った。
ガラスにまみれながらリアムは逃げる機会を窺っていたが、ハウンドの腕の力が強すぎて身じろぎもできない。
屋根に吹きつける風の冷たさに身を震わせながらも、リアムは震えているのが自分だけではないことに気がついた。密着したハウンドの身体も小刻みに揺れている。
寒さからなのか、それとも――。
「……俺が死んだら、この街は人狼で溢れかえるだろうね。面白いことになるよ」
ヴィクターが言っていた、人間を人狼化させるバニシャをばら撒くつもりなのだろうか。
夜に沈む市街地を眺めるハウンドは、言葉とは裏腹に無表情だ。
「ハ、ハウンドさんは、それを望んでるんですか?」
ハウンドは不思議そうにまばたきを繰り返した。リアムを試しているわけではなく、純粋にわからないと訴えかけているようで。
「望んでいるも何も、人間たちが俺たちにそうさせているのさ。身から出た錆ってやつだね」
「……ひ、人のせいにするんですか?」
人狼だから忌み嫌われる。
人狼だから身体の一部を隠さなければならない。
しょうがないのだと言い聞かせ、リアムは諦めていた。
抗わず流されるのは楽だから。
ハウンドは人狼が格上だと豪語しているが、内心では人間たちに排除されることを恐れているのではないか。怯える獣ほど自分を大きく見せて威嚇する。
「な、なんの目的もなく、え、獲物を傷つけるのが、じ、人狼のやり方なんですか?」
「……逆に聞くけど、仲間を増やすのが、【悪】なのかい?」
「じ、人狼になった人間を、な、仲間だと認めるなんてこと、は、ハ、ハウンドさんにできるんですか」
口元は穏やかに微笑んでいるものの、こめかみを引きつらせたハウンドは、小脇に抱えたリアムを覗き込んだ。
「……自分の立場がわからなくなるほど、傷が痛むのかな」
ハウンドは血で濡れたリアムの肩口を、空いている手指で鷲掴んだ。ヴィクターのジャケットはさらにどす黒く染まっていく。
「……!」
リアムとて、人狼の端くれである。治癒力は人間よりも高い。しかし、傷口をえぐられれば、怪我が悪化するのは同じだ。
「ああ、すまない。少し力が強かったかな」
割れた天窓の下が騒がしい。ヴィクターが来てしまう前になんとかしなければと、リアムは唇を舌で湿らせた。
『頼むから自分を大事にしてくれ』
言われたそばから約束を破ってしまいそうだ。頬を緩めたリアムが気に食わなかったのか、ハウンドに顎を掴まれる。
「……何を笑っている」
「ハ、ハウンドさんこそ、いつもの余裕はどうしたんですか。まさか、人狼の肉を食べた反動で、く、苦しいんですか?」
『少し、黙ってくれないかな……』
リアムを放り出したハウンドは、四肢を屋根につけ、獣化を始めた。
ミシミシと骨が軋み、シャツやズボンが引きちぎれる。川から吹く冷たい風がそれらを吹き飛ばしたあとには、月光に輝く獣が現れた。
一枚の絵画のように美しいが、誰も愛でることはない。
金色の人喰い狼は頭を反らした。
『俺は日常的にバニシャの葉を摂取している。同族喰い程度で倒れたりはしないんだよ。……今でも満足しているが、君のような稀有な存在を取り込めば、更に進化できるかもしれないね』
「じ、じゃあ、た、食べてみますか?」
普段のハウンドならこんな安い挑発には乗らないだろう。だが、今の彼は獣に近い。
目の前に獲物がいて襲わない獣はいない。腹をすかせていれば、なおさらだ。頭を低くして、リアムから距離をとるハウンド。
このまま逃げようか迷っているのだろう、屋根の端へと後退りする彼に、リアムは、一息に告げた。
「ひ、人喰いのなりそこないに、お、怖気づくなんて、人喰い狼も大したことないんですね」
ハウンドの瞳孔が糸のように細くなる。
「お前ら! 動くな!」
ハウンドの背後からヴィクターの怒鳴り声が響いた。それが合図になり、ハウンドは踵を返した。
ヴィクターめがけて飛び出しそうとするハウンドの顎に、リアムは腕を捩じ込んだ。
「……っい!」
遠くでヴィクターが叫んでいるが、言葉は聞き取れない。
ハウンドは容赦なくリアムの腕を噛み締めた。骨まで達する痛みを道連れに、リアムはハウンドを屋根の端まで押し込む。
最初は踏ん張っていたハウンドだが、次第にビクビクと痙攣が始まり、非力なリアムでも充分押しきれた。
「リアム! 何やってる! やめろ!」
傾斜の強い屋根に片手をついて、ヴィクターは這いつくばりながら近づいてくる。
――他に方法が思いつかなくて、ごめんなさい。
シャツの中に入れたハンチング帽をぎゅっと握りしめる。リアムは渾身の力で脚を踏みきり、ハウンドもろとも、真下の川へと飛び降りた。
「……ここです」
リアムはトリガーを握りしめるヴィクターの手に手を重ねた。
狙撃隊を盾にハウンドを狙って、二人同時に息を吐き出す。
バシュッ!
発射の反動が肩に響き、リアムは涙目になりながら、歯を食いしばった。捜査官たちの向こうからドサリと何かが床に落ちる音がして。
「と、取り押さえろ!」
倒れ伏したハウンドに捜査官たちが群がり、四肢を拘束していく。
ヴィクターに寄りかかり、ぼんやりしていたリアムは、肩口を掴まれ呻いた。
「いっ!」
「……お前、いい加減にしろよ」
抑揚のない声に、リアムは身体を縮こまらせる。
ヴィクターは舌打ちし、脱いだジャケットで、リアムの傷口をぐるぐる巻きにし始めた。
「ヴィ、ヴィクターさん、これ、お気に入りのジャケットじゃあ……」
硬い布が傷口にこすれ、脳天に激痛が走った。
「い、痛いです……」
「ないよりマシだろ」
ヴィクターは乱暴に手当をしていく。リアムは抵抗する気力もなく、されるがままになっていた。
「……お前、やっぱり変わんねえな」
横になったリアムをヴィクターは硬い表情で見下ろした。蜂蜜色の瞳に宿るのは怒りか、それとも。
「……ま、前の、僕だったら、ヴィ、ヴィクターさんを、守れなかった。だ、だから、変わってないとか、い、言わないでください」
自分勝手と思われようが、リアムは構わなかった。
――初めてなんだ。何かをやり遂げたいって思えたのは。
「……口答えする前に何か言うことがあるんじゃねえか?」
言いたいことは山ほどある。何から口にすればいいか整理できないまま、リアムは勢いに任せて言った。
「ぼ、僕は病気じゃないですっ」
「何だ唐突に?」
驚くヴィクターにリアムは焦った。
「ハ、ハウンドさんを捕まえた時、言ってたじゃないですか、ぼ、僕たち人狼はわ、悪いものだって」
「……そんなことを言った覚えはないぞ」
「で、でも、に、人間が人狼になることはわ、悪いことなんでしょう?」
あの時――ハウンド逮捕時に、ヴィクターは人狼を病気扱いした。大好きな人に存在を否定され、リアルは逃げ出さずにはいられなかったのだ。
ヴィクターこそリアムに言うべきことがあるのではないか。こちらを責めるばかりでは納得できない。じっと視線に力を入れると、ヴィクターも同じように睨んできた。
想いが伝わらずリアムは呆然とする。ヴィクターは珍しく慌てたように言い繕った。
「あ、あれはだな。売り言葉に買い言葉というか。……お前に対して言ったつもりはないぞ」
リアムは虚をつかれた。てっきり何が悪いんだと切りかえされる覚悟していたのに。そう素直になられると調子が狂ってしまう。もともとヴィクターに好意的なリアムは弱気になった。
「ず、ズルいです、ヴィクターさん……」
「その言葉、そのまま返すぞ」
「な、なんですか……?」
ヴィクターはきちんと整えている短髪を乱暴に掻きむしり、
「人のこと助ける前に、自分の身を守れってんだよ」
リアムはぽかんと口を開けてしまった。 ヴィクターは、リアムの顔面にハンチング帽を押し付ける。
「ヴィ、ヴィクターさん?」
ハンチング帽を持ちあげ隙間からリアムはヴィクターを見つめた。しかめっ面が泣きそうに歪んでいる。
彼は横になったリアムの胸元を思い切り突きながら、早口で捲し立てた。
「他人に引きずられ過ぎなんだよ、お前。だから、毎回毎回騒ぎになるんだろうが」
「す、すみません……」
「本気で悪いと思って行動してねえだろ……」
「ヴィ、ヴィクターさんの考えを無視してごめんなさい。でも僕は……」
「もう喋るな。……怪我に響くぞ」
起き上がろうとするリアムをヴィクターは押し返し、背中をむけた。拒絶されれば、リアムは沈黙するしかない。
騒然とするなか、二人の周りだけ重苦しい空気がまとわりついている。
仁王立ちするヴィクターの背中を見上げ、リアムは「あ、あの……」と声をかけたが、突如ヴィクターは床に座り込んだ。
「だ、大丈夫ですかっ!?」
リアムを助けたときに怪我をしたのか。ならばすぐに手当をしなければ……。
「……俺の心臓が持たねえからあんま無茶するな」
慌てて起き上がったリアムの耳に消え入りそうな声音が届いた。頭を抱え背中を丸めるヴィクターをまじまじと見つめる。
「え……」
「思い込みだけで突っ走るなっていってんだよ!」
「ご、ごめんなさい……」
ヴィクターの怒声に、捜査官たちが、離れたところからちらちらと視線を投げかけてくる。注目されるのは嫌だ。リアムは小声でヴィクターに確認した。
「も、もしかして怒ってますか……?」
「あ? 怒ってねえよ」
眉をつりあげ声を荒らげているのに、怒っていないとは説得力に欠ける。普段のリアムなら怯えていたが、痛みでそんな余裕はなく、思ったままをヴィクターに告げていた。
「……そ、その割には思いっ切り、ぼ、僕のお腹蹴りましたよね」
「手加減すれば、ハウンドに気づかれるからな。お前も本気だったんだからお互い様だろ」
――それって……。
ヴィクターが怒っていたのは、捜査から逃げ出したからではなく、リアムが自身を大事に扱っていなかったからだというのか。
「ヴィクターさん」
「うるせえな、もう寝てろ」
ふたたびハンチング帽を顔面に押し付けられた。これ以上ヴィクターを怒らせてはいけない。リアムは薄暗い視界のなか、目を閉じた。
うとうとしていると、耳元をゆっくり撫でられる。まさか、人狼嫌いのヴィクターがそこに触れるとは思わず、リアムは泣きたくなった。
ヴィクターの手は大きくてあたたかい。心地よくて夢の中に引きずり込まれそうになるが、まだ眠るわけにはいかない。
今度こそ、伝えるんだ。
「ヴィクターさん」
沈黙に促され、リアムは言葉を続けた。
「ぼ、僕にとって貴方は……うっ」
「後にしろ。そろそろ捕縛が落ち着いた頃合いだ。お前も治療院へ運ぶから……」
「う、動くな!」
「なんだ……?」
廊下に緊張感を帯びた数人の声が響いた。
ハウンドを制圧していた捜査官たちが円状に広がり、中心に向かって銃を構えている。次の瞬間、捜査官二人が宙に舞い、ヴィクターの前に落下した。
「おい、しっかりしろ!」
ヴィクターは倒れた捜査官の肩を揺らすも、彼らはぐったりとし、意識を失っていた。
『グオオオオオン!』
輪の中心には、狼へと变化しつつあるハウンドがいた。唇は大きくめくれ上がり、牙が露出している。
ハウンドは床に落ちた眼鏡を踏みつぶすと、包囲網を一足飛びに越え、迷わずヴィクターに突進した。
リアムの援助がなければ、ヴィクターの弾は当たらない。それでもヴィクターは腰を低くし、ハウンドを迎え撃とうとする。肉薄したハウンドはしかし、ヴィクターの脇をスルリと走り抜けた。
リアムはヴィクターの影から突如現れたハウンドに驚くも、身体はピクリとも動かない。
――え、まさか。
ハウンドは優雅にしゃがみ込み、何を思ったのかリアムを肩に担ぎ上げた。
「なっ! てめえ!」
「動くとこの子を食べるよ」
ヴィクターは足を止め、歯ぎしりする。
「……最初からこうすればよかったんだね」
ハウンドは跳躍し、壁を駆け上がると天窓を突き破った。
ガラスにまみれながらリアムは逃げる機会を窺っていたが、ハウンドの腕の力が強すぎて身じろぎもできない。
屋根に吹きつける風の冷たさに身を震わせながらも、リアムは震えているのが自分だけではないことに気がついた。密着したハウンドの身体も小刻みに揺れている。
寒さからなのか、それとも――。
「……俺が死んだら、この街は人狼で溢れかえるだろうね。面白いことになるよ」
ヴィクターが言っていた、人間を人狼化させるバニシャをばら撒くつもりなのだろうか。
夜に沈む市街地を眺めるハウンドは、言葉とは裏腹に無表情だ。
「ハ、ハウンドさんは、それを望んでるんですか?」
ハウンドは不思議そうにまばたきを繰り返した。リアムを試しているわけではなく、純粋にわからないと訴えかけているようで。
「望んでいるも何も、人間たちが俺たちにそうさせているのさ。身から出た錆ってやつだね」
「……ひ、人のせいにするんですか?」
人狼だから忌み嫌われる。
人狼だから身体の一部を隠さなければならない。
しょうがないのだと言い聞かせ、リアムは諦めていた。
抗わず流されるのは楽だから。
ハウンドは人狼が格上だと豪語しているが、内心では人間たちに排除されることを恐れているのではないか。怯える獣ほど自分を大きく見せて威嚇する。
「な、なんの目的もなく、え、獲物を傷つけるのが、じ、人狼のやり方なんですか?」
「……逆に聞くけど、仲間を増やすのが、【悪】なのかい?」
「じ、人狼になった人間を、な、仲間だと認めるなんてこと、は、ハ、ハウンドさんにできるんですか」
口元は穏やかに微笑んでいるものの、こめかみを引きつらせたハウンドは、小脇に抱えたリアムを覗き込んだ。
「……自分の立場がわからなくなるほど、傷が痛むのかな」
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「……!」
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「ああ、すまない。少し力が強かったかな」
割れた天窓の下が騒がしい。ヴィクターが来てしまう前になんとかしなければと、リアムは唇を舌で湿らせた。
『頼むから自分を大事にしてくれ』
言われたそばから約束を破ってしまいそうだ。頬を緩めたリアムが気に食わなかったのか、ハウンドに顎を掴まれる。
「……何を笑っている」
「ハ、ハウンドさんこそ、いつもの余裕はどうしたんですか。まさか、人狼の肉を食べた反動で、く、苦しいんですか?」
『少し、黙ってくれないかな……』
リアムを放り出したハウンドは、四肢を屋根につけ、獣化を始めた。
ミシミシと骨が軋み、シャツやズボンが引きちぎれる。川から吹く冷たい風がそれらを吹き飛ばしたあとには、月光に輝く獣が現れた。
一枚の絵画のように美しいが、誰も愛でることはない。
金色の人喰い狼は頭を反らした。
『俺は日常的にバニシャの葉を摂取している。同族喰い程度で倒れたりはしないんだよ。……今でも満足しているが、君のような稀有な存在を取り込めば、更に進化できるかもしれないね』
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普段のハウンドならこんな安い挑発には乗らないだろう。だが、今の彼は獣に近い。
目の前に獲物がいて襲わない獣はいない。腹をすかせていれば、なおさらだ。頭を低くして、リアムから距離をとるハウンド。
このまま逃げようか迷っているのだろう、屋根の端へと後退りする彼に、リアムは、一息に告げた。
「ひ、人喰いのなりそこないに、お、怖気づくなんて、人喰い狼も大したことないんですね」
ハウンドの瞳孔が糸のように細くなる。
「お前ら! 動くな!」
ハウンドの背後からヴィクターの怒鳴り声が響いた。それが合図になり、ハウンドは踵を返した。
ヴィクターめがけて飛び出しそうとするハウンドの顎に、リアムは腕を捩じ込んだ。
「……っい!」
遠くでヴィクターが叫んでいるが、言葉は聞き取れない。
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最初は踏ん張っていたハウンドだが、次第にビクビクと痙攣が始まり、非力なリアムでも充分押しきれた。
「リアム! 何やってる! やめろ!」
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