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22話 ハロルド、処刑の日を迎える
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「【魅了】が効かない。それすなわち、心から愛する人ができた時よ」
「あ――、はいはい。そんな冗談はいいっての」
「本気の本気なのに、信用してもらえないなんて。さすがの私も泣いちゃいそう」
「もしそうだとしても、俺には縁のない話だ」
「あら、どうして?」
「本気で女に惚れることはないからに決まってんだろ」
「そんなの判らないじゃない。なによ、私のことは愛してないって事? 何回も熱ーい夜を過ごしてるのに」
それこそ冗談だろ。
鼻で嗤ったら、割と本気でメメに殺されそうになったな。
なるほど。
俺はルチアナに心の底からイカレしまったようだ。十五年前の俺が今の俺を見たら腑抜け野郎だと腹を抱えて笑うに違いない。
けれど今の俺は俺を笑うことはない。
それよりもルチアナをどうやって守ろうか。
それだけが俺の頭を占めていた。
――
ルチアナが去った後、ズボンのポケットに違和感があり、手を突っ込んでみると、何の変哲もない金属の棒が入っていた。
髪の毛よりも少し太いそれを試しに足枷の鍵穴に差し込んでみる。
形が変わりぴったりと嵌った。
このまま捻れば枷が外れそうである。
魔術が施された品をこの国で入手するのは不可能だ。
であればルチアナが王都の『お友達』から手に入れたのは想像に難くない。
長らく国王派を貫いているユーリスタ家が、反国王派と仲良くしている証拠を残して問題ないのだろうか。
まあ、ルチアナの親父さんが俺を匿った時点で、裏切り云々をとやかく言うのは野暮というものだ。
そろそろ身の振り方を決めるべきだよな。
――
体感にして三日後。
メシの回数を数えていたから、たぶんあっているはずだ。
「出ろ」
牢番は俺の手枷に鎖をつけた。
鎖は短すぎて、目の前の牢番の首を絞めるのに使えそうにない。
牢屋から引きずり出された俺は、長々と石の階段を登る。
湿った地下階から登りきっても、まだ薄暗い廊下が続いていた。
しばらく歩いた先に、小さな明かりが見える。
乾いた空気の匂いとともに、騒々しい音が流れ込んできた。
牢番に背中を小突かれ、明かりの中へ踏み込む。
俺は頭上からの陽光に目を細めた。
手をかざすと手枷の鎖が耳障りな金属音をたてる。
「おら、歩け」
牢番に背中を押されよろめいた瞬間。
耳をつんざく大音声に、俺は首を巡らせた。
ここは確か、闘技場だ。
闘技場はすり鉢状になっていて、俺がいるのはすり鉢の底にあたる。
底の中心は、一段高くなった舞台だ。真ん中に小さな台が置かれていた。
その両脇には筋肉鎧をまとったハゲの大男が二人いて、そのうちの一人は、巨大な斧を構えている。
立ち止まっていると、牢番に背中をふたたび小突かれ、舞台に上がるように急かされた。
「アレが、【神斧の英雄】? おっさんじゃん!」
「先代国王陛下を裏切ったんだから、英雄とは言えんだろ」
「確かに、イヤらしい顔してるわ」
俺の処刑は見世物じゃないぞ。
目線より上にある観客席を睨みつけ、俺はしぶしぶ舞台の中心へ足を運んだ。
足枷には鉄の塊が繋がっていて、重いったらない。
斧を担いだ大男の前を通る。肩に担ぐ斧は刃こぼれしていた。
てめえの頭剃り上げる前に、相棒をしっかり磨いておけよな。
斧は切る、というより叩き潰すのに適している。
なので多少刃こぼれしていても、敵を殺すことは難しくない。
得物の手入れに頓着しない野郎は、とかく力任せに敵をいたぶる。
まあ、俺の偏見だと言われればそれまでだが、ニヤニヤしながら斧をこれ見よがしに振るハゲを見れば、当たらずとも遠からずだろう。
俺は自分の首に何度も斧が叩きつけられる様を想像し、吐き気がした。
肩を落とした矢先、俺は跪かされ、首を台の上に押し付けられた。
「あばよ、【神斧の英雄】サン」
大男は斧を振り上げ、ニヤリと黄ばんだ歯をみせ笑った。
その瞬間。
「皆の者! 英雄殿をお救いしろ!」
野太い声と金属が擦れあう音に続き、客席から剣や槍を掲げた男女が、柵を乗り越え、闘技場に駆け下りてくる。
あっという間に俺は数十人の乱入者に囲まれた。
処刑人はしかめ面になり、乱入者たち相手に斧を振り回している。
俺を押さえつけているもうひとりの大男は、数人の騎士に切りかかられ、俺を取り押さえている場合ではなくなった。
周囲は乱戦状態。誰も俺を気にしていない。
この隙に逃げようと、金属の棒を足枷の鍵穴に差し込んだ。
同時に白い手が俺の手首を握った。
「……閣下、わざわざこのような場にいらっしゃらなくても」
「助けると約束しただろう」
革鎧を身にまとったルチアナは、高く結った銀髪を揺らし、得意げに顎を反らす。
反乱軍のお姫様ってか。
なかなか様になっている。
「あの、閣下。早く枷を……」
俺は手首をがっちり握られたままである。
なぜ離してくれないのか、不思議に思っていると、ルチアナが俺の身体を引っ張り上げようとする。
誘われるまま、立ちあがれば、ルチアナは俺の頬を両手で挟んで、背伸びをした。
アッと思う間もなく、ピンク色の唇が俺のカサついた唇に触れる。
……?
そばにいた騎士のひとりがポカンと口を開けている。
若者よ、俺も同じ気持ちだ。
触れるだけの口づけの後、ルチアナは俺から顔を遠ざけた。そして満足げに微笑むと、俺の二の腕を押し上げる。
その視線の先は観客席の上部――王族の紋章入りの天幕が見え隠れしているので王族専用の貴賓席だ。
ここからではその姿は見えないが、少年王がいるはずである。
「陛下! 私――ルチアナ•ヴェイク・ユーリスタは【神斧の英雄】殿と、夫婦になります」
……はい?
ルチアナの声は凛としていて、遠くまで響き渡った。そして、彼女の声を中心に騒ぎが収まっていく。
ルチアナは精一杯腕を伸ばし、俺の腕を掲げ続ける。
宣誓の意を示しているつもりなのだろう。
しかし高さが足りず、俺は降参だと言わんばかりに肘を曲げた状態だ。
何が起こっている? 夫婦? 何それ?
「閣下、俺は英雄じゃありませんって何度も申し上げているでしょう」
俺は混乱した挙句、間抜けにもほどがある言い訳をした。
困り果てる俺とは対照的に、ルチアナは呆れるどころか微笑んだ。
「……【死神】の夫となるのに迷いはないのか」
「呪いになんてハナッから掛かっていなかったでしょうが」
言い争っているうちに、闘技場の出入り口二カ所から、王国軍の兵士たちがなだれ込んできた。
ルチアナのお友達は数十人である。
あっという間に囲まれ、形勢は逆転してしまった。
脚を思い切り蹴り上げれば、鎖がしなって鉄の玉が勢いよく兵士の太ももに直撃した。
威力は大きい。ただ重りに引っ張られたせいで、腰が悲鳴をあげる。
「……っく」
「無茶な戦い方をするな」
腰を押さえ、屈んでいたら、ルチアナが斧を引きずってやってきた。
その背後には俺の首を刎ねようとした大男が仰向けに倒れている。
「閣下がアイツを?」
「まさか。彼らの手柄だ」
ルチアナが手を上げれば、若い男二人がこちらを振り返った。
歯を見せ笑うも、一瞬で敵に囲まれそれどころではなくなる。
「閣下、早く手枷を」
「うむ」
ルチアナは素早く俺の手から金属の棒を受け取り、手枷を外す。
そして流れるように腰のポーチへ手枷を仕舞った。
そんなもの取っておいてどうするんだ。
疑問に思うも、問いかけている暇はない。
俺はルチアナから斧を受け取り、彼女の肩を引き寄せる。こいつだけは何としても逃さないと――。
「小娘に本気になるなんて、ホントつまんない男になっちゃったのね、ダーリン」
メメは黒いドレスの裾をなびかせ闘技場に降り立った。
土煙と埃が舞うなか、メメの周囲だけ澄んだ空気が漂っている。
「お前もつまんねえ女になったな」
俺の知るメメはそれは楽しそうに男を誘惑した。
その時その時を生きる姿は眩しく、血生臭い戦場では清々しいまでに己の欲望に忠実な魔女だった。
そんな彼女に俺は救われていた。
口の端を歪めるメメにあの頃の面影はない。
「復讐を果たすために才能を垂れ流すなんて、イイ女がすることじゃないな」
「私を挑発してもここから逃げられる隙なんて、与えてあげないんだから」
メメは指を鳴らす。
その背後、闘技場の入り口からズ、ズ、ズ……と何かを引きずる音とともに現れたのは、レオだ。
その左手には巨大な斧――いやあれは。
「懐かしいでしょう。アンタを【神斧】たらしめた相棒ハルバートよ」
左右に身体を揺らし顔をあげたレオは口の端からよだれを垂らし、「ゆるさない、ゆるさないぃぃ」とうわごとを呟いている。
明らかに正気ではない。長物を持つ左腕のシャツが張り裂けそうなほど太くなっていた。
精神だけでなく肉体も弄られているようだ。
「おいおい、大事な共犯者を出来の悪い操り人形にしちまってよかったのかよ」
「僕ちゃんがユーリスタを取り込めなかった時点で用なしだもの。惜しくはないわ」
肉体強化をしたとはいえ、レオの重心は左に傾いている。俺が愛用したハルバートは刃の部分が大きく、片手で扱うには骨が折れるのだ。
たいした訓練をしていないなら、大ぶりに振り回すのが関の山だろう。
アレを奪えれば、ルチアナを抱え兵士を蹴散らせる。たぶん。
お嬢様を背にかばい、俺は腰を低くした。
「自分のことしか考えてないアンタに憧れてたのに」
メメは口元を歪めた。
そのつぶやきはまるで、置いてけぼりにされたガキのようである。
そうだな。俺は俺を生かすために、人を殺し、仲間を見殺しにした。
このままではダメだとお貴族サマに逆らったが、裏目に出て結局、仲間を窮地に立たせてしまった。
後悔はしていない。
悔やめば、仲間は無駄死にしてしまったのだと認めてしまうことになる。
それだけは受け入れられない。
「ハルはいつも他人のことを考えて戦っているぞ」
わきの辺りから声がして、俺は思わずそちらを見下ろした。
上目遣いでルチアナはふっと笑い、俺のシャツを握りしめる。
汚いぼろきれに白い指先が強く食い込んだ。
「お前は仲間のために貴族に喧嘩を売ったのだと、父上から聞いている」
「先代には何も言ってませんがね」
「貴族の情報網を甘く見てもらっては困る。命令に逆らったことで亡くなった者もいたが、大半は助かったと聞いたぞ。……それに私の無茶な願いに懸命に応えようとしてくれた。今も私を守ろうと身を挺してくれている。お前自身がお前を卑下するならば、私を侮辱しているも同義だ。そう思え」
なんとも買いかぶってくれているな、お嬢様。
俺はアンタを自分好みに犯したいがために身体張ってんだよ。
馬鹿で、可愛い女だ。
そしてなんとも横暴な主人である。
その清々しさがおかしくて、俺は肩が震えた。
「くくくっ。伯爵閣下はイカレていらっしゃる……って、おっと!」
面白くなってきたところで、レオが突進しながら俺めがけてハルバートを振りかぶった。
俺は手にした斧を放り出し、ルチアナを脇に抱え、後ろに飛ぶ。
一瞬後、俺たちがいた石畳に斧が刺さり、石礫があたりに散った。
足枷が重く思った以上に距離がとれない。
ほんの数メートル先で、鼻息の荒いレオがふたたびハルバートを担いでる。
「アンタたち、自分の立場が分かっているの?」
気持ち悪く、いちゃついてくれちゃってさぁ。ホント、やんなっちゃう。
メメの細い眉と目尻はそれ以上吊り上がらない位置まで跳ね上がっていた。
メメはレオに手のひらをかざした。
するとレオは背を丸めぶるぶると震えはじめる。
『ウオオオオオオオ!』
しばらくすると、レオは雄叫びをあげた。
白目をむき、もはや人の理性があるのか疑わしい様子である。
魔獣と変わらない気配に、俺は勝機を見出した。
魔獣相手に怖気づいて背中を向けるのは馬鹿のやることだ。
奴らは元来臆病な生き物である。
こちらが強いと思わせればいい。
「ウオオオオオオオ!」
俺はレオを真似て遠吠えをした。
案の定、奴はびくりと痙攣し、動きを止める。
「ちょっと、何してるの? 早く仕留めちゃいなさい!」
悲鳴に近い命令に、レオは従わない。
メメの奴、勘が鈍ってんな。意識を奪い獣に近づければ近づけるほど、本能が強く働く。
そんな単純な道理に頭が回らなくなるほど、復讐心に囚われているのか。
俺はルチアナに「動かないでくださいよ」と耳打ちした。
そしてレオから目をそらさずゆっくりと一歩一歩進む。対してレオはじりじりと後退した。
戦意を喪失しているのは、左手のハルバートを構えていない時点で明らかだった。
そのうち、だらりと垂れた手からハルバートが落ちる。
その隙を見逃さず、俺はレオに肉薄し、奴の頬に拳を叩き込んだ。へこんだ皮膚がメリメリと音を立てる。
腕を振りぬけば、レオの上半身はぐらりと揺らぎ、横ざまに倒れた。
砂埃がレオを包み込む。
「……返してもらうぞ」
床に転がった相棒を俺は拾い上げた。
当時より重く感じるそれを肩に担いで振り向くと、ルチアナに王国軍の兵士たちが迫っていた。
「俺のモンに触んじゃねえっ」
俺はハルバートをぶん投げた。
くるくると旋回する相棒はルチアナに腕を伸ばそうとしていた兵士の胴に直撃。そのまま吹き飛ばした。
肩をいからせ近づく俺に、兵士たちは及び腰で後退する。
愛用の武器を回収し、重りのついた足枷の鎖を斧で叩ききった。
「閣下、少し我慢してくださいよ」
断りを入れ、ルチアナの尻を腕に乗せ抱える。ルチアナは大人しく俺の首根っこに腕をまわした。
そのまま闘技場の入り口に向かおうとすると、
「またお尋ね者になるつもり?」
メメが言った。冷静な声音に振り返れば、至極真面目な顔をしている。
「したけりゃすればいいさ」
簡単に捕まってやるつもりはない。守りたいものもあるしな。
「いつまでも過去に拘ってたら人生面白くねえぞ」
俺は捨て台詞を吐き、駆け出した。
兵士たちを睨みつければ面白いように道が開けていく。
闘技場を出る間際、
「……ほんと、つまんないオジさんになっちゃって、ガッカリだわ」
風に乗ってメメの声が聞こえた気がしたが、確かめる術はなかった。
「あ――、はいはい。そんな冗談はいいっての」
「本気の本気なのに、信用してもらえないなんて。さすがの私も泣いちゃいそう」
「もしそうだとしても、俺には縁のない話だ」
「あら、どうして?」
「本気で女に惚れることはないからに決まってんだろ」
「そんなの判らないじゃない。なによ、私のことは愛してないって事? 何回も熱ーい夜を過ごしてるのに」
それこそ冗談だろ。
鼻で嗤ったら、割と本気でメメに殺されそうになったな。
なるほど。
俺はルチアナに心の底からイカレしまったようだ。十五年前の俺が今の俺を見たら腑抜け野郎だと腹を抱えて笑うに違いない。
けれど今の俺は俺を笑うことはない。
それよりもルチアナをどうやって守ろうか。
それだけが俺の頭を占めていた。
――
ルチアナが去った後、ズボンのポケットに違和感があり、手を突っ込んでみると、何の変哲もない金属の棒が入っていた。
髪の毛よりも少し太いそれを試しに足枷の鍵穴に差し込んでみる。
形が変わりぴったりと嵌った。
このまま捻れば枷が外れそうである。
魔術が施された品をこの国で入手するのは不可能だ。
であればルチアナが王都の『お友達』から手に入れたのは想像に難くない。
長らく国王派を貫いているユーリスタ家が、反国王派と仲良くしている証拠を残して問題ないのだろうか。
まあ、ルチアナの親父さんが俺を匿った時点で、裏切り云々をとやかく言うのは野暮というものだ。
そろそろ身の振り方を決めるべきだよな。
――
体感にして三日後。
メシの回数を数えていたから、たぶんあっているはずだ。
「出ろ」
牢番は俺の手枷に鎖をつけた。
鎖は短すぎて、目の前の牢番の首を絞めるのに使えそうにない。
牢屋から引きずり出された俺は、長々と石の階段を登る。
湿った地下階から登りきっても、まだ薄暗い廊下が続いていた。
しばらく歩いた先に、小さな明かりが見える。
乾いた空気の匂いとともに、騒々しい音が流れ込んできた。
牢番に背中を小突かれ、明かりの中へ踏み込む。
俺は頭上からの陽光に目を細めた。
手をかざすと手枷の鎖が耳障りな金属音をたてる。
「おら、歩け」
牢番に背中を押されよろめいた瞬間。
耳をつんざく大音声に、俺は首を巡らせた。
ここは確か、闘技場だ。
闘技場はすり鉢状になっていて、俺がいるのはすり鉢の底にあたる。
底の中心は、一段高くなった舞台だ。真ん中に小さな台が置かれていた。
その両脇には筋肉鎧をまとったハゲの大男が二人いて、そのうちの一人は、巨大な斧を構えている。
立ち止まっていると、牢番に背中をふたたび小突かれ、舞台に上がるように急かされた。
「アレが、【神斧の英雄】? おっさんじゃん!」
「先代国王陛下を裏切ったんだから、英雄とは言えんだろ」
「確かに、イヤらしい顔してるわ」
俺の処刑は見世物じゃないぞ。
目線より上にある観客席を睨みつけ、俺はしぶしぶ舞台の中心へ足を運んだ。
足枷には鉄の塊が繋がっていて、重いったらない。
斧を担いだ大男の前を通る。肩に担ぐ斧は刃こぼれしていた。
てめえの頭剃り上げる前に、相棒をしっかり磨いておけよな。
斧は切る、というより叩き潰すのに適している。
なので多少刃こぼれしていても、敵を殺すことは難しくない。
得物の手入れに頓着しない野郎は、とかく力任せに敵をいたぶる。
まあ、俺の偏見だと言われればそれまでだが、ニヤニヤしながら斧をこれ見よがしに振るハゲを見れば、当たらずとも遠からずだろう。
俺は自分の首に何度も斧が叩きつけられる様を想像し、吐き気がした。
肩を落とした矢先、俺は跪かされ、首を台の上に押し付けられた。
「あばよ、【神斧の英雄】サン」
大男は斧を振り上げ、ニヤリと黄ばんだ歯をみせ笑った。
その瞬間。
「皆の者! 英雄殿をお救いしろ!」
野太い声と金属が擦れあう音に続き、客席から剣や槍を掲げた男女が、柵を乗り越え、闘技場に駆け下りてくる。
あっという間に俺は数十人の乱入者に囲まれた。
処刑人はしかめ面になり、乱入者たち相手に斧を振り回している。
俺を押さえつけているもうひとりの大男は、数人の騎士に切りかかられ、俺を取り押さえている場合ではなくなった。
周囲は乱戦状態。誰も俺を気にしていない。
この隙に逃げようと、金属の棒を足枷の鍵穴に差し込んだ。
同時に白い手が俺の手首を握った。
「……閣下、わざわざこのような場にいらっしゃらなくても」
「助けると約束しただろう」
革鎧を身にまとったルチアナは、高く結った銀髪を揺らし、得意げに顎を反らす。
反乱軍のお姫様ってか。
なかなか様になっている。
「あの、閣下。早く枷を……」
俺は手首をがっちり握られたままである。
なぜ離してくれないのか、不思議に思っていると、ルチアナが俺の身体を引っ張り上げようとする。
誘われるまま、立ちあがれば、ルチアナは俺の頬を両手で挟んで、背伸びをした。
アッと思う間もなく、ピンク色の唇が俺のカサついた唇に触れる。
……?
そばにいた騎士のひとりがポカンと口を開けている。
若者よ、俺も同じ気持ちだ。
触れるだけの口づけの後、ルチアナは俺から顔を遠ざけた。そして満足げに微笑むと、俺の二の腕を押し上げる。
その視線の先は観客席の上部――王族の紋章入りの天幕が見え隠れしているので王族専用の貴賓席だ。
ここからではその姿は見えないが、少年王がいるはずである。
「陛下! 私――ルチアナ•ヴェイク・ユーリスタは【神斧の英雄】殿と、夫婦になります」
……はい?
ルチアナの声は凛としていて、遠くまで響き渡った。そして、彼女の声を中心に騒ぎが収まっていく。
ルチアナは精一杯腕を伸ばし、俺の腕を掲げ続ける。
宣誓の意を示しているつもりなのだろう。
しかし高さが足りず、俺は降参だと言わんばかりに肘を曲げた状態だ。
何が起こっている? 夫婦? 何それ?
「閣下、俺は英雄じゃありませんって何度も申し上げているでしょう」
俺は混乱した挙句、間抜けにもほどがある言い訳をした。
困り果てる俺とは対照的に、ルチアナは呆れるどころか微笑んだ。
「……【死神】の夫となるのに迷いはないのか」
「呪いになんてハナッから掛かっていなかったでしょうが」
言い争っているうちに、闘技場の出入り口二カ所から、王国軍の兵士たちがなだれ込んできた。
ルチアナのお友達は数十人である。
あっという間に囲まれ、形勢は逆転してしまった。
脚を思い切り蹴り上げれば、鎖がしなって鉄の玉が勢いよく兵士の太ももに直撃した。
威力は大きい。ただ重りに引っ張られたせいで、腰が悲鳴をあげる。
「……っく」
「無茶な戦い方をするな」
腰を押さえ、屈んでいたら、ルチアナが斧を引きずってやってきた。
その背後には俺の首を刎ねようとした大男が仰向けに倒れている。
「閣下がアイツを?」
「まさか。彼らの手柄だ」
ルチアナが手を上げれば、若い男二人がこちらを振り返った。
歯を見せ笑うも、一瞬で敵に囲まれそれどころではなくなる。
「閣下、早く手枷を」
「うむ」
ルチアナは素早く俺の手から金属の棒を受け取り、手枷を外す。
そして流れるように腰のポーチへ手枷を仕舞った。
そんなもの取っておいてどうするんだ。
疑問に思うも、問いかけている暇はない。
俺はルチアナから斧を受け取り、彼女の肩を引き寄せる。こいつだけは何としても逃さないと――。
「小娘に本気になるなんて、ホントつまんない男になっちゃったのね、ダーリン」
メメは黒いドレスの裾をなびかせ闘技場に降り立った。
土煙と埃が舞うなか、メメの周囲だけ澄んだ空気が漂っている。
「お前もつまんねえ女になったな」
俺の知るメメはそれは楽しそうに男を誘惑した。
その時その時を生きる姿は眩しく、血生臭い戦場では清々しいまでに己の欲望に忠実な魔女だった。
そんな彼女に俺は救われていた。
口の端を歪めるメメにあの頃の面影はない。
「復讐を果たすために才能を垂れ流すなんて、イイ女がすることじゃないな」
「私を挑発してもここから逃げられる隙なんて、与えてあげないんだから」
メメは指を鳴らす。
その背後、闘技場の入り口からズ、ズ、ズ……と何かを引きずる音とともに現れたのは、レオだ。
その左手には巨大な斧――いやあれは。
「懐かしいでしょう。アンタを【神斧】たらしめた相棒ハルバートよ」
左右に身体を揺らし顔をあげたレオは口の端からよだれを垂らし、「ゆるさない、ゆるさないぃぃ」とうわごとを呟いている。
明らかに正気ではない。長物を持つ左腕のシャツが張り裂けそうなほど太くなっていた。
精神だけでなく肉体も弄られているようだ。
「おいおい、大事な共犯者を出来の悪い操り人形にしちまってよかったのかよ」
「僕ちゃんがユーリスタを取り込めなかった時点で用なしだもの。惜しくはないわ」
肉体強化をしたとはいえ、レオの重心は左に傾いている。俺が愛用したハルバートは刃の部分が大きく、片手で扱うには骨が折れるのだ。
たいした訓練をしていないなら、大ぶりに振り回すのが関の山だろう。
アレを奪えれば、ルチアナを抱え兵士を蹴散らせる。たぶん。
お嬢様を背にかばい、俺は腰を低くした。
「自分のことしか考えてないアンタに憧れてたのに」
メメは口元を歪めた。
そのつぶやきはまるで、置いてけぼりにされたガキのようである。
そうだな。俺は俺を生かすために、人を殺し、仲間を見殺しにした。
このままではダメだとお貴族サマに逆らったが、裏目に出て結局、仲間を窮地に立たせてしまった。
後悔はしていない。
悔やめば、仲間は無駄死にしてしまったのだと認めてしまうことになる。
それだけは受け入れられない。
「ハルはいつも他人のことを考えて戦っているぞ」
わきの辺りから声がして、俺は思わずそちらを見下ろした。
上目遣いでルチアナはふっと笑い、俺のシャツを握りしめる。
汚いぼろきれに白い指先が強く食い込んだ。
「お前は仲間のために貴族に喧嘩を売ったのだと、父上から聞いている」
「先代には何も言ってませんがね」
「貴族の情報網を甘く見てもらっては困る。命令に逆らったことで亡くなった者もいたが、大半は助かったと聞いたぞ。……それに私の無茶な願いに懸命に応えようとしてくれた。今も私を守ろうと身を挺してくれている。お前自身がお前を卑下するならば、私を侮辱しているも同義だ。そう思え」
なんとも買いかぶってくれているな、お嬢様。
俺はアンタを自分好みに犯したいがために身体張ってんだよ。
馬鹿で、可愛い女だ。
そしてなんとも横暴な主人である。
その清々しさがおかしくて、俺は肩が震えた。
「くくくっ。伯爵閣下はイカレていらっしゃる……って、おっと!」
面白くなってきたところで、レオが突進しながら俺めがけてハルバートを振りかぶった。
俺は手にした斧を放り出し、ルチアナを脇に抱え、後ろに飛ぶ。
一瞬後、俺たちがいた石畳に斧が刺さり、石礫があたりに散った。
足枷が重く思った以上に距離がとれない。
ほんの数メートル先で、鼻息の荒いレオがふたたびハルバートを担いでる。
「アンタたち、自分の立場が分かっているの?」
気持ち悪く、いちゃついてくれちゃってさぁ。ホント、やんなっちゃう。
メメの細い眉と目尻はそれ以上吊り上がらない位置まで跳ね上がっていた。
メメはレオに手のひらをかざした。
するとレオは背を丸めぶるぶると震えはじめる。
『ウオオオオオオオ!』
しばらくすると、レオは雄叫びをあげた。
白目をむき、もはや人の理性があるのか疑わしい様子である。
魔獣と変わらない気配に、俺は勝機を見出した。
魔獣相手に怖気づいて背中を向けるのは馬鹿のやることだ。
奴らは元来臆病な生き物である。
こちらが強いと思わせればいい。
「ウオオオオオオオ!」
俺はレオを真似て遠吠えをした。
案の定、奴はびくりと痙攣し、動きを止める。
「ちょっと、何してるの? 早く仕留めちゃいなさい!」
悲鳴に近い命令に、レオは従わない。
メメの奴、勘が鈍ってんな。意識を奪い獣に近づければ近づけるほど、本能が強く働く。
そんな単純な道理に頭が回らなくなるほど、復讐心に囚われているのか。
俺はルチアナに「動かないでくださいよ」と耳打ちした。
そしてレオから目をそらさずゆっくりと一歩一歩進む。対してレオはじりじりと後退した。
戦意を喪失しているのは、左手のハルバートを構えていない時点で明らかだった。
そのうち、だらりと垂れた手からハルバートが落ちる。
その隙を見逃さず、俺はレオに肉薄し、奴の頬に拳を叩き込んだ。へこんだ皮膚がメリメリと音を立てる。
腕を振りぬけば、レオの上半身はぐらりと揺らぎ、横ざまに倒れた。
砂埃がレオを包み込む。
「……返してもらうぞ」
床に転がった相棒を俺は拾い上げた。
当時より重く感じるそれを肩に担いで振り向くと、ルチアナに王国軍の兵士たちが迫っていた。
「俺のモンに触んじゃねえっ」
俺はハルバートをぶん投げた。
くるくると旋回する相棒はルチアナに腕を伸ばそうとしていた兵士の胴に直撃。そのまま吹き飛ばした。
肩をいからせ近づく俺に、兵士たちは及び腰で後退する。
愛用の武器を回収し、重りのついた足枷の鎖を斧で叩ききった。
「閣下、少し我慢してくださいよ」
断りを入れ、ルチアナの尻を腕に乗せ抱える。ルチアナは大人しく俺の首根っこに腕をまわした。
そのまま闘技場の入り口に向かおうとすると、
「またお尋ね者になるつもり?」
メメが言った。冷静な声音に振り返れば、至極真面目な顔をしている。
「したけりゃすればいいさ」
簡単に捕まってやるつもりはない。守りたいものもあるしな。
「いつまでも過去に拘ってたら人生面白くねえぞ」
俺は捨て台詞を吐き、駆け出した。
兵士たちを睨みつければ面白いように道が開けていく。
闘技場を出る間際、
「……ほんと、つまんないオジさんになっちゃって、ガッカリだわ」
風に乗ってメメの声が聞こえた気がしたが、確かめる術はなかった。
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